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細菌戦の新発見資料について

 1937年の日中戦争勃発以降45年の敗戦まで、関東軍防疫給水部、通称731部隊が、中国東北=満洲のハルビン郊外の平房に建設され、少なくとも3000人の中国人などを人体実験の対象として細菌兵器を開発し製造したことは周知のことと思います。日本軍は、731部隊で製造された細菌、とくにペストに感染させたノミを、実際に1940年から中国十数地域で地上で撒いたり、飛行機から散布したりした結果、多数のペスト患者の犠牲者を生み出しました。これまで、1940年10月に浙江省の寧波や衢州(衢県)にペスト感染ノミを投下したこと、翌41年11月に湖南省の常徳に投下したこと、さらに42年の浙かん作戦のとき地上で散布したことなどが、日本軍の作戦日誌やハバロフスク裁判公判書類や中国側の防疫資料によってある程度判明しておりました。戦後補償裁判でも、原告敗訴にはなりましたが、731部隊における人体実験も、細菌戦による各地の犠牲も事実認定されました。だが、細菌兵器の使用を禁止した1925年のジュネーヴ議定書に違反しているにもかかわらず、日本政府は「証拠がない」として細菌を散布した事実を現在にいたっても認めていません。このたび発見された報告書は731部隊の所属する医者が作成したものであり、日本軍が中国で実際に細菌兵器を使用したことを示す確固たる証拠であるという点で、極めて重要な意義をもっています。

 この研究報告書は、国立国会図書館関西部にある約50万点の博士論文のなかから奈須重雄氏が見つけたもので、731部隊所属の金子順一軍医が1949年に東京大学に医学博士号取得のために提出した論文集です。これは1940〜44年に「陸軍軍医学校防疫研究報告」として発表した論文8点をたばねて論文集としていたものですが、8点とも印刷物で、表紙には石井史料部隊長の名前も併記されています。そのなかの「PXノ効果略算法」と題された1943年12月の論文は、(PXとはペスト感染ノミのことです)太平洋や東南アジアでペスト菌を撒くことを想定し、地域や季節による効果を試算した研究ですが、試算の根拠は中国での実際にペスト感染ノミを投下した6つのケースの実戦データです。まず、1940年6月4日に農安(吉林省)でノミ5グラムをまき、1次感染8人、2次感染607人の患者発生に始まり、同年10月27日には寧波で2キロ軍機から投下し、1次・2次感染合計1554人、41年11月4日には常徳に1.6キロ投下し、2810人を感染させたなどと紹介し、6つケースの細菌戦では感染者は計2万5946人に上っています。投下した年月日はこれまで判明していたものと一致しています。

 これまでは1940年の農安のペスト患者は自然発生によるものと思われてきましたが、これが731部隊による細菌散布であったこともはじめて判明しました。、農安から60キロ離れた当時の満州国の首都・新京(現在の長春)でも1940年にペストが大流行し、平房の731部隊本部から防疫隊が新京 ・農安にやってきたのですが、別の731部隊の平沢正欣軍医の博士論文により、この新京のペストが農安の富豪が持ち込んだ犬に付着していたイヌのみを媒介として犬猫病院〔最初の患者が出た犬猫病院で長春駅近くの三角地帯にある)から発生したわかりました。この論文は平沢軍医が1945年に京都大学から医学博士号を得た論文集のなかにあるもので、ここでも石井四郎部隊長との連名の論文があります。40年秋の新京ペストでは28人が感染・死亡し、このうち日本人13人が感染死亡していますが、農安への細菌兵器による攻撃が新京に飛び火し、日本人の一般市民まで犠牲が及んでいたことになります。平沢軍医は敗戦直前死亡しましたが、金子軍医は戦後、武田薬品の山口県光工場に勤務し、ワクチン製造などにかかわりました。

 2人の軍医将校の博士論文集には「陸軍軍医学校防疫研究報告第1部」が11点含まれています。同報告には2種類あり、「第2部」は米国で800点ほど確認されていました(日本で復刻されています)が、表紙に「軍事秘密」と記されている「第1部」は発見例がほとんどありませんでした。


『金子順一論文集(昭和19年)』紹介はこちら


報道
 731部隊が1940年から42年に中国でペスト菌を用いた細菌兵器を6回使用し多数の犠牲者を出したことを示す極秘報告書が発見されました(10月15、16日の新聞報道)。 

 

2011年10月15日
現代中国網(web版)

     

 

韓国(SBS、KBS、YTN、MBL)からも
取材を受けました!


テレビ各局では「細菌戦の極秘文書発見」と報道されました。


(写真をクリックすると拡大します。)

2011年10月15日 朝日新聞

 

2011年10月16日 東京新聞 朝日新聞