[関連事件・毒ガス判決] 2004年7月10日(土)中国新聞






西松訴訟控訴審判決 要旨


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 九日、広島高裁が言い渡した西松建設強制連行訴訟の控訴審判決の要旨は次の通り。
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 【強制連行と強制労働】
 被害者らは、中国国内で突然拉致されたり、日本軍との戦闘中に捕虜とされるなど、意思に反して拘束され、青島港から貨物船に乗せられて安野発電所建設工事現場に連行され、西松建設によって労働に従事させられた。
 工事現場で被害者らは二十四時間監視され、不十分で粗末な食料しか支給されず、不衛生極まりない劣悪な環境の下、長時間にわたる危険な重労働を強いられた上、監督から暴行を受けるなどした。これは明らかに強制連行・強制労働というべきものだ。日中戦争開戦以降の労働力不足、戦争遂行のための生産力拡充が必要だったことを背景に、日本政府の濃く細工と企業の利潤追求という両者の利害が一致し、両者が協力してその制度と実態を作り上げた結果、発生した。

 【国際法違反】
 条約は国家間の権利義務を規律するもので私人の権利義務を具体的かつ明白に規定している例外的な場合を除き、私人間の権利義務を規律する裁判規範にならない。被害者らはハーグ陸戦条約、国際労働機関(ILO)強制労働条約に基づいて損害賠償請求できない。

 【不法行為】
 西松建設の行為は強制連行・強制労働で、不法行為だが、既に二十年以上が経過しているから、除斥期間の適用を制限すべき特段の字j行が認められない以上、不法行為に基づく損害賠償請求権は法律上、消滅したといわざるを得ない。

 【安全配慮義務違反】
 西松建設は青島港で貨物船に乗せられた被害者らを含む中国人労働者を管理下に置いて以降、被害者らを指揮命令に従わせ、不衛生な状態で食事も十分に支給せず、長期間にわたり危険な重労働をさせたもので、安全配慮義務違反(債務不履行)に当たる。
 債務不履行に基づく損害賠償請求権は権利を行使できるときから十年で時効により消滅する。被害者らの権利行使が可能になったのは、中国の一般市民の海外渡航が可能となった一九九八年。本件提訴は十二年後の一九九八年だから、債務不履行に基づく損害賠償請求権も時効により消滅した。
  消滅時効による利益を受けるには、当事者が援用(主張)しなければならない。消滅させることが著しく正義・公平・条理などに反すると認めるべき特段の事業があり、援用権を行使させないことで時効制度の目的に著しく反する事情がない場合、時効の援用は権利の乱用として許されない。
 本件の強制連行・強制労働は著しい人権侵害で、被害者らは重大な被害を受けた。帰国後も、強制労働時の事故による後遺症や病気などに悩まされ、仕事にも就けず経済的困窮を強いられた。
 また日本へ行ったというだけで、反日感情の強い中国国内で迫害されるなど、長期にわたりさまざまな苦痛を強いられてきた。さらに情報収集の困難さから、権利行使は事実上著しく困難な状況だった。被害者らは権利の上に眠ってきた者とは言えない。一方、西松建設は強制連行・強制労働に関する資料に虚偽の事実を記載し、広島県による調査でも関係者に対する十分な調査をしないなど、同社側が情報不足の一因を作っている。
 また、西松建設は態度を明確にしないまま被害者らとの補償交渉を続け、結果的に被害者らの提訴を遅らせるなど、姿勢は誠実とは言えない。さらに、中国人労働者を使役したことに関し、戦後国家補償金を取得するなどの利益を得た上、その跡も発展を続けてきた。このような諸事情から、西松建設に損害賠償義務を免れさせることは、著しく正義に反し、時効の援用は、権利の乱用に当たり許されない。

 【日中共同声明】
 日本が一九七二年に署名した日中共同声明には、中国国民の加害者に対する損害賠償請求権を放棄することは明記されていないことなどから、日中共同声明などによって、西松建設の法律上の賠償義務が消滅したということはできない。

 【損害額】
 被害者らの受けた被害は極めて重大で、長期間にわたり被った経済的、肉体的、精神的苦痛は筆舌に尽くし難い。被害額は、それぞれ慰謝料五百万円を下らず、弁護士費用は五十万円が相当。

 【結論】
 以上、被害者らの請求は理由があるからすべて認容すべきで、それと異なる原判決は不当だから取り消すこととする。


1944年7月
原告ら360人の中国人が強制連行される。移送途中に3人が死亡
西
8月
広島県安野村(現・加計町)の水力発電所建設現場に到着
45年7月
収容所内での殺人現場で、呂学文さんら中国人16人が逮捕される
8月
広島に原爆投下。広島刑務所などで呂さんら中国人16人が被爆
11月
原告ら中国人労働者が帰国
78年10月
日中平和友好条約が発効
86年2月
中国での私用の出国が認められる
93年8月
呂さんが戦後初めて来日。西松建設に謝罪や賠償を求める要求書を提出
97年5月
西松建設との交渉が決裂
98年1月
広島地裁に提訴
2002年7月
広島地裁で原告が敗訴、高裁に控訴
03年8月
呂さんががんのため死亡
04年2月
広島高裁で和解協議が決裂
3月
結審
7月
控訴審で原告逆転勝利