2005年2月19日〜20日
        「若者と語る日中関係」

      〜今こそ歴史を鑑に!日中間の友好と信頼が平和への道〜


日中関係と〈ナショナリズム〉

          江田 憲治 (京都大学)

◎今日、日本のジャーナリズムはしばしば、「中国脅威論」を喧伝し、研究者も西洋  文明が衝突する相手として中国を描き(ハンティントン『文明の衝突』)、あるいは 「帝国」として表象している(中西輝政『帝国としての中国』)。新聞の世論調査によっても、国に対する好感度は必ずしも高くはない。
  一方で、中国の側でも、政府は衛星の打ち上げや北京オリンピックにより国威発揚に努め、とくに小泉首相の靖国参拝に対しては、強い反発を示している。市民・民衆レベルでも、「北京サッカー騒動」に代表されるように、反日感情の高まりが指摘されている。
◎こうした事態はなぜ起こったのか?中国と日本の「ナショナリズム」を歴史的位相から、みなさんと考えてみたい。

(1)はじめに――個人的な体験から
・日本と中国における〈ナショナリズム〉の実体験
   サッカーの観客の「騒動」だけではない、攻撃的なナショナリズムの存在
 事例1 中国……常徳市?案館の細菌戦被害陳列 
 事例2 日本……昨年のセンター入試「強制連行」出題への非難

・この〈ナショナリズム〉はどのようにして誕生した(存続している)のか?
このうち日本の〈ナショナリズム〉が、歴史事実の無視や軽視と、戦前以来の伝統的  価値観を基盤としていることは自明。
  では、中国のそれは?


(2)中国のナショナリズムはどのようなものとして成長してきたか?
[第1期 辛亥革命期(1903〜1911年)]
  1905年 中国同盟会成立 「駆除韃虜・回復中華・創立民国・平均地権」
1911年 辛亥革命→中華民国の成立
 ・少数民族支配の打破・漢民族支配の回復
 ・反満主義・種族主義としての強烈なナショナリズム

[第2期 五四運動・国民革命期(1919〜1927年)
1919年 五・四運動(第一次世界大戦後、ドイツが中国の山東省に持っていた諸利権が、中国に返還されず日本に譲渡されたことから起こった民衆運動)
  1924年 第一次国共合作
1925年 国民革命(五・三〇運動、香港経済封鎖、漢口租界回収など)
1926年 北伐(国民党軍の北方軍閥への軍事行動)
・「外に国権を争い内に国賊を除け」(五・四運動)「反帝国主義反軍閥」(国民革命)
 ・反帝国主義としてのナショナリズム 
[第3期 抗日戦争期(1937〜1945年)
  1937年 盧溝橋事件、第2次国共合作成立
・日本との戦争をたたかう救国ナショナリズム
 ・激しい抗日感情にもかかわらず戦時捕虜や戦犯(とくに人民共和国政府)に対する抑制的な対応


(3)今日の〈ナショナリズム〉をどう捉えるべきか?
 ・歴史上のナショナリズムと今日の〈ナショナリズム〉の違い
 抵抗の手段←→国家統合の要請
・〈ナショナリズム〉の肥大と国家権力との結合その回避の必要性

 but〈ナショナリズム〉形成の要因に日本の支配層の歴史観・中国観に対する反発がある以上、日本の支配層の歴史観・中国観こそが第一義的に批判され、是正されなければならない。
and 人民共和国成立以前のナショナリズムの「抑制」は今日以降も存続しうるか、が問題とされねばならない。 
      ↓  ↓
  日本と中国における民主主義の役割

and 日本側からすれば、日本の支配層の歴史観・中国観を是正し、同時に、日本における民主主義の「役割」を発揮させる場の一つが、「細菌戦訴訟」