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[控訴人側] 第一準備書面

2002年(ネ)第4815号謝罪及び損害賠償請求控訴事件
控訴人(一審原告) 程 秀 芝  外179名
被控訴人(一審被告) 日 本 国
       

第1準備書面

2003年4月21日

東京高等裁判所第2民事部 御中

            控訴人ら訴訟代理人                
              弁護士   土   屋    公   献

              同   一   瀬    敬 一 郎

同    鬼   束    忠   則

同    西   村    正   治

同    千    田        賢

同   椎    野    秀   之

同   萱    野    一   樹

同   多    田    敏   明

同   池    田    利   子

同   丸    井    英   弘

同   荻    野         淳

同    山    本    健   一


 


目  次

第1章 原判決の不正義性と控訴審の課題

 第1 原判決に対する控訴人らの激しい怒り
 第2 原判決の「細菌戦事実及び国家責任」の認定と控訴審の課題 
 第3 本件細菌戦の加害行為の残虐性、被害の重大性について

第2章 日本民法に基づく謝罪及び損害賠償請求

 第1 本件細菌戦は、ジュネーブ・ガス議定書(1925年)を内容とする国際慣習法に違反し、
     民法709条ないし711条または715条の不法行為に該当する
  1 序
  2 不法行為の主体
  3 不法行為地
  4 違法性
  5 被害の発生と因果関係
  6 損害賠償請求権および謝罪請求権の成立
 第2 国家無答責の法理は、本件細菌戦には適用されない
  1 国家無答責の法理の確立は認められない
  2 本件細菌戦は、「適法な公権力行使権限」に基づかず「国家無答責の法理」は適用されない
  3 「国家無答責の法理」は外国での外国人に対する権力作用には適用されない
  4 ハーグ条約の国内法化によって「国家無答責の法理」は排除され適用されない
  5 「国家無答責の法理」は一法解釈にすぎず、現在の法解釈に基づき裁判すべき
  6 まとめ
 第3 時効・除斥の不適用
  1 時効は未だ完成していない
  2 本件細菌戦において時効・除斥期間の適用を制限すべきである
  3 除斥期間を適用しない近時の判例
 第4 「日中共同声明による解決」論について
  1 原判決の判断
  2 日中共同声明における「戦争賠償の請求を放棄」について
  3 結論

第3章 条理に基づく謝罪及び損害賠償請求

 第1 原判決は社会的正義に反する
 第2 条理の法源性
 第3 条理に基づく補償請求について
 第4 本件における条理の存在
 第5 条理に基づいた裁判例

第4章 中国民法にもとづく謝罪及び損害賠償請求

 第1 法例第11条1項が適用されないとの認定をした原判決の誤り
  1 原判決の誤り
  2 公務員の権力行為に際して他人に与えた損害の賠償責任の法的性格
  3 相互保証主義と国家賠償法の性格
  4 国際私法の適用
  5 結論
 第2 法例11条2項の適用はない
 第3 法例11条3項の適用はない
 第4 中国民法の規定とその適用関係

第5章 立法不作為による謝罪及び損害賠償請求

 第1 問題の所在
 第2 ハーグ条約第3条に基づく控訴人の国家責任の成立とその性質論
 第3 ハーグ条約第3条に基づく賠償請求権と日中共同声明における「賠償請求の放棄」について
 第4 ハーグ条約第3条に基づく個人の損害賠償請求権と日中共同声明
 第5 ハーグ条約第3条に基づく中国の損害賠償請求権と日中共同声明
 第6 被控訴人には被害者個人に対して立法上の救済義務が発生する
 第7 立法義務の不履行による立法不作為の成立
 第8 結論

第6章 行政不作為による事実調査・救済義務違反の不法行為

 第1 問題の所在
 第2 作為義務の発生要件
 第3 本件細菌戦における被控訴人内閣の事実調査・救済義務の不作為
  1 本件被侵害法益(倍加する精神的苦痛)の重大性
  2 住民の被害の拡大継続
  3 住民自身による被害除去の不可能性
  4 行政による被害拡大の予見可能性
  5 本件における事実調査・救済義務の発生と行政不作為の成立
 第4 結語

第7章 隠蔽による権利行使妨害の不法行為

 第1 問題の所在について
 第2 控訴人らの被侵害法益ないし権利について
 第3 被控訴人の本件隠蔽行為
 第4 結論

第8章 控訴人らの請求

 第1 謝罪請求
 第2 損害賠償請求
 第3 結語



第1章 原判決の不正義性と控訴審の課題

第1 原判決に対する控訴人らの激しい怒り

 1 昨年8月27日、原審・東京地方裁判所民事18部は本件731部隊細
菌戦裁判で原告敗訴の判決を言い渡した。本件細菌戦裁判は、日本軍による細菌戦を裁く裁判史上最初の裁判であったが、原判決は一審原告らが求めていた謝罪と賠償の請求を全面的に退けた。
 ここに日本の裁判所は、細菌戦被害者らが何十年も求め続けてきた日本国の謝罪と賠償を否定したのである。

 判決内容を聞いた控訴人らは、原判決に心底から怒った。控訴人らの気
持ちを伝えるエピソードを紹介したい。
 控訴人らの代理人である弁護団は、昨年11月に本裁判の細菌戦の被害地の一つである崇山村を訪ねた。
 弁護団滞在中の昨年11月4日、崇山村で東京地裁判決を報告する集会が開かれた。その集会には、崇山村からだけではなく、同じ浙江省の中の細菌戦の被害地・義烏市、衢州市、寧波市などからも一審原告らが参加した。
 村の中には野菜を洗ったり洗濯をしたりする大きな池があり、その側にある村の集会場の前が広場になっていて、そこに集まった1000人くらいの村人や各地の細菌戦被害者は一審判決の報告を聞き、また日本の裁判所や裁判官を思い思いに非難した。
 3時間くらい続いたその集会が終わってみんなが横断幕をたたんだり後かたづけをしている脇で、崇山村の村人の老女が日本の弁護士に近づいて話しかけてきた。話し始めて彼女が嗚咽しているのがわかった。とぎれとぎれに話された内容は弁護団に通訳して伝えられた。
 「日本の裁判官というのは何と冷淡な人達だろう。日本の有名な作家森村誠一が731部隊について何冊も本を書いたことは中国人も知っている。日本の裁判官なら、731部隊が中国人に人体実験をやって細菌兵器を開発していたことくらい、受害者たちが提訴する前から知っていただろう。裁判官の父や祖父の世代の日本軍が、わが中国の東北に満州国をでっち上げ、農地を強奪して731部隊をつくった。そして最後には731部隊は中国各地の街や村に細菌をばらまいた。本当に恐ろしいことだ。
 冷淡な日本人は、自分たちが中国人のようにペスト蚤を撒かれたらどう思うか想像してみるべきだ。貴方には、われわれ中国人にとって、あんな冷淡な判決は細菌戦をもう一度やられたのと同じなんだということが分かりますか。」
 こう語った崇山村の村人は、自分の父親と兄を日本軍の細菌戦のペストで殺された人である。彼女は一審原告ではないが、約400人の死者を出した崇山村では、家族か親戚には必ずペストの犠牲者がいる。
 その老人は小学校低学年と思われる孫を連れていたが、細菌戦の残虐な被害とそれを強行した日本軍の蛮行、さらに謝罪と賠償を否定した今回の東京地裁判決の不正義は永遠に伝えられていくであろう。

 細菌戦被害者が日本に求めた謝罪と賠償は正義そのものである。被害者
たちにとって、謝罪と賠償を否定した原判決は不正義そのものである。
 原判決が犯した間違いは深刻である。細菌戦を裁く最初の裁判が、逆に「第二の細菌戦」となったことを裁判官たちはよく知るべきである。

第2 原判決の「細菌戦事実及び国家責任」の認定と控訴審の課題

 原判決は、結論で被控訴人の法的責任を否定するものだったが、他面で、以下のとおり、旧日本軍731部隊等が陸軍中央の指令により中国各地で細菌兵器を実戦使用した事実を全面的に認定した。
さらに、原判決は、細菌戦の事実と共に、以下のとおり、当時、細菌戦が国際法に違反しており、被控訴人の国家責任が成立したことを認定した。
 控訴審裁判所においては、こうした認定に踏まえて議論を進めるべきと思料する。

1 原判決は、細菌戦の事実を全面的に認定
  (1) 日本軍の加害行為
 原判決は、「1940年から1942年にかけて、731部隊や1644部隊等によって」、衢県(衢州)、寧波、常徳にはペスト菌を投下し、江山にはコレラ菌を使用して直接攻撃し、「細菌兵器の実戦使用(細菌戦)が行われた」(原判決30頁)と認めた。

  (2) 伝播による細菌戦被害
 原判決は、「衢県でのペストは、義烏、東陽、崇山村、塔下洲のようにその周辺の地域にも伝播し、大きな犠牲をもたらした」(原判決31頁)と認定した。また「1942年3月以降、常徳市街地のペストが農村部に伝播していき、各地で多数の犠牲者を出した。」(原判決34頁)と認定した。このように伝播による被害の拡大が認定され細菌戦の残虐さが一層明確になった。

  (3) 細菌戦の命令指揮系統
 原判決は、「細菌兵器の実戦使用は、日本軍の戦闘行為の一環として行われたもので、陸軍中央の指令により行われた」(原判決34頁)ことを認めた。

  (4) 細菌戦の犠牲者
 原判決は、本件裁判の被害地8ヶ所全体の細菌戦による死亡者の数が1万人を超えることを認定した(原判決30頁ないし34頁)。

  (5) 細菌戦の残虐性
 原判決は、「ペストは社会形態を介して伝播し、人々を次々に死に追いやることから、差別とお互いの疑心暗鬼を招き、地域社会の崩壊をもたらすとともに、人々の心理に深刻な傷跡を残す。」「ヒト間の流行が治まった後も、病原体が自然の生物界で保存され、ヒトの間に感染する可能性が長く残存する。その意味で、ペストは、地域社会を崩壊させるだけではなく、環境をも長期間に渡って汚染する病気である」と認定した。また「コレラは、伝染力が強く、次々と死者が出ると地域社会において差別やお互いの疑心暗鬼を招くことも多い。」(原判決35頁、36頁)と認定した。

 2 原判決は、細菌戦被害への被控訴人の国家責任を認定
  (1) 日本軍の細菌戦の国際法違反性
 原判決は「もともと細菌兵器は、これが戦闘の目的と比較して不相当な性格のものであるとの従来からの少なくとも黙示的な共通認識を前提にジュネーブ・ガス議定書で明示的にその使用が禁止されたものと解され(当事国は125か国である。)、同議定書は1928年には発効したから、遅くともそのころまでには多数の国家の行態の中に同議定書に対する法的確信が確認されるに至り、もって同議定書を内容とする国際慣習法が成立するに至っていたものと認めるのが相当である。そして、前記認定の旧日本軍による中国各地における細菌兵器の実戦使用(本件細菌戦)がジュネーブ・ガス議定書にいう『細菌学的戦争手段の使用』に当たることは明らかである。」(原判決38頁)旨を判示した。
 このように、日本が中国で行った細菌兵器の実戦使用はジュネーブ・ガス議定書を内容とする国際慣習法に違反していることを認めた。

  (2) 日本の細菌戦被害に対する賠償責任
 原判決は「ジュネーブ・ガス議定書のような条約ないしそれを介して成立する国際慣習法による害敵手段の禁止もヘーグ陸戦規則23条1項にいう『特別ノ条約ヲ以テ定メタル禁止』に該当すると解するのが相当である。したがって、ジュネーブ・ガス議定書を内容とする国際慣習法による細菌兵器の禁止に違反した場合にもヘーグ陸戦条約3条の規定を内容とする国際慣習法による国家責任が生ずるというべきである。」と述べて、次に本件に関して「被告には本件細菌戦に関しヘーグ陸戦条約3条の規定を内容とする国際慣習法による国家責任が生じていたと解するのが相当である。」(原判決39頁)と認定した。
 このように、日本が中国で細菌戦を行ったことについて、細菌戦被害者が受けた損害を賠償するというハーグ陸戦条約第3条を内容とする国際慣習法による国家責任が被控訴人に成立したことを認めた。

第3 本件細菌戦の加害行為の残虐性、被害の重大性について

 原判決は、上記2、3のとおり本件細菌戦の事実を認定し、かつ、細菌戦が国際法に違反し、被控訴人の国家責任が成立していたことを認めながら、最終的には控訴人らの謝罪と賠償の請求を全面的に退けた。
 この原判決の重大な誤りを検討する際、その前提となる本件細菌戦の加害行為の残虐性、被害の重大性について、原審第18準備書面第1部第6章及び第2部第7章で詳述したが、以下4、5で指摘したい。

 1 細菌戦は、ホロコーストに比すべき残虐で非人道的な犯罪行為
(1) 旧日本軍731部隊などの細菌戦部隊が中国各地で行った細菌戦は、決して戦争犯罪という言葉だけでは言い尽くせない、実におぞましい悪魔の所業というべきものであった。
 細菌戦のために軍医を集めて秘密部隊を創り、その細菌戦部隊の中でペスト菌を生産し、鼠をペストに感染させ、ペストに感染した昆虫の蚤を大量生産し、空中から人の住む街や村に投下するという、空中から戦闘とは全く無関係の一般住民をペストやコレラなどの疫病に感染させ、その地域一帯に疫病を大流行させるという行為は、細菌兵器開発のための人体実験も含め、作家森村誠一が名付けたとおり、「悪魔の飽食」を彷彿とさせる。
 明らかに戦争という日本が中国で行った細菌戦の残虐さ、非人道的は世界史的にみてドイツ・ナチスが行ったホロコーストにも比すべき、残虐で非人道的なものであった。
 典型的なジェノサイドであり、中国の一般住民に対する大量無差別虐殺行為である。本質的に言うならば、まさに細菌戦は、ナチスが犯したアウシュヴィッツ等での毒ガス等によるユダヤ人・ポーランド人などの民族抹殺的な大量虐殺行為と何ら異ならない、人類史上最も残虐な行為なのである。

(2) 細菌戦部隊の本質は、日本帝国主義の中国東北地区の植民地支配(傀儡「満州国」のでっち上げ)の残虐性と中国侵略戦争の民族差別的特質にある。農地を強奪して細菌兵器製造施設を建設し、農民を労工として強制労働させ、更には抗日派を含む中国人を特別監獄に投獄して生体実験の材料とした。これらは植民地支配の故に可能だった。また大量殺戮を企図した細菌戦の民族差別性は明白である。
 実は、日本が細菌戦部隊の事実をいまだに認めない動機は、中国植民地支配の残虐な実態が暴露されることへの恐れ、国策として中国に対して民族抹殺を含む民族差別政策をとってきたことが暴露されることへの恐れにあったのである。

(3) 731部隊は、細菌戦によって、明らかに軍事的拠点でもなく、また軍事的目標も存しない中国の普通の一地方都市や農村に対して、戦闘機からペスト感染蚤を投下せしめ、あるいは地上で謀略的な手口をもちいてコレラ菌入りの食物を食べさせるなどして、平穏に暮らす中国の民衆を大量に虐殺したのであった。
 このような731部隊などの日本軍の細菌戦部隊が行った細菌戦の残虐さは、ナチスのアウシュヴィッツの残虐さに優るとも劣らない、実に恐るべき残虐行為と言わなければならない。
 このような集団殺害行為は、当時から国際法上の人道に対する罪に該当し、また現在の国際法上の概念ではジェノサイドにも該当するものである。
 細菌兵器は、少量が使用されても大きな破壊力を有する潜在力をもっている。その破壊作用は長期間にわたり、一度おさまっても、再び三度流行することもある。
 細菌の大量培養による細菌兵器は、第一次世界大戦中、ドイツで開発が着手されたが、細菌兵器の本格的な開発、製造、実戦使用を行ったのは日本軍の731部隊などの細菌戦部隊がはじめてである。
 細菌兵器は、その開発過程において不可避的に残虐な生体実験を内包する。

(4) 731部隊は、1933年、日本が植民地支配を行っていた旧「満州国」ハルビン市郊外の平房に接収した610ヘクタールの広大な土地に本部を置き、各種細菌の培養・製造室、蚤・小動物(細菌媒体)の飼育室、特殊監獄、専用飛行場、宿舎等の大規模施設を建設して、チフス、コレラ、赤痢、ペスト、炭疽、凍傷などの研究・培養を行った。その際、常時200人から400人の「マルタ」すなわち捕虜を生体実験に用いて前記各種の細菌を培養し、細菌兵器を開発・製造したのであった。
 細菌戦がもたらす被害の特徴は、その無差別性と致死率の高さにある。731部隊の用いた細菌兵器は、致死性の高いペスト菌またはコレラ菌である。これらの細菌が引き起こす病気は激しく、長期間流行する。一家族、一地域の大半が全滅する例が多い。
さらに細菌戦のもたらす被害の特徴は、伝播により被害範囲がどんどん拡がるということにある。被害範囲は、人や鼠の蚤を介した病原菌の伝播により、直接の攻撃対象地区にとどまらず、周辺の地域にどんどん拡がっていく。
 日本軍は、平房などで行われた大量の捕虜を使った人体実験によって開発された細菌兵器を、戦争史上初めて、大規模に実戦使用したのであるが、生体実験の残虐さと、細菌戦の残虐さは、表裏一体をなすものである。

 2 本件細菌戦による被害の重大性
  (1) 細菌戦による都市、村での疫病の流行
 日本軍は、細菌戦の実行で、生体移植により毒性を強めたペスト菌、コレラ菌等を大量に生物兵器として生産・使用し、中国全土の村や都市の住民間にペストなどの疫病を流行させた。狙いは非戦闘員たる住民の大量虐殺にあった。このような日本軍による細菌戦は、中国民衆に対する徹底した民族差別と排外主義に基づくものであった。
 日本軍による本件細菌戦が行われている最中、1942年3月に関東軍軍医・牧譲軍医中佐は、「細菌戦について」という講演の中で、「全般的には兵站に絡んでいることになる都市を攻撃して、都市をひどい目に遭わす。これは将来相当やられる問題であります。軍隊関係のものには、直接しないで大きな都市に伝染病を流行らしてゆく」「細菌戦の狙い所の一つは、後方を混乱せしめて精神上に困ったことになったと言うような観念を敵に与えることで、大きな都市をうんとひどい目に遭わすということがある訳であります」と述べている。
 牧はこの他に攻撃対象として、軍隊、物資の兵站補給地、軍事要塞、水道水源地、軍需工場、牧畜や農産物扱い所をあげている。
 細菌兵器は、人間、家畜、農産物など、生命あるものだけを殺傷する、最も残虐な大量殺戮兵器である。日本軍は、無差別に大量の住民を虐殺する、人類史上、最も残虐で卑劣なジェノサイドを中国民衆に対して行ったのである。

(2) 被害者は一般住民である
 控訴人らの肉親たちは、都市あるいは農村の住民であったが、731部隊の細菌兵器により、ペスト、コレラなどに感染し、あるいは汚染地区からの伝搬により感染したことにより、もがき苦しんだ後死亡した。あるいは控訴人ら自身が罹患した。
 また、ペスト流行地域は、寧波などの例に明らかなように、疫区として封鎖され外出禁止となり、1人でも病人が出ると家族全員が隔離の対象となった。いったん隔離所に入ると生還する望みを絶たれるも同然であった。罹患すると医師すら恐れて治療を拒否した。患者は脇の下や鼠径部のリンパ腺が腫れ上がり高熱と乾きに苦しみぬいて短期間のうちに死亡した。
 さらに、彼らの家屋は、寧波、義烏、崇山村の例のように、防疫のため焼燬・破壊された。
 また細菌戦部隊は、作戦後、被害地区に「防疫」の名目で入り込み、その疫病に苦しむ住民を生体解剖して、細菌戦の効果を確かめるなどした。
 このように、細菌戦の被害を被った中国民衆は、筆舌に尽くしがたい苦しみを受けたのである。

(3) 高い致死率と鼠、蚤、人を介しての強い感染力
 細菌兵器に使用されるペスト菌は、感染経路によって、腺ペストや肺ペストなどの症状を呈する、非常に強烈な病原体である。
 腺ペストは、蚤などを通して菌が人体に入り感染する。熱と悪寒がして虚脱状態を呈する。そして炎症性のはれものがリンパ腺にできる。とくに足に菌が入ることが多いので鼠けい部のリンパ腺にできる。
 肺ペストは、泡沫伝染で菌が呼吸器官に入って、肺炎に似た症状を起こす。泡沫喀痰に大量の菌がある。
 ペストにかかると、2、3日で死亡する。出血がひどく、死体は黒色を呈するので黒死病といわれる。どんどん伝染し、伝染が始まると、これを撲滅するのが難しい病気である。伝染病の中では死亡率が最も大きい。
コレラは、消化器官を冒す病気である。おう吐・下痢の非常に激しいもので、腹痛、けいれん、虚脱を引き起こすといった特徴がある。コレラ菌は、水や食物から口に入ってくる。とくに魚介類が汚染されて伝播する場合が多い。
 コレラも死亡率が高いうえ伝染力も非常に強い病気である。

(4) 治療など防御方法の困難さ
細菌兵器は、爆弾のように、いつどこに何が使用されたかということがすぐには判明しない。病気が流行しても、細菌兵器によるものか否かが直ちに判明するわけではない。
 しかも、細菌兵器に用いられた病原菌は、人に感染しても潜伏期間があるため、原因究明が遅れる。病気が発生しても、個体差があるため、使用された病原菌の特定が容易ではない。
 寧波においては、1940年10月27日、日本軍の飛行機が大量の小麦粉や麦粒を投下した後、市内でこれまで見たこともない真っ赤な蚤が大量に飛び跳ねているのが発見された。10月30日初めての死者が出た後、患者が続々と病院に駆けつけたが、最初、悪性マラリアか横根と誤診された。
 最悪の伝染病であるペストの確実な診断とその公表は、いかなる医者も事の重大性を認識しているがゆえに、慎重のうえにも慎重を期す。最初にペスト菌が発見されたのは、11月2日になってからであった。
 同日、県政府と予防委員会は、汚染地域の封鎖を決定したが、それほど厳重なものではなく、汚染地域からは逃亡者が続出した。その後消毒作業が行われたが、11月末に汚染地域の建物は焼却された。
例えペスト菌が発見されたとしても、感染を防ぐことは難しい。ペストの被害は直接に撒布された地域に限定されず、人や鼠を媒体として各地に拡がった。
 例えば、控訴人らのうち義烏、東陽、崇山村、塔下州のペスト被害は、衢州に投下されたペスト被害が拡大したものであり、また、常徳の場合も、市街地から、周辺農村地区へペスト流行は伝播している。
しかも、ペスト菌は、1回病気の流行が下火になっても、感染した鼠がいると再流行する。鼠に付着した蚤の行動する時期になると、再度、流行することになる。感染した鼠を撲滅するのは困難で、何十年と長期化する。

  (5) 自然環境の破壊
このように病気が発生すると、治療が困難で、感染した人を隔離して、感染を拡げないようにしたり、家屋、建物類を焼却することが、最善の防御方法になる。
 しかし、感染を防いだり、病原菌を完全に撲滅することは不可能で、一度被害にあうと、その影響は長期間にわたって、人間社会のあらゆる側面に及ぶ。
 細菌戦による被害は、人間の命を奪い、衣食住の環境を汚染し、さらに、人間が生きるための条件である広範な地域の自然環境の汚染となって、地域住民に影響を与える。

  (6) 地域社会を破壊
 こうした環境破壊とともに、細菌戦の被害は、人間の社会的関係の破壊となって影響を与える。隔離されたり、封鎖された地域の人々は、例え病気が治癒したとしても生活の手段を奪われる。また、伝染病が流行した地域は、長期間にわたって、不潔で危険な地域とみなされて、差別される原因になる。
 伝染病は、人々を隔離したり疎開させたりすることによって、人と人の交流を困難化させ、生き残った人の生活をも破壊していくのである。
 細菌戦の残虐性は、伝染病によって人々を殺傷し、パニック状態に落とし込めるというだけでなく、長期間にわたって、地域社会を根底から破壊していくという点にある。控訴人ら、細菌戦の被害地住民にとって、細菌戦による被害は、戦争一般による被害には解消できないものである。控訴人ら被害者にとって、何十年経とうと、その受けた被害を癒されることはないのである。

  (7) 以上の通り、日本軍による細菌兵器を使ったジェノサイドの被害は、ナチスのアウシュビッツでの残虐さと同罪であり、過去に例がないほどの残虐なものであった。

 3 以上のように、本件細菌戦が人類史上、最も残虐で卑劣なジェノサイドであり、控訴人ら被害者の被った甚大な被害を踏まえて、原判決が細菌戦の事実を認定し、かつ被控訴人の国家責任を認めながら、控訴人らの請求を退けた法律論について、次章以下で、逐次、反論を加える。


第2章 日本民法に基づく謝罪及び損害賠償請求

第1 本件細菌戦は、ジュネーブ・ガス議定書(1925年)を内容とする国際慣習法に違反し、民法709条ないし711条または715条の不法行為に該当する

 1 序
 日本民法709条は、故意または過失により他人の権利を(違法に)侵害した者は損害賠償責任を負うことを定めているが、本件細菌戦こそ、この不法行為そのものである。

 2 不法行為の主体
 本件における直接の違法行為は、1940年から1942年にかけての、被控訴人による中国大陸における細菌戦の実行であるが、この違法行為は、被控訴人の軍隊がその指揮系統にしたがって遂行した戦争行為であり、被控訴人そのものの行った行為である。
 よって、本件における違法行為の主体は、被控訴人である。
 仮に、違法行為の主体を旧日本軍構成員としても、被控訴人は使用者責任を負う。

 3 不法行為地
 本件細菌戦の実行は、天皇の了解のもとに、陸軍中央が指示し、陸軍参謀本部及び陸軍省の作戦計画指導(人材の派遣、予算の支出を含む)によって実行された行為である。また細菌戦の実行のための研究、開発、武器製造は、中国現地における731部隊等とともに、日本本土においては陸軍軍医学校が密接な連携をとりながら準備したものである。
 このように本件細菌戦における加害行為は、日本における作戦計画の立案、人材の派遣、予算の支出、細菌戦の研究、開発及び作戦指導と中国現地における細菌戦の研究、開発、実行が一体となった行為であり、不法行為の原因たる事実が発生した地は、その中心が日本であると言える。

4 違法性
 前章で述べたとおり、原判決は、本件細菌戦がジュネーブ・ガス議定書を内容とする国際慣習法に違反していることを認定し、かつ、被控訴人に、細菌戦被害者が受けた損害を賠償するというハーグ陸戦条約第3条を内容とする国際慣習法による国家責任が生じていたことを認定した。
 いかに戦争行為であろうと、ペスト菌等の病原菌を空から散布し、あるいは地上から井戸水等に混入し、敵国住民の無差別大量殺戮を狙った行為は、すでに当時から禁止され、正当化されるはずはなく、この行為の責任を免れるいかなる法理も存在しない。
 このように、本件細菌戦の違法性は明白である。

5 被害の発生と因果関係
 被控訴人は、上記細菌戦の研究、開発、実行によって、控訴人らの親族である原判決別紙3「原告らの主張」の別紙「原告及び死亡親族」の「死亡者」欄記載の被害者に対し生命を奪い、また被害者本人である控訴人7名(控訴人番号139、145ないし148、154、172)の身体を侵害するなどして、他人の生命、身体、財産権を侵害した。
 上記の控訴人らまたは控訴人らの親族が、本件細菌戦により被害を受けたことはすでに原判決が認定したとおりであり、被害の事実、行為と被害の因果関係は明白である。

 6 損害賠償請求権および謝罪請求権の成立
 以上により、控訴人らは、被控訴人に対して、民法709条ないし711条または715条に基づいて損害賠償請求権、及び723条に基づいて謝罪請求権を有する。
 以下、控訴人らは、@本件細菌戦には「国家無答責の法理」が適用されないこと、A時効・除斥が適用されないこと、B日中共同声明及び日中平和条約で被害者個人の賠償請求権が放棄されていないことにつき詳述し、原判決の誤りを指摘する。

第2 「国家無答責の法理」は、本件細菌戦には適用されない

 1 「国家無答責の法理」の確立は認められない

 (1) 原判決の誤り
 原判決は、「戦前においては、公権力の行使による私人の損害については、国の損害賠償責任を認める法律上の根拠がなく、そのことは公権力行使についての国家無答責の法理を採用するという基本的法政策に基づくものであったから、公権力行使が違法であっても被告はこれによる損害の賠償責任を負わないものと解するのが相当である。原告らの主張する本件細菌戦も、国家賠償法制定前の被告の権力的行為であるから、当時の法令に従って、これによる民法709条、710条、711条に基づく損害賠償責任は否定せざるを得ないものというべきである。」(原判決24頁)と判示する。
 しかし、国家無答責の法理は、法律の規定ではないし、確定的な法理ではない。
 この点、原判決は、「戦前の大審院判例は、非権力的作用については民法の適用により国の損害賠償責任を認めてきたが、公権力の行使(権力的作用)による損害については一貫して国の賠償責任を否定していた」(原判決22頁)と、判例理論として国家無答責が成立していたかのように判示する。
 しかし、判例は個別の事例に即した解釈に過ぎない。そもそも、国家責任を肯定した判例の中で、本件細菌戦のような国際法違反の権力作用に関する個別事例は存在しないのである。
 国家無答責の根拠は、明治憲法61条で権力行政については司法裁判所の管轄を否定し、行政裁判法16条で損害賠償事件を受理できないとしたことによる。
 しかし、民法の規定中に、国の賠償責任を否定した規定はどこにもないし、実定法上は、国家無答責の法理を明記した成文法(実定法)は存在していない。そして、実際にも、国の賠償責任について司法裁判所の管轄権は否定されなかった。戦前においても国家無答責が確定した法理として成立していたわけではないのである。

 (2) 判例理論として、国家無答責の法理の確立は認められない
ア 行政上の不法行為責任に関する裁判例は、明治22年に明治憲法が制定されてから、裁判所の判例を積み重ねる中で、様々な分野で国及び公共団体の損害賠償責任を認めてきた。
 以下、裁判例の概要を述べるが、判例は行政上の不法行為責任を認める分野を拡大し、公権力の行使(権力的作用)による損害についても、民法を適用して損害賠償責任を認める判決があり、国及び公共団体の賠償責任を否定する国家無答責の法理が確立されていたとは到底言えない。
 またそもそも、行政上の不法行為責任を認めない判例において、国家無答責の法理で損害賠償を否定する根拠が曖昧である。国家無答責の法理は、公権力の行使が天皇の主権の行使で神聖にして侵すべからずというところから論拠づけられた解釈理論の一つにすぎず、その正当性、合理性は見いだしがたい。
 裁判例についての詳細は、当時の判例分析の論文である「判例より見たる行政上の不法行為責任」(昭和12年発表。田中二郎『行政上の損害賠償及び損失補償』29頁、酒井書店)及び「行政上の損害賠償責任」(昭和21年発表。前同書87頁)を参照されたい。

イ 明治期から、国等の私経済的活動に関する賠償責任を認めていた
 明治憲法成立後の早い段階から、国の私経済的活動である鉄道、電車、自動車については、営利事業としてとらえ、国または公共団体の不法行為責任を認めていた。
 鉄道工事の瑕疵に基づく責任については、大審院明治31年5月27日判決(民録4輯5巻91頁)等で、多数認められている。
河川改修工事(大審院明治29年4月30日判決、民録2輯4巻117頁)、道路改修工事(大審院明治40年2月22日判決、民録13巻148頁)については、国が公共の利益と安全のためにする権力行為であるから不法行為にはならないとしていたが、必ずしも一致していたわけではない。
 水利組合が隧道を設けた際に、その工事が完全ではなかったため寺院本堂の地盤を亀裂させ損害を与えた事案につき損害賠償責任を認めた(大審院明治39年7月9日判決、民録12輯1096頁)。

ウ 大正5年判決以降、国等の施設の設置管理等に関する賠償責任を認めた
 大正5年、徳島市立小学校の腐朽した遊動円棒で遊戯中の児童が墜落して死亡したことに関する小学校の管理作用について、大審院判決(大審院大正5年6月1日判決、民録1088頁)は、従来の「公法上の行為」を権力的作用と非権力的作用に分類し、非権力的作用には民法を類推適用するという新しい方向を示した。
 その後、鹿児島市の水道工事に関する大審院大正7年6月29日判決(民録1306頁)、鹿児島市の下水道設備の瑕疵に基づく損害に関する大審院大正13年6月19日判決(民集3巻295頁)、国の築港工事において人工石に汽船が乗り上げて破壊沈没する事件に関する大審院大正7年10月25日判決(民録2062頁)、税関倉庫の設置の瑕疵による死亡事件に関する東京控訴院大正5年2月28日判決(評論6巻民467頁)、水利組合の灌漑排水の設備が個人の水利権を侵害した事件に関する大審院大正14年12月11日判決(民集4巻706頁)は、国又は公共団体に対する賠償責任を肯定した。
 これらの判例の積み重ねにより、公の工作物の設置または保存の瑕疵に基づく損害については、大審院は民法の賠償責任を肯定するようになる。

エ 大正末から昭和の初め、軍施設、学校等に関する賠償または賠償責任等を認めた
 軍艦の修復工事中に職工の墜落工事につき工事監督者の重大な過失を理由として遺族が国に対して損害賠償を請求した事件に関する広島地裁呉支部大正13年6月5日判決(新聞2282号)、国策会社の満鉄附属地の小学校のスケート指導の過失により死亡した事件につき満鉄に対して損害賠償を請求した関東高院上告部昭和7年7月20日判決(新聞3539号)は、満鉄の使用者責任を認めた。
 このように、軍施設軍艦修復工事監督者、小学校の指導者等の使用者責任を認めた。
 また、陸軍傷病兵療養所用鑿井工事により温泉の利用権侵害されたことを理由に妨害排除仮処分を申請し認容され、国が、鑿井工事は国家の公法的行為であり、かつ正常の権利行使であり不法行為を構成しないとして上告した事件につき、大審院昭和7年8月10日判決(新聞3453号)は、「違法なる行政作用により第三者の権利を侵害したる場合なるとにより異なる所なし。蓋し不法行為の責任は其の行為者の何人なるやにより之を区別せざるを以てなり」と判示し上告を排斥した。
 これは、不法行為者が国家であろうが私人であろうが区別されないとして、民法の不法行為責任を認め妨害排除請求処分を認容したものである。
 軍施設、学校等に関する行為は、当時は公権力の行使(権力的作用)といえるものであり、公権力の行使(権力的作用)による損害についても、民法を適用して損害賠償責任を認めるようになった。

オ 昭和10年代、権力的作用に関する賠償責任を認めた
 昭和10年代になると、財政権の公権力行使である出納事務に関する賠償責任を認める判決が出てくる。
 すなわち、町村収入役が水利組合の金銭出納事務中、権限なくして借用証書を作成し金員を受領し銀行に損害を与えた事件に関する大審院昭和11年4月15日判決(新聞3979号)、収入役が村長名義の借用証書等を偽造して金銭を詐取した事件に関する大審院昭和12年10月5日判決(全集4輯19号5頁)、町長のなした不正借入に関する大審院昭和15年2月27日判決(民集19巻6号441頁)は、水利組合または町村の賠償責任を認めた。

カ 昭和15年及び16年、千住町流しタクシー差押事件大審院判決
 a こうした中で、公権力の行使(権力的作用)そのものである徴税滞納処分についても、大審院判決は、千住町流しタクシー差押事件において損害賠償責任を認めている。
 滞納処分として自動車を差押え安値で処分したところ、その自動車は第三者の自動車であり損害を与えたとして、自動車の所有者が東京市及び担当吏員、元町長を被告にして損害賠償を請求した事件につき、第二審裁判所は、「徴税滞納処分が公法上の国権行為なる以上民法不法行為の規定の適用なく、しかもかかる行為に因る損害につき当該吏員に賠償責任を負担せしめたる法規なきをもって」請求を失当とした。
 しかし、昭和15年1月、大審院は、「差押並びに公売は滞納税金の徴収に必要なる限度に於て之を実施すべく、特別の理由なくして其の必要以上に出で著しく多額の財産を差押え並びに公売するが如きは、徒に滞納者に苦痛を与えんが為めの行為と目するの外なく、滞納処分として之を許容すべき理由を発見せず。故に町村吏員が滞納処分の際之等の行為に出でたりとせば、名は滞納処分なれども実は職権濫用にして寧ろ職権行為に非ざるものと謂うべく、従って不法行為上の責任を免れざるもの」(大審院昭和15年1月16日判決、民集19巻1号20頁。下線は引用者)と判示して破棄差戻の判決をした。
 これは、権力的作用について、損害賠償責任を認めたものである。
 b 差戻しを受けた第二審裁判所は、大審院の判例に沿って被告3名の責任を肯定した。すなわち、吏員に対し、「名は滞納処分なるも実は不法行為と認むるに妨げなし」と判示し、東京市及び元町長に対し、吏員の「本行為は外形上町税滞納処分の形式をもって為されたるのみならず主観的にも町税徴収の目的を似て為されたるが故に、本件損害は民法715条に所謂事業の執行に付第三者に加えたる損害と謂うに何等妨げなし」(下線は引用者)と判示し、権力的作用における市、元町長の損害賠償責任を認めた。
 これに対し、東京市は、本件滞納処分は権力的公権行為であり、かかる公権行為に対しては民法不法行為法の規定の適用がないことは従来の大審院判例とするところと主張して上告した。
 c 大審院は、吏員の上告を棄却し賠償責任を認める一方、原判決中、東京市、元町長敗訴の部分を破棄し、東京市、元町長に対する賠償請求を棄却した。
 すなわち判決は、「官吏又は公吏が国家又は公共団体の機関として職務を執行するに当たり不法に私人の権利を侵害し之に損害を蒙らしめたる場合に於て」(大審院昭和16年2月27日判決、大民集20巻2号118頁)、担当吏員には不法行為責任が認定されるとして、吏員の上告を棄却し損害賠償を認容した。
 一方、同判決は、「吏員に不法行為上の責任あればとて、公共団体たる千住町には不法行為上の責任を生ずることなく」と判示し、公共団体に民法715条を適用しない理由を述べることなく、原判決中、東京市及び元町長に敗訴を命じた部分を破棄し両名に対する原告請求を棄却した。
 このように、権力的作用について官吏の賠償責任を認めながら、公共団体には民法を適用しない合理的理由は、判決は「その職務行為が統治権に基づく権力行動に属するものなるときは、国家又は公共団体として被害者に対し民法不法行為上の責任を負うことなきものと解せざるべからず」と述べるだけで具体的には明らかにされなかった。このように、国家無答責の法理で損害賠償を否定する判決は、その根拠が極めて曖昧である。
d これに対し、上記差戻し大審院判決につき、学会からの強い批判があった。すなわち、三宅正男は、「判旨は……その結果は必ずしも我々の法感情を満足せしむるものではない。」「私権の侵害が違法に為された場合に私法規定に従って公法人に対する賠償請求を許すことが権力的作用の本質をどれだけ害するものであろうか」「権力的作用に依る公法人の賠償責任を−非権力的な公行政の場合と区別して−私法の範囲から排斥せねばならぬ実質的理由は存しない」(民法判例研究会『判例民事法(昭和16年度)』37頁)と批判した。
 e このように、徴税滞納処分という権力的作用についても、第二審裁判所→大審院→差戻後第二審裁判所→大審院と、公法人の損害賠償責任を認め、また否定するなど、判例の姿勢は、「一貫して国の賠償責任を否定」しているとは到底言えない。しかも、最終の大審院判決においても、吏員に対する損害賠償責任は認めているのである。

 キ 以上のとおり、明治憲法下の判例は、判例の集積の中で、様々な分野
で国及び公共団体の損害賠償責任を拡大してきたのであり、原判決が述べるような「戦前の大審院判例は、非権力的作用については民法の適用により国の損害賠償責任を認めてきたが、公権力の行使(権力的作用)による損害については一貫して国の賠償責任を否定していた。」(原判決23頁)とは全くいえないのである。
 むしろ、権力的作用も含め、国家無答責の適用の基準は曖昧であり、公権力の行使による損害について明確な基準をもって国及び公共団体の賠償責任を否定する国家無答責の法理が確立されていたとは到底言えない状況であった。
 国家無答責の法理は、天皇主権の明治憲法下での一法解釈にすぎない。そもそも判例は、国家無答責の法理の根拠を明確に示したことはなく、判例にその正当性、合理性は全く見いだしがたい。
 (3) 当時の学説としても国家無答責の法理の確立は認められない
  ア 美濃部達吉説
 戦前の学説の状況をみると、行政の不法行為責任に関して、私法である民法の適用がないという見解を採っていなかった。
 民権学派の美濃部達吉は、国民の権利救済を確保するためには、私法の領域を拡張しようと主張していた。
 大正13年発行の『行政法撮要』で、「公益の為にする事業に付ては公益上の必要ある限度に於て民法の適用を排除すと雖も、少くとも不法行為に基く損害賠償の問題に関しては国家又は公法人の事業に付ても之を私人の事業と区別して其の適用の法律を異にすべき理由なく、此等の事業の施行に関し不法に他人に損害を加へたる場合に於ては国家又は公法人は当然民法に依り損害賠償の責に任ずべきものなり」(美濃部達吉『行政法撮要』上巻150頁、有斐閣。下線は引用者)と述べ、国家の事業についても、経済的関係を主眼とするものについて、損害賠償を認めることを主張していた。
 前述した徳島市遊動円棒事件の大審院大正5年6月1日判決は、かねてからの民権学派の主張が取り入れられたものであった(鵜飼信成『行政法の歴史的展開』有斐閣114頁)。

  イ 田中二郎説
 田中二郎は、昭和8年に、国家賠償責任について、「惟ふに、従来、国家の名に於て又は公共の利益の名に於て、法律上国家責任に付て特殊の理論構成を与へんとする傾向は一応理由ある所ではあらう。併しながら問題は、結局国民全体の負担に於て具体的の個人の特別の犠牲を償ふべきか、それとも個人の特別の犠牲を国民全体の利益の為めに、已むを得ざる犠牲として之を甘受せしむべきかの選択の問題であり、その何れがより正義なるかの利益衡量の問題に帰することを考へねばならぬのである。」「その損害が公権力の作用に基くものなりとする理由のみを以て、国家の賠償義務を否定し去ることが果して正当なりや疑はざるを得ない。」「其の損害が権力的作用に基づくか、非権力的作用に基づくかは公平負担の原則からは、特に区別する必要を見ないのである。」「私は、公法上の特別の規定なき限り、経済生活に関する基礎規律たる民法に於ける原則が、公法の領域にも類推適用さるべきものと解するのが正当ではないかと憶測する。」(法事時報5巻7号、田中二郎『行政上の損害賠償及び損失補償』酒井書店24、25頁。下線は引用者)と述べ、個人の損害が公権力の作用に基づくものとする理由だけで、国家の賠償義務を否定することを批判していた。

  ウ 渡邊宗太郎説
 渡邊宗太郎は、昭和10年発行の『日本行政法』上で、「公務上の過失は公務の性質上その存在を否認し得ないものであるとすれば、国家行為が自然人の行為以外に存し得ない限り、かかる過失に因る違法行為は尚機関行為としての品質を否認せらるべきものでなく、従ってその行為の効果が国家に帰属せられるべきものであることは違法なる機関行為における場合と異なるところはない。」「国家が自己の違法行為に依って私人に財産上の損害を加えたる場合には固より国家はそれを賠償する義務を負担する。私人の利益が法に依って権利として保護される以上、それの違法の侵害あるときにはその行為者の何びとであるを問わず原則として私人はその損害の賠償を請求し得べく、行為者は之を賠償すべき義務を負う。特別の法の規定なき限り国家と雖も当然にこの義務から免除せられると為すを得ないのである。而してこのことは国家の違法行為が公法行為たると私法行為たるとに依って、また権力行為たると対等行為たるとに依って異なるところはない。唯かかる違法行為が国家の公法行為に属するときには、当該行為主体たる行政官庁が国家の賠償義務を履行しない場合に現行法上尚之に対して義務の履行を強制する救済手段が存しない。併しかかる救済手段の存しないことは理論上賠償義務の存在を否認することの根拠となり得るものではない。」「私人が官吏の個人的行為に依って権利を侵害せられる関係は私法関係に属するが故に、官吏たる個人が義務を履行しない場合には、私人は民事訴訟手続に依ってその救済を求むることを得る。私人は官吏自身の資力を以てしては完全にその損害を賠償せられ得ないことがあり得る。かかる場合には私人は虞らく当該官吏の監督官庁を通じて国家に対してその不足額の賠償を請求することを得る。而してこの場合の国家の賠償義務の根拠は当該官吏の行為が国家自身の行為と看做されることに在るのではなくして、かかる違法行為を行う者を国家が官吏として選任したること、及びかかる官吏の執務の監督を国家が怠りたることに在るのである。而かも右の国家の賠償義務が不足額を限度とする補充的性質のものであること、及び国家と官吏との関係そのものは常に公法関係を構成するものであることから、右の理論が民法第715条の適用であり得ないことはいうを俟たない。又国家が右の補充的賠償義務を履行したる場合に官吏自身に対して求償権を行使し得るものではないことは、これが自己の行為に対する責任であることから明らかである。」(渡邊宗太郎『日本行政法』158〜162頁。下線は引用者)と述べて、国民の損害が権力的作用に基づくか、非権力作用に基づくかは区別する必要がないので損害賠償を認めるべきと論じた。

 エ 三宅正男説
 三宅正男は、「私権の侵害が違法になされた場合に私法規定に従って公法人に対する損害賠償を許すことが権力的作用の本質をどれだけ害するものであろうか。」「国家の賠償責任を認めることは損害を国民に分配する結果となり、通常の場合の不法行為による損害賠償と異る性質をもつが、だからといって、不法行為による国家の責任を排斥する必要は存しない。要するに権力的作用による公法人の賠償責任を−非権力的な公行政の場合と区別して−私法の範囲から排斥せねばならぬ実質的理由は存しないと思う。」「以上述べたように官公吏の行為が公法人の権力的作用である場合にも、公法人が違法な権力的作用により私法上の損害賠償責任を負うことを正面から認めたいと思うが、もしそれが許されぬとしても私法上の責任が全然考えられぬわけではない。」「違法な権力作用により、官公吏が不法行為責任を負うのはそれが同時に彼の個人としての有責違法であるからである。…………従って、それは私法的性質のものである。而して公法人は彼の行為としての法律上の効果をもつ機関の行為によって責任を負わぬとしても、官公吏が個人として不法行為を為したことにつき使用者として私法上の責任を負わせねばならぬ。そこでは公法人の権力的作用としての法律上の効果は問題ではなく私法上の不法行為者たる官公吏の使用者であることによって715条の適用を受けるのである。公法人と官公吏との関係が715条にいう使用関係に該らぬならば、営利的事業や非権力公行政における官公吏の職務行為につき使用者として公法人が責任を負うことも否定される結果になる」(民事判例研究会『判例民事法(昭和16年度)』37頁以下。下線は引用者)と述べ、権力的作用による公法人の賠償責任を排斥する理由はないと批判した。

 オ まとめ
 このように、学説は、前節で述べた判例を指導する形で、明治期、大正期、昭和期の時代の進行と共に、国民の権利救済を拡張する理論を展開してきた。
 すなわち、大正期には、非権力作用及び工作物の設置、管理に関する行政の不法行為については、民法不法行為法により損害賠償責任を認めるのが通説になった。これらの学説は、判例の検討を踏まえ、あるいは憲法や国家理論として成立してきた「機関理論」の視点から、さらには「使用者責任論」等を踏まえて、その考察の上に理論化されている。
 さらに昭和10年代には、権力的作用に関する行政の不法行為について、非権力作用と区別する必要がなく、民法不法行為法を適用し損害賠償責任を認めるべきとするのが通説になりつつあったと思料される。
 しかも、昭和10年代という治安維持法下の学問、思想に対する弾圧が最も激しかった時期に、実社会における市民感情(法的正義の実現)や具体的衡平性、損害の社会経済的衡平分担などの視点をも十分に踏まえて発表されたことを考慮に入れると、上記の田中二郎、渡邊宗太郎、三宅正男の各学説は、学会の通説になっていたと思料される。
 こうした学説の存在をみれば、国家無答責の法理は確立されていないことは明らかである。

 (4) 公権力の行使に基づく国家責任を否定する立法者意思は存在しない
ア 旧民法と原民法は全く別であり、旧民法制定時の井上毅の「立法者」の意思は原民法に受け継がれない
 原判決は、「旧民法373条から国家責任に関する字句が削除されたことは、少なくとも公権力の行使に基づく国家責任を否定する立法者意思の表れであるとみるのが相当であり、現行民法にもその立法者意思が継承されたといえる。」(原判決23頁)と判示し、さらに明治23年の時点で国家無答責の法理が確立し、明治憲法下では一貫して国の賠償責任を否定していた旨判示する。
 しかしながら、判例が一貫して国の賠償責任を否定していたわけではなく、昭和10年代には、学説としては権力的作用と非権力的作用を区別するべきではないとするのが通説になっていたことは、前記(2)、(3)で述べたとおりである。
 原判決は、旧民法制定時に、井上毅という「立法者」の意思に基づいて「公私ノ事務所」の文言が削られ、その意思が現行民法に受け継がれたという。
 しかし、旧民法は明治23年4月21日に公布されたが、施行されないまま廃止された。明治29年、新たに起草された草案に基づき現行民法(第1編から第3編まで)が公布され、明治31年7月16日から施行された。
 現民法の立案に当り、「或事業ノ為メニ他人ヲ使用スル者」「使用者」という語を選ぶについてまで井上毅の「主人」「親方」のみを選んだ意思が受け継がれたとは到底考えられない。「使用者」という語は「主人」「親方」という個人的な雇主より広範囲の雇主を表す語であり、大小の団体、公私の法人をも含み得る意味を持つ。
 このように、現行民法は、旧民法とは体系も文言もまったく異なる立法であり、旧民法の立法者意思が現行民法に継承されたという原判決の判断は、まったく何の根拠もない。
 したがって、前記「立法者意思」は、原審裁判所の独自の解釈に過ぎない。

イ 行政裁判法16条は、国家無答責の根拠にはならない
 そもそも、明治憲法下においてすら、前記「立法者意思」などとの解釈は存在していない。
 美濃部達吉は、「違法なる行政作用に因り、又は公物の設置若は保存に瑕疵あるに因り、第三者の権利を侵害したる場合に於て、国家又は公法人の負うべき損害賠償の責任は、其の原因が行政権の行動に基づくものなることに於て行政事件の性質を有すると共に、専ら被害者の経済上の利益の為にし、民事上の賠償責任と法律上の性質を同じくするものなることに於て民事事件の性質を有す。之を行政裁判所又は民事裁判所の何れの権限に属せしむべきかは立法政策の問題なり。我が国法は総ての損害要償の訴を似て行政裁判所の権限外に置き之を民事事件として民事裁判所の管轄に属せしむ。法律が『行政裁判所は損害要償の訴訟を受理せず』(16条)と曰へるは此の意を示すものなり」(美濃部達吉『行政法撮要』上巻534頁、有斐閣。下線は引用者)と述べ、国家又は公法人の負うべき損害賠償に関しては司法裁判所の管轄とした意味であることを解説している。
 すなわち、美濃部達吉が論述するように、明治憲法61条の「行政官庁ノ違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ別ニ法律ヲ以テ定メタル行政裁判所ノ裁判ニ属スヘキモノハ司法裁判所ニ於テ受理スルノ限ニ在ラス」という規定は、別に法律をもって定めた行政裁判所の裁判に属すべきものは、司法裁判所において受理しないことを定めたものであって、ここでは、行政裁判所に属することが法律で定められたものではない訴訟は、司法裁判所で受理することができるものとされている。
 行政裁判法16条の「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」という規定は、司法裁判所による私法的処理を否定したわけではないから、解釈上は、公権力による不法行為も民法の不法行為の規定により国の不法行為(709条ないし711条)及び使用者責任(715条)を問うものであったにすぎない。
 すなわち、行政裁判所が民事上の損害賠償請求訴訟を受け付けないからといっても、司法裁判所が、損害賠償請求訴訟を受理するのであって、行政裁判所法16条は、国家無答責の法理とは全く何の関係もなく、その存在をもって、国家無答責の法理の論拠とすることはそもそもできないのである。

ウ 国家無答責は、法令でもなければ確立された法制度でもない
 民法の不法行為に関する規定の中にも、国の損害賠償責任を否定した規定はない。このように、戦前においては、国家無答責の法理を明記した成文法(実定法)は存在しておらず、実際にも、国の賠償責任について、司法裁判所の管轄権が否定されることはなかった。
 以上の経緯に照らせば、当時の立法者の意思としては、国の賠償責任をめぐる問題については、民法が適用されることを認めた上で、例外的に国が免責される場合については、司法裁判所の判断にゆだねたといえる。
 しかも、司法裁判所の裁判例の集積を経て、昭和10年代の判例、学説では、権力的作用に関する行政の不法行為について、民法を適用し損害賠償責任を認める方向に来ていたのである。
 したがって、原判決が認定するような「明治23年の時点で公権力行使についての国家無答責の法理を採用するという基本的法政策が確立した」とはいえないことは明らかである。

 (5) 結語
 以上(2)ないし(4)に述べたとおり、第1に、司法裁判所は国の賠償責任について、動揺を重ねながら民法の適用範囲を拡大する方向で変遷し、昭和10年代には権力的行為についても民法の適用を肯定する裁判例が存在していたし、逆に権力的行為について民法の適用を否定する裁判例においてその実質的根拠は全く示されていなかったこと、第2に学説上でも、権力的行為について民法の適用ないし類推適用を認める見解が採られていたこと、第3に、当時の立法者は、国の賠償責任については司法裁判所の判断にゆだねていたことがそもそも明白である。
 したがって、国家無答責の法理なるものの実体は、要するに民法の適用範囲をめぐる裁判例の集積途上の法理ではあっても、昭和10年代には否定されつつあったのであり、「判例法」というほど法的安定性を有してはいないし、確立された法理とは全く言えない。
 少なくとも、原判決の「戦前においては、公権力の行使による私人の損害については、国の損害賠償責任を認める法律上の根拠がなく、そのことは公権力行使についての国家無答責の法理を採用するという基本的法政策に基づくものであったから、公権力行使が違法であっても被告はこれによる損害の賠償責任を負わない」(原判決24頁)と断定できるような状況は全く存在していなかったのである。
 むしろ、明治憲法下の裁判所は、具体的事案を通じ、国ないし公共団体に賠償責任を認めないことの不合理を自覚せざるを得なかったと思われる。そのため、「損害の公平な分担」という不法行為制度の大原則を遵守すべく、様々な論理立てをして公法・私法二元論を排除しようとしてきたのである。
 このようにみてくると、「明治憲法時代でさえ、公権力の行使について民法を適用する解釈があったことに照らすと、理論的には、今日の裁判所としては、当時の判例に従えば足りるのではなく、当時の法例の解釈を現時点でやりなおすべきであろう。」(阿部泰隆『国家補償法』41頁)との指摘が妥当であることが一層明らかである。

 2 本件細菌戦は、「適法な公権力行使権限」に基づかず「国家無答責の法理」は適用されない

  (1) 原判決は、本件細菌戦に対し、国家無答責を適用しうるものである
という判断を下すにあたって、本件細菌戦は、「旧日本軍がその存在目的そのものである戦闘行為として行ったものであるというのであるから、その行為は公権力の行使(国の統治権に基づく優越的な意思の発動としての強制的・命令的行為)そのものであり、当時民法の適用対象となっていた非権力的作用に分類されるということはできない」と判示する。
 原判決は、公権力の行使であれば例外なしに国家無答責が適用されるという見解にたち、本件細菌戦は「戦闘行為として行ったもの」であるから、国家無答責の適用される公権力の行使であるとしている。

(2) しかし、仮に国の公権力の行使について国家無答責の法理が認められるとしても、本件細菌戦は、国家無答責の原則が前提とする「公権力の行使」には該当しないから、この原則は適用されない。
 国家無答責の法理は、そこで問題とされる国家の行為が公務のための権力作用である場合に、当該公務を保護するためのものであって、当該行為が公務のための権力作用にあたらない場合には、国の行為についても民法上の不法行為責任が成立することを当然のこととしているものである。国家が行う行為が不法行為である場合には、保護すべき権力作用ではなく、国家無答責は適用されない。
 本件細菌戦が、国家無答責の原則が適用されるための要件としての「公権力の行使」に該当するためには、原判決の判示する「国の統治権に基づく優越的な意思の発動としての強制的・命令的行為」であることに加えて、本件細菌戦が、「適法な公権力の行使」と評価されるような権限によって行われた行為であることが必要である。
 なぜなら、本件当時においても、国が国民に対し一定の行為を命令又は禁止し強制を加えるという一方的な優越的支配が合法化されるためには、法律によって制定された権限に基づくことが必要とされたからである。
 原判決は、「旧民法の立案に深く関与した井上毅が、前記のとおり国家無答責の法理の根拠を行政権の円滑な運用に求めていた」と指摘している。「行政権の円滑な運用」とは、法に基づいた行政を意味することは、法治主義の原理から当然に導かれることである。法に基づいた行政権の円滑な運用が、国家無答責の法理の根拠であるとするならば、「適法な公権力行使権限」を欠いた国家の行為は、国家無答責を適用しうる根拠を失うのである。

  (3) これを本件細菌戦について見ると、戦争行為による相手国の人間に対する殺傷が公法関係として認められたとしても、それは「適法な公権力を行使する権限」の範囲内に限定されるのであり、戦争行為だから何をやってもよいということではない。「適法な公権力を行使する権限」を欠いた行為は、公務としての戦争行為にはならないのである。
 本件細菌戦は、原判決が認定するように、ジュネーブ・ガス議定書を内容とする国際慣習法に違反した違法行為であり、かつ、被控訴人に、細菌戦被害者が受けた損害を賠償するというハーグ陸戦条約第3条を内容とする国際慣習法による国家責任が生じていたのである。
 したがって、このような強度の違法性を帯びた本件細菌戦は、「適法な公権力を行使する権限」を欠いた行為であることは明白であり、国家無答責を適用する根拠がない。

(4) 本件細菌戦の違法性の強さ、悪質さを示す第1点は、本件細菌戦は、被控訴人自身が違法な戦争行為であることを充分に自覚し、承知しながら、被控訴人による組織的、計画的行為として行われた大規模な戦争行為だという点にある。本件細菌戦当時から、被控訴人は、細菌戦がジュネーブ・ガス議定書に違反し、同議定書を内容とする国際慣習法に違反し、かつ賠償責任を定めたハーグ陸戦条約第3条に違反することを熟知していた。
 そのため、日本軍は細菌戦部隊の創設にあたって、表向きは軍隊における「防疫」や「給水」、すなわち伝染病の予防と浄水の供給を掲げる「関東軍防疫部」として創設し、その実態は、細菌兵器の開発と実用化をめざす秘密部隊を創った。また実際に細菌戦を実行するにあたっては、徹底した秘密作戦として行った。
 また、被控訴人は、ソ連参戦に直面し敗色が濃厚となった時点で直ちに平房の731部隊の建物を爆破し、捕虜を全員虐殺する等の証拠隠滅を図った。この証拠隠滅は、陸軍中央の指示により行われた。
 さらに、被控訴人は、戦後もこの違法行為を反省もせず、今日にいたるまで、事実を隠蔽し続けている。

  (5) 本件細菌戦の違法性の強さ、悪質さを示す第2点は、本件細菌戦が、大量破壊兵器による非戦闘員たる一般住民に対する無差別な殺傷だという点にある。細菌戦がジュネーブ・ガス議定書及びハーグ陸戦条約第3条に違反する理由はこの点にある。
 日本軍による本件細菌戦が行われている最中、1942年3月に関東軍軍医・牧譲軍医中佐は、「細菌戦について」という講演の中で次のように語っている。
 「全般的には兵站に絡んでいることになる都市を攻撃して、都市をひどい目に遭わす。これは将来相当やられる問題であります。軍隊関係のものには、直接しないで大きな都市に伝染病を流行らしてゆく」「細菌戦の狙い所の1つは、後方を混乱せしめて精神上に困ったことになったと言うような観念を敵に与えることで、大きな都市をうんとひどい目に遭わすということがある訳であります」(満州帝国軍医団『軍医団雑誌』。甲29の198頁)。
 このように、被控訴人が、最初から一般住民の大量殺戮を目的として細菌兵器を開発したことは明らかである。
 実際、本件細菌戦は、1940年浙江省各都市へのコレラ菌、チフス菌、ペスト菌の菌液撒布、ペスト感染ノミの投下、1941年湖南省常徳へのペストノミの投下、1942年江西省、浙江省での、ペスト菌付着の米、ペストノミ、鼠の地上からの散布、井戸や食物へのコレラ菌注入など、その実行態様は、相手国の軍事施設や軍隊とはまったく関係のない一般住民の殺傷を目的としたものであった。本件控訴人らも、市民、農民など非戦闘員の住民である。

  (6) 本件細菌戦の違法性の強さ、悪質さを示す第3点は、本件細菌兵器の研究、開発が生体実験等の違法行為を伴うことによって、世界で初めて本格的な細菌兵器の開発を可能とし、実戦使用したことである。
 731部隊は、平房の本部でチフス、コレラ、赤痢、ペスト、炭疽、凍傷などの研究・培養を行ったが、その際、常時200人から400人の捕虜を生体実験に用いた。捕虜は「マルタ(丸太)」と呼ばれ、1本、2本と数えられた。彼らは、「ロ号棟」の中の解剖室や野外の実験場で、人体実験に使われ次々に殺されていった。
 また、本件被害地である崇山村などでは、日本軍が、細菌戦を実施した地域に「防疫隊」として入り、罹患した被害者を生体解剖して細菌戦の「成果」を検証する活動を行うなど、細菌戦の実行による被害者をも研究材料として大量殺戮兵器をつくりあげたのである。

  (7) 以上のように、本件細菌戦は、国際法に違反するうえに、その違法性は極めて強く、悪質であり、いかなる意味でも正当化されない残虐行為である。本件細菌戦は、「適法な公権力行使権限」に基づく行為ということはできず、国家無答責の法理は適用されない。

 3 「国家無答責の法理」は外国での外国人に対する権力作用には適用されない
    
  (1) 原判決の誤り
 原判決は、「我が国に国家無答責の法理が確立した明治23年以降において、当時の我が国の法体系が、権力的作用の被害者が外国人である場合にその外国人に損害賠償請求権を付与していたことを示す事実は何ら認められず、日本人も外国人も等しく国家無答責の法理の適用を受けていたものと考えられる」(原判決25頁)とする。
 しかし、国家無答責の法理は、本件細菌戦の行われた日中戦争の最中においてさえ、既に破綻を来している。
 即ち、1937年日本軍の南京攻略戦に際し、揚子江下流に碇泊中の米砲艦パナイ号と米スタンダードオイル社商船3隻に対し、日本の軍機が誤爆を加え、3名の死者、数十名の負傷者を出した事件(パナイ号事件)に当り、日本政府はこれら被害者各人の受けた損害につき、直ちに謝罪し、それぞれ厳密な計算によって算出した金額の賠償をその翌年に行ったのである。
 原判決はこの件につき、国と国との間で解釈された事例であって被害者の個人請求権が認められた例に当らないというが、少なくとも個人の国際法上の主体性が認められたというべく、それ以上に、先ず、国家無答責の法理などは彼我共に一顧だにされなかったことを明らかに示している。凡そ、米国人被害者(うち5名は中国人)に対しては主張しない国家無答責の法理を、中国人に対しては主張するという矛盾、差別を如何に説明するというのか。
 実際には個人ごとに民事的な損害賠償請求の手順とやり方で補償額を算定し決定していることが分かる。
 また算定にあたっては「利用できる先例」として各種の判例が参照されているが、参照された54例はすべて個人の被害(戦争、内乱、官憲の不法行為などによる)に対し、加害外国政府に損害賠償を求めたケースである。以下、詳述する。

(2) パナイ号事件では、個人賠償請求に応じている
   ア パナイ号事件に対し事件発生から2日後の12月14日、日本の広田外相は、アメリカのグルー駐日大使に対し、事件の責任を陳謝し、「一切の損害にたいする補償」、責任者の処罰、再発防止措置を申し入れ、26日アメリカ政府もこれを受け入れて一応の決着をみた。(「グルー米国大使宛広田外相公文」1937年12月14日付、外務省調査局『米国軍艦パナイ号事件』昭和21年1月、41〜43頁)。
 パナイ号事件の損害賠償について、翌1938年3月21日付に、アメリカ大使を通じて総額221万4007ドル36セントが要求され、日本政府は4月22日、この賠償額を小切手で支払った。

   イ 賠償額の内訳は、財産損害額、194万5670ドル1セント、死傷事件賠償額、26万8337ドル36セントである。
 賠償の対象となった損害として日本の外務省が確認したのは、
@沈没艦船(砲艦「パナイ」号、「スタンダード・ヴァキューム」会 社船5隻)、
A損壊船舶(「 スタンダード・ヴァキューム」会社船2隻)、
B死者(「パナイ号」乗組員2名他1名)、傷者(艦船乗船者74名)、
C他(郵政省及び国務省並びに個人財産被害)である。
 被害者個人だけでなく個人財産被害まで賠償の対象になった(前出『米国軍艦パナイ号事件』、31〜32頁)。
 当時どのように補償額を算定したかは、アメリカの国立公文書館所
蔵の資料(「1937年12月12日、日本による合衆国軍艦パナイ号及びスタンダード・ヴァキューム・オイル社船の攻撃と沈没から発生した損失と損害」と題する「法律顧問覚書」(文書番号394.115 PANAY/408)で末尾に国務長官代理の署名があることから、国務省に提出されたものと思われる。日付は1938年2月16日付である)によって賠償額の算出がどのようにおこなわれたかをみることができる。

ウ まず海軍の部では、損害は、
a艦船の損失(45万5727ドル87セント)
b装備及び供給品の損失(9万7766ドル48セント)、
c個人
に分けて考察されている。
 覚書の大部分が「c個人」に宛てられていて、被害者個人に対する損害賠償が中心になっている。
 「c個人」はさらに死者(2人)、負傷者(重傷11名、軽傷32名)、ショックおよび放置に依る被害(14人)に分けて算定され、総額14万2000ドルである。
 査定にあたっては被害者一人ずつについて「利用できる事実」(障害の態様、負傷の場合には事後の経過、医療に要した経費、後遺症の有無、給与、家族の生計維持に果たす役割など)、「利用できる先例」、「海軍省の勧告」、「結論」の順に詳細に算定の根拠が示され、賠償額が決定されている。
 海軍の次に郵政省の損失が計算されているが、之は切手、秤、日付印などの物損ばかりである。
 パナイ号に乗船していて被害を受けて大使館員(負傷4名)についても同様に個別に詳しく検討されて補償額が決定された。そしてそれとは別個に被害を受けた個人の所持品についても検討の対象とされ、補償額が算定された。

   エ スタンダード・オイル社の商船の被害についても同様な手順で算定
がおこなわれた。乗組員の人的被害は8人であったが、そのうちは軽傷を負った5人の中国人が含まれている。軍人の場合と比べて検討は簡略におこなわれたが、中国人5人(月給は最高15ドル、最低8ドル25セント)には一人あたり100ドルの補償額が決定された。さらにスタンダード社は乗組員、社員の所持品や家庭用品についても弁償として3万6034ドルを請求した。
 その他のケースでは、民間人、民間企業に対する13件の補償が算定されているが、そのなかには乗船中の中国民間企業(中国輸出入公社、Yee Tsoong煙草配給社)の社員も含まれている。
 取材中の通信社、映画会社の社員も被害にあったが、彼らの持ち物、映写機、レンズ、ネガフィルムなどに付いてもいちいち損害額が算出されている。

   オ 先例とし参照されたもののうち民間人の戦争被害に対する請求権処
理に関わるものを一例だけ紹介しておこう。事例としては前に述べたが、第一次大戦中の1916年3月23日、乗船中のイギリス汽船サセックスがドイツの潜水艦の魚雷攻撃を受けた際、数人のアメリカ人乗客が負傷し、戦後ドイツから損害賠償を受けたケースである。
 若い医者(インターン)ワイルダー・グレイブス・ペンフィールドの受けた障害は、持続的な神経障害と膝関節を含む左脛骨骨折及び右くるぶしの捻挫である。入院1ヶ月、松葉杖での歩行3ヶ月、杖による歩行約4ヶ月、独米による混合請求権委員会が1万5000ドルの付与を裁定したときにまだ膝の機能は回復していなかった。
 未婚で24歳であったが、一人前にピアニストであったエリザベス・フォード・スチムソンは数週間昏睡状態におちいった。肩に永久的な損傷、左の臀部関節は慢性的破砕状態("mushroom fracture")でそのため障害をうけ職業の遂行が不可能になった。4万ドルを付与された(荒井信一「日本の加害行為被害者の個人賠償請求権についての歴史的考察」参照)。

  (3) 日本国の管轄に服さない外国人に対する国家無答責の不適用
 控訴人らは、原審において、国家無答責の法理論的根拠として、2つの論理をあげた。第1に、主権者は何ものにも拘束されずに法を作成することができるのであるから、主権者は常に法に違反することはない、という主権無答責の考え方が、近代国家においては、主権者である国民=国家は法を侵犯し得ないし、法を侵犯することは考えられないとされ、国家の不法行為責任が否定される「支配者と被支配者の自同性」の論理である。
 第2に、違法な国家機関の行為は、国家意思たる法規に違反するが故に法律上国家を代表する機関行為とは認められず、国家機関を構成する個人の個人的責任の問題を生ずるのに止まり、国家の法的責任は生じないという、違法行為の国家帰属を否認する「国家と法秩序の自同性」の論理である。
 そして、これらの国家無答責の法理論上根拠から、国家無答責の適用には明らかに場所的限界があることを主張した。
 「支配者と被支配者の自同性」は、その国家の管轄(統治権)に服する者の範囲での議論であって、統治権の及ばない外国での外国人との関係において成立しえないものであることは当然である。当該国家は自国の管轄外にある他国の国民の意思により行動するのではないから、その関係に「支配者と被支配者の自同性」など存在するはずもないのである。 また、「国家と法秩序の自同性」についても、国家の行為を適法化する法は、主権の及ぶ自国の管轄内に限られるのであるから、自国の管轄範囲内においてのみ妥当するものであり、適法化の及ばない外国での外国人に対する行為において成立しないのは当然である。
 本件細菌戦は、被控訴人の統治権が及ばない外国での外国人に対する行為であり、国家無答責が適用されうる範囲からはずれているのである。 ところが、原判決は、「確かに、欧米で主権無答責の法理が受け継がれていく過程において、原告らのいう『支配者と被支配者の自同性』や『国家と法秩序の自同性』の論理が同法理を支えるものとして唱えられたことがあったと解される」(原判決23頁)と、『支配者と被支配者の自同性』や『国家と法秩序の自同性』が国家無答責の法理論的根拠になっていることを認めながら、これらの法理論的根拠から必然的に国家無答責には場所的限界性があることについては言及せず、論点をずらして、「当時の我が国の法体系が、権力的作用の被害者が外国人である場合にその外国人に損害賠償請求権を付与していたことを示す事実は何ら認められ」ないことをもって、「日本人も外国人も等しく国家無答責の法理の適用を受けていたものと考えられる」という誤った結論を導き出してしまっている。
 しかしそもそも、前述した「パナイ号事件」では、国家無答責は適用されず、被控訴人は、損害賠償を行っているのであるから、原判決の判示は、事実と異なっている。

  (4) 前例のない本件細菌戦
 原判決は、「日本人も外国人も等しく国家無答責の法理の適用を受けていた」ことの根拠として、「旧民法の立案に深く関与した井上毅が、前記のとおり国家無答責の法理の根拠を行政権の円滑な運用に求めていたことによっても裏付けられる」と判示する。
 本件細菌戦は、「日本の統治権の及ばない外国での外国人に対する行為」であるが、それにとどまらず、戦争行為であり、また違法な戦争犯罪行為である。仮に「行政権の円滑の運用」が、外国での外国人に対する行為として存在したとしても、それは何らかの統治行為としてのみありうるのであって、本件細菌戦のような戦争行為、まして敵国の住民を無差別に殺傷するという前例のない戦争犯罪行為が、「行政権の円滑な運用」と呼べるものではないことは明白である。原判決の論拠に従ったとしても、本件細菌戦に国家無答責を適用しうる余地はまったくないのである。

  (5) 日本における立法者意思
 ところで、原判決は、『支配者と被支配者の自同性』や『国家と法秩序の自同性』の法理論が、欧米において国家無答責の理論的根拠となっていることを認めながら、日本においては、「行政権の円滑な運用」という立法者意思が国家無答責の根拠となったと判示している。
しかし、これも事実と異なっている。
 「法律取調委員会・民法草案財産編第373条に関する意見」によれば、法律取調委員の今村委員は、国家が「人民ノ権利」を侵害した場合に、賠償責任を負うかという問題を取り上げて、次のように述べている。
「按するに国家の性質を講する者は説種々ありと雖も要するに其の主たる目的は人民の権利を保護し及び幸福を増進するに在りて人民に害を加うる者に非ず故に或る学者は曰く国家は悪を為すこと能はすと誠に然り是を似て国家が責に任ずる場合なし」(日本近代立法叢書29頁以下)。
この考えは他の委員にも共通であった。このように、国家無答責の根拠は、旧民法制定当時の立法者の見解によっても、「国家とは人民の権利を保護し、幸福を増進させるものである」という前提のもとに、国家無答責が論じられているのであり、国家無答責の根拠は、やはり、「支配者と被支配者の自同性」「国家と法秩序の自同性」ないし利害の一致に求められていたのである。
 ここで言う「人民」とは、国家がその権利を保護し、その幸福を増進する対象となる者であり、それは自国の管轄に服する「人民」であって、外国の管轄に服する人民を含まない。外国の管轄に服する人民に対しては、国家がその権利を保護したり、その幸福を増進することは想定されていないからである。
 本件細菌戦において、被控訴人である日本国と、控訴人ら中国人民との関係においては、国家が「人民の権利を保護し及び幸福を増進する」という関係にないどころか、被控訴人は、無差別大量殺戮という巨大な悪、害を控訴人らに加えているのであり、国家無答責の前提を欠いているのである。

(6) 以上のように、国家無答責の法理論上の根拠からも、日本の立法者意思からも、日本国の管轄に服さない外国人に対して国家無答責は適用されない。
 前述のとおり、国の権力作用によって生じた被害に対しては国は賠償責任を負わないというのが国家無答責論であるが、権力作用とは、国家が個人に対して命令し服従を強制する作用である。そうであれば、命令、強制権の及ばない他国に在住する他国民、しかも、占領、支配下にあるともいえない他国民にまで、無答責の抗弁が通用するなどということがありよう筈がない。
 原判決ですら、「本件細菌戦による被害は誠に悲惨かつ甚大であり、旧日本軍による当該戦闘行為は非人道的なものであった」と評価し、「ヘーグ(ハーグ)陸戦条約3条の規定を内容とする国際慣習法による国家責任が生じていると解するのが相当」と断じている。
 本件を含み凡そどのような残虐、非道な行為でも権力作用の名において全て責任を問われないなどという理不尽が古今東西に通用する筈もない。日本の司法だけが、このように国際社会に通用しない「切り捨て御免」の愚論を今に至ってなお後生大事に維持している現状は、まことに恥ずべく嘆かわしい限りである。日本を国際人権社会から孤立せしめる所以である。

 4 ハーグ条約の国内法化によって「国家無答責の法理」は排除され適用されない

  (1) ハーグ条約は、1907年オランダのハーグにおいて開かれた第2回ハーグ平和会議で採択された。同条約には、同会議に参加した44ヶ国が署名し、その効力は1910年1月に発生した。日本は1911年に批准している。
 一方、1925年6月に成立「ジュネーヴ・ガス議定書」というにおいて細菌戦は禁止され、遅くともそれが発効した1928年ころには、国際慣習法としても確立していた。日本政府も、同議定書に制定直後に署名しており(ただし、批准したのは1970年)、同議定書が国際慣習法の成立していることを充分に認識していた。
 国際法の国内法化及び国内法に及ぼす影響については異説はなく、国際条約に抵触する国内法は、条約に適合するように解釈されなければならないことについては、明治憲法下の日本においても受容されていた。
 国際法に違反する不法行為が国家責任を生じさせることは一般国際法の原理からして当然であるが、本件細菌戦について、原判決は、ジュネーブ・ガス議定書に違反する不法行為であり、被控訴人には、ハーグ条約3条に基づく国家責任が生じていたと認定した。

  (2) ところで、国際慣習法として成立していたハーグ条約及びジュネーブ
・ガス議定書が国内法化している法制下にあっては、国家無答責の法理は主張しえない。
 なぜなら、ハーグ条約及びジュネーブ・ガス議定書が国内法化したということは、その実体規定が国内法的効力を有するだけでなく、その違法行為に伴って生まれる国家責任解除に関する権利義務関係も当然国内法化しているのである。被控訴人に発生したハーグ条約3条に基づく国家責任は、国際法的平面においてと共に、国内法的平面においても発生しているのである。
 仮に国家無答責の法理が存在していたとしても、本件に適用されうるか否かは、「国内法は国際法に適合するように解釈されなければならない」という確立した法原理によって解釈されなければならないのである。それは、国際法を国内法化し、しかも法律よりも上位に位置づける日本の法秩序内での当然の法的要請である。日本政府自らが自由権規約委員会の場で明言したように、「裁判所が国内法と条約とが矛盾すると判断した場合には、後者が優先し、関連国内法は無効とされるか修正されなければならない」(阿部浩己『国際人権の地平』264頁、現代人文社)。これは、明治憲法下においても妥当していた。
いずれかの国内法の解釈により国際義務違反が是正される余地があるのであれば、司法には、国際法適合的な解釈を採用することが求められている。民法の不法行為規定を、国際法違反によって生じた国家責任・損害賠償を請求する法令上の根拠として解釈することは、まったく可能である。戦前の判例においては、学説と異なり、国際法と国内法を等位に位置づけていたようだが、その場合には後法が優先するのであり、本件では1898年に成立した民法に対し、1910年に発効したハーグ条約が後法として優位に立つ。
 ところが、原判決は、被控訴人にハーグ条約に基づく国家責任が発生していることを認定しながら、国家無答責という国内法の法理をもって、被控訴人の賠償責任を否定し、「国内法は国際法に適合するように解釈されなければならない」という法の解釈原理に反してしまっている。
 国家無答責という国内の法理と、ハーグ条約という国際法が抵触したとき、国家無答責は、国際法に適合するように解釈されなければならないのであり、本件に適用することはできないのである。まして、明文化された規定がなく、単なる一解釈である国家無答責の法理を国際法に優先して適用し、被控訴人に発生した国家責任を否定することはできない。

 5 「国家無答責の法理」は一法解釈にすぎず、現在の法解釈に基づき裁判すべき

  (1) 国家無答責は適用されず民法の不法行為規定の適用によって被控訴人の損害賠償責任は成立する。
 上記1乃至4において、本件細菌戦に国家無答責が適用されないことを論じてきた。すなわち、第1に、国家無答責の法理は、いわゆる「判例法」によっても、当時の学説によっても、また立法者意思によっても、確立してはおらず、適用理由も曖昧であった。また第2に、本件細菌戦のような国際法違反の残虐な戦争行為は、「適法な権力行使権限」に基づかないこと、第3に、国家無答責の法理の場所的限界性(外国での外国人に対する行為には適用されない)、第4に、ハーグ条約の国内法化による、国際法に適合した国内法の解釈等によって、本件細菌戦に国家無答責の法理は適用されないのである。
 国家無答責が適用されない場合、現行民法の不法行為規定によって、被控訴人の賠償責任が成立することは、戦前の判例からも明らかである。
 さらに、上記第1から第4の本件細菌戦への国家無答責不適用の根拠は、本件細菌戦が、日本国憲法下の現時点での法解釈に従って裁かれるべきであることを導くものである。
 「過去の法律の解釈は、過去の時点での解釈に従うべきか、現時点での当時の法令の解釈をすべきかが論点であるが、明治憲法時代でさえ、公権力の行使について民法を適用する解釈があったことに照らすと、理論的には、今日の裁判所としては、当時の判例に従えば足りるのではなく、当時の法令の解釈を現時点でやりなおすべき」(阿部康隆『国家賠償法』有斐閣41頁)なのである。

  (2) 訴訟法上の救済手続の欠如としての国家無答責
 国家無答責の法理は、成文法(実定法)上の解釈としては、訴訟法上の救済手続が欠如していることを意味する訴訟上の法理であると解さざるを得ない。この点からも、国家の賠償責任は、現時点での法解釈によってなされるべきである。
 国家無答責の法理は、その明確な根拠を求めようとすると、行政裁判所法16条で賠償事件を締め出したこと、および明治憲法61条で権力行政について司法裁判所の管轄を否定したことにしぼられる。
 要するに、これらの国家無答責の法理の根拠は、いずれも裁判管轄という手続法の領域に関するものであって、実体法上明確な根拠に基づくものではない。
 戦前の大審院の裁判例の中には、実体的根拠については何も述べずに民法の適用を排除しているものもあるが、裁判例の中には、これを実体法の問題ではなく、手続法の問題として判示した例も存在するのであって、明治憲法下における裁判例は、国家無答責の法理の実体的根拠を全く示すことなく、専ら管轄の範囲外の問題であることを根拠に適用法条を欠く旨を宣言してきたにすぎないともいえる。すなわち、国家無答責の法理は、司法裁判所の管轄外であるために司法裁判所としては適用法条を欠くという訴訟手続法上の理由が根拠となっていたにすぎないともいえるのである。
 そうであれば、日本国憲法の下においては、行政裁判所が廃止され、訴訟が司法裁判所に一元化されている以上、国家無答責の法理を適用する根拠は全くなく、また、国家の賠償責任について現時点での法解釈に基くことに何の支障もないと言わなければならない。

  (3) 国家賠償法附則6項の「従前の例」について
 原判決は国家賠償法附則6項の「従前の例」の規定によって、本件細菌性に国家無答責が適用されると判示する。しかし、国家賠償法附則6項の「従前の例」とは、同法が存在しない従前の実体法によることを意味し、戦前の一つの判例解釈に従う必要はない。
 この点について、最近、東京地方裁判所民事第25部2003年3月11日判決は、中国人強制連行事件に関して、「国家賠償法附則6条において、『この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。』と規定され、同法の規定の遡及適用が否定された以上、同法施行前の公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の損害賠償責任に関しては、民法の不法行為に関する規定が公務員の公権力の行使についても適用があるか否かという民法の解釈にゆだねられていたと解するよりほかはない」としたうえで、「戦前の裁判例及び学説に照らすと、『国家無答責』なる不文の『法理』が確立しているとの理解を背景として、上記のような解釈が採られていたことがうかがわれるものの、現時点においては、『国家無答責の法理』に正当性ないし合理性を見いだし難いことも、原告らが主張するとおりである。当裁判所が国家賠償法が施行される以前の法体系の下における民法の不法行為の規定の解釈を行うに当たり、実定法上明文の根拠を有するものではない上記不文の法理によって実定法によるのと同様の拘束を受け、その拘束の下に民法の解釈を行わなければならない理由は見いだし難い」と、「従前の例による」ことが、国家無答責を適用しうる根拠とならないことを判示している。

  (4) 現憲法下における「正義公平の原則」による解釈
 日本国憲法17条は、国の賠償責任を明記し、国家無答責の法理を否定した。現在の裁判所は日本国憲法の価値原理に則って法令の解釈適用をすべきであり、過去の法令の解釈についても、現時点で当時の法令の解釈をし直すべきである。
 本件細菌戦は、原判決が認定するように、ジュネーブ・ガス議定書に違反し、同議定書を内容とする国際慣習法に違反し、かつ賠償責任を定めたハーグ陸戦条約第3条に違反する戦争犯罪の中でも特別な残虐性をもっている。
 細菌兵器の特徴は、その被害の範囲を予測することも限定することもできないこと、非戦闘員である一般市民の大量殺戮を狙うものであること、戦闘行為終了後においてもその潜在的破壊力ゆえに2次流行、3次流行を引き起こし、長期間にわたって地域社会全体が伝染病の発生・蔓延の危険にさらされることにある。
 本件細菌戦の被害地の内、浙江省の義烏市、東陽市、義烏市の崇山村、義烏市塔下洲は、日本軍が衢州市に投下した細菌によって発生したペストが伝播し、多大の犠牲者を生んだものである。衢州市では戦後にいたるまでペストの流行が続いたのである。
 このような前例のない残虐な非人道的行為が、国家無答責の法理をによってその責任が問われず、被害者が救済されないことは、「正義公平の原則」に著しく違背する。
 戦前の法的、時代的制約の下でも、法の正義の見地から民法の適用範囲を拡大して、「国、公共団体の損害賠償責任追求の道」を切り開いた戦前判決例の努力の過程があることは、すでに述べた。原判決が国家賠償法の「従前の例」という規定をもって、国家無答責を適用し、控訴人らの賠償請求の道を閉ざしてしまうことは、上記戦前からの努力の過程に逆行するものであり、これもまた正義公平の原則に反するものである。
 本件細菌戦のように、加害行為時と裁判時で、国の賠償責任についての価値原理は大きく転換しており、しかも、加害行為時において、国の賠償責任を否定する国家無答責の法理が、確定した法理として確立していたわけではなく、一法解釈にすぎないものでしかない場合、さらに、その加害行為が史上類例のない残虐な戦争犯罪である場合、結果として日本国憲法の価値原理と真っ向から反する結論を導くことは、法の解釈適用として許されることではない。裁判所は、現在の日本国憲法の価値原理に基づいて法解釈を為し、現時点の法原理に適合する結論を導かなければならない。

 6 まとめ

 控訴人ら及びその代理人らは、本件について日本政府が被害者に謝罪、賠償することが、日本の国際的信頼を高め、諸国との真の友好、平和を築くことに直結し、従って金銭に替え難い国益となると確信するのであるが、被控訴人は必ずしもそのように考えてはいないようである。
 しかし、裁判所は、何れが国益に沿うかなどという政治的配慮をする必要もなく、むしろ配慮すべきではない。裁判所に望むことは、国益如何に拘らず、あくまで純粋に、正義を実現していただきたいということに尽きるのである。
 これこそ大審院長・児嶋維謙以来の司法のあるべき姿である。

第3 時効・除斥の不適用

 1 時効は未だ完成していない

  (1) 民法724条前段及び後段の法的性質
 民法724条後段の20年の期間の法的性格は、その立法の沿革、立法趣旨、法文の文言、不法行為責任について時効として二重の期間制限を設けている諸外国の立法例、及び被害者の権利行使は予期しない外部的事情により妨げられることが多いことを考慮すると、時効期間を定めたものと解すべきである。
 そして、民法724条前段に定める3年の時効期間は、権利者の権利行使の現実かつ具体的な可能性の存在という特殊な状況に対応する特殊な短期時効であるのに対して、同条後段に定める20年の時効期間は、そのような特殊な事情の有無とは無関係に、請求権の成立時から進行を開始し、20年の経過により完成する通常の時効であって、不法行為責任は、原則として通常20年の時効にかかり、特に被害者において損害及び加害者を知り、権利行使の現実的可能性がある場合に限って、通常の20年の時効の完成を待たずに3年の時効の完成を認めるということにすぎないと解すべきである。

  (2) 民法724条の定める期間の起算点
   ア 総論
 民法724条前段の3年の期間の起算点は、被害者が、客観的に権利行使が可能な状況の下において、具体的な事実関係に基づいて加害者に対する権利行使ができることを認識したときと解すべきである。
 また、民法724条後段の20年の期間の起算点については、加害行為の時であるとする見解があるが、未だ発生していない権利の時効進行を認めることになりかねず、不当である。不法行為の多くは、予期しない状況に発生するものであり、また原因行為と損害との因果関係の発見・立証が困難な場合等もあり、提訴まで時間のかかるものが多い。また戦争など社会的な事情により、被害者の権利行使が長期間にわたって不可能になる場合も希ではないのである。
 民法724条の立法趣旨は、不法行為によって損害を蒙った被害者の保護にあり、同条後段の20年の期間の起算点は、不法行為の構成要件が充足されたとき、すなわち、加害行為のみならず、損害が発生して被害者の権利行使が客観的、一般的に期待できる状況になったときと解すべきである。
 そして、加害行為から時間が経過して損害が発生する場合には、その損害の発生時点である損害賠償請求権の成立時点から、時効の進行が開始するものと考えるべきである。

   イ 本件における民法724条前段の時効期間の起算点
    a 中華人民共和国は、1949(昭和24)年に成立し、中国本土を実効的に支配していたにもかかわらず、1952(昭和27)年に締結されたサンフランシスコ平和条約の締約国から外されたため、日本と中国は、国交断絶の状態が続いた。
 その後、1972(昭和47)年の日本政府と中国政府の共同声明(以下「日中共同声明」という。)によって、国交が正常化され、さらに、1978(昭和53)年10月23日、日中平和友好条約の締結によって、初めて本格的かつ正常な国家関係の基礎が確立された。
 日本に対する中国民間人の損害賠償請求の問題は、1991(平成3)年3月、第7期全国人民代表大会第4回会議において、国家間の戦争賠償と民間の被害賠償を区別し、前者は日中共同声明で放棄されたものの、後者は、中国の民間人被害者及びその遺族は、日本に対して損害賠償請求ができる旨の科学工業部幹部管理学院法学部教員の意見書により、初めて公の場で取り上げられた。
 その後、江沢民国家主席は、1992(平成4)年4月、日中戦争時の民間被害については、相互に協議して条理にかなう形で妥当に解決すべきであることを主張してきた旨の発言を行った。さらに、銭其?外相は、1995(平成7)年3月9日、対日戦争賠償問題について、日中共同声明で放棄したのは国家間の賠償であって、個人の賠償請求は含まれず、賠償の請求は国民の権利であり、中国政府は干渉すべきでない旨発言した。
 このように、控訴人らが、被控訴人に対し、本訴を提起することが政治的社会的に可能となったのは、上記銭其?外相の1995(平成7)年3月の発言以降であり、それ以前に控訴人らが本訴を提起することは不可能であったというべきである。
    b 控訴人らが本訴を提起するには、更に本件細菌戦の具体的な事実
関係を明らかにし、これを裏付ける資料が必要であったが、被控訴人は戦後一貫して細菌戦の事実を隠蔽してきた。専ら加害者である被控訴人の責により、控訴人らは本件提訴を阻害されていたのである。
 1993年に、吉見義明教授らが防衛庁防衛研究所図書館が公開した井本日誌など、陸軍中央の中堅将校の井本熊男大佐等の業務日誌から、細菌兵器の実戦使用が陸軍中央の指導で行われたことが判明し、その内容が1995(平成7)年12月に岩波ブックレット『731部隊と天皇・陸軍中央』として出版され、細菌兵器の実戦使用が明らかになった。
 それまでは、日本国内では、731部隊が細菌兵器の研究を生体実験で行っていることは周知の事実になっていたが、細菌戦は周知の事実になっていなかった。被控訴人は、細菌戦の事実が日本国民に知られるようになってからも、事実が確認できないとして、その責任を否定し続けた。
 そのような被控訴人の態度に疑問を呈した日本人弁護士らが、1995(平成7)年12月以降、僅かな手がかりをもとに本件細菌戦の被害者らを訪ね、事実の有無を確かめるため聞き込みなど現地調査を繰り返した。その結果、本件細菌戦の事実を確認した。
 細菌戦被害者らから本件訴訟について協力を求められた日本の弁護士らは、本件訴訟に伴う法的な問題点や諸費用の負担等を検討した上、1997(平成9)年ころ本件訴訟を受任することを決め、正式な委任を受け、1997(平成9)年8月11日に第一次提訴を提起した。その後、中国各地に調査委員会が設置され、細菌戦被害の実態調査が行われ、1999(平成11)年12月9日に第2次提訴を提起するに至った。
c このような経過に照らせば、細菌戦被害者らが、本件細菌戦の具体的事実に基づいて細菌戦被害者らに対する被控訴人の不法行為を特定することができ、被控訴人に対する損害賠償請求権の行使が可能となったのは、中国と日本の弁護士の支援、協力を取り付けることができた1997(平成9)年の時点である。
 したがって、民法724条前段の3年の時効期間の起算点は、1997(平成9)年の時点であり、本件第1次訴訟の提起は同年8月11日、第2次訴訟の定期は1999(平成11)年12月9日であるから、いずれにおいても時効は完成していないというべきである。

   ウ 本件における民法724条後段の時効期間の起算点
a 1978(昭和53)年10月23日の日中平和友好条約締結まで日中両国は法的に戦争状態にあった。
 サンフランシスコ平和条約の付属議定書「B 時効期間」の第1項には「人又は財産に影響する関係で、戦争状態のために自己の権利を保全するのに必要な訴訟行為又は手続をすることができなかったこの議定書の署名国の国民に係るものについて訴の提起又は保存措置をする権利に関するすべての時効期間又は制限期間は、この期間が戦争の発生の前に進行し始めたか又は後に進行したかを問わず、一方日本国の領域において、戦争の継続中その進行を停止されたものとみなす。これらの期間は、本日署名された平和条約の効力発生の日から再び進行し始める。」と規定されている。
 これは、戦争状態にある間は、その当事国の国民が相手国側に対し自己の請求権を行使することは不可能なので、戦争の継続中(即ち平和条約発効までの間)は時効又は制限期間が進行しないという法理を確認的に規定したものである。中国はサンフランシスコ講和条約の当事者ではないが、この時効規定の法理は、中国との平和条約締結においても援用されうるのであり、少なくとも日中両国が法的に戦争継続状態にあった1978(昭和53)年10月23日までは、時効は進行しなかった。
b また、前述したように、20年の期間の起算点は、不法行為の構成要件が充足されたとき、すなわち、加害行為のみならず、損害が発生して被害者の権利行使が客観的、一般的に期待できる状況になったときと解すべきである。
 その点で、控訴人らは自分らの責に帰さない理由により、本件提訴が不可能な状況におかれていた。すなわち、被控訴人の隠蔽行為によって、前記井本日誌の発見される1993年までは、控訴人らは本件提訴の可能性を阻害されており、また、前記上記銭其?外相の1995(平成7)年3月の発言までは、控訴人らが本訴を提起することは政治的社会的に不可能であった。したがって、20年の期間の起算点は、控訴人らの権利行使が客観的に可能になった1995年におくべきである。
c さらに、本件細菌戦は、国際法に違反する戦争犯罪行為であり、加害者たる被控訴人は、控訴人ら被害者に対し、被害の継続・拡大を防ぐべき保護義務を負っていたのであり、本件細菌戦により生じた被害の回復を図る措置を採るべきであった。しかし、被控訴人は、これらの保護義務を果たさなかったばかりか、戦後、自ら作成した731部隊関係文書を廃棄処分して証拠と事実の隠蔽を図り、国会等公の場においても細菌戦の事実を認めず、中国に対する戦争責任も否定し続けてきたのであって、控訴人らに対し、一切の賠償、謝罪も行っていない。
 被控訴人のこれらの行為により、細菌戦被害者らは多くの家族を失い、戦後において幸い生き残った細菌戦被害者らも差別、偏見や、精神的ないし身体的苦痛に苦しめられ、その被害はいまだ継続している。
 したがって、控訴人らの主張する被控訴人の加害行為は、現在も継続しているのであって、被控訴人に対する損害賠償請求権については、未だ時効は進行していないということができる。
  

 2 本件細菌戦において時効・除斥期間の適用を制限すべきである

  (1) 時効・除斥期間の制度における正義と公平の要請
 加害者による民法724条の時効援用及びその結果が、著しく正義、公平に反するときは、その時効援用は権利の濫用に当たるものとして排斥されるべきである。
 また、仮に、同条後段所定の20年の期間が除斥期間であるとしても、その適用が著しく正義、公平に反し、条理にもとるときは、同条後段の規定は適用されるべきではない。
 そして、民法724条の適用が著しく正義、公平に反するか否かは、具体的には、@被害者の権利不行使に対する加害者の加担、A権利者の権利不行使に対する非難性の欠如、B時効による加害者保護の不適格性、C時効・除斥期間がもたらす結果の著しい不正義・不公正といった諸事情を考慮して判断すべきである。

  (2) 本件における時効・除斥期間の適用の制限
@ 被害者の権利不行使に対する加害者の加担について
 控訴人の本件不法行為は、日本の中国侵略戦争における細菌戦の実行という、史上類例のない残虐な行為である。このことは、民法724条後段の適用に当たって十分斟酌されなければならない要素である。
 被控訴人の本件不法行為は、非戦闘員たる一般住民を無差別大量に殺戮することを狙った違法性の極度に高い残虐行為である。細菌戦がもたらした感染症によって犠牲者、被害者となった控訴人らには何の落度もなく、ある日突然原因不明の疫病によって苦しめられ、犠牲となったのである。その被害者がなんら救済されずに数十年間放置され、一方、その加害者である被控訴人が何の責任も果たさずに今日に至っているという現状において、時の経過は、被害者の権利消滅をもたらすものではなく、一刻も早く控訴人が被害を償い、控訴人ら被害者を救済すべきことを迫るものである。
 さらに本件細菌戦の違法行為において、極めて顕著な特徴は、被控訴人が、戦後において細菌戦の事実を隠蔽し、国際的国内的に日本軍の細菌戦が周知の事実となっている現在においても、その事実すら認めていないという点である。
 被控訴人は、敗戦直前に、中国では731部隊本部等の施設を破壊し、人体実験のために収容していた捕虜の「マルタ」を全員殺害し、731部隊をいち早く撤退させた。日本では、敗戦と同時に、陸軍省軍事課等の命令により細菌戦関係等の日本軍公式文書の焼却・隠匿した。
 また、1947年、被控訴人は、隠匿していた731部隊関係の文書を免責と引き換えに米国政府に交付し、戦争犯罪の責任追及を逃れた。
 1980年代に入り、細菌戦の事実が暴露され始めると、被控訴人は、本件細菌戦に対する責任を追及されることを恐れ、井本日誌などの防衛庁及び米国からの返還資料の保管資料を隠匿し、本件細菌戦の事実確認と証明を困難にした。
 1993年、吉見義明教授らが防衛庁防衛研究所図書館が公開した井本日誌などから細菌戦の記述を発見し、1995年12月に岩波ブックレットとして発表し、細菌戦の事実が社会的に明らかになると、被控訴人は、井本日誌を非公開にする措置をとった。
 井本日誌は、井本熊男が大本営参謀本部員などの立場で、731部隊からの直接の連絡を業務日誌として、本件細菌戦の計画、準備、実行及びその効果について詳細に記載したもので、例えば常徳細菌戦の実行の日時、場所、実行メンバー、使用細菌の種別等の内容は正確であり、この井本日誌などの被控訴人が保管する文書を用いれば、本件細菌戦の実態は、より一層解明されるはずである。
 しかし、控訴人らは、原審においても、井本日誌が井本熊男個人の防備録にすぎないなどと認めるにとどまり、事実解明を行うことを全くしない。
 また、被控訴人は、1950(昭和25)年3月の衆議院法務委員会における聴濤議員の質問、1982年4月の衆議院内閣委員会の榊原議員の質問、1997年から1998年の参議院決算委員会等での栗原君子議員の質問、1999年2月の衆議院予算委員会での田中甲議員の質問で、再三、事実調査につき促されているにもかかわらず、かかる調査を一切怠っている。
 未だに、被控訴人は、「資料が存在しない」等と事実と異なる答弁で、本件細菌戦の事実を正式に認めていない。
このような被控訴人の隠蔽行為は、控訴人らの権利行使を著しく妨害してきた。実際に存在している資料を開示せず、井本日誌等の存在をつきつけられても、なお「資料が存在しない」等と言い逃れようとする本件細菌戦の隠蔽行為は、極めて悪質で、控訴人らの権利行使を意図的に妨害する新たな不法行為である。
 本件控訴人らの権利不行使は、被控訴人が一国の権力をもって控訴人らの権利行使を妨害し、不可能にしてきた結果なのである。
   A 控訴人らの権利不行使に対する非難性の欠如
 控訴人らの戦後の生活は、非常に苦しいものであった。日本の侵略戦争と、その後の内戦による都市、農村の荒廃に加えて、控訴人らは、細菌戦の被害者であることによる苦しみを受けねばならなかった。本件細菌戦被害地において、控訴人らの多くは、一般流行の疫病にかかった者として扱われ、戦争の被害者としての正当な評価を受けることができなかった。
 本件細菌戦による被害地住民は、戦後も長期にわたって疫病の恐怖から逃れることができず、地域社会としての復興は困難となった。また、疫病発生地として社会的な差別を受け、経済的かつ社会的不利益を蒙らざるえなかった。
このように、前記控訴人による隠蔽行為、1972年まで断絶していた日中関係、日中共同声明における中国政府の賠償問題への対応などの客観的社会的状況に加え、控訴人らのおかれた生活状況からも、1995年頃までは、被控訴人に対する損害賠償請求権を行使することは事実上不可能であった。
 さらに、控訴人らが本件訴訟を提起するためには、中国と日本に、これを支援し、代理人となって活動する弁護士が必要不可欠であったのであり、そのような弁護士の活動が日本で具体化したのは第1次訴訟の控訴人らは1995年12月以降であり、第2次訴訟の控訴人らにとっては第1次訴訟を提起した1997年8月以降である。
 以上のとおり、控訴人らが本件提訴に至るまで権利行使ができなかたことについて、控訴人らには全く責がなく、控訴人らが権利の上に眠ってその権利行使を長期間怠っていたという事実はない。控訴人らは、訴訟提起が可能となるや、速やかに本件訴訟の提起に及んだのである。
   B 時効による被控訴人保護の不適格性
 原判決が認定するように、本件裁判の被害地8ヶ所全体の細菌戦による死亡者の数は1万人を超える。しかしこの数字は、細菌戦による犠牲者の一部にすぎない。
 細菌兵器は、戦闘の目的と比較して不相当な性格のものであるとの共通認識を前提にジュネーブ・ガス議定書で明示的に使用が禁止された国際法違反の兵器である。現在では、1972年4月10日に署名され1982年6月に日本が批准し効力が発生した細菌兵器禁止条約により、使用のみならず開発、生産、貯蔵も、国際法上も禁止されている。
 細菌戦は、本来命を救う目的を持つ医学的手段を、無差別大量の殺戮手段として使うという、いかなる意味でも許されざる行為である。それは、生命の尊厳に対する侮辱であり、その根底には、中国の人たちを人間として見ない被控訴人の民族差別があった。
 このことは、被控訴人が、中国ハルピン市平房に創設された731部隊等の細菌戦部隊において、陸軍中央の計画、指揮の下で、抗日運動の関係者等に対し各種の人体実験を行うなどして、細菌兵器の研究、開発、製造を行ったことにも示されている。
 こうして人体実験によって開発された細菌兵器を使い、被控訴人は、中国住民に対し、史上初めて本格的な細菌戦を実行したのである。
 したがって、本件細菌戦が、当時の国際法はもちろん日本の法規に照らしても違法なものであることは明白である。また、被控訴人は、ポツダム宣言受諾によって、本件細菌戦について調査及び救済義務を負ったが、これを履行することなく現在に至っている。
 また、本件訴訟において、控訴人らは、井本日誌及び井本熊男の証拠保全を申立て吉見義明教授の人証及び同教授の著作の岩波ブックレットを書証として提出した。主張立証が困難な事情は存しないにもかかわらず、被控訴人は、控訴人らの主張にかかる事実に対して認否及び具体的な主張を一切行わない。
 本件違法行為は、比較しうる類例がないほど悪質な違法行為である。時効による被控訴人保護の理由はまったくない。また、時効制度の存在理由を、真の権利者を保護し、弁済者の二重弁済を避けるための制度と解したとしても、また、証拠散逸による証明困難を救済するための制度と解したとしても、被控訴人の責任は明白であり、被控訴人が損害賠償責任を果たしていないことが明白である本件においては、時効又は除斥期間により被控訴人を保護する理由は全くないというべきである。
   C 時効・除斥期間がもたらす結果の著しい不正義・不公正
 本件細菌戦は、長期にわたって控訴人らの人間としての尊厳を踏みにじり、心身にわたる苦痛と被害を与えた悪質極まりない加害行為である。
 しかも、被控訴人は、戦後においても控訴人らに対して一切の謝罪も補償もせず、本件細菌戦の事実さえ認めようとせず、控訴人らの感情を著しく傷つけ、苦痛を増大させている。
 控訴人らは、いずれも年老いており、残された人生は短い。被控訴人が控訴人ら被害者に謝罪し、その損害を償い、被害者を救済する必要は火急の課題となっている。
 これらの事情を考慮すると、時効又は除斥期間により、被控訴人がその責任を免れることは、著しく正義、公平に反し、その結果は条理にも反するものである。

  (3) 以上のとおり、時効によって被控訴人が賠償責任を免れることは、
著しく正義、公平に反し、条理にもとることは明らかである。
 本件細菌戦の違法行為が、時効の適用によってその責任を免れることは、日本国憲法の国際協調主義、平和主義にも反するものである。国際法によって生じた国家責任には、時効も除斥もない。被控訴人の国際的義務の不履行は消えることがないのである。
 「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際杜会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」(日本国憲法前文)と誓った日本国憲法の法意に照らすならば、被控訴人が、一刻も早く謝罪し償い、国際義務を履行することが必要なのであり、本件不法行為に、民法724条は適用されるべきではない。
 また、本件細菌戦による被害は、時の経過と共に忘れられ、癒されるものではない。むしろ時の経過は、恐怖と苦しみの継続であり、控訴人らの損害は甚大なものになっていくのである。
 原判決も認めるように、戦争の惨害は最終的には個人に帰するものであるから、ハーグ条約及び同規則の究極の趣旨・目的は、陸戦の過程における非戦闘員を含めた個人の保護にある。本件細菌戦のような一般住民を大量殺戮する戦争犯罪が、時効の適用によってその責任を免れることは、戦争の惨害から個人を守る国際法の意図に反するものであり、個人の尊厳、人権の尊重を根源的な価値原理とする日本国憲法の法意に照らし、本件への民法724条の適用は排除されるべきである。

3 除斥期間を適用しない近時の判例

  (1) 除斥期間を適用しない最近の判例として、いわゆる予防接種事故の国家賠償請求訴訟がある。最高裁第2小法廷平成10年6月12日判決(以下、「平成10年判決」という。判例時報1644号42頁)は、次のように述べ、除斥期間の適用を排除した。
 「しかし、これによれば、その心神喪失の常況が当該不法行為に起因する場合であっても、被害者は、およそ権利行使が不可能であるのに、単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面、心神喪失の原因を与えた加害者は、20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となり、著しく正義・公平の理念に反するものといわざるを得ない。そうすると、少なくとも右のような場合にあっては、当該被害者を保護する必要があることは、前記時効の場合と同様であり、その限度で民法724条後段の効果を制限することは条理にもかなうというべきである。」
 上記平成10年判決は、国の過失によって被害者が心神喪失に陥り権利行使が不可能であったことを奇貨として、国が法的責任を免れるものとすれば、それは著しく正義公平の原則に反するという考え方に立脚するものと解される。

  (2) この点、適用制限が認められるのが、平成10年判決の事例に限定
する趣旨と解することは、次の理由により誤りであると言わねばならない。
   ア その理由の第1は、この判決が除斥期間の画一的・機械的適用が「著しく正義・公平の理念に反する」場合にその適用を「制限することは条理にもかなう」と述べ、さらに「特段の事情があるときは・・・724条後段の効果は生じないものと解するのが相当である。」と述べていることである。
 すなわち、「正義・公平」「条理」「特段の事情がある場合」といった一般原則が要請する限り、除斥期間の適用を制限する趣旨と解すべきだからである。

イ その理由の第2は、民法158条が類推適用できる場合あるいは権利行使不能の原因を作ったのが加害者自身である場合に限定する趣旨だとすると、従来型の硬直的な除斥論がかかえていた欠陥を是正するという、平成10年判決の目的は達し得ないからである。すなわち、様々な複雑な構造を有する現代の不法行為に柔軟に対応して、事件の特性に適合した具体的妥当性を有する解決を追求してこそ、従来型の判決が露呈していた欠陥・不合理性を解消することができるからである。その場合に初めて正義・公平という法の基本理念が実現されるのである。

ウ その理由の第3は、文言上にも「少なくとも右のような場合にあっては、・・・・その限度で民法724条後段の効果を制限することは条理にもかなうというべきである」と述べており、「少なくとも右のような場合に限って」とは明示していないのであるから、除斥期間の適用制限の例示をしたのであって、限定した趣旨と解すべきではない。
 平成10年判決の多数意見は、「除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用であるという主張」を排斥し、それに代えて「著しく正義・公平則の理念に反するもの」や「条理」にかなう解釈を唱えている。「著しく正義・公平の理念」違反・「条理」にしても、さほどの懸隔があるとは考えられないからである。
 具体的な考慮要素については、以上のような裁判例を踏まえ、かつ時効・除斥期間制度の存在理由とされる@権利の上に眠る者は保護に値しない、A時の経過による立証・採証の困難、B法的安定性という公益、を考慮して時効の援用ないし除斥期間の適用制限の一般的要件論を示せば次のとおりである。
 すなわち、権利不行使につき権利の上に眠る者との評価が妥当せず、義務の不履行が明白で時の経過による攻撃防御・採証上の困難がなく、権利の性質や加害者と被害者の関係などから、時の経過の一事によって権利を消滅させる公益性に乏しい場合には、むしろ積極的に時効援用、除斥期聞の適用制限をすべきということになる。
 さらに、福島地裁いわき支部判決(平成2年2月28日、判例タイムズ719号223頁)は、「著しく正義に反し」として時効援用、除斥期聞の適用制限を行った。同判決は、a@被告における義務違反の明確さ、A義務違反の態様の悪質さ、B原告らの権利行使についての被告側の責任、C原告を犠牲にしての被告の利益、b義務違反・損害賠償債務の存在の明白性、c被害者の権利不行使における非難性の不在、を特に重視して判断していることも参考になる。

  (3) また、平成13年7月12日東京地裁民事14部において下されたいわゆる劉連仁事件判決がある。これはまさしく、正義公平の原則に反するとして、除斥期間の適用を制限する判断を下した。
 「このような除斥期間制度の趣旨の存在を前提としても、本件に除斥期間の適用を認めた場合、すでに認定した劉連仁の被告に対する国家賠償法上の損害賠償請求権の消滅という効果を導くものであることからも明らかなとおり、本件における除斥期間の制度の適用が、いったん発生したと訴訟上認定できる権利の消滅という効果に直接結び付くものであり、しかも消滅の対象とされるのが国家賠償法上の請求権であって、その効果を受けるのが除斥期間の制度創設の主体である国であるという点も考慮すると、その適用に当たっては、国家賠償法及び民法を貫く法の大原則である正義、公平の理念を念頭に置いた検討をする必要があるというべきである。すなわち、除斥期間制度の趣旨を前提としてもなお、除斥期間制度の適用の結果が、著しく正義、公平の理念に反し、その適用を制限することが条理にもかなうと認められる場合には、除斥期間の適用を制限することができると解すべきである。」
 「そのような被告に対し、国家制度としての除斥期間の制度を適用して、その責任を免れさせることは、劉連仁の被った被害の重大さを考慮すると、正義公平の理念に著しく反していると言わざるを得ないし、また、このような重大な被害を被った劉連仁に対し、国家として損害の賠償に応じることは、条理にもかなうというべきである。よって、本件損害賠償請求権の行使に対する民法724条後段の除斥期間の適用はこれを制限するのが相当である。」
 この判決の論旨は、まさしく本件においてもそのまま妥当するものである。
 本件における被控訴人の不法行為の内容を構成する731部隊等の細菌戦は、一般の不法行為と同列に論じるには余りにも非人道的な、国際法違反の戦争犯罪行為であり、その責任を単に時間の経過をもって、消滅するものとすることはできない。本来、本件のような戦争犯罪に対しては、時効あるいは除斥という概念は適用できないのである。
 日本と中国との平和条約締結が、1978年に至るまでなされなかったということを奇貨として、被控訴人は本件不法行為に対する損害賠償責任をほおかむりしてきた。一方、被害者は、権利行使が不可能な状態におかれ、そのこと自身が、また新たな苦痛を生むことになってきたのである。
 本件こそまさに、正義と公平の理念を実現するために、除斥期間の適用を制限しなければならないケースである。

  (4) さらに、平成14年4月26日福岡地裁において下されたいわゆる
三井鉱山強制連行事件判決がある。これも、上記同様、正義公平の原則及び信義則から除斥期間の適用を排除した判決である。

  (5) このように、近時の判決の流れは除斥期間の適用排除の方向へと大きく風向きを変えていることは明らかである。
 したがって、裁判所は本件事案においても除斥期間の適用を排除し、速やかに控訴人らの損害賠償請求を認めるべきである。

第4 「日中共同声明による解決」論について

 1 原判決の判断
   原判決は、「被告には本件細菌戦に関しヘーグ陸戦条約3条の規定を内容とする国際慣習法による国家責任が生じていた」ことを認めながら、「本件細菌戦に係る被告の国家責任は、我が国と中国との国家間でその処理が決定されるべきものである」として、本件細菌戦に係る「被告の国家責任」については日中共同声明と日中平和友好条約によって、「国際法上は」「決着したものといわざるを得ない」と判示している。
 しかし、日中共同声明と日中平和友好条約によって、はたして被控訴人の国家責任が国際法上決着したと言えるのであろうか。

 2 日中共同声明における「戦争賠償の請求を放棄」について
   1972年9月29日の日中共同声明は、日本側が「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と表明したことを前提として、中国側が「中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言」した。1978年日中平和友好条約は、「共同声明の諸原則を厳格に遵守すべきことを確認する。」と定めている。
 ここには、三つの問題点がある。
  (1) 日中共同声明では「請求権を放棄」ではない
 第1に、日中共同声明では「戦争賠償の請求を放棄」となっており、「請求権を放棄」ではない点である。
   ア 「賠償問題は日華条約で解決済み」という日本の立場
     日中国交正常化の交渉役とされていた公明党委員長竹入義勝と周恩来首相との事前交渉に関して、有名な「竹入メモ」(1972年7月29日付)が残されている。この「メモ」の中には、当初中国側から提示された共同声明案には、戦後処理について「@中華人民共和国と日本国との間の戦争状態は、この声明が公表される日に終了する。A日本政府は、中華人民共和国が提出した日中国交回復の三原則を十分に理解し、中華人民共和国政府が、中国を代表する唯一の合法政府であることを承認する。これに基づき両国政府は外交関係を樹立し、大使を交換する。(中略)F日中両国人民の友誼のため、中華人民共和国政府は、日本国に対する戦争賠償請求権を放棄する」ことがうたわれていた。
 ところが、日本政府は、戦争状態の終結についてすでに1952年の「日華条約」で確認されており、「二度も同じことを繰り返すことは国際法上できない」という立場から、@やFに難色を示していた。
 1972年9月25日からの田中角栄首相の訪中の際行われた首脳会談でもその点が問題になっていた。26日午後の第2回首脳会談で周恩来は、午前中の外相会談での高島条約局長の「賠償問題は日華条約で解決済み」という発言を次のように批判した。「蒋介石が日台条約で賠償請求権を放棄したことで、このたびの共同声明には賠償問題を言及する必要がないという条約局長の発言は、実に我々は奇異に覚える。当時蒋介石はすでに台湾に逃げていた。彼は全中国を代表することはできない。これは他人の財貨で気前の良さを見せようとするものだ。戦争で被害を受けたのは主に大陸であり、我々は両国の人民の友好関係から考え、日本人民を賠償の支払で苦しませたくないから戦争賠償請求権を放棄しようとしたのである。条約局長は逆に蒋介石がすでに放棄したからといって我々の気持ちをくんでくれない。これは我々に対する侮辱にほかならない」と。
 こうしたやりとりのすえ、9月29日に共同声明が妥結したのであるが、その結果、賠償の問題では、「戦争賠償の請求を放棄」となり、「権」を削除したのである。
 この点につき、大平外相は、自民党両院議員総会(1972年9月30日)で、「もし中国が”賠償請求権”の放棄という言葉にこだわると、私どもはやっかいな立場になるところだったが、”賠償請求”という言葉にしてもらい、”権”という言葉はついていない」と述べ、さらに「日華条約にすでに中国の”対日戦争賠償権の放棄”が規定されたのに、再び”賠償請求権”と規定すると、依然として中国に請求権があることを認めることになり、矛盾してしまう」と解説した。
 すなわち、1972年当時の日本政府の立場としては、中華人民共和国には、放棄すべき「賠償請求権」はないという解釈だったのである。
   イ 「台湾が賠償請求権を放棄」は日本側解釈 
     それでは、中国の対日戦争賠償請求権は、1952年の「日華条約」によって放棄されたのであろうか。
 1950年後半から始まった対日講和締結交渉は、当時の東西対立の政治的構図の中で、複雑な様相を呈した。アメリカは中華人民共和国の対日講和参加に反対し、台湾政権を中国の正統政府として対日講和に参加させようとしたが、周恩来首相が強く反発し、英国も台湾の参加に反対するに至り、最終的に米英の妥協案として「“二つの政府”とも招請しないで、独立後の日本にどの政権と講和するかを任せる」ことを決めた。これによって戦勝国であったはずの中国は、対日講和に最も参加の権利を有していたにもかかわらず、逆に敗戦国である日本の選択により講和の相手には選ばれないという前代未聞の事態になってしまったのである。
 こうして、サンフランシスコ対日講和条約は、中国の両政権とも参加しないまま締結されたため、同条約の賠償条項をはじめ対日講和における戦後処理の取り決めのすべてが、日中間の戦争処理に適用することも基準にすることもできないことになったのである。
 日華条約の締結交渉は、1952年2月20日から4月27日まで、2ヶ月以上もかけて台北で行われた。この交渉において、サンフランシスコ講和条約のような全面的な講和を求める台湾側に対し、日本政府は、講和よりも「修好条約」として簡素なものにすることを提案し、賠償に関する条項も削除することを求めていた。このような交渉での綱引きの結果、結局、日華条約本文には、賠償問題に関する規定がなく、その「条約の不可欠の一部をなす条項」としての条約議定書には、「中華民国は、日本国民に対する寛厚と善意の表徴として、サンフランシスコ条約第14条(a)1に基づき日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄する」と記されることになった。すなわち、日華条約の全文と付属文書には賠償という文字さえもなく、台湾側が賠償請求権を放棄したと解釈されることとなったのである。
   ウ 適用範囲の限定された日華条約
 日華条約については、日本政府は当初から適用範囲について限定的であるとはっきり認めている。
 1952年6月26日、参議院外務委員会で、曽祢益(右社)議員は、「ただ一点だけです。従って非常に俗語で申し上げまするが、この日華条約のいろいろなテクニックや綾に拘わらず、この条約によって日本政府はこの中華民国国民政府というものを全面的な中国の主人として承認したものではない、こう考えまするが、その点は総理のはっきりしたお考えを、イエス・オア・ノーでお答え願いたい」と吉田茂首相に直接に質した。この質問に対し吉田首相は、「これは条約にもはっきり書いてありますが、現に中華民国政権の支配しておる土地をもつ中華民国との間に条約関係に入る。将来は将来であります。併し目的は終わりに一中国全体との条約に入ることを希望してやまないのであります」と答えた。さらに曽祢が「総理が、紙差(ママ)でお話にならないで、ずばりと言えば、全面的な承認ではないということでございましょう」と反問し、吉田は「そういうことです」との認識を示した。曽祢も「結構です」と納得した。
 また、1954年12月16日、衆議院外務委員会での、並木芳雄(改進)議員の質問に対し、下田条約局長は「純法律問題として、お答えしたい。要するに日華平和条約におきます日本政府の根本概念は、国民政府と平和条約を結ぶけれども、そのことはいわゆる中国の全領土にこの条約が適用するものであるという見解はとらないということであります。でございますから、ご指摘の交換公文におきまして、平和条約とは申しながら、適用の地域的限界がはっきりあるということを認めた上での条約でございます」と、鳩山一郎内閣の時期も吉田内閣と同じ見解を再確認したのである。
 日華条約については、1972年の日中共同声明によって日本が中華人民共和国政府を唯一の合法政府と認め国交正常化に踏み切った結果、日華条約は終了した、という形で日本政府は問題を処理した。もともと無効であったとする中国側の理解と異なり、日本側は、いまでも日華条約がかつて有効であったとしている。併し、その有効性は、1952年8月5日(発効日)から1972年9月29日(日中国交正常化の日)までであり、その効力範囲は全中国ではなく、中国の一部である台湾地域にしか及ばない(日華条約交換公文第1号により)ことになるはずである。したがって、日華条約に基づく戦後処理の効力も、台湾地域にしか及ばず、日華条約によって、対日戦争賠償請求権の放棄がなされたとしても、それは、台湾地域のそれに限定されたものでしかないのである。
   エ 「賠償請求権」は放棄されていない
     したがって、中国本土における対日戦争賠償請求権は、1952年日華平和条約によっても、1972年の日中共同声明によっても、決して放棄されていないのである。日中共同声明と日中平和友好条約によって、「国際法上は」「決着したものといわざるを得ない」とする原判決の理解は誤りであるといわなければならない。

  (2) 日中共同声明の「賠償請求の放棄」には個人の賠償請求権は含まれない
    第2に、「戦争賠償請求の放棄」は、個人による請求までも含むのか、という点である。この点については、国家が個別の同意なく、個人のもつ賠償請求の権利を放棄できるはずがないことは、あえて多言を要しないところである。
 この当然の道理を、1992年4月、江沢民国家主席は、日中戦争時の民間被害については、相互に協議して条理にかなう形で妥当に解決すべきであることを主張してきた旨発言した。さらに、1995年3月9日、中華人民共和国銭副首相兼外相は、日中共同声明における戦争賠償請求の放棄には、「個人の賠償までは含まれない」、賠償の請求は個人の権利であり、中国政府は干渉すべきでないと明言した。
 当然の道理であるが、この銭副首相兼外相の発言によって、個人請求権がいささかも放棄されていないことは確定していると考えてよい。原判決も、日中共同声明によって個人の請求権まで放棄されたといっているわけではないのである。

  (3) 細菌戦被害の賠償請求は放棄されない
    第3の問題は、ここで中国政府が放棄したとされる「戦争賠償」の被害の範囲の問題である。戦争犯罪行為、とりわけ、細菌戦という人道に反する重大な戦争犯罪行為までも、中国政府が請求放棄=免責したのかどうかである。
 ところで日中共同声明に先立ち、1949年8月12日に成立したジュネーブ諸条約とくに「戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーブ条約(第4条約)」第147条によれば、「殺人、拷問若しくは非人道的待遇(生物学的実験を含む)、身体若しくは健康に対して故意に重い苦痛を与え、若しくは重大な傷害を加えること」と重大な違反行為を規定し、生物学的実験を含む非人道的待遇等の重大な違反行為に対して、賠償請求の免責を禁止した(1953年日本国加入。)。本件細菌戦のような「重大な違反行為」については、請求権を放棄できないのである。
 本件の場合、中国政府が、日本に対する戦争賠償請求を放棄したのは、それによって日本国民を苦しめることが将来の友好の妨げになるという観点からである。周恩来首相は、「我々は両国の人民の友好関係から考え、日本人民に賠償の支払で苦しませたくないから戦争賠償請求権を放棄しようとしたのである」と述べている。
 したがって、そこで想定された賠償の内容は、戦闘行為に伴い中国国家が支出した戦費や、通常の戦闘行為に伴う中国国家が被った物的損害などを念頭に置いたものであり、中国の民間人が被った個別の特別な損害などはもともと含まれていない。
 明白な戦争犯罪によって中国民間人が被った損害についてまで、賠償請求を放棄して犯罪行為を宥恕するなどということは、論外のはずであって、それまで放棄の対象に含めるなどという考えは毛頭ないものというほかない。
 日本軍の将兵に対して比較的寛大であった中国政府も、戦争犯罪に対しては厳しく断罪する姿勢を示してきた。
 中華人民共和国成立後も、中国政府は、戦争犯罪に対しては、それを断罪する態度であり、十分な自己批判なしには、犯人を許さなかった。
 そうした中国政府の対応は、ハバロフスク裁判においても明確に現れている。
 決して、中国政府が、細菌戦被害についてまで、賠償請求を放棄したものではないことは明らかなのである。

 3 結論
 日中共同声明によって中国政府は、細菌戦のような残虐な戦争犯罪についてまで賠償請求放棄を述べているものではない。したがって、本件細菌戦に係る被控訴人の国家責任は、国際法上も何ら解決していない。解決したことを前提とした原判決の立論は誤りである。

 よって、本件細菌戦は、ジュネーブ・ガス議定書を内容とする国際慣習法に違反し、民法709条ないし711条または715条の不法行為に該当する。


第3章 条理に基づく謝罪及び損害賠償請求

第1 原判決は社会的正義に反する

 原判決は、本件細菌戦被害者らに重大な被害の事実が存在すること、さらに細菌戦の行為が、行為当時すでに国際法違反であったことを認めたにもかかわらず、また、賠償立法が戦後50有余年を経た今日に至るも存在せず、被害の救済が全く為されていない現状をふまえた上でもなお、条理に基づく控訴人らの損害賠償請求および補償請求を、以下に詳述するような理由によって認めようとしない。
 このことは、細菌戦の被害の事実を認定しながらも、裁判所がこれを救済せず無責任に放置するものであり、このような原判決は、社会的正義に照らして到底是認されるものではない。 
 よって、裁判所は、迅速な救済の高度の必要性に鑑み、端的に条理に基づいて裁判すべきである。

第2 条理の法源性
  
  条理とは、実定法体系の基礎となっている基本的な価値体系を意味すること、これが単に裁判官の主観の中にだけ存在するものではなく、客観的に社会一般に存在しているものであることは、原判決も認めるところである。
 明治8年太政官布告103号裁判事務心得3条の「民事ノ裁判ニ成文ノ法律ナキモノハ習慣ニ依リ習慣ナキモノハ条理ヲ推考シテ裁判スベシ」という規定、また、スイス民法1条の「文字上または解釈上この法律に規定の存する法律問題に関しては、すべてこの法律を適用する。この法律に規定がないときは、裁判官は慣習法に従い、慣習法もまた存しない場合には、自分が立法者ならば法規として設定したであろうところに従って裁判すべきである」という規定等に定められているのと同様の意味だと解される。
 しかしながら、原判決は、「一般には、具体的な事件の法的価値判断に適するような具体的な判断基準の形をとるものではない(26頁9行目)。」とする。つまり、原判決は、条理は抽象的、多義的、相対的観念であり、条理のみを根拠として個々人に具体的な請求権が生じることはないとするのである。
 しかし、制定法や慣習法のない場合にも、裁判官は裁判を拒むことはできない(憲法32条参照)。そのような場合、裁判官は「条理ヲ推考シテ裁判」すべきものとされる。
 そして、裁判官が具体的事件の解決に際して具体化した条理にしても、当該裁判の既判力は当該事件にしか及ばないから、直ちに法規範になるとはいえないけれども、それでもなお、条理は、裁判官が裁判に際して拠るべき基準の源泉であり、その意味で法源であるということができる(四宮和夫「民法総則」7ページ参照)。
 つまり、制定法や慣習法が当該事件のための判断基準を提供していない場合には、裁判官は条理に従って裁判す