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[被控訴人] 第一準備書面

平成14年(ネ)第4815号
控訴人 程 秀芝ほか179名
被控訴人 国

準 備 書 面(1)

平成15年8月4日

東京高等裁判所第2民事部 御中

                                           被控訴人指定代理人
                                                   

 宮   田   誠   司

石   川     さ お り

澁   谷   勝   海

高   橋   孝   信

原        克   好

中   泉   英   知

松   島        晋


目  次

第1 国家無答責の法理に関する控訴人らの主張について

 1 控訴人らの主張の要旨
 2 被控訴人の反論
  (1) 国家無答責の法理が確立していないという控訴人らの主張について
   ア 行政裁判法16条について
   イ ボアソナード民法草案から国家責任規定を削除したことについて
   ウ 小括
   エ 控訴人らの主張に対する反論
    (ア) 判例について
    (イ) 学説について
    (ウ) 立法者意思について
  (2) 適法な公権力行使権限に基づかないことをいう点について
  (3) 国家無答責の法理の人的・場所的限界をいう点について
  (4) ヘーグ陸戦条約の国内法化による国家無答責の法理の排除をいう点について
  (5) 現在の法解釈に基づき裁判すべきという点について
   ア 行為時を基準とすべきことについて
   イ 行為時を基準とすべきことについて
  (6) 東京地裁3月判決について
   ア 東京地裁3月判決の概要
   イ 被控訴人の批判の概要
   ウ 国家無答責の法理の根拠の理解が不十分であることについて
    (ア) 東京地裁3月判決の判示
    (イ) 国家無答責の法理について
   エ 国賠法附則6項及び最高裁昭和25年判決と相反すること等
    (ア) 東京地裁3月判決の概要
    (イ) 明治憲法下における国家無答責の法理と民法解釈との関係について
   オ 国賠法附則6項に違反すること
   カ 最高裁昭和25年判決に反すること
   キ 東京地裁3月判決の理由中における法例11条の適用を否定した理由と矛盾があること
   ク 結論

第2 除斥期間の適用に関する控訴人らの主張について

 1 民法724条後段の法的性格について
  (1) 控訴人らの主張
  (2) 被控訴人の反論
 2 除斥期間の適用制限について
  (1) 控訴人らの主張
  (2) 被控訴人の反論
   ア 最高裁平成10年判決について
   イ 東京地方裁判所平成13年7月12日判決について
   ウ 福岡地方裁判所平成14年4月26日判決について
 3 小括

第3 条理に関する控訴人らの主張について

第4 法例11条により準拠法となるとする中国民法に基づく請求について

 1 国際私法の適用可能性について
 2 国際私法の法律関係の性質決定について
 3 法例11条の適用の可能性についての小括
 4 日本法の累積適用について
  (1) 累積適用の内容について
  (2) 日本法の適用について
  (3) 行為時を基準とすべきことについて

第5 立法不作為に関する控訴人らの主張について

 1 控訴人らの主張
 2 被控訴人の反論

第6 行政不作為に関する控訴人らの主張について

 1 控訴人らの主張の要旨
 2 被控訴人の反論
  (1) 控訴人らの主張するような法律上の作為義務を被控訴人が負わないことについて
  (2) 内閣が控訴人らの主張する作為義務の主体となる根拠が明確にされていないことについて
 3 小括

第7 隠べい行為を理由とする国家賠償請求について

第8 日中共同声明について

 1 本主張の主旨
 2 福岡地裁判決について
 3 日中共同声明等に関する政府見解
 4 戦後処理の枠組みをなすサン・フランシスコ平和条約について
  (1) 第二次世界大戦後の賠償並びに財産及び請求権の問題の解決のあり方
  (2) サン・フランシスコ平和条約による解決の基本的内容
   ア サン・フランシスコ平和条約の基本的内容
   イ サン・フランシスコ平和条約における日本の賠償責任
   ウ サン・フランシスコ平和条約に基づき日本国がした賠償等
   エ サン・フランシスコ平和条約締結の事情
   オ 請求権放棄条項について
  (3) サン・フランシスコ平和条約14条(b)の解釈
   ア サン・フランシスコ平和条約14条(b)の法的効果
    (ア) 連合国の請求権に対する効力
    (イ) 連合国国民の請求権に対する効力
    (ウ) 直接適用の有無
   イ 米国政府の意見等について
   ウ サン・フランシスコ平和条約14条(b)の表現について
 5 その他の戦後処理について
  (1) ビルマ連邦との関係について
  (2) インドネシア共和国との関係について
  (3) ラオス及びカンボディアとの関係について
  (4) 旧ソヴィエト社会主義共和国連邦との関係について
  (5) その他の諸国との関係について
 6 我が国と中国との間の戦後処理
  (1) サン・フランシスコ平和条約との関係について
  (2) 日本と「中華民国」との間の処理について
  (3) 日本と中華人民共和国との間の処理について
   ア 日中共同声明署名に至る経緯について
   イ 日中共同声明5項について
   ウ 米国における裁判の推移等について
 7 中国政府の見解について
 8 結語

 被控訴人は,本準備書面において,控訴人らの2003年(平成15年)4月21日付け第1準備書面(以下「控訴人ら第1準備書面」という。)における主張に対し,必要と認める範囲で反論する。
 なお,略語例は,特に断らない限り,従前の例による。

 



第1 国家無答責の法理に関する控訴人らの主張について

 1 控訴人らの主張の要旨

 控訴人らは,民法709条ないし同法711条または民法715条に基づいて本訴請求が認められるべき旨主張し,本件においては,「国家無答責の法理」は適用されないとして,要旨次のとおり主張する(控訴人ら第1準備書面20ないし56ページ)。

 (1) 国家無答責の法理が確立していないこと

 国家無答責の法理について実定法上の根拠は存在せず,判例理論としても,当時の学説によっても,立法者意思によっても確立していなかった。

 (2) 適法な公権力行使権限に基づかないこと

 国家無答責の法理は,国家の行為が公務のための権力作用である場合に,当該公務を保護するためのものであって,当該行為が公務のための権力作用に当たらない場合には,国の行為についても民法上の不法行為責任が成立することを当然のこととしているものであるところ,本件の細菌戦は,適法な公権力行使権限に基づかないから,国家無答責の法理は適用されない。
 
 (3) 国家無答責の法理の人的・場所的限界
 国家無答責の法理は,国家の統治権に服しない者に対しては適用されない。
 
 (4) ヘーグ陸戦条約の国内法化による国家無答責の法理の排除
 ヘーグ陸戦条約は国際慣習法として成立し国内法化していたから,国内法はこれに適合するように解釈されなければならず,国家無答責の法理は適用されない。
 
 (5) 現在の法解釈に基づき裁判すべきとの主張
 国家無答責の法理は,手続法上の理由が根拠となっているにすぎず,行政裁判所が廃止され,訴訟が司法裁判所に一元化されている日本国憲法の下においては,国家無答責の法理を適用する根拠はなく,国家の貝剖賞責任については現時点での法解釈に基づくべきである。
 

 2 被控訴人の反論

 
 (1) 国家無答責の法理が確立していないという控訴人らの主張について控訴人らは,国家無答責の法理について実定法上の根拠は存在せず,判例理論としても,当時の学説によっても,立法者意思によっても確立した理論ではない旨主張する。
 しかし,以下に述べるように,行政裁判法及び旧民法は,国家無答責の法理に基づいて制定されたものであり,行政裁判法と旧民法が公布された明治23年の時点で,国家の権力的作用についての国家無答責の法理を採用するという基本的法政策が確立したものである(塩野宏・行政法U(第二版)222,223ページ,宇賀克也・国家責任法の分析409ないし411ページ)から,控訴人らの主張は失当である。
 
 ア 行政裁判法16条について
 
 (ア) 明治憲法は,行政裁判制度に関し,「行政官庁ノ違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ別ニ法律ヲ以テ定メタル行政裁判所ノ裁判ニ属スヘキモノハ司法裁判所ニ於テ受理スルノ限ニ在ラス」と規定し(61条),行政裁判を司法裁判より分離し,行政訴訟を審理するために別に行政裁判所を設けること及びその構成は法律をもって定むべきものとの原則を掲げた。
 ところで,行政裁判法16条は「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」と規定しているが,この行政裁判法案を作成するに当たり,先決的に解決すべき問題として,いかなる問題が検討され,かつ解決されたかについては,伊藤博文が編纂した「官制関係資料」所収の「行政裁判所設置ノ問題」と題する資料(乙第26号証)にそれを見ることができる(行政裁判所・行政裁判所五十年史・乙第27号証26ないし29ページ,和田英夫・行政裁判(法体制確立期)日本近代法発達史3巻111ページ)。
 それによると,「行政裁判所ヲ設クルニハ左ノ類項ノ問題ヲ決定スルヲ要ス。」として,行政裁判所を設置する際に検討すべき問題点を列挙しているが,第3項の「要償ノ訴ハー般ニ民事裁判ニ譲ルベキカ,又ハ或ル部分ニ限リ行政裁判ニ於テ處分スベキヤ。」という問題点について,次のような結論を示している。
 すなわち,「君主ハ不善ヲ爲スコト能ハズ。故ニ政府ノ主權ニ依レル處置ハ要償ノ責ニ任ゼントハ一般ニ憲法學ノ是認スル所ナレバ,人民ハ一個人トシテ官吏ノ故造處置ヲ訴へ,民事裁判所ニ要償スルヲ除ク外,行政ヲ相手取リ要償ノ訴ヲ爲スノ權アルコトナシ。但シ法律ニ依リ政府ハ賠償ノ責ニ任ズベキコトヲ明言シタル條件(徴發令ノ如シ)ニ於テハ,行政裁判所ハ要償ノ訴ヲ受理スルコトヲ得ベシ。又行政裁判所ニ於テ取消ス所ノ行政處分ニ依リ,直接ニ生ズベキ損害ノ賠償ハ行政廰ニ於テ之ヲ虜分スベキモノトス。(但シ収用令ニ賠償ノ訴ヲ司法裁判所ノ權限ニ属シタルガ如キ明文アル者ハ此ノ限ニ在ラズ)」としている。(乙第26号証367,370ページ)
 これによれば,行政裁判法の制定過程において,政府の主権に基づく処置すなわち公権力の行使に該当する措置によって生じた損害については,憲法学上当時一般に是認されていた国家無答責の法理により,個人は,原則として行政裁判所に対して損害賠償の訴えを提起できないとしたのである。
 
 (イ) また、行政裁判法案の原案を作成したモッセは,国の不法行為責任を否定し,司法裁判所のみならず,行政裁判所においても。国家責任を問い得ないとしていた。
   すなわち,モッセは,「国ノ民法上損害賠償義務ニ関スル意見」と題する答議において,国が民事上の活動を行う場合には,国は民法に従つて責任を負い,民事裁判所に損害賠償請求訴訟を提起することができるとする(郵便,電信,鉄道等に関し,特別の責任規定があれば,それは民法に優先して適用される)が,官吏が国権を執行するに際し,義務違反の処置若しくは怠慢により第三者に加えた損害に対し財産上責任を負わないと述べている。したがって,モッセは,公権力主体としての国家と私経済主体としての国家を区別し,前者については無答責,後者については私人と同様の責任を負うという解釈を採つていたのである(宇賀克也・国家責任法の分析409ページ,419,420ページ,乙第28号証,474ないし477ページ・「モッセ氏國ノ民法上損害賠償義務ニ開スル意見」)。
 
 (ウ) 以上のように,行政裁判法16条は,国家無答責の法理を当然の前提として,行政裁判所の損害賠償請求事件に係る事物管轄の範囲を定めたものといえる。
 
 (エ) また,国家無答責の法理は,明治23年に制定された裁判所構成法の制定の際にも貫徹されている。
 すなわち,裁判所構成法は,明治20年5月にルドルフが中心となって草案を起草し,法律取調委員会で検討修正して,明治23年に法律とされたものであるが,その法律取調委員会案(帝国司法裁判所構成法草案)の33条で,「地方裁判所ハ民事訴訟ニ於テ左ノ事項ニ付裁判権ヲ有ス」として,「第一 第一審トシテ(イ)金額若クハ価額ニ拘ラス政府(中央政府ト其配下ノ官庁トヲ問ハス)ヨリ為シ又ハ之ニ対シテ為ス総テノ請求 (ロ)金額若クハ価額ニ拘ハラス官吏ニ対シテ為ス総テノ請求但其請求公務ヨリ起リタル時ニ限ル (ハ)其他区裁判所若クハ特別裁判所ニ専屬スルモノヲ除キ総テノ請求」とされていた(下山瑛二・人権と行政救済法68ページ)。
   ところが,井上毅が意見書を提出し,上記のうち,国家責任に関する訴訟を受理する明文の規定が草案から削除されることとなつた(田上穣治編・体系憲法事典365ページ以下)。                           
   この井上毅の意見書(裁判構成法案意見・井上毅偉史料篇第一614ページ・乙第29号証)には,次のような意見が示されている。                 すなわち,「第一 國ニ對スル訴訟ノ事 ブラクストン氏王權篇云ハク王ニ對スル訴訟ハ民事ト雖モ之レヲナスコト能ハス蓋シ何ノ法院モ國王ヲ裁判スルノ法權ナケレハナリト故ニ英國ニ於テ君主及ヒ政府ニ對スルノ訴訟ハ唯々請願ニ由リテ恩恵ノ許可ヲ得タル後始メテ裁判ヲ受クルコトヲ得 普國千八百三十一年十二月四日ノ閣令云ハク君主ノ資格ニ於テ臣民トノ問ニ裁決ヲ要スルノ權利ノ争ヲ生スルノ理ナク又之レヲ裁決スルノ權限アル裁判所ハ全國ニ一モ存スルコトナシト 政府ニ對スル訴訟ハ獨逸ニ於テ國權ト區別シタル財産上ノ訴ヲ許シタルノミニシテ單純二国ニ對スル訴訟トシテ之レヲ許シタル「ノ」國アルコトナシ今本案二国ニ對スル訴訟ヲ以テ裁判所ノ權内ニ皈シタルハ其ノ當ヲ得ザルノミナラズ専ラ居留外國人ノ日本政府ニ對スル訴訟ノ爲ニ地ヲ爲ス者ナリ」,「第三 官吏ノ公務ニ對シテハ要償スルコトヲ得ス何トナレハ其ノ公務ハ國權ノ一部ニシテ國權ハ民法上ノ責任ナキ者ナレハナリ官吏ニ對スルノ要償ハ其ノ官吏ノ私事トシテ訴フル者ニ限ルヘシ第三十二條(ハ)ノ場合ハ國法ノ大則ニ背ク事」(引用者注・上記第三十二條とは,帝国司法裁判所構成法草案33条に相当する。)とした。         これによれば,井上毅は,国家無答責の法理を根拠に,国家賠償請求訴訟を司法裁判所に提起できないとしたのであり,この井上の意見が客観的に通つた形で裁判所構成法が制定されたのである(下山・前掲人権と行政救済法68ないし69ページ。同旨東京高裁平成14年3月28日判決・乙第30号証)。
 
 (オ) 以上述べたように,行政裁判法及び裁判所構成法は,国家無答責の法理を根拠として,行政裁判所及び司法裁判所は,いずれも国家賠償請求訴訟を受理しないものとした。このように,国に対する賠償請求は,基本的には,行政裁判所のみならず,司法裁判所においても否定する考えであったのであり,その基本的な法構造は,権力的作用に関する限り,以後,日本国憲法に至る約半世紀余の間継続したものといえる(下山・前掲人権と行政救済法69ページ)。
 
 イ ボアソナード民法草案から国家責任規定を削除したことについて
 
 (ア) 上記のように,行政裁判法及び裁判所構成法の立法者意思は,国家無答責の法理を根拠として,行政裁判所及び司法裁判所は,いずれも国家賠償請求訴訟を受理しないとしていたのであるから,実体法である民法において,国の権力的作用について賠償責任を認める条文を規定することは矛盾である。したがって,ボアソナード民法草案373条から国家賠償責任を認める文言を削除したのは,国家無答責の法理が採用されていたためであることは明らかである。
 
 (イ) この点,法務大臣官房司法法制調査部監修・日本近代立法資料叢書10民法編纂ニ闘スル諾意見並雜書398及び399ページ(乙第31号証)の記述によれば,旧民法373条の審議の過程において,同条に「公ノ事務所ノ責任」を規定した理由につき,起草者(ボアソナード)は,「主人カ其被雇者ノ所爲ニ付キ責ニ任スルト同ク國家府縣町村モ亦民法ノ規定ニ從ヒ同様ノ責ニ任ス可シ此説ニ付テハ佛國其他ノ諸国ニ於テモ未タ嘗ノ異論ヲ爲ササル所ナリ日本ニ於テモ亦必ス同カラン故二国家ハ郵便,電信,鐵道運送ノ如キ賃ヲ取テ事ヲ行フ場合ニ於テ其使用スル者ノ犯罪又ハ準犯罪ニ付キ民事上責ニ任スヘキノミナラス官ノ水夫又ハ發射ヲ爲ス兵卒又ハ信書ヲ送達スル騎卒ノ過失ヨリ生スル損害及ヒ行政官吏ノ職權濫用ニ因ル損害ニ付テモ亦同シフ其責ニ任ス可シト」と説明した。すなわち,ボアソナードは,国又は公共団体の権力的作用にも民法を適用すべきことはフランスその他の諸国においても異論のないところであるから,日本においても同様とすべきであるとしたのである。 そして,ボアソナードのこの提案を受けて,今村報告委員は,法律に責任を免除する規定を置く以外は,国又は公共団体は賠償責任を負うべしとの修正案の意見を示し,さらに井上報告委員も,「國家ト人民トヲ區別シ人民ハ雇人ノ過失ヨリ生シタル損害ノ責任ヲ有スルモ國家ハ之ニ反シ官吏ノ非行ヨリ生シタル損害ノ責ニ任セストノ法理ハ之レヲ發見スヘカラサル」との意見を示して,373条の文言をそのままにして,「特ニ其責任ヲ免除スル場合ハ此限ニ在ラス」との但書を加えるべきであると提案したものとされている。
 ここで明らかなように,ボアソナード民法草案の審議過程では,民法二国家賠償責任を認める条文を規定する根拠として,国又は公共団体の権力的作用にも民法を適用すべきことがフランスその他の諸国においても異論のないところであるとの認識を前提としている。
 
 (ウ) しかし,当時の法制局長官であつた井上毅(井上毅の法制局長官在任期間は,明治21年2月より同24年5月までである。)は,今村和郎及び司法大臣山田顕義に対して,ボアソナードの見解が誤りであることを指摘している。
 まず,井上毅は,明治22年6月22日に,今村和郎に宛てた書簡で,次のとおり述べている。
 「昨日,貴下ノ寄贈ヲ添クシタル決議取消ノ要求書ハ、獨行政裁判ノ争ナルノミナラズ,即民法三百七十三條ニ就テノ未来ノ大問題ナルベシ,(因ニ問,民法三百七十三條ニ公私ノ事務所トアルハ文意明瞭ナラサレモ,仍ボ氏原案三百九十三條ニ謂ヘルアドミニストラシヨンノ意ナルカ乞示)抑民三百七十三條ハ,佛民法千三百八十四條ニ基クモノナルヘシト雖,佛千三百八十四條ハ,斯クマテニ明言セズ,故ニ學者ノ説ハ之ヲ國家ニマテ適用スルノ傾向アル,誠ニ貴下ノ明教ノ如シト雖,權限裁判所ノ判決ハ,全ク反對ノ主義ニ出,國家ハ『官吏ノ處置ニ付テ全.ク其ノ責ニ任セズ』トノ元則ヲ取リタルハ,貴下ノ素ヨリ熟知セル所ナリ,英國及米國ニテハ,公法上官吏ノ使用ハ,民法ノ代理ト全ク其ノ原由ヲ同クセズトノ主義ヲ取リタルハ,是亦佛前ノ説法ヲ煩ハサズ,(米人ストリー氏代理法三百十九節)獨乙ニテハ賣買貸借ノ類,純然ノ民法事件ニ就テハ國家ハ國庫ノ性質(即權利義務ヲ有スル」個法人)トシテ,民法上ノ賠償責任アルコトニ就テハ,各派ノ學者問異議ナシト雖,國權ヲ執行スル官吏ノ處置及怠慢ニ付テハ,甲ノ學者」ハ(スタイン,ザルウエー,ロスレル氏)何等ノ場合モ,民法上ノ責任ナシト謂ヒ,乙ノ學者ハ(ゲルベル,マイエル,つヨーフル氏等)或場合ニ於テ責任賠償スヘシト謂フ,而シテ實際ノ裁判例ニ於テハ,特別ノ法律ノ正文ニ明記シタル場合ヲ除ク外,判然二国家ノ民事賠償ヲ認メズ,夫レ各國ノ國法論ニ於テ如此異同アリテ未タ歸一ノ中點ヲ得ザルニ拘ラズ,我民法草案ハ大胆ニモ國家ヲ一網ノ下ニ打盡シテ民法ノ範園内ニ入レント試ミタルハ,小生ハ慨嘆ニ堪ヘサル所ナリ,此件ハ,猶再議ノ機會ヲ待ツヘシト雖,前陳ノ理由ニ因リ,小生ハ前ノ決議ヲ無効トスルノ要求ニ應スルコト能ハサルノ遺憾ヲ抱クノミナラス,且,民法上ノ問題ニ閾シ,全ク貴下ト反對ノ位地ニ立ツノ不幸ヲ得タルコトヲ痛嘆セズンハアラズ,頓首,」(井上毅傳史料篇第四・乙第32号証323及び324ページ)。
 この書簡で,井上毅は,諸外国においては,国権を執行する官吏の処置及び怠慢については,学者の説は諸説があるが,実際の裁判例は,原則として,国の賠償責任を認めていないと指摘する。その上で,井上毅は,そうであるにもかかわらず,ボアソナード民法草案では,大胆にも常二国家は賠償責任を負うと規定していることは慨嘆に堪えないとし,かかる「未来ノ大問題」を「再議ノ機會」をとらえて検討するとしている。
 
 (エ) さらに,井上毅は,かかるボアソナード民法草案に対する懸念を当時の司法大臣山田顕義に対しても述べている。
 井上は,明治22年6月29日に,司法大臣山田顕義に宛てた書簡で,山田に,「民法三百九十三條ニ付而者,異議ハ別冊モスセ氏意見ニ相見候,此事将来國法上ニ關係シ,一大問題と相成可申候,且條約改正之上ハ,外國人民と政府との争議之論と相成ル事ニ候ヘハ,更ニ御取しらへ相成度翼望奉存候,猶佛國ニおいてすら判決例ハボアソナド氏之説と矛盾いたし居候,文其他之反對之證憑追々ニ可奉呈覧候,頓首,」と述べている(乙第32号証639ページ)。
 すなわち,井上は,ボアソナード草案が国家の賠償責任を認めた点について,将来国法上の一大問題となり,条約改正により,外国人と日本政府の問の争いの論拠となると懸念し,さらにボアソナードの見解は,フランスにおける裁判例とも矛盾すると批判し,モッセ意見書の訳文ほかボアソナードの見解に反対する証拠を山田司法大臣に奉呈すると述べている。
 そして,井上は,明治22年8月12日に,伊藤博文に宛てた書簡で,伊藤に,「別紙民法草案政府賠償責任之條ニ對する意見書,司法大臣へさし出候間,奉供電覧候,」(乙第32号証156ぺージ)と述べ,国家の賠償責任に関する意見書を山田司法大臣に提出したという報告をしている。
 
 (オ) このように,旧民法の審議過程で,様々な意見が表明されたが,最終的に,国家責任に民法原則を適用する主張は,最後の段階で敗退し,旧民法373条から国家責任の規定は削除されたのである(近藤昭三「ボアソナードと行政上の不法行為責任」法政研究第42巻第2=3合併号341ないし353ページ参照)。
 井上毅は,その理由を,旧民法公布の翌年に発表した「民法初稿第三百七十三條ニ對スル意見」(国家学会雑誌4巻51号969ページ以下,乙第33号証)と題する論文において明らかにしている。
 この論文において,井上は,冒頭で,「行政權ハ國家生存ノ原カヲ施行スルモノナリ故ニ其原カヲ實行スルニ當リ假令一私人ノ權利ヲ毀損シ利益ヲ侵害スルコトアルモ權利裁判若クハ訴願ニ依リ之ヲ更正スルニ止リ國家ハ其損害賠償ノ責ニ任スルモノニ非ス」と述べ,国の権力的作用については国は損害賠償責任を負わない旨明確に述べている。
 すなわち,井上は,民法草案初稿373条とボアソナードの見解を紹介した上で,「今之ヲ各國ノ學説ニ考フルニ民法起草者ノ説ク所ト大ニ異ナルモノアリ其ノ證左ノ如シ」として,フランス,ベルギー,ドイツ及びイギリス等の各国の法制度及び学説を紹介して,ボアソナードの理解は正確ではないとし,「以上ノ例證ト學説トニ徴スレハ歐米諸國ニ於テ行政權ノ原カヲ執行センカ爲メ職權アル官吏ノ實行シタル事件ニ付テハ設令一個人ノ權利ヲ毀損シ若クハ利益ヲ侵害スルコトアルモ國ハ其ノ慮分ヲ更正スルニ止リ損害賠償ノ責ニ任セス唯賣買,賃貸ノ如キ私權上ノ行爲ニ屬スルトキ若クハ鐵道,郵便,電信ノ如キ特ニ條例ヲ以テ損害ヲ保シタル場合ニ非サレハ其責ニ任スルコトナシ」と述べて,欧米諸国は,行政権の執行と私権上の行為とを厳密に区別して,国は,前者については損害賠償責任を負わず,後者については損害賠償責任を負うものとしているとする。
 その上で,井上は,「職權アル官吏カ行政權ノ原カヲ執行センカ爲メ施行シタル事件ニシテ人民ノ構利ヲ毀損シ若クハ利益ヲ侵害シタルトキ私權上ノ所爲ト等シク民法上ノ原則ヲ適用シテ政府其ノ損害賠償ノ責ニ任スヘシトセハ社会ノ活動ニ從ヒ公共ノ安寧ヲ保持シ人民ノ幸福ヲ増進センカ爲メ便宜經理ヲ爲サ々ル可カラサル行政機開ハ爲ニ其ノ運ヲ障擬セラレ危険ナル効果ヲ呈出スルニ至ラン」とし,それ故に「現行民法ニハ此ノ條ナシ」として,国家無答責の法理を採用すべきことを根拠に,国家責任を認めていたボアソナード民法草案の規定を削除したものであると明確に述べている。(乙第33号'証970,974,975ページ)
 
 (カ)このように旧民法制定過程において,様々な意見が表明されたが,最終的には,国家責任に民法を適用するとの主張は排斥され,同草案373条に規定されていた国家責任規定が削除されたのである。
 
 ウ 小括
 以上から明らかなように,我が国の明治政府は,幕末に締結した不平等条約の改正を国家日標として,ボアソナードなど外国の様々な法律学者の意見を参考にしながら,近代国家としての法制度の整備を進めていた。
 そして,その一環として,行政裁判法及び民法の制定を図つたが,近代法治国家として経験を有していない我が国としては,他国の法制度を参照しながら,法律の整備を図らざるを得なかった。
 国家賠償責任の問題についても,当初,ボアソナードの意見に基づき,国家賠償責任を認める規定を民法の規定に置こうとしたが,ボアソナードの意見は,その前提としての比較法の事実認識に誤認があり,国家賠償責任に関する諸外国の法制度は,「君主ハ不善ヲ爲スコト能ハズ。」(乙第26号証370ページ)を理念として,国家賠償責任を否定したものであつたこと,また,仮に,ボアソナードの意見のとおり,国家賠償責任の問題を「大胆ニモ國家ヲ一網ノ下ニ打盡シテ民法ノ範團内ニ入レ」(井上毅の今村和郎宛書簡・乙第32号証323ページ)れば,「此事将来國法上ニ係シ,一大問題ト相成可申候,且條約改正之上ハ,外國人民ト政府トノ争議之論據ト相成ル事」(井上毅の山田顕義司法大臣宛書簡・乙第32号証639ページ)を懸念し,結局,国家無答責の法理を採用し,ボアソナード民法草案から国家賠償責任の規定を削除したのであり,行政裁判法と旧民法が公布された明治23年の時点で,国家の権力的作用についての国家無答責の法理を採用するという基本的法政策が確立したものである(塩野宏・行政法U(第二版)222,223ページ,宇賀克也・国家責任法の分析409ないし411ページ)。
 
 エ 控訴人らの主張に対する反論
 
 (ア) 判例について
 
 a 控訴人らは,明治憲法下の判例は,様々な分野で国及び公共団体の損害賠償責任を拡大してきたのであり,「公権力の行使(権力的作用)による損害については一貫して国の賠償責任を否定していた」とは全くいえない。むしろ,権力的作用も含め,国家無答責の適用の基準も曖昧であるから,判例上,国家無答責の法理が確立されていたとはいえないなどと主張する(控訴人ら第1準備書面21ないし27ページ)。
 
 b しかしながら,控訴人らの上記主張は失当である。
すなわち,公務員が職務に関してなした不法行為は,大きく分類すれば,権力的作用についてなされた場合と,それ以外の作用についてなされた場合とに分かれる。後者には,@非権力的・非強制的な公行政の作用(例えば,国・公立学校における教育活動の作用や生活保護などのいわゆる給付行政の分野における作用など),A公の営造物の設置・管理の作用,B工事の施行(国の道路建設など)や事業の経営(鉄道・バス・水道・電気・ガスなどの事業の経営)の作用,C純然たる私経済的作用(たとえば官庁事務用品の購入・官庁建物の賃借など)などが含まれる。
このうち判例は,(1)権力的作用の場合については,一貫して,法律に特別の規定がない限り民法の不法行為法の適用がない(民法は対等な私人間の法律関係に関する法であり,国と私人との権力的関係に本来適用されるものではない)ものとして,国の賠償責任を否定していた。また,(2)それ以外のものについても,前記Cの場合は別として,古くは@ABの作用も,国の賠償責任を否定していたが,大正5年6月1日のいわゆる徳島市立小学校遊動円木事件の大審院判決が公立学校の施設の瑕疵による損害について,小学校の管理は行政の発動であるが,その管理権に包含する小学校校舎の施設に対する占有権は公法上の権力関係に属するものではなく,「全.ク私人カ占有スルト同様ノ地位ニ於テ其占有ヲ為モノ」と判示して,民法717条の適用を認めて以来,民法717条,715条を適用して国の賠償責任を肯定する方向をたどつたのである(佐藤功・憲法(上)〔新版〕274,275ページ)。
このように,権力的作用については,民法の不法行為法の適用がないという国家無答責の法理は,判例上も当然の前提とされていたものである。
 
 C 前記のとおり,行政裁判法及び裁判所構成法は,公務員が職務に関してした不法行為につき国は賠償責任を負わないという基本的法政策に基づいて制定された法律であり,また,旧民法において,国家賠償責任に関する規定が削除されたのも,同様の理由によることは明らかである。
 したがって,これらの立法がされた明治23年の時点では,国の権力的作用にも非権力的作用にも民法の不法行為規定の適用はなく,一般的二国の賠償責任を認める実体法上の規定はなかったのである。
 そうすると,大審院時代の判例は,当初は,立法者意思に従い,私経済活動を除く行政作用,すなわち権力的公行政及び非権力的公行政のすべての領域について,国家賠償責任を否定していたのを,大正・昭和に至つて、非権力公行政の領域について,民法の不法行為規定の適用範囲を拡大することにより,国の責任を肯定したということになる。つまり,私経済活動を除く国家の作用のうち,大正・昭和期に,非権力的公行政の分野について,民法の不法行為規定を拡大して適用し賠償責任を認めるという判例法理が形成されてきたのであり,いうなれば「非権力的公行政有責任原則」が判例法理ないし裁判例の所産として形成されたというべきである。前記徳島市立小学校遊動円木事件の大審院判決も,「権力作用=無答責,私経済作用=民法上の責任という基本的な枠組みを変更したわけではなく,私経済作用の外延を拡大したことどまる。」(宇賀・前掲国家責任法の分析418ページ)のである。
 要するに,権力的作用について国が賠償責任を負わないことは,裁判例をまつまでもなく確立されており,裁判例により形成された法理ではなく,むしろ,それまで国が賠償責任を負わないとされていた非権力的公行政について,大審院判例によって国が賠償責任を負うとされ,いうなれば「非権力的公行政有責任原則」が判例法理として形成されたとでもいうべきである。
 したがって,国家無答責の法理が判例理論として確立されていないとして,同法理を否定する控訴人らの主張は,前提において失当である。
 
 d なお,控訴人らは,大審院時代の裁判例に関し,「大正末から昭和の初め,軍施設,学校等に関する賠償または賠償責任等を認めた」として,「軍施設,学校等に関する行為は,当時は公権力の行使(権力的作用)といえるものであり,公権力の行使(権力的作用)による損害についても,民法を適用して損害賠償責任を認めるようになつた」(控訴人ら第1準備書面23,24ページ)などと主張する。
 しかし,控訴人らの引用する広島地方裁判所呉支部大正13年6月5日判決(法律新聞第2282号5290ページ)は,軍艦の転覆復旧工事において職工が転落死した事案について,「官吏カ其ノ職務執行ニ因リ他人ニ損害ヲ加ヘタル場合ニ於テハ法ニ特別ノ規定ノ存セサル限リ之カ賠償ノ責任ナシ」とした上で,「國家ノ軍事行政ノ行動ハ係ニ属スト雖モ國家カ其ノ工事にシ公ノ機關ヲ任設シ之ニ工事ノ施工ヲ命シ又ハ工事施工ニ付私人ニ對シ或ル制限ヲ爲スカ如キ行爲ト職工人夫ヲ雇入レ之ヲ使用シテ工事ヲ施工スル行爲及工事ニ必要ナル諸種ノ材料ヲ購入スルカ如キ行爲トハ全然區別シテ考ヘサルヘカラス即チ前者ハ軍艦ノ顛覆復工事遂行ノ爲メ公ノ権力ニ服從セシムルモノナレハ公法的行爲ニ屬スレトモ後者ハ私人ト對等ノ係ニ於テ爲スモノナレハ私法的行爲ニ屬スルモノト云ハサルヘカラス」として,国が職工等の私人を使用して工事を行う場合は,その行為の性質上私法的行為であるから賠償責任があるとしたものである。
 また,控訴人らの引用する関東庁高等法院上告部昭和7年7月20日判決(法律新聞第3539号8675ページ)は,南満州鐵道株式会杜(判決理由中の「上告會杜」)附属地の小学校においてスケート指導中の事故につき,「南満州鐵道附属地ニ於ケル在外指定小學校ノ教育事業ハ」,「帝國内地ニ於ケルカ如ク國家ノ所謂義務教育ヲ施スヘキ國家ノ事業ヲ小學校令市町村制ノ規定ニ依リ市町村ノ費負據ニ於テ施行スルモノト異リ外務,文部,大蔵ノ三大臣ノ命令書ニ基キ上告會杜カ」切ノ施設ヲ爲シ自ラ定メタル規程ニ依リ直接ノ監督ヲ爲シ其ノ費用ヲ以テ自己ノ事業トシテ営スルモノニシテ特ニ該事業ヲ以テ國ノ事業ナリト解スヘキ法規ノ存スルモノナケレハナリ」として,当該小学校の教育事業は,国の教育事業ではなく南満州鐵道株式会杜の事業である旨判示し,同株式会杜に賠償責任を認めたものである。
さらに,控訴人らは,大審院昭和7年8月10日判決(法律新聞第3453号10983ページ)が「國家カ土地ヲ所有シ其ノ公物ノ設置者若シクハ保存ニ瑕疵アルカ爲メ第三者ノ右利用權ヲ侵害シタル場合ナルト又ハ違法ナル行政作用ニ因リ第三者ノ權利ヲ侵害シタル場合ナルトニヨリ異ル所ナシ蓋シ不法行爲ノ責任ハ其ノ行爲者ノ何人ナルヤニヨリ之レヲ區別セサルヲ以テナリ」と判示した点を取り上げて,「これは,不法行為者が国家であろうが私人であろうが区別されないとして,民法の不法行為責任を認め妨害排除請求処分を認容したものであ」り,「公権力の行使(権力的作用)による損害についても,民法を適用して損害賠償責任を認めるようになつた」とする(控訴人ら第1準備書面24ページ)。
 しかし,この判決は,国の施した井戸堀工事のため,他人の有する温泉利用権を侵害してなおその状態が存続するときに,温泉利用権者が国に対しその除去を請求した事案(妨害排除請求事案)であって、上記部分は傍論である上,そもそも井戸堀工事が国の権力的作用に当たらないことからすると,上記「行政作用」とは井戸堀工事という非権力的作用をいうものと解され,したがって,同判決が,国の権力的作用について,民法の不法行為責任を認めたものとはいえない。
 田中二郎博士も,この判決について,「其の文字の上では,一見,上の諸判例(引用者注・権力的作用であることを理由として国家の不法行為責任を否定した事例)と異り,權力的作用に付ても國家の責任を肯定するかのやうに見えるけれども,それは恐らく判決の本意ではあるまい。若し文字通りに解せねばならぬとしても,元來之は不法行爲に基く損害賠償を求めた事件でなく,之だけで判例が從來の態度を改めたと解するのが正當でないことは勿論である。」とされている(田中二郎・行政上の損害賠償及び損失補償41ページ)。
 以上から明らかなように,「大正末から昭和の初め,軍施設,学校等に関する賠償または賠償責任等を認め」,「公権力の行使(権力的作用)による損害についても,民法を適用して損害賠償責任を認めるようになつた」(控訴人ら第1準備書面23,24ページ)との控訴人らの主張は,失当である。
 
 e また,控訴人らは,大審院判例に関し,「昭和10年代になると,財政権の公権力行使である出納事務に関する賠償責任を認める判決が出てくる。」(控訴人ら第1準備書面24ページ)などと主張し,国の権力的作用について賠償責任を認めた判例があるかのような主張をしている。
 しかし,控訴人らの引用する大審院昭和11年4月15日判決(法律新聞第3979号14882ページ)は,水利組合の収入役が,同組合の代表者である村長名義を冒用して組合の借入金として他人から金員を受領し損害を加えた事案であり,また,大審院昭和15年2月27日判決(民集19巻6号441ページ)は,町長が金員の借入決議を経ずに借入れを行い,他人に損害を加えた事案であって,いずれも民法44条により賠償責任が認められたものである。このような金員の借入れ行為が,国の権力的作用でないことは明らかであり,控訴人の主張は失当である。
 なお,民法44条が,公法人に適用になるかという点も問題であるが,上記大審院昭和15年2月27日判決は,「右法條ハ私法人ニ閾スルモノナルカ故ニ公法人ニ當然適用セラルルモノニ非サルハ勿論ナレトモ本件ノ如キ場合ニ之ヲ類推適用スヘキコト町収入役ノ不法行為ニ關シ繰返シ當院ノ判例トスル所ナリ」としている。
 
 f さらに,控訴人らは,大審院昭和15年1月16日判決(大審院民事判例集19巻20ページ),大審院昭和16年2月27日判決(大審院民事判例集20巻118ページ)などを引用し,「このように,徴税滞納処分という権力的作用についても,第二審裁判所→大審院→差戻後第二審裁判所→大審院と,公法人の損害賠償責任を認め,また否定するなど,判例の姿勢は,「一貫して国の賠償責任を否定」しているとは到底言えない。」などと主張する(控訴人ら第1準備書面25ないし27ページ)。
 しかし,上記大審院昭和15年1月16日判決は,「公務員個人」の賠償責任について,「滞納處分ナレトモ實ハ職權ノ濫用ニシテ寧口職權行爲ニ非サルモノト謂フヘク從テ不法行爲上ノ責任ヲ免レサルモノトス」として,これを認めたものであり,国や公法人の責任について判示したものではなく,また,上記大審院昭和16年2月27日判決は,「凡ソ國家又ハ公共團體ノ行動ノ中統治權ニ基ク權力的行動につきテハ私法タル民法ノ規定ヲ適用スベキニアラザルハ言ヲタザルトコロナルヲ以テ,官吏又ハ官吏ガ國家又ハ公共團體ノ機トシテ職務ヲ執行スルニ當リ不法ニ私人ノ權利ヲ侵害シ之ニ損害ヲ蒙ラシメタル場合ニ於テ,ソノ職務行爲ガ統治權ニ基ク權力行動に屬スルモノナルトキハ,國家又ハ公共團體トシテハ被害者ニ對シ民法不法行爲上ノ責任ヲ負フコトナキモノト解セザルベカラズ。」と判示して,国や公法人の賠償責任を否定しており,控訴人らの前記主張は失当である。
 
 (イ) 学説について
 
 a 控訴人らは,国家無答責の法理を批判した渡邊宗太郎教授の「日本行政法上」及び三宅正男教授の「判例民事法(昭和16年度)」の判例評論の各記述を引用して,「学問,思想に対する弾圧が最も激しかつた時期に,実社会における市民感情(法的正義の実現)や具体的衡平性,損害の社会経済的衡平分担などの視点をも十分踏まえて発表されたことを考慮に入れると,上記の田中二郎,渡邊宗太郎,三宅正男の各学説は,学界の通説になっていたと思料され」,「こうした学説の存在をみれば,国家無答責の法理は確立されていないことは明らかである」と主張する(控訴人ら第1準備書面32ページ)。
 
 b しかし,美濃部達吉博士,佐々木惣一博士及び田中二郎博士という我が国の代表的な公法学者は揃って,明治憲法下では,国家の権力的作用について,国家の損害賠償責任が否定されるとしている。
 控訴人らは,美濃部達吉博士の見解を引用しているが,控訴人らが同博士の見解として引用している部分は,「国家又は公法人の事業」の施行に関して他人に損害を加えた場合についてのものであり,他方において,同博士は,国の統治権の作用に関して,「國家は一面に於いて統治團體であり,而して統治權の作用は私人の行爲とは'性質を異にし民法の規定の適用を受くるものではないから,統治構の作用に付いては,假令それに依り違法に他人の權利を侵害することが有つても,それは民法の意義に於いての不法行爲に該當するものではなく,國家はそれに付き損害賠償の責に任ずるものではない。啻に行政行爲や裁判判決のやうな公法的行爲が公定力を以つて人民を拘束するばかりではなく,事實上の行動に付いても,それが統治權に基づく強制權の作用である限り,時として官吏が個人として賠償責任を負ふことは有つても,國家自身は民法の適用を受くるものではなく,隨つて國家に對して損害賠償を請求し得べきものではない。」(美濃部達吉・日本行政法上巻(オンデマンド版)350ページ)とされているのである。
 また,佐々木惣一博士も,「官吏ノ行為カ公法ノ適用ヲ受クヘキ國家ノ行動トシテ爲サレタル場合ニハ,國家ト第三者トノ關係ハ公法關係ナリ。故ニ右ノ場合ニ官吏カ第三者ニ損害ヲ加ヘタルトキニ於テモ亦國家ト第三者トノ關係ハ公法關係ナリ。從テ此ノ場合ニ於ケル國家ノ賠償義務ノ問題ハ全ク公法上ノ法理ニ依ル。民法ノ規定ニ依ルコトヲ得ス。是レ右ノ場合ニ於ケル官吏其ノ人ノ賠償ノ問題カ公法上ノ法理ニ依ルト同」理ニシテ,共ニ公法上ノ賠償義務タルモノナリ。右ノ場合ニ於ケル國家ノ賠償義務ニ就テハ一般的ニ之ヲ認メタル規定ナク,且實定法ナクシテ當然ニ之ヲ認ムルヲ得ルモノニ非ス。故ニ原則トシテ國家ノ賠償義務ナシト云ウノ外ナシ。」(佐々木惣一・日本行政法論総論810,811ページ)とされている。
 さらに,田中二郎教授も,控訴人らの引用する立法論としての見解はともかく,実体法的には,「元來國家の不法行爲責任の問題が歐大陸諸國並に其の法系統に屬する諸國に於て特に問題とせられる所以は,先にも述べたやうに,これ等の諸國に於ては,公權力の動たる國家作用に付ては,原則として一般私法規定の適用が否定せられ,國家の不法行爲責任に付ても,所謂國家主權理論の影響の下に,國家公權の發動に對しては何等の責任を負ふべきでないと考へられたことに基く。此の権力的作用に付ての國家無責任の原則は箪なる政治的主張としてでなく,實定法上の原則として承認せられた。」,「權力的作用とは國家が個人に對して命令し服從を強制する作用であり,原則として私法原理の適用を排斥する本來的な公法係と認むべきものである。此の権力的作用によって違法に他人の權利を侵害することがあつたとしても一特別の規定のない限り一國家としては一々責任を問はるべきでないと解する外はない。此の限度に於て國家の特殊の地位が承認せられる。」(田中・前掲行政上の損害賠償及び損失補償30ないし32ページ)とし,また,「従来は,警察権・統制権・司法権・財政権その他公権力の行使として,・・・国又は公共団体の賠償責任に関する一般的な根拠規定はなく,しかも,公権力の行使たる作用は,対等者間の利害調整の見地から定められた民法の不法行為に関する規定の親しまない特殊の領域であると考えられたからである。ただ,何がそこでいう公権力の行使たる作用(権力的作用又は行政行為)であるかについては,学説上異論があり,判例の変遷もあった。しかし,公権力の行使たる作用に基づく損害について,国又は公共団体の賠償責任を否定するという点については,一貫して変るところがなかった。」(「新版行政法上巻全訂第二版」204ページ)として,明確二国家の権力的行為に関して私法である民法の適用がないとしているのである。
 
 C 前記のとおり,控訴人らは,渡邊宗太郎教授及び三宅正男教授の著作の各記述を引用して(控訴人ら第1備書面29ないし31ページ),「こうした学説の存在をみれば,国家無答責の法理は確立されていないことは明らかである」と主張する(同準備書面32ページ)。
 しかし,最高裁昭和25年判決は,上告理由書記載の「従前の判例学説が本件の如き場合に上告人に請求権なしとするものが多かつた事は事実であるが少数なるも請求権ありとする学説もあつた通説必らずしも真ならず。」とする上告人の主張に対し,「国家賠償施行以前においては,一般的二国に賠償責任を認める法令上の根拠のなかったことは前述のとおりであって,大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して,常二国に賠償責任のないことを判示して来たのである。」とした上で,「当時仮りに論旨のような学説があつたとしても,現実にはそのような学説は行われなかつたのである。」との認識を示している。
 
 d したがって,控訴人らの.主張は失当である。
 
 (ウ) 立法者意思について
 
 a 控訴人らは,行政裁判法16条の規定は単に,行政裁判所では民事上の問題は扱わないということを定めたにすぎず,私法的処理を否定したわけではないから,同条は,「国家無答責の法理とは全く何の関係もなく,その存在をもって,国家無答責の法理の論拠とすることはそもそもできない。」と主張する(控訴人ら第1準備書面34,35ページ)。
 しかし,前記のとおり,行政裁判法及び裁判所構成法は国家無答責の法理を前提として制定された法律であり,また,旧民法において,国家賠償責任に関する規定を削除したのは,国家無答責の法理を採用したためであることは明らかである。
前記のとおり,モッセも,国の不法行為責任を否定し,司法裁判所のみならず,行政裁判所においても,国家責任を問い得ないとしていたのである(宇賀克也・国家責任法の分析409ページ,419,420ページ,乙第28号証,474ないし477ページ・「モッセ氏國ノ民法上損害賠償義務ニ關スル意見」)。
 b また,控訴人らは,「旧民法と現民法は全く別であり,旧民法制定時の井上毅の「立法者」の意思は玩民法に受け継がれない」(控訴人ら第1準備書面32,33ページ)などと主張する。
 しかし,法典調査会委員らの質疑答弁の内容を見ると,現行民法715条(草案723条)の法典調査会における位置づけは,控訴人らの主張するようなものではなかったと考えられる。
 
 (a) 法典調査会における,穂積八東の
「此條ノ適用ニ付テ簡單ニ伺ヒタイノデアリマスガ此使用人ト使用者ニ代リテ監督スル人トノ係ノ規則ト云フ者ハ政府ト政府ノ使ウ所ノ官吏其他ノ使用人ニモ此原則ガ當ルト云フ御考ヘデアリマスカドウカト云フコトヲ確カメテ置キタイ勿論民法ト云フ者ハー己人相互ノ係バカリデ政府トー己人トノ係ニ付テハ別ニ規定スルト云フコトニ全ク一刀兩斷ニ言ヘルモノデアリマスレバ疑ノナイコトデアリマスガ或ハ解釋次第デ政府トー己人トノ間デモ政府ヲ法人ト見レバ矢張リ民法ノ規則ヲ適用サレルト云フ議論モ出來ヤウト思フ若シ其様ナコトヲ言ヒマスト此規則ガ果シテ政府ガ一己人ニ對シテ其使用人ノ不法ナル行爲ニ依テ損害ヲ加ヘタトキハ政府ガ被害者ニ對シテ責任ヲ負フヤ否ヤト云フコトガ必ズ問題ニナルト思フ」(引用者約:この条文の適用について,簡単に伺いたいのでありますが,この使用人と使用者に代りて監督する人との関係の規則というのは,政府と政席の使う官吏その他の使用人にもこの原則が当たるというお考えであるかどうかということを確かめておきたい。もちろん民法が個人相互の関係だけを規定し,政府と一個人との関係については別に規定するというように全く一刀両断に言えるものであれば疑いのないことでありますが,あるいは解釈次第で,政府と一個人との間でも,政府を法人とみればやはり民法の規則を適用されるという議論もできるように思う。もしそのようなことを言いますと,この規則が果たして政府が一個人に対して,責任を負うか否かということが必ず問題になると思う。)(乙第34号証342ページ上段,下段)との質問に対し,穂積陳重は,
「本條ニ付テ第一ニハ政府ノ官吏ガ其職務ヲ行フニ際シテ第三者ニ加ヘタ損害賠償ニ之ガ當ルヤ否ヤト云フコトガ第一ノ御質問デゴザイマスソレニ對シマシテハ一ノ明文ガアリマセネバ固ヨリ政府ノ事業ト雖モ私法的係ニ付キマシテハ本案ハ當ラナケレバナリマセヌカラ他ニ特別法ガナイ場合ニ於テハ本案ハ當ルト御答ヘシナケレバナリマセヌガ併シ本案ガ當ルガ良イカルイカハ第二ノ問題デアリマスガ此案ヲタテマストキニモ政府ノ官吏ガ其職務執行ニ付テ過失ガアツタトキニハ其責ニ任ズルヤ否ヤト云フ箇條ヲ置カウカト思ヒマシタガ併シ之ヲ民法ニ置キマスノハ不適當ノ場所デアルト考ヘマス・・(中略)・・公益上是ハドウモ官吏ノ職務上ノコトデアルカラ過失ガアツテモソレハ賠償ヲサセヌ方ガ宜イト云フコトハ是レハ例外デアツテ一ツノ特別法ヲ以テ定ムベキ事柄デアル一般ニ掛ルコトデナイ別シテ是レハ公法ニモ係ノアルコトデアリマスカラ夫故ニ若シ斯ノ如キコトガアリマスレバ其事柄ハ特別法ノ所ニ規定ニナル方ガ宜イ其職務ニ付テ過失ガアルト云フトキニ於テハ之ヲ用ヰル人ガ償ナウト云フノガ原則デアルト云フコトハ動カヌコトデアラウ之ヲ定メテ置クガ宜イト思フ又民法ニ但政府ノ官吏ガ其職務ヲ執行スルニ對シテ加ヘタ損害ニ付テハ過失アリト雖モ其責ニ任ゼズト云フコトヲ只書キ放シマシテハドウシテモ萬般ノコトニ當ルマイ成程今ノ大キナ公吏ニ付テハ固ヨリ已ムヲ得ナイト云フコトモアリマセウ又一己人一己人ニ付テモ已ムヲ得ナイト云フ場合モアリマセウ是レハ程度デ公益上一私人ニ迷惑ヲ掛ケルノハ良イコトデハナイガ已ムヲ得ズヤルコトデアリマスカラ其分界ヲ附ケルニハ随分細カイコトモ要リマセウソレデサウ云フコトハ特別法ニ譲ル方ガ宜イト云フ考ヘデアリマスソレガナケレバ本條ノ規定が當ルト云フソレハ尚ホ勘考スベキコトデアル」(同号証343ページ上段,下段)(引用者約:本条について,第一には政府の官吏がその職務を行うに際して第三者に加えた損害賠償にこの規定が当たるか否かということが第一の御質問でございます。それに対しましては,他に明文規定がなければ,もとより政府の事業といえども私法的関係につきましては本案は当たらなければなりませんから,他に特別法がない場合においては,本案は当たるとお答えしなければなりませんが,しかし,本案が当たるのが良いか悪いかは,第2の問題でありますが,この案を立てますときにも政府の官吏がその職務執行について過失があつたときにはその責めに任ずるか否かという条項を置こうかと思いましたが,しかし,これを民法に置きますのは不適当な場所であると考えます。・・(中略)・・公益上,官吏の職務上のことであるから過失があっても賠償をさせない方がよいということは,これはどうも倒外であって,特別法で定めるべき事柄である。一般にかかわることではなく,これは公法にも関係のあることでありますから,それ故にもしこのようなことがあれば,その事柄は特別法の所に規定される方がよい。その職務について過失があるというときは,これを用いる人が償なうというのが原則であるということは動かぬところであろう。これを定めておくのが良いと思う。また,民法に「但し,政府の官吏がその職務を執行するに対して加えた損害については,過失ありといえどもその責めに任ぜず」ということを,ただ書いただけにしておいたのでは,どうしてもすべての事案には当たるとは思われない。なるほど「今ノ大キナ公吏」についてはもとよりやむを得ないということもありましょう,また一個人一個人についてもやむを得ないという場合もありましょう。これは程度(の問題)で,公益上一私人に迷惑をかけるのはよいことではないが、やむを得ずやることですからその区別を付けるには隨分細かいことも(規定する)必要があるでしょう。それで,そういうことは特別法に譲る方がよいという考えであります。それがなければ,本条の規定が当たるということについて,なおよく考えるべきことである。)と答弁している。
 この答弁は,要するに,政府の官吏がその職務を行う際に,第三者に加えた損害について,草案723条によって政府が賠償義務を負うかという質間に対して,国の事業であっても私法的関係,すなわち,国の私法上の行為とされる鉄道・バスなどの事業の経営や官庁事務用品の購入など純然たる私経済的作用については,本条の適用がなけれぱならないことに照らすと,他に特別法がない場合においては,本条が当たると答えなければならないようであるが,結局,この条文案の作成過程において,政府の官吏がその職務執行について過失があつたときに責任を負うか否かという条文を置くことを検討してみたものの,.民法でこれを規定するのは不適当だと考えたというものである。すなわち,公益上官吏の職務上のことであれば,過失があっても賠償させない方がよいというのは,公法にも関係することであり,特別法で規定を設けるのが適当であること,また,一般論として使用人に過失があるときにはこれを用いる人(使用者)が賠償するのが原則であるからこれを規定し,民法に,ただし書きとして「但政府ノ官吏ガ其職務ヲ執行スルニ對シテ加ヘタ損害ニ付テハ過失アリト雖モ其責ニ任ゼズ」と規定することも,すべての事案に当てはまらないと思われること,国に責任を負わせるか否かの区別は,個別の事案に応じて細かな規定を設ける必要があることなどから,国の賠償責任については特別法に譲るのがよいと起草委員は考えたというものである(なお,このような特別法が立法されない場合は,本条の適用があるかをいうことを,さらによく考えなければならないとされている。)。
 したがって,起草委員は,政府の官吏がその職務執行による賠償責任について,その行為が私法上の行為である場合には,本条の適用があるものと考えていたが,それ以外の公法上の行為である場合には,本条の適用がなく,特別法に譲るという考えをもっていたことが明らかである。
 
 (b) このことは,法典調査会における高木豊三との間の質議答弁をみても明らかである。
 高木豊三は,
「穂積君ノ御説明ヲ承ハリマシタガ今ノ御答ニ依ルト政府ト官吏トノ間ノ係即チ官吏ノ過失行爲ハ政府ガ代ツテ賠償スルカドウカト云問題モ本條ニ含ムカノ如キ御答ニナツタヤウデアリマスガ私ハサウハ解シ兼ル穂積君ノ御答ヘデハ政府ガ自ラ若シ民法デ所謂使用人ヲ使ツテ事業デモヤツテ居ルトキハ即チ監督者ト云フ者ガ請負人ノ取締トカ何ントカ云フ者ガ負フモノデアラウト解シテ居ツタノデアリマスガ若シサウデナクシテ政府ノ官吏ト云フモノガ職務執行ニ付テ第三者即チ人民ニ對シテ損害ヲ加ヘタ場合ニ此原則ニ依テ政府ガ其賠償ノ責ニ任ズルヤ否ヤト云フ斯ウ云フ問題ヲ此條デ暗ニ極メタモノト云フコトデアルナラバ私共ノ解シテ居ルモノトハ大變趣意ガ違ヒマスノデ其問題ナラバ大ニ是ハ論ズベキ事モアリ研究スベキコトモアラウト思フ只今出タ土地収用法ノ例抔ハ是レデハー向當ラズト思フ詰リ問フ所ト御答ヘニナツテ居ル所ト意味ガ違ウノデアラウト思フ只今承ハツタ官吏ノ職務執行ニ付テ人民ニ損害ヲ加ヘタトキニ政府ガ賠償ノ責ニ任ズルヤ否ヤト云フ法律上ノ大問題ヲ極メタモノデアルカドウカト云フコトヲ先ニ一ツ伺ヒタイ」(同号証345ページ下段,346ページ上段)(引用者約:穂積君の御説明を承けたまわりましたが,今のお答によると政府と官吏との間の関係すなわち官吏の過失行為は政府が代わつて賠償するかどうかという問題も本条に含むかのようなお答になつたようでありますが,私はそのようには解釈しない。穂積君のお答では,政府が自ら民法で所謂使用人を使つて事業でもやっているときは,監督者という者が講負人の取締りとか何とかいう者が(賠償責任を)負うものであろうと解していたのでありますが,もしそうでなくして政府の官吏が職務執行について第三者すなわち人民に対して損害を加えた場合に,この原則によって政府が賠償の責に任ずるか否かという問題をこの条文で暗に決めたものということであるならば,私どもの解釈しているものとは大変趣意が違いますので,その問題ならば大いに論ずべきこともあり,研究すべきこともあろうと思う。只今出た土地収用法の例は,的を射たものではないと思う。つまり,問うているところとお答になっているところと意味が違うのであろうと思う。只今承った官吏の職務執行について人民に損害を加えた時に政府が賠償の責めを負うか否かという法律上の大問題を決めたものであるかどうかということを先に一つ伺いたい。)との質問に対し,梅謙次郎は,
「大變大問題ニナリマシタガ私ハ此問題ハ嘗テ法人ノ所ノ46條デ決シタコトト思ヒマス又此處デ議論ガ出ルノハ如何ガカト思ヒマス又政府ハ法人デアリマスカラ此一箇條ニ付テ過失ガアツタトカ賠償ノ責任ガアルトカ云フコトニハ見ナイカラ此規則ガ當嵌ラヌト思フ只46條ノ規定ガ一般ノ法典ニ於テ是レト同ジ様ナ規定ニナツテ居ル只併シ乍ラ此法人ノ規定ハ無論國ニ嵌ラヌト云フコトハ私ノ言ヲ待チマセヌコトデ國ニ關シテハ特別法ガ出ルデアリマセウ不法行爲ノ原則カラ考ヘテソレカラ法人ノ所ノ46條ノ規定ヲ考ヘテ見レバ國ニ闘スル特別ノ規定ガアレバ當ラヌコトハ分ル若シ明文ヲ以テ定メナケレバ國モ亦法人デアルカラ46條ノ規定ガ嵌ルト云フコトハ決シテ無理カラヌコトト思フ併シイヅレソレハ特別法ニ依テ極ルコトト信ジテ居リマス」(同号証346ページ上段,下段)(引用者約:大変大問題になりましたが,私はこの問題は嘗めて法人に関する46条で決したことと思います。ここで議論が出るのはいかがかと思います。また。政府は,法人でありますからこの1箇条について過失があったとか賠償責任があるとかいう様には見ないから,この規則はあてはまらないと思う。ただ,46条の規定が一般の法典においてこれと同じ様な規定になっている。ただしかしながら,この法人の規定は,無論国にあてはまらないということは私の言を待つまでもないことで,国に関しては特別法が出るでありましょう。不法行為の原則から考えて,それから法人に関する46条の規定を考えてみれば,国に関する特別の規定があれば,当たらないことは分かる。もし、明文をもって定めなければ,国もまた法人であることから,46条の規定があてはまるということ決して無理からぬことと思う。しかし,いずれそれは特別法によって決まることと信じております。)と答弁している。
 この答弁の前提となっている法人に関する草案46条1項は,
「法人ハ理事其他ノ代理人ガ職務ヲ行フニ際シテ他人ニ加ヘタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス」として法人の理事等の不法行為責任を定めた条文である。同条については,明治27年1月26日の民法総会において審議され,その際にも,国が同条の「法人」に当たり,公務員が他人に損害を与えた場合二国が賠償責任を負うか否かが議論されたが,穂積陳重は,「國庫ガ法人トナツテモ國庫ノ責任ヤ何カハ必ズ別ニ規定シナケレバナラヌト云フコトニナラウト思ヒマス,夫故ニ本條ノ中ニハ這入ツテ居リマセヌ」(乙第35号証306ページ上段),「公法人ノ權利義務ト云フモノハ本法ノ規定ニ這入ラヌ積リデアリマスカラ國庫市町村ノ如キモノ賠償ノ責任ハ本條ニ定メテ居ラヌ積モリデアリマス」(同号証307ページ上段)として,国には,草案46条の適用はなく,賠償責任を負わない旨説明し,これを前提として原案どおり民法総会において可決された。
 したがって,梅謙二郎も,草案46条が国の責任について規定していないのと同様に,草案723条も,官吏の職務執行について第三者に損害を負わせたときに政府に賠償責任を負わせることを規定したものではない旨答弁しており,政府の官吏の職務執行について,同条の適用はないと考えていることが明らかである。
 
 (C) そして,結局,法典調査会における結論としては,高木豊三が,「私ノ言ヒマシタノモ國ト云フ法人ガ民法上ノ事業ノ關係ニ付テ此條ガ當ルカ當ラヌカト云フコトニ付テ無論當ルト云フコトニハ一ノ疑ヒガナイ只私ノ先刻申シタ官吏ガ職務ヲ行フニ際シテ私法上ノ關係デナクシテ公權ノ作用ト言ヒマスカ詰リ裁判官ガ裁判ヲスル警察官ガ人ヲ捕ヘルト云フヤウナコトモ之ニ當ルト云フヤウナコトニ聞エテハ甚ダ困ル若シサウ云フ問題ガ之ニ籠ツテ居ルナラバ大問題ダト云フノデアリマシテ勿論裁判官ト警察官計リデナイ地方官ノ如キモ矢張リ人民ニ對シテ損害ヲ加ヘタト云フヤウナ場合モ此條ノ適用ガアルカト云フトソレ等ノ場合ニハ適用スルコトガ出來ヌ即チ特別法ヲ以テ定メル民法ニハ之ヲ見テ居ラヌト云フコトノ起草者ノ御説明ヲ願ツテ置キタイ」(乙第34号証347ページ下段)(引用者約:私が言いましたのも,国という法人が民法上の事業の関係について本条が当たるか当たらないかと言うことについては,無論当たるということには一点の疑いもない,ただ,私が先刻申しました官吏が職務を行うに際して,私法上の関係でなくして公権の作用といいますか裁判官が裁判をする,警察官が人を捕まえるというようなことも本条に当たるというようなことに聞こえては,はなはだ困る。もしそういう問題が本条に含まれているならば大問題だというのでありまして,もちろん裁判官と警察官ばかりではなく,地方官のような者もやはり人民に対して損害を加えたというような場合も,本条の適用があるかというと,それらの場合には適用することができない,すなわち,特別法をもって定める,民法ではこれらの場合を規定していないということを起草者にご説明を願っておきたい。)と確認を求めたのに対して,
穂積陳重は,
「斯ウ云フノデアリマス官吏ノ職務執行ノ場合ニ是レガ當ルガ宜イト我々ハ極メテ居ラヌノデ我々ガ研究シテ見ルト時トシテハ民法ニ書イテ居ル國モアリマスカラ是レモ書カウカト思フテ相談シテ見マシタガイヅレ特別法ガ出來ルダラウト思ヒマシタカラ止メタノデアリマス特別法ガ出來ヌト云フコトヲ豫想シテ是デ突キ通スト云フノデハナイ若シ特別法ガ出來ナカツタラ是レガドウ解釋サレルカト云フコトヲ問ハレマスカラ特別法ガナイ以上ハ例ヘバ軍艦ガ一己人ノ商賣船ト衝突シテ其船ヲ沈メタトカ云フサウ云フ様ナ場合ニ賠償ヲ求メルト云フニハ此條ガ當リハシナイカト云フ御相談ヲシタノデ特別法ヲ作ラナイデ是レデ押通シテ仕舞ウト云フ丈ケノ決心ハ我々三人共ナカツタノデアル併シ若シ特別法ガナカツタラバ是レガ當ルジヤラウト云フ考ヘハ三人共持ツテ居ル」(同号証348ページ上段)(引用者約:こういうことであります。官吏の職務執行の場合に,本条が適用されるのがよいと我々は決めていない。我々が研究してみると,時として民法に書いている国もありますから,これも書こうかと思って相談してみましたが,特別法ができるだろうと思いましたから止めたのであります。特別法が出来ぬということを予想してこれで突き通すというのではない。もし,特別法が出来なかったら,本条がどう解釈されるかということを問われますから,特別法がない以上,例えば軍艦が一個人の商売船と衝突してその船を沈めたとかいうような場合に,賠償を求めるというには本条があたりはしないかというご相談をしたので,特別法を作らないでこれで押し通してしまうというだけの決心は我々3人ともなかったのである。しかしもし特別法がなかったならば,本条が当たるだろうという考えは3人とも持っている。)と答弁し,それに対し,高木豊三は,「只今ノ御答デ能ク分カリマシタ」(同号証348ページ上段)と答えている
 この高木豊三と穂積陳重との質疑答弁の内容を見ると,高木は,穂積に対し,公務員の「公權ノ作用」による職務行為について,民法715条を適用して国に賠償責任を負わせることは様々な弊害が生じ,大問題であるから,民法715条の適用対象とはならないと,はつきり答弁するように迫つたのに対し,穂積は,民法715条の適用対象であるとは決めていないとし,特別法によって定める事柄
であり,特別法を制定しない場合に,民法715条の適用で押し通すとは考えていないと答え,それに対し,高木が,その答弁でよく分かつたと答えて,この点に関する法典調査会の議論を終えているのである。
 したがって,現行民法715条(草案723条)の法典調査会における審議の結果は,国の権力的作用より広く,政府の官吏が職務を行うについて,その職務が「私法上の関係」でなく「公権の作用」である場合には,現行民法715条(草案723条)の適用がないことが確認されているのである。このことからすれば,旧民法制定当時の井上毅の「立法者」意思が現民法に受け継がれていないとする控訴人らの主張が失当であることは明らかである。
 
 c 現民法の起草者の一人である梅謙次郎は,明治41年2月発行の法學志林第10巻第2号において,官吏の職務上の不法行為に基づく民事上の賠償責任につき,「國ニ付テ何等ノ規定ガナイカラト云ッテ,民715ヲ適用スルコトハ出來ヌ,寧口國ニハ不法行爲ノ責任ナシト論決セネバナラヌ,但立法論トシテハ予ハ國ニ責任ヲ負ワス方ガヨイト思フノデアル」(乙第36号証45ページ)としており,官吏の職務上の不法行為に関しては,民法715條の適用がないことを明言しており,立法論として国に賠償責任を負わせるべきと考えている旨を明らかにしている。
 また,起草者の一人である富井政章も,大正元年に東京帝国大学で民法の講義をしているが,その講義録の民法715条の解説で,次のように述べている。
 「此ノ条(引用者注・民法715条)ニハ或ル事業ノタメニ他人ヲ使用スルトアリ,爰ニ於テ官吏ノ加害行為ニ對スル国家ノ責任モ此ノ条文ニヨリテ規定シ居ルモノナランカ余ハコノ場合ニ適用スヘキ規定ニアラスト思フ,民法ハ此ノ問題ノ決定ヲ行政法規ニ譲ル考ナリシカト思ハル,余ハ立法問題トシテハ寧口民法不法行為ノ所ニ規定スヘキ事柄ナリト考フ,行政事務ノ執行ニ際シテ生シタル損害ナリト云フ点ヨリ云ヘハ公法干係ナリ,私権ノ損害ニ對スル賠償義務ノ問題ナル故元ヨリ民法ノ問題ナリ,併シソレハ未タ規定セラレ居ラス,現行行政法ハ如何ニナリ居ルカトイウニソレハココニ説明スヘキ事項ニアラサルモ余ノ解スル所ニヨレハ特別ノ明文アル若干ノ場合ヲ除ク外一般原則トシテハ国家ニ賠償ノ義務ナシト云フ仕組ニナリ居ルト思フ,ソレハ公権ノ執行ニ干シテハ大ニ問題トナルコトナルモ国家ガ一面営業トシテ見ルヘキ事業ヲナス場合ニモ尚賠償責任ナキコトナリ居ルト思フ裁判例モ確ニアリキソレハ甚不当ナリト考フ,併シカカル問題ハ深ク論セス」(乙第37号証・富井博士述・債權各論完196,197ページ)
 これによれば,富井は,官吏の加害行為について,民法715条は適用せず,行政法規に委ねるというのが立法趣旨である,行政法の分野では,特別規定がある他は,一般原則として,国は賠償責任を負わないとされており,公権の執行に賠償責任を負わせることは大いに問題があるが,国が,営業として事業をなす場合にまで,無答責としてしまうのは問題であり,裁判例もその様に判示しているが,それは不当である旨述べている。
 したがって,これらの民法起草者二人の見解によれば。いずれも国家の権力的作用について,民法の適用がなく,立法論として行政法など特別法によって定めるべきでことであるが,行政法では一般的に賠償責任を負わせる特別法を定めていないと説明していることは明らかであって,国家無答責の法理を前提としていることは明らかである。
 
 d このような審議を経て,現行民法715条は制定されたが,同条の解釈について,大正10年2月に第10版が発行された鳩山秀夫の「日本債権法(各論下)」によれば,「法人ニ付テモ第44條ノ外第715條ノ適用アルハ既ニ述ベタルガ如シ。若シ第三者ニ損害ヲ加ヘタル者ガ法人ノ機(理事其他ノ代理人)ナルトキハ第44條ヲ適用スベク,機ニアラズシテ單ニ被用係ニ在ルトキハ第715條ヲ適用スベキナリ。」(同書914ページ・乙第38・号証),「官吏ガ其職務上爲シタル行爲ハ即チ國家ノ行爲ニ外ナラズ。故ニ損害賠償ノ問題ハ官吏ニ付テハ生ゼズ國家ノミニ付テ之ヲ生ズ。而シテ其行爲ガ私法上ノ行爲タル場合ニハ民法不法行為ノ規定ヲ之ニ適用スベク,公法上ノ行爲タル場合ニハ之ヲ適用スベカラズ。而シテ此後ノ場合ニ公法上賠償責任ヲ認ムルガ爲メニハ特別ノ規定ヲ要ス。」(同書証852ページ)とされている。
 
 e したがって,控訴人らの主張が失当であることは明らかである。
 
 (2) 適法な公権力行使権限に基づかないことをいう点について
 
 ア 控訴人らの上記1(2)の主張は,要するに,国家無答責の法理は公務を保護するものであるから,その適用範囲を保護すべき公務か否かによって画し,控訴人らに対する加害行為は,法的根拠がないから保護すべき国家の権力的作用とはいえず,国家無答責の法理が適用されないと主張するものと考えられる。
 
 イ しかし,控訴人らの主張は,国家無答責の法理を全く理解していないが故の主張と言わざるを得ない。
 すなわち,被控訴人が従前から繰り返し述べているように,「国家無答責の法理」とは,公務員が職務を行うについてされた行為が国家の権力的作用に該当する限り,民法の不法行為の規定の適用がなく,他に賠償責任を認める規定がなかったことに基づく実体法の法理である。したがって,国家無答責の法'理の内容は,@民法の不法行為の規定の適用がないことと,Aその他賠償責任を認める規定がないことを含むものである。
 このように,国家無答責の法理は,国の賠償責任を認めた規定が存在しないが故二国が賠償義務を負わないというものであり,問題とされている権力的作用に法的根拠があるか否かは全く問題とならない。
 そもそも,不法行為(違法行為)は,法により許されない行為であり,法によって保護すべき行為とはいえず,通常は,民事及び刑事責任を発生させるものである。しかし,明治憲法下では,その違法行為が国家の権力的作用である限り,民法の不法行為規定の適用を排除し,国に賠償責任を認める規定がなかったことから国の賠償責任が否定されたものである。 
 したがって,控訴人らが,保護すべき権力的作用でなかったとして,国家無答責の法理を適用せず,民法を適用すべきである旨主張するのは,上記の国家無答責の法理を全く理解していない証左である。
 仮に,公務員がした行為が,法的に保護されるべき行為であれば,それは適法行為であって,損害賠償(国家賠償)の問題は生じず,損失補償の問題が生じるにすぎないし(宇賀克也・国家補償法3ページ参照),不法行為だから保護する必要がないというのであれば,国の権力的作用による場合は,民法の適用が排除され,国は損害賠償義務を負わないのである。 
 結局,公務員が職務に関して行った不法行為が国家無答責の法理の適用対象といえるか否かは,その行為の性質が権力的作用であるか否かで決せられるのであって,その行為に法的根拠があるか否かで決せられるものではないのである。
 この点については,既に最高裁判所昭和25年4月11日判決が判示しているところである。すなわち,同判決は,「論旨は原判決は本訴を公権力の行使による損害の賠償を求めるものであるとしながら,その権力が如何なる公法上の法規又は処分によって基礎づけられているかを明かにしていないと主張するのである。・・・そして,上告人は原審口頭弁論においてしばしば右破壊行為が違法な公権力の行使であることを主張しているのであって,原審が其主張に基き本訴を公権力の行使による損害の賠償を求めるものであるとしたのは当然である。(もし右破壊行為が公権力の行使ではなく所論警察官の私人としての行為であるならばそれについて国に損害賠償を請求し得ないことはいうまでもなくそれだけで本訴請求は理由なきものとなるであらう)そして,原審がその判示した理由によって,本訴請求を棄却するためには,所論のように如何なる法令又は処分に根拠をおくかを判示する必要がないので,原判決には何等違法はない。論旨は又原判決は本件公権力の行使が違法であるか否かを判示していないというのであるが,たとえ本件家屋の破壊が違法であっても,国が賠償責任を負うべきものでないことは後述のとおりであるから,国に対して損害の賠償を求める本訴においては,その不法であるかないかを判示する必要はないのであって,論旨は理由はない。」(下線引用者)と判示している。
 
 ウ 以上に述べたように,控訴人らの主張は,国家無答責の法理及び最高裁昭和25年判決を正解しておらず,失当である。
 これを本件についてみれば、控訴人らの主張する旧日本軍による加害行為は,軍の戦争遂行の過程で行われたものとみるほかなく,その行為の性質から,権力的作用であるとした原判決に誤りはなく,民法の不法行為規定の適用がないから,損害賠償請求権が発生する根拠を欠く。
 したがって,控訴人らの主張は失当である。
 
 (3) 国家無答責の法理の人的・場所的限界をいう点について
 
 ア 控訴人らは,日本国の管轄に服さない外国人に対して国家無答責は適用されないと主張する(控訴人ら第1準備書面49ページ)。
 しかし,外国における軍人の行為も,国家主権に基づく行為であることに変わりはなく,外国における外国人に対する行為であるからといって,民法が軍人の行為を私人の行為と同様に取り扱うことを予定しているものとは考え難い。現行の国賠法1条1項の「公権力の行使」に該当するためにそのような要件を必要とするとの説は見当らないことも控訴人らの主張の不当性を示すものである。国の権力的作用による以上,民法の不法行為規定は適用されず,国家無答責の法理によるべきである。
 
 イ また,仮に,法例11条2項により日本法が累積的に適用されるのであれば,日本国内での事件としてのいわば置き換えが行われ,場所的要件は満たされることになり,国家無答責の法理も考慮されることになるから,工この点でも控訴人らの主張は無意味である。
 すなわち,仮に控訴人らが主張するように,本件に法例11条の適用を考えたとしても,法例11条2項によって,日本法が累積適用されることとなり,法例「11条2項によりなされる「不法行為地法と法廷地法との評価の対象たる事実は,たんに1つであり,それは『外国ニ於テ発生シタル事実』そのものにほかならない。その事実そのものに,行為地たる外国の不法行為法の代わりに,日本の不法行為法を適用したら,はたして不法行為の要件を充足するか否かが問題なのである」」,「法例11条2項の趣旨目的は,法例33条の公序則の特則とされており,当該行為者がその行為を日本で行ったとしたら不法行為とされないものが,不法行為地法によれば不法行為とされるという違いを公序に反するものとして一切容認しないという点にあるとされている(通説)。」(乙第24号証42ないし44ページ参照)。そして,法例11条2項により,日本民法が累積適用される場合には,「外国ニ於テ発生シタル事実」を,民法の適用があるとする置き換えがされるのであり,本件で問題とされている日本軍の外国における実力行使の事実は,「本件で問題となっているのは,日本国の責任であって,あえて置き換えるのであれば,「日本国において日本の軍隊が・・」と置き換えるべきである。」(同号証45ページ)ということになる。
 したがって,法例11条2項による場合には、場所的制限は無意味になると考えられるのである。
 
 ウ そもそも,本件において問題となっているのは,国が,いかなる者に対して,権力的作用を及ぼし得るかという問題(本件では,外国にいる外国人に対し,国の統治権に基づく優越的な意思の発動としての強制的・命令的作用を適法に及ぼし得るかという問題)ではなく,外国にいる外国人に対して,権力的作用を及ぼした場合に,国が,その国内法上,損害賠償義務を負うか否かの問題である。
 前記のように,国家無答責の法理は,公権力の行使につき,その行為の性質から,実体法である私法ないし民法の適用自体宇排除するものであって,その他国の賠償責任を認める法令上の根拠がないことを内容とする法理であり,行政裁判法及び旧民法が公布された明治23年の時点で,公権力の行使について国は損害賠償責任を負わないという立法政策が確立していたものである(塩野宏・行政法U第二版222ないし223ページ)。
 したがって,このような法政策を採用した当時の我が国の法制において,外国人が被害者である場合には権力的作用につき,民法の不法行為規定を適用して国家責任を肯定し,日本人が被害者である場合のみに民法の不法行為規定の適用を否定して国家無答責となるという立場を採っていたとは到底考えられない。
 
 エ 裁判例においても,外国における権力的行為について,国家無答責の法理を適用して次のような判断をしている。
 例えば,東京高裁平成12年12月6日判決(乙第40号証)は,「控訴人らは,控訴人らと日本国との間には国家無答責の原則が妥当する根拠である『国家と法秩序の自同性』が存在しないから国家無答責の原則は適用されない旨主張する。しかし,国家無答責の原則の根源は国家それ自体の主権性や権力性等に求められるべきものであって,国家と被害者との同質性にその根拠を有するものではないから,控訴人らの右主張は失当である。」と判示する。
 また,東京地裁平成13年5月30日判決(乙第36号証)も,国家無答責の法理が,「大日本帝国憲法下の我が国においては,権力的作用に対する賠償責任を認めるための特別の根拠規定がなく,民法の適用もなされなかったという実体法上の理由に基づくものであるから,当該行為が権力的作用である以上は,被害者が日本人であると外国人であると問わず,行為地が日本国内であると国外であるとを問わず,また,その違法性の程度を問わず,損害賠償請求をなしえなかったというべきである」と判示してしている。
 
 オ なお,控訴人らは,「パナイ号事件では,個人賠償請求に応じている」(控訴人ら第1準備書面42ないし44ページ)などと主張するが,控訴人らの主張からも明らかなように,同事件は,1937年12月12日に旧日本軍がアメリカ合衆国砲艦パナイ号他の艦船を爆撃したことに対し,大日本帝国政府が,アメリカ合衆国政府に対し,約221万ドルを支払ったという事例であり,国家間において解決が図られた事例であって,被害者個人が民法の規定を根拠二国に損害賠償を求めた事例ではない。
 したがって,この事例をもって,国家無答責の法理が外国人に対する権力的作用には適用されないとする根拠にならないことは明らかである。
 
 (4) ヘーグ陸戦条約の国内法化による国家無答責の法理の排除をいう点について
 
 ア 控訴人らは,ヘーグ陸戦条約は国際慣習法として成立し国内法化していたから,国内法はこれに適合するように解釈されなければならず,国家無答責の法理は適用されない(控訴人ら第1準備書面49ページ以下)と主張する。
 その趣旨は必ずしも明らかではないが,ヘーグ陸戦条約が,国際法上被害者個人の加害国に対する損害賠償請求権ないし謝罪請求権を保障しているものでないことは,原審における平成13年12月26日付け被控訴人の準備書面(7)1ないし28ページにおいて詳述したところであり,これを援用する。
 そして,ヘーグ陸戦条約の規定が,そもそも被害者個人の加害国に対する損害賠償請求権をその内容として保障していない以上,ヘーグ陸戦条約の規定が国内法的効力を有するとしても,それにより当該規定が保障していない個人の損害賠償請求権が国内法的に創設されるということはあり得ず,国家無答責の法理と何ら抵触を生ずるものではない。
 したがって,本件についてヘーグ陸戦条約の国内法的効力を論じてみても,これをもって,国家無答責の法理が排斥され,控訴人らの請求が法的に根拠づけられるものでもない。
 
 イ また,ヘーグ陸戦条約が国内法としての効力を持つとしても,それだけで直ちに裁判所等の国家機関がこれを具体的請求権等の根拠法規として適用できるわけではないので,念のため,この点について述べておく。
 すなわち、国際法につき,「国内の直接適用が可能であるか,あるいは国内立法等がなければ国内の直接適用はできないか,すなわち,個々の国民が右国際法を直接の法的根拠として,当然に具体的な権利ないし法的地位を主張したり,あるいは国内の司法裁判所が,国家と国民あるいは国民相互間の法的紛争を解決するにあたり,右国際法を直接適用して結論を導くことが可能であるかどうかという国際法の国内適用可能性の有無の問題は,別途検討する必要がある」(東京高裁平成5年3月5日判決)。
 条約は,国際法の一形式であるが,これを締結するのは国家であって,国家間の権利義務関係を定立することを主眼とする。このため,条約が直接国内法上の効果を期待し,国民に権利を与え義務を課すことをも目的とする場合には,原則として,その目的を達成するため国家機関に立法義務を課し又は行政措置を採ることを命じ,これを受けて,立法機関が法律を制定し,また,行政機関が法令に基づきその権限内にある事項について行政措置を採ることになる。したがって,条約の内容が私人相互間又は私人と国家間の法律関係に適用可能なものとして裁判所等の国家機関を拘束するためには,原則として,上記のような国内措置による補完が必要であり,現にそのような国内法が多数制定されている。
 例外的に条約の規定がそのままの形で国内法として直接適用可能である場合があり得るとしても,いかなる規定がこれに該当するかは,当該条約の個々の規定の目的,内容及び文言並びに関連する諸法規の内容等を勘案しながら,具体的場合に応じて判断されなければならない。
 そして,この判断に当たっては,第1に「主観的要件」として,私人の権利義務を定め,直接二国内裁判所で適用可能な内容のものにするという締結国の意思が確認できること,第2に「客観的要件」として,私人の権利義務が明白,確定的,完全かつ詳細に定められていて,その内容を具体化する法令を待つまでもなく,国内での直接適用が可能であることなどが挙げられる。これらの要件を考慮して,条約の自動的執行力の有無を認定することとなる(山本・前掲国際法105ページ以下参照)。
 したがって,そうした検討を経ることなく,条約一般が直ち二国内において直接適用可能であると解することは正しい法解釈とはいえない。
 とりわけ,国家に一定の作為義務を課したり,国費の支出を伴うような場合には,事柄の性質上,権利の発生等に関する実体的要件,権利の行使等に関する手続的要件等が明確であることが強く要請される。裁判例においても,「国内的効力が認められた国際法規(条約のほか,国際慣習法をも含む。)が国内において適用可能か否かの判断基準について考えるに,まず,当然のことながら条約締結国の具体的な意思如何が重要な要素となることはもとより,規定内容が明確でなければならない。殊二国家に一定の作為義務を課したり,国費の支出を伴うような場合あるいはすで二国内において同種の制度が存在しているときには,右の制度との整合性等をも十分考慮しなければならず,したがって,内容がより明確かつ明瞭になっていることが必要となる。」(東京高裁平成5年3月5日判決)と判示されている。
 このように,国際法規の直接'適用可能性は,前記「主観的要件」及び「客観的要件」を具備してはじめて認められるものである。
 
 ウ この点について本件をみるに,控訴人らは,被控訴人に対して損害賠償を請求しているのであるから,個人の加害国に対する損害賠償請求権を根拠づける条約条項を指摘する必要があるところ,前記のとおり,そのような請求権を根拠づける条約条項は存在しない。そうである以上,前記「主観的要件」及び「客観的要件」を具備しているとの主張すらないといわざるを得ず,主張自体失当である。
 また,ヘーグ陸戦条約3条等の条約ないしそれらと同旨の国際慣習法は,国家問の賠償責任を定めた規定と解するほかなく,個人の国家に対する損害賠償請求権を定めた規定ではないから,このような規定が国内法的効力を有しているとしても,そのことから,控訴人ら個人が国内法的に賠償請求権を取得するという結論にはなり得ない。すなわち,これら条約等は個人を賠償請求の主体として認めたものではないのであるから,これ二国内法的効力が認められたからといって,個人の権利が創設されることはあり得ない。国家責任に関する規定が国内法的効力を有していることを根拠に控訴人ら個人の賠償請求権を認めることは,解釈に名を借りた立法にほかならない。
 したがって,控訴人らのこの点に関する主張も前提を欠き失当というほかない。
 
 (5) 現在の法解釈に基づき裁判すべきという点について
 控訴人らの上記1(5)の主張は,国家無答責の法理が実体上の法理ではなく,法解釈にすぎないことを前提とするもので,その前提において失当といわざるを得ず,反論の限りではないが,以下の点につき,念のため付言しておくこととする。
 
 ア 行為時を基準とすべきことについて
 最高裁判所平成15年4月18日第二小法廷判決(裁判所時報第1338号3ページ)は,法律行為がされた時点では公序に反しなかったが,その後に公序が変化した場合の法律行為の有効性について,「法律行為が公序に反することを目的とするものであるとして無効になるかどうかは,法律行為がされた時点の公序に照らして判断すべきである。けだし,民事上の法律行為の効力は,特別の規定がない限り,行為当時の法令に照らして判定すべきものであるが(最高裁昭和29年(ク)第223号同35年4月18日大法廷決定・民集14巻6号905頁),この理は,公序が法律行為の後に変化した場合においても同様に考えるべきであり,法律行為の後の経緯によって公序の内容が変化した場合であっても,行為時に有効であつた法律行為が無効になったり,無効であつた法律行為が有効になったりすることは相当ではないからである。」と判示しているところであって,この理は,国家無答責の法理にも妥当するのであり,明治憲法下において合理性のあつた国家無答責の法理を日本国憲法を前提とする現在の価値観によって否定して,特別の規定がないのに,無答責であつた行為につき,賠償責任を認めることは法の解釈として許されないというべきである。
 
 イ 国賠法附則6項の「従前の例」に関する主張について
 控訴人らは,東京地方裁判所平成15年3月11日判決(以下「東京地裁3月判決」という。)を引用しつつ,「「従前の例による」ことが国家無答責を適用しうる根拠とならない」旨主張する。
 しかしながら。東京地裁3月判決は,国家無答責の法理について最高裁昭和25年判決の判断と相反する判断をするものであって,これに依拠する控訴人らの主張は失当である。
 この点については,項を改めて,後記(6)において詳述することとする。
 
 (6) 東京地裁3月判決について
 
 ア 東京地裁3月判決の概要
 東京地裁3月判決は,日本国の中国人に対する強制連行・強制労働政策自体が違法であり,また,同政策に基づき中国人に対する強制連行・強制労働に関与した個々の日本軍人等が行った行為が違法であるとして,国に対して損害賠償を請求した事案につき,同事件の原告らが,法例11条1項の適用による1930年中華民国民法に基づき国に対して損害賠償請求を主張したのに対し,かかる国家賠償請求権の存否に関する法律関係が国際私法の適用対象となる法律関係に含まれると解することはできない旨判示して,法例11条の適用を否定し,同事件の原告らの主張を排斥したものの,「条理上, 当時の日本国内法を適用して判断すべきことになるので,なお念のため,当時の日本国内法を適用した場合における上記請求権の存否について検討を加える」(判決文37ページ)とした上で,次のとおり判示した。
「ア 国家賠償法施行前における被告国に対する国家賠償請求の法的根拠国家賠償法施行前においては,一般二国の損害賠償責任を認める明文の規定を持つ実定法はなく,国家賠償法附則6条(ママ)において,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」と規定され,同法の規定の遡及適用が否定された以上,同法施行前の公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の損害賠償責任に関しては,民法の不法行為に関する規定が公務員の公権力の行使についても適用があるか否かという民法の解釈にゆだねられていたと解するよりほかはない。そして,戦前における裁判例及び学説を見渡すと,戦前における判例・通説は,民法の不法行為に関する規定は,公務員の権力的作用には適用がないとの解釈を採ってきたことは裁判所に顕著である(なお,最高裁昭和25年4月11日第三小法廷判決・裁判集民事3号225頁参照)。この点につき,原告らは,国家賠償法施行前においても,公法・私法二元論を排除し,公務員の公権力の行使についても民法を適用して,国の損害賠償責任を認めてきた裁判例があつたことを指摘し,公務員の公権力の行使について民法の適用がないという解釈が確立していたわけではないと主張するが,原告らが指摘する裁判例を検討してみても,それらは,国又は公共団体が私人と同等の立場に立って行う経済的活動の性質を帯びる行為について,民法の適用対象とする解釈が採られた例があることが明らかになるにとどまる。
 しかし,戦前において,上記のような解釈が採られていた根拠が必ずしも明らかではないことは原告らが主張するとおりであり,戦前の裁判例及び学説に照らすと,「国家無答責」なる不文の「法理」が確立しているとの理解を背景として,上記のような解釈が採られていたことがうかがわれるものの,現時点においては,「国家無答責の法理」に正当性ないし合理性を見いだし難いことも,原告らが主張するとおりである。当裁判所が国家賠償法が施行される以前の法体系の下における民法の不法行為の規定の解釈を行うに当たり,実定法上明文の根拠を有するものではない上記不文の法理によって実定法によるのと同様の拘束を受け,その拘束の下に民法の解釈を行わなければならない理由は見いだし難い。そして,民法715条の文言上は,公務員の公権力の行使が同条の適用から排除されているとはいえないこと,行政裁判所法(ママ)16条が「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」と規定しており,同条の規定は,実体法上は,公権力の行使に違法があつた場合二国に対する損害賠償請求権が成立することを前提としながら,行政裁判所が損害賠償請求訴訟を受理しないという訴訟法上の定めを置いたものと解する余地もあることを考慮すると,国家賠償法施行前における,公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の責任についても,民法715条の規律にゆだねられていたものと解する余地がないとはいえない。」(判決文37ないし39ページ)
 東京地裁3月判決は,上記のように判示して,国賠法施行前における,公務員の公権力の公使についても民法715条の適用の可能性を認めた上で,同条に基づく損害賠償請求権は,民法724条後段の適用により消滅している旨判示した。
 
 イ 被控訴人の批判の概要
 しかし,東京地裁3月判決の前記判示部分は,@明治23年に,国家無答責の法理が当時の法政策として採られた根拠及び行政裁判法16条,旧民法等の立法経緯についての理解不足から国家無答責の法理の理解を誤り,またA国賠法附則6項の解釈を誤り,最高裁昭和25年4月11日第三小法廷判決(裁判集民事3号225ページ。以下「最高裁昭和25年判決」という。)と相反するものであり,失当と言わざるを得ない上,B東京地裁3月判決が法例11条1項の適用を否定した理由との間にも矛盾を生じている。
 以下,詳述する。
 
 ウ 国家無答責の法理の根拠の理解が不十分であることについて
 
 (ア) 東京地裁3月判決の判示
 東京地裁3月判決は,@「戦前における判例・通説は,民法の不法行為に関する規定は,公務員の権力的作用には適用がないとの解釈を採ってきた」が,このような「解釈が採られていた根拠が必ずしも明らかではない」(判決文38ページ),A「行政裁判所法(ママ)16条が「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」と規定しており,同条の規定は,実体法上は,公権力の行使に違法があつた場合二国に対する損害賠償請求権が成立することを前提としながら,行政裁判所が損害賠償請求訴訟を受理しないという訴訟法上の定めを置いたものと解する余地もある」(判決文38,39ページ)などと判示している。
 しかし,以下に述べるように,この判示は,いずれも国家無答責の法理を正しく理解していないものといわざるを得ず,失当である。
 
 (イ) 国家無答責の法理について
 国家無答責の法理は,被控訴人が従前から主張しているように,行政裁判法と旧民法が公布された明治23年の時点で,国家の権力的作用について国は賠償責任を負わないとする国家無答責の法理が基本的法政策として確立したものであり(塩野宏・行政法U(第2版)222,223ページ,宇賀克也・国家責任法の分析409ないし411ページ),これに基づき,行政裁判法16条,旧民法等の規定が設けられたのである。
 すなわち,我が国の明治政府は,幕末に締結した不平等条約の改正を国家日標として,ボアソナードなど外国の様々な法律学者の意見を参考にしながら,近代国家としての法制度の整備を進めていた。そして,その一環として,行政裁判法及び民法の制定を図ったが,近代法治国家として経験を有していない我が国としては,他国の法制度を参照しながら,法律の整備を図らざるを得なかった。国家賠償責任の問題についても,当初,ボアソナードの意見に基づき,国家賠償責任を認める規定を民法の規定に置こうとしたが,ボアソナードの意見は,その前提としての比較法の事実認識に誤認があり,国家賠償責任に関する諸外国の法制度は,「君主ハ不善ヲ爲スコト能ハズ。」(乙第26号証)を理念として,国家賠償責任を否定したものであつたこと,また,仮に,ボアソナードの意見のとおり,国家賠償責任の問題を「大胆ニモ國家ヲ」網ノ下ニ打盡シテ民法ノ範團内ニ入レ」(井上毅の今村和郎宛書簡・乙第32号証)れば,「此事将来國法上ニ關係シ,一大問題と相成可申候,且條約改正之上ハ,外國人民と政府との争議之論據と相成ル事」(井上毅の山田顕義司法大臣宛書簡・乙第32号証)を懸念し,結局,国家無答責の法理を採用し,ボアソナード民法草案から国家賠償責任の規定を削除したのである。
 以上の経緯に照らせば,東京地裁3月判決の「民法の不法行為に関する規定は,公務員の権力的作用には適用がない」との「解釈が採られていた理由が必ずしも明らかではない」との判示は失当である。
 
 エ 国賠法附則6項及び最高裁昭和25年判決と相反すること等
 
 (ア) 東京地裁3月判決の概要
 東京地裁3月判決は,国の権力的作用に基づく行為について,民法715条を適用する理由として,「国家賠償法施行前においては,一般二国の損害賠償責任を認める明文の規定を持つ実定法はなく,国家賠償法附則6条(ママ)において,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」と規定され,同法の規定の遡及適用が否定された以上,同法施行前の公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の損害賠償責任に関しては,民法の不法行為に関する規定が公務員の公権力の行使についても適用があるか否かという民法の解釈にゆだねられていたと解するよりほかはない。」(判決文37,38ページ)とし,「戦前の裁判例及び学説に照らすと,「国家無答責」なる不文の「法理」が確立しているとの理解を背景として,上記のような解釈が採られていたことがうかがわれるものの,現時点においては,「国家無答責の法理」に正当性ないし合理性を見いだし難いことも,原告らが主張するとおりである。当裁判所が国家賠償法が施行される以前の法体系の下における民法の不法行為の規定の解釈を行うに当たり,実定法上明文の根拠を有するものではない上記不文の法理によって実定法によるのと同様の拘束を受け,その拘束の下に民法の解釈を行わなければならない理由は見いだし難い。」とする(判決文38ページ)。
 しかし,この判示は,明治憲法下において国家無答責の法理が基本的法政策として採用されていた根拠を理解していないだけでなく,国賠法附則6項及び最高裁昭和25年判決に相反するものであり,失当である。
 
 (イ) 明治憲法下における国家無答責の法理と民法解釈との関係について
 
 a 東京地裁3月判決は,「同法(引用者注:国賠法を指す。)施行前の公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の損害賠償責任に関しては,民法の不法行為に関する規定が公務員の公権力の行使についても適用があるか否かという民法の解釈にゆだねられていた」旨判示する。
 
 b しかしながら,前記2(1)で詳述したように,国賠法施行前において,国家無答責の法理は,行政裁判法と旧民法が公布された明治23年の時点で,国家の権力的作用について国は賠償責任を負わないという基本的法政策として確立したものであり,したがって,国の権力的作用について国が賠償責任を負う旨の法規は制定せず,また,民法の不法行為の規定は,これに適用しない,という法政策が採用されたのである。
 したがって,そもそも東京地裁3月判決の判示するように,国賠法「施行前においての公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の損害賠償責任に関して」,「民法の不法行為に関する規定が公務員の公権力の行使についても適用があるか否かという民法の解釈にゆだねられていた」という前提自体が誤りであり,国賠法施行前においては,国家の権力的作用について損害賠償が否定されたのは,前記のような基本的法政策に基づき国に損害賠償を認める根拠規定を置かないこととしたためであって,民法の解釈問題が生じる余地はないのである。
 
 c なお,国賠法施行前において,国家の権力的作用について国の損害賠償責任が否定されるのは,民法の解釈のみによるものでないことは上記のとおりであるが,民法の不法行為規定の解釈についてみたとしても,国賠法施行後においても,公務員の公権力の行使によって生じた損害の賠償責任の成否は,もつぱら国賠法1条1項によってその成否が判断され,民法の不法行為規定の適用は排除されているのであり,国家の権力的作用による損害賠償の成否を,民法の不法行為規定の解釈にゆだねるとする考え方は一貫して存在しないのである。
 すなわち,現行憲法は,もはや国の権力的作用についても,国の損害賠償責任を全て免責させることは望ましくないとの政策的判断から,現行憲法17条を規定したが,国賠法の要件等をいかに定めるかは,憲法を受けて制定される法律の定めるところにゆだねたのであって,民法の解釈にゆだねたものではない。これは,公権力の行使は,通常,国民の権利義務に影響を与える性質を有することから,結果違法を中心とした私法的法律関係としては規律すべきではなく,別途,これに関する法律を制定することとしたものであって,そこにおいては,立法政策によって,民法の不法行為責任とは異なる要件等を定めたり,あるいは,免責規定を設けることも許容されるのである。
 この点に関し,最高裁判所平成14年9月11日大法廷判決(乙第41号証)も,「憲法17条は,「何人も,公務員の不法行為により,損害を受けたときは,法律の定めるところにより,国又は公共団体に,その賠償を求めることができる。」と規定し,その保障する国又は公共団体に対し損害賠償を求める権利については,法律による具体化を予定している。これは,公務員の行為が権力的な作用に属するものから非権力的な作用に属するものにまで及び,公務員の行為の国民へのかかわり方には種々多様なものがあり得ることから,国又は公共団体が公務員の行為による不法行為責任を負うことを原則とした上,公務員のどのような行為によりいかなる要件で損害賠償責任を負うかを立法府の政策判断にゆだねたものであって,立法府に無制限の裁量権を付与するといった法律に対する白紙委任を認めているものではない。そして,公務員の不法行為による国又は公共団体の損害賠償責任を免除し,又は制限する法律の規定が同条に適合するものとして是認されるものであるかどうかは,当該行為の態様,これによって侵害される法的利益の種類及び侵害の程度,免責又は責任制限の範囲及び程度等に応じ,当該規定の目的の正当性並びにその目的達成の手段として免責又は責任制限を認めることの合理性及び必要性を総合的に考慮して判断すべきである。」と判示し,現行憲法下でも,一定の範囲で免責規定を置いたり,民法の不法行為責任の規定とは異なった規定を置くことを許容している。
 したがって,このような観点からも東京地裁3月判決は失当である。
 
 d 東京地裁3月判決は,公務員の公権力の行使に民法715条の適用を認める形式的な理由として,民法715条の文言上,それを排除されているとはいえないことを挙げる(判決文38ページ)。
 しかし,現行法の下において,公務員が職務上行った不法行為が,「公権力の行使」に該当しない場合には,民法の不法行為規定が適用されるのに対し,「公権力の行使」に該当すれば,国賠法1条1項が適用されて,その要件該当性の判断から,民法の適用が排除される。そして,国賠法1条1項の違法の判断につき,民法709条のように,権利侵害が直ちに違法であるという結果不法だけで捉えるのではなく,行為不法の観点から,公務員が個々の国民に対して負っている職務上の法的義務に違反したことをもって,違法としているが(最高裁昭和60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512ページ),これは,まさに,公務員の職務上の法的義務に違反するか否かの判断に,一般私法では捉えきれない行為の正当性の判断が要求されることを示しているのである。
 前述のとおり,現行の国賠法の立法に当たっても,当初民法中の不法行為編を改正して国家賠償に関する規定を挿入するとする案が提示されたところ,国・公共団体の公権力行使の関係は私法的法律関係ではなく,民法に入れるのは立場が違い不適当とされて,民法への編入はされず,国賠法という独自の法律が制定されたという経緯がある(古崎慶長「国家賠償法」7ページ参照)。これはまさに,国家賠償請求権の存否が,一般私法の観点から規律しうべき関係ではなく,特に一般私人が行い得ない権力的作用については,その行使の正当性の観点から,常に検証を要する公法的法律関係であると考えられたことに基づくといえる。
 
 e 被控訴人が従前から繰り返し述べているように,「国家無答責の法理」とは,公務員が職務を行うについてされた行為が国家の権力的作用に該当する限り,民法の不法行為の規定の適用がなく,他の賠償責任を認める規定がなかったことに基づく実体法の法理である。したがって,国家無答責の法理の内容は,@民法の不法行為の規定の適用がないことと,Aその他賠償責任を認める規定がないことを含むものである。
 そして,@の点,すなわち,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が,その職務を行うについて,故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合の損害賠償請求権の成立要件の判断については,国賠法施行の前後を問わず,民法の不法行為の規定の適用がないが,Aの点については,明治憲法下では,現在の国賠法のように一般的に損害賠償責任を認める規定がないため,国家無答責であったが,日本国憲法下では,国賠法が存在するために,国家無答責ではなく,国家賠償責任を負うこととなっているのである。
したがって,東京地裁3月判決の,国賠法施行前における「公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の責任についても,民法715条の規律にゆだねられていたものと解する余地がないとはいえない」との判示は,国家の権力的作用についての賠償責任の成否に関しては,国賠法施行の前後を通じて,民法の不法行為の規定の適用がないにもかかわらず,これを適用しようというものであり,失当である。
 
 オ 国賠法附則6項に違反すること
 
 (ア) 東京地裁3月判決は,国賠法附則6項により,国賠法の規定の遡及適用が否定されたとしながら,「当裁判所が国家賠償法が施行される以前の法体系の下における民法の不法行為の規定の解釈を行うに当たり、実定法上明文の根拠を有するものではない上記不文の法理によって実定法によるのと同様の拘束を受け,その拘束の下に民法の解釈を行わなければならない理由は見いだし難い。」旨判示する。
 
 (イ) しかしながら,国賠法附則6項は,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」と規定しているところ,この「なお従前の例による」との法令用語は,法令を改正又は廃止した場合に,改廃直前の法令を含めた法制度をそのままの状態で適用することを意味する(有斐閣法律用語辞典第2版1087ページ)。
 すなわち,国賠法施行前の公権力の行使に伴う損害賠償が問題とされる事例については,国賠法それ自体の遡及適用を否定するのみならず,それまで採用していた国家無答責の法理がそのまま適用されることにより,国又は公共団体が責任を負わないことを明らかにし,これにより,予測可能性ないし法的安定性を確保する趣旨である。
 このことは,国会における国賠法附則6項の審議内容を見ても明らかである。すなわち,国賠法案を審議した第1回国会の衆議院本会議(昭和22年8月7日開催)において,司法委員長松永義雄は,司法委員会における同法案の審議経過の報告において,「本法案施行前の行為に基き施行後に発生した損害に対する処置いかんとの質疑がなされたのに対し,国または公共団体に賠償責任なしとの政府の答弁でありました。」と述べており,その後本会議で討議が行われ,可決されている(官報号外昭和22年8月8日第1回衆議院議事録22号248ページ・乙第42号証)。このような審議内容からすれば,同項は,国賠法施行前の行為に基づく損害については,その損害の発生が同法施行前かあるいは施行後かにかかわらず,国又は公共団体が賠償責任を負わない趣旨の規定であることは明らかである。
 
 (ウ) また,東京地裁3月判決は,「現時点においては,「国家無答責の法理」に正当性ないし合理性を見いだし難いこと」をもって,国賠法施行前の民法の解釈として,国の権力的作用に民法715条を適用できるとする根拠にしているようである。
 しかしながら,国家無答責の法理は,これが基本的法政策として確立された明治憲法の下では,前記2(1)で詳述したように,その正当性ないし合理性が認められていたが故に採用されたことは明らかである。そして,国家無答責の法理は,我が国のみが採用した特異の法理ではないのである。すなわち,米国では,1946年の連邦不法行為請求権法が制定されるまでは,国家無答責の法理が採用されており(植村栄治「各国の国家補償法の歴史的展開と動向アメリカ」国家補償法体系I(135ページ),英国でも,1947年の国王訴追法が制定されるまで同様であり(古崎慶長・国家賠償法47ページ),ドイツ及びフランスでも,19世紀後半に,国家責任一般に民法を適用しようという試みがあったが,結局,その動きが否定される結果となった(宇賀克也・国家責任法の分析411ページ)のであって,当時の各国の立法例の趨勢は,国家無答責の法理によるものであった。
 したがって,日本国憲法を前提とする現在の価値観から見て,国家無答責の法理の合理性を否定することは全く根拠のないことである。
 日本国憲法17条に基づき国賠法が制定されたが,国賠法制定の際の立法者の価値判断も,国賠法の遡及的適用を否定するべく国賠法附則6項に規定したように,同法施行前の行為については同法施行後においても,国は賠償責任を負わないこととするのが日本国憲法の下においても正当であるというものであって,これは合理的かつ正当な立法判断である。
 したがって,「現時点においては,「国家無答責の法理」に正当性ないし合理性を見いだし難いこと」をもって,国賠法施行前の民法の解釈として,国の権力的作用に民法715条を適用できるとするのは誤りといわなければならない。
 なお,前記のとおり,最高裁判所平成15年4月18日判決は,法律行為がされた時点では公序に反しなかったが,その後に公序が変化した場合の法律行為の有効性について,「法律行為が公序に反することを目的とするものであるとして無効になるかどうかは,法律行為がされた時点の公序に照らして判断すべきである。けだし,民事上の法律行為の効力は,特別の規定がない限り,行為当時の法令に照らして判定すべきものであるが(最高裁昭和29年(ク)第223号同35年4月18日大法廷決定・民集14巻6号905頁),この理は,公序が法律行為の後に変化した場合においても同様に考えるべきであり,法律行為の後の経緯によって公序の内容が変化した場合であっても,行為時に有効であった法律行為が無効になったり,無効であった法律行為が有効になったりすることは相当ではないからである。」と判示しているところであって,この理は,国家無答責の法理にも妥当するのであり,明治憲法下において合理性のあった国家無答責の法理を日本国憲法を前提とする現在の価値観によって否定して,特別の規定がないのに,無答責であった行為につき,賠償責任を認めることは法の解釈として許されないというべきである。
 
 カ 最高裁昭和25年判決に反すること
 
 (ア) 東京地裁3月判決は,「国家賠償法施行前における,公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の責任についても,民法715条の規律にゆだねられていたものと解する余地がないとはいえない。」と判示するが,かかる判断は,最高裁昭和25年判決に反するだけなく,その後の裁判例にも反する特異な判断である。
 すなわち,最高裁昭和25年判決は,国賠法施行前に生じた警察官の防空法に基づく家屋破壊の不法を理由に提起した国家賠償請求事件につき,「公権力の行使に関しては当然には民法の適用のないこと原判決の説明するとおりであって,旧憲法下においては,一般的二国の賠償責任を認めた法律もなかったのであるから,本件破壊行為について国が賠償責任を負う理由はない。」とし,「論旨は,国家賠償法附則の「この法律施行前の行為に基く損害については,なお従前の例による。」との規定について,従前といえども公務員の不法行為に対し,国が賠償責任を負うべきものであって,新憲法はこれを法文化したに過ぎないと主張するのであるが,国家賠償法施行以前においては,一般的二国に賠償責任を認める法令上の根拠のなかったことは前述のとおりであって,大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して,常二国に賠償責任のないことを判示して来たのである。(当時仮りに論旨のような学説があったとしても,現実にはそのような学説は行われなかったのである。)本件家屋の破壊は日本国憲法施行以前に行われたものであって,国家賠償法の適用される理由もなく,原判決が同法附則によって従前の例により国に賠償責任なしとし,上告人の請求を容れなかったのは至当であって,論旨に理由はない。」と判示している。
 この判示からも明らかなように,同判決は,国賠法附則6項の「従前の例」とは,公権力の行使に関しては民法の適用がなく,その他国の賠償責任を認める規定がなかったことから,公権力の行使については国には賠償責任がないこと,すなわち国家無答責の法理を意味するとし,その法理に従って判断した原判決が正当であると判示しているのであって,東京地裁3月判決は,最高裁昭和25年判決に明らかに反する。
 
 (ア) 元朝鮮半島出身者が,国家総動員法の下において,内地に強制連行され強制労働させられたとして損害賠償を求めた訴訟において,東京地方裁判所平成8年11月22日判決(訟務月報44巻4号507ページ)は,「明治憲法下においては,行政裁判所においても,「損害要償ノ訴訟」を受理できないものとされ(行政裁判法16条),国家の賠償責任を肯定すべき根拠法令がなかったのであるから,国家賠償法附則6項の「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」との経過規定に照らせば,現時点における解釈としても,本件各行為当時においては,民法709条の規定によって,国がその権力的作用による損害について私人に対して損害賠償責任を負担するとの解釈を採用することはできないものというほかない(国家賠償法の右附則は,同法施行前の行為についていわゆる旧法主義を採用したものにすぎず,この規定が,民法709条適用説の根拠となるものではない。)。」と判示したところ,その控訴審である東京高等裁判所平成14年3月28日(乙第30号証)もこれを維持し,さらに最高裁判所平成15年3月28日第二小法廷決定も,上告棄却及び上告不受理の決定をした。
 このよう二国賠法附則6項の「従前の例」が国家無答責の法理を指すことは,最高裁昭和25年判決以来,判例上一貫している(東京地方裁判所昭和59年10月30日判決・判例時報1137号29ページ,東京高等裁判所昭和63年3月24日判決・判例時報1268号15ページ,東京高等裁判所平成12年12月6日判決・判例時報1744号48ページ,東京高等裁判所平成13年2月8日判決(乙第23号証),同最高裁判所平成13年10月16日決定(上告棄却及び上告不受理決定(乙第43号証)),東京地方裁判所平成14年6月28日判決(乙第44号証)等)。
 
 キ 東京地裁3月判決の理由中における法例11条の適用を否定した理由と矛盾があること
 
 (ア) 東京地裁3月判決は,同事件を「当時中国において家族と共に平穏な生活を送っていた原告らが,昭和17年11月27日の閣議決定に基づく行政供出により,日本軍あるいは日本政府の支配下にあった中国軍の兵士(以下「日本軍等」という。)によって,自らの意思に反して一方的かつ強制的に日本に連行され,被告企業の各事業所で強制的に劣悪な労働条件下で過酷な労働に従事させられたと主張して,被告国に対して損害賠償を求めるものであって,個人が国に対して公務員の違法行為によって被った損害の賠償を求める訴訟(以下「国家賠償訴訟」という。)である。」と位置づけた上で,以下の理由により,国際私法の適用対象とならない,すなわち,法例11条の適用がない旨判示している(判決文31ないし34ページ)。
 
  @ 国家賠償請求権の存否に関する法律関係は,公権力の行使の適否が判断の対象となるという意味で,公法的な色彩を持つことは否定できない。すなわち,公権力の行使の適否に関する判断が,その後の国の行政権,立法権の行使,さらには,国民生活に対する国の機関の権限行使のあり方にも重大な影響を与えるものであって,当該国家の公益と密接な関係を有する公法的な側面を持つものであることは明らかというべきである。換言するならば,国家賠償訴訟の審理において,その適否が問題とされている公権力の行使について,当該国家の法律とは異なる適法要件を定める他国の法律によって,その違法性の有無が判断されるようなことは,当該国家の公益に反するものといえよう(同32ページ)。
 
  A 各国の国家賠償に関する法制を見ても明らかなように,各国が,国家賠償制度の存否,責任の範囲や程度につき,国政全般にわたる総合的政策判断の下に,様々な立法政策を採用していることは,国家賠償請求権の存否に関する法律関係が,国家の国政全般にわたる総合的政策判断と密接な関係を有する公法的色彩を持つ法律関係であることを示すものといえる。現に,我が国の国家賠償法においても,被告国の公益を考慮した政策的判断の下に,私法の領域とは異なる特別の法政策が採用されているのである。すなわち,国家賠償法は,公務員による公権力の行使を萎縮させないように公務員個人に対し求償できる場合を限定し(同法1条2項),外国人が被害者である場合には,相互の保証のあるときに限って賠償する(同法6条)ものとしており,これらの規定は国家賠償の問題が国家の公益と直接又は密接に関係していることを示しているものといえる(同32,33ページ)。
 
  B 本件においては,個別的な公務員の公権力の行使の適否が問題とされているのではなく,被告国が国益を追求する目的の下で国家主権の行使ないし発露として行った上記行為や政策自体の正当性の存否についての判断が求められている。この判断が国家の主権行使の正当性にかかわる点で,被告国の公益に直接的な関係を有し,極めて強い公法的色彩を持つものといえる。しかも,国家の政策的判断の下に,広範に行われた戦時下における日本軍等の違法行為を理由として被告国に損害賠償義務を負担させるか否かという判断が,全国民の負担の下で維持されている被告国の国家財政に対して重大な影響を与えずにはおかないことも明らかであり,この点においても,本件において判断の対象となる法律関係は,被告国の公益と密接な関係を有し,公法的色彩をもつものである。.本件のごとく,国家の主権行使の正当性が判断の対象となり,その結果が被告国の財政に重大な影響を与える法律関係は,国際私法の規律にゆだねるべき私法的法律関係ではなく,公法的法律関係に当たると解するよりほかはない(同33,34ページ)。
 
 (イ) このように,東京地裁3月判決は,本件の国家賠償請求権の存否に関する法律関係が国際私法の対象となる法律関係に当たるか否かという問題について,国家の公益と密接に関係し,極めて強い公法的色彩を持つことを考慮して,私法的法律関係ではなく,公法的法律関係であると判示しており,この判示は,極めて正当な判断である。
 ところが,東京地裁3月判決は,公務員の公権力の行使の違法と理由とする国の責任について,民法の適用があるかという問題については,民法715条の規律にゆだねられていたと解する余地があるとし(判決文39ページ),国家賠償詰求権の存否に関する法律関係を一般私法である民法の規律にゆだねる余地がある旨判示している。
 一方は国際私法の適用の有無の問題であり,他方は民法の適用の有無の問題であって,論点が異なっているとはいえ,いずれも国家賠償請求権の存否に関する法律関係が,私法的法律関係であるかの問題であるから,両者の結論を異にするのは,矛盾というべきである。
 
 (ウ) 以上,述べたように,東京地裁3月判決は,国際私法の問題としては,国家賠償請求権の存否の問題は,損害の公平な分担のみでは捉えられず,公益と密接に関係し,公法的色彩が強いとして,その性質を私法的法律関係ではなく公法的法律関係であると的確に把握しておきながら,同じ法律関係に適用する準拠法として,損害の公平の分担のみを理念とする私法的法律関係を規律している民法715条を適用しようとするものであって,その判断には矛盾があると言わざるを得ない。
 
 ク 結論
 以上詳述したように,東京地裁3月判決は,国家無答責の法理の根拠等を正確に理解しておらず,その判断は,国賠法附則6項に違反し,最高裁昭和25年判決以来の我が国の裁判例にも明白に違反するものと言わざるを得ない。
 


第2 除斥期間の適用に関する控訴人らの主張について

 
 控訴人らは,民法724条後段の適用により,損害賠償請求権の消滅を認めることは著しく正義・公平に反するなどと主張する(控訴人ら第1準備書面57ないし74ページ)。
 このうち,民法724条後段の期間の起算点が不法行為の時であることについては,原審被告準備書面(7)49,50ページで詳述したところであるから,これを援用することとし,以下,その余の点に関する控訴人らの主張が失当であることを述べる。
 

 1 民法724条後段の法的性格について

 
 (1)控訴人らの主張
 控訴人らは,民法724条後段の20年の期間の法的性格について,時効期間を定めたものと解すべき旨主張する(控訴人ら第1準備書面57ページ)。
 
 (2)被控訴人の反論
 しかし,最高裁判所平成元年12月21日第一小法廷判決(民集43巻12号2209ページ,以下「最高裁平成元年判決」という。)は,「民法724条後段の規定は,不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと解するのが相当である。けだし,同条がその前段で3年の短期の時効について規定し,更に同条後段で20年の長期の時効を規定していると解することは,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図する同条の規定の趣旨に沿わず,むしろ同条前段の3年の時効は損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な事情によってその完成が左右されるが,同条後段の20年の期間は被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期問を画一的に定めたものと解するのが相当であるからである。」と判示して,民法724条後段の法的性格が除斥期問であることを明言し,また,最高裁判所平成10年6月12日第二小法廷判決(民集52巻4号1087ページ,以下「最高裁平成10年判決」という。)も,最高裁平成元年判決を引用して,「民法724条後段の規定は,不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであり,不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には,裁判所は,当事者からの主張がなくても,除斥期間の経過により右請求権が消滅したものと判断すべきであるから,除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用であるという主張は、主張自体失当であると解すべきである(最高裁昭和59年1才1第1477号平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2209頁参照)」と判示しているところである。
 このように最高裁判所は,一貫して,民法724条後段の法的性格を除斥期間であると判示し,最高裁平成10年判決の調査官解説においても,かかる見解は「判例理論としては確立したもの」(春日通良・最高裁判所判例解説民事篇平成10年度(下)572ページ)としている。
 したがって,同条後段の法的性格を消滅時効と解すべきである旨の控訴人らの.主張は失当である。
 

 2 除斥期間の適用制限について

 
 (1)控訴人らの主張
 控訴人らは,仮に,民法724条後段の法的性格につき,除斥期間であるとしても,その適用が著しく正義,公平に反し,条理にもとるときは,同条後段の規定は適用されるべきでない旨主張する(控訴人ら第1準備書面63ないし74ページ)。
 
 (2)被控訴人の反論
 民法724条後段は,不法行為をめぐ.る権利関係を長く不確定の状態におく'ことには重大な問題があり,被害者に対して可及的速やかに救済を求めさせ,法律関係を早期に確定させようとすることが法の意図するところである(河野信夫・最高裁判所判例解説民事篇平成元年度612ページ参照)。
 控訴人らは,自らの主張の根拠として,最高裁平成10年判決等の裁判例を挙げ,最高裁平成10年判決は,民法724条後段を除斥期問であるとしながらも,正義・公平の観点から,その適用を制限することを認めており,その後の下級審判例も同様の立場を採る旨主張する(同準備書面69ないし74ページ)。
 しかし,以下に述べるように,控訴人らの主張は,失当である。
 
 ア 最高裁平成10年判決について
 
 (ア) 控訴人らは,最高裁平成10年判決が,正義・公平・条理によって,民法724条後段の適用を一般的に制限したかのような主張をするが,右主張は,同判決を正解していない。
 すなわち,最高裁平成1O年判決は,民法724条後段を除斥期間と判示した最高裁平成元年判決を引用して,「民法724条後段の規定は,不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであり,不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には,裁判所は,当事者からの主張がなくても,除斥期問の経過により右請求権が消滅したものと判断すべきであるから,除斥期問の主張が信義則違反又は権利濫用であるという主張は,主張自体失当であると解すべきである」と判示しつつ,時効の停止に関する民法158条を指摘した上,「不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6箇月内において心神喪失の常況にあるのに後見人を有しない場合には」,「その心神喪失の常況が当該不法行為に起因する場合であっても,被害者は,およそ権利行使が不可能であるのに,単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面,心神喪失の原因を与えた加害者は,20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となり,著しく正義・公平の理念に反するものといわざるを得ない。そうすると,少なくとも右のような場合にあっては,当該被害者を保護する必要があることは,前記時効の場合と同様であり,その限度で民法724条後段の効果を制限することは条理にもかなうというべきである。」と判示した。この判決は,「不法行為の時から20年を経過する前6箇月内において右不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合において,その後当該被害者が禁治産宣告を受け,後見人に就職した者がその時から6箇月内に右損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるとき」にという極めて限定された要件の下で,その効果においても,時効の停止と同様の所定の期間だけいわば除斥期間の経過を停止させるという限度において例外を認めたものであり,民法158条という時効の停止に関する既存の条項の法意を援用して極めて限定的に例外を認めたものである。
 そのことは,最高裁調査官の判例解説でも,「本判決の射程は,極めて狭いものと思われる。民法724条後段の適用の効果を否定する場合としては,除斥期間内に権利を行使しなかったことを是認することが本件の事案と同程度に著しく正義・公平に反する事情がある上,時効の停止等その根拠となるものがあることが必要であろう。河合裁判官の意見のように,除斥期間説に立ちながら,幅広く例外を認めることは,平成元年判決に抵触することになり,大法廷における判例変更が必要となるであろう。」(春日通良・前掲最高裁判所判例解説民事篇平成10年度(下)576及び577ページ)と述べられているとおりである。
 したがって,最高裁平成10年判決が,一般的に,除斥期間の適用が「著しく正義・公平の理念に反する」場合には,その適用を排除できるとしたものとする控訴人らの主張は,明らかに同判決の射程を誤ったものといわなければならない。
 民法724条後段の除斥期問の適用が制限されるのは,他の法文に根拠を求めることができる極めて例外的な場合に限られるというのが,同判決の正当な理解であり,最高裁の確立した立場であるといわなければならない。
 
 (イ) 最高裁平成10年判決に照らしても,本件が,除斥期問の適用を制限すべき例外的な場合に該当しないことは明らかである。
 
a 本件は「およそ権利行使が不可能」とはいえない。
 控訴人らは,「本件細菌戦の違法行為において,極めて顕著な特徴は,被控訴人が,戦後において細菌戦の事実を隠蔽し,国際的国内的に日本軍の細菌戦が周知の事実となっている現在においても,その事実すら認めていないという点である。・・・本件控訴人らの権利不行使は,被控訴人が一国の権力をもって控訴人らの権利行使を妨害し,不可能にしてきた結果なのである。」(控訴人ら第1準備書面64,65ページ)などとして,「1995年頃までは,被控訴人に対する損害賠償請求権を行使することは事実上不可能であった。」(同準備書面66ページ)と主張するとともに,「さらに,控訴人らが本件訴訟を提起するためには,中国と日本に,これを支援し,代理人となって活動する弁護士が必要不可欠であったのであり,そのような弁護土の活動が日本で具体化したのは第1次訴訟の控訴人らは1995年以降であり,第2次訴訟の控訴人らにとっては第1次訴訟を提起した197年8月以降である。」(同66ページ)と主張する。
 しかし,このような控訴人らの主張が,最高裁平成10年判決の判示する「心神喪失の常況にある」ため「およそ権利行使が不可能」な事情に該当しないことは一見して明らかである。すなわち,控訴人らの前記主張は,結局のところ,訴訟代理人の協力を得ることが困難であった,また,証拠資料の収集等の訴訟提起の準備が整わなかったというにすぎないのである。
 仮に,このような控訴人らの主張が認められるとするならば,控訴人らにおいて訴訟提起の準備ができたとする時点を任意に選択して,「権利行使が可能」になった時点だとする主張を許すことになり,権利行使が速やかになされることを目的として設けられ,その効果が画一的に認められるはずの除斥期間の趣旨を著しく没却することになるのは明らかである。
 
 b また,本件の場合,時効の停止等のような除斥期間の適用を制限する根拠となるものは何ら存しない。
 民法の時効の停止は,時効完成の時に当たって故障があり,権利者が中断行為をすることが困難な場合に,時効の完成を猶予することにし,停止事由が終了してから一定の猶予期間を経て,時効が完成するものである(我妻榮・新訂民法総則474ページ参照)。
 そして,最高裁平成10年判決の事案は,除斥期間の経過に当たり、不法行為の被害者が当該不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに後見人を有しないという事案であり,仮に,消滅時効の完成が問題とされたならば,民法158条の時効の停止の規定により,一定期間消滅時効の完成が妨げられた事案で,しかも,心神喪失の原因を与えたのが加害者であったという事情があった。かかる場合に,除斥期問の経過によって権利消滅の効果を認めるのは,いかにも権利者に酷な結果となるから,時効の停止に関する民法158条を根拠に,その法意に照らして,最高裁平成元年判決の例外を認め,権利者(被害者)が「能力者ト為リ又ハ法定代理人カ就職シタル時ヨリ六箇月内」に限り一時的に除斥期間が経過したとはされないこととしたものである。
 これに対し,本件において,控訴人らは,時効の停止に関する民法158条ないし同161条の規定に相当する権利行使を不能ないし困難ならしめる事由を全く主張せず,むしろ,権利行使をしようと思えばいつでも権利を行使することが可能だつたとも言い得る事情をもって「権利行使が不可能」であったと主張し,ただ「著しく正義・公平に反する」場合には,除斥期間の適用を一般的に制限すべき旨主張するのみで,除斥期間の経過が否定されるべき一定の期間も主張されていない。
 
 (ウ) このような控訴人らの主張は,時効の停止のようなその法意を援用できる制度の存在を問題とすることなく,ただ「著しく正義・公平の理念に反する」場合には,除斥期問の制度を一般的に適用すべきではないというのであり,適用を制限する根拠についても,その範囲についても,最高裁平成10年判決の判示するところを大きく逸脱し,その結果,控訴人らの主張によれば,極めて広範かつ無限定に除斥期問の適用が制限がされることになり,法的安定性を重視して民法724条後段の除斥期間を設けた法意に反することは明らかである。
 
 イ 東京地方裁判所平成13年7月12日判決について
 
 (ア) 控訴人らは,民法724条後段の適用を制限した下級審判例として,まず,東京地裁平成13年7月12日判決(判例タイムズ1067号119ページ,以下「東京地裁平成13年判決」という。)に言及する(控訴人ら第1準備書面72ページ)。
 この判決は,第二次世界大戦中に中国国内から日本国内に強制連行され,北海道内の事業場で強制労働に従事させられ,この強制労働から逃れるべく終戦直前に事業場から逃走し,その後約13年間にわたり北海道の山中で生活していたとする中国人Xの相続人が除斥期間である20年を経過して日本国(Y)を被告として提訴した損害賠償請求事件につき,除斥期間の適用に関し,「除斥期間制度の適用の結果が,著しく正義,公平の理念に反し,その適用を制限することが条理にもかなうと認められる場合には,除斥期間の適用を制限することができると解すべきである。」という一般的基準を定立した上で,「Yに対し,国家制度としての除斥期間の制度を適用して,その責任を免れさせることは,Xの被った被害の重大さを考慮すると,正義公平の理念に著しく反していると言わざるを得ないし,また,このような重大な被害を被ったXに対し,国家として損害の賠償に応ずることは,条理にもかなうというべきである。よって,本件損害賠償請求権の行使に対する民法724条後段の除斥期間の適用はこれを制限するのが相当である。」と判示した。
 
 (イ) しかし,東京地裁平成13年判決は,最高裁平成10年判決が「著しく正義・公平の理念に反する」場合には,除斥期間の制度を適用すべきではないとの一般法理を示したものとの理解のもとに,これをそのまま当該事案に当てはめ,著しく正義・公平の理念に反するものとして,除斥期間の適用を排除しているが,そのような理解は最高裁平成10年判決を正解するものではなく,むしろ同判決の趣旨・射程距離を著しく逸脱するものである。
 すなわち,前記のとおり,最高裁平成10年判決は,「心神喪失の常況が当該不法行為に起因する場合であっても,被害者は,およそ権利行使が不可能であるのに,単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面,心神喪失の原因を与えた加害者は,20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果とな」ることは,著しく正義・公平の理念に反するとしているが,それは,飽くまで民法158条の法意を除斥期間制度にも持ち込むための理由にすぎず,根拠となる他の法文がないのに,一般的に著しく正義・公平の理念に反する場合には除斥期間の適用を排除できるとしたものでないことは明らかである。
 したがって,最高裁平成10年判決が,一般的に,除斥期間の適用が「著しく正義・公平の理念に反する」場合には,その適用を排除できるとしたものと考えることは,明らかに判例の射程を誤ったものといわなければならない。
 また,最高裁平成10年判決の事例では,心神喪失の常況が当該不法行為に起因するほかは,直接国側の行為が問題にされているわけではなく,むしろ,当該不法行為に起因する心神喪失の常況によって,20年以内に損害賠償請求が提起することができない事態がもたらされたことを「著しく正義・公平の理念に反する」としたものである。これに対して,東京地裁平成13年判決では,日本国の公務員がXに対して行った一連の行為を根拠に,このような場合に除斥期間を適用することは「著しく正義・公平の理念に反する」としているが,少なくとも公務員の行為によってXによる損害賠償請求の提起を困難ならしめた事情(民法158条の法意を及ぼすべき事情)は一切認定されていない。
 そして,同判決は,除斥期間の適用を制限する事情として,Xの13年間のわたる逃走は,Yの行った強制連行,強制労働に由来し,Yはこれに関する資料を無視して調査すら行わなかったという不法行為の悪質性とXの被った被害の重大さを指摘している。しかし,このような事情は,そもそも民法158条の法意を及ぼすべき事情といえない。また,これらの事情は,従来,信義則違反あるいは権利濫用による除斥期間の適用を制限する事情として主張されてきたものであり,同判決自身が,「平成10年判決は,除斥期間の適用が信義則違反あるいは権利濫用であるという主張は,主張自体失当としているが,これは除斥期間と解する以上当然の結論であると考え」られるとし,除斥期間の適用を制限する事情にならないと判示した事情である。そうすると,同判決が掲げる事情によって,「著しく正義・公平の理念に反する」とすることは,明らかに最高裁平成1O年判決に反するものといわなければならない。
 
 (ウ) 東京地裁平成13年判決は,実質的には,被害の甚大さなどを理由として除斥期間の適用を否定したものに他ならないが,最高裁平成10年判決は,このような被害の甚大さを理由として除斥期間の適用を否定するものではない。
 この点について,東京高裁平成12年12月6日判決・判例時報1744号48ページも,「右判決(引用者注・最高裁平成10年判決)は,『不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6箇月内において右不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合』というきわめて限定された事実関係の下で,民法158条の規定の適用が時効の場合について可能であるのに除斥期間については不可能となることによる不均衡等をも考慮の上,文言どおりの法規の適用が法全体を支配する正義・公平の理念に著しく反するものと判断し,民法158条の定める期間の範囲内で権利行使をすることを許容したものであり,被害が甚大であること,あるいは権利行使が困難であることを理由として除斥期間の延長を容認するものではなく,そのようなことは除斥期間を定めた民法の趣旨に反するというべきである。」と正当に判示している。
 また,加害の悪質性や被害の重大性等を理由として,除斥期間の適用を制限すべきであるとの見解に対して,広島地方裁判所平成14年7月9日判決(乙第45号証)は,「加害の悪質性や被害の重大性等の点については,除斥期間制度を設けるに当たって当然に話題に上るべき事柄でありながら,この点に関わらしめる規定を民法自体が一切設けなかった(非人間的行為の最たる殺人についてすら全く触れていない)ことや,民法724条後段の趣旨からして,除斥期間の適用に関して考慮の対象外と解するのが相当であり,これらの事柄を根拠に除斥期間を適用の当否を論じることは,事実上被害者側の心情に流された恣意的な運用を招く弊害も懸念され,妥当とはいえない。」(同判決文208ページ)と指摘しているが,極めて妥当な指摘である。
 
 ウ 福岡地方裁判所平成14年4月26日判決について
 控訴人らは,民法724条後段の適用を制限した裁判例として,福岡地方裁判所平成14年4月26日判決(判例タイムズ1098号267ページ)にも言及する(控訴人ら第1準備書面73ページ)。
 この判決は,第二次世界大戦中に中国国内から日本国内に強制連行され,三井鉱山株式会杜が経営する炭鉱で強制労働に従事させられたとする中国人Xらが除斥期間である20年を経過した後,国(Y1)及び三井鉱山(Y2)を被告として損害賠償を請求した事案に関し,除斥期間の適用につき,「除斥期間制度の適用の結果が,著しく正義,衡平の理念に反し,その適用を制限することが条理にもかなうと認められる場合には,除斥期間の適用を制限することができると解すべきである。」という一般的基準を定立した上で,「前記本件強制連行及び強制労働の事情を考慮すると,Y2に対し,民法724条後段を適用してその責任を免れさせることは,正義,衡平の理念に著しく反するといわざるを得ず,その適用を制限するのが相当である。」と判示した。
 しかし,この福岡地裁判決に対しても,前記東京地裁平成13年判決に対する批判がそのまま妥当するというべきである。
 すなわち,この福岡地裁判決も,正義・衡平・条理という一般条項から除斥期間の適用を制限することができるとするが,前述のとおり,最高裁平成10年判決は,除斥期間の適用制限についてこのような一般的基準を定立したものではないのであって,最高裁平成10年判決が,一般的に,除斥期間の適用が「著しく正義・公平の理念に反する」場合には,その適用を排除できるとしたものと考えることは,明らかに判例の射程の理解を誤ったものといわなければならない。
 そして,この福岡地裁判決も,実質的には,被害の甚大さなどを理由として除斥期間の適用を制限したものにほかならない。前記のとおり,最高裁平成10年判決は,このような被害の甚大さを理由として除斥期間の延長を容認するものではなく,この福岡地裁判決も最高裁平成10年判決に違背することは明らかである。
 

 3 小括

 以上のとおり,民法724条後段の20年の期間の性質及びその適用制限に関する控訴人らの主張は,最高裁判例等を正解しないものであって,前提において失当である。
 


第3 条理に関する控訴人らの主張について

 
 控訴人らは,「条理に基づく謝罪及び損害賠償請求」と題して,控訴人らの条理に基づく損害賠償及び損失補償を排斥した原判決は,社会的正義に照らして到底是認されるものではないとして,原判決をるる論難する(控訴人ら第1準備書面82ないし101ページ)。
 しかしながら,控訴人らの上記主張は,実質的に従前の主張の繰り返しであって,その主張が失当であることは,被控訴人が原審被告準備書面(7)56ないし60ページで述べたとおりであるから,これを援用する。
 


第4 法例11条により準拠法となるとする中国民法に基づく請求について

 
 控訴人らは,「中国民法にもとづく謝罪及び損害賠償請求」と題して,本件につき法例11条1項は適用されないと判示した原判決をるる論難する(控訴人ら第1準備書面102ないし121ページ)。
 しかしながら,以下に述べるように,控訴人らの上記主張は失当である。
 

 1 国際私法の適用可能性について

 
 (1)本件で控訴人らが主張する被控訴人の加害行為は,正に国家の権力的作用であり,極めて公法的色彩の強い行為であって,国家の利害から切り離して考えることができず,かかる行為について,私法の適用を認め,私法規定の抵触の問題と捉え,一般抵触法規である法例を適用することはできない。
 公権力行使を伴う国家賠償という法律関係については,我が国の国家利益が直接反映される法律関係ということができ,国際私法の適用対象とはならないと考えるのが正当である(溜池良夫・国際私法講義31ページ参照,東京地裁平成10年10月9日判決・判例時報1683号77ページ,東京地裁平成11年9月22日判決・乙第46号証92ページ以下)。
 
 ア 現代の国際私法においては,国家と市'民社会とは切り離すことが可能であり,市民社会には特定の国家法を超えた普遍的な価値に基づく私法が妥当しており,これはどこの国でも相互に適用可能なものであるとの考えが国際私法の前提にある。
 たしかに,私法の領域でも国によって法の在り方が異なることはいうまでもない。しかし,一般的一性格に着目すれば,私法の領域では,国家利益に直接関係しないことから,一般に法の互換性が高く,このような私法の領域においては,連結点を介して準拠法を定めることに合理性がある。
 これに対して,国家の利益が直接反映され,'場合によっては処罰で裏打ちされることもある公法の領域については,国家間の利益が相対立し,特定の国家利益を超えた普遍的価値に基づく国家法なるものを想定することすることが困難であるため,特定の国家法を相互に適用可能とすることはできない。法の抵触という問題は,公法の領域についても生ずるが,上記で述べたとおり,一般的な法の互換性を前提とする私法の領域とは,その性質が大いに異なることから,公法の領域が国際私法の守備範囲から除外されることになる。このことは,国際私法の通説でもある(池原季雄・国際私法(総論)11ページ,山田一・国際私法15ページ)。
上記で述べたところからすると,国際私法が対象とする法律関係は,一般に法の互換性が高く,国家の利益に直接関係しない領域に属する法律関係(以下,「私法的法律関係」という。)にとどまるといわなければならない。そして,国家の利益が直接反映される法律関係(以下,「公法的法律関係」という。)は,国際私法の関係からは,公法の領域に属するものとして取り扱われることとなり,その対象外におかれるものといわなければならない。
 
 イ 上記の観点から,公権力の行使につき国家が賠償責任を負うか否かという法律関係を検討すると,このような法律関係は,公権力の行使の適否が判断の対象となるという意味で,公法的法律関係の側面を有することは明らかである。すなわち,公権力の行使の適否に関する判断が,その後の国行政権,立法権の行使,さらには,国民生活に対する国の機関の権限行使のあり方にも重大な影響を与えるものであって,当該国家の利益と密接な関係を有することは明らかであり,また,その適否が問題とされている公権力の行使について,当該国家の法律とは異なる適法要件を定める他国の法律によって,その違法性の有無が判断されるようなことは,当該国家の利益に反することも明らかである。
 我が国の国賠法をみても,公務員による公権力の行使を萎縮させないように公務員個人に対し求償できる場合を限定し(同法1条2項),外国人が被害者である場合は,相互保証のあるときに限って賠償する(同法6条)とし,私法の領域とは異なる特別の法政策が採られている。これらは,国家賠償の問題が国家の利害そのものと深く関係していることの証左である。特に,国賠法がかかる相互保証主義を採用したということは,公権力の行使に基づく