[関連事件・毒ガス判決] 2004年7月10日(土)中国新聞







すべてをかけた。勝てると信じてた

中国人強制連行・西松建設裁判を支援する会事務局長
川原 洋子さん


 判決の言い渡しが始まると、傍聴席から身を乗り出し、裁判長を見つめた。言い渡しが進み、勝訴が明らかになると、思わず両手で目頭を押さえた。「良かった、良かった」。原告、支援者とがっちり握手を交わした。
 日本の戦後処理がすんでいない、という疑問は若い頃から持っていた。保育士や会社員をしながら、指紋押なつ問題で在日韓国人支援にもかかわった。
 一九八九年、秋田県で開かれた中国人強制連行の勉強会に参加した。広島でも同じ強制労働の現場が、加計町にあることを知った。九二年、加計町で労働を体験した男性の手記が中国から届いた。即座に訪中。広島で被爆死した元労働者の息子で、今回の原告の一人でもある楊世斗さんとも会った。
 「父が死んで生活は苦しく、小学校も出られなかった。決して許すことはできない」。楊さんは言い切った。「日本では知られていない、こんな現実があったとは」。強い衝撃が全身を走った。
 安野発電所で労働に従事した中国人は約三百六十人。毎年、中国に渡り、現地の研究者らと一緒にバスも通わない農村を回り、三十六人の生存者や遺族たちの証言を集めた。安野の住民の証言を丹念に掘り起こした。きゃしゃな体からわき上がる情熱が、支援者の求心力になった。
 「真実で司法の正しい判断を引き出すしかない」。仕事も辞め、生活を切り詰めて訴訟の支援にすべてをかけた。「勝てるとの思いはあった。それだけの準備をした」という控訴審。ついに「時の壁」も突き崩した。
 「西松建設は判決を受け入れてほしい。判決を力に、五人の後ろにいるたくさんの被害者の尊厳を取り戻さなければならない」と力を込めた。北九州市出身、五十四歳。広島市西区在住。