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[控訴人側] 第一準備書面

2002年(ネ)第4815号謝罪及び損害賠償請求控訴事件
控訴人(一審原告) 程 秀 芝  外179名
被控訴人(一審被告) 日 本 国
       

第1準備書面

2003年4月21日

東京高等裁判所第2民事部 御中

            控訴人ら訴訟代理人                
              弁護士   土   屋    公   献

              同   一   瀬    敬 一 郎

同    鬼   束    忠   則

同    西   村    正   治

同    千    田        賢

同   椎    野    秀   之

同   萱    野    一   樹

同   多    田    敏   明

同   池    田    利   子

同   丸    井    英   弘

同   荻    野         淳

同    山    本    健   一


 


目  次

第1章 原判決の不正義性と控訴審の課題

 第1 原判決に対する控訴人らの激しい怒り
 第2 原判決の「細菌戦事実及び国家責任」の認定と控訴審の課題 
 第3 本件細菌戦の加害行為の残虐性、被害の重大性について

第2章 日本民法に基づく謝罪及び損害賠償請求

 第1 本件細菌戦は、ジュネーブ・ガス議定書(1925年)を内容とする国際慣習法に違反し、
     民法709条ないし711条または715条の不法行為に該当する
  1 序
  2 不法行為の主体
  3 不法行為地
  4 違法性
  5 被害の発生と因果関係
  6 損害賠償請求権および謝罪請求権の成立
 第2 国家無答責の法理は、本件細菌戦には適用されない
  1 国家無答責の法理の確立は認められない
  2 本件細菌戦は、「適法な公権力行使権限」に基づかず「国家無答責の法理」は適用されない
  3 「国家無答責の法理」は外国での外国人に対する権力作用には適用されない
  4 ハーグ条約の国内法化によって「国家無答責の法理」は排除され適用されない
  5 「国家無答責の法理」は一法解釈にすぎず、現在の法解釈に基づき裁判すべき
  6 まとめ
 第3 時効・除斥の不適用
  1 時効は未だ完成していない
  2 本件細菌戦において時効・除斥期間の適用を制限すべきである
  3 除斥期間を適用しない近時の判例
 第4 「日中共同声明による解決」論について
  1 原判決の判断
  2 日中共同声明における「戦争賠償の請求を放棄」について
  3 結論

第3章 条理に基づく謝罪及び損害賠償請求

 第1 原判決は社会的正義に反する
 第2 条理の法源性
 第3 条理に基づく補償請求について
 第4 本件における条理の存在
 第5 条理に基づいた裁判例

第4章 中国民法にもとづく謝罪及び損害賠償請求

 第1 法例第11条1項が適用されないとの認定をした原判決の誤り
  1 原判決の誤り
  2 公務員の権力行為に際して他人に与えた損害の賠償責任の法的性格
  3 相互保証主義と国家賠償法の性格
  4 国際私法の適用
  5 結論
 第2 法例11条2項の適用はない
 第3 法例11条3項の適用はない
 第4 中国民法の規定とその適用関係

第5章 立法不作為による謝罪及び損害賠償請求

 第1 問題の所在
 第2 ハーグ条約第3条に基づく控訴人の国家責任の成立とその性質論
 第3 ハーグ条約第3条に基づく賠償請求権と日中共同声明における「賠償請求の放棄」について
 第4 ハーグ条約第3条に基づく個人の損害賠償請求権と日中共同声明
 第5 ハーグ条約第3条に基づく中国の損害賠償請求権と日中共同声明
 第6 被控訴人には被害者個人に対して立法上の救済義務が発生する
 第7 立法義務の不履行による立法不作為の成立
 第8 結論

第6章 行政不作為による事実調査・救済義務違反の不法行為

 第1 問題の所在
 第2 作為義務の発生要件
 第3 本件細菌戦における被控訴人内閣の事実調査・救済義務の不作為
  1 本件被侵害法益(倍加する精神的苦痛)の重大性
  2 住民の被害の拡大継続
  3 住民自身による被害除去の不可能性
  4 行政による被害拡大の予見可能性
  5 本件における事実調査・救済義務の発生と行政不作為の成立
 第4 結語

第7章 隠蔽による権利行使妨害の不法行為

 第1 問題の所在について
 第2 控訴人らの被侵害法益ないし権利について
 第3 被控訴人の本件隠蔽行為
 第4 結論

第8章 控訴人らの請求

 第1 謝罪請求
 第2 損害賠償請求
 第3 結語



第1章 原判決の不正義性と控訴審の課題

第1 原判決に対する控訴人らの激しい怒り

 1 昨年8月27日、原審・東京地方裁判所民事18部は本件731部隊細
菌戦裁判で原告敗訴の判決を言い渡した。本件細菌戦裁判は、日本軍による細菌戦を裁く裁判史上最初の裁判であったが、原判決は一審原告らが求めていた謝罪と賠償の請求を全面的に退けた。
 ここに日本の裁判所は、細菌戦被害者らが何十年も求め続けてきた日本国の謝罪と賠償を否定したのである。

 判決内容を聞いた控訴人らは、原判決に心底から怒った。控訴人らの気
持ちを伝えるエピソードを紹介したい。
 控訴人らの代理人である弁護団は、昨年11月に本裁判の細菌戦の被害地の一つである崇山村を訪ねた。
 弁護団滞在中の昨年11月4日、崇山村で東京地裁判決を報告する集会が開かれた。その集会には、崇山村からだけではなく、同じ浙江省の中の細菌戦の被害地・義烏市、衢州市、寧波市などからも一審原告らが参加した。
 村の中には野菜を洗ったり洗濯をしたりする大きな池があり、その側にある村の集会場の前が広場になっていて、そこに集まった1000人くらいの村人や各地の細菌戦被害者は一審判決の報告を聞き、また日本の裁判所や裁判官を思い思いに非難した。
 3時間くらい続いたその集会が終わってみんなが横断幕をたたんだり後かたづけをしている脇で、崇山村の村人の老女が日本の弁護士に近づいて話しかけてきた。話し始めて彼女が嗚咽しているのがわかった。とぎれとぎれに話された内容は弁護団に通訳して伝えられた。
 「日本の裁判官というのは何と冷淡な人達だろう。日本の有名な作家森村誠一が731部隊について何冊も本を書いたことは中国人も知っている。日本の裁判官なら、731部隊が中国人に人体実験をやって細菌兵器を開発していたことくらい、受害者たちが提訴する前から知っていただろう。裁判官の父や祖父の世代の日本軍が、わが中国の東北に満州国をでっち上げ、農地を強奪して731部隊をつくった。そして最後には731部隊は中国各地の街や村に細菌をばらまいた。本当に恐ろしいことだ。
 冷淡な日本人は、自分たちが中国人のようにペスト蚤を撒かれたらどう思うか想像してみるべきだ。貴方には、われわれ中国人にとって、あんな冷淡な判決は細菌戦をもう一度やられたのと同じなんだということが分かりますか。」
 こう語った崇山村の村人は、自分の父親と兄を日本軍の細菌戦のペストで殺された人である。彼女は一審原告ではないが、約400人の死者を出した崇山村では、家族か親戚には必ずペストの犠牲者がいる。
 その老人は小学校低学年と思われる孫を連れていたが、細菌戦の残虐な被害とそれを強行した日本軍の蛮行、さらに謝罪と賠償を否定した今回の東京地裁判決の不正義は永遠に伝えられていくであろう。

 細菌戦被害者が日本に求めた謝罪と賠償は正義そのものである。被害者
たちにとって、謝罪と賠償を否定した原判決は不正義そのものである。
 原判決が犯した間違いは深刻である。細菌戦を裁く最初の裁判が、逆に「第二の細菌戦」となったことを裁判官たちはよく知るべきである。

第2 原判決の「細菌戦事実及び国家責任」の認定と控訴審の課題

 原判決は、結論で被控訴人の法的責任を否定するものだったが、他面で、以下のとおり、旧日本軍731部隊等が陸軍中央の指令により中国各地で細菌兵器を実戦使用した事実を全面的に認定した。
さらに、原判決は、細菌戦の事実と共に、以下のとおり、当時、細菌戦が国際法に違反しており、被控訴人の国家責任が成立したことを認定した。
 控訴審裁判所においては、こうした認定に踏まえて議論を進めるべきと思料する。

1 原判決は、細菌戦の事実を全面的に認定
  (1) 日本軍の加害行為
 原判決は、「1940年から1942年にかけて、731部隊や1644部隊等によって」、衢県(衢州)、寧波、常徳にはペスト菌を投下し、江山にはコレラ菌を使用して直接攻撃し、「細菌兵器の実戦使用(細菌戦)が行われた」(原判決30頁)と認めた。

  (2) 伝播による細菌戦被害
 原判決は、「衢県でのペストは、義烏、東陽、崇山村、塔下洲のようにその周辺の地域にも伝播し、大きな犠牲をもたらした」(原判決31頁)と認定した。また「1942年3月以降、常徳市街地のペストが農村部に伝播していき、各地で多数の犠牲者を出した。」(原判決34頁)と認定した。このように伝播による被害の拡大が認定され細菌戦の残虐さが一層明確になった。

  (3) 細菌戦の命令指揮系統
 原判決は、「細菌兵器の実戦使用は、日本軍の戦闘行為の一環として行われたもので、陸軍中央の指令により行われた」(原判決34頁)ことを認めた。

  (4) 細菌戦の犠牲者
 原判決は、本件裁判の被害地8ヶ所全体の細菌戦による死亡者の数が1万人を超えることを認定した(原判決30頁ないし34頁)。

  (5) 細菌戦の残虐性
 原判決は、「ペストは社会形態を介して伝播し、人々を次々に死に追いやることから、差別とお互いの疑心暗鬼を招き、地域社会の崩壊をもたらすとともに、人々の心理に深刻な傷跡を残す。」「ヒト間の流行が治まった後も、病原体が自然の生物界で保存され、ヒトの間に感染する可能性が長く残存する。その意味で、ペストは、地域社会を崩壊させるだけではなく、環境をも長期間に渡って汚染する病気である」と認定した。また「コレラは、伝染力が強く、次々と死者が出ると地域社会において差別やお互いの疑心暗鬼を招くことも多い。」(原判決35頁、36頁)と認定した。

 2 原判決は、細菌戦被害への被控訴人の国家責任を認定
  (1) 日本軍の細菌戦の国際法違反性
 原判決は「もともと細菌兵器は、これが戦闘の目的と比較して不相当な性格のものであるとの従来からの少なくとも黙示的な共通認識を前提にジュネーブ・ガス議定書で明示的にその使用が禁止されたものと解され(当事国は125か国である。)、同議定書は1928年には発効したから、遅くともそのころまでには多数の国家の行態の中に同議定書に対する法的確信が確認されるに至り、もって同議定書を内容とする国際慣習法が成立するに至っていたものと認めるのが相当である。そして、前記認定の旧日本軍による中国各地における細菌兵器の実戦使用(本件細菌戦)がジュネーブ・ガス議定書にいう『細菌学的戦争手段の使用』に当たることは明らかである。」(原判決38頁)旨を判示した。
 このように、日本が中国で行った細菌兵器の実戦使用はジュネーブ・ガス議定書を内容とする国際慣習法に違反していることを認めた。

  (2) 日本の細菌戦被害に対する賠償責任
 原判決は「ジュネーブ・ガス議定書のような条約ないしそれを介して成立する国際慣習法による害敵手段の禁止もヘーグ陸戦規則23条1項にいう『特別ノ条約ヲ以テ定メタル禁止』に該当すると解するのが相当である。したがって、ジュネーブ・ガス議定書を内容とする国際慣習法による細菌兵器の禁止に違反した場合にもヘーグ陸戦条約3条の規定を内容とする国際慣習法による国家責任が生ずるというべきである。」と述べて、次に本件に関して「被告には本件細菌戦に関しヘーグ陸戦条約3条の規定を内容とする国際慣習法による国家責任が生じていたと解するのが相当である。」(原判決39頁)と認定した。
 このように、日本が中国で細菌戦を行ったことについて、細菌戦被害者が受けた損害を賠償するというハーグ陸戦条約第3条を内容とする国際慣習法による国家責任が被控訴人に成立したことを認めた。

第3 本件細菌戦の加害行為の残虐性、被害の重大性について

 原判決は、上記2、3のとおり本件細菌戦の事実を認定し、かつ、細菌戦が国際法に違反し、被控訴人の国家責任が成立していたことを認めながら、最終的には控訴人らの謝罪と賠償の請求を全面的に退けた。
 この原判決の重大な誤りを検討する際、その前提となる本件細菌戦の加害行為の残虐性、被害の重大性について、原審第18準備書面第1部第6章及び第2部第7章で詳述したが、以下4、5で指摘したい。

 1 細菌戦は、ホロコーストに比すべき残虐で非人道的な犯罪行為
(1) 旧日本軍731部隊などの細菌戦部隊が中国各地で行った細菌戦は、決して戦争犯罪という言葉だけでは言い尽くせない、実におぞましい悪魔の所業というべきものであった。
 細菌戦のために軍医を集めて秘密部隊を創り、その細菌戦部隊の中でペスト菌を生産し、鼠をペストに感染させ、ペストに感染した昆虫の蚤を大量生産し、空中から人の住む街や村に投下するという、空中から戦闘とは全く無関係の一般住民をペストやコレラなどの疫病に感染させ、その地域一帯に疫病を大流行させるという行為は、細菌兵器開発のための人体実験も含め、作家森村誠一が名付けたとおり、「悪魔の飽食」を彷彿とさせる。
 明らかに戦争という日本が中国で行った細菌戦の残虐さ、非人道的は世界史的にみてドイツ・ナチスが行ったホロコーストにも比すべき、残虐で非人道的なものであった。
 典型的なジェノサイドであり、中国の一般住民に対する大量無差別虐殺行為である。本質的に言うならば、まさに細菌戦は、ナチスが犯したアウシュヴィッツ等での毒ガス等によるユダヤ人・ポーランド人などの民族抹殺的な大量虐殺行為と何ら異ならない、人類史上最も残虐な行為なのである。

(2) 細菌戦部隊の本質は、日本帝国主義の中国東北地区の植民地支配(傀儡「満州国」のでっち上げ)の残虐性と中国侵略戦争の民族差別的特質にある。農地を強奪して細菌兵器製造施設を建設し、農民を労工として強制労働させ、更には抗日派を含む中国人を特別監獄に投獄して生体実験の材料とした。これらは植民地支配の故に可能だった。また大量殺戮を企図した細菌戦の民族差別性は明白である。
 実は、日本が細菌戦部隊の事実をいまだに認めない動機は、中国植民地支配の残虐な実態が暴露されることへの恐れ、国策として中国に対して民族抹殺を含む民族差別政策をとってきたことが暴露されることへの恐れにあったのである。

(3) 731部隊は、細菌戦によって、明らかに軍事的拠点でもなく、また軍事的目標も存しない中国の普通の一地方都市や農村に対して、戦闘機からペスト感染蚤を投下せしめ、あるいは地上で謀略的な手口をもちいてコレラ菌入りの食物を食べさせるなどして、平穏に暮らす中国の民衆を大量に虐殺したのであった。
 このような731部隊などの日本軍の細菌戦部隊が行った細菌戦の残虐さは、ナチスのアウシュヴィッツの残虐さに優るとも劣らない、実に恐るべき残虐行為と言わなければならない。
 このような集団殺害行為は、当時から国際法上の人道に対する罪に該当し、また現在の国際法上の概念ではジェノサイドにも該当するものである。
 細菌兵器は、少量が使用されても大きな破壊力を有する潜在力をもっている。その破壊作用は長期間にわたり、一度おさまっても、再び三度流行することもある。
 細菌の大量培養による細菌兵器は、第一次世界大戦中、ドイツで開発が着手されたが、細菌兵器の本格的な開発、製造、実戦使用を行ったのは日本軍の731部隊などの細菌戦部隊がはじめてである。
 細菌兵器は、その開発過程において不可避的に残虐な生体実験を内包する。

(4) 731部隊は、1933年、日本が植民地支配を行っていた旧「満州国」ハルビン市郊外の平房に接収した610ヘクタールの広大な土地に本部を置き、各種細菌の培養・製造室、蚤・小動物(細菌媒体)の飼育室、特殊監獄、専用飛行場、宿舎等の大規模施設を建設して、チフス、コレラ、赤痢、ペスト、炭疽、凍傷などの研究・培養を行った。その際、常時200人から400人の「マルタ」すなわち捕虜を生体実験に用いて前記各種の細菌を培養し、細菌兵器を開発・製造したのであった。
 細菌戦がもたらす被害の特徴は、その無差別性と致死率の高さにある。731部隊の用いた細菌兵器は、致死性の高いペスト菌またはコレラ菌である。これらの細菌が引き起こす病気は激しく、長期間流行する。一家族、一地域の大半が全滅する例が多い。
さらに細菌戦のもたらす被害の特徴は、伝播により被害範囲がどんどん拡がるということにある。被害範囲は、人や鼠の蚤を介した病原菌の伝播により、直接の攻撃対象地区にとどまらず、周辺の地域にどんどん拡がっていく。
 日本軍は、平房などで行われた大量の捕虜を使った人体実験によって開発された細菌兵器を、戦争史上初めて、大規模に実戦使用したのであるが、生体実験の残虐さと、細菌戦の残虐さは、表裏一体をなすものである。

 2 本件細菌戦による被害の重大性
  (1) 細菌戦による都市、村での疫病の流行
 日本軍は、細菌戦の実行で、生体移植により毒性を強めたペスト菌、コレラ菌等を大量に生物兵器として生産・使用し、中国全土の村や都市の住民間にペストなどの疫病を流行させた。狙いは非戦闘員たる住民の大量虐殺にあった。このような日本軍による細菌戦は、中国民衆に対する徹底した民族差別と排外主義に基づくものであった。
 日本軍による本件細菌戦が行われている最中、1942年3月に関東軍軍医・牧譲軍医中佐は、「細菌戦について」という講演の中で、「全般的には兵站に絡んでいることになる都市を攻撃して、都市をひどい目に遭わす。これは将来相当やられる問題であります。軍隊関係のものには、直接しないで大きな都市に伝染病を流行らしてゆく」「細菌戦の狙い所の一つは、後方を混乱せしめて精神上に困ったことになったと言うような観念を敵に与えることで、大きな都市をうんとひどい目に遭わすということがある訳であります」と述べている。
 牧はこの他に攻撃対象として、軍隊、物資の兵站補給地、軍事要塞、水道水源地、軍需工場、牧畜や農産物扱い所をあげている。
 細菌兵器は、人間、家畜、農産物など、生命あるものだけを殺傷する、最も残虐な大量殺戮兵器である。日本軍は、無差別に大量の住民を虐殺する、人類史上、最も残虐で卑劣なジェノサイドを中国民衆に対して行ったのである。

(2) 被害者は一般住民である
 控訴人らの肉親たちは、都市あるいは農村の住民であったが、731部隊の細菌兵器により、ペスト、コレラなどに感染し、あるいは汚染地区からの伝搬により感染したことにより、もがき苦しんだ後死亡した。あるいは控訴人ら自身が罹患した。
 また、ペスト流行地域は、寧波などの例に明らかなように、疫区として封鎖され外出禁止となり、1人でも病人が出ると家族全員が隔離の対象となった。いったん隔離所に入ると生還する望みを絶たれるも同然であった。罹患すると医師すら恐れて治療を拒否した。患者は脇の下や鼠径部のリンパ腺が腫れ上がり高熱と乾きに苦しみぬいて短期間のうちに死亡した。
 さらに、彼らの家屋は、寧波、義烏、崇山村の例のように、防疫のため焼燬・破壊された。
 また細菌戦部隊は、作戦後、被害地区に「防疫」の名目で入り込み、その疫病に苦しむ住民を生体解剖して、細菌戦の効果を確かめるなどした。
 このように、細菌戦の被害を被った中国民衆は、筆舌に尽くしがたい苦しみを受けたのである。

(3) 高い致死率と鼠、蚤、人を介しての強い感染力
 細菌兵器に使用されるペスト菌は、感染経路によって、腺ペストや肺ペストなどの症状を呈する、非常に強烈な病原体である。
 腺ペストは、蚤などを通して菌が人体に入り感染する。熱と悪寒がして虚脱状態を呈する。そして炎症性のはれものがリンパ腺にできる。とくに足に菌が入ることが多いので鼠けい部のリンパ腺にできる。
 肺ペストは、泡沫伝染で菌が呼吸器官に入って、肺炎に似た症状を起こす。泡沫喀痰に大量の菌がある。
 ペストにかかると、2、3日で死亡する。出血がひどく、死体は黒色を呈するので黒死病といわれる。どんどん伝染し、伝染が始まると、これを撲滅するのが難しい病気である。伝染病の中では死亡率が最も大きい。
コレラは、消化器官を冒す病気である。おう吐・下痢の非常に激しいもので、腹痛、けいれん、虚脱を引き起こすといった特徴がある。コレラ菌は、水や食物から口に入ってくる。とくに魚介類が汚染されて伝播する場合が多い。
 コレラも死亡率が高いうえ伝染力も非常に強い病気である。

(4) 治療など防御方法の困難さ
細菌兵器は、爆弾のように、いつどこに何が使用されたかということがすぐには判明しない。病気が流行しても、細菌兵器によるものか否かが直ちに判明するわけではない。
 しかも、細菌兵器に用いられた病原菌は、人に感染しても潜伏期間があるため、原因究明が遅れる。病気が発生しても、個体差があるため、使用された病原菌の特定が容易ではない。
 寧波においては、1940年10月27日、日本軍の飛行機が大量の小麦粉や麦粒を投下した後、市内でこれまで見たこともない真っ赤な蚤が大量に飛び跳ねているのが発見された。10月30日初めての死者が出た後、患者が続々と病院に駆けつけたが、最初、悪性マラリアか横根と誤診された。
 最悪の伝染病であるペストの確実な診断とその公表は、いかなる医者も事の重大性を認識しているがゆえに、慎重のうえにも慎重を期す。最初にペスト菌が発見されたのは、11月2日になってからであった。
 同日、県政府と予防委員会は、汚染地域の封鎖を決定したが、それほど厳重なものではなく、汚染地域からは逃亡者が続出した。その後消毒作業が行われたが、11月末に汚染地域の建物は焼却された。
例えペスト菌が発見されたとしても、感染を防ぐことは難しい。ペストの被害は直接に撒布された地域に限定されず、人や鼠を媒体として各地に拡がった。
 例えば、控訴人らのうち義烏、東陽、崇山村、塔下州のペスト被害は、衢州に投下されたペスト被害が拡大したものであり、また、常徳の場合も、市街地から、周辺農村地区へペスト流行は伝播している。
しかも、ペスト菌は、1回病気の流行が下火になっても、感染した鼠がいると再流行する。鼠に付着した蚤の行動する時期になると、再度、流行することになる。感染した鼠を撲滅するのは困難で、何十年と長期化する。

  (5) 自然環境の破壊
このように病気が発生すると、治療が困難で、感染した人を隔離して、感染を拡げないようにしたり、家屋、建物類を焼却することが、最善の防御方法になる。
 しかし、感染を防いだり、病原菌を完全に撲滅することは不可能で、一度被害にあうと、その影響は長期間にわたって、人間社会のあらゆる側面に及ぶ。
 細菌戦による被害は、人間の命を奪い、衣食住の環境を汚染し、さらに、人間が生きるための条件である広範な地域の自然環境の汚染となって、地域住民に影響を与える。

  (6) 地域社会を破壊
 こうした環境破壊とともに、細菌戦の被害は、人間の社会的関係の破壊となって影響を与える。隔離されたり、封鎖された地域の人々は、例え病気が治癒したとしても生活の手段を奪われる。また、伝染病が流行した地域は、長期間にわたって、不潔で危険な地域とみなされて、差別される原因になる。
 伝染病は、人々を隔離したり疎開させたりすることによって、人と人の交流を困難化させ、生き残った人の生活をも破壊していくのである。
 細菌戦の残虐性は、伝染病によって人々を殺傷し、パニック状態に落とし込めるというだけでなく、長期間にわたって、地域社会を根底から破壊していくという点にある。控訴人ら、細菌戦の被害地住民にとって、細菌戦による被害は、戦争一般による被害には解消できないものである。控訴人ら被害者にとって、何十年経とうと、その受けた被害を癒されることはないのである。

  (7) 以上の通り、日本軍による細菌兵器を使ったジェノサイドの被害は、ナチスのアウシュビッツでの残虐さと同罪であり、過去に例がないほどの残虐なものであった。

 3 以上のように、本件細菌戦が人類史上、最も残虐で卑劣なジェノサイドであり、控訴人ら被害者の被った甚大な被害を踏まえて、原判決が細菌戦の事実を認定し、かつ被控訴人の国家責任を認めながら、控訴人らの請求を退けた法律論について、次章以下で、逐次、反論を加える。


第2章 日本民法に基づく謝罪及び損害賠償請求

第1 本件細菌戦は、ジュネーブ・ガス議定書(1925年)を内容とする国際慣習法に違反し、民法709条ないし711条または715条の不法行為に該当する

 1 序
 日本民法709条は、故意または過失により他人の権利を(違法に)侵害した者は損害賠償責任を負うことを定めているが、本件細菌戦こそ、この不法行為そのものである。

 2 不法行為の主体
 本件における直接の違法行為は、1940年から1942年にかけての、被控訴人による中国大陸における細菌戦の実行であるが、この違法行為は、被控訴人の軍隊がその指揮系統にしたがって遂行した戦争行為であり、被控訴人そのものの行った行為である。
 よって、本件における違法行為の主体は、被控訴人である。
 仮に、違法行為の主体を旧日本軍構成員としても、被控訴人は使用者責任を負う。

 3 不法行為地
 本件細菌戦の実行は、天皇の了解のもとに、陸軍中央が指示し、陸軍参謀本部及び陸軍省の作戦計画指導(人材の派遣、予算の支出を含む)によって実行された行為である。また細菌戦の実行のための研究、開発、武器製造は、中国現地における731部隊等とともに、日本本土においては陸軍軍医学校が密接な連携をとりながら準備したものである。
 このように本件細菌戦における加害行為は、日本における作戦計画の立案、人材の派遣、予算の支出、細菌戦の研究、開発及び作戦指導と中国現地における細菌戦の研究、開発、実行が一体となった行為であり、不法行為の原因たる事実が発生した地は、その中心が日本であると言える。

4 違法性
 前章で述べたとおり、原判決は、本件細菌戦がジュネーブ・ガス議定書を内容とする国際慣習法に違反していることを認定し、かつ、被控訴人に、細菌戦被害者が受けた損害を賠償するというハーグ陸戦条約第3条を内容とする国際慣習法による国家責任が生じていたことを認定した。
 いかに戦争行為であろうと、ペスト菌等の病原菌を空から散布し、あるいは地上から井戸水等に混入し、敵国住民の無差別大量殺戮を狙った行為は、すでに当時から禁止され、正当化されるはずはなく、この行為の責任を免れるいかなる法理も存在しない。
 このように、本件細菌戦の違法性は明白である。

5 被害の発生と因果関係
 被控訴人は、上記細菌戦の研究、開発、実行によって、控訴人らの親族である原判決別紙3「原告らの主張」の別紙「原告及び死亡親族」の「死亡者」欄記載の被害者に対し生命を奪い、また被害者本人である控訴人7名(控訴人番号139、145ないし148、154、172)の身体を侵害するなどして、他人の生命、身体、財産権を侵害した。
 上記の控訴人らまたは控訴人らの親族が、本件細菌戦により被害を受けたことはすでに原判決が認定したとおりであり、被害の事実、行為と被害の因果関係は明白である。

 6 損害賠償請求権および謝罪請求権の成立
 以上により、控訴人らは、被控訴人に対して、民法709条ないし711条または715条に基づいて損害賠償請求権、及び723条に基づいて謝罪請求権を有する。
 以下、控訴人らは、@本件細菌戦には「国家無答責の法理」が適用されないこと、A時効・除斥が適用されないこと、B日中共同声明及び日中平和条約で被害者個人の賠償請求権が放棄されていないことにつき詳述し、原判決の誤りを指摘する。

第2 「国家無答責の法理」は、本件細菌戦には適用されない

 1 「国家無答責の法理」の確立は認められない

 (1) 原判決の誤り
 原判決は、「戦前においては、公権力の行使による私人の損害については、国の損害賠償責任を認める法律上の根拠がなく、そのことは公権力行使についての国家無答責の法理を採用するという基本的法政策に基づくものであったから、公権力行使が違法であっても被告はこれによる損害の賠償責任を負わないものと解するのが相当である。原告らの主張する本件細菌戦も、国家賠償法制定前の被告の権力的行為であるから、当時の法令に従って、これによる民法709条、710条、711条に基づく損害賠償責任は否定せざるを得ないものというべきである。」(原判決24頁)と判示する。
 しかし、国家無答責の法理は、法律の規定ではないし、確定的な法理ではない。
 この点、原判決は、「戦前の大審院判例は、非権力的作用については民法の適用により国の損害賠償責任を認めてきたが、公権力の行使(権力的作用)による損害については一貫して国の賠償責任を否定していた」(原判決22頁)と、判例理論として国家無答責が成立していたかのように判示する。
 しかし、判例は個別の事例に即した解釈に過ぎない。そもそも、国家責任を肯定した判例の中で、本件細菌戦のような国際法違反の権力作用に関する個別事例は存在しないのである。
 国家無答責の根拠は、明治憲法61条で権力行政については司法裁判所の管轄を否定し、行政裁判法16条で損害賠償事件を受理できないとしたことによる。
 しかし、民法の規定中に、国の賠償責任を否定した規定はどこにもないし、実定法上は、国家無答責の法理を明記した成文法(実定法)は存在していない。そして、実際にも、国の賠償責任について司法裁判所の管轄権は否定されなかった。戦前においても国家無答責が確定した法理として成立していたわけではないのである。

 (2) 判例理論として、国家無答責の法理の確立は認められない
ア 行政上の不法行為責任に関する裁判例は、明治22年に明治憲法が制定されてから、裁判所の判例を積み重ねる中で、様々な分野で国及び公共団体の損害賠償責任を認めてきた。
 以下、裁判例の概要を述べるが、判例は行政上の不法行為責任を認める分野を拡大し、公権力の行使(権力的作用)による損害についても、民法を適用して損害賠償責任を認める判決があり、国及び公共団体の賠償責任を否定する国家無答責の法理が確立されていたとは到底言えない。
 またそもそも、行政上の不法行為責任を認めない判例において、国家無答責の法理で損害賠償を否定する根拠が曖昧である。国家無答責の法理は、公権力の行使が天皇の主権の行使で神聖にして侵すべからずというところから論拠づけられた解釈理論の一つにすぎず、その正当性、合理性は見いだしがたい。
 裁判例についての詳細は、当時の判例分析の論文である「判例より見たる行政上の不法行為責任」(昭和12年発表。田中二郎『行政上の損害賠償及び損失補償』29頁、酒井書店)及び「行政上の損害賠償責任」(昭和21年発表。前同書87頁)を参照されたい。

イ 明治期から、国等の私経済的活動に関する賠償責任を認めていた
 明治憲法成立後の早い段階から、国の私経済的活動である鉄道、電車、自動車については、営利事業としてとらえ、国または公共団体の不法行為責任を認めていた。
 鉄道工事の瑕疵に基づく責任については、大審院明治31年5月27日判決(民録4輯5巻91頁)等で、多数認められている。
河川改修工事(大審院明治29年4月30日判決、民録2輯4巻117頁)、道路改修工事(大審院明治40年2月22日判決、民録13巻148頁)については、国が公共の利益と安全のためにする権力行為であるから不法行為にはならないとしていたが、必ずしも一致していたわけではない。
 水利組合が隧道を設けた際に、その工事が完全ではなかったため寺院本堂の地盤を亀裂させ損害を与えた事案につき損害賠償責任を認めた(大審院明治39年7月9日判決、民録12輯1096頁)。

ウ 大正5年判決以降、国等の施設の設置管理等に関する賠償責任を認めた
 大正5年、徳島市立小学校の腐朽した遊動円棒で遊戯中の児童が墜落して死亡したことに関する小学校の管理作用について、大審院判決(大審院大正5年6月1日判決、民録1088頁)は、従来の「公法上の行為」を権力的作用と非権力的作用に分類し、非権力的作用には民法を類推適用するという新しい方向を示した。
 その後、鹿児島市の水道工事に関する大審院大正7年6月29日判決(民録1306頁)、鹿児島市の下水道設備の瑕疵に基づく損害に関する大審院大正13年6月19日判決(民集3巻295頁)、国の築港工事において人工石に汽船が乗り上げて破壊沈没する事件に関する大審院大正7年10月25日判決(民録2062頁)、税関倉庫の設置の瑕疵による死亡事件に関する東京控訴院大正5年2月28日判決(評論6巻民467頁)、水利組合の灌漑排水の設備が個人の水利権を侵害した事件に関する大審院大正14年12月11日判決(民集4巻706頁)は、国又は公共団体に対する賠償責任を肯定した。
 これらの判例の積み重ねにより、公の工作物の設置または保存の瑕疵に基づく損害については、大審院は民法の賠償責任を肯定するようになる。

エ 大正末から昭和の初め、軍施設、学校等に関する賠償または賠償責任等を認めた
 軍艦の修復工事中に職工の墜落工事につき工事監督者の重大な過失を理由として遺族が国に対して損害賠償を請求した事件に関する広島地裁呉支部大正13年6月5日判決(新聞2282号)、国策会社の満鉄附属地の小学校のスケート指導の過失により死亡した事件につき満鉄に対して損害賠償を請求した関東高院上告部昭和7年7月20日判決(新聞3539号)は、満鉄の使用者責任を認めた。
 このように、軍施設軍艦修復工事監督者、小学校の指導者等の使用者責任を認めた。
 また、陸軍傷病兵療養所用鑿井工事により温泉の利用権侵害されたことを理由に妨害排除仮処分を申請し認容され、国が、鑿井工事は国家の公法的行為であり、かつ正常の権利行使であり不法行為を構成しないとして上告した事件につき、大審院昭和7年8月10日判決(新聞3453号)は、「違法なる行政作用により第三者の権利を侵害したる場合なるとにより異なる所なし。蓋し不法行為の責任は其の行為者の何人なるやにより之を区別せざるを以てなり」と判示し上告を排斥した。
 これは、不法行為者が国家であろうが私人であろうが区別されないとして、民法の不法行為責任を認め妨害排除請求処分を認容したものである。
 軍施設、学校等に関する行為は、当時は公権力の行使(権力的作用)といえるものであり、公権力の行使(権力的作用)による損害についても、民法を適用して損害賠償責任を認めるようになった。

オ 昭和10年代、権力的作用に関する賠償責任を認めた
 昭和10年代になると、財政権の公権力行使である出納事務に関する賠償責任を認める判決が出てくる。
 すなわち、町村収入役が水利組合の金銭出納事務中、権限なくして借用証書を作成し金員を受領し銀行に損害を与えた事件に関する大審院昭和11年4月15日判決(新聞3979号)、収入役が村長名義の借用証書等を偽造して金銭を詐取した事件に関する大審院昭和12年10月5日判決(全集4輯19号5頁)、町長のなした不正借入に関する大審院昭和15年2月27日判決(民集19巻6号441頁)は、水利組合または町村の賠償責任を認めた。

カ 昭和15年及び16年、千住町流しタクシー差押事件大審院判決
 a こうした中で、公権力の行使(権力的作用)そのものである徴税滞納処分についても、大審院判決は、千住町流しタクシー差押事件において損害賠償責任を認めている。
 滞納処分として自動車を差押え安値で処分したところ、その自動車は第三者の自動車であり損害を与えたとして、自動車の所有者が東京市及び担当吏員、元町長を被告にして損害賠償を請求した事件につき、第二審裁判所は、「徴税滞納処分が公法上の国権行為なる以上民法不法行為の規定の適用なく、しかもかかる行為に因る損害につき当該吏員に賠償責任を負担せしめたる法規なきをもって」請求を失当とした。
 しかし、昭和15年1月、大審院は、「差押並びに公売は滞納税金の徴収に必要なる限度に於て之を実施すべく、特別の理由なくして其の必要以上に出で著しく多額の財産を差押え並びに公売するが如きは、徒に滞納者に苦痛を与えんが為めの行為と目するの外なく、滞納処分として之を許容すべき理由を発見せず。故に町村吏員が滞納処分の際之等の行為に出でたりとせば、名は滞納処分なれども実は職権濫用にして寧ろ職権行為に非ざるものと謂うべく、従って不法行為上の責任を免れざるもの」(大審院昭和15年1月16日判決、民集19巻1号20頁。下線は引用者)と判示して破棄差戻の判決をした。
 これは、権力的作用について、損害賠償責任を認めたものである。
 b 差戻しを受けた第二審裁判所は、大審院の判例に沿って被告3名の責任を肯定した。すなわち、吏員に対し、「名は滞納処分なるも実は不法行為と認むるに妨げなし」と判示し、東京市及び元町長に対し、吏員の「本行為は外形上町税滞納処分の形式をもって為されたるのみならず主観的にも町税徴収の目的を似て為されたるが故に、本件損害は民法715条に所謂事業の執行に付第三者に加えたる損害と謂うに何等妨げなし」(下線は引用者)と判示し、権力的作用における市、元町長の損害賠償責任を認めた。
 これに対し、東京市は、本件滞納処分は権力的公権行為であり、かかる公権行為に対しては民法不法行為法の規定の適用がないことは従来の大審院判例とするところと主張して上告した。
 c 大審院は、吏員の上告を棄却し賠償責任を認める一方、原判決中、東京市、元町長敗訴の部分を破棄し、東京市、元町長に対する賠償請求を棄却した。
 すなわち判決は、「官吏又は公吏が国家又は公共団体の機関として職務を執行するに当たり不法に私人の権利を侵害し之に損害を蒙らしめたる場合に於て」(大審院昭和16年2月27日判決、大民集20巻2号118頁)、担当吏員には不法行為責任が認定されるとして、吏員の上告を棄却し損害賠償を認容した。
 一方、同判決は、「吏員に不法行為上の責任あればとて、公共団体たる千住町には不法行為上の責任を生ずることなく」と判示し、公共団体に民法715条を適用しない理由を述べることなく、原判決中、東京市及び元町長に敗訴を命じた部分を破棄し両名に対する原告請求を棄却した。
 このように、権力的作用について官吏の賠償責任を認めながら、公共団体には民法を適用しない合理的理由は、判決は「その職務行為が統治権に基づく権力行動に属するものなるときは、国家又は公共団体として被害者に対し民法不法行為上の責任を負うことなきものと解せざるべからず」と述べるだけで具体的には明らかにされなかった。このように、国家無答責の法理で損害賠償を否定する判決は、その根拠が極めて曖昧である。
d これに対し、上記差戻し大審院判決につき、学会からの強い批判があった。すなわち、三宅正男は、「判旨は……その結果は必ずしも我々の法感情を満足せしむるものではない。」「私権の侵害が違法に為された場合に私法規定に従って公法人に対する賠償請求を許すことが権力的作用の本質をどれだけ害するものであろうか」「権力的作用に依る公法人の賠償責任を−非権力的な公行政の場合と区別して−私法の範囲から排斥せねばならぬ実質的理由は存しない」(民法判例研究会『判例民事法(昭和16年度)』37頁)と批判した。
 e このように、徴税滞納処分という権力的作用についても、第二審裁判所→大審院→差戻後第二審裁判所→大審院と、公法人の損害賠償責任を認め、また否定するなど、判例の姿勢は、「一貫して国の賠償責任を否定」しているとは到底言えない。しかも、最終の大審院判決においても、吏員に対する損害賠償責任は認めているのである。

 キ 以上のとおり、明治憲法下の判例は、判例の集積の中で、様々な分野
で国及び公共団体の損害賠償責任を拡大してきたのであり、原判決が述べるような「戦前の大審院判例は、非権力的作用については民法の適用により国の損害賠償責任を認めてきたが、公権力の行使(権力的作用)による損害については一貫して国の賠償責任を否定していた。」(原判決23頁)とは全くいえないのである。
 むしろ、権力的作用も含め、国家無答責の適用の基準は曖昧であり、公権力の行使による損害について明確な基準をもって国及び公共団体の賠償責任を否定する国家無答責の法理が確立されていたとは到底言えない状況であった。
 国家無答責の法理は、天皇主権の明治憲法下での一法解釈にすぎない。そもそも判例は、国家無答責の法理の根拠を明確に示したことはなく、判例にその正当性、合理性は全く見いだしがたい。
 (3) 当時の学説としても国家無答責の法理の確立は認められない
  ア 美濃部達吉説
 戦前の学説の状況をみると、行政の不法行為責任に関して、私法である民法の適用がないという見解を採っていなかった。
 民権学派の美濃部達吉は、国民の権利救済を確保するためには、私法の領域を拡張しようと主張していた。
 大正13年発行の『行政法撮要』で、「公益の為にする事業に付ては公益上の必要ある限度に於て民法の適用を排除すと雖も、少くとも不法行為に基く損害賠償の問題に関しては国家又は公法人の事業に付ても之を私人の事業と区別して其の適用の法律を異にすべき理由なく、此等の事業の施行に関し不法に他人に損害を加へたる場合に於ては国家又は公法人は当然民法に依り損害賠償の責に任ずべきものなり」(美濃部達吉『行政法撮要』上巻150頁、有斐閣。下線は引用者)と述べ、国家の事業についても、経済的関係を主眼とするものについて、損害賠償を認めることを主張していた。
 前述した徳島市遊動円棒事件の大審院大正5年6月1日判決は、かねてからの民権学派の主張が取り入れられたものであった(鵜飼信成『行政法の歴史的展開』有斐閣114頁)。

  イ 田中二郎説
 田中二郎は、昭和8年に、国家賠償責任について、「惟ふに、従来、国家の名に於て又は公共の利益の名に於て、法律上国家責任に付て特殊の理論構成を与へんとする傾向は一応理由ある所ではあらう。併しながら問題は、結局国民全体の負担に於て具体的の個人の特別の犠牲を償ふべきか、それとも個人の特別の犠牲を国民全体の利益の為めに、已むを得ざる犠牲として之を甘受せしむべきかの選択の問題であり、その何れがより正義なるかの利益衡量の問題に帰することを考へねばならぬのである。」「その損害が公権力の作用に基くものなりとする理由のみを以て、国家の賠償義務を否定し去ることが果して正当なりや疑はざるを得ない。」「其の損害が権力的作用に基づくか、非権力的作用に基づくかは公平負担の原則からは、特に区別する必要を見ないのである。」「私は、公法上の特別の規定なき限り、経済生活に関する基礎規律たる民法に於ける原則が、公法の領域にも類推適用さるべきものと解するのが正当ではないかと憶測する。」(法事時報5巻7号、田中二郎『行政上の損害賠償及び損失補償』酒井書店24、25頁。下線は引用者)と述べ、個人の損害が公権力の作用に基づくものとする理由だけで、国家の賠償義務を否定することを批判していた。

  ウ 渡邊宗太郎説
 渡邊宗太郎は、昭和10年発行の『日本行政法』上で、「公務上の過失は公務の性質上その存在を否認し得ないものであるとすれば、国家行為が自然人の行為以外に存し得ない限り、かかる過失に因る違法行為は尚機関行為としての品質を否認せらるべきものでなく、従ってその行為の効果が国家に帰属せられるべきものであることは違法なる機関行為における場合と異なるところはない。」「国家が自己の違法行為に依って私人に財産上の損害を加えたる場合には固より国家はそれを賠償する義務を負担する。私人の利益が法に依って権利として保護される以上、それの違法の侵害あるときにはその行為者の何びとであるを問わず原則として私人はその損害の賠償を請求し得べく、行為者は之を賠償すべき義務を負う。特別の法の規定なき限り国家と雖も当然にこの義務から免除せられると為すを得ないのである。而してこのことは国家の違法行為が公法行為たると私法行為たるとに依って、また権力行為たると対等行為たるとに依って異なるところはない。唯かかる違法行為が国家の公法行為に属するときには、当該行為主体たる行政官庁が国家の賠償義務を履行しない場合に現行法上尚之に対して義務の履行を強制する救済手段が存しない。併しかかる救済手段の存しないことは理論上賠償義務の存在を否認することの根拠となり得るものではない。」「私人が官吏の個人的行為に依って権利を侵害せられる関係は私法関係に属するが故に、官吏たる個人が義務を履行しない場合には、私人は民事訴訟手続に依ってその救済を求むることを得る。私人は官吏自身の資力を以てしては完全にその損害を賠償せられ得ないことがあり得る。かかる場合には私人は虞らく当該官吏の監督官庁を通じて国家に対してその不足額の賠償を請求することを得る。而してこの場合の国家の賠償義務の根拠は当該官吏の行為が国家自身の行為と看做されることに在るのではなくして、かかる違法行為を行う者を国家が官吏として選任したること、及びかかる官吏の執務の監督を国家が怠りたることに在るのである。而かも右の国家の賠償義務が不足額を限度とする補充的性質のものであること、及び国家と官吏との関係そのものは常に公法関係を構成するものであることから、右の理論が民法第715条の適用であり得ないことはいうを俟たない。又国家が右の補充的賠償義務を履行したる場合に官吏自身に対して求償権を行使し得るものではないことは、これが自己の行為に対する責任であることから明らかである。」(渡邊宗太郎『日本行政法』158〜162頁。下線は引用者)と述べて、国民の損害が権力的作用に基づくか、非権力作用に基づくかは区別する必要がないので損害賠償を認めるべきと論じた。

 エ 三宅正男説
 三宅正男は、「私権の侵害が違法になされた場合に私法規定に従って公法人に対する損害賠償を許すことが権力的作用の本質をどれだけ害するものであろうか。」「国家の賠償責任を認めることは損害を国民に分配する結果となり、通常の場合の不法行為による損害賠償と異る性質をもつが、だからといって、不法行為による国家の責任を排斥する必要は存しない。要するに権力的作用による公法人の賠償責任を−非権力的な公行政の場合と区別して−私法の範囲から排斥せねばならぬ実質的理由は存しないと思う。」「以上述べたように官公吏の行為が公法人の権力的作用である場合にも、公法人が違法な権力的作用により私法上の損害賠償責任を負うことを正面から認めたいと思うが、もしそれが許されぬとしても私法上の責任が全然考えられぬわけではない。」「違法な権力作用により、官公吏が不法行為責任を負うのはそれが同時に彼の個人としての有責違法であるからである。…………従って、それは私法的性質のものである。而して公法人は彼の行為としての法律上の効果をもつ機関の行為によって責任を負わぬとしても、官公吏が個人として不法行為を為したことにつき使用者として私法上の責任を負わせねばならぬ。そこでは公法人の権力的作用としての法律上の効果は問題ではなく私法上の不法行為者たる官公吏の使用者であることによって715条の適用を受けるのである。公法人と官公吏との関係が715条にいう使用関係に該らぬならば、営利的事業や非権力公行政における官公吏の職務行為につき使用者として公法人が責任を負うことも否定される結果になる」(民事判例研究会『判例民事法(昭和16年度)』37頁以下。下線は引用者)と述べ、権力的作用による公法人の賠償責任を排斥する理由はないと批判した。

 オ まとめ
 このように、学説は、前節で述べた判例を指導する形で、明治期、大正期、昭和期の時代の進行と共に、国民の権利救済を拡張する理論を展開してきた。
 すなわち、大正期には、非権力作用及び工作物の設置、管理に関する行政の不法行為については、民法不法行為法により損害賠償責任を認めるのが通説になった。これらの学説は、判例の検討を踏まえ、あるいは憲法や国家理論として成立してきた「機関理論」の視点から、さらには「使用者責任論」等を踏まえて、その考察の上に理論化されている。
 さらに昭和10年代には、権力的作用に関する行政の不法行為について、非権力作用と区別する必要がなく、民法不法行為法を適用し損害賠償責任を認めるべきとするのが通説になりつつあったと思料される。
 しかも、昭和10年代という治安維持法下の学問、思想に対する弾圧が最も激しかった時期に、実社会における市民感情(法的正義の実現)や具体的衡平性、損害の社会経済的衡平分担などの視点をも十分に踏まえて発表されたことを考慮に入れると、上記の田中二郎、渡邊宗太郎、三宅正男の各学説は、学会の通説になっていたと思料される。
 こうした学説の存在をみれば、国家無答責の法理は確立されていないことは明らかである。

 (4) 公権力の行使に基づく国家責任を否定する立法者意思は存在しない
ア 旧民法と原民法は全く別であり、旧民法制定時の井上毅の「立法者」の意思は原民法に受け継がれない
 原判決は、「旧民法373条から国家責任に関する字句が削除されたことは、少なくとも公権力の行使に基づく国家責任を否定する立法者意思の表れであるとみるのが相当であり、現行民法にもその立法者意思が継承されたといえる。」(原判決23頁)と判示し、さらに明治23年の時点で国家無答責の法理が確立し、明治憲法下では一貫して国の賠償責任を否定していた旨判示する。
 しかしながら、判例が一貫して国の賠償責任を否定していたわけではなく、昭和10年代には、学説としては権力的作用と非権力的作用を区別するべきではないとするのが通説になっていたことは、前記(2)、(3)で述べたとおりである。
 原判決は、旧民法制定時に、井上毅という「立法者」の意思に基づいて「公私ノ事務所」の文言が削られ、その意思が現行民法に受け継がれたという。
 しかし、旧民法は明治23年4月21日に公布されたが、施行されないまま廃止された。明治29年、新たに起草された草案に基づき現行民法(第1編から第3編まで)が公布され、明治31年7月16日から施行された。
 現民法の立案に当り、「或事業ノ為メニ他人ヲ使用スル者」「使用者」という語を選ぶについてまで井上毅の「主人」「親方」のみを選んだ意思が受け継がれたとは到底考えられない。「使用者」という語は「主人」「親方」という個人的な雇主より広範囲の雇主を表す語であり、大小の団体、公私の法人をも含み得る意味を持つ。
 このように、現行民法は、旧民法とは体系も文言もまったく異なる立法であり、旧民法の立法者意思が現行民法に継承されたという原判決の判断は、まったく何の根拠もない。
 したがって、前記「立法者意思」は、原審裁判所の独自の解釈に過ぎない。

イ 行政裁判法16条は、国家無答責の根拠にはならない
 そもそも、明治憲法下においてすら、前記「立法者意思」などとの解釈は存在していない。
 美濃部達吉は、「違法なる行政作用に因り、又は公物の設置若は保存に瑕疵あるに因り、第三者の権利を侵害したる場合に於て、国家又は公法人の負うべき損害賠償の責任は、其の原因が行政権の行動に基づくものなることに於て行政事件の性質を有すると共に、専ら被害者の経済上の利益の為にし、民事上の賠償責任と法律上の性質を同じくするものなることに於て民事事件の性質を有す。之を行政裁判所又は民事裁判所の何れの権限に属せしむべきかは立法政策の問題なり。我が国法は総ての損害要償の訴を似て行政裁判所の権限外に置き之を民事事件として民事裁判所の管轄に属せしむ。法律が『行政裁判所は損害要償の訴訟を受理せず』(16条)と曰へるは此の意を示すものなり」(美濃部達吉『行政法撮要』上巻534頁、有斐閣。下線は引用者)と述べ、国家又は公法人の負うべき損害賠償に関しては司法裁判所の管轄とした意味であることを解説している。
 すなわち、美濃部達吉が論述するように、明治憲法61条の「行政官庁ノ違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ別ニ法律ヲ以テ定メタル行政裁判所ノ裁判ニ属スヘキモノハ司法裁判所ニ於テ受理スルノ限ニ在ラス」という規定は、別に法律をもって定めた行政裁判所の裁判に属すべきものは、司法裁判所において受理しないことを定めたものであって、ここでは、行政裁判所に属することが法律で定められたものではない訴訟は、司法裁判所で受理することができるものとされている。
 行政裁判法16条の「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」という規定は、司法裁判所による私法的処理を否定したわけではないから、解釈上は、公権力による不法行為も民法の不法行為の規定により国の不法行為(709条ないし711条)及び使用者責任(715条)を問うものであったにすぎない。
 すなわち、行政裁判所が民事上の損害賠償請求訴訟を受け付けないからといっても、司法裁判所が、損害賠償請求訴訟を受理するのであって、行政裁判所法16条は、国家無答責の法理とは全く何の関係もなく、その存在をもって、国家無答責の法理の論拠とすることはそもそもできないのである。

ウ 国家無答責は、法令でもなければ確立された法制度でもない
 民法の不法行為に関する規定の中にも、国の損害賠償責任を否定した規定はない。このように、戦前においては、国家無答責の法理を明記した成文法(実定法)は存在しておらず、実際にも、国の賠償責任について、司法裁判所の管轄権が否定されることはなかった。
 以上の経緯に照らせば、当時の立法者の意思としては、国の賠償責任をめぐる問題については、民法が適用されることを認めた上で、例外的に国が免責される場合については、司法裁判所の判断にゆだねたといえる。
 しかも、司法裁判所の裁判例の集積を経て、昭和10年代の判例、学説では、権力的作用に関する行政の不法行為について、民法を適用し損害賠償責任を認める方向に来ていたのである。
 したがって、原判決が認定するような「明治23年の時点で公権力行使についての国家無答責の法理を採用するという基本的法政策が確立した」とはいえないことは明らかである。

 (5) 結語
 以上(2)ないし(4)に述べたとおり、第1に、司法裁判所は国の賠償責任について、動揺を重ねながら民法の適用範囲を拡大する方向で変遷し、昭和10年代には権力的行為についても民法の適用を肯定する裁判例が存在していたし、逆に権力的行為について民法の適用を否定する裁判例においてその実質的根拠は全く示されていなかったこと、第2に学説上でも、権力的行為について民法の適用ないし類推適用を認める見解が採られていたこと、第3に、当時の立法者は、国の賠償責任については司法裁判所の判断にゆだねていたことがそもそも明白である。
 したがって、国家無答責の法理なるものの実体は、要するに民法の適用範囲をめぐる裁判例の集積途上の法理ではあっても、昭和10年代には否定されつつあったのであり、「判例法」というほど法的安定性を有してはいないし、確立された法理とは全く言えない。
 少なくとも、原判決の「戦前においては、公権力の行使による私人の損害については、国の損害賠償責任を認める法律上の根拠がなく、そのことは公権力行使についての国家無答責の法理を採用するという基本的法政策に基づくものであったから、公権力行使が違法であっても被告はこれによる損害の賠償責任を負わない」(原判決24頁)と断定できるような状況は全く存在していなかったのである。
 むしろ、明治憲法下の裁判所は、具体的事案を通じ、国ないし公共団体に賠償責任を認めないことの不合理を自覚せざるを得なかったと思われる。そのため、「損害の公平な分担」という不法行為制度の大原則を遵守すべく、様々な論理立てをして公法・私法二元論を排除しようとしてきたのである。
 このようにみてくると、「明治憲法時代でさえ、公権力の行使について民法を適用する解釈があったことに照らすと、理論的には、今日の裁判所としては、当時の判例に従えば足りるのではなく、当時の法例の解釈を現時点でやりなおすべきであろう。」(阿部泰隆『国家補償法』41頁)との指摘が妥当であることが一層明らかである。

 2 本件細菌戦は、「適法な公権力行使権限」に基づかず「国家無答責の法理」は適用されない

  (1) 原判決は、本件細菌戦に対し、国家無答責を適用しうるものである
という判断を下すにあたって、本件細菌戦は、「旧日本軍がその存在目的そのものである戦闘行為として行ったものであるというのであるから、その行為は公権力の行使(国の統治権に基づく優越的な意思の発動としての強制的・命令的行為)そのものであり、当時民法の適用対象となっていた非権力的作用に分類されるということはできない」と判示する。
 原判決は、公権力の行使であれば例外なしに国家無答責が適用されるという見解にたち、本件細菌戦は「戦闘行為として行ったもの」であるから、国家無答責の適用される公権力の行使であるとしている。

(2) しかし、仮に国の公権力の行使について国家無答責の法理が認められるとしても、本件細菌戦は、国家無答責の原則が前提とする「公権力の行使」には該当しないから、この原則は適用されない。
 国家無答責の法理は、そこで問題とされる国家の行為が公務のための権力作用である場合に、当該公務を保護するためのものであって、当該行為が公務のための権力作用にあたらない場合には、国の行為についても民法上の不法行為責任が成立することを当然のこととしているものである。国家が行う行為が不法行為である場合には、保護すべき権力作用ではなく、国家無答責は適用されない。
 本件細菌戦が、国家無答責の原則が適用されるための要件としての「公権力の行使」に該当するためには、原判決の判示する「国の統治権に基づく優越的な意思の発動としての強制的・命令的行為」であることに加えて、本件細菌戦が、「適法な公権力の行使」と評価されるような権限によって行われた行為であることが必要である。
 なぜなら、本件当時においても、国が国民に対し一定の行為を命令又は禁止し強制を加えるという一方的な優越的支配が合法化されるためには、法律によって制定された権限に基づくことが必要とされたからである。
 原判決は、「旧民法の立案に深く関与した井上毅が、前記のとおり国家無答責の法理の根拠を行政権の円滑な運用に求めていた」と指摘している。「行政権の円滑な運用」とは、法に基づいた行政を意味することは、法治主義の原理から当然に導かれることである。法に基づいた行政権の円滑な運用が、国家無答責の法理の根拠であるとするならば、「適法な公権力行使権限」を欠いた国家の行為は、国家無答責を適用しうる根拠を失うのである。

  (3) これを本件細菌戦について見ると、戦争行為による相手国の人間に対する殺傷が公法関係として認められたとしても、それは「適法な公権力を行使する権限」の範囲内に限定されるのであり、戦争行為だから何をやってもよいということではない。「適法な公権力を行使する権限」を欠いた行為は、公務としての戦争行為にはならないのである。
 本件細菌戦は、原判決が認定するように、ジュネーブ・ガス議定書を内容とする国際慣習法に違反した違法行為であり、かつ、被控訴人に、細菌戦被害者が受けた損害を賠償するというハーグ陸戦条約第3条を内容とする国際慣習法による国家責任が生じていたのである。
 したがって、このような強度の違法性を帯びた本件細菌戦は、「適法な公権力を行使する権限」を欠いた行為であることは明白であり、国家無答責を適用する根拠がない。

(4) 本件細菌戦の違法性の強さ、悪質さを示す第1点は、本件細菌戦は、被控訴人自身が違法な戦争行為であることを充分に自覚し、承知しながら、被控訴人による組織的、計画的行為として行われた大規模な戦争行為だという点にある。本件細菌戦当時から、被控訴人は、細菌戦がジュネーブ・ガス議定書に違反し、同議定書を内容とする国際慣習法に違反し、かつ賠償責任を定めたハーグ陸戦条約第3条に違反することを熟知していた。
 そのため、日本軍は細菌戦部隊の創設にあたって、表向きは軍隊における「防疫」や「給水」、すなわち伝染病の予防と浄水の供給を掲げる「関東軍防疫部」として創設し、その実態は、細菌兵器の開発と実用化をめざす秘密部隊を創った。また実際に細菌戦を実行するにあたっては、徹底した秘密作戦として行った。
 また、被控訴人は、ソ連参戦に直面し敗色が濃厚となった時点で直ちに平房の731部隊の建物を爆破し、捕虜を全員虐殺する等の証拠隠滅を図った。この証拠隠滅は、陸軍中央の指示により行われた。
 さらに、被控訴人は、戦後もこの違法行為を反省もせず、今日にいたるまで、事実を隠蔽し続けている。

  (5) 本件細菌戦の違法性の強さ、悪質さを示す第2点は、本件細菌戦が、大量破壊兵器による非戦闘員たる一般住民に対する無差別な殺傷だという点にある。細菌戦がジュネーブ・ガス議定書及びハーグ陸戦条約第3条に違反する理由はこの点にある。
 日本軍による本件細菌戦が行われている最中、1942年3月に関東軍軍医・牧譲軍医中佐は、「細菌戦について」という講演の中で次のように語っている。
 「全般的には兵站に絡んでいることになる都市を攻撃して、都市をひどい目に遭わす。これは将来相当やられる問題であります。軍隊関係のものには、直接しないで大きな都市に伝染病を流行らしてゆく」「細菌戦の狙い所の1つは、後方を混乱せしめて精神上に困ったことになったと言うような観念を敵に与えることで、大きな都市をうんとひどい目に遭わすということがある訳であります」(満州帝国軍医団『軍医団雑誌』。甲29の198頁)。
 このように、被控訴人が、最初から一般住民の大量殺戮を目的として細菌兵器を開発したことは明らかである。
 実際、本件細菌戦は、1940年浙江省各都市へのコレラ菌、チフス菌、ペスト菌の菌液撒布、ペスト感染ノミの投下、1941年湖南省常徳へのペストノミの投下、1942年江西省、浙江省での、ペスト菌付着の米、ペストノミ、鼠の地上からの散布、井戸や食物へのコレラ菌注入など、その実行態様は、相手国の軍事施設や軍隊とはまったく関係のない一般住民の殺傷を目的としたものであった。本件控訴人らも、市民、農民など非戦闘員の住民である。

  (6) 本件細菌戦の違法性の強さ、悪質さを示す第3点は、本件細菌兵器の研究、開発が生体実験等の違法行為を伴うことによって、世界で初めて本格的な細菌兵器の開発を可能とし、実戦使用したことである。
 731部隊は、平房の本部でチフス、コレラ、赤痢、ペスト、炭疽、凍傷などの研究・培養を行ったが、その際、常時200人から400人の捕虜を生体実験に用いた。捕虜は「マルタ(丸太)」と呼ばれ、1本、2本と数えられた。彼らは、「ロ号棟」の中の解剖室や野外の実験場で、人体実験に使われ次々に殺されていった。
 また、本件被害地である崇山村などでは、日本軍が、細菌戦を実施した地域に「防疫隊」として入り、罹患した被害者を生体解剖して細菌戦の「成果」を検証する活動を行うなど、細菌戦の実行による被害者をも研究材料として大量殺戮兵器をつくりあげたのである。

  (7) 以上のように、本件細菌戦は、国際法に違反するうえに、その違法性は極めて強く、悪質であり、いかなる意味でも正当化されない残虐行為である。本件細菌戦は、「適法な公権力行使権限」に基づく行為ということはできず、国家無答責の法理は適用されない。

 3 「国家無答責の法理」は外国での外国人に対する権力作用には適用されない
    
  (1) 原判決の誤り
 原判決は、「我が国に国家無答責の法理が確立した明治23年以降において、当時の我が国の法体系が、権力的作用の被害者が外国人である場合にその外国人に損害賠償請求権を付与していたことを示す事実は何ら認められず、日本人も外国人も等しく国家無答責の法理の適用を受けていたものと考えられる」(原判決25頁)とする。
 しかし、国家無答責の法理は、本件細菌戦の行われた日中戦争の最中においてさえ、既に破綻を来している。
 即ち、1937年日本軍の南京攻略戦に際し、揚子江下流に碇泊中の米砲艦パナイ号と米スタンダードオイル社商船3隻に対し、日本の軍機が誤爆を加え、3名の死者、数十名の負傷者を出した事件(パナイ号事件)に当り、日本政府はこれら被害者各人の受けた損害につき、直ちに謝罪し、それぞれ厳密な計算によって算出した金額の賠償をその翌年に行ったのである。
 原判決はこの件につき、国と国との間で解釈された事例であって被害者の個人請求権が認められた例に当らないというが、少なくとも個人の国際法上の主体性が認められたというべく、それ以上に、先ず、国家無答責の法理などは彼我共に一顧だにされなかったことを明らかに示している。凡そ、米国人被害者(うち5名は中国人)に対しては主張しない国家無答責の法理を、中国人に対しては主張するという矛盾、差別を如何に説明するというのか。
 実際には個人ごとに民事的な損害賠償請求の手順とやり方で補償額を算定し決定していることが分かる。
 また算定にあたっては「利用できる先例」として各種の判例が参照されているが、参照された54例はすべて個人の被害(戦争、内乱、官憲の不法行為などによる)に対し、加害外国政府に損害賠償を求めたケースである。以下、詳述する。

(2) パナイ号事件では、個人賠償請求に応じている
   ア パナイ号事件に対し事件発生から2日後の12月14日、日本の広田外相は、アメリカのグルー駐日大使に対し、事件の責任を陳謝し、「一切の損害にたいする補償」、責任者の処罰、再発防止措置を申し入れ、26日アメリカ政府もこれを受け入れて一応の決着をみた。(「グルー米国大使宛広田外相公文」1937年12月14日付、外務省調査局『米国軍艦パナイ号事件』昭和21年1月、41〜43頁)。
 パナイ号事件の損害賠償について、翌1938年3月21日付に、アメリカ大使を通じて総額221万4007ドル36セントが要求され、日本政府は4月22日、この賠償額を小切手で支払った。

   イ 賠償額の内訳は、財産損害額、194万5670ドル1セント、死傷事件賠償額、26万8337ドル36セントである。
 賠償の対象となった損害として日本の外務省が確認したのは、
@沈没艦船(砲艦「パナイ」号、「スタンダード・ヴァキューム」会 社船5隻)、
A損壊船舶(「 スタンダード・ヴァキューム」会社船2隻)、
B死者(「パナイ号」乗組員2名他1名)、傷者(艦船乗船者74名)、
C他(郵政省及び国務省並びに個人財産被害)である。
 被害者個人だけでなく個人財産被害まで賠償の対象になった(前出『米国軍艦パナイ号事件』、31〜32頁)。
 当時どのように補償額を算定したかは、アメリカの国立公文書館所
蔵の資料(「1937年12月12日、日本による合衆国軍艦パナイ号及びスタンダード・ヴァキューム・オイル社船の攻撃と沈没から発生した損失と損害」と題する「法律顧問覚書」(文書番号394.115 PANAY/408)で末尾に国務長官代理の署名があることから、国務省に提出されたものと思われる。日付は1938年2月16日付である)によって賠償額の算出がどのようにおこなわれたかをみることができる。

ウ まず海軍の部では、損害は、
a艦船の損失(45万5727ドル87セント)
b装備及び供給品の損失(9万7766ドル48セント)、
c個人
に分けて考察されている。
 覚書の大部分が「c個人」に宛てられていて、被害者個人に対する損害賠償が中心になっている。
 「c個人」はさらに死者(2人)、負傷者(重傷11名、軽傷32名)、ショックおよび放置に依る被害(14人)に分けて算定され、総額14万2000ドルである。
 査定にあたっては被害者一人ずつについて「利用できる事実」(障害の態様、負傷の場合には事後の経過、医療に要した経費、後遺症の有無、給与、家族の生計維持に果たす役割など)、「利用できる先例」、「海軍省の勧告」、「結論」の順に詳細に算定の根拠が示され、賠償額が決定されている。
 海軍の次に郵政省の損失が計算されているが、之は切手、秤、日付印などの物損ばかりである。
 パナイ号に乗船していて被害を受けて大使館員(負傷4名)についても同様に個別に詳しく検討されて補償額が決定された。そしてそれとは別個に被害を受けた個人の所持品についても検討の対象とされ、補償額が算定された。

   エ スタンダード・オイル社の商船の被害についても同様な手順で算定
がおこなわれた。乗組員の人的被害は8人であったが、そのうちは軽傷を負った5人の中国人が含まれている。軍人の場合と比べて検討は簡略におこなわれたが、中国人5人(月給は最高15ドル、最低8ドル25セント)には一人あたり100ドルの補償額が決定された。さらにスタンダード社は乗組員、社員の所持品や家庭用品についても弁償として3万6034ドルを請求した。
 その他のケースでは、民間人、民間企業に対する13件の補償が算定されているが、そのなかには乗船中の中国民間企業(中国輸出入公社、Yee Tsoong煙草配給社)の社員も含まれている。
 取材中の通信社、映画会社の社員も被害にあったが、彼らの持ち物、映写機、レンズ、ネガフィルムなどに付いてもいちいち損害額が算出されている。

   オ 先例とし参照されたもののうち民間人の戦争被害に対する請求権処
理に関わるものを一例だけ紹介しておこう。事例としては前に述べたが、第一次大戦中の1916年3月23日、乗船中のイギリス汽船サセックスがドイツの潜水艦の魚雷攻撃を受けた際、数人のアメリカ人乗客が負傷し、戦後ドイツから損害賠償を受けたケースである。
 若い医者(インターン)ワイルダー・グレイブス・ペンフィールドの受けた障害は、持続的な神経障害と膝関節を含む左脛骨骨折及び右くるぶしの捻挫である。入院1ヶ月、松葉杖での歩行3ヶ月、杖による歩行約4ヶ月、独米による混合請求権委員会が1万5000ドルの付与を裁定したときにまだ膝の機能は回復していなかった。
 未婚で24歳であったが、一人前にピアニストであったエリザベス・フォード・スチムソンは数週間昏睡状態におちいった。肩に永久的な損傷、左の臀部関節は慢性的破砕状態("mushroom fracture")でそのため障害をうけ職業の遂行が不可能になった。4万ドルを付与された(荒井信一「日本の加害行為被害者の個人賠償請求権についての歴史的考察」参照)。

  (3) 日本国の管轄に服さない外国人に対する国家無答責の不適用
 控訴人らは、原審において、国家無答責の法理論的根拠として、2つの論理をあげた。第1に、主権者は何ものにも拘束されずに法を作成することができるのであるから、主権者は常に法に違反することはない、という主権無答責の考え方が、近代国家においては、主権者である国民=国家は法を侵犯し得ないし、法を侵犯することは考えられないとされ、国家の不法行為責任が否定される「支配者と被支配者の自同性」の論理である。
 第2に、違法な国家機関の行為は、国家意思たる法規に違反するが故に法律上国家を代表する機関行為とは認められず、国家機関を構成する個人の個人的責任の問題を生ずるのに止まり、国家の法的責任は生じないという、違法行為の国家帰属を否認する「国家と法秩序の自同性」の論理である。
 そして、これらの国家無答責の法理論上根拠から、国家無答責の適用には明らかに場所的限界があることを主張した。
 「支配者と被支配者の自同性」は、その国家の管轄(統治権)に服する者の範囲での議論であって、統治権の及ばない外国での外国人との関係において成立しえないものであることは当然である。当該国家は自国の管轄外にある他国の国民の意思により行動するのではないから、その関係に「支配者と被支配者の自同性」など存在するはずもないのである。 また、「国家と法秩序の自同性」についても、国家の行為を適法化する法は、主権の及ぶ自国の管轄内に限られるのであるから、自国の管轄範囲内においてのみ妥当するものであり、適法化の及ばない外国での外国人に対する行為において成立しないのは当然である。
 本件細菌戦は、被控訴人の統治権が及ばない外国での外国人に対する行為であり、国家無答責が適用されうる範囲からはずれているのである。 ところが、原判決は、「確かに、欧米で主権無答責の法理が受け継がれていく過程において、原告らのいう『支配者と被支配者の自同性』や『国家と法秩序の自同性』の論理が同法理を支えるものとして唱えられたことがあったと解される」(原判決23頁)と、『支配者と被支配者の自同性』や『国家と法秩序の自同性』が国家無答責の法理論的根拠になっていることを認めながら、これらの法理論的根拠から必然的に国家無答責には場所的限界性があることについては言及せず、論点をずらして、「当時の我が国の法体系が、権力的作用の被害者が外国人である場合にその外国人に損害賠償請求権を付与していたことを示す事実は何ら認められ」ないことをもって、「日本人も外国人も等しく国家無答責の法理の適用を受けていたものと考えられる」という誤った結論を導き出してしまっている。
 しかしそもそも、前述した「パナイ号事件」では、国家無答責は適用されず、被控訴人は、損害賠償を行っているのであるから、原判決の判示は、事実と異なっている。

  (4) 前例のない本件細菌戦
 原判決は、「日本人も外国人も等しく国家無答責の法理の適用を受けていた」ことの根拠として、「旧民法の立案に深く関与した井上毅が、前記のとおり国家無答責の法理の根拠を行政権の円滑な運用に求めていたことによっても裏付けられる」と判示する。
 本件細菌戦は、「日本の統治権の及ばない外国での外国人に対する行為」であるが、それにとどまらず、戦争行為であり、また違法な戦争犯罪行為である。仮に「行政権の円滑の運用」が、外国での外国人に対する行為として存在したとしても、それは何らかの統治行為としてのみありうるのであって、本件細菌戦のような戦争行為、まして敵国の住民を無差別に殺傷するという前例のない戦争犯罪行為が、「行政権の円滑な運用」と呼べるものではないことは明白である。原判決の論拠に従ったとしても、本件細菌戦に国家無答責を適用しうる余地はまったくないのである。

  (5) 日本における立法者意思
 ところで、原判決は、『支配者と被支配者の自同性』や『国家と法秩序の自同性』の法理論が、欧米において国家無答責の理論的根拠となっていることを認めながら、日本においては、「行政権の円滑な運用」という立法者意思が国家無答責の根拠となったと判示している。
しかし、これも事実と異なっている。
 「法律取調委員会・民法草案財産編第373条に関する意見」によれば、法律取調委員の今村委員は、国家が「人民ノ権利」を侵害した場合に、賠償責任を負うかという問題を取り上げて、次のように述べている。
「按するに国家の性質を講する者は説種々ありと雖も要するに其の主たる目的は人民の権利を保護し及び幸福を増進するに在りて人民に害を加うる者に非ず故に或る学者は曰く国家は悪を為すこと能はすと誠に然り是を似て国家が責に任ずる場合なし」(日本近代立法叢書29頁以下)。
この考えは他の委員にも共通であった。このように、国家無答責の根拠は、旧民法制定当時の立法者の見解によっても、「国家とは人民の権利を保護し、幸福を増進させるものである」という前提のもとに、国家無答責が論じられているのであり、国家無答責の根拠は、やはり、「支配者と被支配者の自同性」「国家と法秩序の自同性」ないし利害の一致に求められていたのである。
 ここで言う「人民」とは、国家がその権利を保護し、その幸福を増進する対象となる者であり、それは自国の管轄に服する「人民」であって、外国の管轄に服する人民を含まない。外国の管轄に服する人民に対しては、国家がその権利を保護したり、その幸福を増進することは想定されていないからである。
 本件細菌戦において、被控訴人である日本国と、控訴人ら中国人民との関係においては、国家が「人民の権利を保護し及び幸福を増進する」という関係にないどころか、被控訴人は、無差別大量殺戮という巨大な悪、害を控訴人らに加えているのであり、国家無答責の前提を欠いているのである。

(6) 以上のように、国家無答責の法理論上の根拠からも、日本の立法者意思からも、日本国の管轄に服さない外国人に対して国家無答責は適用されない。
 前述のとおり、国の権力作用によって生じた被害に対しては国は賠償責任を負わないというのが国家無答責論であるが、権力作用とは、国家が個人に対して命令し服従を強制する作用である。そうであれば、命令、強制権の及ばない他国に在住する他国民、しかも、占領、支配下にあるともいえない他国民にまで、無答責の抗弁が通用するなどということがありよう筈がない。
 原判決ですら、「本件細菌戦による被害は誠に悲惨かつ甚大であり、旧日本軍による当該戦闘行為は非人道的なものであった」と評価し、「ヘーグ(ハーグ)陸戦条約3条の規定を内容とする国際慣習法による国家責任が生じていると解するのが相当」と断じている。
 本件を含み凡そどのような残虐、非道な行為でも権力作用の名において全て責任を問われないなどという理不尽が古今東西に通用する筈もない。日本の司法だけが、このように国際社会に通用しない「切り捨て御免」の愚論を今に至ってなお後生大事に維持している現状は、まことに恥ずべく嘆かわしい限りである。日本を国際人権社会から孤立せしめる所以である。

 4 ハーグ条約の国内法化によって「国家無答責の法理」は排除され適用されない

  (1) ハーグ条約は、1907年オランダのハーグにおいて開かれた第2回ハーグ平和会議で採択された。同条約には、同会議に参加した44ヶ国が署名し、その効力は1910年1月に発生した。日本は1911年に批准している。
 一方、1925年6月に成立「ジュネーヴ・ガス議定書」というにおいて細菌戦は禁止され、遅くともそれが発効した1928年ころには、国際慣習法としても確立していた。日本政府も、同議定書に制定直後に署名しており(ただし、批准したのは1970年)、同議定書が国際慣習法の成立していることを充分に認識していた。
 国際法の国内法化及び国内法に及ぼす影響については異説はなく、国際条約に抵触する国内法は、条約に適合するように解釈されなければならないことについては、明治憲法下の日本においても受容されていた。
 国際法に違反する不法行為が国家責任を生じさせることは一般国際法の原理からして当然であるが、本件細菌戦について、原判決は、ジュネーブ・ガス議定書に違反する不法行為であり、被控訴人には、ハーグ条約3条に基づく国家責任が生じていたと認定した。

  (2) ところで、国際慣習法として成立していたハーグ条約及びジュネーブ
・ガス議定書が国内法化している法制下にあっては、国家無答責の法理は主張しえない。
 なぜなら、ハーグ条約及びジュネーブ・ガス議定書が国内法化したということは、その実体規定が国内法的効力を有するだけでなく、その違法行為に伴って生まれる国家責任解除に関する権利義務関係も当然国内法化しているのである。被控訴人に発生したハーグ条約3条に基づく国家責任は、国際法的平面においてと共に、国内法的平面においても発生しているのである。
 仮に国家無答責の法理が存在していたとしても、本件に適用されうるか否かは、「国内法は国際法に適合するように解釈されなければならない」という確立した法原理によって解釈されなければならないのである。それは、国際法を国内法化し、しかも法律よりも上位に位置づける日本の法秩序内での当然の法的要請である。日本政府自らが自由権規約委員会の場で明言したように、「裁判所が国内法と条約とが矛盾すると判断した場合には、後者が優先し、関連国内法は無効とされるか修正されなければならない」(阿部浩己『国際人権の地平』264頁、現代人文社)。これは、明治憲法下においても妥当していた。
いずれかの国内法の解釈により国際義務違反が是正される余地があるのであれば、司法には、国際法適合的な解釈を採用することが求められている。民法の不法行為規定を、国際法違反によって生じた国家責任・損害賠償を請求する法令上の根拠として解釈することは、まったく可能である。戦前の判例においては、学説と異なり、国際法と国内法を等位に位置づけていたようだが、その場合には後法が優先するのであり、本件では1898年に成立した民法に対し、1910年に発効したハーグ条約が後法として優位に立つ。
 ところが、原判決は、被控訴人にハーグ条約に基づく国家責任が発生していることを認定しながら、国家無答責という国内法の法理をもって、被控訴人の賠償責任を否定し、「国内法は国際法に適合するように解釈されなければならない」という法の解釈原理に反してしまっている。
 国家無答責という国内の法理と、ハーグ条約という国際法が抵触したとき、国家無答責は、国際法に適合するように解釈されなければならないのであり、本件に適用することはできないのである。まして、明文化された規定がなく、単なる一解釈である国家無答責の法理を国際法に優先して適用し、被控訴人に発生した国家責任を否定することはできない。

 5 「国家無答責の法理」は一法解釈にすぎず、現在の法解釈に基づき裁判すべき

  (1) 国家無答責は適用されず民法の不法行為規定の適用によって被控訴人の損害賠償責任は成立する。
 上記1乃至4において、本件細菌戦に国家無答責が適用されないことを論じてきた。すなわち、第1に、国家無答責の法理は、いわゆる「判例法」によっても、当時の学説によっても、また立法者意思によっても、確立してはおらず、適用理由も曖昧であった。また第2に、本件細菌戦のような国際法違反の残虐な戦争行為は、「適法な権力行使権限」に基づかないこと、第3に、国家無答責の法理の場所的限界性(外国での外国人に対する行為には適用されない)、第4に、ハーグ条約の国内法化による、国際法に適合した国内法の解釈等によって、本件細菌戦に国家無答責の法理は適用されないのである。
 国家無答責が適用されない場合、現行民法の不法行為規定によって、被控訴人の賠償責任が成立することは、戦前の判例からも明らかである。
 さらに、上記第1から第4の本件細菌戦への国家無答責不適用の根拠は、本件細菌戦が、日本国憲法下の現時点での法解釈に従って裁かれるべきであることを導くものである。
 「過去の法律の解釈は、過去の時点での解釈に従うべきか、現時点での当時の法令の解釈をすべきかが論点であるが、明治憲法時代でさえ、公権力の行使について民法を適用する解釈があったことに照らすと、理論的には、今日の裁判所としては、当時の判例に従えば足りるのではなく、当時の法令の解釈を現時点でやりなおすべき」(阿部康隆『国家賠償法』有斐閣41頁)なのである。

  (2) 訴訟法上の救済手続の欠如としての国家無答責
 国家無答責の法理は、成文法(実定法)上の解釈としては、訴訟法上の救済手続が欠如していることを意味する訴訟上の法理であると解さざるを得ない。この点からも、国家の賠償責任は、現時点での法解釈によってなされるべきである。
 国家無答責の法理は、その明確な根拠を求めようとすると、行政裁判所法16条で賠償事件を締め出したこと、および明治憲法61条で権力行政について司法裁判所の管轄を否定したことにしぼられる。
 要するに、これらの国家無答責の法理の根拠は、いずれも裁判管轄という手続法の領域に関するものであって、実体法上明確な根拠に基づくものではない。
 戦前の大審院の裁判例の中には、実体的根拠については何も述べずに民法の適用を排除しているものもあるが、裁判例の中には、これを実体法の問題ではなく、手続法の問題として判示した例も存在するのであって、明治憲法下における裁判例は、国家無答責の法理の実体的根拠を全く示すことなく、専ら管轄の範囲外の問題であることを根拠に適用法条を欠く旨を宣言してきたにすぎないともいえる。すなわち、国家無答責の法理は、司法裁判所の管轄外であるために司法裁判所としては適用法条を欠くという訴訟手続法上の理由が根拠となっていたにすぎないともいえるのである。
 そうであれば、日本国憲法の下においては、行政裁判所が廃止され、訴訟が司法裁判所に一元化されている以上、国家無答責の法理を適用する根拠は全くなく、また、国家の賠償責任について現時点での法解釈に基くことに何の支障もないと言わなければならない。

  (3) 国家賠償法附則6項の「従前の例」について
 原判決は国家賠償法附則6項の「従前の例」の規定によって、本件細菌性に国家無答責が適用されると判示する。しかし、国家賠償法附則6項の「従前の例」とは、同法が存在しない従前の実体法によることを意味し、戦前の一つの判例解釈に従う必要はない。
 この点について、最近、東京地方裁判所民事第25部2003年3月11日判決は、中国人強制連行事件に関して、「国家賠償法附則6条において、『この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。』と規定され、同法の規定の遡及適用が否定された以上、同法施行前の公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の損害賠償責任に関しては、民法の不法行為に関する規定が公務員の公権力の行使についても適用があるか否かという民法の解釈にゆだねられていたと解するよりほかはない」としたうえで、「戦前の裁判例及び学説に照らすと、『国家無答責』なる不文の『法理』が確立しているとの理解を背景として、上記のような解釈が採られていたことがうかがわれるものの、現時点においては、『国家無答責の法理』に正当性ないし合理性を見いだし難いことも、原告らが主張するとおりである。当裁判所が国家賠償法が施行される以前の法体系の下における民法の不法行為の規定の解釈を行うに当たり、実定法上明文の根拠を有するものではない上記不文の法理によって実定法によるのと同様の拘束を受け、その拘束の下に民法の解釈を行わなければならない理由は見いだし難い」と、「従前の例による」ことが、国家無答責を適用しうる根拠とならないことを判示している。

  (4) 現憲法下における「正義公平の原則」による解釈
 日本国憲法17条は、国の賠償責任を明記し、国家無答責の法理を否定した。現在の裁判所は日本国憲法の価値原理に則って法令の解釈適用をすべきであり、過去の法令の解釈についても、現時点で当時の法令の解釈をし直すべきである。
 本件細菌戦は、原判決が認定するように、ジュネーブ・ガス議定書に違反し、同議定書を内容とする国際慣習法に違反し、かつ賠償責任を定めたハーグ陸戦条約第3条に違反する戦争犯罪の中でも特別な残虐性をもっている。
 細菌兵器の特徴は、その被害の範囲を予測することも限定することもできないこと、非戦闘員である一般市民の大量殺戮を狙うものであること、戦闘行為終了後においてもその潜在的破壊力ゆえに2次流行、3次流行を引き起こし、長期間にわたって地域社会全体が伝染病の発生・蔓延の危険にさらされることにある。
 本件細菌戦の被害地の内、浙江省の義烏市、東陽市、義烏市の崇山村、義烏市塔下洲は、日本軍が衢州市に投下した細菌によって発生したペストが伝播し、多大の犠牲者を生んだものである。衢州市では戦後にいたるまでペストの流行が続いたのである。
 このような前例のない残虐な非人道的行為が、国家無答責の法理をによってその責任が問われず、被害者が救済されないことは、「正義公平の原則」に著しく違背する。
 戦前の法的、時代的制約の下でも、法の正義の見地から民法の適用範囲を拡大して、「国、公共団体の損害賠償責任追求の道」を切り開いた戦前判決例の努力の過程があることは、すでに述べた。原判決が国家賠償法の「従前の例」という規定をもって、国家無答責を適用し、控訴人らの賠償請求の道を閉ざしてしまうことは、上記戦前からの努力の過程に逆行するものであり、これもまた正義公平の原則に反するものである。
 本件細菌戦のように、加害行為時と裁判時で、国の賠償責任についての価値原理は大きく転換しており、しかも、加害行為時において、国の賠償責任を否定する国家無答責の法理が、確定した法理として確立していたわけではなく、一法解釈にすぎないものでしかない場合、さらに、その加害行為が史上類例のない残虐な戦争犯罪である場合、結果として日本国憲法の価値原理と真っ向から反する結論を導くことは、法の解釈適用として許されることではない。裁判所は、現在の日本国憲法の価値原理に基づいて法解釈を為し、現時点の法原理に適合する結論を導かなければならない。

 6 まとめ

 控訴人ら及びその代理人らは、本件について日本政府が被害者に謝罪、賠償することが、日本の国際的信頼を高め、諸国との真の友好、平和を築くことに直結し、従って金銭に替え難い国益となると確信するのであるが、被控訴人は必ずしもそのように考えてはいないようである。
 しかし、裁判所は、何れが国益に沿うかなどという政治的配慮をする必要もなく、むしろ配慮すべきではない。裁判所に望むことは、国益如何に拘らず、あくまで純粋に、正義を実現していただきたいということに尽きるのである。
 これこそ大審院長・児嶋維謙以来の司法のあるべき姿である。

第3 時効・除斥の不適用

 1 時効は未だ完成していない

  (1) 民法724条前段及び後段の法的性質
 民法724条後段の20年の期間の法的性格は、その立法の沿革、立法趣旨、法文の文言、不法行為責任について時効として二重の期間制限を設けている諸外国の立法例、及び被害者の権利行使は予期しない外部的事情により妨げられることが多いことを考慮すると、時効期間を定めたものと解すべきである。
 そして、民法724条前段に定める3年の時効期間は、権利者の権利行使の現実かつ具体的な可能性の存在という特殊な状況に対応する特殊な短期時効であるのに対して、同条後段に定める20年の時効期間は、そのような特殊な事情の有無とは無関係に、請求権の成立時から進行を開始し、20年の経過により完成する通常の時効であって、不法行為責任は、原則として通常20年の時効にかかり、特に被害者において損害及び加害者を知り、権利行使の現実的可能性がある場合に限って、通常の20年の時効の完成を待たずに3年の時効の完成を認めるということにすぎないと解すべきである。

  (2) 民法724条の定める期間の起算点
   ア 総論
 民法724条前段の3年の期間の起算点は、被害者が、客観的に権利行使が可能な状況の下において、具体的な事実関係に基づいて加害者に対する権利行使ができることを認識したときと解すべきである。
 また、民法724条後段の20年の期間の起算点については、加害行為の時であるとする見解があるが、未だ発生していない権利の時効進行を認めることになりかねず、不当である。不法行為の多くは、予期しない状況に発生するものであり、また原因行為と損害との因果関係の発見・立証が困難な場合等もあり、提訴まで時間のかかるものが多い。また戦争など社会的な事情により、被害者の権利行使が長期間にわたって不可能になる場合も希ではないのである。
 民法724条の立法趣旨は、不法行為によって損害を蒙った被害者の保護にあり、同条後段の20年の期間の起算点は、不法行為の構成要件が充足されたとき、すなわち、加害行為のみならず、損害が発生して被害者の権利行使が客観的、一般的に期待できる状況になったときと解すべきである。
 そして、加害行為から時間が経過して損害が発生する場合には、その損害の発生時点である損害賠償請求権の成立時点から、時効の進行が開始するものと考えるべきである。

   イ 本件における民法724条前段の時効期間の起算点
    a 中華人民共和国は、1949(昭和24)年に成立し、中国本土を実効的に支配していたにもかかわらず、1952(昭和27)年に締結されたサンフランシスコ平和条約の締約国から外されたため、日本と中国は、国交断絶の状態が続いた。
 その後、1972(昭和47)年の日本政府と中国政府の共同声明(以下「日中共同声明」という。)によって、国交が正常化され、さらに、1978(昭和53)年10月23日、日中平和友好条約の締結によって、初めて本格的かつ正常な国家関係の基礎が確立された。
 日本に対する中国民間人の損害賠償請求の問題は、1991(平成3)年3月、第7期全国人民代表大会第4回会議において、国家間の戦争賠償と民間の被害賠償を区別し、前者は日中共同声明で放棄されたものの、後者は、中国の民間人被害者及びその遺族は、日本に対して損害賠償請求ができる旨の科学工業部幹部管理学院法学部教員の意見書により、初めて公の場で取り上げられた。
 その後、江沢民国家主席は、1992(平成4)年4月、日中戦争時の民間被害については、相互に協議して条理にかなう形で妥当に解決すべきであることを主張してきた旨の発言を行った。さらに、銭其?外相は、1995(平成7)年3月9日、対日戦争賠償問題について、日中共同声明で放棄したのは国家間の賠償であって、個人の賠償請求は含まれず、賠償の請求は国民の権利であり、中国政府は干渉すべきでない旨発言した。
 このように、控訴人らが、被控訴人に対し、本訴を提起することが政治的社会的に可能となったのは、上記銭其?外相の1995(平成7)年3月の発言以降であり、それ以前に控訴人らが本訴を提起することは不可能であったというべきである。
    b 控訴人らが本訴を提起するには、更に本件細菌戦の具体的な事実
関係を明らかにし、これを裏付ける資料が必要であったが、被控訴人は戦後一貫して細菌戦の事実を隠蔽してきた。専ら加害者である被控訴人の責により、控訴人らは本件提訴を阻害されていたのである。
 1993年に、吉見義明教授らが防衛庁防衛研究所図書館が公開した井本日誌など、陸軍中央の中堅将校の井本熊男大佐等の業務日誌から、細菌兵器の実戦使用が陸軍中央の指導で行われたことが判明し、その内容が1995(平成7)年12月に岩波ブックレット『731部隊と天皇・陸軍中央』として出版され、細菌兵器の実戦使用が明らかになった。
 それまでは、日本国内では、731部隊が細菌兵器の研究を生体実験で行っていることは周知の事実になっていたが、細菌戦は周知の事実になっていなかった。被控訴人は、細菌戦の事実が日本国民に知られるようになってからも、事実が確認できないとして、その責任を否定し続けた。
 そのような被控訴人の態度に疑問を呈した日本人弁護士らが、1995(平成7)年12月以降、僅かな手がかりをもとに本件細菌戦の被害者らを訪ね、事実の有無を確かめるため聞き込みなど現地調査を繰り返した。その結果、本件細菌戦の事実を確認した。
 細菌戦被害者らから本件訴訟について協力を求められた日本の弁護士らは、本件訴訟に伴う法的な問題点や諸費用の負担等を検討した上、1997(平成9)年ころ本件訴訟を受任することを決め、正式な委任を受け、1997(平成9)年8月11日に第一次提訴を提起した。その後、中国各地に調査委員会が設置され、細菌戦被害の実態調査が行われ、1999(平成11)年12月9日に第2次提訴を提起するに至った。
c このような経過に照らせば、細菌戦被害者らが、本件細菌戦の具体的事実に基づいて細菌戦被害者らに対する被控訴人の不法行為を特定することができ、被控訴人に対する損害賠償請求権の行使が可能となったのは、中国と日本の弁護士の支援、協力を取り付けることができた1997(平成9)年の時点である。
 したがって、民法724条前段の3年の時効期間の起算点は、1997(平成9)年の時点であり、本件第1次訴訟の提起は同年8月11日、第2次訴訟の定期は1999(平成11)年12月9日であるから、いずれにおいても時効は完成していないというべきである。

   ウ 本件における民法724条後段の時効期間の起算点
a 1978(昭和53)年10月23日の日中平和友好条約締結まで日中両国は法的に戦争状態にあった。
 サンフランシスコ平和条約の付属議定書「B 時効期間」の第1項には「人又は財産に影響する関係で、戦争状態のために自己の権利を保全するのに必要な訴訟行為又は手続をすることができなかったこの議定書の署名国の国民に係るものについて訴の提起又は保存措置をする権利に関するすべての時効期間又は制限期間は、この期間が戦争の発生の前に進行し始めたか又は後に進行したかを問わず、一方日本国の領域において、戦争の継続中その進行を停止されたものとみなす。これらの期間は、本日署名された平和条約の効力発生の日から再び進行し始める。」と規定されている。
 これは、戦争状態にある間は、その当事国の国民が相手国側に対し自己の請求権を行使することは不可能なので、戦争の継続中(即ち平和条約発効までの間)は時効又は制限期間が進行しないという法理を確認的に規定したものである。中国はサンフランシスコ講和条約の当事者ではないが、この時効規定の法理は、中国との平和条約締結においても援用されうるのであり、少なくとも日中両国が法的に戦争継続状態にあった1978(昭和53)年10月23日までは、時効は進行しなかった。
b また、前述したように、20年の期間の起算点は、不法行為の構成要件が充足されたとき、すなわち、加害行為のみならず、損害が発生して被害者の権利行使が客観的、一般的に期待できる状況になったときと解すべきである。
 その点で、控訴人らは自分らの責に帰さない理由により、本件提訴が不可能な状況におかれていた。すなわち、被控訴人の隠蔽行為によって、前記井本日誌の発見される1993年までは、控訴人らは本件提訴の可能性を阻害されており、また、前記上記銭其?外相の1995(平成7)年3月の発言までは、控訴人らが本訴を提起することは政治的社会的に不可能であった。したがって、20年の期間の起算点は、控訴人らの権利行使が客観的に可能になった1995年におくべきである。
c さらに、本件細菌戦は、国際法に違反する戦争犯罪行為であり、加害者たる被控訴人は、控訴人ら被害者に対し、被害の継続・拡大を防ぐべき保護義務を負っていたのであり、本件細菌戦により生じた被害の回復を図る措置を採るべきであった。しかし、被控訴人は、これらの保護義務を果たさなかったばかりか、戦後、自ら作成した731部隊関係文書を廃棄処分して証拠と事実の隠蔽を図り、国会等公の場においても細菌戦の事実を認めず、中国に対する戦争責任も否定し続けてきたのであって、控訴人らに対し、一切の賠償、謝罪も行っていない。
 被控訴人のこれらの行為により、細菌戦被害者らは多くの家族を失い、戦後において幸い生き残った細菌戦被害者らも差別、偏見や、精神的ないし身体的苦痛に苦しめられ、その被害はいまだ継続している。
 したがって、控訴人らの主張する被控訴人の加害行為は、現在も継続しているのであって、被控訴人に対する損害賠償請求権については、未だ時効は進行していないということができる。
  

 2 本件細菌戦において時効・除斥期間の適用を制限すべきである

  (1) 時効・除斥期間の制度における正義と公平の要請
 加害者による民法724条の時効援用及びその結果が、著しく正義、公平に反するときは、その時効援用は権利の濫用に当たるものとして排斥されるべきである。
 また、仮に、同条後段所定の20年の期間が除斥期間であるとしても、その適用が著しく正義、公平に反し、条理にもとるときは、同条後段の規定は適用されるべきではない。
 そして、民法724条の適用が著しく正義、公平に反するか否かは、具体的には、@被害者の権利不行使に対する加害者の加担、A権利者の権利不行使に対する非難性の欠如、B時効による加害者保護の不適格性、C時効・除斥期間がもたらす結果の著しい不正義・不公正といった諸事情を考慮して判断すべきである。

  (2) 本件における時効・除斥期間の適用の制限
@ 被害者の権利不行使に対する加害者の加担について
 控訴人の本件不法行為は、日本の中国侵略戦争における細菌戦の実行という、史上類例のない残虐な行為である。このことは、民法724条後段の適用に当たって十分斟酌されなければならない要素である。
 被控訴人の本件不法行為は、非戦闘員たる一般住民を無差別大量に殺戮することを狙った違法性の極度に高い残虐行為である。細菌戦がもたらした感染症によって犠牲者、被害者となった控訴人らには何の落度もなく、ある日突然原因不明の疫病によって苦しめられ、犠牲となったのである。その被害者がなんら救済されずに数十年間放置され、一方、その加害者である被控訴人が何の責任も果たさずに今日に至っているという現状において、時の経過は、被害者の権利消滅をもたらすものではなく、一刻も早く控訴人が被害を償い、控訴人ら被害者を救済すべきことを迫るものである。
 さらに本件細菌戦の違法行為において、極めて顕著な特徴は、被控訴人が、戦後において細菌戦の事実を隠蔽し、国際的国内的に日本軍の細菌戦が周知の事実となっている現在においても、その事実すら認めていないという点である。
 被控訴人は、敗戦直前に、中国では731部隊本部等の施設を破壊し、人体実験のために収容していた捕虜の「マルタ」を全員殺害し、731部隊をいち早く撤退させた。日本では、敗戦と同時に、陸軍省軍事課等の命令により細菌戦関係等の日本軍公式文書の焼却・隠匿した。
 また、1947年、被控訴人は、隠匿していた731部隊関係の文書を免責と引き換えに米国政府に交付し、戦争犯罪の責任追及を逃れた。
 1980年代に入り、細菌戦の事実が暴露され始めると、被控訴人は、本件細菌戦に対する責任を追及されることを恐れ、井本日誌などの防衛庁及び米国からの返還資料の保管資料を隠匿し、本件細菌戦の事実確認と証明を困難にした。
 1993年、吉見義明教授らが防衛庁防衛研究所図書館が公開した井本日誌などから細菌戦の記述を発見し、1995年12月に岩波ブックレットとして発表し、細菌戦の事実が社会的に明らかになると、被控訴人は、井本日誌を非公開にする措置をとった。
 井本日誌は、井本熊男が大本営参謀本部員などの立場で、731部隊からの直接の連絡を業務日誌として、本件細菌戦の計画、準備、実行及びその効果について詳細に記載したもので、例えば常徳細菌戦の実行の日時、場所、実行メンバー、使用細菌の種別等の内容は正確であり、この井本日誌などの被控訴人が保管する文書を用いれば、本件細菌戦の実態は、より一層解明されるはずである。
 しかし、控訴人らは、原審においても、井本日誌が井本熊男個人の防備録にすぎないなどと認めるにとどまり、事実解明を行うことを全くしない。
 また、被控訴人は、1950(昭和25)年3月の衆議院法務委員会における聴濤議員の質問、1982年4月の衆議院内閣委員会の榊原議員の質問、1997年から1998年の参議院決算委員会等での栗原君子議員の質問、1999年2月の衆議院予算委員会での田中甲議員の質問で、再三、事実調査につき促されているにもかかわらず、かかる調査を一切怠っている。
 未だに、被控訴人は、「資料が存在しない」等と事実と異なる答弁で、本件細菌戦の事実を正式に認めていない。
このような被控訴人の隠蔽行為は、控訴人らの権利行使を著しく妨害してきた。実際に存在している資料を開示せず、井本日誌等の存在をつきつけられても、なお「資料が存在しない」等と言い逃れようとする本件細菌戦の隠蔽行為は、極めて悪質で、控訴人らの権利行使を意図的に妨害する新たな不法行為である。
 本件控訴人らの権利不行使は、被控訴人が一国の権力をもって控訴人らの権利行使を妨害し、不可能にしてきた結果なのである。
   A 控訴人らの権利不行使に対する非難性の欠如
 控訴人らの戦後の生活は、非常に苦しいものであった。日本の侵略戦争と、その後の内戦による都市、農村の荒廃に加えて、控訴人らは、細菌戦の被害者であることによる苦しみを受けねばならなかった。本件細菌戦被害地において、控訴人らの多くは、一般流行の疫病にかかった者として扱われ、戦争の被害者としての正当な評価を受けることができなかった。
 本件細菌戦による被害地住民は、戦後も長期にわたって疫病の恐怖から逃れることができず、地域社会としての復興は困難となった。また、疫病発生地として社会的な差別を受け、経済的かつ社会的不利益を蒙らざるえなかった。
このように、前記控訴人による隠蔽行為、1972年まで断絶していた日中関係、日中共同声明における中国政府の賠償問題への対応などの客観的社会的状況に加え、控訴人らのおかれた生活状況からも、1995年頃までは、被控訴人に対する損害賠償請求権を行使することは事実上不可能であった。
 さらに、控訴人らが本件訴訟を提起するためには、中国と日本に、これを支援し、代理人となって活動する弁護士が必要不可欠であったのであり、そのような弁護士の活動が日本で具体化したのは第1次訴訟の控訴人らは1995年12月以降であり、第2次訴訟の控訴人らにとっては第1次訴訟を提起した1997年8月以降である。
 以上のとおり、控訴人らが本件提訴に至るまで権利行使ができなかたことについて、控訴人らには全く責がなく、控訴人らが権利の上に眠ってその権利行使を長期間怠っていたという事実はない。控訴人らは、訴訟提起が可能となるや、速やかに本件訴訟の提起に及んだのである。
   B 時効による被控訴人保護の不適格性
 原判決が認定するように、本件裁判の被害地8ヶ所全体の細菌戦による死亡者の数は1万人を超える。しかしこの数字は、細菌戦による犠牲者の一部にすぎない。
 細菌兵器は、戦闘の目的と比較して不相当な性格のものであるとの共通認識を前提にジュネーブ・ガス議定書で明示的に使用が禁止された国際法違反の兵器である。現在では、1972年4月10日に署名され1982年6月に日本が批准し効力が発生した細菌兵器禁止条約により、使用のみならず開発、生産、貯蔵も、国際法上も禁止されている。
 細菌戦は、本来命を救う目的を持つ医学的手段を、無差別大量の殺戮手段として使うという、いかなる意味でも許されざる行為である。それは、生命の尊厳に対する侮辱であり、その根底には、中国の人たちを人間として見ない被控訴人の民族差別があった。
 このことは、被控訴人が、中国ハルピン市平房に創設された731部隊等の細菌戦部隊において、陸軍中央の計画、指揮の下で、抗日運動の関係者等に対し各種の人体実験を行うなどして、細菌兵器の研究、開発、製造を行ったことにも示されている。
 こうして人体実験によって開発された細菌兵器を使い、被控訴人は、中国住民に対し、史上初めて本格的な細菌戦を実行したのである。
 したがって、本件細菌戦が、当時の国際法はもちろん日本の法規に照らしても違法なものであることは明白である。また、被控訴人は、ポツダム宣言受諾によって、本件細菌戦について調査及び救済義務を負ったが、これを履行することなく現在に至っている。
 また、本件訴訟において、控訴人らは、井本日誌及び井本熊男の証拠保全を申立て吉見義明教授の人証及び同教授の著作の岩波ブックレットを書証として提出した。主張立証が困難な事情は存しないにもかかわらず、被控訴人は、控訴人らの主張にかかる事実に対して認否及び具体的な主張を一切行わない。
 本件違法行為は、比較しうる類例がないほど悪質な違法行為である。時効による被控訴人保護の理由はまったくない。また、時効制度の存在理由を、真の権利者を保護し、弁済者の二重弁済を避けるための制度と解したとしても、また、証拠散逸による証明困難を救済するための制度と解したとしても、被控訴人の責任は明白であり、被控訴人が損害賠償責任を果たしていないことが明白である本件においては、時効又は除斥期間により被控訴人を保護する理由は全くないというべきである。
   C 時効・除斥期間がもたらす結果の著しい不正義・不公正
 本件細菌戦は、長期にわたって控訴人らの人間としての尊厳を踏みにじり、心身にわたる苦痛と被害を与えた悪質極まりない加害行為である。
 しかも、被控訴人は、戦後においても控訴人らに対して一切の謝罪も補償もせず、本件細菌戦の事実さえ認めようとせず、控訴人らの感情を著しく傷つけ、苦痛を増大させている。
 控訴人らは、いずれも年老いており、残された人生は短い。被控訴人が控訴人ら被害者に謝罪し、その損害を償い、被害者を救済する必要は火急の課題となっている。
 これらの事情を考慮すると、時効又は除斥期間により、被控訴人がその責任を免れることは、著しく正義、公平に反し、その結果は条理にも反するものである。

  (3) 以上のとおり、時効によって被控訴人が賠償責任を免れることは、
著しく正義、公平に反し、条理にもとることは明らかである。
 本件細菌戦の違法行為が、時効の適用によってその責任を免れることは、日本国憲法の国際協調主義、平和主義にも反するものである。国際法によって生じた国家責任には、時効も除斥もない。被控訴人の国際的義務の不履行は消えることがないのである。
 「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際杜会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」(日本国憲法前文)と誓った日本国憲法の法意に照らすならば、被控訴人が、一刻も早く謝罪し償い、国際義務を履行することが必要なのであり、本件不法行為に、民法724条は適用されるべきではない。
 また、本件細菌戦による被害は、時の経過と共に忘れられ、癒されるものではない。むしろ時の経過は、恐怖と苦しみの継続であり、控訴人らの損害は甚大なものになっていくのである。
 原判決も認めるように、戦争の惨害は最終的には個人に帰するものであるから、ハーグ条約及び同規則の究極の趣旨・目的は、陸戦の過程における非戦闘員を含めた個人の保護にある。本件細菌戦のような一般住民を大量殺戮する戦争犯罪が、時効の適用によってその責任を免れることは、戦争の惨害から個人を守る国際法の意図に反するものであり、個人の尊厳、人権の尊重を根源的な価値原理とする日本国憲法の法意に照らし、本件への民法724条の適用は排除されるべきである。

3 除斥期間を適用しない近時の判例

  (1) 除斥期間を適用しない最近の判例として、いわゆる予防接種事故の国家賠償請求訴訟がある。最高裁第2小法廷平成10年6月12日判決(以下、「平成10年判決」という。判例時報1644号42頁)は、次のように述べ、除斥期間の適用を排除した。
 「しかし、これによれば、その心神喪失の常況が当該不法行為に起因する場合であっても、被害者は、およそ権利行使が不可能であるのに、単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面、心神喪失の原因を与えた加害者は、20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となり、著しく正義・公平の理念に反するものといわざるを得ない。そうすると、少なくとも右のような場合にあっては、当該被害者を保護する必要があることは、前記時効の場合と同様であり、その限度で民法724条後段の効果を制限することは条理にもかなうというべきである。」
 上記平成10年判決は、国の過失によって被害者が心神喪失に陥り権利行使が不可能であったことを奇貨として、国が法的責任を免れるものとすれば、それは著しく正義公平の原則に反するという考え方に立脚するものと解される。

  (2) この点、適用制限が認められるのが、平成10年判決の事例に限定
する趣旨と解することは、次の理由により誤りであると言わねばならない。
   ア その理由の第1は、この判決が除斥期間の画一的・機械的適用が「著しく正義・公平の理念に反する」場合にその適用を「制限することは条理にもかなう」と述べ、さらに「特段の事情があるときは・・・724条後段の効果は生じないものと解するのが相当である。」と述べていることである。
 すなわち、「正義・公平」「条理」「特段の事情がある場合」といった一般原則が要請する限り、除斥期間の適用を制限する趣旨と解すべきだからである。

イ その理由の第2は、民法158条が類推適用できる場合あるいは権利行使不能の原因を作ったのが加害者自身である場合に限定する趣旨だとすると、従来型の硬直的な除斥論がかかえていた欠陥を是正するという、平成10年判決の目的は達し得ないからである。すなわち、様々な複雑な構造を有する現代の不法行為に柔軟に対応して、事件の特性に適合した具体的妥当性を有する解決を追求してこそ、従来型の判決が露呈していた欠陥・不合理性を解消することができるからである。その場合に初めて正義・公平という法の基本理念が実現されるのである。

ウ その理由の第3は、文言上にも「少なくとも右のような場合にあっては、・・・・その限度で民法724条後段の効果を制限することは条理にもかなうというべきである」と述べており、「少なくとも右のような場合に限って」とは明示していないのであるから、除斥期間の適用制限の例示をしたのであって、限定した趣旨と解すべきではない。
 平成10年判決の多数意見は、「除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用であるという主張」を排斥し、それに代えて「著しく正義・公平則の理念に反するもの」や「条理」にかなう解釈を唱えている。「著しく正義・公平の理念」違反・「条理」にしても、さほどの懸隔があるとは考えられないからである。
 具体的な考慮要素については、以上のような裁判例を踏まえ、かつ時効・除斥期間制度の存在理由とされる@権利の上に眠る者は保護に値しない、A時の経過による立証・採証の困難、B法的安定性という公益、を考慮して時効の援用ないし除斥期間の適用制限の一般的要件論を示せば次のとおりである。
 すなわち、権利不行使につき権利の上に眠る者との評価が妥当せず、義務の不履行が明白で時の経過による攻撃防御・採証上の困難がなく、権利の性質や加害者と被害者の関係などから、時の経過の一事によって権利を消滅させる公益性に乏しい場合には、むしろ積極的に時効援用、除斥期聞の適用制限をすべきということになる。
 さらに、福島地裁いわき支部判決(平成2年2月28日、判例タイムズ719号223頁)は、「著しく正義に反し」として時効援用、除斥期聞の適用制限を行った。同判決は、a@被告における義務違反の明確さ、A義務違反の態様の悪質さ、B原告らの権利行使についての被告側の責任、C原告を犠牲にしての被告の利益、b義務違反・損害賠償債務の存在の明白性、c被害者の権利不行使における非難性の不在、を特に重視して判断していることも参考になる。

  (3) また、平成13年7月12日東京地裁民事14部において下されたいわゆる劉連仁事件判決がある。これはまさしく、正義公平の原則に反するとして、除斥期間の適用を制限する判断を下した。
 「このような除斥期間制度の趣旨の存在を前提としても、本件に除斥期間の適用を認めた場合、すでに認定した劉連仁の被告に対する国家賠償法上の損害賠償請求権の消滅という効果を導くものであることからも明らかなとおり、本件における除斥期間の制度の適用が、いったん発生したと訴訟上認定できる権利の消滅という効果に直接結び付くものであり、しかも消滅の対象とされるのが国家賠償法上の請求権であって、その効果を受けるのが除斥期間の制度創設の主体である国であるという点も考慮すると、その適用に当たっては、国家賠償法及び民法を貫く法の大原則である正義、公平の理念を念頭に置いた検討をする必要があるというべきである。すなわち、除斥期間制度の趣旨を前提としてもなお、除斥期間制度の適用の結果が、著しく正義、公平の理念に反し、その適用を制限することが条理にもかなうと認められる場合には、除斥期間の適用を制限することができると解すべきである。」
 「そのような被告に対し、国家制度としての除斥期間の制度を適用して、その責任を免れさせることは、劉連仁の被った被害の重大さを考慮すると、正義公平の理念に著しく反していると言わざるを得ないし、また、このような重大な被害を被った劉連仁に対し、国家として損害の賠償に応じることは、条理にもかなうというべきである。よって、本件損害賠償請求権の行使に対する民法724条後段の除斥期間の適用はこれを制限するのが相当である。」
 この判決の論旨は、まさしく本件においてもそのまま妥当するものである。
 本件における被控訴人の不法行為の内容を構成する731部隊等の細菌戦は、一般の不法行為と同列に論じるには余りにも非人道的な、国際法違反の戦争犯罪行為であり、その責任を単に時間の経過をもって、消滅するものとすることはできない。本来、本件のような戦争犯罪に対しては、時効あるいは除斥という概念は適用できないのである。
 日本と中国との平和条約締結が、1978年に至るまでなされなかったということを奇貨として、被控訴人は本件不法行為に対する損害賠償責任をほおかむりしてきた。一方、被害者は、権利行使が不可能な状態におかれ、そのこと自身が、また新たな苦痛を生むことになってきたのである。
 本件こそまさに、正義と公平の理念を実現するために、除斥期間の適用を制限しなければならないケースである。

  (4) さらに、平成14年4月26日福岡地裁において下されたいわゆる
三井鉱山強制連行事件判決がある。これも、上記同様、正義公平の原則及び信義則から除斥期間の適用を排除した判決である。

  (5) このように、近時の判決の流れは除斥期間の適用排除の方向へと大きく風向きを変えていることは明らかである。
 したがって、裁判所は本件事案においても除斥期間の適用を排除し、速やかに控訴人らの損害賠償請求を認めるべきである。

第4 「日中共同声明による解決」論について

 1 原判決の判断
   原判決は、「被告には本件細菌戦に関しヘーグ陸戦条約3条の規定を内容とする国際慣習法による国家責任が生じていた」ことを認めながら、「本件細菌戦に係る被告の国家責任は、我が国と中国との国家間でその処理が決定されるべきものである」として、本件細菌戦に係る「被告の国家責任」については日中共同声明と日中平和友好条約によって、「国際法上は」「決着したものといわざるを得ない」と判示している。
 しかし、日中共同声明と日中平和友好条約によって、はたして被控訴人の国家責任が国際法上決着したと言えるのであろうか。

 2 日中共同声明における「戦争賠償の請求を放棄」について
   1972年9月29日の日中共同声明は、日本側が「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と表明したことを前提として、中国側が「中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言」した。1978年日中平和友好条約は、「共同声明の諸原則を厳格に遵守すべきことを確認する。」と定めている。
 ここには、三つの問題点がある。
  (1) 日中共同声明では「請求権を放棄」ではない
 第1に、日中共同声明では「戦争賠償の請求を放棄」となっており、「請求権を放棄」ではない点である。
   ア 「賠償問題は日華条約で解決済み」という日本の立場
     日中国交正常化の交渉役とされていた公明党委員長竹入義勝と周恩来首相との事前交渉に関して、有名な「竹入メモ」(1972年7月29日付)が残されている。この「メモ」の中には、当初中国側から提示された共同声明案には、戦後処理について「@中華人民共和国と日本国との間の戦争状態は、この声明が公表される日に終了する。A日本政府は、中華人民共和国が提出した日中国交回復の三原則を十分に理解し、中華人民共和国政府が、中国を代表する唯一の合法政府であることを承認する。これに基づき両国政府は外交関係を樹立し、大使を交換する。(中略)F日中両国人民の友誼のため、中華人民共和国政府は、日本国に対する戦争賠償請求権を放棄する」ことがうたわれていた。
 ところが、日本政府は、戦争状態の終結についてすでに1952年の「日華条約」で確認されており、「二度も同じことを繰り返すことは国際法上できない」という立場から、@やFに難色を示していた。
 1972年9月25日からの田中角栄首相の訪中の際行われた首脳会談でもその点が問題になっていた。26日午後の第2回首脳会談で周恩来は、午前中の外相会談での高島条約局長の「賠償問題は日華条約で解決済み」という発言を次のように批判した。「蒋介石が日台条約で賠償請求権を放棄したことで、このたびの共同声明には賠償問題を言及する必要がないという条約局長の発言は、実に我々は奇異に覚える。当時蒋介石はすでに台湾に逃げていた。彼は全中国を代表することはできない。これは他人の財貨で気前の良さを見せようとするものだ。戦争で被害を受けたのは主に大陸であり、我々は両国の人民の友好関係から考え、日本人民を賠償の支払で苦しませたくないから戦争賠償請求権を放棄しようとしたのである。条約局長は逆に蒋介石がすでに放棄したからといって我々の気持ちをくんでくれない。これは我々に対する侮辱にほかならない」と。
 こうしたやりとりのすえ、9月29日に共同声明が妥結したのであるが、その結果、賠償の問題では、「戦争賠償の請求を放棄」となり、「権」を削除したのである。
 この点につき、大平外相は、自民党両院議員総会(1972年9月30日)で、「もし中国が”賠償請求権”の放棄という言葉にこだわると、私どもはやっかいな立場になるところだったが、”賠償請求”という言葉にしてもらい、”権”という言葉はついていない」と述べ、さらに「日華条約にすでに中国の”対日戦争賠償権の放棄”が規定されたのに、再び”賠償請求権”と規定すると、依然として中国に請求権があることを認めることになり、矛盾してしまう」と解説した。
 すなわち、1972年当時の日本政府の立場としては、中華人民共和国には、放棄すべき「賠償請求権」はないという解釈だったのである。
   イ 「台湾が賠償請求権を放棄」は日本側解釈 
     それでは、中国の対日戦争賠償請求権は、1952年の「日華条約」によって放棄されたのであろうか。
 1950年後半から始まった対日講和締結交渉は、当時の東西対立の政治的構図の中で、複雑な様相を呈した。アメリカは中華人民共和国の対日講和参加に反対し、台湾政権を中国の正統政府として対日講和に参加させようとしたが、周恩来首相が強く反発し、英国も台湾の参加に反対するに至り、最終的に米英の妥協案として「“二つの政府”とも招請しないで、独立後の日本にどの政権と講和するかを任せる」ことを決めた。これによって戦勝国であったはずの中国は、対日講和に最も参加の権利を有していたにもかかわらず、逆に敗戦国である日本の選択により講和の相手には選ばれないという前代未聞の事態になってしまったのである。
 こうして、サンフランシスコ対日講和条約は、中国の両政権とも参加しないまま締結されたため、同条約の賠償条項をはじめ対日講和における戦後処理の取り決めのすべてが、日中間の戦争処理に適用することも基準にすることもできないことになったのである。
 日華条約の締結交渉は、1952年2月20日から4月27日まで、2ヶ月以上もかけて台北で行われた。この交渉において、サンフランシスコ講和条約のような全面的な講和を求める台湾側に対し、日本政府は、講和よりも「修好条約」として簡素なものにすることを提案し、賠償に関する条項も削除することを求めていた。このような交渉での綱引きの結果、結局、日華条約本文には、賠償問題に関する規定がなく、その「条約の不可欠の一部をなす条項」としての条約議定書には、「中華民国は、日本国民に対する寛厚と善意の表徴として、サンフランシスコ条約第14条(a)1に基づき日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄する」と記されることになった。すなわち、日華条約の全文と付属文書には賠償という文字さえもなく、台湾側が賠償請求権を放棄したと解釈されることとなったのである。
   ウ 適用範囲の限定された日華条約
 日華条約については、日本政府は当初から適用範囲について限定的であるとはっきり認めている。
 1952年6月26日、参議院外務委員会で、曽祢益(右社)議員は、「ただ一点だけです。従って非常に俗語で申し上げまするが、この日華条約のいろいろなテクニックや綾に拘わらず、この条約によって日本政府はこの中華民国国民政府というものを全面的な中国の主人として承認したものではない、こう考えまするが、その点は総理のはっきりしたお考えを、イエス・オア・ノーでお答え願いたい」と吉田茂首相に直接に質した。この質問に対し吉田首相は、「これは条約にもはっきり書いてありますが、現に中華民国政権の支配しておる土地をもつ中華民国との間に条約関係に入る。将来は将来であります。併し目的は終わりに一中国全体との条約に入ることを希望してやまないのであります」と答えた。さらに曽祢が「総理が、紙差(ママ)でお話にならないで、ずばりと言えば、全面的な承認ではないということでございましょう」と反問し、吉田は「そういうことです」との認識を示した。曽祢も「結構です」と納得した。
 また、1954年12月16日、衆議院外務委員会での、並木芳雄(改進)議員の質問に対し、下田条約局長は「純法律問題として、お答えしたい。要するに日華平和条約におきます日本政府の根本概念は、国民政府と平和条約を結ぶけれども、そのことはいわゆる中国の全領土にこの条約が適用するものであるという見解はとらないということであります。でございますから、ご指摘の交換公文におきまして、平和条約とは申しながら、適用の地域的限界がはっきりあるということを認めた上での条約でございます」と、鳩山一郎内閣の時期も吉田内閣と同じ見解を再確認したのである。
 日華条約については、1972年の日中共同声明によって日本が中華人民共和国政府を唯一の合法政府と認め国交正常化に踏み切った結果、日華条約は終了した、という形で日本政府は問題を処理した。もともと無効であったとする中国側の理解と異なり、日本側は、いまでも日華条約がかつて有効であったとしている。併し、その有効性は、1952年8月5日(発効日)から1972年9月29日(日中国交正常化の日)までであり、その効力範囲は全中国ではなく、中国の一部である台湾地域にしか及ばない(日華条約交換公文第1号により)ことになるはずである。したがって、日華条約に基づく戦後処理の効力も、台湾地域にしか及ばず、日華条約によって、対日戦争賠償請求権の放棄がなされたとしても、それは、台湾地域のそれに限定されたものでしかないのである。
   エ 「賠償請求権」は放棄されていない
     したがって、中国本土における対日戦争賠償請求権は、1952年日華平和条約によっても、1972年の日中共同声明によっても、決して放棄されていないのである。日中共同声明と日中平和友好条約によって、「国際法上は」「決着したものといわざるを得ない」とする原判決の理解は誤りであるといわなければならない。

  (2) 日中共同声明の「賠償請求の放棄」には個人の賠償請求権は含まれない
    第2に、「戦争賠償請求の放棄」は、個人による請求までも含むのか、という点である。この点については、国家が個別の同意なく、個人のもつ賠償請求の権利を放棄できるはずがないことは、あえて多言を要しないところである。
 この当然の道理を、1992年4月、江沢民国家主席は、日中戦争時の民間被害については、相互に協議して条理にかなう形で妥当に解決すべきであることを主張してきた旨発言した。さらに、1995年3月9日、中華人民共和国銭副首相兼外相は、日中共同声明における戦争賠償請求の放棄には、「個人の賠償までは含まれない」、賠償の請求は個人の権利であり、中国政府は干渉すべきでないと明言した。
 当然の道理であるが、この銭副首相兼外相の発言によって、個人請求権がいささかも放棄されていないことは確定していると考えてよい。原判決も、日中共同声明によって個人の請求権まで放棄されたといっているわけではないのである。

  (3) 細菌戦被害の賠償請求は放棄されない
    第3の問題は、ここで中国政府が放棄したとされる「戦争賠償」の被害の範囲の問題である。戦争犯罪行為、とりわけ、細菌戦という人道に反する重大な戦争犯罪行為までも、中国政府が請求放棄=免責したのかどうかである。
 ところで日中共同声明に先立ち、1949年8月12日に成立したジュネーブ諸条約とくに「戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーブ条約(第4条約)」第147条によれば、「殺人、拷問若しくは非人道的待遇(生物学的実験を含む)、身体若しくは健康に対して故意に重い苦痛を与え、若しくは重大な傷害を加えること」と重大な違反行為を規定し、生物学的実験を含む非人道的待遇等の重大な違反行為に対して、賠償請求の免責を禁止した(1953年日本国加入。)。本件細菌戦のような「重大な違反行為」については、請求権を放棄できないのである。
 本件の場合、中国政府が、日本に対する戦争賠償請求を放棄したのは、それによって日本国民を苦しめることが将来の友好の妨げになるという観点からである。周恩来首相は、「我々は両国の人民の友好関係から考え、日本人民に賠償の支払で苦しませたくないから戦争賠償請求権を放棄しようとしたのである」と述べている。
 したがって、そこで想定された賠償の内容は、戦闘行為に伴い中国国家が支出した戦費や、通常の戦闘行為に伴う中国国家が被った物的損害などを念頭に置いたものであり、中国の民間人が被った個別の特別な損害などはもともと含まれていない。
 明白な戦争犯罪によって中国民間人が被った損害についてまで、賠償請求を放棄して犯罪行為を宥恕するなどということは、論外のはずであって、それまで放棄の対象に含めるなどという考えは毛頭ないものというほかない。
 日本軍の将兵に対して比較的寛大であった中国政府も、戦争犯罪に対しては厳しく断罪する姿勢を示してきた。
 中華人民共和国成立後も、中国政府は、戦争犯罪に対しては、それを断罪する態度であり、十分な自己批判なしには、犯人を許さなかった。
 そうした中国政府の対応は、ハバロフスク裁判においても明確に現れている。
 決して、中国政府が、細菌戦被害についてまで、賠償請求を放棄したものではないことは明らかなのである。

 3 結論
 日中共同声明によって中国政府は、細菌戦のような残虐な戦争犯罪についてまで賠償請求放棄を述べているものではない。したがって、本件細菌戦に係る被控訴人の国家責任は、国際法上も何ら解決していない。解決したことを前提とした原判決の立論は誤りである。

 よって、本件細菌戦は、ジュネーブ・ガス議定書を内容とする国際慣習法に違反し、民法709条ないし711条または715条の不法行為に該当する。


第3章 条理に基づく謝罪及び損害賠償請求

第1 原判決は社会的正義に反する

 原判決は、本件細菌戦被害者らに重大な被害の事実が存在すること、さらに細菌戦の行為が、行為当時すでに国際法違反であったことを認めたにもかかわらず、また、賠償立法が戦後50有余年を経た今日に至るも存在せず、被害の救済が全く為されていない現状をふまえた上でもなお、条理に基づく控訴人らの損害賠償請求および補償請求を、以下に詳述するような理由によって認めようとしない。
 このことは、細菌戦の被害の事実を認定しながらも、裁判所がこれを救済せず無責任に放置するものであり、このような原判決は、社会的正義に照らして到底是認されるものではない。 
 よって、裁判所は、迅速な救済の高度の必要性に鑑み、端的に条理に基づいて裁判すべきである。

第2 条理の法源性
  
  条理とは、実定法体系の基礎となっている基本的な価値体系を意味すること、これが単に裁判官の主観の中にだけ存在するものではなく、客観的に社会一般に存在しているものであることは、原判決も認めるところである。
 明治8年太政官布告103号裁判事務心得3条の「民事ノ裁判ニ成文ノ法律ナキモノハ習慣ニ依リ習慣ナキモノハ条理ヲ推考シテ裁判スベシ」という規定、また、スイス民法1条の「文字上または解釈上この法律に規定の存する法律問題に関しては、すべてこの法律を適用する。この法律に規定がないときは、裁判官は慣習法に従い、慣習法もまた存しない場合には、自分が立法者ならば法規として設定したであろうところに従って裁判すべきである」という規定等に定められているのと同様の意味だと解される。
 しかしながら、原判決は、「一般には、具体的な事件の法的価値判断に適するような具体的な判断基準の形をとるものではない(26頁9行目)。」とする。つまり、原判決は、条理は抽象的、多義的、相対的観念であり、条理のみを根拠として個々人に具体的な請求権が生じることはないとするのである。
 しかし、制定法や慣習法のない場合にも、裁判官は裁判を拒むことはできない(憲法32条参照)。そのような場合、裁判官は「条理ヲ推考シテ裁判」すべきものとされる。
 そして、裁判官が具体的事件の解決に際して具体化した条理にしても、当該裁判の既判力は当該事件にしか及ばないから、直ちに法規範になるとはいえないけれども、それでもなお、条理は、裁判官が裁判に際して拠るべき基準の源泉であり、その意味で法源であるということができる(四宮和夫「民法総則」7ページ参照)。
 つまり、制定法や慣習法が当該事件のための判断基準を提供していない場合には、裁判官は条理に従って裁判することを要請されており、従ってまた条理を根拠として裁判の正当性の論証をすることが許されている。
 ドイツでは、裁判所はしばしば率直に「条理によれば」、「健全な国民感情によれば」、「われわれの法的感情によれば」、あるいは「正義の観念によれば」といった表現で裁判していることはきわめて注目に値する、とある法社会学者は評価している。
 この点、裁判は必ず法によるべしという前提に固執すれば、条理は最後の規準としての法律だといわねばならないことになる。
 しかし、むしろ事態を直視して、条理は法ではないが、裁判は最後の規準として法でない条理に根拠を求めることを許される。三権分立の思想もその限りでは制限されるというのが至当だと思うという指摘もある(我妻栄「法源」民事法学辞典1826ページ)。
 また、私法法規ないし慣習法が存在しない場合に補充的に条理裁判をするべきという次のような指摘もある。「条理裁判の本質は新自然法であるが、どうして新自然法を発見し、いかに適用するか、条理裁判をして主観の危険なく社会適応・進歩の課題を実現せしめるか、法の静状・動状の二大要請の調節をいかにして可能ならしめるかの方法の確定が肝要である。統一条約法、世界慣習法、各国共通の傾向を示す立法、判例、学説、法規行為などの現実所与を含む世界的因子が他の因子と融合して第三法源たる自然法を形成するから、他の諸因子と不調和にならぬかぎりなるべく世界的因子を尊重し、国法内容の世界法内容への同化を助長する方向へ各国法の犠牲的精神を発揮するべき」「財産法分野においては『文明国の認めた法の一般原則』が他の実定規範なき場合に適用されるべきである」(杉山直治郎「法源と解釈」103〜105ページ、新版注釈民法 6〜7ページ)。
 原判決は、「条理の名の下に裁判官が自らの主観的な信念に基づき判断をしてしまうおそれがある。」などと判示するが、原判決が認定した本件細菌戦の事実関係の下で被害者らに賠償を行うことは、まさに自然法にかなったものであり「主観の危険なく社会適応・進歩の課題を実現せしめ」「世界的因子を尊重し、国法内容の世界法内容への同化」を進めることになるのである。

 2 また、率直に「条理」に基づいて裁判した例がある。
 日本国内に営業所を有するマレーシア連邦の航空会社が運行する航空機の墜落事故によって死亡した日本人の遺族が、右航空会社を被告として、わが国の裁判所に損害賠償請求の訴えを提起した事件において、同事案につきわが国が裁判権を有するか否かが争われた。最高裁判所は「直接規定する法規もなく、また、よるべき条約も一般に承認された明確な国際法上の原則も未だ確定していない現状のもとにおいては、当事者間の公平・裁判の適正・迅速を期するという理念により条理に従って決定するのが相当」であり、「これらに関する訴訟事件につき、被告をわが国の裁判権に服させるのが右条理に適うものというべきである」と判示した(最高裁第2小法廷1981年10月16日判決・民集35巻7号、判例時報1020号9ページ)。
 また、「条理」を根拠として個々人に具体的な請求権が生じるとした裁判例が存在する。株式会社の取締役を辞任した者からの会社に対する取締役辞任登記申請手続について、千葉地裁1984年8月31日判決(判例時報1131号144ページ)は、条理上登記義務を認めて次のように判示している。「原告は、被告の取締役を辞任したのであるから、被告は、その旨の登記手続をなすべき義務があるのであって、被告がこれを任意に履行しない場合においては、条理上、原告は、被告に対し、その旨の登記手続をすることを強制することができるものと解するのが相当である」としている。

 3 制定法は、たとえ慣習法によって補充されたとしても、少なからぬすきま(欠缺)をもっている。
 たとえば、立法者がきわめて抽象的な概念を使用し、その具体化を裁判官に一任している場合(たとえば、民法1条の「公共ノ福祉」「信義誠実」「権利ノ濫用」など)、立法者が意識的にか無意識的にか規定を置かなかった場合、あるいは制定後新しい生活関係を生じた場合など、要するに制定法が沈黙している場合、立法者は規定を設けたけれど、それをそのまま適用すると多かれ少なかれ不当な結果を生じ、もし立法者がそのことを知っていたならば、そのようには規定しなかったであろうと考えられる場合には、裁判官は制定法をそのまま適用することができない。
 右の場合には、国家の組織規範が法の適用を裁判官に委任したとき、すでに、裁判官による裁判基準の発見を明示的または黙示的に認めたものと考えられる。右の場合にはそのようには考えられないが、しかし、委任の法理に従って、制定法の指示を修正することが許されるであろう。委任の法理に従えば、当事者の予見しない場面や結果が発生した場合には、たとえ委任者の指図に反しても、委任の目的と委任者の思考方法に適合し、そしてこの事態を知ったならば委任者はかく命じたであろうと推認されるところを遂行することこそ、受任者の権限かつ義務であると考えられるからである。そもそも、国家の法制定権自体が社会の意思に基づくものであり、制定法が存在しなかったり、社会の現実を妥当に規律できなくなった場合には、裁判官が社会に妥当する規範に従って裁判すべきことは、法の目的を達成するゆえんである。
 要するに、裁判官が裁判に際して制定法・慣習法のほかに拠るべき基準を自ら発見しなければならないことは、憲法76条3項の表現にもかかわらず(むしろ「法律」の語は客観的法規範という意味に広義に解するべきなので「法源」とされる自然法や条理も含まれる)、すでに立法と司法との分化という国家組織のうちに予定されていると考えられるのである。

第3 条理に基づく補償請求について

 1 原判決は、控訴人らの条理に基づく損害賠償請求に対し、「国家無答責の法理」を根拠にして斥けた。
 すなわち、当時においては、国の当該権力的行為が違法であっても損害賠償責任を負わないという「法」が確立していた。このように、本件細菌戦による損害の賠償責任に係る裁判規範として「法」が欠けていたわけではないから、本件において条理によって違法な公権力の行使に起因する損害賠償請求権を認めることはできないとする。
 また、原判決は、条理に基づく損失補償又は特殊な補償請求についても「国家無答責の法理」を根拠にして斥けた。
 すなわち、細菌戦が行われた当時、我が国においては「国家無答責の法理」により国の公権力行使による損害賠償責任は否定されていたのであるから、当時の法体系中にこれについて損失補償その他の特別な補償をすべきであるという条理が存在していたと認めることはできないとする。

 2 「国家無答責の法理」を主張することの不当性については、別項で詳細に論じているので譲るとして、ここでは念のためにつぎの点を指摘しておく。
 「国家無答責の法理」は、権利の発生を阻止するものではなく、発生した権利を国家に対して行使することを許さないという抗弁である。したがって、仮に本件細菌戦が行われた当時、「国家無答責の法理」が存在したとしても、戦後憲法及び国家賠償法が施行され、「国家無答責の法理」が消滅して以降は、発生した権利を国家に対して行使することを妨げる法律上の障害はなくなったのであるから、原判決のように今日の段階で、「国家無答責の法理」を抗弁として認めることは許されない。
 2003年3月11日に判決のあった強制連行訴訟(東京地方裁判所平成9年泊謔P9625号)において、裁判所は、以下のとおり判示した。
 「戦前の裁判例及び学説に照らすと、『国家無答責』なる不文の『法理』が確立しているとの理解を背景として、上記のような解釈が採られていたことがうかがわれるものの、現時点においては、『国家無答責の法理』に正当性ないし合理性が見出しがたいことも、控訴人らが主張するとおりである」
 この判決も、戦前・戦中はともかくとして、戦後の現時点において「国家無答責の法理」を主張することに正当性ないし合理性がない旨判示しており、上記と同様の考え方に基づくものと思われる。
 よって、原判決が、控訴人らの条理に基づく補償請求を、「国家無答責の法理」をもって斥けたことは、全く誤っていると言わなければならない。

 3 そもそも条理に基づく補償請求に対して、「国家無答責の法理」は抗弁
たりえないのである。なぜなら、条理に基づく補償請求は、国家に対しその不法行為に基づく損害賠償を求めるのとは法的性格が異なるからである。原審における2001年7月18日付の控訴人らの準備書面で詳細に述べたとおり、現行法上の国家補償の範疇を考察すると、@不法な公権力の行使により生ずる損害に対する国家賠償、A適法な公権力の行使により生ずる法の予想していた財産的損失に対する損失補償、B単に結果的現状に着目して行われる社会保障、C上記@ないしBと異なる特殊な国家補償制度がある。
 「国家無答責の法理」が抗弁として意味を持ちうるのは、上記@ないしCのうち@のみである。すなわち、不法な公権力の行使により生ずる損害に対する国家賠償責任を免責するというのが「国家無答責の法理」の趣旨である。したがって、上記AないしCの補償の場面では、「国家無答責の法理」は働かないのである。
 以下、上記Cの特殊な国家補償制度について、再論をおそれず説明しておく。

ア 予防接種法の救済制度の法的性格
 予防接種法は、同法が国に義務づけた種痘などの予防接種をうけたことに因って、疾病にかかり、障害の状態となり、又は死亡した者に対して所定の給付を行うものとしている(同法11条〜18条)。
 上記制度の給付の法的性格は次のように説かれている(炭谷茂・堀之内敬『逐条解説予防接種法』156〜7頁・ぎょうせい)。
「予防接種を受けたことによる健康被害は適法な公権力の行使による結果と考えられるので、不法行為に基づくものではない点で国家賠償と異なり、法が当然に予想する財産的損失ではない点で損失補償とも異なり、更に、単に結果に着目するのではなく国が原因である予防接種を義務づけているという点で社会保障とも異なる。結局、予防接種法による予防接種は、社会防衛のために国家に義務づけたものであり、関係者がいかに注意を払っても極微少の確率で不可避的に健康被害の起こり得ることは現代医学をもってしても否定できない事実であり、そうでありながら、あえてこれを実施しなければならないという特殊性を有しているので、このような社会的に特別の意味を有する健康被害に対して、社会的公正の理念に立ちつつ、国家補償的精神をも加味して予防接種による健康被害に対する救済制度が設けられたものである。」
  国会においても、この点について厚生省公衆衛生局長佐分利輝彦は次のような趣旨説明を行っている。
「(佐分利政府委員) 
 新制度の名称は、あくまでも救済制度でございます。そこで、その内容の性格でございますが、はっきり申し上げまして、損害賠償制度ではございません。また、いわゆる社会保障制度でもございません。このような国や地方公共団体の行政行為に基づく被害につきまして、特に生命とか身体の被害につきまして、しかもしかも無過失の場合に救済をするというような制度は全く新しい制度でございます。そのような関係から、従来の判例も、定説もないわけで、諸説が粉々としておるわけでございますけれども、私どもといたしましては、公的補償の精神に基づいた救済制度であると考えております」(第77回・国会昭和51年5月14日衆議院社会労働委員会議録第9号20頁)
 また、次のような指摘もある。
「このような制度は、既存の伝統的二元論体系のいずれにも属しない第3範疇に位置づけられるべきものであるがゆえに、立法者は『国家補償的精神に基づき救済を行い、社会的公正をはかる』特殊な補償制度として位置づけたのである」。(成田頼明「予防接種健康救済制度の法的性格について」『公法の基本問題(田上穣治先生喜寿記念)』480頁・有斐閣)
イ 刑事補償の救済制度の法的性格
 犯罪の被疑者として抑留、拘禁された後、無罪の裁判を受けたものに対する刑事補償も、不法行為に基づくものではない点で国家賠償と異なる。憲法は17条に規定する公務員の不法行為による国等の損害賠償責任のほかに、刑事補償を40条において認めているのであって、刑事補償は過失を要件とせず、むしろ無過失であり、少なくとも国家行為のその時点における判断としては適法行為に基づいているのである。しかしながら、法が当然に予想する生命・身体への侵害ではない点で損失補償とも異なり、また社会保障とも異なる。結局、刑事補償は、科学的捜査方法が万全でない現実で、刑事司法の運営上やむを得ないものとして、一定の嫌疑が認定されたときは、自由を拘束することを適法とする現行制度のもとで、後になって当該拘束が客観的には違法となった場合においてもなおこの拘束を適法視し、自由を拘束されたものの権利侵害を何ら救済せず放置することは人権尊重の精神から見過ごすわけにはいかないところから設けられた権利救済制度である。同制度も既存の体系のいずれにも属しない国家起因性の犠牲に対する国家補償制度として位置づけられるであろう。
 国家補償(広義)には、以上のような国家賠償、損失補償および社会保障のほかに特殊な国家補償(狭義)制度が存するのである。

 4 戦争犠牲に対する日本の補償立法
 「政府の行為」による「戦争の惨禍」の犠牲者に対する国家補償についても、人道的目的に基づいた国家賠償および損失補償とは異なる特殊な国家補償制度が存する。

ア 原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の国家補償の法的性格
 原爆医療法は、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者がその居住地(居住地を有しないときはその現在地−同法3条1項)の都道府県知事に申請して被爆者健康手帳の交付を受けたときは所定の医療給付を受けるものとしている。
 この救済制度の性格について、不法入国した韓国人被爆者からの被爆者健康手帳の交付申請を認容した最高裁判決は次のように判示している。
「原爆医療法は、被爆者の健康面に着目して公費により必要な医療の給付をすることを中心とするものであって、その点からみると、いわゆる社会保障法としての他の公的医療給付立法と同様の性格を持つものであるということができる。しかしながら、被爆者のみを対象として特に上記立法がされた所以を理解するについては、原子爆弾の被爆による健康上の障害がかつて例をみない特異かつ深刻なものであることと並んで、かかる障害が遡れば戦争という国の行為によってもたらされたものであり、しかも、被爆者の多くが今なお生活上一般の戦争被害者よりも不安定な状態におかれているという事実を見逃すことはできない。原爆医療法は、このような特殊の戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかるという一面をも有するものであり、その点では実質的に国家補償的配慮が制度の根底にあることは、これを否定することができないのである。例えば、同法が被爆者の収入ないし資産の状態のいかんをとわず常に全額公費負担と定めていることなどは、単なる社会保障としては合理的に説明しがたいところであり、上記の国家補償的配慮の一端を示すものであると認められる」(第一小法廷昭53・3・30判決最高民集32竄Q号435頁・判例時報886号3頁)
また、同判決は
「同法が被爆者のおかれている特別の健康状態に着目してこれを救済するという人道的目的の立法」
であるとし、次のように判示している。
「同法3条1項にはわが国に居住地を有しない被爆者をも適用対象者として予定した規定があることなどから考えると、被爆者であってわが国内に現在する者である限りは、その現在する理由等のいかんを問うことなく、広く同法の適用を認めて救済をはかることが、同法のもつ国家補償の趣旨にも適合するものというべきである。」
 判決は、被爆者に対する給付の法的性格を上記のように説示したうえ、当該事案について、
「不法入国者であるがゆえにこれをかえりみないことは、原爆医療法の人道的目的を没却するものといわなければならない。」
として、不法入国した被爆者についても同法の適用を認めているのである。
 その判示するところから明らかなとおり、被爆者が被った「戦争の惨禍」の犠牲は「政府の行為」によってもたらされたものであり、戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかるべきであるという国家補償の精神に基づいて、同法は立法されたものである。
イ 戦傷病者遺族等援護法(援護法)の国家補償の法的性格
 上記援護法1条は、同法の目的を次のように定めている。
第1条 この法律は、軍人軍属等の公務上の負傷若しくは疾病または死亡に関し、国家補償の精神に基づき、軍人軍属等であった者又はこれらの者の遺族を援護することを目的とする。
 同法は、1952年4月、平和条約の発効により日本が主権を回復するのを待つようにして制定されたものであるが、上記条項の「国家補償の精神」に基づく援護の趣旨について厚生大臣吉武恵市は次のように説明している。
「(吉武国務大臣) 
 これらの戦傷病者、戦没者遺族等は、過去における戦争において国に殉じた者でありまして、これらの者を国が手厚く処遇するのは、元来国としての当然の責務でございます。敗戦によるやむを得ざる事情に基づき、国が当然になすべき責務を果たし得なかったのは、まことに遺憾のきわみと申さなければなりません。しかしながらすでに平和条約は締結せられ、その効力発生の時期は、目睫の間に迫ってきたのであります。この講和独立の機会に際しまして、これらの戦傷病者、戦没者遺族等に対し、国家補償の観念に立脚して、これらの者を援護することは、平和国家建設の途にあるわが国といたしまして、最も緊要時であることは言をまたないところであります。これがこの法律により戦傷病者戦没者遺族等の援護を行おうとする根本的趣旨であります」(第13回国会・昭和27年3月13日衆議院厚生委員会議録第12号8頁)
 また次のような解説がある。
「公務に起因する負傷、疾病又は死亡に関して、公務員又はその遺族に対し、その経済的及び精神的損失について補償を与えることは、国の当然果たすべき責務である。然るに本法の対象となっている軍人軍属やその遺族は戦務の為あるいはその他の軍務のために犠牲となった人々であるにもかかわらず、終戦後の特殊の国際環境のために、殆ど何らの処遇をうけるところもなく、わずかに、傷病旧軍人について恩給法による極めて少額の増加恩給が支給され、未復員者に対して未復員者給与法による療養の給付等がなされて来たに過ぎなかった。過去における軍国主義的な日本の姿は、批判されなければならず又軍国主義的な日本が行った戦争も非難されなければならないものであったとしても、それは要するに国として又軍全体として責を問われるべきものであって、その機構の中にあって、当時の国家権力により軍務に服せしめられた個々の人々にのみその責を負わせて、軍務のため犠牲となった人々に対して補償を行うことなくこれを漫然と放置することは、国民として到底黙視し難いところであろう。本法の立案されたのもかような不当な事実を講和成立とともに排除することを意図したものであって、その趣旨は、まさしく公務災害に対する補償を行おうとするところにあるのである。ただ、補償というからには、その名に値し、その経済的、精神的損失を補てんするに十分なもの、少なくとも他の業務上の災害に対する補償の諸制度と十分に均衡のとれたものでなければならない。然るに、厖大な数にのぼる対象に対してその名に値する国家補償の責を完うすることは、今日の我国の財政力あるいは国民所得から考えて遺憾ながら望み難いところである。そこで本法は、国力に見合う限度において、補償を受くべき人々に応急的な援護措置を講ずることによって、国が補償の責を自覚しているという誠意をひ歴し、あわせてこの措置がこれらの人々の生計の一助ともなることを期待したものである。本条において『国家補償の精神に基づき……援護することを目的とする。』とうたっているのは、以上のような趣旨を表現したものに他ならない」(厚生事務官小池欣一、首尾木一『戦傷病者戦没者遺族等援護法の解説と運用』18〜9頁・中央法規出版)
 上記趣旨説明によると「軍国主義的な日本の機構の中にあって、当時の国家権力により軍務に服せしめられた個々の人々」である戦傷病者、戦没者は「政府の行為」による「戦争の惨禍」の犠牲者であるがゆえに、戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその援護をなすという国家補償の精神に基づいて、同法は立法されたものと受け取れる。そうであるとすれば、同じ「政府の行為」による」「戦争の惨禍」の被害者として、本件細菌戦により原判決も認めたような悲惨で残虐な被害を被った控訴人らに対しても、国家補償の精神に基づいて補償がなされて然るべきである。
ウ 台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関する法律の国家補償の法的性格
 同法1条によると、この法律の趣旨は次の通りである。
第1条 この法律は、人道的精神に基づき、台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関し必要な事項を定めるものとする。
 同法は、与野党一致の議員立法(昭和62年9月29日法律第105号)であったが議院内閣委員会委員長石川要三は同法の起草案について次のような趣旨説明を行っている。
「(石川委員長) 
 ご承知のように、第2次世界大戦において多数の台湾の人々が日本の軍人軍属として動員され、戦死されたり負傷されたりした方も少なくないのでありますが、日本人の軍人軍属であった戦没者の遺族及び戦傷病者に対しては、戦後、戦傷病者戦没者遺族等援護法等の制定や軍人恩給の復活により、年金または一時金等が支給されております。
 しかるに、台湾の人々は、戦後、日本国籍を失った結果、援護法または恩給法が適用されないこととなったのであります。
 しかしながら、第2次世界大戦中、日本人の軍人軍属として動員された台湾の人々、特に戦没者の遺族や重度の戦傷病者の方々に対し、現状のままで推移することは、人道的観点からも許されることではないと存じます。
 したがいまして、この際、これらの方々に対し、弔慰等の意を表する趣旨で弔慰金または見舞金を支給するための法律を制定することが急務であると考え、ここに本起草案を作成した次第であります」(第109回国会・昭和62年9月10日衆議院内閣委員会議録第7号3頁)
 日本人の軍人軍属であった戦没者の遺族及び戦傷病者と同様に「政府の行為」による「戦争の惨禍」の犠牲者として、台湾住民たる戦没者の遺族および戦傷病者に対して、戦争遂行主体であった国家が人道的観点から所定の給付をすることとしているのである。
 以上のとおり「政府の行為」による「戦争の惨禍」の犠牲者について国家賠償および損失補償とは異なる特殊な国家補償法が存するのである。

 5 条理に基づく国家補償請求
 控訴人らに対する補償立法が欠缺していることはそのとおりであるが、上記各事実を合わせ考えると、控訴人らに対し条理に基づく特殊な国家補償が認められるべきであることは自明である。
 前記戦後補償の諸法の根底には、生命、身体の安全、精神的自由、民族的アイデンティティーや尊厳など人道的に保護されるべき人間の最も基本的な諸価値を侵害された戦争被害について、戦争遂行主体であった当該国家が自らの責任により補償すべきであるとする条理が厳存することは明らかである。
 さらに、控訴人らに対しては、明治憲法及び日本国憲法の伝統的の損失補償制度の根底にある正義公平の原理、すなわち条理に基づき正当な補償がなされるべきである。にもかかわらず、原判決が「国家無答責の法理」という見当違いの抗弁を持ち出して、控訴人らの補償請求を斥けたことは条理に関する解釈適用を誤ったものである。

第4 本件における条理の存在

 原判決は、条理に基づく補償立法として控訴人らが原審で主張したところの@原子爆弾被爆者の医療等に関する法律、A戦傷病者戦没者遺族等援護法、B台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関する法律、Cドイツ、アメリカ、カナダ、オーストリアの第2次世界大戦後における各補償立法について、これらの補償立法が人道的配慮ないし国家補償的配慮に基づくものであることは認めつつも、政治的、外交的、社会的、財政的その他の見地からの総合的配慮に基づき、かつ、様々な紆余曲折を経て制定されるに至ったのものであるという理由から、原判決は「我が国又は国際社会における法体系中に、立法を待たずに当然に違法な国家権力の行使によって被害を受けた人々が加害国に対し補償を請求できるという価値体系が確立しているということはできない。(28頁1行目)」とした。また、「現時点においても、原告らの主張する本件細菌戦のような違法な公権力行使によって損害を受けた被害者が立法を待たずに当然に戦争遂行主体であった国に対し補償を請求することができるという条理はいまだ存在しない(28頁6行目)」と判示する。

 しかしながら、それではどのような時ならば条理が存在すると言えるのか。
 この点につき、一体どこまで価値体系が高められたら条理が存在すると言えるのかという基準については、原判決はなんら明らかにしていない。
 この点については、控訴人らは原審において次の要件を主張した。
@ 戦争遂行主体である国の責任において、戦争犠牲・被害に対し一定の賠償・補償をするべきであるという認識が、国際的にも国内的にも相当程度に一般的認識になっているとともに、その一般的認識に基づいて現実に一定の補償が行なわれている例(それが立法に基づくものであれ、事実上のものであれ)が現に存在すること。
A 戦争犠牲・被害が、深刻かつ重大であり救済の高度の必要性が認められ、なんらの救済措置もとらずに放置することが著しく正義に反すること。
B 賠償・補償給付の内容が、相当程度に具体的であり、かつ、相当程度に一義的に定まること。
 これらの3要件について、以下に検討する。

 3 まず、要件@については、原判決も「我が国及び諸外国における戦後補償に関する立法は、第2次世界大戦において国家の権力により犠牲を強いられ被害を受けた人々、特に違法な国家権力の行使によって被害を受けた人々に対しては、国家の責任においてその犠牲・被害について一定の補償をすべきであるという人道的配慮ないし国家補償的配慮に基づくものと解される。」(27頁16行目)と判示して認めるところである。
 したがって、すでに現時点において被控訴人国は戦後補償をすべきという価値体系が条理になっているといえる。

 4 次に要件Aについては、原判決は、細菌戦の事実を全面的に認定しており、その認定は、控訴人側が主張した細菌戦の事実全般に及んでいる。
 事実については、簡潔に述べると、まず第一に、日本軍の加害行為を認めた。「1940年から1942年にかけて、731部隊や1644部隊等によって(30頁13行目)」、衢県(衢州)、寧波、常徳にはペスト菌を投下し、江山にはコレラ菌を使用して直接攻撃し、「細菌兵器の実戦使用(細菌戦)が行われた」(30頁15行目)と認めた。
 第2に、伝播による細菌戦被害を認めた。「衢県でのペストは、義烏、東陽、崇山村、塔下洲のようにその周辺の地域にも伝播し、大きな犠牲をもたらした」(31頁9行目)と認定した。また「1942年3月以降、常徳市街地のペストが農村部に伝播していき、各地で多数の犠牲者を出した。」(34頁3行目)と認定した。このように伝播による被害の拡大が認定され細菌戦の残虐さが一層明確になった。
 第3に、細菌戦の命令指揮系統について、「細菌兵器の実戦使用は、日本軍の戦闘行為の一環として行われたもので、陸軍中央の指令により行われた」(34頁23行目)ことを認めた。
 第4に、細菌戦の犠牲者について、本件裁判の被害地8ヶ所全体の細菌戦による死亡者の数が1万人を超えることを認定した。中国全体の細菌戦の犠牲者数は数10万人にのぼるであろうと考えられる。
 第5に、原判決は細菌戦の残虐性を認めた。「ペストは社会形態を介して伝播し、人々を次々に死に追いやることから、差別とお互いの疑心暗鬼を招き、地域社会の崩壊をもたらすとともに、人々の心理に深刻な傷跡を残す。」(35頁13行目)「ヒト間の流行が治まった後も、病原体が自然の生物界で保存され、ヒトの間に感染する可能性が長く残存する。その意味で、ペストは、地域社会を崩壊させるだけではなく、環境をも長期間に渡って汚染する病気である」(35頁17行目)と認定した。またコレラは、「伝染力が強く、次々と死者が出ると地域社会において差別やお互いの疑心暗鬼を招くことも多い。」(36頁2行目)と認定した。
 したがって、戦争犠牲・被害が、深刻かつ重大であり救済の高度の必要性が認められ、なんらの救済措置もとらずに放置することが著しく正義に反することという、要件Aは、当然に満たされているといえる。

 5 最後に要件Bについては、控訴人らの請求の内容が、具体的かつ一義的に定まっていることは多言を要しない。
 以上述べたとおり、本件においては、条理として認められるべき要件の@ないしBが既に充足されていることは明らかである。裁判所は、端的に条理に基づいて判決し、控訴人らの請求を認めるべきである。

第5 条理に基づいた裁判例

 1 平成14年7月12日、東京地方裁判所民事第14部で、条理に基づいてなされたと考えられる画期的判決があった。これは、中国山東省の住民であった劉連仁が、1944年9月、日本政府によって北海道に強制連行された上で過酷な労働を強制され、さらにはそれに耐えかねて太平洋戦争敗戦直前の1945年7月に作業場から逃走し、その後13年間の長期にわたって北海道の山中で逃走生活を余儀なくされ、これによって耐え難い精神的苦痛を被ったとして国に対しその損害の賠償を求めた戦後補償裁判のひとつである(平成8年(ワ)第5435号損害賠償請求事件)。

 2 この訴訟の最大の争点は、劉連仁が北海道内で13年間もの長期にわた
り逃走生活を余儀なくされたことに関し、被告国に救済義務が認められるかということと、そのような救済義務違反に基づく損害賠償請求権が認められるとしても、これが国家賠償法で準用される民法724条後段の除斥期間の適用により消滅したと言えるかであった。裁判所は、この二つの争点について認定し、被告国が救済義務を怠った不作為の違法を理由とする損害賠償請求権を認め、さらに、事案の特殊性を考慮して民法724条後段の規定の適用を制限する判断を示した。

 3 条理論との関連で特に注目すべきは、この後者の争点に関する裁判所の判断である。以下に当該争点に関する判示部分を引用する。
「・・・被告は、自らの行った強制連行・強制労働に由来し、しかも自らが救済義務を怠った結果生じた劉連仁の13年間にわたる逃走という事態につき、自らの手でそのことを明らかにする資料を作成し、いったんは劉連仁に対する賠償請求に応じる機会があったにもかかわらず、結果的にその資料の存在を無視し、調査すら行わずに放置して、これを怠ったものと認めざるを得ないのであり、そのような被告に対し、国家制度としての除斥期間の制度を適用してその責任を免れさせることは、劉連仁の被った被害の重大さを考慮すると、正義公平の理念に著しく反していると言わざるを得ないし、また、このような重大な被害を被った劉連仁に対し、国家として損害の賠償に応ずることは、条理にもかなうというべきである。よって、本件損害賠償請求権の行使に対する民法724条後段の除斥期間の適用はこれを制限するのが相当である。」

 4 原判決が認定したように、本件細菌戦の被害は、上記劉連仁の事案に比しても、その規模、悲惨さ、残虐さにおいてより一層深刻である。これに対して、明文の補償立法がないことを理由に補償を拒否することはまさに正義公平の理念に著しく反しているといわなければならない。

第4章 中国民法にもとづく謝罪及び損害賠償請求

第1 法例第11条1項が適用されないとの認定をした原判決の誤り

 1 原判決の誤り

  (1) まず原判決は、「国が違法な公権力の行使によって他人に損害を与えたという法律関係は、行為地が外国であり、また被害者が外国籍又は外国に住所を有する者であって渉外的要素を有しているとしても、法例が対象としている渉外的私法関係には当たらないと解するのが相当である。そうすると、公権力の行使を原因とする国の損害賠償責任の問題は、法例の対象にはならないから、法例11条1項の「不法行為」という単位法律関係には当たらず、同条項の適用を受けるものではない。」(原判決21頁)として、国家賠償法が適用される事件は公法事件であり私法は適用されないので、国際私法も適用されず、外国法が適用されることはないとする。
 次に原判決は、「被告(国)が違法な公権力の行使により他人に損害を与えた場合の法律関係は、被害者から見れば、受けた被害の回復の必要性において対等当事者間の不法行為の場合と変わりはないが、加害者である被告から見れば、公権力行使が違法かどうかが大きな問題となり、その点が国家主権の在り方にも影響を及ぼすものである。
 このように、被告(国)の公権力の行使に起因する損害賠償責任に係る法律関係は、被害者の救済、損害の公平な分担という効果の面では法例11条1項の不法行為と同様の性格のものといえるが、我が国の公権力行使の適法違法(適否)が問題になる成立要件の面では異質な要素があり、この点で、このような法律関係は対等当事者間の純然たる私法関係とは異なり、公法的要素を含むものといわなければならない。」(原判決20頁)として、違法な公権力の行使によって生じた法律関係は、被害者の救済、損害の公平な分担という効果の面では法例11条1項の不法行為と同様の性格のものとしながら、原因行為の公法的色彩を云々する。

  (2) しかし、この判示は、国際私法に対する理解に欠ける。国際私法は、実質法とは次元を異にする、異なった法体系であり、実質私法上の解釈によって国際私法の解釈が規定され、その結果として実質法の解釈が国際私法上の法性決定を左右するという考えは、誤りである。特に、数多くの法体系の中の1つにすぎない日本の実質法によって、国際私法の解釈が決定されるのは、誤りである。
 確かに、実質私法の解釈と国際私法の解釈が同一となることは多い。しかし、それは結果論であり、国際私法上の法性決定は、あくまでも国際私法独自の見地からなされるべきものである。

  (3) 例えば、氏の決定において、公法である戸籍法が国際私法によって適用されることがある。
 婚姻によって夫婦の氏がどうなるかという問題については、各国実質法上、夫婦同姓と夫婦別姓制度がある。そして、日本法は、夫婦同姓を採用している。
 婚姻によって夫婦の姓がどうなるかについては、国際私法理論上、氏は個人の人格の問題であるとしてその属人法によるべきであるとする説と、婚姻の効力であるとして婚姻の効果を規律する法によるとする説とが存在しているが、いずれにせよ、日本人が外国人と婚姻して夫婦の常居所が日本にある場合には、日本人の氏については日本法が適用されるはずであり(婚姻の効力については法例14条)、従って日本民法が適用され、夫婦は同姓となるべきであるところ、日本戸籍法は日本人と外国人との婚姻においては当該日本人の氏は変わらないこととしており、したがって戸籍法上は夫婦別姓となることとなっている。
 これは、「戸籍法は公法であるから戸籍法が関わる分野には国際私法が適用されない」結果ではなく、国際私法により準拠法を決定しつつも、さらに一方当事者が日本国籍を有するという点を連結点として、特別に戸籍法が適用される結果なのである。
 このように、実際に、公法が関わる分野についても国際私法が適用されることは、十分にあり得る。

  (4) また、公法であるからといって、即、国際私法によって指定される準拠法とならないわけではないと考えられている。現代では、いわゆる公法の私法化・私法の公法化が進み、そもそも公法と私法の区分が相対化しており、例えば労働法の分野等については、国際私法を適用しつつ、必要な範囲において、各種の連結理論を用いることにより、本来は準拠法とはならない法律をも適用するという手法を用いているのである。

  (5) 以上に見たとおり、日本の実質法上行政法とされる分野についても、国際私法上当然に行政法であり、国際私法の適用範囲外であるとされるものではない。

2 公務員の権力行為に際して他人に与えた損害の賠償責任の法的性格

  (1) 権力作用そのものが公法上の行為であり、公法の妥当する分野の問題であったとしても、その権力作用によって他人の権利を侵害したときに、その他人の受けた損害を回復するための損害賠償の問題が公法の分野の問題か私法の分野の問題であるかは、また別論である。
 ここで大事なのは原因行為の問題ではなく、被害にあったのが私益であり、その賠償という極めて私法的色彩こそが問題となっている場面だということである。原因行為の公法的色彩故に、国際私法上の問題として法例の適用を排除すべき理由は全くないのであり、原判決の立場には全く理由がないものといわなければならない。
 戦前において、美濃部達吉博士は、「賠償義務ハ其ノ行為ノ直接ノ効果ニ非スシテ其ノ行為ノ結果ニ基キテ生スル第二次ノ効果タリ、随テ仮令其ノ原因タル不法行為カ公法上ノ行為タリトスルモ之カ為ニ当然ニ之ヲ公法的ノ関係ナリト曰フヲ得ス。而シテ個人ノ求償権ハ専ラ個人ノ私益ノ為ニ認メラレ、其ノ法律上ノ性質ニ於テ個人相互間ニ於ケル損害賠償ト全然同様ナルモノナルヲ以テ、之ヲ私法関係ト看做スヘキハ当然ナルヘシ」(美濃部達吉「日本行政法上巻」918頁)と、原因たる不法行為が公法上の行為であっても、その損害賠償関係は、私法関係であると、明快に述べておられる。

  (2) この問題は、戦後国家賠償法の制定によって、国賠法の性格如何として論じられるようになった。
 国家賠償法は、公権力の行使について国・公共団体(以下「国等」という。)の責任を認めた法律であるので、行政法の1つであるとされている。
 たしかに、その意味においては行政法である。しかし、この法律は、国等の使用者責任について民法の適用を排除するものとしており、使用者責任においては民法の特別法である。私法の特別法であるのであるから、国家賠償法が本質においては私法たる性質を根本において有することは明らかである。
 行政法たる性質を一面においては有するとはいえ、根本においては私法たる性質を有する国家賠償法が適用されるべき場面は、根本においては私法が適用される領域であり、国際私法により準拠法が決定され、その準拠法が適用されることになるのは、当然である。
 このことは、コモンロー体系を考えれば、より明らかとなる。すなわち、コモンローにおいては、公務員の違法な行為はもはや公務の範疇には入らないものとされ、当該公務員が個人として不法行為責任を負うものとされている。このことからも、公務員が違法な行為を行った場合は、本質的には私法の不法行為の領域であり、ただ日本においては国等の責任を認めた特別法が存在しているため、行政法たる性質をも併せ持っているにすぎないのである。
 日本においても、裁判所が付する事件番号は、国家賠償請求事件は通常の私法上の事件と同様に、第1審においては(ワ)である。これは、裁判所自体も国家賠償請求事件を行政事件とは異なり、一般の私法上の訴訟と同様に扱っていることを示すものである。

  (3) この点について、有力な学説は一致して国賠法が私法に属することを認めて、次のように説明している。
 「国家や公共団体に対して不法行為による損害賠償請求の訴訟は、それが公権力の行使に起因し、国家賠償に基づく場合も、なお民事訴訟の性質を有し公法上の当事者訴訟ではない。行政行為の効果とは直接の関係はなく、私益の保護が問題となるに止まるからである」(雄川一郎「行政争訟法」法律学全集113頁)。
 「国の責任には、従来とは全く異なった角度から、その特殊性を見いだすことができる」「けれども、それは、一般不法行為理論の発展の中で見いだされる特殊性なのであって、公法に特有の責任理論と見るべきではない。従って、国家賠償法も、私法制度の中で、民法の特別法の地位にあるものと認むべく」(今村成和「国家補償法」法律学全集89頁)。
 「国家賠償責任は、伝統的に民事法の領域に属する。公務員の職務違反がたとえ国家の公法的または私法的な活動領域で行われているとしても、そのことに変わりはない。それは歴史的に公務員関係を私法的な委任関係と見る理論が起点にあるからである」(山内惟介「渉外判例百選3版」256頁)。
 裁判実務も、同様に私法説を採り、国家賠償請求事件を通常の民事訴訟事件としている。裁判例として、「国または公共団体が本法に基づき損害賠償責任を負う関係は、実質上、民法上の不法行為により損害を賠償すべき関係と性質を同じくするから、本法に基づく損害賠償請求権は私法上の金銭債権であって、公法上の金銭債権ではなく」(最判昭46・11・30、民集25・8・1389頁)と判示するものがある。
 このように、国家賠償訴訟は、対等の当事者間で損害賠償請求権の存否を争うものであり、その原因となる公法上の行為を争うのではないから、あくまで、私益の保護のためという性格を有し、私法の分野に属するものと考えるべきである。

  (4) 原判決は、「被告(国)の公権力の行使に起因する損害賠償責任の存否が争いになる場合には、被告の公権力の行使の適否が問題になるが、当該公権力の行使はそれぞれの根拠となる我が国の法律に基づいて行われるものであるのに、その法律関係が法例11条1項によって他国の法律に従って判断されることになれば、ある国の法律では適法とされ他の国の法律では不適法とされる事態もあり得ないわけではない。しかし、このような事態が我が国の法制上予定されているとみることはできない。したがって、公権力の行使の場面は、国家が異なっても互換可能であるとの前提に立つ私法とは性格が異なるというべきである。」(原判決20頁)と述べて、公権力の行使による法律関係は他国の法律の批判にさらされてはならない旨判示する。
 しかし、この点は、法例11条2項により、日本法で違法とされない場合は、不法行為とならないとされており、そうした問題点にも法例は配慮しているのであるから、全く理由がないといわなければならない。
 また、仮に、国家賠償請求の問題が公法的法律関係であるとすると、極めて不合理なことになる。
 すなわち、公法的法律関係であるとすると、公法の属地的適用の原則が妥当することになり、@日本の国家賠償法は、原則として日本における日本の公務員の不法行為にのみ適用されることになるとともに、A外国の公法(国家賠償法)を適用しないということになる。そうすると、たとえば、日本の公務員が外国における公務中に交通事故を起こし、被害者が日本国に対する損害賠償請求訴訟を日本の裁判所に提起したとする。この場合、国家賠償請求の問題が公法上の問題であるとすれば、日本の裁判所は日本の国家賠償法を適用することはできない。なぜなら、事故地は外国であり、@の原則が問題になるからである。また、Aの原則から、当該外国の国家賠償法を適用することもできないことになる。しかしながら、この場合原告からすれば単なる交通事故にすぎず、たまたま加害者が日本の公務中の公務員であったにすぎないのである。このような場合に当該外国法に基づく請求を封じることになる結論は明らかに不当である。国家賠償責任の問題を公法的法律関係と考えるということは、このような不都合な結果を放置せざるを得なくなることを意味しているのである。
 
3 相互保証主義と国家賠償法の性格
 原判決は、「我が国の国家賠償法は、その6条で、外国人が被害者であるときは相互保証があるときに限って同法を適用するとしていて、同法が国家の利害に深く関係していることを示しているといえる。」(原判決21頁)と判示する。
 しかし、相互保証主義をとるということが、ただちに国の利害に直接関係する領域を構成し、民法の領域と異なることになるということには何の根拠もない。例えば、相互保証主義をとる立法例には、特許法25条、実用新案法2条の5第3項、意匠法68条3項、商標法77条3項等があるが、典型的な私法的権利の問題である。
 さらに、国賠法6条は「何人も」と定める憲法17条や憲法前文の国際主義の原則に抵触するのではないかという、有力な違憲論がある(有倉遼吉「逐条国家賠償法解説」25頁)。
 また、国家賠償制度が普及してきた現在の世界において、時代の趨勢として相互保証主義はもはや実際的ではないし、時代遅れではないかという指摘がなされるようになってきているのである。そうした国賠についての相互保証主義の現状を考えるとき、それを持ち出して、民法とは異なる国家の利害を強調するのは、筋違いの議論というべきであろう。
 その上、国賠法4条が「国又は公共団体の損害賠償の責任については、前3条の規定によるの外、民法の規定による。」と定め、国賠法の基本法がほかならぬ民法であることを明記しているのであるから、国賠法が予定する法律関係においても、あくまでその性質は私法関係を基本と考えるべきであり、そうである以上、法例11条にいう不法行為概念は、当然にこうした法律関係をも包摂しているというべきなのである。

4 国際私法の適用
 本件においては、加害者は、国際法に違反し何らの正当な根拠なく、被害者の身体・健康・生命を害する行為を行い、実際にそれらを害したのである。この法律関係は、国際私法上、不法行為と性質決定される。
 不法行為については、法例11条1項により、「原因タル事実の発生シタル地ノ法律」(不法行為地法)が適用される。
 原因事実の発生地という連結点については、その解釈には幅があり得るが、いずれにせよ、本件において日本軍が細菌を散布する等の行為をした地も、被害が発生した地も、いずれも中華民国内であり、かつ中華民国法が実効性を有していた地なのであるから、原因事実の発生地法は、中華民国法である。
 ところで不法行為については、法例11条2項により、日本法が重畳的に適用される。この、日本法が重畳的に適用されるというのは、不法行為というのは公序に関わるものであるので、法廷地の公序を考慮したためであるとされている。すなわち、これは、法廷地において違法であるとされている行為について不法行為ではないとすることは、法廷地の公序に抵触することになり、不適当であるので、法廷地法を重畳的に適用することにしたのである。そして、法例が適用されるということは、法廷地は日本であるので、日本法が重畳的に適用される旨が規定された。
 この法廷地法の重畳適用は、上記のとおり、法廷地の公序を尊重して設けられた規定である。この観点からするならば、ここで適用すべきは、裁判時の法廷地法である。なぜならば、裁判において抵触が問題となる法廷地の公序は、当然、裁判時の公序であり、裁判時の公序と関わるのは、裁判時の法廷地法だからである。

5 結論
 以上のとおり、法例11条1項適用を否定する原判決は、全く根拠がないものといわなければならない。

第2 法例11条2項の適用はない

 1 本件細菌戦は、原判決も認めるように、ジュネーブ・ガス議定書を内容とする国際慣習法に違反した違法行為であった。日本軍も違法性を認識し一貫して秘密裏にこれを準備し実行した。
 本件細菌戦は、被控訴人の適法な公権力行使とはいえず「保護すべき権力作用」にはあたらないことはいうまでもない。したがって日本法においても「不法ならざるとき」ということはできず、法例11条2項の適用はない。

2 法例11条2項は、「前項ノ規定ハ不法行為ニ付テハ外国ニ於テ発生シタル事実カ日本ノ法律ニ依レハ不法ナラサルトキハ之ヲ適用セス」と規定しているが、本件加害行為は、その態様においても被害の程度においても、歴史上稀有なものであり、あらゆる価値基準からみても到底容認されえない違法行為であることは明らかである。また、加害者の故意があったことに疑いの余地はない。したがって、本件細菌戦が、客観的にも主観的にも、日本法の不法行為に該当するものであり、本件の場合、法例11条2項が適用される余地はない。

3(1) 「国際私法上、不法行為の準拠法については、不法行為に関する法律が国際私法上のいわゆる公序法であるという理由から、古くは法廷地法主義が唱えられたが、今日最も広く認められている主義は不法行為地法である」(山田鐐一、沢木敬郎編「国際私法講義」青林書院新社150頁)。不法行為地法主義によれば、不法行為の行為者と被害者とがともにその責任や危険を予測ないし評価することができるというメリットがある。また、侵害行為の発生した地が、不法な侵害を防止し、侵害による損害を行為者に賠償せしめることに重大な利害関係を持つべきであるという理由も成り立つ。そうしたところから、不法行為地法が最も合理的であり、実際的であると考えられているのである。しかしながら、わが法例11条2項は、不法行為地法の適用を法廷地法によって制限する折衷主義を採用している。そこで、法廷地法がどの程度干渉するかが解釈上問題となるわけである。この法廷地法の干渉の程度については、立法例も様々であり、右法例11条2項の解釈についても、いろいろな解釈論が展開されてきた。しかし、近年は、不法行為に関する準拠法決定の趣旨、目的に照らして合理的に解釈されなければならないとするのが有力な学説の方向である。 
 ここでは、法例11条2項の「不法」の解釈が問題になるのであるが、それについては、これまで、3つの説が主張されてきた。
 第1説は、不法行為の成立要件である@故意・過失、A権利侵害(違法性)、B損害の発生のうち、@の主観的違法性のみを求めるものである。同説は、法例11条2項の「不法」を「不法行為」と解するのは特別の理由もなく行き過ぎであり、文字どおり「不法」と解するときには、不当利得及び事務管理との関係から、これを主観的違法性、すなわち故意・過失と解すべきとする。すなわち、法例11条は3種類の法定債権の原因中、事務管理と不当利得については不法を云々せず、不法行為についてだけ不法につき日本法の干渉を認めているのであるが、この3種類の法定債権は本来の性質上は自己の権利範囲を踰越する不法(客観的違法性)という点では共通しており、不法行為だけさらに故意または過失(主観的違法性)が加重されているという構造をとっているのであるから、ここでの「不法」とは主観的違法性のみを意味すると解するべきとするのである。
 第2説は、右の@とAのみを求めるものである。それは、Bまで要求することになると、例えば、英国の不法行為法においては損害の発生が不法行為の要件になっていないため、英国における不法行為につき我が国で損害賠償請求がなされた場合には、請求棄却となり被害者の救済が図れなくなるし、英国で提訴すれば勝訴し、我が国で提訴すれば敗訴するということになって、被害者救済の可否が国際裁判管轄という手続法に左右されてしまうという不合理があるからである。
 第3説は、法例11条2項の規定の趣旨は法廷地法を累積的に適用するということであるから、不法行為地法の適用の上に法廷地法たる日本法の不法行為の要件をすべて満たすことが必要である、として、右の@、A、Bすべてを要求するものである。そして、この説が従前多数説とされてきた。
 しかしながら、このような解釈に立つならば、そもそも不法行為地法主義を採用した意義は全く失われてしまうことになる。前述のようにこの解釈では被害者救済に欠けてしまうことになるのであるから、不法行為法の基本的指導理念からは認めがたいところである。したがって、不法行為法の理念を尊重した上、折衷主義をとって法廷地法における公序を認めさせようとする法例の趣旨をふまえるならば、第2説が妥当であると解されなければならない。

  (2) 以上の3説のうち、11条2項の「不法」を主観的要件のみに限定するという第1説の立場に立つならば、本件では行為者に権利侵害について故意があったことは明らかであるから、同条項により被控訴人の賠償責任を否定することはできない。
 また、「不法」を行為の違法性一般をさすものととらえる第2説に立つとしても、本件のような人類史上稀な国際法違反の極悪非道の行為が、客観的に違法であることは明らかである。原判決は、ここで、国家無答責の原則なるものを持ち出すのであるが、国家無答責の原則は、公務員の公権力行使に伴う不法行為について、主体によって特別に責任を負わないということであるから、それは違法性には全く関係のないことであることは明らかであり、責任阻却事由ないし免責事由と考えるべきである。戦前の判例、学説においても、公務員の公権力行使に伴う不法行為が違法性を有することは否定されてはいなかったのである。したがって、第2説に立つ場合も、同条項により被控訴人の賠償責任を否定することはできない。
 更に、百歩譲って、日本法の不法行為法が全面的に累積適用されると解する第3説に立って、法例11条2項により日本民法が累積適用されるとしても、この法廷地法の重畳適用は、法廷地の公序を尊重して設けられた規定であるから、適用されるのは、裁判時の法廷地法であり、国家無答責の原則なるものが適用されるものでないことは、別項で詳述したとおりである。

  (3) 結局、法例11条2項の「不法」をいかに解したとしても、本件のような場合を「不法ナラサルトキ」ということはできないのであって、中国民法の適用を妨げる理由にはならないのである。

第3 法例11条3項の適用はない

   法例11条3項による民法724条後段の累積適用について検討する。同項の「損害賠償其他ノ処分」の中に時効や除斥の問題が含まれるのかどうかの問題である。

 1 文理解釈
 不法行為の効力は、損害賠償の方法及び程度以外に、時効・除斥期間、不法行為債権の譲渡性・相続性、共同不法行為における責任の分担など様々な事項を含んでおり、損害賠償の方法及び程度は、不法行為の効力の一部にすぎない。用語の通常の意味に従えば、「損害賠償其他ノ処分」とは、損害賠償の問題とそれに類似した問題だけを含むはずであるし、また「処分」というからには、何らかの権利実現の手段を指しているものと考えられる。
  したがって、「損害賠償其他ノ処分」という文言は、むしろ時効や除斥期間などの問題を含まないと解するべきであり、法例11条3項は、その文言通り、「損害賠償の方法及び程度」について日本法を累積適用することを定めたものである。それにもかかわらず、全面的に日本法による制限を認めたものであるとすることは、明らかに文理とかけ離れるものである。

 2 立法の経緯
 法例11条3項の立法経緯に照らしても、それに時効等が含まれると解することはできない。
 法例修正案理由書によると、11条3項の趣旨は、不法行為の救済方法について、各国の法に不統一があるので、外国法の救済方法と日本法の救済方法が異なることがあり、日本法が認めない救済方法は与えないという趣旨とされている。これを見る限り、時効や除斥期間が含まれると解することはできない。
 また、議事録によると、穂積陳重は、11条3項の提案理由を次のように説明している。すなわち、穂積によると、法例11条3項は、日本法が認めた以外の損害賠償を認めないという趣旨であり、たとえばオランダ法では、名誉毀損の場合に、法廷で被害者に謝罪をするとか、以前に述べたことあるいは書かれたことが誤りであったと公言することが救済方法として認められているが、たとえ不法行為地がオランダであったとしても、日本においてこのような救済方法を認めることはできないというのである。
 したがって、法例11条3項の立法趣旨は、文字通り損害賠償の方法及び程度についてのみ日本法を累積適用することにあり、そこに時効や除斥期間などのその他の事項を含めるつもりはなかったと解されるのである。

 3 結論
 以上のとおり、時効・除斥期間については、法例11条1項により不法行為地法だけが適用され、同条3項による日本法の累積適用はないのである。

第4 中国民法の規定とその適用関係

 上述のとおり、本件に法例11条1項の規定が適用されることが明らかであるので中国民法の規定とその適用関係について論じる。

 1 法例第11条1項により準拠法となる中国法の適用

 本件の不法行為の原因たる事実の発生地は、被控訴人が本件細菌戦という不法行為を行った行動地も、控訴人らが被害にあった結果の発生地も、ともに中国であるので、本件不法行為の原因たる事実の発生地は中国である。
 したがって、本件については、1940年ないし1942年当時の中国の不法行為法が適用されなければならない。

 2 1940年ないし1942年当時、中国において効力を有していた民事関係法は、1929年11月22日公布、1930年5月5日施行の中華民国民法である。
 その不法行為に関する規定は、第184条から第198条までの15カ条である。その具体的な条文は、控訴人ら第1審の第18準備書面223ページ以下に示した。

 3 このように、中華民国民法184条は一般的権利侵害の場合の賠償責任を定め、同192条及び194条は他人を死亡させた場合の、また、同193条は身体の安全を侵害した場合の賠償責任を定め、さらに、同195条は加えて、身体、健康、名誉、自由等が侵害された場合の慰謝料、名誉回復措置の責任について定めている。そして、同188条は、以上の各不法行為を基本行為とした使用者責任を定めているのである。

 4 本件における不法行為は、被控訴人国の軍隊がその指揮系統にしたがって遂行した戦争行為であるから、個々の公務員の行為というよりも、被控訴人国そのもののなした行為と見るべきである。そして、いかなる意味でも正当性を有しない歴史的な違法行為(犯罪行為)なのであるから、中華民国民法184条によって、さらに同192条ないし195条によって、被控訴人国は控訴人らに対して損害賠償義務を負わなければならない。
 仮に国そのものとしての行為といえないとしても、少なくとも同188条の使用者責任によって、国は控訴人らに対して損害賠償義務を負うものである。

 5 さらに、中華民国民法の184条1項に言う「損害賠償」は、原状を回復するための適当な手段を意味し、金銭賠償に限定されず、加害者たる国家に対する謝罪請求も認められる。さらに、本件細菌戦の被害者らは、いわれなき細菌攻撃により健康被害を受けたにもかかわらず、病気になったことで差別されるという名誉侵害の被害をも受けているのであって、195条に定める名誉回復に必要な処分が認められるものである。名誉回復に必要な処分として謝罪請求が認められることは当然である。

 6 中国民法に除斥期間の規定はなく、また控訴人らに時効は完成していない。

  (1) 前述したように、本件控訴人らの賠償請求の時間的な制限については、法例11条1項により中華民国民法の時効の規定のみが働くことになる。
 中華民国民法は、197条1項で、「不法行為によって生じた損害賠償の請求権は、請求権者が損害及び賠償義務者を知った時から起算して2年間行使しないときは消滅する。不法行為の時から起算して10を経過したときもまた同じである。」と規定しているが、前段(2年)後段(10年)とも除斥期間ではなく時効を定めた規定であると解されている。それは、昭和8年4月に発行された我妻栄著・中華民国法制研究会発行「中華民国民法債権総則」140頁に、「第1項が時効なることは第2項から明らかである。」と明記されている。
 また、日本民法724条後段の20年が除斥期間と解される大きな理由として、通常の債権の消滅時効が10年であるのに対して、724条後段が20年と最大限長期の期間を定めていることがあげられているのであるが、このような理は中華民国民法197条1項の場合には当てはまらない。同法125条は、一般請求権の消滅時効について、「請求権は15年間行使しないことによって消滅する。但し法律に定める期間が、これより短いときは、その規定による。」と、15年を一般債権の消滅時効期間としているのである。同法197条1項後段の期間は、10年であり、一般債権の消滅時効よりもはるかに短いのであるから、これを除斥期間と解する余地はないものというべきである。
 結局、同法197条1項前段の2年の時効は、主観的な権利行使可能時点から進行を始める時効期間であり、後段の10年の時効は、客観的な権利行使可能時点から進行を始める時効期間であると解されているのである。

  (2) 本件控訴人らは、日本による侵略戦争のもとで、日本軍による残虐な侵害行為を受け、50年を超える長期間にわたって肉体的精神的痛苦を受けてきたのであるが、その間中国は日本と交戦状態にあり、戦後も長きにわたって、日本は中国を敵視し国交を断絶してきたため、客観的にも権利行使が不可能な状態が続いてきた。
 1978年にようやく日中平和友好条約が締結されたが、日中共同声明における戦争賠償放棄の問題もあり、中華人民共和国に居住する控訴人らにとって、客観的に権利行使が可能になったのは、早くとも、1995年3月9日の銭其深副首相兼外相の発言があった時点である。同副首相兼外相は、日中共同声明における戦争賠償請求の放棄には「個人の賠償までは含まれない」ことを明らかにし、それによって、ようやく中国に住む控訴人らの請求権の行使がはじめて可能になったわけである。この時点から提訴までは2年余りしか経過しておらず、197条1項後段の時効期間は経過していない。
 さらに、本件に関しては、被控訴人日本国が、自らの行った細菌戦の事実を隠蔽し続けてきたという問題もある。この被控訴人の隠蔽工作によって、控訴人らの権利行使も不可能な状態に放置されてきたのであり、事実が明らかになってきたのが1990年代に入ってからだったのである。そうした意味からも、197条1項後段の時効期間は経過してはいないのである。
 そして、控訴人らは、1995年末から1996年末にかけて、控訴人代理人らと出会うことにより、はじめて、日本国が賠償義務者であること及び賠償請求が可能であることを知ったのである。その時点からはいまだ長い者で7年半しか経過しておらず、197条1項前段の時効期間も経過してはいないわけである。

  (3) なお、時効完成の効果につき、同法144条1項は、「時効が完成した後は、債務者は給付を拒絶することができる。」と定めている。この条項の意味について、昭和6年11月発行の中華民国法制研究会(代表松本烝治)「中華民国民法総則」250頁は、「本法は消滅時効の効力について独民法の主義を踏襲して抗弁権の発生となせる結果、日本民法の如く消滅時効の効果として権利自体の消滅を生ずるものとなすとは理論上大いに異なることにな る。」としており、債権者が時効による消滅を抗弁として提示しない限り権利消滅の判断をすることができないと解されるのである。
 そして、同法148条は、権利の濫用を禁止しているのであり、細菌戦の事実を隠蔽して、控訴人らの提訴を妨害してきた被控訴人が、時効を抗弁として主張することなど到底許されるものではないといわなければならない。

 7 したがって、法例11条1項の適用により、控訴人らは、被控訴人に対し、中華民国民法第184条、第185条、第188条、第194条に基づき、本件細菌戦による本件各被害につき損害賠償請求権を有する。
 また、細菌戦による損害は、生命身体等への直接的な侵害にとどまらず、現在に至るまで細菌の恐怖は収まらず、また、国が細菌戦の事実を速やかに認めて適切な立法等による被疑者救済を行うことを怠ってきたことにより、現在まで継続して、非常な精神的苦痛、人格権への侵害を受けてきたのであり、この人格権への侵害の重大性は、名誉権への侵害の場合と比肩しうる。
 そして、以上の侵害については、損害賠償のみならず、国の真摯な謝罪があってこそ、初めて慰藉されるものであることは、明白である。
 従って、控訴人らは、損害賠償のみならず、請求の趣旨記載のとおりの謝罪を請求する(中華民国民法第195条)。



第5章 立法不作為による謝罪及び損害賠償請求

 控訴人らは、主位的に、前記第2章から第4章およびハーグ陸戦条約第3条ならびに国際慣習法に基づく請求原因(この点に関しては、次回、第2準備書面において主張する)を主張し、これらが認められない場合、予備的に第5章から第7章記載の各請求原因を主張する。

第1 問題の所在

1 被控訴人の国家責任は未だ存続している
 本章で控訴人は、被控訴人の細菌戦被害の救済に関する立法不作為が控訴人に対する新たな不法行為となることを主張する。この立法不作為論の中心的論点は、被控訴人(国会)に細菌戦被害救済の立法義務が認められるか否かである。
 この立法義務の成否を判断するにあたっては、本件細菌戦が明白な国際法違反(ジュネーブ・ガス議定書違反)行為であり、国際法(ハーグ条約第3条。同条約3条を内容とする国際慣習法を含む。以下同じ)によって定められた損害賠償責任が被控訴人に生じていたことが検討の核心にすえられるべきである。
本件細菌戦被害に対するハーグ条約3条に基づく被控訴人の国家責任(損害賠償責任)は、法的にはすでに本件細菌戦が行われた1940年乃至1942年の時点で発生していた。被控訴人の国家責任は、それ以来現在まで実に60年以上にわたって不履行状態が続いているのである。
 このような被控訴人の国家責任不履行という異常な状態のゆえに、控訴人らは、現在心身ともに癒すことのできない深刻な苦痛を受け続けている。

2 「倍加された苦痛」に対する法的責任
 控訴人らがあじわっている苦しみは、もちろん根底においては本件細菌戦という加害行為に起因するものである。しかし、控訴人らの現在の苦痛は、それに加えて、被控訴人がハーグ条約3条に基づく損害賠償義務を課せられているにも拘わらず、自ら実行した細菌戦の事実を認めず、謝罪も賠償もしないで、戦後も半世紀以上にわたって細菌戦被害を被った控訴人らを全く救済せず放置してきたことによって生じた「倍加された苦痛」である。
 本章の立法不作為論及び次章の行政不作為論は、控訴人らが現在受けている「倍加された苦痛」の法的責任を問うものである。
 この点、原判決は、本件細菌戦に関する被控訴人の国家責任を認定しながら、その国家責任は1972年の日中共同声明で中国が放棄したので「決着がついた」という。
 しかし、以下で詳細に述べるように、被控訴人の国家責任が日中共同声明によって「決着した」という原判決の解釈は誤っている。日中共同声明から30年が経過した現在においても、被控訴人の国際法(ハーグ条約第3条)に基づく国家責任は存続している。

3 「倍加された苦痛」を強制した事実は決して消えない
 なお、ここで敢えて付言するが、被控訴人は、中国人が被った本件細菌戦被害への損害賠償義務という自らの国家責任について、本来最大限誠意を尽くしてかつ敏感に対応するべきであるにもかかわらず、その姿勢を完全に欠落させてきた。このような被控訴人の対応(不作為)は、仮に原判決の「決着論」の立場に立つとしても、控訴人らの人格を深く傷つけるものであり、甚だ遺憾である。
 すなわち仮に原判決の解釈に従ったとしても、細菌戦の実行された1940年乃至1942年から日中共同声明が出された1972年までの30年間、被控訴人が国家責任不履行を続けてきたことは、日本の内閣にとっても国会にとっても深刻な汚点であり、自らに課せられた法的な作為義務に背いてきたものと言わざるを得ない。
 この30年間という長期間、控訴人らは細菌戦被害の救済を全く受けられず放置されてきた。この被控訴人の不作為によって控訴人らが取り返しのつかないほど深刻な苦痛を被ったことはまぎれもない事実である。
 以上のとおり、仮に原判決が判示する1972年の日中共同声明の時点で決着したという「決着論」の立場に立ったとしても、控訴人が本件細菌戦被害から30年間も(講和独立からでも20年間である!)、被控訴人が細菌戦被害者の被害について損害賠償すべき義務を放置し、その結果、控訴人らの細菌戦によって傷つけられた人格の尊厳を、本来救済によって速やかに回復するべきであるにもかかわらず、逆に根底から傷つけて控訴人らに「倍加された苦痛」を強制し、人格の尊厳をさらに深く傷つけた事実は決して消えないのである。
 控訴人らは、後に詳述するように、1972年の日中共同声明以降も、被控訴人のハーグ条約3条に基づく損害賠償義務は現在まで存続していると主張するものであるが、少なくとも日中共同声明で被控訴人の国家責任が遡及的に消滅することはないし、また仮に原判決の立場に立っても被害者本人である控訴人に対する国家責任は決して「決着された」わけではないのである。以上、付言とする。

4 また原判決は、立法不作為による損害賠償はいかなる場合に認められる
かという点について、最高裁昭和60年11月21日第一小法廷判決(民集39巻7号1521ページ)を引いたうえで、「国会の立法不作為が国家賠償法上違法と評価されるのは、憲法上一義的に国会に特定内容の立法をする義務が課されているにもかかわらず、国会がその立法を懈怠したというような例外的な場合に限られる」という。
しかし、そもそも本件細菌戦は、残酷で非人道的な戦争手段であるゆえに、加害行為の違法性の強さ、控訴人らが蒙った被害の甚大さにおいて他に類例を見ない事案である。しかも、前述したとおり被控訴人の国家責任の不履行が続き、控訴人ら被害者個人に対して新たな苦しみを与えている。
 さらに、中国の細菌戦被害者への救済措置が放置されていることが、日本と中国の国家関係の友好的な発展を著しく阻害し、日本国民と中国国民の友好関係を根底から危機にさらし続けているという「友好をはばむ新たな火種」となっている。
 したがって結論から言えば、被控訴人の細菌戦被害の救済に関する立法不作為は、上記最高裁判例の判断基準に照らしても、まさに最高裁判例のいう「例外的な場合」に該当するものと判断すべきである。
 そこで、以下では、まず被控訴人にハーグ条約第3条に基づく国家責任が成立したことを議論の出発点にすえた上で、@ハーグ条約3条の国家責任の性質論、A日中共同声明の適用範囲論、B立法義務の成立要件論などについて検討する。

第2 ハーグ条約第3条に基づく被控訴人の国家責任の成立とその性質論

 1 被控訴人による本件細菌戦の実行と被害の発生
 すでに控訴人らが原審第18準備書面で詳述したとおり、1940年から1942年にかけて、731部隊等を実行部隊とする日本軍は、ペスト菌やコレラ菌などを用いた細菌戦により、控訴人らが居住する中国各地において、ペスト等の疫病を発生流行させ、さらに周辺地域にもその疫病を伝播させた。その結果、控訴人ら及びその親族らは、ペスト等に罹患し、いずれも筆舌に尽くしがたい重篤な症状に襲われ、死亡ないし長期間病床に伏すことを余儀なくさせられた。
 さらに控訴人らは、長期間に渡って感染症の恐怖のもとに生活することを強いられてきた。
 以上の本件細菌戦の事実については、原判決が全面的に認定したものである。

 2 被控訴人に細菌戦被害につき賠償すべき国家責任が発生
 本件細菌戦は、ジュネーブ・ガス議定書で禁止されていた「細菌学的戦争手段の使用」にあたり、明白な国際戦争法規に対する違反行為である。
 ハーグ条約第3条は、国際戦争法規に違反する行為によって損害を蒙った個人を救済するために、損害賠償の責任を定めたものであり、本件細菌戦によって、被控訴人には、控訴人ら被害者に対する賠償責任が発生した。
 この点は、原判決も、「被告には本件細菌戦に関しヘーグ陸戦条約第3条の規定を内容とする国際慣習法による国家責任が生じていた」(原判決39頁)と、本件細菌戦が国際法違反の行為であり、被控訴人には細菌戦によって生じた被害に対する賠償責任が発生したことを認定した。

 3 ハーグ条約第3条に基づく国家責任の性質と賠償請求権の主体について
 ハーグ条約第3条は、同条約が1899年制定の旧ハーグ条約及びその附属規則を修正して制定された際に、新たに創設された規定である。1907年の第2回ハーグ平和会議で、ドイツ代表が、占領地域内外において自国軍隊の構成員がハーグ条約の附属規則違反行為をなした場合、その国が有責であることを認め、その規則違反行為により損害を受けた個人に対して当該交戦国が賠償をすることを要求して提案された条文を基に制定された。
 この条約の作成過程に照らしても明らかなように、ハーグ条約第3条の目的趣旨は、違法な戦争行為によって個人が受けた損害を救済することにあった。
この点は原判決も、「ヘーグ陸戦条約及びヘーグ陸戦規則の趣旨・目的は,同条約及び同規則の規定に照らすと,陸戦において軍隊の遵守すべき事項を定め,もって戦争の惨害を軽減しようとする点にあるものと解される。もとより,戦争の惨害は最終的には個人に帰するものであるから,同条約及び同規則の究極の趣旨・目的は,陸戦の過程における非戦闘員を含めた個人の保護にあると解することができる」(原判決6頁)と認めるところである。
 ところで、ハーグ条約第3条に基づく賠償責任に対して、賠償請求しうる主体が、個人にあるのか、国家にあるのかという問題が存在している。
 控訴人らが原審で主張したように、ハーグ条約第3条は、軍隊構成員が戦争法規に違反する行為をした場合に、その被害者個人が、加害国に直接に損害賠償を請求する権利を定めたものである。
 しかし、原判決は、「国際法における伝統的な考え方によれば、国際法上の法主体性を認められるのは原則として国家であり」「ヘーグ陸戦条約が個人に請求権を認める明文規定を設けていない」(原判決5頁)などの理由をあげ、「被害者個人の加害者の属する国家に対する損害賠償請求権を認めたものではなく,被害者の属する国と加害者の属する国との間の権利義務関係について定めたものと解すべきである」(原判決17頁)と判示し、個人の請求権を否定した。
 しかしながら、控訴人らが原審で主張したように、ハーグ条約第3条に基づく賠償請求権は個人にあり、被控訴人が控訴人ら被害者に対して、何らの救済措置も履行していないのであるから、本件細菌戦に関して生じた被控訴人の賠償責任は果たされていない。
 また、仮に原判決が判示するように、ハーグ条約第3条に基づく賠償請求権が国家にあるとしても、被控訴人の国家責任はいまだ果たされていないる。

第3 ハーグ条約第3条に基づく賠償請求権と日中共同声明における「賠償請求の放棄」について

 原判決は、細菌戦の事実とハーグ条約第3条に基づく被控訴人の国家責任を認めながら、「本件細菌戦に関わる被告の国家責任は、我が国と中国との国家間でその処理が決定されるべきものである」としたうえで、1972年の日中共同声明において、中華人民共和国政府が、「日本国政府に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言」(同声明5条)し、1978年の日中平和友好条約も「(日中)共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認」していることをもって、「国際法上はこれをもって被告の国家責任については決着した」と判示した。
 しかし、「被控訴人の国家責任は日中共同声明で決着済み」という原判決の解釈は誤りであり、本件細菌戦に対する被控訴人の国家責任は決着していない。
 この問題を考察するにあたっては、2つの論点が存在する。第1は、ハーグ条約第3条の性質、すなわち、ハーグ条約第3条のもつ目的・趣旨と、賠償請求権が個人にあるのか、国家にあるのか、という問題であり、第2は、日中共同声明における「賠償請求の放棄」の意味、すなわち、そこで放棄された賠償請求権の性格、範囲等の問題である。
 原判決は、第1の論点のハーグ条約第3条の解釈において、請求権は国家のみが有するという立場に立ち、第2の論点の日中共同声明の「賠償の請求を放棄」という文言の意味内容についてはふれずに、本件細菌戦に関する被控訴人の国家責任は、「日中共同声明によって決着がついた」と解釈してしまっている。
 そこで以下、上記問題の所在を認識したうえで、個人に請求権がある場合(第4)と、国家(中国)に請求権がある場合(第5)に分けて、論述する。そして後者(第5)については、さらにいくつかの場合に分けて、いずれの場合も、被控訴人の国家責任は果たされておらず、現在まで存続していることを述べる。
 
第4 ハーグ条約第3条に基づく個人の損害賠償請求権と日中共同声明

 控訴人らが原審準備書面(8)で詳述したように、ハーグ条約第3条は、被害者個人が、加害国に直接に損害賠償を請求する権利を定めたものである。なお、この点については、当審第2準備書面でさらに詳述する。
 国家の賠償請求権と個人の賠償請求権は、本来別個のものである。したがって、日中共同声明(第5項)で放棄されたのは、中国の国家としての賠償請求権であり、個人の賠償請求権はこれとは別に存続しているのである。  条約の当事国である中国政府は、前記第2章の第4の2で詳述したように、繰り返し、被害者個人の賠償請求権を放棄したわけではない旨述べている。 すなわち、1992年4月、江沢民国家主席は、日中戦争時の民間被害については、相互に協議して条理にかなう形で妥当に解決すべきであることを主張してきた旨発言した。さらに、1995年3月9日、銭外相は、全国人民代表者大会の席上で、日中共同声明における戦争賠償請求の放棄には、「個人の賠償までは含まれない」、賠償の請求は個人の権利であり、中国政府は干渉すべきでないと明言した。
 このような条約当事国(中国)が公式に表明している解釈は尊重されるべきである。なお、この点については、後記第5で詳述する。
 実際のところ、本件細菌戦に関して、被控訴人が被害救済措置を果たした事実はない。
 したがって、本件細菌戦に関して生じた被控訴人のハーグ条約第3条に基づく国家責任は現在まで存続している。

第5 ハーグ条約第3条に基づく中国の損害賠償請求権と日中共同声明

 仮に、ハーグ条約第3条に基づく国家責任について請求権の主体が国にあるとしても、日中共同声明において、本件被控訴人の国家責任は果たされておらず、決着はついていない。
 この点については、日中共同声明によって放棄された賠償請求権の範囲を次の異なる3つの見解に則しながら検討する。
 第1は、放棄したのは戦費等の賠償請求権であり、ハーグ条約第3条に基づく賠償請求権は含まれていないとする見解である。
 この場合は、ハーグ条約第3条に基づく賠償請求権は中国政府に残っている。
 第2は、ハーグ条約第3条に基づく賠償請求権も含めて中国が放棄したとする見解である。
 この場合は、中国が放棄しうるのは外交保護権だけであり、本来の被害者個人の損害賠償請求権は存続する。
 第3は、日中共同声明第5項の「戦争賠償」の中に、本件細菌戦に関する賠償請求権は含まれていないとする見解である。
 この場合は、本件細菌戦に関する賠償請求権は現在も存続していることになる。
 このように、上記3つのどの見解に立っても、被控訴人の国家責任は現在まで存続しているのである。上記第1、第2、第3の見解について、以下、1、2、3で詳述する。

 1 日中共同声明でハーグ条約第3条に基づく賠償請求権は放棄されていない(前記第1の見解に立つ場合)

(1) 日中共同声明第5項は、中国政府が、「中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」という条項である。
 この条項によって、中国は日本に対する「戦争賠償の請求を放棄」したが、ここで放棄された「戦争賠償」の範囲は、戦費調達等の戦争賠償にほかならない。したがって、ハーグ条約第3条に基づく戦争賠償請求のような、戦争法規に違反する違法行為によって生じた個人の被害に関する損害賠償請求は含まれていない。
 ここで戦争に伴う賠償問題の変化の流れについて若干指摘しておく。
 もともと戦争後に、戦勝国が敗戦国に要求する賠償は、戦争にかかった費用(戦費)の償還であった。ハーグ条約第3条(1907年第2回ハーグ平和会議)が締結され、その後、第一次世界大戦において、民間人の被害が大規模になったことから、従来の戦争賠償に加えて、新たに「損害賠償」という考え方が導入されるようになった。
 実際、ハーグ条約第3条が成立した後のヴェルサイユ平和条約(1919年)では、戦勝国の請求権のほかに、戦勝国民の請求権、敗戦国(ドイツ)の請求権(同439条)、さらに敗戦国民の「財産、権利または利益」に関する条項も明文で規定されている(同298条付属書二)。
 例えば、同条付属書二は、「独逸国又は独逸国民は(中略)同盟国若は連合国を相手方として又は其の行政官若は司法官憲の為に又はその命令の下に行動したる者を相手方として請求又は訴訟を提起することを得ず」と規定している。これは、連合国などによって行われた作為または不作為によってドイツ国民に権利等が発生し存在したこと、その権利等は本来訴訟等によって請求できることができたことを前提として、上記条約によって訴訟の提起をできなくしたものである。
この事実は、ハーグ条約第3条が、戦争の勝敗に関係なく国及び国民の権利を創設したこと、そのために平和条約によってこれら請求権を消滅させる旨の具体的規定が必要になったことを意味する。
 
(2) このような国民の権利をも規定した平和条約は、第二次世界大戦におけるイタリアと連合国の平和条約にも見られる。同条76条では、1項で「イタリア国は連合国に対するいかなる種類の請求権をもイタリア国政府又はイタリア国民のために一切放棄する」として請求権放棄を規定したうえで、2項で「この条の規定は、ここに上げられている種類の一切の請求権を完全かつ最終的に打ち切る。この請求権は利害関係者が何人であるかを問わず今後これを消滅させる」と規定する。ここでも、国民の請求権が存在することを前提に、これを将来に向かって消滅させる規定になっているのである。

(3) 以上のように、1907年のハーグ条約第3条創設以降は、国民個人の請求権が認められるようになり、その権利は裁判上で行使可能と考えられていたのであり、これを消滅させるためには、条約にその旨明記されなければならないことになり、さらに、1949年ジュネーブ条約以降は、「重大な違反行為」につき、加害国の責任を免れさせてはならないこととなったのである。
 したがって、日中共同声明では、ハーグ条約第3条に基づく中国国民個人の請求権は放棄されていないのである。
 なお、サンフランシスコ平和条約(1951年9月8日締結)でも、やはり国の請求権と国民の請求権が明記されているが、同平和条約については次の2で詳述する。

 2 日中共同声明で放棄されたのは外交保護権であり個人の請求権は放棄されない(前記第2の見解に立つ場合)

  (1) 仮に、日中共同声明でいう「賠償の請求の放棄」が、ハーグ条約第
3条に基づく損害賠償請求権を含むものだとしても、ここで放棄されたのは、中国の国家としての外交保護権であり、個人の請求権は国家によっては放棄されない。
 原判決は、ハーグ条約第3条の権利の帰属主体について、「個人が他国の国際違法行為によって損害を受けた場合には、当該個人は加害国の国際責任を追及するための国際請求を提出し得る主体としては認められず、その個人の属する本国が、当該個人の事件を取り上げ外交保護権を行使することによって、自らに対する法的な侵害として引き受け、国家間関係に切り替えて相手国(加害国)に国家責任を追及するものと解されている」と判示している。
 この解釈に立つとしても、ハーグ条約第3条の本来の目的が、被害者個人に対する賠償にあり、国家は外交保護権を行使してそれを実現しようとするのであるから、国家が放棄できるのは、外交保護権であって、加害国に対する被害者個人の損害賠償請求権まで放棄することはできないのである。
 本件細菌戦においては、控訴人ら被害者に対する被控訴人の賠償義務がまったく履行されないうちに、中国が国家として外交保護権を放棄したことになる。
 しかし、中国が外交保護権を放棄しても、被害者の救済という問題は残るのであり、被害者個人の賠償請求権が消えるものではない。ハーグ条約3条の上記性質論から、国家が外交保護権を放棄した場合には、個人が損害賠償請求権の主体となると解するのが自然である。

  (2) 個人の請求権は放棄されていないという中国政府の見解について
 1992年4月、江沢民国家主席は、日中戦争時の民間被害については、相互に協議して条理にかなう形で妥当に解決すべきであることを主張してきた旨発言した。さらに、1995年3月9日、銭副外相は、全国人民代表者大会の席上で、日中共同声明における戦争賠償請求の放棄には、「個人の賠償までは含まれない」、賠償請求は個人の権利であり、中国政府は干渉すべきでないと明言した。
 これら一連の発言によって、中国政府が個人請求権を放棄の対象としていないことは明らかである。これにより中国政府が日中共同声明で放棄したのは外交保護権であると理解することができる。
 中国政府は、実際に救済されていない被害者個人が「残された問題」(中国側の表現は「遺留問題」)として存在していること、被控訴人の国家責任が存続していること、被害者個人が被控訴人に対して損害賠償を請求できることを、正式に認めているのである。

  (3) サンフランシスコ平和条約における外交保護権の放棄
 ハーグ条約第3条に基づく(したがって戦争法規に違反する行為によって個人が被害を受けた場合の)賠償責任に対して、国が放棄できるのは外交保護権であることの例として、サンフランシスコ平和条約の賠償放棄条項がある。
 同条約第14条b項は次のような条文である。
「この条約に別段の定がある場合を除き、連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する」
 上記条項は、賠償請求権に3つの種類があることを示している。すなわち、@連合国のすべての賠償請求権 A戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権 B占領の直接軍事費に関する連合国の請求権、である。
 すなわち戦費などの償還として国家が直接受け取る賠償(@)とは明確に区別して、「連合国及びその国民の他の請求権」(A)を規定しているのである。このAの規定は、ハーグ条約第3条に基づくような、加害国の違法行為によって個人の受けた損害に対する賠償請求権を想定しているといえる。
 そのうえで、同条約では、一括して放棄する規定になっている。
 一括して放棄されているとはいえ、同条約で「国民の請求権」が規定されたことの意味は大きい。つまり、もともと国そのものが有している請求権(@)とは別に、ハーグ条約第3条に基づくような戦争法規に対する違反行為によって個人が損害を受けた場合は、個人の請求権が存在しており、国は外交保護権を行使して加害国に対して賠償を請求する権利をもつということになるのである。
 さらに、前記ヴェルサイユ条約及びイタリアと連合国との平和条約では、国民の損害賠償請求権についても将来にわたって消滅することが明記されたが、サンフランシスコ平和条約では、この点は明記されなかった。
 したがって、サンフランシスコ平和条約が「国民の請求権」を明記したうえで、これをも放棄するとしたのは、外交保護権を放棄するという意味をもつもので、国民の権利自体を消滅させるものではないのである。

  (4) サンフランシスコ平和条約締結時に個人の請求権が放棄されないことを認めた日本政府
 外交保護権の放棄によっても、被害者個人の請求権は放棄されていないこと、加害国の側の国家責任が果たされていないことを示した例として、サンフランシスコ平和条約におけるオランダの例がある。
オランダはサンフランシスコ平和条約に調印したが、その際、日本側に対し、オランダ憲法は政府に私権没収の権限を与えていないので、請求権放棄条項は国民の私権を消滅させるものではなく、国民は日本の裁判所で日本政府または日本国民を訴追できるという解釈を示し、また、条約の効果が政府の外交保護権の放棄に限られることも明らかにしたうえで同条約に調印した。
 オランダの外相は、「…日本国政府が、良心ないし良識ある便宜手段の問題として、自発的に自らの方法で処置することを望むものと思われる連合国国民のある種の私的請求権があります」と述べ、サンフランシスコ平和条約によっても解決されない国民の個人請求権を「自発的に」処理する事を求めた。これに対し、吉田首相は、1951年9月8日付オランダ外相宛書簡で、「オランダ国政府が示唆する如く、日本国政府が自発的に処置する事を希望するであろう連合国国民のある種の私的請求権が存在することをここに指摘します」と述べ、サンフランシスコ平和条約の賠償請求放棄条項によっても、個人の請求権は残ることを認めたのである。
 その後、日本はオランダと1956年に「オランダ国民のある種の私的請求権に関する問題の解決に関する日本国政府とオランダ政府との間の議定書」を結び、「第二次世界大戦の間に日本国政府の機関がオランダ国民に与えた苦痛に対する同情と遺憾の意を表するため」、民間抑留者の請求権の処理として、1000万ドルを提供した。
 以上の経過から明らかなように、日本政府は、個人の被害に対する賠償の問題はサンフランシスコ平和条約によっても最終的に解決したわけではなく、「ある種の私的請求権」が残ることを認めていたのである(荒井信一『日本の加害行為被害者の個人賠償請求権についての歴史的考察』中国社会科学院日本研究所『近代日本の内外政策1931〜1945』提出資料参照)。

(5) 被控訴人の日韓条約に関する「放棄したのは外交保護権」との明言
 自国民が他の国の違法行為により損害を被った場合、本国国家が放棄できるのは外交保護権の行使だけであって、被害者個人の一身に専属する権利を消滅させるわけではないことは、例えば日韓請求権協定との関連でも、以下の答弁に見られるように、日本政府でさえ認めているところである。
「(柳井俊二外務省条約局長)いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが、(中略)これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます」(1991年8月27日参議院予算委員会会議録第3号10頁)。

 3 本件細菌戦は日中共同声明が放棄した「戦争賠償の請求」から除外されている(前記第3の見解に立つ場合)

 日中共同声明においては、以下に詳述する理由から、本件細菌戦被害の問題は放棄の対象に含まれていなかった。

  (1) 細菌戦は国際法に違反する残虐行為であり「賠償請求の放棄」に入らない
 本件細菌戦は、明白な国際法違反であるうえ、被控訴人が意図的に計画し組織的に実行された戦争犯罪である。さらに、細菌戦の実行は、最初から非戦闘員たる一般住民を無差別大量に殺戮することを目的としており、いかなる意味でも正当化されえない行為である。
 本件細菌戦のような違法行為によって控訴人ら中国の一般住民が被った損害については、いわゆる戦後処理として、国家間で取り決められる通常の「戦争賠償」の処理の中には含まれない。日中共同声明において中国政府が放棄した「戦争賠償」は、通常の意味での戦争賠償に限られるのであり、本件細菌戦のような国際法違反の残虐な行為については、慰安婦問題と同じく、含まれないと解するべきである。

(2) ところで、1949年8月12日成立したジュネーブ諸条約とくに、「戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーブ条約(第4条約)」(1953年日本国加入。以下、「第4ジュネーブ条約」という)は、上記国民の権利、請求権の国による放棄、消滅に重大な影響を与える規定を創設した。
 すなわち、第4ジュネーブ条約では、第147条で、「この条約が保護する人又は物に対して行われる次の行為、すなわち、殺人、拷問若しくは非人道的待遇(生物学的実験を含む)、身体若しくは健康に対して故意に重い苦痛を与え、若しくは重大な傷害を加えること………をいう。」と重大な違反行為を規定し、第148条で、「締結国は、前条に掲げる違反行為に関し、自国が負うべき責任を免かれ、又は他の締結国をしてその国が負うべき責任から免かれさせてはならない。」と規定し、生物学的実験を含む非人道的待遇等の重大な違反行為に対して、賠償請求の免責を禁止した。
 これ以降、講和条約のあり方が大きく変更されたといえる。
 この第4ジュネーブ条約で一層明確化された個人請求権を容認する考え方が、前記サンフランシスコ平和条約に強い影響を与え反映されていることは明らかである。
 日中共同声明は、上記第4ジュネーブ条約の締結以降であるから、本件細菌戦のような「重大な違反行為」については、請求権を放棄できないのである。

  (3) 日中共同声明の交渉過程で細菌戦の事実は隠蔽されていた
 もともと外交保護権が成立するためには、自国の国民が他の国の違法行為によって損害を受け、被害者が自国政府に訴えることが必要である。
 しかし、日中共同声明当時、本件細菌戦については、被控訴人の徹底した隠蔽行為によって、控訴人らは自分らの蒙った被害が日本軍の細菌戦によるものであることについて真実を知ることができなかった。したがって控訴人らは、自国(中国)政府に自らの細菌戦被害を訴えることもできなかった。
 本件細菌戦に関する損害賠償請求は、日中共同声明時点では外交交渉の前提たる事実として認識されていなかったことから、放棄された「戦争賠償」からも除外されていた。なお、中国側のいう「遺留問題」の中に細菌戦被害も含められている。

  (4) 日中共同声明の「責任を痛感し反省する」に反する被控訴人の行為
 日中共同声明は、その前文で日本側が「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」ことを前提として、第5条で中国側が「戦争賠償の請求を放棄することを宣言」したものである。
 ところで、本件細菌戦に関する被控訴人の対応は、日中共同声明における「責任を痛感し深く反省する」という前文に著しく反するものである。細菌戦の事実すら認めず、意図的な隠蔽行為を繰り返してきた被控訴人の態度は、「責任を痛感し深く反省する」ことと矛盾するものである。つまり日本国がとってきた実際の態度は、自らの責任を否定し、まったく反省せず、控訴人ら被害者をはじめ、中国の人々を深く傷つけるものである。この被控訴人の本件細菌戦に対する態度は、日中関係の進展を阻害する大きな要因となっている。
 日中共同声明における中国政府の「賠償請求の放棄」は、日本側が「責任を痛感し深く反省」することを前提として宣言されたのであるから、本件細菌戦に関する被控訴人の態度は、日中共同声明の前提を崩す行為であり、少なくとも本件細菌戦に関しては、「賠償請求の放棄」は成立せず、除外されるといわなければならない。

 以上、ハーグ条約第3条に基づく損害賠償請求権は国家にあるという原判決の立場に立って、3つの見解を見てきたが、いずれの場合も、被控訴人の国家責任は存続しており、賠償請求権は、個人の場合にせよ、国家の場合にせよ、いずれにせよ存続している。原判決の、本件細菌戦に関する被控訴人の国家責任が、「日中共同声明によって決着」したという解釈は成り立たないのである。

第6 被控訴人には被害者個人に対して立法上の救済義務が発生する

 1 被控訴人の国家責任が存続している以上、被害者救済は立法義務として課せられる
 以上、第4、第5で述べたように、ハーグ条約第3条に基づく被控訴人の国家責任に対する請求権が、控訴人ら被害者個人にあるにせよ、あるいは、原判決が判示するように、国家にあるにせよ、いずれにせよ被控訴人の国家責任は存続しており、被控訴人の賠償義務は不履行のまま続いている。
 一方、被控訴人による何らかの手段による控訴人ら被害者の救済は行われていない。それどころか、被控訴人による加害事実の認定すら行われていない。
 控訴人ら被害者の救済措置が必要であることは、原判決も「本件細菌戦による被害は誠に悲惨かつ甚大であり、旧日本軍による当該戦闘行為は非人道的なものであったとの評価を免れないと解される」「本件細菌戦被害に対し我が国が何らかの補償等を検討するとなれば、我が国の国内法ないしは国内的措置によって対処することになると考えられるところ、何らかの対処をするかどうか、仮に何らかの対処をする場合にどのような内容の対処をするのかは、国会において、以上に説示したような事情等の様々な事情を前提に、高次の裁量により決すべき性格のものと解される」と認めるところである。
 何らかの救済措置がとられる必要があり、その方法が国会において決せられるべきものであることは、妥当な判断である。
 ところが、原判決は、国会が「高次の裁量により決すべき」とし、立法義務まで負うものではないという判断を示している。
 しかし、この原判決の判断は、被控訴人のハーグ条約第3条に基づく国家責任がすでに決着がついているという前提でのことであり、被控訴人の国家責任が存続している状態のもとでは、控訴人ら被害者の救済は、立法義務として課せられるといえる。

 2 国際法の義務違反の解消は国会の責務
本件細菌戦に関するハーグ条約第3条に基づく賠償問題は、前述したとおり、@ハーグ条約第3条の目的は個人の救済にある。A被控訴人はハーグ条約第3条に基づく国家責任を果たしておらず、控訴人ら被害者の救済はいまだに実行されていない。
ハーグ条約3条は、同条に基づく加害国の国家責任の履行のためにいかなる手続的な可能性も排除していない。したがって、加害国が、救済措置を実現するための新たな立法によって救済を実現することは可能であり、また適切な方法である。
 一方に、被控訴人の側の国際義務の不履行状態の継続があり、他方に、被害者の側の救済されない状態の継続があり、外交によってはその解決が図れない場合、現状を解消する唯一の方法は、被控訴人の国会が何らかの立法措置によって、被害者個人に対する賠償責任を果たすことである。
 そして、それがなされない以上、被控訴人における国際義務の不履行は解消されないのであるから、国会には立法義務が生じているといわなければならない。

 3 中国国民固有の損害賠償請求権の存在と被控訴人の被害者救済の立法義務
 原判決によれば本件細菌戦の被害は誠に悲惨かつ甚大であり、旧日本軍による当該戦闘行為は非人間的なものだったとの評価は免れず、かつ日本にはハーグ陸戦条約第3条の規定を内容とする国際慣習法による国家責任が成立したというのである。したがって、原判決の言う判断基準に従ったとしても、基本的人権の尊重を旨とし、かつ国際協調主義に立つ日本国憲法においては、このような重大な人権侵害により国家責任を負うような状態を放置することは到底許されないのであるから、本件において、立法行為の国家賠償法上の違法性が認められるべき「容易に想定し難いような例外的な場合」であると評価できることは明白である。
 しかしながら、原判決は、細菌戦は国際慣習法に違反し、被控訴人国が国家責任を負うと認めながら、被控訴人国の国家責任は、日中共同声明(1972年)及び日中平和友好条約(1978年)によって既に決着しているとの理解を前提に、立法不作為の違法性について消極的に判断している。これは、日中共同声明及び日中平和友好条約によって中国及び中国国民の損害賠償請求権が共に放棄されていると理解したものと解される。
 しかし、この原判決の理解は誤っている。すなわち、すでに第5で述べたとおり、中国政府が放棄したのは、国家間の賠償であり、中国国民固有の損害賠償請求権は、中国政府によって放棄されたものではない。したがって、被控訴人には、被害者個人に対して立法上の救済義務が発生する。
 また、原判決は、日本にはハーグ陸戦条約第3条の規定を内容とする国際慣習法による国家責任が成立したというのであるが、そもそもこのような国家責任は、細菌戦という、通常の戦争において想定できない異常な行為に関する国家責任である。日中共同声明等において放棄されたのは、通常の賠償請求権であると考えられるから、このような異常な行為による国家責任に関する中国国家が有する賠償請求権については、中国政府においても、日中共同声明等によって放棄したということはできない。
したがって、仮に原判決が判断するように、本件被控訴人の国家責任が「国家間関係において処理されるべき」ものだとしても、被控訴人の国家責任は何ら履行されておらず、決着はついていないのである。
 加えて、ハーグ陸戦条約第3条の規定の究極の趣旨・目的は、原判決の言うように個人の保護にあるから、仮に被控訴人による立法が、国家間関係を通じた処理の形をとるとしても、その目的は被害者個人の救済であり、この中国国家が有する賠償請求権を実行する為の適切な立法がなされないことにより、控訴人ら被害者が新たな苦痛を受けることもまた明らかである。

 4 最高裁判例(昭和60年11月21日)の基準について
  (1) 原判決の判示する判断基準
 原判決は、立法不作為による損害賠償はいかなる場合に認められるかという点について最高裁昭和60年11月21日第一小法廷判決(民集39巻7号1521ページ)を引いたうえで、「国会の立法不作為が国家賠償法上違法と評価されるのは、憲法上一義的に国会に特定内容の立法をする義務が課されているにもかかわらず、国会がその立法を懈怠したというような例外的な場合に限られる」としている。
 そして原判決は、「日本国憲法が採用する議会制民主主義の下での国会議員の立法過程における行動は、国会議員各自の政治判断に任され、その当否は最終的に国民の自由な言論や選挙による政治的評価に委ねられるのが相当であるから、国会議員は、立法に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民その他の者の権利に対応した関係での法的義務を負うものではないというべきである」と判示し、この基準を本件にあてはめて立法不作為の違法性を否定した。

(2) 本件細菌戦の被害は「容易に想定し難いような例外的な場合」に相当する
   ア そもそも原判決が引用する上記の最高裁昭和60年11月21日判決は、もともと立法裁量にゆだねられているところの国会議員の選挙の投票方法に関するものであり、細菌兵器の使用という明らかに違法でかつ他に比類のないような極めて重大な生命身体等への侵害に関する本件とは、全く事案を異にする。また、その後の最高裁判決の事案も、一般民間人戦災者を対象とする擁護立法をしないことに関するもの(昭和62年6月26日第2小法廷判決・裁判集民事151号147頁)、生糸の輸入制限に関するもの(平成2年2月6日第3小法廷判決・訟務月報36巻12号2242頁)、民法733条の再婚禁止期間に関するもの(平成7年12月5日第3小法廷判決・裁判集民集177号243頁)等であり、本件に匹敵するようなものは全く見当たらない。
   イ もっとも、上記一連の最高裁判決は、立法行為が国家賠償法上違憲と評価されるのは、容易に想定し難いような例外的な場合に限られるべきである旨判示している。ただ、最高裁判所昭和60年11月21日判決等の上記一連の最高裁判決の文言からも明からなように、「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反している」ことは、立法行為の国家賠償法上の違法性を認めるための絶対条件とは解されない。上記一連の最高裁判決が「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反している」との表現を用いたのも、立法行為が国家賠償法上違法と評価されるのが、極めて特殊で例外的な場合に限られるべきであることを強調しようとしたにすぎないものというべきである(上記についてはハンセン病に関する熊本地方裁判所平成13年5月11日判決を参照)。
   ウ また、最高裁判所昭和60年11月21日判決は、単純に議会制民
主主義を理由とするのみならず、選挙権に関する立法府の裁量を強調していることから分かるように、「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反している」場合を一つの例として、「容易に想定し難いような例外的な場合」には、立法行為の国家賠償法上の違法性を認める趣旨であることは、明らかである。
 この点、原判決が、最高裁昭和60年11月21日判決を引いた上で、「憲法上一義的に国会に特定内容の立法をする義務が課されているにもかかわらず、国会がその立法を懈怠したというような」「例外的な場合」には、国会の立法不作為が国家賠償法上違法と評価されると判示しているのは、「憲法上一義的に国会に特定内容の立法をする義務が課されているにもかかわらず、国会がその立法を懈怠したというような」場合を一つの例として「例外的な場合」には立法不作為が国家賠償法上違法と評価されるとしているのであり、上記最高裁昭和60年11月21日判決の理解として、控訴人の理解と同様であると解される。

  (3) 先行法益侵害に基づく救済義務
 本件細菌戦のように、明白な国際法違反行為によって、控訴人らにおいて憲法秩序の根源に関わる人権侵害が現に起きており、さらに国際法に基づく国際義務の不履行状態が現に続いているような場合は、国会議員の政治的責任に解消できない領域において、立法不作為を理由とする国家賠償の問題が生ずる。
 そして、重大な人権侵害と救済の高度の必要性が認められ、そのうえで、国会や内閣がその必要性を十分に認識し、立法可能であったにもかかわらず、一定の合理的期間を経過してもなおこれを放置した等の場合には、広く立法不作為による国家賠償が認められるべきである。
 この点、法の解釈原理として、あるいは条理として、先行法益侵害に基づくその後の保護義務を右法益侵害者に課すべきことが一般に許容されていると考えるべきである。日本国憲法制定前の帝国日本の国家行為によるものであっても、これと同一性ある国家である被告には、その法益侵害が真に重大である限り、被害者に対し、より以上の被害の増大をもたらさないよう配慮、保証すべき条理上の法的義務が課せられているというべきであり、特に、個人の尊重、人格の尊厳に根幹的価値をおき、かつ、帝国日本の軍国主義等に関して否定的認識と反省を有する日本国憲法制定後は、ますますその義務が重くなり、被害者に対する何らかの損害回復措置を採らなければならないはずである。
 すなわち「先行法益侵害」が憲法的秩序の根源に関わる侵害として行われた場合、「保護義務」が発生する。被害者がその後も際限のない苦しみに陥っていること、加害者側の救済作為義務が果たされず不作為のまま放置したことによって、立法不作為は被害者の人間としての尊厳を傷つける新たな侵害行為になるのである。
 本件細菌戦に関しては、「先行法益侵害」である細菌戦の実行による損害が、まさに憲法秩序の根源に関わる侵害であると共に、先行法益侵害における加害行為の違法性が極めて顕著であること、国際法に基づく義務の不履行が続いていることが加わるのであって、立法不作為の違法性は明らかである。

  (4) 本件細菌戦における救済立法義務
 本件細菌戦において、控訴人らが被った肉体的・精神的苦痛は極めて過酷なものであったが、戦後においても、被控訴人国によって、なんら被害の救済措置を受けることなく放置されてきたため、控訴人らは今もなお心身ともに癒すことのできない苦痛のうちにある。
 さらに、細菌兵器は、細菌のもつ強力な毒力と感染性により、広範かつ長期にわたって悪質な伝染病を蔓延させて苦痛をもたらすものであるため、控訴人らは現在においても、これら細菌による疾病の流行を恐れている。本件細菌戦は、その残虐性、被害の広範さ等から考えて、到底想像し難い特別なものといえる。
 本件細菌戦が国際法に違反する行為であることは、すでに原判決も認定しているところであるが、そのうえで、本件細菌戦は、一般住民を無差別大量に殺傷する目的をもって実行された犯罪行為であり、控訴人の親族ら多くの非戦闘員の命が奪われた。また控訴人ら生き残った人々に対しても、細菌戦の与えた恐怖は、想像を絶するものがある。
 控訴人らが細菌戦によって強いられた恐怖は、まず、ペストおよびコレラに感染した人間が非常に高い比率で死亡するという恐怖である。また、ひとたび感染者が発生するとその家族や近親者、さらにその地域に強い伝染をもって急速に流行することが恐怖を倍加させた。
 さらに、ペストやコレラに感染した人間や地域は、他から隔離されたり偏見を持ってみられ、総じて徹底した社会的な差別を受けることである。社会の中で生きる人間にとって、ペストやコレラのゆえに受ける差別の恐怖は、死の恐怖と等しいか、それ以上に残酷なものである。そのうえ、再発、再流行の恐ろしさがある。特にペストは、野生の齧歯類の中での流行が何十年も続いた後で、昆虫のノミを介して人間に感染する危険性を持っている。したがってペストはひとたび流行すると、その流行地域と周辺地区に対して、防疫活動として何十年もペスト菌が生き続けているか否かを観察しなければならないのである。
 日本軍による細菌戦は、ペストやコレラが、まさに以上に述べたような脅威を中国の住民や地域社会に及ぼすことを狙って、実行されたものである。細菌戦の実行は、控訴人らに甚大な被害を与えたばかりか、控訴人らのその後の人生に多大な影響を与え、言い知れぬ恐怖と不安、屈辱の中で生きることを強いたのである。
 このような控訴人らの苦痛は、一刻も早く立法によって救済が図られるべき性質のものであって、その必要性は高度である。
 また、本件細菌戦は極めて特異な違法行為である。医学という本来、命を救うために用いられる方法が、大量の人間を殺傷するために用いられたのである。感染症が日本軍によって人為的に引き起こされたものであることを知った時の控訴人ら被害者の受けた衝撃、恐怖もまた、想像を絶するものがある。なぜ、このような事が起きたのか、加害者である控訴人が、加害事実すら認めず、謝罪せず、賠償せず、何の救済措置をとることもせず被害者を放置し続けていることによって、控訴人らは未だに闇の中にいる。
 控訴人による救済義務の不履行は、日本国憲法の根源的価値に関わる基本的な人権侵害をもたらす、新たな不法行為として、控訴人らの人間としての尊厳を傷つけているのである。
 従って、本件は、明らかに違法かつ想像し難い極めて重大な侵害行為による被害が長期間放置されてきた事案で、人権侵害の重大性とその救済の高度の必要性が明らかに認められるから、立法不作為が国家賠償法上違法と評価される「容易に想定し難いような例外的な場合」(最高裁昭和60年11月21日判決)に該当するのであり、原判決に言うところの「例外的な場合」に該当する。

  (5) 原判決の誤り
 ところが、原判決は、立法不作為が国家賠償法上違法と評価されるところの「例外的な場合」に該当しないと判示している。しかし、これは、常識的な判断として全く理解できない。
 原判決は、本件細菌戦の被害は誠に悲惨かつ甚大であり、旧日本軍による当該戦闘行為は非人間的なものだったとの評価は免れないと判示し、加えて日本にはハーグ陸戦条約第3条の規定を内容とする国際慣習法による国家責任が成立したとまで判示しているのであるから、人権侵害の重大性とその救済の高度の必要性が明らかに認められる。加えて、先に検討したように、このようなハーグ条約第3条の規定を内容とする国際慣習法による国家責任に関して中国国家及び中国国民の日本国に対する賠償請求権は放棄されていないのであるから、憲法の国際協調主義の規定(憲法98条2項)から考えて、国が国際慣習法上の国家責任を負う以上その是正の立法義務を負うことは一義的に明らかであるから、立法不作為が国家賠償法上違法と評価されるところの「例外的な場合」に該当することは明らかである。
 このような場合でさえも、右立法不作為が国家賠償法上違法と評価されるところの「例外的な場合」に該当しないとするのであれば、原判決が言う「例外的な場合」というケースは存在しないと言うべきであり、原判決は、論理が破綻しているといわざるを得ない。

  (6) 本件立法不作為は憲法98条2項に反する
 仮に、立法不作為が、原判決の判示する「憲法上一義的に国会に特定内容の立法をする義務が課されているにもかかわらず,国会がその立法を懈怠したというような例外的な場合」に違法となるとしても、本件立法不作為の違法性は明白である。
 被控訴人が、本件細菌戦に関するハーグ条約第3条に基づく国家責任をはたさず、国際義務の不履行を続けていることは、憲法98条2項の「条約及び確立された国際法規」の遵守義務に違反している。
 ハーグ条約が憲法98条2項の規定する「条約及び確立された国際法規」に入ることは明白である。そして、この憲法98条2項は、日本国が締結した「条約」や「確立された国際法規」は、国の機関および国民が遵守すべき国内法上の義務を負うことを定めたものである。また、国際法を遵守し、その実をあげるために、必要ならば国内において実施に必要な措置が講じられなければならないことを定めたものである。この条項によって、国会は、ハーグ条約第3条を遵守するために必要な立法等措置を行うことが義務づけられているのである。
 また被控訴人の本件細菌戦に関する国際義務の不履行は、日中共同声明の「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」(前文)に反するものである。たしかに日中共同声明における「責任を痛感し、深く反省する」という文言には、賠償義務は含まれていない。しかし、本件細菌戦に関するハーグ条約第3条に基づく国家責任の遂行には、当然の前提として被控訴人が加害事実を認め、謝罪するということが含まれている。被控訴人は、事実を認めることさえしないのであるから、「責任を痛感し、深く反省する」に反する行為であることは明白である。
 また1978年の日中平和友好条約では、「共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認」しているのだから、被控訴人の国際義務不履行は、日中平和友好条約の遵守義務にも違反していることになる。国会は、日中共同声明及び日中平和友好条約を遵守するために、本件細菌戦に関する国家責任を果たすべく立法等措置を行う義務を負っているのである。
 以上のように、国会が本件細菌戦に関する国家責任を果たすべく何らかの立法措置をとらなかったことにより、条約及び国際法の遵守義務に反する状態が長きにわたって続いたことは、原判決の判示する基準に従っても、立法不作為の違法と評価されるものである。

第7 立法義務の不履行による立法不作為の成立

 1 本件細菌戦において、控訴人らが被った肉体的・精神的苦痛は極めて過酷なものであったが、戦後においても、被控訴人国によって、なんら被害の救済措置を受けることなく放置されてきたため、控訴人らは今もなお心身ともに癒すことのできない苦痛のうちにある。
 このような控訴人らの苦痛は、一刻も早く立法によって解決すべき性質のものであって、その必要性は高度であり、これを放置することは、さらに、日本国憲法が保障する根幹的な控訴人らの人権を侵害しつづけることになる。

 2 国会で細菌戦の問題が初めて取り上げられたのは、1950年の3月である。
 1949年12月、ソ連・ハバロフスクで行われた裁判は、日本兵捕虜の中で、細菌兵器の準備と使用に関わった12名に対する細菌戦裁判として行われた。731部隊の本部・支部の責任ある立場のものとして、川島清、柄沢十三夫、西俊英、尾上正男等が裁かれ、証人尋問では12名が証言した。
 細菌戦に関する多くの事実が明らかにされた公判記録は、翌1950年に日本語版も出版された。このハバロフスク裁判で明らかになった細菌戦の事実を基に、国会質問が行われた。
1950年3月1日衆議院外務委員会で、聴濤議員が細菌戦の事実について問いただしたのに対し被控訴人の政府は、「日本人の戦争犯罪人に対する裁判は、ポツダム宣言の受諾により連合国によって行われるから、政府は戦争犯罪人の問題に関与すべきではない。政府は調査する権能も持たず、また調査する必要もない。」(殖田俊吉法務総裁。甲37)等と答弁した。
 国会は、この時点で細菌戦の事実を知り、被害者に対する救済義務の発生することを知り得たのである。仮に、政府の答弁に従って、占領下において政府が、戦争犯罪について「調査する権能をもたない」としても、国会が何らかの立法措置をとりうる余地は存在したし、仮に国会においても占領下であることの制約が存在したとしても、1952年のサンフランシスコ平和条約の発効によって、その制約はまったくなくなったのである。国会が立法措置をとりうる合理的期間を2年間とすると、1954年以後は、被控訴人の立法不作為は国家賠償法上も違法となったといえる。

 3 さらに、1993年からの井本日誌の発見とその内容の公表、及びこれと時期的に前後する細菌戦部隊の旧部隊員や中国人被害者らの体験供述などや1994年及び95年使用教科書のいくつかで細菌兵器の実戦使用が明らかになり、その後1997年8月の家永教科書裁判における最高裁判決において、細菌戦の事実について国会でもより明確に認識されることになった。
 1995年6月9日、国会は「戦後50年国会決議」を採択した。この決議は、「世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、わが国が過去におこなったこうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する」と述べている。
 また同年8月15日、「戦後50周年の終戦記念日にあたって」の村山総理大臣の談話が発表され、この中で村山首相は、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」「疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」と述べ、「現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります」と述べている。
 この国会決議及び村山談話によって「戦後処理問題への誠実な対応」の一環としての細菌戦被害者に対する救済は、国会においても明確に認識されたはずであると考えられる。

 以上の経過によって、遅くとも上記最高裁判決から2年を経過した1999年8月には合理的期間も経過していたといえるから、立法不作為が国家賠償法上も違法となったといえる。

第8 結論

 上記理由により、国会が控訴人ら細菌戦被害者に対する救済措置立法を怠ってきたことは違法な不作為に当たり、被控訴人は国家賠償法の規定に基づき控訴人に対して謝罪(同法4条、民法723条)と慰謝料支払(同法1条1項)の義務を負う。
 したがって、原判決の判断は失当である。

 


第6章 行政不作為による事実調査・救済義務違反の不法行為

第1 問題の所在

 1 被控訴人による国家責任と行政不作為
   すでに本書面でくり返し述べているとおり、日本軍が1940年から1942年の間に中国各地で行った本件細菌戦は、ジュネーブ・ガス議定書あるいは同議定書を内容とする国際慣習法に違反する。したがって被控訴人には、「本件細菌戦に関しハーグ陸戦条約3条の規定を内容とする国際慣習法による国家責任が生じていた」(原判決35頁)。
 本件細菌戦は、日本軍が行った史上類例のない戦争犯罪行為である。細菌兵器は、最初から非戦闘員である一般住民を無差別に殺傷することを目的とした大量破壊兵器であり、その被害は実行者も予測がつかない恐るべきものである。細菌戦を戦争行為として正当化しうるいかなる理由もなく、細菌兵器は、決して使用されてはならない兵器である。
 本件細菌戦は、日本軍による史上初めての本格的な細菌兵器の使用によって遂行された。細菌兵器の使用は、もとより国際法(ジュネーブ・ガス議定書)によって禁止されていたが、国際法に違反して細菌兵器を実戦使用した被控訴人の違法性・犯罪性は、他の戦争犯罪に比しても極めて大きいものであり、他方でその被害者に対する救済の必要性もまた、極めて大きいものがあるといわなければならない。細菌戦を実行した被控訴人は、自らの犯した戦争犯罪を真に反省し、戦後直ちに事実調査をなし被害者らを救済する措置をとらねばならなかった。

 2 行政不作為による新たな被害(倍加された精神的苦痛)の発生
   この被控訴人の国家責任から生じた不法行為は、立法・行政の両面において問題となるが、本件においては両者の不作為が不法行為となる。そこで、その前提となる作為義務の内容や作為義務の履行手段は、立法・行政の両者でそれぞれ異なることに注意しなければならない。行政府における作為義務には、予備費から損害賠償金を支出して細菌戦被害者の損害を償うだけことだけでなく、事実調査や謝罪を行い細菌戦被害者の精神的苦痛を慰藉すること等の救済義務も含まれるのである。
 そこで、両者を別々に論じることとし、被控訴人の立法の不作為については、すでに第5章において詳述した。
 では、行政においてはどうであったか以下詳述する。被控訴人の行政機関である内閣(以下「被控訴人内閣」という)は、とりうる救済措置があった(戦後直後においても少なくとも事実を調査し解明することは可能であった)にもかかわらず、何の救済措置もとらなかったばかりか、自ら犯した細菌戦の戦争犯罪を隠蔽し続けたのである。
 本件細菌戦は、戦争犯罪一般には解消できない残虐性をもち、その被害もまた、戦争被害一般には解消できない深刻なものである。
 本件控訴人ら被害者の早急な救済が必要であったこと、救済は旧日本軍を引き継ぎ事実を知る立場にあった被控訴人内閣によってしかなしえないこと、細菌戦被害という極めて特殊な戦争犯罪被害に対する救済措置は、まず細菌兵器を撒布した場所や細菌兵器に用いた細菌の種別(ペスト菌等)、量、撒布方法の特定をし、かつ把握している被害の場所、程度を知らせて、被害の拡大を防止し、不安を解消することなど、単なる金銭的な賠償だけではなく、多角的な側面からの救済措置を必要としたこと等から、救済義務は、まず被控訴人内閣に発生したというべきである。
 被控訴人内閣の上記作為義務の不履行により、控訴人らには、1940年代の本件細菌戦による被害のほかに二次被害ともいうべき別個の新たな被害(精神的苦痛の倍加)が発生している。
 控訴人らは、本件細菌戦という直接の加害行為をうけて肉親を無惨に殺されあるいは自らも罹患して生死の境をさまよいかろうじて一命を取り留めた者たちであるが、それに加えて被控訴人が今日に至るも本件細菌戦の事実を認めず、謝罪も賠償もしないで戦後の半世紀以上にわたって控訴人ら細菌戦被害者たちを救済することなく放置してきたことによって、控訴人らの苦痛は倍加しているのである。こうした国際慣習法に基づく国家責任による賠償義務が発生しているにもかかわらず、今日に至るまで履行されず、なすべき救済義務を行っていない事実に対しては、被控訴人の新たな加害行為として法律構成すべきであり、被控訴人は直ちに救済措置をとるべきであった。
 この点につき、救済措置をとるか否かは、行政府の裁量に委ねられており、救済措置をとることは行政府には義務づけられていないとする見解もある。
 しかしながら、このような解釈は、いかなる重大な法益侵害や行政府による懈怠が行われたとしても行政府は救済措置をとらなくてもいいことになってしまい、正義に反する。そこで、行政裁量の幅は決して固定されたものではなく、状況に応じて変化するものであり、一定の状況のもとでは、その裁量権はゼロに収縮して作為義務が生ずると解するのが妥当である。
 あるいは、不作為が著しく不合理な場合には、行政権の限界を逸脱しており、もはや行政裁量の範囲の問題ではなく、違法であると解するのが妥当である。問題は、どのような状況下で作為義務が生ずるかにつき、明文で定められているわけではない点にあり、作為義務が生ずる要件を解釈によって確定していく必要がある。
 そこで、以下最高裁判例を検討しつつ、作為義務の発生要件を挙げていく。 

第2 作為義務の発生要件

 1 まず、先行行為に基づく作為義務のケースで、行政不作為の成立を認定した「新島漂着砲弾爆発事件」に関する最高裁昭和59年3月23日判決を検討する。
 「新島漂着砲弾爆発事件」は、海中に投棄された日本国陸軍の砲弾が海岸に漂着していたのを拾って焚き火に投じたため爆発し、中学生ら2人が死傷したという事件である。一審、二審、最高裁とも、警察官に危険防止措置の懈怠があるとして、東京都の損害賠償義務を認めた。

 2 上記最高裁判決は、「島民が居住している地区からさほど遠からず、かつ海水浴場として一般公衆に利用されている海浜やその付近の海底に砲弾類が投棄されたまま放置され、その海底にある砲弾類が毎年のように海浜に打ち上げられ、島民が砲弾類の危険性についての知識の欠如から不用意に取り扱うことによってこれが爆発して人身事故等の発生する危険があり、しかも、このような危険は毎年のように海浜に打ち上げられることによって継続して存在し(中略)島民等としてはこの危険を通常の手段では除去することができないため、これを放置するときは、島民等の生命、身体の安全が確保されないことが相当の蓋然性をもって予測されうる状況において、かかる状況を警察官が容易に知りうる場合には、警察官において右権限を適切に行使し、自ら又はこれを処分する権限・能力を有する機関に要請するなどして積極的に砲弾類を回収するなどの措置を講じ、もって砲弾類の爆発による人身事故等の発生を未然に防止することは、その職務上の義務であると解するのが相当である」と判示する。
 同事件においては、砲弾爆発により1名が死亡、他の1名も眼球破裂等の重大な身体被害を受けている。
 上記最高裁判決は、@被侵害法益の大きさに加えて、A住民に人身事故等の発生する危険が継続して存在していたこと(危険の継続的存在)、B住民等がこの危険を通常の手段では除去することができないこと(通常手段による危険除去の不可能性)、Cその状況を警察官が容易に知りうること(予見可能性)を、危険防止措置義務の発生する要件としたうえで、警察官が「砲弾類の危険性についての警告や砲弾類を発見した場合の届出の催告などの措置をとるだけではたりず」と、当該公務員の能力の限界が、作為義務を免責することにはならず、「権限・能力を有する機関に要請するなどして積極的に」危険防止措置を講ずるべきであった(積極的措置の必要)と判示している。

 この点、上記事件の控訴審で、国は「砲弾類を完全に除去する方法がないから危険防止義務はない」と主張していた。
 しかし、東京高裁昭和55年10月23日判決は、国の主張を排斥し、「かかる作業の実施により、同海岸における爆発による人の死傷の危険の蓋然性は減少させうるのであり、この措置が危険を皆無にするものでないことを前提として危険防止の義務はないかにいう国の主張は採用の限りでない」として、「危険の蓋然性を減少させうる」限り、危険防止義務が成立するものであると判示している。
 同事件では、国による砲弾の回収義務の不作為も認めている。
 東京地裁昭49年12月8日判決は、「危険性発生の根本的な原因は、もと被告国の機関であった日本国陸軍が、連合国軍の指令に基づく武装解除の一環として実施した砲弾類の海中投棄の際、潮流等の作用により容易に海岸に打ち上げられることが充分に予想される海岸に極めて近接した場所に大量かつ危険な砲弾類を投棄して、その後これを放置していたことにあるというべきであるから、このように大量かつ危険な砲弾類を右のような場所に投棄して危険性発生の原因をつくりだした当事者としての被告国は、その後、海中に放置されている砲弾類が海岸に打ち上げられることのないように、また打ち上げられたとしてもそれによる爆発事故が起こらないように、これらの砲弾類を早急に回収して、事故の発生を未然に防止すべき法律上の作為義務を負っていたというべきである」と、明解に、放置した砲弾の回収による危険防止義務を判示している。

 以上の判例分析から、本件細菌戦被害者に対する救済義務に関して行政不作為が成立するためには、@被侵害法益の重大性、A住民の被害の拡大継続、B住民自身による被害除去の不可能性、C行政による被害拡大の予見可能性の4点が検討されなければならない。
 そこで、以下、本件細菌戦の被害について、被控訴人内閣に事実調査・救済義務の行政不作為が成立したかどうか検討する。

第3 本件細菌戦における被控訴人内閣の事実調査・救済義務の不作為

 1 本件被侵害法益(倍加する精神的苦痛)の重大性
(1) 細菌兵器は、1925年ジュネーブ・ガス議定書でその使用が禁止さ
れていた大量破壊兵器である。しかも、細菌兵器はもっぱら一般住民に対して向けられ、その被害がどこまで拡大するかは、実行者も予測することができない恐ろしい兵器である。
 非戦闘員である一般住民が、空爆等他の戦争行為によって受ける損害に比べても、控訴人ら細菌戦被害者が受ける損害は特殊な深刻性をもっている。
 控訴人ら被害者にとって、細菌戦による疫病の発生は、戦争中の敵の攻撃として予測がつかない事態であった。また当時の民衆のなかではペスト等疫病に関する知識はそれほど高くなかった。本件控訴人ら細菌戦の被害者は、ある日突然原因不明の病気に襲われ、発病すると数日間のうちに次々に死亡していくという事態に直面させられたのである。
 一般に犯罪等による被害者にとって、その原因が分からないことほど苦しいことはない。本件細菌戦は、被害当時から日本軍によるものではないかと予測はされていたが、細菌戦が秘密作戦として行われたこと、戦後の被控訴人内閣による隠蔽工作と同時に被控訴人内閣が事実を認めないことによって、本件控訴人ら被害者は、自らが受けた被害について、真の原因を知らされることなく放置されてきた。
 戦争敵国とはいえ、一般住民を無差別に大量殺傷する細菌兵器を使用することは、人間社会の常識からは想像もつかない残虐な非人道的行為である。日本軍がこれをなしえたのは、なによりも中国の民衆を人間としてみない民族差別が根底にあったことによる。
 ところで、本件行政不作為における被侵害法益は、被控訴人の調査・救済義務の不履行によって生ずる倍加した精神的苦痛にあるが、「無差別大量殺戮」の根底にある民族差別は、被控訴人らを戦後も深く傷つけるものとなった。加害者である被控訴人が、戦争終結後においても、自らが細菌戦を行った事実を隠して謝罪せず、何らの救済措置もとらなかったことは、細菌戦の実行が、戦争という状況の中で生まれた特殊なものではなく、より根の深い非人間的、民族差別に基づくものであったことを示している。
 被控訴人の中にある「中国人は皆殺しにしてもかまわない」という姿勢は、本件控訴人ら被害者の人間としての尊厳を根底から傷つけるものである。戦後における被控訴人内閣の不作為は、こうした非人間的、民族差別的姿勢として変わることなく、控訴人らの人格を蹂躙し続けたのである。被控訴人内閣の不作為は、絶えず控訴人らに精神的な重しとしてのしかかり、控訴人らが人間として生きていくうえで、多大な困難を強い、「倍加する精神的苦痛」を与えた。

(2) 控訴人らに対する先行法益侵害はとてつもなく大きくその被害は重大で容易に回復しえないものであり、早急な救済が必要とされていたことは明白である。
 被控訴人内閣による被害者に対する救済措置がまったくとられなかったこと、加害者である被控訴人内閣が謝罪しないこと、事実を認めないことは、被害者の生命・身体を危険にさらし、被害者を恐怖と不安に陥れ、地域社会で生存するうえで多大な困難を強いるものであった。そして、被控訴人の救済義務の不履行は、次のような重層的構造をもつ。
 第1に細菌戦によって広範な地域に疫病を引き起こすという事態は前代未聞であり、伝播及び再発の危険性がどの程度あったかは予測不可能な面があるが、少なくとも戦後も一定期間は継続した危険が存在したことは明白であり、控訴人らをはじめ広範な地域の住民全体が、生命、身体の差し迫った危険にさらされていたのである。その恐怖と不安は想像を絶するものがあり、先行法益侵害と共に、被控訴人内閣の不作為による法益侵害がある。
 さらに、第2に被控訴人内閣の不作為が、半世紀以上にわたって続いたことにより、控訴人らに対する基本的人権の蹂躙の継続ないし控訴人らに強いる社会的差別の忍従等精神的苦痛は増大し、その被法益侵害は甚大なものとなっている。
 このように本件細菌戦の被害に対する被控訴人内閣の不作為によって控訴人らの精神的苦痛は倍加し、いやがうえにも高まっているといわざるを得ない。

(3) 前記、「被控訴人内閣の半世紀以上にわたる不作為」の経過の中で、1972年の日中共同声明、及び1978年の日中平和友好条約によって、日中国交が回復し、長きにわたる2国間の戦争状態は終結した。日中共同声明の前文で被控訴人は、「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」ことを表明した。この言葉を真に実行するためには、被控訴人は救済義務を果たさねばならなかった。
 しかし、被控訴人内閣は、本件細菌戦の事実について何ら明らかにせず、また事実調査や救済のための方策もとらなかった。

  (4) 本件裁判の開始以後も中国国内の各地で被害調査が行われて次々と新たな被害事実が確認されている。
 しかし、控訴人らをはじめとする細菌戦被害者らは、本件裁判を通して被控訴人内閣の姿を目の当たりにすることとなった。裁判が回を重ねるごとに、被控訴人内閣の、細菌戦の事実も認めない、謝罪も賠償もしないという不誠実きわまりない対応に、こらえきれない怒りが充満し爆発寸前である。
 このように被控訴人内閣が、控訴人らに対し、作為義務を履行しないことによって戦後の新たな加害行為を引き起こし控訴人らの精神的苦痛を倍加せしめているのである。
 
 2 住民の被害の拡大継続
(1) 本件細菌戦による被害の特徴は、爆弾等による被害と異なり、控訴人ら被害者、住民の生命、身体に対する危険が、時間の経過と共に継続・拡大することにある。疫病感染の恐怖は、被害が発生した地域だけでなく周辺地域をもパニック状態に陥れる。また一度疫病が発生したのちは、いったん流行が収まってもいつ再発するかわからないという危険と恐怖の中で生活することを強いられた。それゆえ、疫病が発生し流行したときに体験した恐怖は、過去のものとして忘れ去ることは困難であり、絶えず現在の恐怖として再生されるのである。

(2) 実際、本件細菌戦の結果、衢州市の各県のほぼすべての町村で1948年末まで、ペスト、コレラなどの疫病の流行が続いた。衢州各県防疫委員会の統計によると、1940年から1948年の8年間で、衢州市全域でペスト、コレラ、腸チフスとパラチフス、赤痢、炭疽等の伝染病にかかった人は30万人以上に達した。
 このように、日本軍の細菌戦による疫病再発生の危険が継続的に存在していることによって、衢州市当局及び住民は、今もなお防疫活動を強いられている。衢州市では1940年以来毎年、民衆を動員して鼠、ノミ、蠅、ゴキブリの駆除を行っている。また、生活環境と飲用水の消毒、糞尿の管理、ペストワクチン、コレラワクチンなどの予防注射、疫病患者の隔離治療、患者の家族の収容検査などの防疫治療の措置が、現在まで継続して行われている。これらの費用は莫大であり、本来被控訴人が補償すべきものである。

(3) したがって、前記1の(2)で触れたことと重複する面もあるが、改めて被害の継続拡大の重大性を指摘するならば、本件細菌戦被害に対する被控訴人の救済義務は、第一義的には、被害の継続と拡大の防止、被害地及び周辺地域住民の生命、身体の安全の確保、恐怖と不安の除去として生ずるものである。
 さらに第二義的には、被控訴人が細菌戦被害者の被害について謝罪・損害賠償すべき義務を放置し、その結果、控訴人らの細菌戦によって傷つけられた人格の尊厳を、本来救済によって速やかに回復するべきであるにもかかわらず、逆に根底から傷つけて控訴人らに「倍加された苦痛」を強制しているのであるから、この「倍加された苦痛」を除去すべき義務がある。

 3 住民自身による被害除去の不可能性
(1) 疫病の発生という事態に対して、一般住民はなすすべがなく、通常の手段によっては危険除去が不可能であることは明白である。
 危険の除去は、控訴人らにとっては当面中国の現地政府等行政機関による防疫活動が唯一の手段であるが、その際、細菌戦を実行した当事者からのどのような細菌をどこで使ったのか等の情報提供が決定的に重要な要素であった。
 本件細菌戦被害に対する救済措置の一環として、事実調査、事実の解明は極めて大きな意義をもっているのである。
 被控訴人内閣は、本来自ら防疫活動に積極的に協力しなければならなかった。少なくとも事実調査をして、細菌を撒布した時期、場所、撒布した細菌の種類等の情報を現地に伝える必要があった。

(2) ところが、被控訴人内閣は、事実調査をし情報を提供すべき立場にありながら、逆に事実を隠蔽した。この不作為は、現地の防疫活動を困難に陥れ、控訴人ら被害地及びその周辺地域の人々の生命、身体を、戦後も長期にわたって危険にさらし、不安と恐怖を強いたのである。
 事実を解明し、現地住民に疫病の原因を伝達することは、被害者らの蒙った被害を回復していくうえで極めて重要な要素であった。
 本件控訴人ら被害者の救済は、加害者たる被控訴人内閣の事実認定と謝罪が前提であり、その不作為によってもたらされる損害の除去は、被控訴人内閣のみがなしえるものであることは明白である。

(3) 控訴人らは、裁判という形を通してあるいは政府関係省庁への申し入れ行動などを通して、被控訴人内閣に対し、本件細菌戦の被害について訴え、事実調査を要求して被控訴人内閣の作為義務の履行を促すなど、控訴人ら自身による最大限の努力を積み重ねてきたのである。
 しかしながら、被控訴人内閣は、何ら誠意ある対応をなさず、法廷においても事実認否すらしなかった。
 控訴人らの精神的苦痛がこれ以上倍加されないようにするためには、唯一被控訴人内閣の作為義務が尽くされることより他にないのである。

 4 行政による被害拡大の予見可能性

(1) 先行行為の重大な法益侵害と被害拡大の予見可能性
 控訴人らの精神的苦痛の倍加として発生している重大な損害は、くり返し述べているように、被控訴人内閣が事実調査と救済という作為義務をつくさなかったことによって発生したものである。
 控訴人らの精神的苦痛が慰藉されるために、被控訴人内閣は、最低限事実を調査し、現地住民に真実を伝える義務があった。
 本件細菌戦は、陸軍中央の指揮・統制の下で秘密作戦として遂行されたものである。もとよりその目的そのものが、地域住民を無差別大量に殺傷し、人々を長期にわたって恐怖に落とし込めることを狙ったものであり、本件被害地をはじめ細菌戦を実施した地域に継続した危険が存在している状況は、容易に予見できることであった。被控訴人内閣は、細菌戦を実行した帝国日本の内閣を引き継ぐものとして、日本軍の細菌戦の実行を知りうる立場にあり、また、事実調査を含めた救済措置をとらないことにより、本件細菌戦被害地を含むすべての細菌戦実行地域及び周辺地域の多数の住民が、上記の重大な法益侵害を受けることを予見しうる立場にあったものとして、当然その作為義務を尽くすべきであった。

(2) ハバロフスク裁判と被害拡大の予見可能性
 被控訴人内閣に対する救済義務発生の要件は、いずれも極めて高く、被控訴人内閣がポツダム宣言を受諾し、降伏文書に署名した1945年9月2日には、被控訴人内閣の救済義務が発生していた。
 降伏文書によって、被控訴人は連合軍の占領下におかれるのであるが、それは間接統治という形で被控訴人内閣は継続して存在したのであり、占領軍の許可なしに政策を実行しうる余地がなかったとしても、被控訴人内閣に本件細菌戦被害者に対する救済義務が免除されるわけではない。むしろ、事実調査と救済措置は連合軍の占領政策とも合致するものであり、占領下における被控訴人内閣の救済義務は当然発生しうる。
 ところで、1949年12月、ソヴィエト連邦は独自に、ハバロフスクで細菌兵器の準備と使用に関わった日本軍捕虜12名を裁判にかけ(甲140)、731部隊の本部・支部の責任ある立場のものとして、川島清、柄沢十三夫、西俊英、尾上正男が裁かれた。証人尋問では12名が証言し、古都良雄が中国における細菌撒布や人体実験について、堀田が安達における野外人体実験について証言した(甲20。甲141)。
 すなわち、このハバロフスク裁判によって、被控訴人内閣は、本件細菌戦の被害の重大さと被害が拡大していることを十分に予見しえたし、予見していたといえる。
 ところが、被控訴人は、1950年3月日本の国会でハバロフスク裁判で明らかになった細菌戦についての質疑の答弁で、「日本人の戦争犯罪人に対する裁判は、ポツダム宣言の受諾により連合国によって行われるから、政府は戦争犯罪人の問題に関与すべきではない。政府は調査する権能も持たず、また調査する必要もない。」(殖田俊吉法務総裁)と述べた。実際には、このような答弁の裏で、被控訴人内閣は米軍との間で免責取引を行い、隠蔽工作を行っていたのである。

  (3) 1980年代以降の真実暴露と被害拡大の予見可能性
 被控訴人内閣は、国際法に基づく賠償義務を果たさず、戦後一貫して、本件細菌戦に関する調査、救済義務を怠ってきた。
 1980年代に入って、731部隊の存在に関する研究が急速に進み、多くの学術書・関連図書が出版された。
 まず1980年に入ると、ジョン・パウエルによって、アメリカの公文書記録から、戦後の占領期におけるGHQの資料が発見・公表され(甲52)、731部隊の戦争犯罪と、戦後の隠蔽工作が明るみに出された(甲29の12頁。甲48の1、2)。
 1981年には、森村誠一の「悪魔の飽食」(甲30ないし甲32)がベストセラーになり、731部隊の衝撃的な事実が、広く世に知られるようになった。
 中国においては、1989年に、中国側が保有していた資料をまとめた『細菌戦与毒気戦』が刊行された。ここでは、撫順戦犯管理所の日本人戦犯の供述書や、細菌攻撃の被害にあった当時の住民の証言などによって、日本軍の細菌撒布と中国各地におけるペスト等の流行の因果関係が実証的に明らかにされている(甲105の1、33頁)。
 90年代に入って、ソ連崩壊に伴う情報公開で、ロシアの国立公文書館(旧共産党資料館)と特別公文書館(旧KGB資料館)から、ハバロフスク裁判の起訴準備書面、及び旧日本軍牡丹江憲兵隊の報告書が発見された。この報告書から731部隊による人体実験の犠牲者の氏名が判明した。犠牲者の遺族たちは1995年8月に、日本政府を相手に賠償を求める裁判を起こした。
日本では、1989年7月、東京都新宿区戸山の旧日本軍軍医学校跡地から100体以上の人骨が発見されたことから、人骨と731部隊との関係が疑われ、新宿区民が「人骨問題を究明する会」を結成して人骨保存の監査請求を区に提出した。
 1993年7月からは、731部隊展示会が企画され、日本全国で巡回・開催された。入場者は1995年3月までで23万人に達した。その中には元隊員の人たちも大勢いた。そのほとんどは少年隊員など下級の隊員だったが、多くの人たちが、部隊展を見て過去の事実を語り始め、真相の解明が大きく進んだ。1996年には元部隊員の証言集『細菌戦部隊』(晩聲社)が刊行されるなど加害当事者からの真実暴露によって731部隊の事実はさらに深く広汎に知られることとなった。
 したがって、被控訴人内閣は、1980年代以降は、本件細菌戦の被害の重大さと被害が拡大していることを十分に予見しえたし、また予見していたといえる。

  (4) 軍隊慰安婦、遺棄毒ガス兵器の調査開始と被害拡大の予見可能性
 被控訴人内閣は、1990年代に入ると、軍隊慰安婦、遺棄毒ガス兵器等の戦争犯罪に対する調査を開始した。
 軍隊慰安婦問題については、政府は当初、「民間業者が行っていたもので、軍の関与を示すような資料はない」と言っていた(90年6月政府答弁)。
 1991年8月、韓国で元慰安婦が名乗りをあげ、同年12月には韓国の元軍隊慰安婦3名が、初めて日本政府に謝罪と賠償を求めて東京地裁に提訴した。こうした事態を受け、提訴の2日後に日本政府は、軍・政府の関与に関する調査を開始した。
 一方、1992年1月、吉見義明は独自の調査で発見した資料を公表した。その数日後に加藤官房長官は「軍の関与は否定できない」と述べるに至り、同月訪韓した宮沢首相が日韓首脳会談において「お詫びと反省の気持ち」を表明したのである。
 1992年7月6日、政府の第1次調査結果が発表され、127件の資料が公表された。さらに1993年8月4日、第2次調査結果が発表され、河野官房長官談話が発表された。
 同日付官房長官談話では、「今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設置されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」と述べられている。すなわち、これまでの政府見解を完全に覆し、軍の関与を認めたのである。
 また、毒ガス兵器問題についても、政府は対応を一変させている。毒ガス兵器も細菌兵器と同様に極東国際軍事裁判では裁かれず、戦後長い間不問に付されていた。
 しかしながら80年代の終わりになって、中国が、旧日本軍が中国大陸に遺棄してきた毒ガス兵器の処理を日本政府に要請し、90年から2国間交渉が行われた。だが、日本側は曖昧な態度に終始し、不誠実な調査しか行っていなかった。
 1992年2月のジュネーブ軍縮会議での化学兵器禁止条約の交渉中、中国がこの問題を提示し、遺棄化学兵器の処理義務を条約に盛り込むよう提案した。これを受けて1993年に化学兵器禁止条約が締結され(1995年に批准)、1997年に発効、その中で遺棄毒ガス兵器の処理義務が明記されたことから、日本政府は中国大陸に遺棄した大量の毒ガス兵器の処理を行わなければならないことになり、中国現地における本格的調査を開始した。
 上記のように、被控訴人の戦争犯罪に関する事実調査、各種の原状回復、被害補償等が開始されつつあることは、本件細菌戦についても、その事実が特にきわだって残虐であること、被害の規模が大きく、侵害態様の深刻であることから、当然に被控訴人内閣は、被控訴人の調査・救済義務の不履行によって、控訴人ら被害者の被害が拡大し、「倍加された精神的苦痛」が生じていることを、十分に予見しえたし、予見していた。

  (5) 井本日誌の発見・公表による被害拡大の予見可能性
 1993年、吉見義明中央大学教授らによって、防衛庁の防衛研究所図書館において、戦争当時、参謀本部作戦課員として細菌戦実施にかかる連絡調整に関与し、その作戦の経緯を詳しく記した井本熊男大佐の業務日誌等4つの業務日誌が発見された。
 その内容は、1993年12月に『季刊・戦争責任研究』2号(甲1)に「日本軍の細菌戦」と題する論文として発表され、さらに、1995年12月には、岩波ブックレットから『731部隊と天皇・陸軍中央』(甲2)として出版された。
 本件細菌戦に関する井本日誌記載の事実は、前記第2章に詳しく述べたとおりであるが、この井本日誌等の発見によって、もはや日本軍の行った細菌戦は動かし難い事実として確定し、また被控訴人が731部隊及び細菌戦に関する資料を保有していることも、否定することのできない事実となった。
 これにより、被控訴人内閣は、本件細菌戦の被害の重大さと被害が拡大していることを十分に予見しえたし、予見していたといえる。

 5 本件における事実調査・救済義務の発生と行政不作為の成立

(1) 本件は、前記1ないし4の要件にいずれも当てはまる。よって、被控訴人内閣には、被控訴人による細菌戦を先行行為とする事実調査および救済義務が、遅くとも1995年12月の井本日誌の発見・公表の時期には発生していたのであり、この義務の遂行を怠ったことにより、被控訴人内閣には行政不作為が成立したといえる。

(2) さらに、1997年8月、最高裁判所は、1983年の検定処分を争った家永教科書裁判で、731部隊の活動に関する記述を削除した文部省検定を違法とする判決を下した。
 最高裁判所は、「関東軍の中に細菌戦を行うことを目的とした『731部隊』と称する軍隊が存在し、生体実験をして多数の中国人等を殺害したとの大筋は、既に本件検定当時の学界において否定するものはないほどに定説化していたものというべきであり、これに本件検定時までには終戦から既に38年も経過していることをも併せ考えれば、文部大臣が、731部隊に関する事柄を教科書に記述することは時期尚早として、原稿記述を全面削除する必要がある旨の修正意見を付したことには、その判断の過程に、検定当時の学説状況の認識及び旧検定基準に違反するとの評価に看過し難い過誤があり、裁量権の範囲を逸脱した違法があるというべきである。」と判示した。
 このように、1997年8月の時点においてすでに、最高裁判所は「細菌戦を行うことを目的とした731部隊」の存在を認定していたのであり、最高裁判所は、被控訴人の内閣及び国会に対し、細菌戦の事実調査、被害者救済を重層的に義務づけたといえる。

(3) このように被控訴人内閣の調査、救済義務の不作為にもかかわらず、731部隊の細菌戦の事実解明が様々な形で進み、また本件訴訟が提起され、現地での被害調査も行われる中で、1997年12月ないし1999年2月、4回の国会質疑が行われた(甲37ないし甲39、甲129)。
   @ 1997年12月17日の国会質疑
 1997年12月17日、栗原君子議員は、同年8月の家永教科書裁判における最高裁判決を踏まえて、細菌戦被害につき質問した。橋本龍太郎首相(当時)は、これに対し、「いわゆる731部隊、正確には関東軍防疫給水部というものにつきましては、従来からさまざまな報道がなされておることは承知をいたしております。」「過去の戦争における我が国の行為が多くの人々に対し耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたという深い反省の上に立っておわびを申し上げる」と答弁し、未解決の問題の処理を取り組むことを約束した。
 A 1998年4月2日の国会質疑 
栗原君子議員は、井本日誌等の存在を踏まえて、調査、確認、開示の義務につき質問した。村岡兼造官房長官(当時)は、「これまでの政府部内の調査では政府保存の文書中にいわゆる731部隊の活動状況を示す資料は見つかっていない」と答弁する一方、「新たな事実が発見される場合には歴史の事実として厳粛に受けとめていきたい」と答えた。
 B 1998年4月7日の国会質疑
 しかし、栗原君子議員は、井本日誌の細菌戦の記載があることを具体的に質問すると、防衛庁説明員は、「ご指摘の井本日誌につきましては、いわゆる公文書に該当するものではなくて個人の日誌であるということで理解しております。(略)現在プライバシーにかかわるという観点から公開しておりません。いずれにいたしましても、防衛庁の立場からその内容についてコメントする立場にはございません。」と答弁し、ノーコメントを繰り返した。
 村岡官房長官(当時)は、「返答に困った」と誤魔化したが、実際は、もはや「資料がない」などと言い逃れができなくなったのである。被控訴人は、これまで「資料がないから判断できない」と言ってきた。
 C 1999年2月18日の国会質疑
 田中甲議員は、隠蔽され情報が公開されていないとの問いただした。野呂田防衛庁長官は、これに対し、「具体的な活動状況や御指摘の生体実験に関する事実を確認できる資料は確認されていない」と答弁し、事実調査を行う意思がないことを述べた。
 上記のとおり、井本日誌等のように、731部隊が細菌戦を行ったことを示す明白な資料があっても、事実を認定しないことが問題なのであり、その被控訴人の態度は、事実調査、救済義務に違反したものに他ならない。このように国会で頻繁にとりあげられるようになったこと自体、731部隊に関してもはや「知らない」では済まされないことの証左であり、被控訴人に重層的に事実調査、救済義務が発生していたことを示すものである。

(4) 被控訴人内閣が日中共同声明から30年を経た今日に至っても、細菌戦実行の事実すら認めないことは、日中共同声明に違反し、日中共同声明の成立の前提を突き崩す行為であると言わなければならない。
 以上のとおり、本件細菌戦における被控訴人の調査、救済義務の不作為が成立していることは明らかである。

第4 結語

 したがって、被控訴人の行政不作為は、看過することができない違法行為である。ここに控訴人らは、本件訴訟において、被控訴人内閣の行政不作為に基づく国家賠償請求として、国家賠償法1条1項に基づき、被控訴人に対し、損害賠償を求める。また国家賠償法4条が準用する民法724条により謝罪を求める。

 



第7章 隠蔽による権利行使妨害の不法行為

第1 問題の所在について

 被控訴人が本件細菌戦の証拠を隠滅したり細菌戦は行われていないなどの虚偽の供述を行うなどして、国家ぐるみで組織的に細菌戦の事実を隠蔽した行為が、控訴人らの正当な権利ないし利益を侵害し損害を与えており、被控訴人には控訴人に対する国家賠償法上の賠償責任が成立する。

 原判決は、「被控訴人の細菌戦隠蔽による損害賠償請求」について、裁判所独自の判断で、その時期、及び内容を分けたうえで、被控訴人の隠蔽行為を、@国家賠償法施行以前の行為についてとA国家賠償法施行以後の行為についてに分け、それぞれについて、被控訴人の隠蔽行為そのものにはまったく触れることなく、控訴人らの損害賠償請求を退けている。すなわち、第1に、国家賠償法施行以前について「国家無答責の法理」を適用し、控訴人らの損害賠償請求を否定した。
 第2に、国家賠償法施行以後の被控訴人の行為について、「国家賠償法上の違法が認められるためには、法律上保護された利益が侵害されたことが必要である」(原判決44頁)としたうえで、損害賠償・補償請求権については、「原告らは被告に対しそれらの法的権利を有しないから、原告らのいう隠蔽行為が原告らの権利を侵害したという関係にはないといわざるを得ない」(原判決44頁)と判示する。ハーグ条約3条は個人に損害賠償請求権を与えたものでないという裁判所の解釈を根拠にして、隠蔽による損害に対する賠償請求権をも否定するのである。
 また「その他のもの、すなわち、原告らの被害に関する社会的・政治的な要求や責任者の処罰要求等が侵害されたとする点」(原判決44頁)についても、「仮に原告らのいう隠蔽行為によって原告らがこれらの諸要求をすることに何らかの支障が生じたとしても、これが法律上保護された利益の侵害に当たるということはできない」(原判決44頁)と、控訴人らの損害賠償請求を否定した。

 原判決は、国家賠償法施行前の被控訴人の行為について、「国家無答責の法理」によって被控訴人は損害賠償責任を負わない旨判示するが、すでに第2章において述べたとおり、本件の損害に対して「国家無答責の法理」は適用されず誤っている。
 原判決は、控訴人らの損害賠償請求権等について、そもそも「原告らはそれらの法的権利を有しない」ことをもって、権利侵害が成立しないと判示している。
 しかし、仮に控訴人らには「ハーグ条約に基づく賠償・補償請求権等の法的権利はない」という原判決の判断に立ったとしても、被控訴人による隠蔽という作為は、控訴人らの重大な権利行使(細菌戦被害の拡大防止、被害者及び家族の人権侵害の回復措置、謝罪及び損害賠償に関する法的な請求、また同様の内容に関する社会的・政治的な要求、さらに責任者の処罰要求など)を著しく妨害ないし不可能ならしめるものであり、それらの個々の隠蔽行為は、原告らに対する新たな加害行為をなすのであり、原判決には、控訴人らが蒙った権利行使妨害の内容についての重大な誤認がある。
 そこで、次の諸点が問題となる。
 第1は、控訴人らが侵害を受けたという権利ないし法益はいかなるものであり、それが法律上保護されるものと言えるかという点である。
 第2は、被控訴人のいかなる行為を隠蔽行為とし、被控訴人らに対する侵害行為であるとするのかという点である。
 第3は、いかなる具体的な損害が発生したと言えるかという点である。
 控訴人は、すでに原審でこれらの諸点について主張しているので、本章では、原判決を批判する観点から、原判決を踏まえて控訴審裁判所に特に注意を払われたい点について以下のとおり詳述する。

第2 控訴人らの被侵害法益ないし権利について
   
 1 精神的苦痛の倍加
 原告らは、本件隠蔽行為によって、第一次的な加害行為である本件細菌戦によって受けた精神的な苦痛を長期間に渡り強いられただけでなく、さらに本件隠蔽によって被告に対する様々な権利行使を著しく妨害ないし不可能にされたことによる新たな苦痛を強いられたものである。
   この点、原判決は、控訴人らの損害賠償請求権等について、そもそも「原告らはそれらの法的権利を有しない」ことをもって、権利侵害が成立しないと判示した。すなわち、原判決は、被控訴人らに生じた精神的苦痛は、いまだ法的保護に値するものではなく、受忍限度範囲内の精神的苦痛であると判断したのである。原判決は、本件細菌戦につき、細菌戦の事実を認め、ハーグ陸戦条約3条の規定を内容とする国際慣習法による国家責任が生じていたと認定したにもかかわらず、この事実を隠蔽することで生ずる損害については受忍限度内の損害であるとするのである。
   しかしながら、細菌戦の事実を認めながら、一方で隠蔽による損害を認めないことは、すなわち細菌戦被害者に泣き寝入りを強いていることと同義であり、真の意味で細菌戦の甚大な被害を認めたことにはならない。このような原判決の判断は、細菌戦被害者らをさらに傷つけることになった。

 2 隠蔽による国家間関係を通した補償請求権の妨害
 すでに原判決が認定しているとおり、被控訴人が行った細菌戦に関しては、ハーグ条約第3条を内容とする損害賠償責任を履行すべき被控訴人の国家としての義務が成立したことは疑いない。
 この場合に被控訴人が負う国家責任の相手が被害者個人か、又は被害国かは見解が分かれる。しかし、いずれにしても被控訴人がかかる国家責任を負ったことが明らかである。
 原判決は、「もとより、戦争の惨害は最終的には個人に帰するものであるから、同条約及び同規則の究極の趣旨・目的は、陸戦の過程における非戦闘員を含めた個人の保護にあると解することができる」と認め、「個人が他国の国際違法行為によって損害を受けた場合には、当該個人は加害国の国際責任を追及するための国際請求を提出し得る主体としては認められず、その個人の属する本国が、当該個人の事件を取り上げ外交保護権を行使することによって、自らに対する法的な侵害として引き受け、国家間関係に切り替えて相手国(加害国)に国家責任を追及するものと解されている」という見解を示している。
 この原審の判断に従えば、違法な戦争犯罪の被害者は、自国政府を通して損害の補償を受ける権利、少なくとも、自国政府に損害を訴える権利を有している。
 本件控訴人らは、1972年の日中共同声明及び1978年の日中平和友好条約の際にその機会があった。
 「個人の属する本国が、当該個人の事件を取り上げ」「自らに対する法的な侵害として引き受け」るためには、まず被害者が自らの被った被害の原因を知り、自国政府に訴えることができなければならない。
 ところが、被控訴人の隠蔽行為により、控訴人らは自らの被害が本件細菌戦により被った事実を知ることができず、日中共同声明及び日中平和友好条約の交渉過程で、自国の中国政府に被害を訴える権利を侵害された。

 3 隠蔽による損害賠償請求の提訴の権利行使の妨害
ハーグ条約3条は、違法な戦争行為によって被害を受けた個人に損害賠償請求権を付与していると解されるから、控訴人らは、直接に加害国に対して損害賠償請求権を行使することができたのであるが、被控訴人の隠蔽行為により権利行使を妨害された。
 とくに1980年代から1990年代にかけて、被控訴人の隠蔽行為は、資料を保有しているにもかかわらず非公開にして隠蔽したり、事実を突きつけられてもしらを切る等、非常に悪質で一国の政府として恥ずべき態度を示している。
 1990年代に入り、戦後の冷戦の終焉によって、戦争被害、戦争犯罪に対する補償問題が世界的に論議され、日本においても、1991年12月に韓国の元軍隊慰安婦が東京地裁に提訴するなど、被控訴人の戦争犯罪に対する損害賠償を求める動きが新たな展開を見せた。被控訴人が細菌戦の事実を認めれば、当然にも、多くの被害者が損害賠償を求めることは必至であった。被控訴人はこのような事態を恐れ、未然に防止するためより悪質な隠蔽行為を継続したのである。
 上記の1980年代から1990年代にかけての個々の隠蔽行為は、そのひとつひとつが控訴人ら細菌戦被害者の権利行使を妨害する意図をもった行為である。
 ところで、遅くても1978年の日中平和友好条約締結後は、日中間の国交が完全に回復され、被控訴人の隠蔽行為がなければ、控訴人らは、被控訴人を相手に謝罪と損害賠償を請求する裁判を提起することが可能となるはずであった。
 被控訴人は、日中共同声明及び日中平和友好条約以後、先に見た国会答弁や、戦史資料の非公開措置など悪質な隠蔽行為を強めたのである。その結果、控訴人ら細菌戦被害者は提訴する権利を著しく妨害され、本件提訴の1997年にいたるまで、裁判を受ける権利を侵害され続けてきた。
 控訴人ら細菌戦の被害者が個人として加害国を相手に損害賠償を求める権利があるか否かにかかわらず、控訴人らが被控訴人を相手に提訴し、その判断を裁判所に求める権利までを否定することはできない。被控訴人の隠蔽行為は、その最も基本的な権利を侵害し続けたのである。
 また、控訴人らは、事実上細菌戦の責任追及の機会、特に細菌戦の加害行為の中心人物だった日本人らの刑事責任追及の機会を奪われた。控訴人らは、元731部隊幹部では石井四郎や北野政次らの部隊長や部長クラスの刑事責任が問われることを望んでいた。また陸軍省や陸軍参謀本部の細菌戦に関わった将校の刑事責任も強く望んでいた。
 しかし、細菌戦については、被控訴人の隠蔽行為によって、東京国際軍事裁判では全く裁かれなかった。これは南京大虐殺が同裁判で裁かれたことと対比して著しく不公平と言える。


第3 被控訴人の隠蔽行為

 1 国際法違反の戦争犯罪に関する隠蔽行為
  歴史的経過として被控訴人は3つの時期において隠蔽行為をおこなって きた。
 第1の隠蔽は、1945年8月15日の敗戦を前後する証拠隠滅である。
 同年8月10日ポツダム宣言受諾が決定されるとすぐに、被控訴人内閣は閣議決定で公文書の焼却を決定した。中国のハルビン郊外の平房にあった731部隊の施設に対しては、ポツダム宣言以前の8月9日、ソ連が参戦した段階で証拠隠滅を開始した。施設、物資、書類はことごとく破壊焼却され、「マルタ」と呼ばれていた中国人やロシア人などの捕虜は、全員、「証拠隠滅」のため殺害されたのである。
 第2の隠蔽は、1945年8月から1952年までの米軍占領期に行われた。この時期の隠蔽行為は、戦争犯罪の処罰を免れるために行われたが、直接当事者の利害に基づいて行われただけでなく、被控訴人による組織的かつ積極的行為として行われたのである。さらにこの隠蔽には、アメリカ政府・占領軍が関与していた。
 すなわち被控訴人・政府および細菌戦関係者は、米軍に対し細菌戦兵器研究・開発の物資・資料を全面的に提供し、米軍の細菌戦兵器開発に協力したのであり、それと引き替えに、戦犯としての訴追を免れたのである。
 第3の隠蔽は、1952年の講和条約発効、占領期の終結から今日に至るまでの隠蔽行為である。
 1980年代に入って、細菌戦・731部隊の実態の解明が飛躍的に進んだ。しかし、その実態解明は、決して被控訴人によって行われたのではなかった。80年代の実態解明の進展は、元731部隊の隊員であった人々が証言し始めたこと、中国の被害現地における調査の進展、アメリカが保有している占領期文書の公開、旧日本軍上層部にいた人々が保存していた文書や、医学界の文献の発見などによって解明が急速に進んだことに起因する。
 これらの実態解明から既に20年以上もの歳月が経過し、今日では細菌戦部隊の犯罪行為は国際的にも国内的にも常識となっていた。原判決の言い渡しによってさらに社会の隅々にまで本件細菌戦の事実は伝えられた。
 それにもかかわらず、被控訴人は、戦後一貫して細菌戦および731部隊について隠蔽し続けているのである。

 2 敗戦前後における隠蔽
 1945年8月15日、ポツダム宣言を受諾した被控訴人は、いわゆる「終戦の詔勅」をもって日本国民に戦争の終結を明らかにした。
 米軍は、9月11日、東条英機を直接逮捕するなど39人の戦犯に逮捕令状をだし、戦争犯罪の処罰が開始された。被控訴人は、国際法に違反する細菌戦に関しては、徹底的に隠蔽することによって、戦争犯罪に問われることを逃れようとした。
 結果として、細菌戦に関してはいかなる意味でも罪に問われることはなかった。米軍占領下、1946年5月3日から始まった東京裁判の全過程を通して、被控訴人は、国際社会に対して細菌戦の事実を隠蔽し続けたのである。
 この細菌戦の隠蔽は、国家ぐるみの隠蔽行為としておこなわれた。さらにこの隠蔽は、被告がアメリカ政府・占領軍と取り引きをすることによって成立した。

 3 占領下における隠蔽
 アメリカは、1945年8月から1947年の終わりにかけて、4回にわたり日本に調査官を派遣し戦争犯罪に関する取調を行った。すなわち米軍は、米陸軍生物戦部隊(キャンプ・デトリック)からサンダース、トムプソン、フェル、ヒルら4人の調査官を派遣している。
 当初日本側は、米軍調査官サンダース及びトムプソンに対し、731部隊の組織構成等を一定程度明らかにする一方、細菌兵器の実戦使用および人体実験については隠し通した。日本側は、徹底した隠蔽工作を行い、口裏を合わせて細菌戦隠蔽のために虚偽の供述をした。
 まず政府機関としては終戦連絡委員会・有末機関が、そして非公式の政府機関として旧陸軍全体に影響力を行使していた服部機関が隠蔽工作の中心となった。
 一方、米軍の通訳という立場から隠蔽工作の中心に座ったのが内藤良一と亀井貫一郎であった。彼らは通訳として米軍サイドに身をおきながら米軍の動向を伺い、日本側の対応を策定していったのである。元陸軍省の科学技術担当という立場から尋問者間の連絡網をつくっていったのが新妻清一である。
 以上の敗戦直後に形成された隠蔽工作の組織的構造は、この時期の隠蔽が最終的に成立する1947年末まで基本的に続いた。
 1947年にシベリア抑留中の731部隊員等から細菌戦の事実をつかんだソ連は、石井四郎らに対する尋問を要求した。細菌戦の事実が暴露されることを恐れた被控訴人は、731部隊長であった石井四郎が米軍との密接な関係をもつ等、細菌戦兵器開発のため米軍への全面全面的協力を行い、米軍調査官フェル、ヒルは、細菌戦に関する資料を入手した。被控訴人はこの米軍との取り引きによって、東京裁判での訴追を免れ、隠蔽工作を成立させるのである。
 以上のとおり、1945年から1947年にいたる戦争終結直後の隠蔽行為によって、細菌戦は戦争犯罪として裁かれることなく今日に至っている。

 4 ハバロフスク裁判での暴露と被控訴人の隠蔽
 1949年12月、ソ連は独自にハバロフスクで、細菌兵器の準備と使用に関わった日本軍捕虜12名を裁判にかけた。細菌戦の多くの事実が暴露された公判記録は、1950年に日本でも出版された。しかし、アメリカがこのソ連の暴露に対し、「フレームアップである」という声明を出したことを奇貨として、被控訴人は国際社会に対して細菌戦を明らかにすることなく隠蔽を続けた。
 ハバロフスク裁判の報道を基にして、1950年3月に日本の国会で、細菌戦の問題がとりあげられた。被控訴人はこの時の答弁で、「日本人の戦争犯罪人に対する裁判は、ポツダム宣言の受諾により連合国によって行われるから、政府は戦争犯罪人の問題に関与すべきではない。政府は調査する権能も持たず、また調査する必要もない。」(殖田俊吉法務総裁答弁)等と答弁した。被控訴人はこのような答弁の裏で、実際には米軍との間で免責取り引きを行い、隠蔽工作を行っていたのである。

5 小括
 その後サンフランシスコ講和条約が締結され、占領期が終わった段階で、被控訴人は自らの手で細菌戦の事実を明らかにし、戦争犯罪として裁くこともできる立場に立ったが、それを為すことなく今日に至っている。
 こうした被控訴人の行為は、単に「隠した」とか、「明らかにしない」というだけの問題ではない。極めて高度な違法性をもった組織的行為として行われた隠蔽、証拠隠滅行為といわねばならない。
 もし被控訴人による隠蔽行為がなされず極東軍事裁判において審判されていたならば、被控訴人の被害者に対する残虐行為の事実もすべて明らかになり、救済義務が当然に認められ、控訴人ら被害者は、責任者の処罰と損害賠償を請求することができたはずであった。
 しかし、この被控訴人による隠蔽によって、控訴人ら被害者は、自分らの受けた被害について、賠償を請求するどころか、日本軍の細菌戦によるものであることすら知ることができなかったのである。

 6 1970年代日中共同声明及び日中平和友好条約における細菌戦の隠蔽
 1972年の日中共同声明及び1978年の日中平和友好条約において、日中間の賠償問題がとりあげられた。被控訴人は、この交渉過程で細菌戦の事実が明らかになることを極度に恐れた。もし交渉過程で細菌戦の事実が明らかになれば、控訴人ら現地被害者は当然賠償請求をし、中国政府も被控訴人に対する賠償請求を行わざるをえなくなることは必至であった。この事態を恐れて、被控訴人は、交渉過程において細菌戦の事実を徹底して隠蔽し、控訴人ら被害者の権利行使を妨害した。
 結果的には、日中共同声明に、中国政府によって「戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」という文言が入れられたが、これはこの時点で被控訴人が細菌戦の事実を徹底的に隠蔽したからに他ならない。

 7 1980年代の真実暴露と被控訴人の隠蔽行為
  (1) 細菌戦の事実の暴露 
 上記のように被控訴人による徹底した隠蔽行為がなされ、細菌戦の事実は戦後長きに渡って世間の知るところとはならなかった。
 しかしながら、1980年に入って、ジョン・パウエルによって、アメリカの公文書記録から、戦後の占領期におけるGHQの資料が発見・公表されたり、1981年には、森村誠一の「悪魔の飽食」がベストセラーになるなど、731部隊の活動の残虐な実態の暴露・調査が急速に進んだ。
 ところが、被控訴人は、細菌戦の事実が暴露され始めたことに対して、事実を認め自ら事実を調査するどころか、さらに悪質な隠蔽行為を行った。

  (2) 1982年国会質問における隠蔽
 731部隊の真実の暴露・調査が進む中で、1982年4月6日、衆議院内閣委員会で、731部隊に関する質問が行われた。榊利夫議員は、731部隊が周知の事実になっていることを示し、731部隊に関する日本政府としての全面調査を要求した。
 これに対して被控訴人は、731部隊の存在を示す資料として、厚生省が保管している「留守部隊名簿」と「部隊略歴」を示し、留守名簿に「関東軍防疫給水部、通称石井部隊」があり、将校133名等の軍人の合計が1550名、軍属(雇傭人)が2009名であること、また「部隊略歴」には、本部がハルビンにあり、ハイラル、牡丹、孫呉、林口、大連各支部への配置状況が記載されていると答弁した。
 しかしながら、細菌戦の研究や人体実験については、「留守部隊名簿や部隊略歴には、記載がなく、他に資料がない」とした。
 また、外務省は、731部隊について、「30年以上前の占領下の話であり」「記録があるかどうか、承知していない」「個々の小説であるとか、論文ないしは伝聞に基づく報道といったようなものについて、その内容をいちいち対米照会をするという立場はとっていない」と答え、全面事実調査を拒否し隠蔽し続けている。

  (3) 1982年防衛庁防衛研究所の細菌戦記録の非公開取り扱い
 戦後、旧軍関係の資料は、防衛庁防衛研究所戦史部に集められ、1950年代後半から、一般に公開されていた。
 1982年12月、被控訴人国・防衛庁防衛研究所は、「戦史資料の一般公開に関する内規」を定めた。これは1980年5月27日付の「情報提供に関する改善措置について」という閣議決定を受け、「防衛庁本庁における情報提供に関する改善措置等について」(昭和55年9月18日防官総第4518号)と題した通達に基づいて定められたものである。
 この内規第4条で、対象資料のうち、審査の結果、@プライバシーの保護を要するもの、A国益を損なうもの、B好ましくない社会的反響を惹起するおそれのあるもの、Cその他公開が不適当なもの、と判定した場合、公開しないことを定めた。
 防衛庁は同日の日付で、「公文書の公開審査実施計画」を作成し、審査の実施要領を細かく規定した。そのなかで、A「国益を損なうもの」として「外国人(捕虜を含む)の虐待」「略奪及び虐殺など」「有毒ガスの使用」、B「好ましくない社会的反響を惹起するおそれのあるもの」として、「細菌兵器の実験についての報告・記録」「細菌兵器使用の疑いを抱かせるもの」が「摘出」の対象とされている。「摘出」とは、審査会議の審査にかけることを意味するが、膨大な資料のなかから、該当する部分をチェックするのである。
 被控訴人は、この措置によって、防衛研究所戦史部に戦後集められた資料のなかに存在する731部隊・細菌戦の資料をチェックして、非公開にし、細菌戦の事実を隠蔽したのである。

  (4) 1983年家永教科書検定での731部隊記述削除
 1983年9月、家永三郎は、文部大臣に対して、1980年度に検定済みとなった教科書の記述中、84ヶ所に改訂を加える改訂検定の申請をした。
 この改訂の1つに、脚注として、「またハルビン郊外に731部隊と称する細菌戦部隊を設け、数千人の中国人を主とする外国人を捕らえて生体実験を加えて殺すような作業をソ連の開戦にいたるまで数年にわたってつづけた」と書き加える改訂があった。
 これに対して文部大臣は、「731部隊のことは現時点ではまだ信用に堪え得る学問的研究、論文ないし著書が発表されていないので、これを教科書に取りあげることは時期尚早である」という理由で、全部削除の修正意見を付した。そのため、家永氏はこの部分を全部削除せざるをえなかった。

 8 1990年代の真実暴露と被控訴人の隠蔽行為
  (1) 細菌戦の真実暴露が急速に進む
 1990年代に入り、第6章で詳述したとおり、細菌戦の真実暴露が急速に進んだ。
 中国においては、1989年に、『細菌戦与毒気戦』が刊行され、90年代に入って、ソ連崩壊に伴う情報公開で、ロシアの国立公文書館(旧共産党資料館)と特別公文書館(旧KGB資料館)から、ハバロフスク裁判の起訴準備書面、及び旧日本軍牡丹江憲兵隊の報告書が発見され、731部隊による人体実験の犠牲者の氏名が判明した。
 日本では、1989年7月、東京都新宿区戸山の旧日本軍軍医学校跡地から、100体以上の人骨が発見され、人骨保存の監査請求を区に提出した。1993年7月からは、731部隊展が企画され、全国を巡回・開催された。
 しかしながら、このように細菌戦の事実が暴露され、隠蔽行為が破綻したにもかかわらず、被控訴人は、新たに悪質な隠蔽行為を行った。

  (2) 井本業務日誌の発見・公表と被控訴人による非公開措置
 1993年、吉見義明中央大学教授らによって、防衛庁防衛研究所図書館において、戦争当時、参謀本部作戦課員として、細菌戦実施について連絡調整に関与し、その作戦の経緯を詳しく記した井本熊男大佐の業務日誌等4つの業務日誌が発見され、1993年12月に『季刊・戦争責任研究』2号(甲1)に発表され、さらに、1995年12月には、岩波ブックレットから『731部隊と天皇・陸軍中央』(甲2)が刊行された。
 この井本日誌等の発見によって、もはや日本軍の行った細菌戦は動かしがたい事実として確定し、また被控訴人が731部隊及び細菌戦に関する資料を保有していることも、否定することのできない事実となった。
 しかし、被控訴人は、井本日誌を吉見教授らが発見した後、同日誌を非公開措置とし、もって細菌戦の事実の隠蔽を継続した。

  (3) 731部隊の活動を認定した最高裁判決を無視した隠蔽行為
 1997年8月、最高裁判所は、1983年の検定処分を争った家永教科書裁判で、細菌戦を目的にしていた731部隊の存在を認定した。この最高裁判決は、行政府、立法府に対し、細菌戦の調査を義務づけていたといえる。しかし被控訴人は、その後の国会答弁などでも、隠蔽を続けている。

  (4) 軍隊慰安婦、毒ガス等の戦争犯罪に対する謝罪・賠償に逆行する細菌戦隠蔽
 被控訴人政府は、1990年代に入ると、軍隊慰安婦問題、遺棄毒ガス兵器問題の戦争犯罪に対する調査を行うようになる。
 軍隊慰安婦問題については、1992年7月6日、政府の第1次調査結果が発表され、127件の資料が公表された。さらに1993年8月4日、第2次調査結果が発表され、河野官房長官談話が発表され、軍の関与を認めたのである。
 また、毒ガス兵器問題についても、政府は対応を一変させている。毒ガス兵器も細菌兵器と同様に極東国際軍事裁判では裁かれず、戦後長い間問題とされることもなかった。
 1992年2月のジュネーブ軍縮会議での化学兵器禁止条約の交渉中、中国が旧日本軍が中国大陸に遺棄してきた毒ガス兵器の処理を日本政府に要請し、遺棄化学兵器の処理義務を条約に盛り込むよう提案した。これをうけて1993年に化学兵器禁止条約が締結され、中国現地における本格的調査を開始せざるを得なくなったといえる。
 しかしながら、上記のような戦争犯罪についての調査、各種の原状回復、被害補償等が開始されつつある中でも、細菌戦の事実については、被控訴人は特に徹底してこれを隠蔽しようとしている。
 このことが意味しているのは、戦争犯罪の中でも、細菌戦の事実が特にきわだって残虐であること、被害の規模が大きく、侵害態様が深刻であるということである。

  (5) 1997年国会答弁での被控訴人の隠蔽行為
 731部隊の細菌戦の事実解明が進み、戦争被害への事実調査が行われる中で、1997年12月ないし1999年2月、4回の国会質問が行われた(甲37ないし甲39、甲129)。
 被控訴人の対応は、「資料がないからわからない」等、言い逃れに終始している。また、この国会質問で、被控訴人が新たな加害行為として隠蔽を続けているという事実が明らかになった。
@ 「731部隊の活動状況を示す資料はない」という被控訴人答弁
 731部隊に関する資料について、「これまでの政府部内の調査では政府保存の文書中にいわゆる731部隊の活動状況を示す資料は見つかっていない」(1998年4月2日村岡官房長官答弁、甲40)、「具体的な活動状況やご指摘の生体実験に関する事実を確認できる資料は確認されていない」(1999年2月18日野呂田防衛庁長官、甲129)というのが、被控訴人の答弁である。
 しかし、井本日誌等4つの業務日誌の存在によって、「731部隊の活動状況についての資料はない」と言ってきた被控訴人の国会答弁が虚偽であることは明かである。
 被控訴人は現在まで悪意ある隠蔽行為を行ってきたため、上記のような破綻した答弁をして、責任追及を逃れようとしているのである。
A 井本日誌に関する「一切ノーコメント」という被控訴人答弁
 この井本日誌の存在については、98年4月7日の国会質問でとりあげられた。被控訴人が井本日誌の存在を知っていたことは明らかであるが、「知っている」とも「知らない」とも答えず、1959年以来自らが保持し『戦史叢書』編纂に活用してきた文書を「個人の日誌」等と強弁し、「コメントはしない」と回答を拒否しているのである。
 被控訴人は、当初「資料はない」答弁してきたにもかかわらず、井本日誌の存在については「一切ノーコメント」という対応をしている。
 このように、被控訴人は資料の存在を無視し、責任を回避しようとする態度である。これは、被控訴人が細菌戦の事実を徹底的に隠蔽しようとする意思の表れに他ならない。
B ハッチャー証言(アメリカからの返還記録)否定の被控訴人答弁
 1986年アメリカの下院公聴会で明らかになった、「731関連文書は1950年代末か1960年代初めに箱詰めにして日本に送り返した」というハッチャー証言について、97年12月17日の国会質疑でとりあげられた。「この資料は現在どこに保存しているのか」という栗原君子議員の質問に対して、被控訴人は、「米国が返還した4万件の資料」一般の話しにすりかえ、さらに、「(ハッチャー証言について)同証言では米国が731部隊に関する資料であることを確認したうえで日本側に返還した旨を述べているわけではないものと私どもは承知しております。」(甲39)としてハッチャー証言自体を否定してしまっているのである。
C 731部隊の活動内容断定は困難という被控訴人答弁
 731部隊の戦争犯罪の事実について、被控訴人は、「現時点で政府としていわゆる731部隊の具体的な活動内容について断定することは困難と考えている」(98年4月7日村岡官房長官答弁、甲41)と述べている。
 しかし、井本日誌の存在については、「返答に困った」と答えるなど、その答弁は明らかに破綻している。

 9 まとめ
 以上のとおり、被控訴人は、自ら行った国際法違反の細菌戦について、戦後一貫して隠蔽し続けている。
 被控訴人は、本件隠蔽行為を、国家をあげた組織的な戦争犯罪に関する証拠隠滅行為として開始し、戦後も一貫して、上記と同様の目的の下に、細菌戦をはじめとする細菌戦部隊の活動を積極的に隠蔽する行為を継続した。
 このように、歴史的経緯に鑑みれば、被控訴人による本件隠蔽行為は強固な隠蔽意志に基づく国家的作為そのものであると評価しうる。
 被控訴人の隠蔽行為は、歴史的各時期において作為・不作為様々な態様を呈しているものの、常に明確な隠蔽意思があるものと認められる。
 そのような故意に基づく作為・不作為の隠蔽行為が、控訴人ら被害者の損害賠償請求等の権利行使を妨害し新たな損害を与え続けてきたのである。 このことが、現在に至るまで重大な人権侵害をもたらし、控訴人らの人間としての尊厳を傷つけている。隠蔽による権利行使妨害がなされたことによって、控訴人らは取り返しのつかないほどの重大な損害を蒙った。
 また、本件提訴が戦後50年以上経過した1997年になって初めて行われたという事実は、被控訴人による隠蔽行為が、故意に基づく組織的で悪質なものであったことを示すものに他ならない。
 
第4 結論

以上のように、被控訴人の隠蔽行為は、控訴人らの前述した権利行使を妨害すると共に、控訴人らに新たな苦しみを与え、控訴人らの重大な法的利益を侵害し、多大な損害を与えた。細菌戦による損害は、生命身体等への直接的な侵害にとどまらない。現在に至るまで細菌の恐怖は収まらず、また、国が適切な立法等による被疑者救済を怠ってきたことにより、原告らは現在まで継続して非常な精神的苦痛、人格権への侵害を受けてきたのである。
 また、細菌戦被害者は、様々な社会的評価の低下という名誉侵害を被った。この名誉侵害という被害は、他の抗日戦争による戦死者や負傷者とは異なる特別な不利益である。このような名誉侵害の被害は、被控訴人が戦後速やかに真相を明らかにし、適切な謝罪と賠償等を行えば回復がされたものであるが、被控訴人が細菌戦の事実を隠蔽したことによって、名誉侵害は継続され、むしろ逆に控訴人らの苦痛は倍加した。
 以上のような控訴人らの被った名誉侵害は、損害賠償のみならず、真摯な謝罪があってこそ、初めて慰謝されるものである。

 

 


第8章 控訴人らの請求

第1 謝罪請求

 細菌戦による損害は、生命身体等への直接的な侵害にとどまらない。現在に至るまで細菌の恐怖は収まらず、また、国が適切な立法等による被疑者救済を怠ってきたことにより、原告らは現在まで継続して非常な精神的苦痛、人格権への侵害を受けてきたのである。
 また、細菌戦被害者は、様々な社会的評価の低下という名誉侵害を被った。この名誉侵害という被害は、他の抗日戦争による戦死者や負傷者とは異なる特別な不利益である。このような名誉侵害の被害は、被控訴人が戦後速やかに真相を明らかにし、適切な謝罪と賠償等を行えば回復がされたものであるが、被控訴人が細菌戦の事実を隠蔽したことによって、名誉侵害は継続され、むしろ逆に控訴人らの苦痛は倍加した。以上のような控訴人らの被った名誉侵害は、損害賠償のみならず、真摯な謝罪があってこそ、初めて慰謝されるものである。
 したがって、控訴人らは被控訴人に対し、謝罪を請求する(民法723条または国家賠償法4条または中華民国民法195条)。

第2 損害賠償請求

 控訴人らは、戦時中の被控訴人の細菌戦によって被った精神的苦痛を金銭に評価すると、それぞれ各1000万円を下らない。
 また、控訴人らが被控訴人の立法不作為によって被った精神的苦痛を金銭に評価すると,それぞれ各500万円を下らない。控訴人らが被控訴人の行政不作為によって被った精神的苦痛を金銭に評価すると、それぞれ各500万円を下らない。さらに、控訴人らが被控訴人の隠蔽行為によって被った精神的苦痛を金銭に評価すると、それぞれ各500万円を下らない。
 そこで、控訴人らは、主位的に、第2章から第4章およびハーグ陸戦条約第3条ならびに国際慣習法に基づく請求(この点に関しては、次回、第2準備書面において主張する)をし、予備的に第5章から第7章記載の各請求をし、第5章から第7章の各請求は並列的に主張する。
 よって、控訴人らは、控訴人らが被った損害について、第2章から第4章記載の請求およびハーグ陸戦条約第3条ならびに国際慣習法に基づく請求に基づき各金1000万円をそれぞれ請求し、また予備的に、第5章記載の請求に基づく金500万円と第6章記載の請求に基づく金500万円と第7章記載の請求に基づく金500万円との合計の内各金1000万円を、それぞれ請求する(民法709条ないし711条または715条、または国家賠償法1条または中華民国民法184条、185条、188条、194条)。

第3 結語

 正義の判決や良き慣習は積み重ねるべきであり、人権と平和を基調とする憲法下にある裁判所はその積み重ねに協力するのが使命である。積み重ねによって慣習法が成立する以上、積み重ねを崩す側に廻るべきではない。
 裁判所が徒らに旧来の法解釈に固執したり法の欠けていることを理由にしたりして正義の判決を拒むとすれば、それはまさに「司法不作為」である。行政、立法、司法の三権が、恰も拳るように不作為を続け、権力間の庇い合いによって正義から目を背けるような現状を、決して国際社会はいつまでも許しはしない。


                                以 上