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原告陳述書

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陳  述  書

控訴人    王   耀  来

1 わたしは、陳英芳と申しまして、1960年1月1日の生まれです。学歴は 中学卒業で、今年44歳です。専業主婦であるわたしには、一人の息子と一人の娘がいて、自宅は中国浙江省義烏市建設三村41幢6号にあります。
 わたしの父の王六通は本件細菌戦の原告でし1 尊敬する日本国東京高等裁判所の裁判官殿:
 私は王耀来です。男性、1935年9月12日生まれで、学歴は中学卒業、中国湖南省常徳市鼎城区石公橋鎮龍子崗村の出身です。現在は常徳市武陵区西園小区3−1号棟一単元二階に住んでいます。

2 私の家族はもともと石公橋鎮龍子崗村(別称は封火王家)に住んでいまし
た。石公橋の北街より500メートルの距離です。5人家族で、父は作男でした。
 1936年6月、父は船で芦葦山へ草をとりに行く途中で、強風と遭遇し、船から落水して溺死しました。私が1才未満の時のことです。父が亡くなっ た後、母は私たち3人兄弟を育て厳しい生活をしました。
 1942年、姉王鳳清は20歳で、兄王必来は10歳でした。私も7歳になっていました。母の目には、辛い生活はそろそろ終わり、これからは良い暮しになっていくように見えていました。しかしその想像を裏切り、もうひとつの災難が私たちの脆弱な家庭で起こり、母はもう一度大きな悲しみに巻き込まれてしまったのです。
 石公橋鎮は細長い町で、定住人口は2000人近くいました。地理的によい環境で、東は沖天湖に面し、西は太?山のふもとの広い平原があり、交通の便がよく、商売繁盛で、「小常徳」と呼ばれていました。

3 日本侵略軍731部隊が1941年11月常徳城に投下したペスト細菌は、
交易と人口の流動によって、1942年の秋から冬にかけて、石公橋に蔓延し、爆発的に流行しました。石公橋の町と隣の村では、短い期間のうちに人が相次いでペストに感染し死んで行きました。ある家庭では数人が死に、ある家庭では一家全員が死亡しました。
 1942年9月、 石公橋において、ネズミが大量に死ぬという現象が発生しました。
 同年11月上旬、隣家の王孟年は、常徳城関廟街劉義茂の糸店で丁稚奉公をしていて、ペストに罹りました。彼の家族の人はそれを聞いて、急いで彼を家に運んできましたが、2日で死亡しました。
 私の姉・王鳳清は、近隣の大家族で、葬式の手伝いに行きました。その結果、姉は王孟年の葬式がおわって、家に戻ったその日に発病しました。病状は王孟年と同じく、高熱と、体の引きつりと、頸や腋や鼠蹊部の瘤などでした。姉は2日して亡くなり、遺体は真っ黒でした。姉の遺体は、村の老人に埋葬されました。当時、死者に触れて病気が伝染することを恐れ、若い人々には埋葬を手伝わせませんでした。
 姉の死によって我が家は働き手の大黒柱を失いました。母は、父の死以来、再び精神的ショックを受け、悲しんで失明寸前まで泣きました。
 兄と私はまだ幼いとはいえ、すでに小学生になっており、姉の遺体のそばで悲しみの涙を流していました。当時の悲惨な状況は、いまでも鮮明に覚えています。
 姉の死後、村では、陽友財、陽儀清、黄和清、黄新発、張寿文、丁文業、陽人章、丁四姑が相次いで死にました。症状は、ほぼ姉と同じでした。
 疫病の流行が始まってから、常徳から医療隊が派遣されました。医療隊は病人を診察してから、ペストと確定し、日本軍が常徳城に散布したものが広まった結果だと言いました。医療隊は注射によって少数の病人を治しました。今でも健在な元患者もいます。

4 私は日本軍731部隊の細菌戦の被害者であり、中国に侵略した日本軍の
罪の証人です。私には、日本軍国主義者の罪を強く責める権利と、それ以上にその責任があります。そして,日本政府が、自分たちの国の犯罪者が行ったことを明らかにし、責任をとり、中国の被害者に謝罪し、賠償することを強く要求します。
 この、私たちの当然の訴訟は、東京地方裁判所では支持されませんでした。彼らが2002年8月27日に下した一審判決では、日本軍731部隊が国家指令のもとで我が国浙江・湖南常徳など多数の地域にて細菌戦を実施したことが認められ、さらにそれは国際公約に反する非人道的戦争犯罪だと判断されました。しかし、その判決では自己頓着的に我が原告側が謝罪と賠償を求める正当な要求が退けられてしまいました。これは日本政府を庇っており、明らかに不公平な判決です。
 日本は三権分立制度を実施する民主国家であり、「正義を伸張する」ことは高等裁判所の裁判官が判決を下す時の原則だと思われます。
 私たち細菌戦被害者が国境を超えて外国人の身分で貴裁判所に控訴したのは、高等裁判所裁判官の諸先生方を信頼しているからであり、諸先生方が真の「司法独立」を実践できるかどうかということに対する試みでもあります。
 日本政府に平和発展の道を歩ませ、戦争の根源を断絶させ、中日両国国民間の永続的な平和友好を継続させるために、諸先生方が良心に従い、勇気を持ち、日本行政当局にある右翼勢力の影響を受けずに、本件に対して公正なる判決を下すよう、私たちは希望しています。
 どうもありがとうございます。

以 上