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裁判報告会(2004.9.2第7回控訴審後)

裁判終了後、荒井信一さん(日本の戦争責任資料センター代表) においでいただき、 「最近の中日関係に思う」と題して約1時間講演していただきました。

   2004/09/02 細菌戦裁判報告会メモ
 最近の中日関係に思う(荒井メモ)●

 

はじめに

特徴:

 @経済(日本企業の大量進出など)・安保(東アジアの非核化など)の面での相互依存関係の
   深まり、民間レベルでの相互依存・交流の発展 

 A大衆感情の悪化(珠江の集団買春、西安大学の文化祭、渡日中国人の犯罪)、経済、政
   治への撥ねかえり
   湯重南中国日本史学会長らの話;2003年9月(吉林省の日本軍毒ガス問題、新幹線、呉
   国邦全人代委員長の訪日)−サッカー観衆のブーイングなど
   中国政府と反日感情−現段階ではコントロールがむづかしい?
   王嚼カ大公報社長の話;1956年−辻政信(元大本営参謀)の訪中、「過去は忘れまし
    ょう」の政治的機能(対民衆)


相対的安定

 転機;1972年日中国交回復(共同声明「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」(9月29日)

 日本の歴史教科書改ざん問題(1982年夏)、中曽根首相の靖国公式参拝(1985年8月15日)−沈静化の契機;宮沢官房長官談話(日本政府の責任で是正、近隣条項)、公式参拝取りやめ(首相発言「(靖国参拝は、A級戦犯を)ほめたたえることになる」、「太平洋戦争は間違った戦争」、「(中国に対し)侵略の事実はあった」など)

 1987年、廬溝橋事件50周年シンポジューム、中国社会科学院近代史研究所劉大年所長の話(抗日戦争の被害調査、2000万人は暫定的な数字、戸籍にあたって本格的調査)

 細川内閣から村山内閣へ−(村山談話、1995年8月)

歴史認識問題の再燃

 90年代後半以降;自民党議員116名、「明るい日本」議員連盟結成(96年6月)、「新しい歴史教科書をつくる会」結成(12月)、「つくる会」教科書検定合格(2001年4月)。官僚のサボタージュ(条約協定で解決済み、個人補償請求権の存在否定)。日米合作「中国脅威論」の台頭

 中国の戦争史観の転換;抗日戦争史観から抗日救国史観へ(95年、抗日戦争記念館の大改装)−国民党、華僑などの戦争努力評価−台湾、香港を意識、「民族集中」ナショナリズムへの傾斜?

 グローバル化への対応、歴史教科書の複数化、世界史の視点導入の方向

 「日本軍国主義」研究の再開(1999年、中国社会科学院日本研究所)、軍国主義の宿命性と一般国民の責任?


現状をどう見るのか

 二つのナショナリズム:政府主導のナショナリズムと大衆ナショナリズムの摩擦。後者は媒体としてインターネットの比重がおおきく、政府のコントロールから逸脱する可能性がある。国家間の関係の不安定要因に発展する要素がつねに存在する状況。日中関係の不安定化は、日本政府にとっても不利。大衆ナショナリズムの沈静化に手を貸すのが、日本の国益としても必要。しかし民間のウエイトが飛躍的に高まっている状況下では、民間で何ができるかを検討する必要。中国に進出している企業の社員たちは何を考えているのだろうか。従来のような政経分離でよいのだろうか。

 中国政府の対応としては、大衆の意識(とくに過去にたいする)を上から統制する政策に限界があるのではないか。抗日戦争被害の研究の発展と、日中関係の緊密化にともなう過去の記憶の活性化を統制するのではなく、プラスの方向付けをしてゆくための政策転換が必要か?