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[控訴人側] 第二準備書面

2002年(ネ)第4815号謝罪及び損害賠償請求控訴事件
控訴人(一審原告) 程 秀 芝  外179名
被控訴人(一審被告) 日 本 国
       

第2準備書面

2003年7月31日

東京高等裁判所第2民事部 御中

            控訴人ら訴訟代理人                
              弁護士   土   屋    公   献

              同   一   瀬    敬 一 郎

同    鬼   束    忠   則

同    西   村    正   治

同    千    田         賢

同   椎    野    秀   之

同   萱    野    一   樹

同   多    田    敏   明

同   池    田    利   子

同   丸    井    英   弘

同   荻    野         淳

同    山    本    健   一

 


第1章 はじめに



  原判決は,ハーグ陸戦条約第3条は,ハーグ陸戦規則違反によって損害を被った個人が加害国家に対して直接損害賠償請求することまでを認めたものではないとした。
 しかしながら,原判決のこの解釈は,明らかに同条約の解釈を誤ったものである。以下に,原判決の誤りを指摘し,控訴人らが被控訴人に対し同条約第3条,およびこれを内容とする国際慣習法に基づき,損害賠償等を請求することができることを明らかにする。


第2章 ハーグ条約第3条に基づく謝罪及び損害賠償請求



第1 ハーグ条約及びこれを内容とする国際慣習法の成立

 「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(以下,「ハーグ条約」という)は,1907年オランダのハーグにおいて開かれた第2回ハーグ平和会議で採択された条約である。同条約には,同会議に参加した44ヶ国が署名し,その効力は1910年1月に発生した。日本は1911年に批准している。
 戦争被害の賠償に関して,ハーグ条約第3条は次のとおり規定する。
 「第三条 前記規則ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ,損害アルトキハ,之カ賠償ノ責任ヲ負フヘキモノトス。交戦当事者ハ,其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ」
 このハーグ条約第3条は,後述するとおり,軍隊構成員が戦争法規に違反する行為をおこなった場合に,その被害者個人が,加害国に直接に損害賠償を請求する権利を定めたものである。

ハーグ条約を内容とするの国際慣習法の成立

 (1) ところでハーグ条約は,制定当時すでに国際的慣習として世界各国で承認されていた内容を条約にしたものであり,第1回ハーグ国際会議の参加国を上回る世界の主要な44ヶ国が参加した国際的な平和会議の総会において全員一致で採択された条約である。また,世界各国は,ハーグ条約の制定以降,同条約の遵守を表明し反対意思を表明する国もなく,かつ同条約の内容は現実に履行されてきた。さらに,同条約に違反する行為が戦争犯罪を構成することは国際的に承認されていた。日本も,批准後の第一次世界大戦に参戦するとき,同条約の遵守を表明すると同時に各国にその履行を要求した。
 以上の事実から,ハーグ条約の内容が,遅くともその効力発生時以降,国際慣習法としても成立していたことは明らかである。

(2) この点は原判決も,「遅くともこのころまで(1911年12月13日にわが国が同条約に関する批准書を寄託した時期)には多数の国家の行態の中に同条約に対する法的確信が確認されるに至り,もって同条約を内容とする国際慣習法が成立していたものと認めるのが相当である。」としている。

(3) したがってハーグ条約第2条には,「第一条ニ掲ケタル規則及本条約ノ規定ハ,交戦国カ悉ク本条約ノ当事者ナルトキニ限リ,締約国間ニノミ之ヲ適用ス」といわゆる総加入条項があり,第2次世界大戦交戦国中には同条約を締結していない国も存在していたが,この条項の故にハーグ条約の適用が排除されるものではない。このことは,ニュールンベルグ国際軍事裁判所及び極東国際軍事裁判所においても明示されており,疑問の余地はないところである。

第2 細菌戦の陸戦規則違反

陸戦規則中,細菌戦については,同則第23条が関係する。その1項本文は,次のとおり規定する。
 「第二三条一項 特別ノ条約ヲ以テ定メタル禁止ノ外,特ニ禁止スルモノ左ノ如シ」
 その禁止事項の各号中,イ号とホ号は次のとおりである。
 イ号 「毒又ハ毒ヲ施シタル兵器ヲ使用スルコト」
 ホ号 「不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器,投射物其ノ他ノ物質ヲ使用スルコト」
 ところで,細菌兵器は,細菌のもつ強力な毒力と感染性により,人に感染し人体に致命的な損傷を与えることを企図した兵器であるから,前記イ号に該当する。また,細菌兵器は,広範な人々に対して長期にわたって悪質な伝染病を蔓延させて,苦痛をもたらすものであるから,前記ホ号にも該当する。
 一方,細菌戦は,1925年6月に署名された「窒息性ガス,毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」(以下,「ジュネーヴ議定書」という)においても禁止されていた。
 すなわち,「この禁止を細菌学的戦争手段の使用についても適用する」と明文で細菌戦は禁止された。
 ジュネーヴ議定書については,これに反対する意思を表明する国家もなく,各国が細菌兵器を使用しないことは現実に守られ,かつ細菌兵器の使用が戦争犯罪を構成することは国際的に承認されていた。したがってジュネーヴ議定書は,遅くともそれが発効した1928年ころには,国際慣習法としても確立していた。日本政府も,同議定書に制定直後に署名しており(ただし,批准したのは1970年),同議定書が国際慣習法の成立していることを充分に認識していた。
また,陸戦規則第25条は,「防守セサル都市,村落,住宅又ハ建物ハ,如何ナル手段ニ依ルモ,之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ズ」と防守されない都市の攻撃を禁止しているが,本件細菌戦がこれに違反していることも明白である。
 よって被告国が行った本件細菌戦は,陸戦規則第23条1項イ号及びホ号,同第25条に違反すると同時に,1925年のジュネーヴ議定書にも違反し,明らかに戦争法規違反である。

第3 ハーグ条約第3条が認める賠償請求権の帰属主体

  ハーグ条約第3条は,交戦当事者が戦争法規に違反する行為をなしたことにより個人に損害を与えた場合には,加害国は被害者個人に対し直接の損害賠償責任を負うことを認めたものであるというべきである。以下詳述する(ハーグ条約の解釈全般については甲4ないし8号証参照)。
  ハーグ条約第3条の趣旨は,軍隊構成員にハーグ規則を遵守させるためには,訓令違反を理由とする軍事刑罰法規による処罰だけでは不十分であるとの根本的な認識に立って,規則違反行為によって個人に生じた損害については,被害者個人が加害国に直接に損害賠償を請求できること,および,その個人の損害賠償請求に対し,加害国は,指揮命令系統の管理・監督の過失が無くても,無過失の責任を負担することを国際法の明文で規定して,軍隊構成員にハーグ規則遵守を徹底させようとしたものである。このように同条約第3条は,軍隊構成員が行ったハーグ規則違反行為について,私法上の不法行為に関する使用者責任と無過失責任の考え方を,加害国に適用しようとするものであった。 
 したがって,ハーグ条約第3条が,軍隊構成員が戦争法規に違反する行為をした場合に,その被害者個人が,加害国に直接に損害賠償を請求する権利を定めたものであることは明白である。
  この解釈は,ハーグ条約第3条の制定経過に照らすと,一層明らかである(ハーグ条約の制定過程については甲4号証,甲216号証参照)。

 (1) ハーグ条約第3条は,同条約が1899年制定の旧ハーグ条約及びその附属規則を修正して制定された際に,新たに創設された規定である。旧ハーグ条約には,戦争被害の補償に関する国家の責任を定めた規定はなかった。ただ付属規則に占領軍が市町村や住民から徴発や課役を受けた場合について「成るべく即金にて支払い,然らざれば領収証を以て之を証明すべし」(52条)とか,占領軍が私人から軍需品を押収した場合について「平和回復に至り,之を還付し,かつ之が賠償を決定すべきものとす」(53条)と定めていただけであった。

 (2) そこで1907年の第2回ハーグ平和会議で,ドイツ代表が,占領地域内外において自国軍隊の構成員がハーグ条約の附属規則違反行為をなした場合,その交戦国が有責であることを認め,その規則違反行為により損害を受けた個人に対して当該交戦国が賠償をすることを要求して,ハーグ条約に次の2つの条文を追加することを提案した。
 「提案第1条 付属規則の条項に違反して中立の者を侵害した交戦当事者は,その者に対して生じた損害をその者に対して賠償する責任を負う。交戦当事者は,その軍隊を組成する人員の一切の行為につき責任を負う。
 現金による即時の賠償が予定されていない場合において,交戦当事者が生じた損害及び支払うべき賠償額を決定することが,当面交戦行為と両立しないと交戦当事者が認めるときは,右決定を延期することができる」
 「提案第2条 付属規則の条項に違反した行為により交戦相手側の者を侵害したときは,賠償の問題は,和平の締結時に解決するものする」

 (3) 右提案の理由に関して,ドイツ代表は,次のような趣旨を説明した。
 「陸戦の法規慣例に関する規則の違反が行われた場合の規定を付加することにより,同規則を補完することを目的とするドイツ提案の理由を簡単に説明したい。
 陸戦の法規慣例に関する条約によれば,各国政府は,同条約付属の規則に従った指令をその軍隊に対して出す以外の義務を負わない。これらの規定が軍隊に対する指令の一部になることにかんがみれば,その違反行為は,軍の規律を守る刑法により処断される。しかし,この刑事罰則だけでは,あらゆる個人の違法行為の予防措置とはならないことは明かである。同規則の規定に従わなければならないのは,軍の指揮官だけではない。士官,下士官,一兵卒にも適用されなければならない。したがって,政府は,自らが合意に従って発した訓令が,戦時中,例外なく遵守されることを保障することはできないであろう。
 かかる状況にあって,同規則の規定の違反行為による結果について,検討しておくべきである。
 『故意によるか又は過失によるかを問わず,違法行為により他人の権利を侵害した者は,それにより生じた損害を賠償する義務をその他人に対して負う。』との私法の原則は,国際法の,現在議論している分野においても妥当する。しかし,国家はその管理・監督の過失が立証されない限り責任を負わないという過失責任の法理によるとするのでは不充分である。このような法理をとると,政府自身には何の過失もないというのがほとんどであろうから,付属規則違反行為により損害を受けた者が政府に対して賠償を請求することができないし,有責の士官又は兵卒に対し損害賠償請求をすべきであるとしても,多くの場合は現実には賠償を得ることができないであろう。
 したがって,われわれは,軍隊を組成する者が行った規則違反による一切の不法行為責任は,軍隊を保有する国の政府が負うべきであると考える。
 その責任,損害の程度,賠償の支払い方法の決定にあたっては,中立の者と敵国の者で区別をし,中立の者が損害を受けた場合は,交戦行為と両立する最も迅速な救済を確保するために必要な措置を講じるべきであろう。一方,敵国の者については,賠償の解決を和平の回復のときまで延期することが必要不可欠である。」

 (4) 審議では,右のドイツ提案の被害者個人が加害国に直接に損害賠償を請求でき,加害国は無過失の責任を負うという基本的内容には全参加国に異論はなく,ロシアやスイスの代表が賛同の発言をした。
 一方,中立国の市民と交戦国の市民とで条文を分けていた点についてフランスやイギリスから質問があったが,ドイツ代表の提案の趣旨は,中立国の市民と交戦国の市民との間で損害賠償について区別をすることを目的とするものではなく,唯一賠償の支払方法についてだけ違いを設けたものだった。

 (5) 結局,審議を行ったハーグ平和会議の第二委員会は,先のドイツ代表の提案中の主眼である提案第1条の部分を基本にして,条文上は中立国と交戦国とを区別しない形で,次のような規定にまとめた。
「本規則の条項に違反する交戦当事者は,損害が生じたときは,損害賠償の責任を負う。交戦当事者は,その軍隊を組織する人員の一切の行為につきその責任を負う」
 総会は,右の規定を全会一致で採択した。起草委員会は,これを条約の付属規則ではなく,条約本文に置くべきであるとし,ハーグ条約の第3条とされた規定が総会で全会一致で採択され,前記ハーグ条約第3条の規定となった。
 このように,ハーグ条約第3条が,その審議過程を見れば,陸戦規則違反行為によって個人に生じた損害については,被害者個人が加害国に直接に損害賠償を請求できることを定めたものであることは明白である。


第3章 原判決の法令解釈の誤り



第1 原判決

 上記の通り,ハーグ条約第3条が,陸戦規則違反行為によって個人に生じた損害については,被害者個人が加害国に直接に損害賠償を請求できることを定めたものであることは明きらかである。
 しかるに,原判決は,ハーグ条約第3条は,個人に損害賠償請求の主体を認めたものではないとした。
 その理由とするところは,およそ次の通りである。
  @ 国際法上の法主体性を認められるのは原則として国家であり,個人は,国際法においてその権利義務について規定され,かつ,個人自身の名において国際的にその権利を主張し得る資格が与えられて初めて例外的に国際法上の法主体性が認められる。
  A 個人が他国の国際違法行為によって損害を受けた場合には,当該個人は加害国の国際責任を追及するための国際請求を提出し得る主体としては認められず,その個人の属する本国が,当該個人の事件を取り上げ外交保護権を行使することによって,自らに対する法的な侵害として引き受け,国家間関係に切り替えて相手国(加害国)に国家責任を追及するものと解されている。
  B ヘーグ陸戦条約3条は,附属規則(ヘーグ陸戦規則)に違反した締約国に損害賠償責任を課しているが,その相手方(損害賠償請求権を有する者)についての文言は存在しない。
  C ヘーグ陸戦条約及びヘーグ陸戦規則には,個人が国家に対して損害賠償を請求することを前提とした手続規定も存在しない。
  D このように,ヘーグ陸戦条約が個人に請求権を認める明文規定を設けていないことは,前示のような国際法の基本的な性格に照らしてみるならば,同条約が国際法上の原則どおり国家と国家との間の権利義務を定め,個人の請求権を認めたものではないことを示していると理解するのが自然である。
  E ヘーグ陸戦条約及びヘーグ陸戦規則の趣旨・目的は,陸戦において軍隊の遵守すべき事項を定め,もって戦争の惨害を軽減しようとする点にあるものと解される。
  F 以上の諸点に照らすと,文脈と条約の趣旨・目的とに照らして与えられる用語の通常の意味に従って解釈する限り,ヘーグ陸戦条約3条の規定は,ヘーグ陸戦規則の遵守を実効化するため,同規則に違反した交戦国の損害賠償責任を定めたものであり,同規則違反によって損害を被った個人が加害国家に対して直接損害賠償請求権を行使することまでを認めたものではないと解される。
  G ヘーグ陸戦条約3条の作成過程において各国代表が意図していたのは,ヘーグ陸戦規則の実効性を確保するため,軍隊構成員が同規則違反行為を行った場合には,当該軍隊構成員の所属する国家の政府に主観的な有責性がなくても当該国家に被害者の属する国家に対する損害賠償責任を負わせることにあり,各国が,当時の伝統的な国際法の枠組みの例外として,個人の加害国家に対する損害賠償請求権を創設することまでを意図していたものとは認められない。
   H ヘーグ陸戦規則52条3項は,徴発の相手方となった住民等になるべく即金で支払うことを求めているが,占領軍が金員の支払をしない場合に住民がその救済を求めるための国際法上の手段は設けられていないから,同条項所定の行為を国家間で合意したものと解するのが妥当である。これらの規定をもって,個人が相手国に対し直接何らかの請求をし得ることを認めたものと解することはできない。
  I ヘーグ陸戦条約および同陸戦規則には,個人が加害国に対する直接の損害賠償請求権を有することを示唆する規定等は一切存在しない。
  J ハーグ条約第3条に基づく個人請求権を認めるだけの実行例が存在しない。

  しかしながら,原判決のあげるこれらの諸点は,いずれも法令の解釈を誤ったものである。
 以下その理由を述べる。

第2 個人の国際法上の法主体性

  原判決は,国際法上の法主体性について次のように述べる。
 「国際法における伝統的な考え方によれば,国際法上の法主体性を認められるのは原則として国家であり,個人は,国際法においてその権利義務について規定され,かつ,個人自身の名において国際的にその権利を主張し得る資格が与えられて初めて例外的に国際法上の法主体性が認められると解されている。」

  個人の国際法上の法主体性について

 (1) 確かに,原判決が述べるように,国際法は伝統的に国家間関係を規律する法であったことから,個人の国際法上の法主体性を認めるには,まず国際法において個人の権利義務について規定されていることが原則として必要である。その限りで,原判決の判断は誤りではない。

  (2) しかしながら,原判決はそれに加えて,「個人自身の名において国際的にその権利を主張し得る資格が与えられて初めて例外的に国際法上の法主体性が認められると解されている。」と述べる。
 この見解は,国際法が個人の権利を承認することのほかに,権利侵害の場合に被害者個人が国際裁判所等の機関に提訴できることが国際法上の法主体たることの要件とするのである。
 したがって,そのように国際的レベルでの権利救済手続の有無で国際法上の法主体性を判定するというのであれば,個人は通常その国際法上の法主体性を否定されることになる。原判決は原則的にその様な立場に立っている。

 (3) しかし,原判決のように,国際的レベルの権利救済手続きの有無で,個人の国際法上の法主体性を判断するのは誤りである。
 すなわち,たとえば,戦争捕虜は国際慣習法及びジュネーブ条約等の条約によって国際法上の権利義務の享有者たることを明確に認められている。その意味で国際法上の法主体としての地位を承認されているのである(広瀬善男『捕虜の国際法上の地位』日本評論社,1990年,20−21頁)。
 捕虜個人が国際法上の権利義務の主体であるかどうかは,その条約等にその実体的権利義務に関する規定が存在すれば足りるのであって,さらにその条約等で国際的なレベルでの請求権の行使機会(手続き)が与えられているかどうかとは関係がないのである。
 また,たとえば,国際人権規約等,個人の権利を明文で承認した人権条約においては,権利の保持者としての個人の法主体性は,国際的な手続の有無にかかわらず認められている。
 つまり,人権条約の場合,個人は国際法上の実体的権利を明確に認められており,国際的平面での権利実現手続が整備されていなくとも,各国の国内法体制に従い国内的平面でその実現を求めることができる。
 日本は市民的及び政治的権利に関する国際規約を批准している一方で,国際的な個人通報手続を定めた同規約の第一選択議定書には加入していない。 しかし,それにより日本の管轄下にある個人は同議定書上の手続は利用できないにしても,日本では国際条約をそのまま国内法として受容する体制がとられている以上,日本の国内裁判所で同規約を援用して権利の実現を求めることはできる。同規約の規定に基づいて個人の権利を認めたこれまでの日本の多くの判例はすべて,規約という国際法上の個人の権利を国内的レベルで実現しているのである(甲223,224号証)。

 (4) このように,国際法上の問題に対する管轄権は「必ずしも国際裁判所その他の国際機関に専属するわけではな」く,「いずれかの国の国内裁判所であっても,その国内法により国際法上の問題に対する管轄権が与えられ,かつ国際法に準拠してこの管轄権を行使している限りは,国際管轄権の行使を分担しているとみなすことができる」のである(山本草二『国際法(新版)』有斐閣,1994年,166頁)。
 したがってこの場合には,国内裁判所によっても個人の国際法上の権利義務の実現と執行を担保できるのである。
 結局,個人の国際法上の法主体性いかんは,当該国際法が個人の実体的な権利義務を認めていることを基本的な判断基準とし,権利義務の実現ないし追及は二次的な段階として,国際的又は国内的機関いずれかに委ねられているのである。

 (5) 原判決が,国際法上の個人の法主体性を認めるためには,その実体的な権利義務の承認だけでは足りず,その実現のための国際法上の手続きがなければならないとしたのは明らかに誤りである

第3 個人の国際法上の損害賠償請求と外交保護権について

  原判決は,この点に関し以下のように述べる。
 「個人が他国の国際違法行為によって損害を受けた場合には,当該個人は加害国の国際責任を追及するための国際請求を提出し得る主体としては認められず,その個人の属する本国が,当該個人の事件を取り上げ外交保護権を行使することによって,自らに対する法的な侵害として引き受け,国家間関係に切り替えて相手国(加害国)に国家責任を追及するものと解されている。」

 しかしながら,原判決のかかる解釈も誤りである。この点に関しては,後の第9において反論する。

第4 原判決のハーグ条約3条に関する解釈の誤り

  原判決は,ヘーグ条約第3条の文言に個人が損害賠償請求権を保有することについて記載されていないことを以て,同条の趣旨がそれを根拠づけないものと文理解釈している。すなわち,
「ヘーグ陸戦条約3条は,『前記規則ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ,損害アルトキハ,之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。交戦当事者ハ,其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ。』と規定して,附属規則(ヘーグ陸戦規則)に違反した締約国に損害賠償責任を課しているが,その相手方(損害賠償請求権を有する者)についての文言は存在しない。
 また,ヘーグ陸戦条約及びヘーグ陸戦規則には,個人が国家に対して損害賠償を請求することを前提とした手続規定も存在しない。
 このように,ヘーグ陸戦条約が個人に請求権を認める明文規定を設けていないことは,前示のような国際法の基本的な性格に照らしてみるならば,同条約が国際法上の原則どおり国家と国家との間の権利義務を定め,個人の請求権を認めたものではないことを示していると理解するのが自然である。」と述べる。

  しかし,まずハーグ条約第3条の文言について,賠償請求権者が被害者個人であるのか,被害者の所属する国家のみかという点について,原判決のように,個人に損害賠償請求権を認めたものではないと直ちに結論するのは,解釈の範囲を明らかに逸脱している。
 同条の起草過程におけるドイツ代表の提案の「第1条 この規則の条項に違反して中立の者を侵害した交戦当事者は,その者に対して生じた損害を賠償する責任を負う」には,「その者に対して」と賠償する対象が明確に表現されていたが,採択されたハーグ条約第3条においては,その文言が抜けている。
 しかし後に詳しく述べるとおり,審議の結果,被害者個人が損害賠償請求をすることができないから「その者に対して」という文言が削除されたのではなく,単なる用語の使用方法の問題と解するべきである。
 即ち,ドイツ民法中,不法行為を規定する基本条文823条第1項は,「故意又は過失により他人の生命,身体,健康,自由,所有権又はその他の権利を違法に侵害したものは,その他人に対してこれによって生じた損害を賠償する義務を負う」とあるのに対して,同じく,フランス民法典の第282条は,「他人に損害を生じさせる人の行為はいかなるものであってもすべて,過失によってそれをもたらした者に,それを賠償する義務を負わせる」と規定するにすぎず,賠償すべき相手方に対する記載がない。フランス民法で相手を特定する条項がないからといって,義務の相手方はドイツ民法と同様,権利侵害を受けた者であることは明らかであって,これは単にドイツ語の表現の如く細かに言葉の上で表現していないだけにすぎない。ちなみに,この点はフランス民法を継承したものとされる我国の民法709条,国家賠償法1条も同様で.,賠償義務の相手方は直接表現されていないが,だからと言って民法709条や国家賠償法1条の請求権者について疑問が生じないのと同様である。
 ハーグ条約の正文が仏文であることを考え合わせれば,原判決が,同第3条に,「その相手方(損害賠償請求権を有する者)についての文言は存在しない」ことから,賠償請求権者に被害者個人は含まないと解釈するのは明らかに,文理解釈の範囲を逸脱したものである。

  現にハーグ陸戦規則第52条第3項を見ると左のとおりである。
 同規定は,『現品ノ供給ニ勘シテハ成ルヘク即金ニテ支銑ヒ然ラザレハ領収謹ヲ以テ之ヲ護明スヘク且成ルヘク速ニ之ニ劃スル金額ノ支沸ヲ履行スヘキモノトス』とする。
 同規定は,被占領地の市区町村または住民に対する徴発について,その対価を即金,そうでなければ領収証を発行してなるべく速やかに支払うべきものとするもので,支払いの相手は徴発を受けた市区町村または住民個人であることは明白である。
 しかし,ここでは支払いを受ける相手方は別段明示されていないのである。
 このようにしてみると,個人が損害賠償請求権を保有することについて記載がないことをもって,直ちに被害者の所属する国にのみ請求権を与えたのみであると解釈することは,文理解釈の範囲を逸脱しているということが明らかとなる。

  したがって,条約法条約第31条1項の文理解釈によっては,ハーグ条約第3条が,賠償請求権者に被害者個人を認めたものか,被害者の所属する国家のみかについては,明確にし得ないのである。
 そうすると条約法条約第31条第3項及び第32条に基づき,条約の起章過程や事後の慣行即ち実行例等を考慮して解釈する必要がある。

第5 ハーグ条約の趣旨・目的について

  原判決は,この点について次のように述べる。
 「ヘーグ陸戦条約及びヘーグ陸戦規則の趣旨・目的は,同条約及び同規則の規定に照らすと,陸戦において軍隊の遵守すべき事項を定め,もって戦争の惨害を軽減しようとする点にあるものと解される。もとより,戦争の惨害は最終的には個人に帰するものであるから,同条約及び同規則の究極の趣旨・目的は,陸戦の過程における非戦闘員を含めた個人の保護にあると解することができる。しかし,国際法の存在形式としての「条約」の基本的な性格やヘーグ陸戦条約及びヘーグ陸戦規則の規定内容に照らすと,同条約及び同規則の直接的な趣旨・目的は,各締約国の軍隊の規制の点にあると解するのが相当である。」
 「以上の諸点に照らすと,文脈と条約の趣旨・目的とに照らして与えられる用語の通常の意味に従って解釈する限り,ヘーグ陸戦条約3条の規定は,ヘーグ陸戦規則の遵守を実効化するため,同規則に違反した交戦国の損害賠償責任を定めたものであり,同規則違反によって損害を被った個人が加害国家に対して直接損害賠償請求権を行使することまでを認めたものではないと解するのが相当である。」

 「趣旨・目的」による解釈
 原判決は,上記の通り,「もとより,戦争の惨害は最終的には個人に帰するものであるから,同条約及び同規則の究極の趣旨・目的は,陸戦の過程における非戦闘員を含めた個人の保護にあると解することができる。」としながら,「しかし,国際法の存在形式としての『条約』の基本的な性格やヘーグ陸戦条約及びヘーグ陸戦規則の規定内容に照らすと,同条約及び同規則の直接的な趣旨・目的は,各締約国の軍隊の規制の点にあると解するのが相当である。」としている。
 しかし,「国際法の存在形式としての『条約』の基本的な性格やヘーグ陸戦条約及びヘーグ陸戦規則の規定内容に照らすと」と述べる部分は,その意味がまったく不明である。ハーグ条約の基本的な性格やその規定の内容を確定するための作業として条約の趣旨・目的を解明しようとしているとき,その解明の木的たる条約の基本的性格や規定の内容を根拠に持ち出すのは明らかにトートロジーを犯している。
 ハーグ条約の趣旨目的は,原判決が述べるように,究極には陸戦の過程における非戦闘員を含めた個人の保護にあるということができ,そのために各締約国の軍隊の行為を規制をするだけでなく,この規制を担保しかつ被害を受けた個人を救済することをも含む解することができるのである。
 そうであれば,ハーグ条約の趣旨目的からだけでは,同条約が個人請求権を認めたものであるかどうかを確定することは困難であると言わなければならない。もちろん,個人の損害賠償請求権を認めたものであると解釈することが,同条約の趣旨目的に矛盾するものでないことは明らかである。
 そうするとここでも,条約法条約第31条第3項及び第32条に基づき,条約の起章過程や事後の慣行即ち実行例等を考慮して解釈する必要があるのである。

第6 ハーグ条約第3条の起草過程について

  原判決は,この点について,以下の通り述べる。
 「ヘーグ陸戦条約3条の作成過程に関し,次の(ア)から(ケ)までの事実を認めることができる。
 
 (ア) ヘーグ陸戦条約3条の規定は,1899年の第1回ヘーグ平和会議において採択された陸戦の法規慣例に関する条約(以下「旧ヘーグ陸戦条約」という。)及び陸戦の法規慣例に関する規則(以下「旧ヘーグ陸戦規則」という。)の修正として,1907年(明治40年)の第2回ヘーグ平和会議で検討された。
 まず,ドイツ代表が,以下のような規定を新たに設けることを提案した。
 第1条 この規則の条項に違反して中立の者を侵害した交戦当事者は,その者に対して生じた損害をその者に対して賠償する責任を負う。交戦当事者は,その軍隊を組成する人員の一切の行為に付き責任を負う。(下線は引用者。以下同じ)
 現金による即時の賠償が予定されていない場合において,交戦当事者が生じた損害及び支払うべき賠償額を決定することが,当面交戦行為と両立しないと交戦当事者が認めるときは,右決定を延期することができる。
 第2条 (同規則の)違反行為により交戦相手側を侵害したときは,賠償の問題は,和平の締結時に解決するものとする。

 (イ) ドイツ代表は,提案理由を以下のとおり説明した。
 「陸戦の法規慣例に関する条約(旧ヘーグ陸戦条約)によれば,各国政府は,同条約付属の規則(旧ヘーグ陸戦規則)の規定に従った指令をその軍隊に対して出す以外の義務を負わない。これらの規定が軍隊に対する指令の一部になることにかんがみれば,その違反行為は,軍の規律を守る刑法により処断される。しかし,この刑事罰則(だけ)では,あらゆる個人の違反行為の予防措置とはならないことは明らかである。同規則の規定に従わなければならないのは,軍の指揮官だけではない。士官,下士官,一兵卒にも適用されなければならない。したがって,政府は,自らが合意に従って発した訓令が,戦時中,例外なく遵守されることを保障することはできないであろう。
 かかる状況にあっては,同規則の規定の違反行為による結果について,検討しておくべきである。『故意によるか又は過失によるかを問わず,違法行為により他者の権利を侵害した者は,それにより生じた損害を賠償する義務を右他者に対して負う。』との私法の原則は,万民法の,現在議論している分野においても妥当する。しかし,国家はその管理・監督の過失が立証されない限り責任を負わないという過失責任の法理によることとするのでは不十分である。(このような法理を採ると)政府自身には何の過失もないというのがほとんどであろうから,同規則の違反により損害を受けた者が政府に対して賠償を請求することができないし,有責の士官又は兵卒に対し賠償請求をすべきであるとしても,多くの場合は賠償を得ることができないであろう。
 したがって,我々は,軍隊を組成する者が行った規則違反による一切の不法行為責任は,その者の属する(軍隊を保有する)国の政府が負うべきであると考える。
 その責任,損害の程度,賠償の支払方法の決定に当たっては,中立の者と敵国の者で区別をし,中立の者が損害を受けた場合は,交戦行為と両立する最も迅速な救済を確保するために必要な措置を講じるべきであろう。一方,敵国の者については,賠償の問題の解決を和平の回復の時まで延期することが必要不可欠である。」

 (ウ) ロシア代表は,ドイツ代表の提案を支持し,次のとおり述べた。
 「我々は,先程この会議に提案を行った際,戦時における平和市民の利益を念頭に置いていたが,ドイツ提案はその同じ利益に合致するものであると考える。我々の提案は,1899年条約(旧ヘーグ陸戦条約)の実施にあたりこれらの市民に課せられる苦痛を和らげることを目指すものであった。ドイツ提案は,この条約の違反によりこれら市民に対し生ずる損害を想定したものである。これら2つの提案の根底にある懸念は正当なものであり,それ自体として国際的合意の対象となって然るべきであると考える。」

 (エ) フランス代表は,ドイツ提案が中立国の市民と交戦国の市民とで扱いを異にしている点に疑問を呈して,次のように述べた。
 「ドイツ提案は,非常に深刻な別の根本的反対を引き起こす。即ち,この提案は,今まさに第2小委員会が議論している中立国の者の処遇についてのドイツ提案に見られる,中立の問題に関するドイツ代表団の非常にはっきりした主張の直接の帰結と考えられ得るのである。この主張は,中立国の国民と侵略地又は占領地に居住する交戦国の国民とを区別し,前者に有利な地位を与え,彼らにいわゆる中立の配当を認めんとするものである。
 私はここで,仏代表団は如何なる意味においてもこの考え方を受け入れることはできず,個人のためにとられる保護措置は,『中立の者』か『交戦相手側の者』かにより区別を設けることなく,全ての者に対し同様に適用されるべきであると考える旨繰り返したい。ドイツ代表団により提案された文案は,まさにこの区別を確立せんとしているようである。なぜなら,その第1条においては『中立の者』に対する損害についてしか語られず,『交戦相手側の者』は第2条においてしか扱われていないからである。……
 ……現代の戦時規則により徐々に支配的となりつつある考え方,即ち,保護的措置であれ抑圧的措置であれ,敵対行為に参加しない全ての個人を完全に平等に扱おうとする考え方に従えば,保護的措置が中立の者に限定されるのは受け入れられない。」

 (オ) スイス代表は,以下のように述べて,フランス代表の疑問に反論しドイツ代表の提案に留保なく賛成した。
 「この提案が認めさせようとしている原則は全く正当なものであり,1899年規則(旧ヘーグ陸戦規則)の実際上の穴を埋めるものであるといえる。
 ……
 ドイツ提案の内容そのものについては,これが中立の者に許し難い特権を与えるというのは誤りである。この提案が提示している原則は,損害を受けた全ての個人に対し,敵国の国民であるか中立国の国民であるかを問わず,適用可能である。これら2つのカテゴリーの被害者,即ち権利保有者の間に設けられた唯一の区別は,賠償の支払いに関するものであり,この点に関する両者間の違いは,物事の性質そのものにある。中立の者に対する賠償の支払いは,責任ある交戦国が被害者の国とは平時にあり,また,平和な関係を維持しており,両国はあらゆるケースを容易にかつ遅滞なく解決し得る状態にあるため,大抵の場合,即時に行い得るであろう。このような容易さないし可能性は,戦争という一事により,交戦国同士の間では存在しない。賠償請求権は中立の者と同様各々の交戦国の者についても生ずるが,交戦国同士の間での賠償の支払いは,和平を達成してからでなければ決定し実施することはできないであろう。」

 (カ) ドイツ代表は,自分自身もできない最高の弁明をしていただいたと,スイス代表の発言に対し感謝の意を表した。

 (キ) イギリス代表は,フランス代表の懸念を共有し,ドイツ提案がこれまでなかった特権を中立国に与えるものであることを理由にこれに同意できないとし,次のように述べた。
 「第1条が中立の者に対し,受けた損害の賠償を交戦当事者に要求する権利を与えているのに比べ,第2条では,交戦相手側の者については賠償は和平の締結時に解決するとしている。したがって交戦相手側の者にとっては,賠償は平和条約に盛り込まれる条件次第,交戦国間の交渉の結果としての条件次第ということになる。
 私は,(陸)戦の法規慣例の違反の被害者に対し交戦当事国が賠償をなすべき責任を否定するものではなく,英国は如何なる意味においてもこの責任を免れようとしているわけではない。ただ,このような違反及び生じた損害の範囲を確定することが,しばしば非常に困難であることを指摘したい。原則を示すことはたやすいが,問題を解決すべき国家間の良好な関係を害する反対の声を引き起こすことなく,その原則を適用することは,大変困難である。」

 (ク) ドイツ代表は,フランス代表及びイギリス代表の発言に対し,ドイツ提案の第2条の解釈について誤解があるとし,この条文が「中立の者」と「交戦相手側の者」との間に設けている唯一の差異は,賠償の支払方法についてであると述べた。

 (ケ) 以上の検討を経て,検討委員会が,ドイツ提案を「本規則の条項に違反する交戦当事者は,損害が生じたときは,損害賠償の責任を負う。交戦当事者は,その軍隊を組成する人員の一切の行為につき責任を負う。」との規定にまとめ,この規定が全体会合において全会一致で採択され,最終的に規則中ではなく条約(ヘーグ陸戦条約)の本文に3条として盛り込まれた。
 なお,この規定の作成過程においてされた発言の中には,附属規則違反の行為によって損害を受けた被害者個人が加害国に対し直接損害賠償請求権を有することを明確に肯定又は確認した発言はなく,また,個人が損害賠償請求権を行使する手続や制度に関する発言もなかった。」
 「以上の事実に基づいて検討するに,第2回ヘーグ平和会議においてドイツ代表団が提案した案文には,その第1条において「その者に対して生じた損害をその者に対して賠償する責任」という表現があり,この部分だけをみる限り,賠償を受ける者,すなわち賠償請求権を有する者は被害者であると考えられているという見方も全く不可能なわけではない。しかし,ドイツ提案は,その案文全体を見ると,生じた損害及び支払うべき賠償額が「国家間」で「決定」されることを前提として(第1条にも「交戦当事者が生じた損害及び支払うべき賠償額を決定する」という文言が使用されている。),被害者が中立国の者である場合と交戦国の者である場合とで加害国と被害者の属する国との関係の相違に基づきその決定の時期を区別するという内容であったと解するのが自然な理解である。現に,賠償額の決定及び支払が国家間で行われることを前提としてドイツ提案に賛意を示したスイス代表の意見に対しドイツ代表団が何ら異論を挟まず感謝の意を表したことも,この点を裏付けるものといえる。
 そして,その他の各国代表団の中に,ヘーグ陸戦条約3条の規定がヘーグ陸戦規則違反の行為によって被害を受けた個人が加害者の属する国家に対し直接損害賠償請求権を行使することができることにする趣旨を含むことを明言したものはないし,個人にそのような権利を付与することの是非やその具体的な手続について議論されることも全くなかった。
 さらに,ドイツ提案にあった「その者に対して」という文言は,最終的に採択されたヘーグ陸戦条約3条においては削除されているのである。
 以上のような諸点に照らせば,ヘーグ陸戦条約3条の作成過程において各国代表が意図していたのは,ヘーグ陸戦規則の実効性を確保するため,軍隊構成員が同規則違反行為を行った場合には,当該軍隊構成員の所属する国家の政府に主観的な有責性がなくても当該国家に被害者の属する国家に対する損害賠償責任を負わせることにあり,各国が,当時の伝統的な国際法の枠組みの例外として,個人の加害国家に対する損害賠償請求権を創設することまでを意図していたものとは認められない。」
 とするのである。
 また,ハーグ陸戦規則52条および同53条に関して,原判決は,
 「原告らは,ヘーグ陸戦規則52条,53条が,被押収者個人に対し返還請求権及び損害賠償金の請求権を付与していると主張している。
 確かに,同規則52条3項は,徴発の相手方となった住民等になるべく即金で支払うことを求めている。しかし,占領軍が金員の支払をしない場合に住民がその救済を求めるための国際法上の手段は設けられていない。また,同規則53条2項ただし書では,平和回復の時に還付や賠償が「決定」されるとしているから,この条項は,平和回復後の国家間の交渉により還付や賠償が決定されることを予定しているとみるのが合理的である。したがって,これらの規定は,同条項所定の行為を国家間で合意したものと解するのが妥当である。よって,これらの規定をもって,個人が相手国に対し直接何らかの請求をし得ることを認めたものと解することはできない。」
 とする。
 しかしながら,以下に述べるとおり,原判決の上記解釈はいずれも誤っている。

  起草過程からの解釈

 (1) 原判決が起草過程に関し自ら引用した審議内容に関する事実に照らせば,原判決の認定がこれに反するものであることは明らかである。
 即ち,まず第1に,ドイツ代表の修正案提案の第1条の文言には「この規則の条項に違反して中立の者を侵害した交戦当事者は,その者に生じた損害をその者に対して賠償する責任を負う」と「その者に対して賠償する」ことが明確に顕れている。しかし原判決は,これを故意に無視している。これは,原判決の議事録検討の決定的な重大な誤りである。
 第2に,原判決は,審議過程について次のようにドイツ代表の提案理由説明を引用している。 「(このような法理を採ると)政府自身には何の過失もないというのがほとんどであろうから,同規則の違反により損害を受けた者が政府に対して賠償を請求することができないし,有責の士官又は兵卒に対し賠償請求をすべきであるとしても,多くの場合は賠償を得ることができないであろう。
 したがって,我々は,軍隊を組成する者が行った規則違反による一切の不法行為責任は,その者の属する(軍隊を保有する)国の政府が負うべきであると考える。」
 上記の提案理由の内容は明白である。すなわち,ハーグ陸戦規則につき軍事刑罰法規による処断だけでは違反行為は予防できず,違反行為は生ずる。そして違反行為が生ずる限り被害者個人の救済を考慮すべきであり,被害者が損害の賠償を得ることをより確実にするために,被害者が直接に軍隊の構成員の所属国に損害賠償を請求できるようにすべきであり,かつその場合の国の責任は無過失責任であることを明らかにしたのである。
 また,同議事録に明白であるように,ここでは,ハーグ陸戦規則違反の行為による被害者個人が有責の士官または兵卒に対し損害賠償を請求できることが前提とされていることに注意するべきである。被害者個人が有責の士官または兵卒に損害賠償の請求権を有していることは当然の前提ではあるが,それだけでは実際上賠償を得るこどはできないであろうから,加害者の所属する国家に無過失の責任を負わせるべきであるというのである。

 (2) 以上,同議事録は賠償請求権者が被害者個人であることを明白に示している。原判決自身が引用しているドイツ修正案の文言,及びドイツ代表の同修正案提案理由説明は,原判決の認定とは異なり,賠償請求権者は被害者個人であることを文言上明らかに示しているのである。
 原判決の認定は明らかに誤りである。

 (3) さらに,同じく原判決が引用しているフランス代表,.スイス代表及び英国代表の発言には,全て賠償請求権者は被害者個人であることが文言上明示されている。前記ドイツ修正案の文言及び同修正案提案理由の説明についての議事録の文言を前提にし,その文脈において各国代表の発言を解釈すれば,賠償請求権が少なくとも被害者個人にあることが基本であることは容易にかつ確実に理解できる。
 フランス代表は,「中立の者」が,和平の回復の時まで待たず「交戦行為と両立する最も迅速な救済を確保される」のと同じように,「交戦相手国の者」が救済されるべきだと主張しており,損害賠償請求権者が被害者個人であることを明らかにしている。
 スイス代表の発言は,「賠償請求権は中立の者と同様各々の交戦国の者においても生ずるが」と,賠償請求権者が個人であることを明瞭に示している。
 さらに英国代表の発言を見と,「(陸)戦の法規慣例の被害者に対し,交戦当事国が賠償をなすべき責任を否定するものではなく」と,賠償請求権者が被害者個人であることが明示的に前提とされていることがわかる。

 (4) 以上のとおり,議事録における修正案の条文,同提案理由及ぴ各国代表の発言における論点,発言相互の関係を見ると,賠償請求権を保有するのは被害者個人であることは議論の大前提であり共通の基盤なのである。
 議事録の検討においては,各国代表の発言をその相互の関係において,かつ全体として考察するべきである。原判決はこうした検討を怠っていると言わなければならない。

 (5) 加えて,原判決は,控訴人提出のカルスホーベン,エリック・ダヴイド及びクリストファー・クリーンウッドの各専門意見書を故意に無視している。
 しかしながら,ハーグ条約第3条についての議事録の検討から,個人請求権を根拠づけるカルスホーべン専門意見書,及びこれを支持し,同議事録を綿密に分析・検討したエリック・ダヴイド専門意見書を検討すれば,同条約3条に関する審議において,被害者個人の加害国に対する損害賠償請求権が存在することは自明のこととされていたことが一層明らかになる。

 (6) 原判決はまた,ドイツ提案にあった「その者に対して」という文言は,最終的に採択されたハーグ条約3条においては削除されいるという点を個人請求権の否定の根拠にしている。
 しかしながら,既に述べたように,ドイツの修正案やこれに対する各国の代表者の発言が,被害者個人に損害賠償請求権を与えることを当然の前提としていたことは明らかであり,かつその審議過程において,加害国が責任を負うべき「相手方」を「削除」するかどうか,すなわち個人に請求権を認めるかどうかについはまったく問題とされおらず,その点について何ら審議されていないという事実を見れば,採択された成文に,ドイツ修正案の上記文言がないことをもって,個人請求権否定の根拠とすることは,到底認められないのである。
 審議過程で何ら問題にもならず,削除が問題とならなかったという事実からすれば,むしろドイツ修正案と採択されたハーグ条約第3条は,個人の損害賠償請求権を認めるという点において同一であると解釈するのが自然である。

 (7) 以上の通り,ハーグ条約第3条に関する審議過程からすれば,同条が被害を受けた個人が直接に加害国に対しその損害の賠償を求めることができることを認めた規定であることは,極めて明白であると言わなければならない。
 これを否定した原判決には重大な法解釈の誤りがある。

第7 戦時国際法における個人の権利の承認:戦時国際法の特殊性について

  原判決は,ヘーグ陸戦条約および同陸戦規則には,個人が加害国に対する直接の損害賠償請求権を有することを示唆する規定等は一切存在しない,とする。
 しかしながら,この原判決の解釈も誤りである。以下に,いわゆる戦時国際法における個人の権利の承認について指摘し,併せてハーグ条約がまさにその様な意味での戦時国際法であり,同条約および規則が個人の損害賠償請求権を認めたものであることを明らかにする。

  ハーグ条約のような戦時国際法ないし交戦法規は元来,個人の権利義務の承認という点で,国際法の他の分野に比して特別の性格をもつ法体系である。捕虜をはじめ,交戦従事者は国際法上で権利を享有し義務を課されているものである。
 交戦に従事する軍隊構成員が交戦法規に直接に拘束され,違反行為については構成員個人が相手国のないし国際的な軍事法廷で処罰されうることは,国際慣習法上確立している。すなわち,「主権国家のみが国際法の主体であるとの観念が一般的であった第2次大戦前においても,交戦法規上では特別のレジームとして個人に対する権利の付与と義務の賦課が長期に亘って承認されてきた」といわれる所以である(甲231号証 広瀬善男著『捕虜の国際法上の地位』1990年23頁)。
 中でも,陸戦に関して,敵国による占領時における住民の私権(私人の生命,身体及び財産)尊重については,18世紀,欧米諸国における自由主義経済の発展や啓蒙思想の登場を背景に,最も早期から国際法の規則が確立した。以下申教授の意見書(甲79号証)に従いその経緯を見ることにする。

  まず敵国内の私権の尊重を二国間条約で初めて明文化したのは,1785年の米国・プロシア間の条約(23条)である。米国(トマス・ジェファソン,ベンジャミン・フランクリンら)の提案になる本条は,締約国間に戦争が発生した場合にも,「非武装かつ非防守の町,村又は場所に居住するすべての女性と子ども,あらゆる分野の学者,農民,工芸家,製造業者,漁師,及び一般に,人類の共通の生存と利益のための職業であるその他のすべての者は,それぞれの雇用を継続することを認められねばならず,戦争の事態によってその権力下に落ちるかもしれない敵の軍隊によってその身体が侵されたり,家屋もしくは物品が燃やされもしくはその他の方法で破壊されたり,田畑が荒廃させられたりしてはならない。但し,もし軍隊による使用のためにいずれかの物をこれらの者から取りたてることが必要な場合には,合理的な額で支払いがなされなければならない」とした。

  こうした戦時における私権尊重の原則の有力な理論的根拠となったのは,「戦争は人と人との関係ではなくて,国家と国家の関係なのであ」り,「正しい君主は,敵国において,公有財産はすべて没収してしまうが,個人の生命と財産は尊重する」とした啓蒙思想家ジャン・ジャック・ルソーの説であった(竹本正幸『国際人道法の再確認と発展』1996年,39−40頁)。
 さらに,私権尊重の観念は,フランス革命の人権理念によって一層明確に決定づけられた。1791年にフランス立法議会は「フランス国民はいかなる時にも,いかなる人に対しても,万人に同一であるところの権利を尊重し,またフランス軍が占領地の人民に被らせる不本意な損害に対しては賠償をなす」と宣言し,その後も戦時においてこの理念を基本的に踏襲した(同,41頁)。

  19世紀には,私権の尊重は,1863年のリーバー規則,1880年の国際法協会オックスフォード・マニュアルなどによる明文化を経て,戦時国際法の一般原則として慣習法上確立していく。
 リーバー規則とは,アメリカの南北戦争時,リンカーン米大統領が戦時国際法の専門家リーバー博士(軍人でもある)に依頼し,政府軍の訓令のために発行したものであり,戦時国際法の法典化の初の試みとして銘記されるものであると同時に,実戦における国家実行としても重要な意義をもつ。リーバー規則は,後に1874年のブラッセル議定書(未批准),及び1899年・1907年のハーグ条約の法典化の基礎となった。
 オックスフォード・マニュアル(手引き)とは,万国国際法協会(Institute of International Law;1873年に設立。各国の著名な国際法学者からなる学術団体)が戦時国際法の法典化を目的として作成した文書で,オックスフォードにおける会議で最終的に採択したためこのように呼ばれている。

  1899年の第1回ハーグ平和会議で採択されたハーグ陸戦条約及び,続く第2回ハーグ平和会議で採択された1907年のハーグ陸戦条約は,当時の主要国家の大部分の参加のもと,慣習法として存在してきた戦時国際法の規則を法典化した集大成をなすものである。 なお,これらのハーグ条約の起草にあたっては,上述のルソーの考え方を採用した大陸の大多数の国際法学者の通説が,大きな理論的根拠となったといわれている(竹本前掲書,9−10,40−41,46−47頁)。国際法協会によるオックスフォード・マニュアル発表に前後して,オランダ,フランス,ドイツ,スイス,セルビア,スペイン等,主要な各国は自国の軍隊への訓令のためのマニュアルを次々と作成するに至ったが,ハーグ条約の締結後は,例えばイギリスが1903年に,1899年ハーグ条約を中心的な内容とするマニュアルを発行している。
 以下に,リーバー規則に始まる,私権尊重原則にかかわる主な規定をあげる。

 @ 1863年リーバー規則
 「37条 アメリカ合衆国は,占領した敵国において,宗教及び倫理を認め及び保護し,私有財産を厳格に認め及び保護し,住民の身体,特に女性の身体,及び国内関係の神聖さを認め及び保護する。その違反は,厳しく処罰される。...
 38条 私有財産は,所有者による犯罪又は違反により没収されない限り,軍又はアメリカ合衆国の維持又はその他の便益のため軍事的必要によるほかは,押収され得ない。所有者が逃亡していなければ,指揮官は,押収された所有者(owner)が賠償(indemnity)を得られるよう領収証を発行する。」
 
  A 1874年ブラッセル議定書
 「38条 家(family;家族)の名誉及び権利,個人の生命及び財産,並びに個人の宗教的信念及び実践は,尊重されなければならない。私有財産は,没収され得ない。
 42条 徴発は,占領地における指揮官の許可によってのみなされうる。すべての徴発に対しては,賠償(indemnity)が与えられるか又は領収証が発行される。」

 B 1880年国際法協会オックスフォード・マニュアル
 「49条 家(家族)の名誉及び権利,個人の生命,並びに個人の宗教的信念及び実践は,尊重されなければならない。
 54条 私有財産は,個人に属するものであれ会社に属するものであれ,尊重されなければならず,以下の条項に含まれた制限のもとでのみ没収されうる。
 55条 輸送手段(鉄道,船その他),電信,武器及び貯蔵兵器は,会社又は個人に属するものであっても占領者により押収されうるが,和平が行われる際に,可能ならば還付され,及び賠償(compensation)が決定されなければならない。
 60条 徴発物品は,現金で支払いがなされるのでなければ,戦時の取立物であることが領収証により証明される。...

 C 1899年ハーグ条約
 「46条 家(家族)の名誉及び権利,個人の生命及び財産,並びに個人の宗教的信念及び自由は,尊重されなければならない。私有財産は,没収され得ない。
 本条はブラッセル議定書38条とほぼ同一であるが,本条起草の際,私権の尊重を「軍事的必要が許容する限り」として制限しようとしたドイツ代表の提案は,激しい反対にあい退けられている。
 「52条 現品徴発及び課役は,占領軍の必要のためを除いては,市町村又は住民に対して要求することができない。徴発及び課役は,地方の資力に相応し,かつ人民にその本国に対する軍事作戦に加わる義務を負わせない性質のものであることを要する。右の徴発及び課役は,占領地方における指揮官の許可を得なければ,要求することができない。現品の供給に対しては,なるべく即金で支払い,そうでなければ領収証が発行されるものとする。
 53条 一地方を占領した軍は,国の所有に属する現金,基金及び有価証券,貯蔵兵器,輸送材料,在庫品及び部品その他軍事作戦に用いられうる国有動産以外は,押収することができない。
 海事法によって規律される場合を除き,鉄道施設,陸上電信,電話,蒸気船その他の船,貯蔵兵器並びに,すべての種類の軍需品は,会社又は私人に属するものであっても,軍事作戦のために用いられうる同様の物資である。但し,和平の締結時に還付され,かつ賠償が支払われなければならない。」

 D 1907年ハーグ条約
 「46条 家[家族]ノ名誉及権利,個人ノ生命,私有財産並宗教ノ信仰及其ノ遵行ハ,之ヲ尊重スヘシ。私有財産ハ,之ヲ没収スルコトヲ得ス。
 52条 現品徴発及課役ハ,占領軍ノ需要ノ為ニスルニ非サレハ,市区町村又ハ住民ニ対シテ之ヲ要求スルコトヲ得ス。徴発及課役ハ,地方ノ資力ニ相応シ,且人民ヲシテ其ノ本国ニ対スル作戦動作ニ加ルノ義務ヲ負ハシメサル性質ノモノタルコトヲ要ス。右徴発及課役ハ,占領地方ニ於ケル指揮官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ,之ヲ要求スルコトヲ得ス。現品ノ供給ニ対シテハ,成ルヘク即金ニテ支払ヒ,然ラサレハ領収証ヲ以テ之ヲ証明スヘク,且成ルヘク速ニ之ニ対スル金額ノ支払ヲ履行スヘキモノトス。
 53条 一地方ヲ占領シタル軍ハ,国ノ所有ニ属スル現金,基金及有価証券,貯蔵兵器,輸送材料,在庫品及糧抹其ノ他総テ作戦動作ニ供スルコトヲ得ヘキ国有動産ノ外,之ヲ押収スルコトヲ得ス。
 海上法ニ依リ支配セラルル場合ヲ除クノ外,陸上,海上及空中ニ於テ報道ノ伝送又ハ人若ハ物ノ輸送ノ用ニ供セラルル一切ノ機関,貯蔵兵器其ノ他各種ノ軍需品ハ,私人ニ属スルモノトイエドモ,之ヲ押収スル事ヲ得。但シ,平和克復ニ至リ,之ヲ還付シ,且之カ賠償ヲ決定スヘキモノトス。」
 こうして,1907年ハーグ条約(以下,「ハーグ条約」という)によれば,占領地の軍の権力は私権を尊重する義務を負い(46条),略奪は厳禁される(47条)。報道の伝達又は人もしくは物の輸送の用に供される一切の交通機関,貯蔵兵器その他の軍需品は,私人に属する場合であっても押収することができるが,平和回復後に返還及び賠償がなされなければならない(53条第2段)。他方で,占領軍は,占領軍の需要のために現品徴発及び課役を住民に要求することができ,これに対してはなるべく即金で支払うとともに,不可能な場合には領収証を発行し速やかに対価を支払うものとされる(52条)。すなわち,この52条及び53条第2段による徴発・押収は,46条に定められた私権の不可侵の明示的な例外であり,46条を補完するものとして位置づけられる。
 そして,これらの規則を受けて,同条約3条は,「前記規則ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ,損害アルトキハ,之ガ賠償ノ責ヲ負フベキモノトス。交戦当事者ハ,其ノ軍隊ヲ組織スル人員ノ一切ノ行為ニツキ責任ヲ負フ」と定めたのである。
 当時軍隊構成員による違法行為について国が国際的な責任を負うことは確立された国際法の原則であったが,同条は軍隊構成員の「一切の行為につき」責任を負うと無条件に規定し,構成員の資格,過失の存在等の要件なしに構成員のすべての行為の責任を国に負わしめているのである。

  以上の通り,いわゆる戦時国際法においては,伝統的に個人の権利の承認が行われており,まさに,ヘーグ陸戦条約および同陸戦規則は,当時の戦時国際法の集大成として,戦時における個人の権利を明らかにし,かつその侵害に対しては,被害者個人が加害国に対する直接の損害賠償請求権を有することを明示したものである。原判決の解釈が誤っていることは明らかである。

第8 ハーグ条約の実行例について

  原判決は,控訴人らがあげたハーグ条約の実行例について,以下のように述べ,多くの判決のうち個人の加害国家に対する直接の損害賠償請求権を認めたと評価できる国家実行例は1例だけであるから,このような国家実行例の観点からヘーグ陸戦条約3条が被害者個人の加害国家に対する直接の損害賠償請求権を認めたものと解釈することはできないとした。

 (1) エピルス事件判決
原判決は,この判決について次のように述べ,実行例ではないとした。
 「ギリシャに占領されていたトルコ領エピルス島の住民がギリシャ政府を相手として徴発により被った損害の賠償を請求した事案において,アテネ控訴裁判所は,ヘーグ陸戦規則46条及び53条に体現された私的財産の不可侵性を認める国際法の原則が本件にも適用されると述べ,原告の請求を認容した第1審判決を支持した(甲209の1・2)。
 しかし,この判決は,ヘーグ陸戦規則46条及び53条を援用しているものの,ヘーグ陸戦条約3条を請求権の根拠として原告らの請求を認容したものかどうか明らかではない。したがって,この判決をもってヘーグ陸戦条約3条の規定が個人の損害賠償請求権を認めたことを示す国家実行例であると評価することはできない。」
 しかしながら,この判決は,ヘーグ陸戦条約3条を請求権の根拠として原告らの請求を認容したものである。この点は,後に改めて主張立証する。

 (2) 1924年7月15日イギリス控訴院判決
原判決は,この判決について次のように述べ,実行例ではないとした。
 「原告らは,第1次世界大戦中に戦時徴発権に基づきイギリスに財産を押収されたエジプトの商社がイギリス政府に対し損害賠償を求めた事件に係るイギリス控訴院の上記判決が,原告らの主張を基礎付ける国家実行例であると主張している。
 しかし,本件において,同判決が国際法に基づき個人の加害国家に対する損害賠償請求権を認めたものと的確に認めるに足りる証拠はない。かえって,弁論の全趣旨によれば,同判決がイギリスの国内法に基づいて原告の請求を認容した可能性も否定できない。したがって,同判決をもってヘーグ陸戦条約3条の規定が個人の損害賠償請求権を認めたことを示す国家実行例であると直ちに認定することはできない。」
 しかしながら,同判決が国際法に基づき個人の加害国家に対する損害賠償請求権を認めたものである。
 すなわち,本件でイギリス控訴院は,戦時徴発は「国家行為(act of State)」であってイギリスの国内法で明記されない限り損害賠償請求権はないとしたイギリスの主張を退け,国際法に基づき原告への損害賠償を認める判決を下した。判決はこの中で,「国際法は,戦時徴発権という形で,交戦国がその領域内にある中立国民の物資を徴発する権利を認めているが,これは完全な賠償(full compensation)を行うことを伴う権利である」「国際法で認められている戦時徴発権の条件の一つが,中立の所有者に完全な賠償が支払われることであるのは明白である」として賠償の義務を明言し,「我々の国内法が押収の権利を認め,しかし他方で賠償の義務を排除するという理由が見当たらない。そう判断することは,我が国法上,イギリス法に服する者と服さない中立国民との間に顕著な区別を設けることになるだろう」として,中立国民も当然に国際法上の権利を享有すべきことを述べている。
 イギリスは条約に関しては「変型」体制(条約を国内で実施するためには別途国内法の制定を要する)国であるが,本件は,確立された慣習法としての戦時徴発権と賠償義務がイギリスの国法の一部であることから,それに照らして原告の請求を認めたものである。
 このように原判決が,本判決が国際法に基づき個人の加害国家に対する損害賠償請求を認めたものではないとしたのは誤りである。

 (3) 1952年4月9日の旧西ドイツ行政控訴裁判所判決
原判決は,この判決について次のように述べ,実行例ではないとした。
 「第2次世界大戦後ドイツが英国に占領されていた時期に英国占領軍構成員の起こした交通事故の被害者が損害賠償を旧西ドイツに求めた事案で,旧西ドイツのミュンスター行政控訴裁判所は,1952年4月9日,「原告の損害賠償の請求は,国内公法からだけでなく,国際法からも導き出されるものである。1907年ヘーグ陸戦条約3条により,国家はその軍隊に属するすべての人員が犯したすべての行為〔すなわち,規則の違反行為〕について責任を負う。」と判示して,原告の請求を認容した(甲208の1・2)。
 しかし,同判決は,加害行為をした者が属する英国の損害賠償責任を認めたものではないから,これをもってヘーグ陸戦条約3条が個人の損害賠償請求権を認めたことを示す実行例であると認めることはできない。」 しかしながら,第二次大戦後の英国占領地域において施行されたシステムによれば,損害賠償の請求自体は英国占領軍当局に提出され,その請求事務所ないし請求審判所で審査され,法的に支払責任があると判定されなければならない,とされていた。ただその賠償額の決定についてのみ旧西ドイツが算定することになっていたので,この事件では支払額(ひいては損害の範囲)について争いがあったため,裁判においては西ドイツが相手方となったものにすぎないのである。
 従って,原判決のように裁判の相手がドイツ当局であるから,被害者個人が加害国政府を相手とした請求ではないとか実行例ではないとするのは上記システムを全く無視するものであって,誤りである。 本裁判例は,ハーグ条約3条を直接適用したものに他ならない。

 (4) 1997年11月5日ドイツ・ボン地方裁判所判決
原判決は,この判決について次のように述べ,実行例ではないとした。
 「第2次世界大戦中に強制収容所において強制労働に従事させられたユダヤ人が賃金の支払をドイツ政府に請求した事案について,ドイツのボン地方裁判所は1997年11月5日,「侵略者の責任は,すでに両世界大戦の間に国際法の要素となった。その上,占領地の捕虜と一般市民を殺害したり奴隷化したりしてはならないという原則も国際法の一般規則に属しているということについては意見が一致している。この一般規則は,1907年10月18日の陸戦の法規慣例に関するヘーグ第4条約(ヘーグ陸戦条約)にも表現されている。ドイツ帝国は,ヘーグ第4条約を1919年10月7日に批准したので,その規則を遵守しなければならなかった。この条約の附属規則(ヘーグ陸戦規則)52条によると,占領地の市民による課役は占領軍の需要のためにするのでなければ要求することができないし,市民が母国に対する戦争行為に参加する義務も含めてはならない。その上,46条によると,市民の名誉,生命,信仰・宗教は尊重されるべきである。したがって,交戦中のドイツ帝国にとっては,ユダヤ系の市民を軍事工場で,殲滅を目的として非人間的条件下で強制労働させることも禁じられていた。」と判示して,原告の請求を認容した(甲214の1・2)。
 しかし,同判決では,損害賠償の直接の根拠を国内法(民法典)に求めているから(甲246・52ページ),この事例をもって原告らの主張を基礎付ける国家実行例と評価することは相当でない。」
 しかしながら,同判決が,ハーグ条約が相互主義の下で損害賠償責任を課しているわけではないこと,ドイツ連邦憲法25条によってハーグ条約が国内法化されていること,しかも同条約の効力が法律よりも上位におかれていることを根拠としてハーグ条約によりドイツ帝国公務員法の求める相互主義の適用を排除することも判示していることからすると,同判決がハーグ陸戦規則違反の行為に起因する損害賠償責任が個人のために援用できることを明らかにしたものであることは疑いの余地はない。
 東京地方裁判所2001年(平成13年)7月12日判決も「同判決の内容に照らすと,同判決がハーグ陸戦条約3条が個人の国家に対する損害賠償請求権を認める根拠となりうるとする見解を示したものと解する余地はあるというべきである」と述べている。

 (5) 1997年10月30日ギリシャ・レイバディア地方裁判所判決
 原判決は,この判決について次のように述べ,実行例であることを認めた。
 「ギリシャ占領中のドイツ軍が行った残虐行為により被害を受けたギリシャ人がドイツを相手方としてギリシャのレイバディア地方裁判所に提訴した事件(ただし,ドイツは,同訴訟がドイツ国家の主権を害するものであるとの理由から訴状の受領を拒否し,応訴しなかった。)において,同裁判所は,1997年10月30日,同訴訟に対する裁判管轄権を肯定した上,ヘーグ陸戦条約はギリシャによって批准されていないが同条約の内容はギリシャ及びドイツを拘束する国際慣習法の一部となっており,原告らの請求は,ヘーグ陸戦条約及びヘーグ陸戦規則,とりわけ同条約3条及び同規則46条により合法的であって,これらの請求は主権国家により行われる必要はなく個人の資格で行うことも可能であるとして,個人である原告らの損害賠償請求を認めた(甲230の1・2)。
 この判決は,ドイツが訴状の受領を拒否し応訴しなかったのに本案判決をし,かつ,主権国家の他国占領中の行為について主権免除の特権を否定したというものであるが,個人の加害国家に対する直接の損害賠償請求権を認めたものであって,原告らの主張に沿う国家実行例であるといえる。」

 (6) その他の判決について
 原判決は,控訴人らがあげたその他の判決について,本件証拠及び弁論の全趣旨に照らしても,これらの判決が被害者個人の加害国家に対する直接の損害賠償請求権を認めたものと直ちに認めることはできないとした。
 しかしながら,控訴人らがあげる以下の判決例は,ハーグ条約に基づいて下された判決であることは明らかである。これらの点については,当控訴審で改めて主張立証する。

  @ドイツ軍により貨物自動車が押収され,対価の支払いも領収証の発行もなされなかった事案につき,フランスのルーアン控訴裁判所は1947年5月17日の判決で,次のように判示して,元の所有者であるローレへの返還を認めた。「ドイツの行為は徴発ではなく,ハーグ条約53条にいう押収であった。本条は,私人に属する輸送手段の押収は,戦争法によって認められる場合には,これらの個人から所有権を奪うものではなく,単に押収された財産の使用権を奪うのみであると定めている。当該財産は,交戦の終了後,還付されなければならない」(Mortier v.Lauret,H.Lauterpacht ed.,Annual Digest of Public International Law Cases,Year 1947,1951,pp.274-275)。
Aドイツ占領軍のために貸した馬が,その後も返還されず,その後イギリス占領軍,次いでデンマーク政府へと引渡されたため,元の所有者が所有権を主張した事案で,デンマークの西控訴裁判所は1947年7月11日,訴えを認め馬の返還を命ずる判決を下した。「ハーグでの第2回国際平和会議で採択された陸戦規則は,53条第2段において,占領軍は,私人に属するものであっても,とりわけ輸送手段を押収することができると定めている。しかし,本条は,そのように押収された財産は,和平の締結時には還付され,また損害賠償が定められなければならないと付け加えている。ドイツ占領軍による馬の処分が,上述の規則に従って行われた押収といえるかどうかは別にして,控訴人の所有権がそれによって失われたとみることはできない」(Andersen v.Christensen and the State Committee for Small Allotments,H. Lauterpacht ed., Annual Digest of Public International Law Cases,Year 1947,1951,pp.275-276.)。
Bドイツによる北イタリアの占領中,ドイツ当局が,将来の支払いを約束する書類を発行して2頭の牛を徴発し,その後,別の者からの牛2頭の徴発に際して最初の牛を賠償として与えた事例で,イタリアのボローニャ控訴裁判所は1947年5月4日,徴発が必要な限度を超えていたこと,いかなる支払いもなされなかったことを理由として,最初の徴発が違法であったことを認め,牛の返還を命じた(Maltoni v.Companini,H. Lauterpacht ed., Annual Digest of Public International Law Cases,Year 1948,1953,pp.615-618)。
Cドイツ軍によるノルウェーの占領中,ドイツ当局が原告所有の自動車を徴発し,領収証の発行も賠償の支払いもなされなかった事案につき,ノルウェーの控訴裁判所(Haalogaland Lagmannsrett)は1948年3月4日,ハーグ条約52条による徴発が有効であるためには現金の支払いか領収証の発行がなければならないとして,原告の所有権を認めた(Johansen v. Gross,H. Lauterpacht ed., Annual Digest of Public International Law Cases, Year 1949,1955,pp.481-482)。
Dドイツによるオランダの占領中,ドイツの国境税関監視員が,現金支払いも領収証の発行もせずに2台のオートバイを押収した事案につき,オランダの特別破棄院は1950年2月6日,たとえ輸送手段として押収の対象になるとしても,ハーグ条約53条第2段が遵守されなければならないとして,押収を違法と認める判決を下した(In re Hinrechsen,H. Lauterpacht ed., Annual Digest of Public International Law Cases,Year 1949,1955,pp.486-487)。
Eドイツによるデンマークの占領中に代金の支払いなく徴発され,戦後イギリス軍からデンマーク政府の手に渡った2頭の馬につき,元の所有者が所有権を主張した事案で,デンマークのコペンハーゲン東地方裁判所は1947年7月11日,次のように述べて原告の主張を認めた。「第2回ハーグ平和会議で採択された陸戦規則の53条第2段は,他国を占領した軍隊はとりわけ,私人に属するものであっても,輸送手段を押収することができると定めている。しかし,同条は,押収された財産は『和平の締結時に還付され,賠償が決定されなければならない』と付け加えている。このことに照らせば,控訴人の所有権が消滅したと推定することはできない」(Statens Jordlovsudvalg v.Petersen,H. Lauterpacht ed., Annual Digest of Public International Law Cases,Year 1949,1955,pp.506-507.後にデンマーク最高裁もこれを支持)。
Fイギリス占領軍の命令により徴発されたオートバイがその後,以前に徴発を受けた者に対して賠償として渡され,元の持主がハーグ条約53条第2段を根拠に所有権を主張した事案で,オーストリア最高裁は1951年4月18日,1899年のハーグ条約を援用して,原告の主張を認めた。「ハーグ規則の53条第1段によれば,占領軍は,被占領国の所有に属する一定の財産を徴発することができる。かかる財産はそれにより占領国の財産になる一方,同様の規則は,53条第2段に言及された人や物の輸送手段を含む私有財産にはあてはまらない。なぜならば,かかる私有財産は,和平の締結時に返還され,また賠償の問題も決定されなければならないからである。...オートバイは私人の財産であったから,占領国は,ハーグ規則に従い,徴発によってその所有権を取得してはいない...従って原告は,徴発及びその後の移転の結果として,オートバイに対する権利を失っていない」(Requisitioned Property (Austria)(No.1)Case,H. Lauterpacht ed.,International Law Reports,Year 1951, 1957, pp.694-695)。
G米国によるドイツの占領中,米軍によって徴発された自動車が,別の者の使用に割り当てられ,その者が使用している間に盗難にあい紛失したため,所有者が財産の逸失について損害賠償を求めた事案で,ドイツ連邦共和国(西ドイツ)連邦最高裁は1952年2月13日,使用者が賠償責任を負うことを認める判決を下した。裁判所は,ハーグ条約53条に言及して以下のように述べている。「米軍のとった措置にもかかわらず原告がなお車の所有者であったかどうかの問題は,肯定的に答えられなければならない。...ハーグ規則の53条第2段に従い,私人の所有になる輸送手段で,占領軍により徴発されたものは,和平の締結時に還付されなければならない。従って,かかる財産の徴発は収用目的に供してはならず,使用者のためにのみ供しうるものであり,結果として,これにより影響を受けた個人はその所有権を失わない」。そして,車を使用していた被告はその保護のための措置を怠ったとして,賠償責任を認めた(Loss of Requisitioned Motor Car (Germany)Case, H. Lauterpacht ed.,International Law Reports 1952,1957,pp.621-622)。
Hドイツ軍がフランスを占領中,フランスの会社である原告から,きわめて不十分な額の支払いをもって軍用物資が押収され,後にフランス政府機関により敵国財産として没収された後に原告に売却されたため,原告が代金の払い戻しを求めた事案で,フランス破棄院(最高裁)は1957年11月13日,ドイツの行為は略奪として違法であり,原告は合法的な所有者として完全な賠償を得る権利があると判示した(Etablissements Bracq Laurent S.A.v. Service Central des Domaines,H.Lauterpacht and E.Lauterpacht eds., International Law Reports 1957,1961,pp.978-979)。

  以上みたように,ハーグ条約ないしはその国際慣習法に基づいて損害賠償の支払いを認める判断は,国際的な裁判機関のほか,各国の国内裁判所においてもごく日常的に行われてきていることは明らかである。
 これら多数の実行例を見れば,ハーグ条約3条は個人が加害国に対して損害賠償請求を行えることを認めたものであることは疑いを入れない。
 原判決が,これらの実行例について,ヘーグ陸戦条約3条が被害者個人の加害国家に対する直接の損害賠償請求権を認めたものと解釈することはできないとしたのは,重大な誤りである。

第9 国家の外交保護権と個人の請求権との関係

  原判決は,この点に関し以下のように述べる。
 「個人が他国の国際違法行為によって損害を受けた場合には,当該個人は加害国の国際責任を追及するための国際請求を提出し得る主体としては認められず,その個人の属する本国が,当該個人の事件を取り上げ外交保護権を行使することによって,自らに対する法的な侵害として引き受け,国家間関係に切り替えて相手国(加害国)に国家責任を追及するものと解されている。」

  しかしながら,原判決のかかる解釈も誤りである。
 (1) 国家の外交保護権と個人の個別の請求権とは,いうまでもなく,本来別個のものである。国家の請求権は,外交保護権という形で国家間で行使されるのに対し,個人の請求権は,特別の合意があれば国際的手続により(ヴェルサイユ条約の例),それ以外の場合には,各国の国内機関における手続を通して,可能な方法で行使されうる(先にみた多くの国内裁判所の判決の例)。
 (2) もちろん,違法な戦争行為により個人が損害を受けた場合,国家が外交的に解決を図り,結果的に被害者個人に十分な救済が与えられた場合には,当該被害事実に関してハーグ条約3条は完全に履行されたといってよいであろう。しかし,そうでない場合には,個人の請求権は,国家の外交保護権行使にもかかわらず残るのである。
 ハーグ条約3条の本来の目的は違反国の責任及び被害者個人への賠償であるということができるから,国家が外交保護権を行使しない場合,あるいは行使しても個人の被害が実質的に救済されない場合には,被害者個人が自らの立場で,加害国内の国内的手段等を通して救済を求めることを排除するものではないと解さなければならない。国家の外交保護権は,個人の請求を一括する意図で国際的レベルで行使されうるが,それは,個人の一身に専属する請求権を国内手続のレベルにおいても消滅させるものではない。
 (3) 自国民が違法行為により損害を被った場合,本国国家が放棄できるのは外交保護権の行使だけであって,被害者個人の一身に専属する権利を消滅させるわけではないことは,例えば日韓請求権協定との関連で日本政府でさえ認めていることである。
 すなわち,「いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが...これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます」(1991年8月27日参議院予算委員会会議録第3号10頁)と日本政府は述べている。
 (4) 1977年のジュネーブ条約第1追加議定書91条は,ハーグ条約3条の規定をほぼそのまま引き継いだ規定となっているが,赤十字国際委員会はこの議定書に対する注釈書で,「平和条約の締結時に,当事国は原則として,戦争被害一般に関する問題...を適当な方法で処理することができる。他方で,当事国は,...[ジュネーブ諸]条約及び議定書の規則違反の被害者(victims)が受ける権利がある(are entitled)賠償(compensation)を否定することはできない」と明言している(甲212号証 Y.Sandoz et al. eds.,Commnetary on the Protocol Additional to the Geneva Conventions of 12 August 1949,and Relating to the Protection of Victims of International Armed Conflicts (Protocol I),1987,p.1055)。また,同書は,通常は「紛争当事国の不法行為によって損害を受けた,外国籍の者は,自国の政府に働きかけるべきであり,それを受けて政府は違反を行った当事国に申立てを提出するであろう」が,「1945年以降は,個人による権利の行使を承認する傾向が現われている」と述べていることにも注目すべきである(ibid.,pp. 1056-1057)。
 (5) 加えて,最近では,国連人権委員会の下部機関である人権小委員会(人権の促進及び保護に関する委員会)は,1999年8月26日に採択した「武力紛争下の組織的強姦及び性奴隷問題に関する決議」(決議1999/16)の中で,いわゆる「従軍慰安婦」のような戦時性奴隷制の被害者が賠償を求める権利につき,国家間の平和条約はこれらの被害者の権利を剥奪するものではないことを明言するに至っている。

  個人の受けた損害の救済方法を国家による外交保護権行使のみであるとする原判決の立場は,そもそも個人の救済を意図したハーグ条約3条の趣旨目的の実現を阻むことになるうえ,上述の日本政府の公式見解にも合致しない。 損害に対する賠償というハーグ条約の趣旨目的からして,国家間解決でそれが実現されていない限り,その他の国内的手法による救済の道が当然に開かれているとみるべきである。国家が放棄できるのは外交保護権の行使だけであって,被害者個人の一身に専属する権利を消滅させるわけではない。被害者が,加害国の国内的手続によって賠償を求めることは国際法上何ら排除されないのである。
 原判決の上記判断は誤りである。

第10 結び

 以上述べてきたとおり,原判決がなしたハーグ条約第3条に関する解釈は,明らかに誤っており,当控訴審においてこの誤りは是正されなければならない。
 ハーグ条約3条は,その履行のためにいかなる手続的な可能性も排除しておらず,被害者個人が相手国の裁判所において賠償請求を提起することをも決して排除していない。ハーグ条約違反の場合の賠償と責任を明確にするというこの条約の趣旨・目的からは,それが未だ実現されていない現在,呼応訴人らに加害国内裁判所での救済を与えることには何ら法的に問題はないばかりか,適切であり正義にかなうのである。


                                以 上