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鑑定意見書

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意 見 書

青山学院大学助教授 申 惠



1 はじめに
2 ハーグ条約3条の解釈―被控訴人準備書面の主張を中心に
(1)「締約国間にのみ」条約を適用するとした同条約2条の趣旨
(2)徴発にかかる住民等への金員の支払を規定した同条約52条3項は、住民等が支払請求を求める国際法上の手段を設けていないとの主張について
(3)同条約3条の起草当時の国際法理論について
(4)同条約3条の解釈に関する赤十字国際委員会の見解について
3 国際人道法違反の被害者の損害賠償請求権
(1)国際人道法における私権尊重の原則の確立
(2)ハーグ条約3条の意義
(3)同条の適用―国際的手法と国内的手法
(4)二国間協定と個人請求権の関係
(5)国際人道法及び人権法違反の被害者が救済を受ける権利
4 結び


1 はじめに

 本件は、旧日本軍が第二次世界大戦中に中国大陸において当時の国際法に違反する細菌兵器を用いた戦闘行為(細菌戦)を行い、また国がこれに関する救済措置を取らなかったことについて、被害者たる控訴人らが損害賠償を請求している事案である。控訴人らは請求の根拠として、日本民法の不法行為規定、国家賠償法等のほか、1907年の陸戦の法規慣例に関する条約(ハーグ陸戦条約、以下、ハーグ条約とする)3条ないしこれを内容とする慣習国際法をその柱の一つとしている。第一審の2002(平成14)年8月27日東京地裁判決は、旧日本軍が中国各地で行ったと認定される細菌兵器の実戦使用(本件細菌戦)が1925年のジュネーブ・ガス議定書(「窒息性ガス、毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」)にいう「細菌学的戦争手段の使用」にあたることは明らかであるとした上で、ジュネーブ・ガス議定書のような条約ないしそれを介して成立する慣習国際法による害敵手段の禁止もハーグ条約附属規則(以下、ハーグ規則)23条1項にいう「特別ノ条約ヲ以テ定メタル禁止」に該当し、よって国にはハーグ条約3条の規定を内容とする慣習国際法による国家責任が生じていたとしたが(38〜39頁)、損害賠償請求については、ハーグ条約3条は個人の加害国家に対する損害賠償請求権を創設することを意図していたとはいえないこと(16頁)、ハーグ規則52、53条も個人が相手国に対し直接何らかの請求をし得ることを認めたものとは解しえないこと(17頁)、本件細菌戦にかかる国の国家責任は日中共同声明等により中国との国家間で処理されていること(39〜40頁)、国家賠償法施行前の行為については国家無答責の法理が確立していたこと(43頁)等からこれを退けている。本意見書は、本件で争われている争点のうち、国際法の解釈・適用にかかわる事項について、国際法学者としての見解を申し述べるものである。
 以下では、まず、「被控訴人準備書面(2)」等で国が提出している主張につき、これを検討する形で、ハーグ条約3条の解釈について述べ、これを踏まえつつ、本件細菌戦の被害者が損害賠償を請求する権利について考察することとする。


2 ハーグ条約3条の解釈―被控訴人準備書面の主張を中心に

 ハーグ条約は、附属のハーグ規則において占領国の義務等について規定し、3条において以下のように定める。
La partie belligerante qui violerait les dispositions du Reglements sera tenue a indemnite s'il y a lieu. Elle sera responsable de tout actes commis par les personnes faisant partie de la force armee.(仏文、条約正文)
 A belligerent Party which violates the provisions of the said Regulations shall, if the case demands, be liable to compensation. It shall be responsible for all acts committed by persons forming part of its armed forces.
 「前記規則ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ、損害アルトキハ、之カ賠償ノ責 ヲ負フヘキモノトス。交戦当事者ハ、其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ 行為ニ付責任ヲ負フ。」
 ここでは、被控訴人・国が「被控訴人準備書面(2)」において「第1 ヘーグ陸戦条約3条の文理解釈について」、及び「第2 ヘーグ陸戦条約3条の起草過程について」として展開している主張について、必要に応じて第一審判決の判示にも言及しながら、それぞれ検討する。

(1)「締約国間にのみ」条約を適用するとしたハーグ条約2条の趣旨
 被控訴人は、ハーグ条約2条が、「本条約ノ規定ハ...締約国間ニノミ之ヲ適用ス」と規定している点が、同条約3条が国家間の国家責任を定めたものであって個人の損害賠償請求権を定めたものではないことの理由の一つとなる、と主張する(準備書面(2)2〜3頁。強調は同書面のまま。以下、被控訴人の主張として引用する頁数はすべて同準備書面の頁数)。
 しかしながら、本条約2条は、交戦国が条約締約国である場合にのみ締約国間に条約を適用することを定めた、いわゆる「総加入条項」である(国際法学会編『国際関係法辞典』三省堂、1995年、505頁)。総加入条項は19世紀後半から第一次大戦までの間に締結された戦争法規に関する条約の多くに含まれ、ハーグ条約も2条でこれを規定していた(なおその結果、戦争においてすべての交戦国が締約国であるときに限り条約が適用され、交戦国のうち一カ国でも非締約国があれば戦争全体について条約が適用がないことになるが、ハーグ条約の場合は第二次大戦時すでに慣習国際法化していたとみなされ、本件第一審判決でも慣習国際法としてのハーグ条約を前提としているため総加入条項は問題とされていない)。つまり、本条はあくまで「非締約国」との関係で「締約国」としているにとどまり、人民との関係における適用の問題とはレベルの異なる内容の規定である。
 従って、2条の規定は、3条によって個人が損害賠償請求権を有するかどうかの問題とは直接関係がなく、被控訴人の主張は根拠を欠く。本条約はむしろ、被控訴人も上記箇所でふれているように、前文第2段落において「交戦相互間ノ関係及人民トノ関係ニ於テ、交戦者ノ行動ノ一般ノ準縄タルヘキモノトス」(these provisions, ... are intended to serve as a general rule of conduct for the belligerents in their mutual relations and in their relations with the inhabitants) としているのであり、全体として、締約国と他の交戦国のみならず締約国と人民との関係で適用があることが明らかに意図されている条約である。

(2)徴発にかかる住民等への金員の支払を規定した同条約52条3項は、住民等が支払請求を求める国際法上の手段を設けていないとの主張について
 本件第一審判決は、ハーグ規則52条・53条の規定の下では占領軍が金員の支払をしない場合に住民がその救済を求めるための国際法の手段はなく、これらの規定は、同条所定の行為を国家間で合意したものと解するのが妥当であって、これらの規定をもって個人が相手国に対し直接何らかの請求をしうることを認めたものと解することはできないとしていた(17頁)。被控訴人も同様に、準備書面(2)において、占領時の徴発にかかる住民等への金員の支払を規定したハーグ規則52条の規定は、住民等への支払義務であるとしても住民等の支払請求権ではなく、住民がその利益を侵害されたとしても国際法上その救済を求める手段・制度が設けられていないと主張している(3頁)。
 ハーグ条約は、占領軍による住民等からの現品徴発及び課役、並びに押収について、同規則52条・53条で以下のように定める。
52条 Requisitions in kind and services shall not be demanded from municipalities or inhabitants except for the needs of the army of occupation. They shall be in proportion to the resources of the country, and of such a nature as not to involve the inhabitants in the obligation of taking part in military operations against their own country.
Such requisitions and services shall only be demanded on the authority of the commander in the locality occupied.
Contributions in kind shall as far as possible be paid for in cash; if not, a receipt shall be given and the payment of the amount due shall be made as soon as possible.
   「現品徴発及課役ハ、占領軍ノ需要ノ為ニスルニ非サレハ、市区町村又 ハ住民ニ対シテ之ヲ要求スルコトヲ得ス。徴発及課役ハ、地方ノ資力ニ 相応シ、且人民ヲシテ其ノ本国ニ対スル作戦動作ニ加ルノ義務ヲ負ハシ メサル性質ノモノタルコトヲ要ス。右徴発及課役ハ、占領地方ニ於ケル 指揮官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ、之ヲ要求スルコトヲ得ス。現品ノ供給 ニ対シテハ、成ルヘク即金ニテ支払ヒ、然ラサレハ領収証ヲ以テ之ヲ証
明スヘク、且成ルヘク速ニ之ニ対スル金額ノ支払ヲ履行スヘキモノト ス。」
53条 An army of occupation can only take possession of cash, funds, and realizable securities which are strictly the property of the State, depots of arms, means of transport, stores and supplies, and, generally, all movable property belonging to the State which may be used for military operations.
All appliances, whether on land, at sea, or in the air, adapted for the transmission of news, or for the transport of persons or things, exclusive of cases of governed by naval law, depots of arms, and, generally, all kinds of munition of war, may be seized, even if they belong to private individuals, but they must be restored and compensation fixed when peace is made.
   「一地方ヲ占領シタル軍ハ、国ノ所有ニ属スル現金、基金及有価証券、 貯蔵兵器、輸送材料、在庫品及糧抹其ノ他総テ作戦動作ニ供スルコトヲ 得ヘキ国有動産ノ外、之ヲ押収スルコトヲ得ス。海上法ニ依リ支配セラ ルル場合ヲ除クノ外、陸上、海上及空中ニ於テ報道ノ伝送又ハ人若ハ物 ノ輸送ノ用ニ供セラルル一切ノ機関、貯蔵兵器其ノ他各種ノ軍需品ハ、 私人ニ属スルモノト雖モ、之ヲ押収スル事ヲ得。但シ、平和克復ニ至リ、 之ヲ還付シ、且之カ賠償ヲ決定スヘキモノトス。
 この点、「国際法上その救済を求める手段・制度が設けられていない」との第一審判決及び被控訴人の主張は、国際司法裁判所のような「国際裁判所」における手続を想定すれば、そのように見えうるが、実際には、戦時占領下の財産権等に関する訴訟は、国際法では伝統的には国内裁判所において行われてきたのであって、国内裁判所が国際法を解釈・適用してきた長い歴史を看過したものである。占領下の徴発や押収に関する上記のハーグ規則52・53条に交戦国が違反したとして財産所有者たる私人がその還付や賠償を求め、裁判所がこれを認めた主要国裁判所の事例は多数存在し、日本でも東京大学はじめ多数の大学が所蔵する国際法の代表的な判例集Annual Digest of Public International Law Cases(後に改名してInternational Law Reports.各国の国内裁判所が国際法を適用した判例を含む多数の国際法判例を毎年掲載する)に収録されている(なお、財産を徴発・押収した交戦国が後にこれを売却したこと等により、訴訟の形式が私人対私人ないし他国になっているものもある)。例として、以下のものが挙げられる。
 @ドイツ軍により貨物自動車が押収され、対価の支払いも領収証の発行もなされなかった事案につき、フランスのルーアン控訴裁判所は1947年、次のように判示して、元の所有者であるローレへの返還を認めた。「ドイツの行為は徴発ではなく、ハーグ条約53条にいう押収であった。本条は、私人に属する輸送手段の押収は、戦争法によって認められる場合には、これらの個人から所有権を奪うものではなく、単に押収された財産の使用権を奪うのみであると定めている。当該財産は、交戦の終了後、還付されなければならない」(Mortier v. Lauret, H. Lauterpacht ed., Annual Digest of Public International Law Cases, Year 1947, 1951,pp.274-275)。
 Aドイツ占領軍のために貸した馬が、その後も返還されず、その後イギリス占領軍、次いでデンマーク政府へと引渡されたため、元の所有者が所有権を主張した事案で、デンマークの西控訴裁判所は1947年、訴えを認め馬の返還を命ずる判決を下した。「ハーグでの第2回国際平和会議で採択された陸戦規則は、53条第2段において、 占領軍は、私人に属するものであっても、とりわけ輸送手段を押収することができると定めている。しかし、本条は、そのように押収された財産は、和平の締結時には還付され、また損害賠償が定められなければならないと付け加えている。ドイツ占領軍による馬の処分が、上述の規則に従って行われた押収といえるかどうかは別にして、控訴人の所有権がそれによって失われたとみることはできない」(Andersen v. Christensen and the State Committee for Small Allotments, Annual Digest of Public International Law Cases, Year 1947,1951, pp.275-276.)。
Bドイツ軍がオランダを占領中、ドイツの国境税関監視員が、現金支払いも領収証の発行もせずに2台のオートバイを押収した事案につき、オランダの特別破毀院は1950年、たとえ輸送手段として押収の対象になるとしても、ハーグ条約53条第2段が遵守されなければならないとして、押収を違法と認める判決を下した(In re Hinrechsen, H.Lauterpacht ed., Annual Digest of Public International Law Cases,Year 1949,1955,pp.486-487)。
Cドイツ軍がノルウェーを占領中、ドイツ当局が原告所有の自動車を徴発し、領収証の発行も賠償の支払いもなされなかった事案につき、ノルウェーの控訴裁判所は1948年、ハーグ条約52条による徴発が有効であるためには現金の支払いか領収証の発行がなければならないとして、原告の所有権を認めた(Johansen v. Gross, Annual Digest of Public International Law Cases, Year1949, 1955, pp.481-482)。
Dドイツによるデンマークの占領中に代金の支払いなく徴発され、戦後イギリス軍からデンマーク政府の手に渡った2頭の馬につき、元の所有者が所有権を主張した事案で、デンマークのコペンハーゲン東地方裁判所は1947年、次のように述べて原告の主張を認めた。「第2回ハーグ平和会議で採択された陸戦規則の53条第2段は、他国を占領した軍隊はとりわけ、私人に属するものであっても、輸送手段を押収することができると定めている。しかし、同条は、押収された財産は『和平の締結時に還付され、賠償が決定されなければならない』と付け加えている。このことに照らせば、控訴人の所有権が消滅したと推定することはできない」(Statens Jordlovsudvalg v. Petersen, H.Lauterpacht ed., Annual Digest of Public International Law Cases, Year 1949,1955, pp.506-507.後にデンマーク最高裁もこれを支持)。
 Eイギリス占領軍の命令により徴発されたオートバイがその後、以前に徴発を受けた者に対して賠償として渡され、元の持主がハーグ条約53条第2段を根拠に所有権を主張した事案で、オーストリア最高裁は1951年、1907年ハーグ条約とほぼ同内容の1899年ハーグ条約を援用して、原告の主張を認めた。「ハーグ規則の53条第1段によれば、占領軍は、被占領国の所有に属する一定の財産を徴発することができる。かかる財産はそれにより占領国の財産になる一方、同様の規則は、53条第2段に言及された人や物の輸送手段を含む私有財産にはあてはまらない。なぜならば、かかる私有財産は、和平の締結時に返還され、また賠償の問題も決定されなければならないからである。...オートバイは私人の財産であったから、占領国は、ハーグ規則に従い、徴発によってその所有権を取得してはいない...従って原告は、徴発及びその後の移転の結果として、オートバイに対する権利を失っていない」(Requisitioned Property (Austria)(No.1) Case, H. Lauterpacht ed., International Law Reports, Year 1951, 1957, pp.694-695)。
F米国によるドイツの占領中、米軍によって徴発された自動車が、別の者の使用に割り当てられ、その者が使用している間に盗難にあい紛失したため、所有者が財産の逸失について損害賠償を求めた事案で、西ドイツ連邦最高裁は1952年、使用者が賠償責任を負うことを認める判決を下した。裁判所は、ハーグ規則53条に言及して以下のように述べている。「米軍のとった措置にもかかわらず原告がなお車の所有者であったかどうかの問題は、肯定的に答えられなければならない。...ハーグ規則の53条第2段に従い、私人の所有になる輸送手段で、占領軍により徴発されたものは、和平の締結時に還付されなければならない。従って、かかる財産の徴発は収用目的に供してはならず、使用者のためにのみ供しうるものであり、結果として、これにより影響を受けた個人はその所有権を失わない」。そして、車を使用していた被告はその保護のための措置を怠ったとして、賠償責任を認めた(Loss of Requisitioned Motor Car (Germany) Case, H. Lauterpacht ed., International Law Reports 1952,1957, pp.621-622)。
Gドイツ軍がフランスを占領中、フランスの会社である原告から、きわめて不十分な額の支払いをもって軍用物資が押収され、後にフランス政府機関により敵国財産として没収され売却されたため、原告が代金の払い戻しを求めた事案で、フランス破毀院は1957年、ドイツの行為は略奪として違法であり、原告は合法的な所有者として完全な賠償を得る権利があると判示した(Etablissements Bracq Laurent S.A. v. Service Central des Domaines, International Law Reports 1957, 1961, pp.978-979)。 
 このような多数の国内裁判所の判例の存在に鑑みると、ハーグ規則52条・53条は住民等の支払請求権を定めたものではなく住民等にはその侵害に対して国際法上その救済を求める手段がないとの第一審判決及び被控訴人の主張は根拠がないことが分かる。国家間の条約で仲裁裁判所を作りそこへの個人請求を認めた第一次大戦後のベルサイユ条約のような例を除けば、戦時国際法に違反する違法な徴発・押収に対する個人の返還・賠償請求は、伝統的に、ほとんど専ら国内裁判所において提起されてきたのである。そして現に各国の国内裁判所は、上記の判例のように、ハーグ規則52条・53条を適用して、所有者への財産の返還や賠償を命じる判決を下している。
 第一審判決及び被控訴人のような主張は、個人は「国際裁判所」において自ら権利主張を行い救済を受ける法主体性をもたないという趣旨の主張とも考えられるが、国際法の解釈・適用は、今日、国際司法裁判所のような「国際裁判所」のみが行うものでなくなって久しいことはいうまでもない。日本を含め多くの国では、国際法が国内法としての効力を認められ、国内裁判所でしばしば解釈・適用されてきているが、そこでは、個人の権利にかかわる内容を含む国際法を裁判所が解釈・適用して個人に権利救済を与えることも決して珍しくなくなっている。とするならば、国際法上の個人の法主体性を、「国際裁判所」における国際的手続が存在する場合にのみ限定することは、明らかに妥当でない。山本草二教授(国際法学会元理事長、現在、国連海洋法裁判所判事)がいうように、国際法上の問題に対する管轄権は「必ずしも国際裁判所その他の国際機関に専属するわけではな」く、「いずれかの国の国内裁判所であっても、その国内法により国際法上の問題(たとえば、戦争犯罪または集団殺害罪に対する刑事責任の追及)に対する管轄権が与えられ、かつ国際法に準拠してこの管轄権を行使している限りは、国際管轄権の行使を分担しているとみなすことができる」(山本草二『国際法(新版)』有斐閣、1994年、166頁)からである。「したがってこの場合には、国内裁判所によっても個人の国際法上の権利義務の実現と執行を担保できることとなり、個人の権利能力取得の条件を充たすのである」(同)。個人が国際機関の請求手続に直接に当事者適格を与えられるのは、それを明記した特別の条約がある場合のみに限られることからすれば、むしろ「個人の国際法上の権利の実現は、各国の国内法により担保され、国内機関の定める手続に依存する面が少なくない」(同、168頁)。上にみたハーグ規則52条・53条に関する国内裁判所の多くの判例はまさに、国際法上の個人の権利が、国内裁判所によって実現され担保された典型的な例というべきだろう。ハーグ規則52条・53条を適用して個人の財産の返還・賠償を命じた上記の各国裁判所の判例は、ハーグ条約が個人の権利救済のために国内裁判所で援用されてきていることを明確に示しており、この点に関する第一審判決の判示及び被控訴人の主張は妥当性を欠く。

(3)同条約3条の起草当時の国際法理論について
 上記(2)でふれた個人の国際法主体性とも関連する点であるが、被控訴人は、ハーグ陸戦条約が締結された1907年当時の国際法における個人の位置づけは、「個人は国際法の客体である」という公理が支配していたのであって、個人が加害国家に対し損害賠償請求権を認められるということは考えられないことであったと主張する(9頁)。
 しかしながら、ハーグ条約については上記のように同規則52条・53条を適用して個人に権利救済を与えた多くの国内判例が存在するほか、規則に違反した国家に賠償責任を負わせた3条の規定については、当時から、これが損害を受けた個人に賠償を与えることも認める趣旨の規定であるとする見解も有力であった。例として、3条についてフランスの戦前の著名な国際法学者であるメリニヤック及びフォーシーユが述べた見解を引く(以下、強調筆者)。
・「原則として、訴えを起こす唯一の資格を有しているのは、損害を与えた行為の被害者である」(A. Merignhac,"De la sanction des infractions au droit des gens commises, au cours de la guerre europeenne, par les empires du centre", 24 Revue general de droit international public (1917), pp.8-9)
・「陸戦の法規慣例に違反した交戦当事国に対し、その不法行為の被害者に対し賠償する(indemniser les victimes)義務を課した、1907年10月18日のハーグ条約3条の国際責任は、個人の財産に対して加えられた損害と同様、身体に対して加えられた損害にも適用される」(P. Fauchille, Traite de droit international public, tome II,1921,p.314)
 日本の主要な国際法学者では、1931年の上海事変に関連して、信夫淳平は、「支那側及び第三国人の蒙りたる、又は蒙りたると称する、財産損害」につき次のように論じている。
 「1907年の陸戦法規慣例條約第3条には、『前記規則ノ條項ニ違反シタル交戦當事者ハ損害アルトキハ之ガ賠償ノ責ヲ負フベキモノトス。交戦當事者ハ其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ』とある。前記規則とは同條約に附属する所の陸戦法規慣例規則を指す。故に損害あるに方りて賠償の責を負ひ、將た交戦國政府がその軍隊の組成員の行為に付責任を負ふのは、専ら陸戦法規慣例規則の規定する諸事項の違反行為である。けれども、その故を以て同規則以外の交戦法規の違反に就ては全然責任を負ふに及ばずして可なりといふ結論を伴ふものではない。凡そ國際法たると国内法たるとを問はず、苟も社會の掟則に違反すれば、之に就て責を負ふべきものたることは総ての場合を通じて一貫する原則である。交戦法規はその陸戦に係ると、海戦に係ると、將た空戦に係るとを問はず、総てその違反者に對して之が責任の負擔を要求する。たゝ゛陸戦法規慣例條約は、その凡例として同條約附属の陸戦法規慣例規則の違反に関し特に責任の帰着を明指したまでゝある」(信夫淳平『上海戦と国際法』1932年、丸善、357−358頁)。「交戦國の違法行為に由りて損害を受けたと認むる私人は、その交戦が如何なる原因に基して起つたものにもせよ、當然救済を求むるの権利がある。...殊に交戦國の違法行為(が暇にありとして)に因る損害賠償問題に関しては、如何に加害國が獨自の強硬なる見解を執るとした所で、賠償請求権者は不満足と思ふ場合には、自國政府に訴へて之を彼我政府間の外交問題と為し得るの道もある」(同、364頁)。
 ハーグ条約が採択された当時から、いわゆる戦間期においてさえ、同条約3条について、このような有力な見解が内外に存在していた。まして、個人の国際法主体性に関する国際法理論が整序され、国内裁判所において個人が国際法を援用して権利救済を受けることが「個人の国際法主体性」の一般的な実現形態であることが明確にされている今日、個人は国際法の客体であるという理解を前提とした判断を行うことは妥当でない。
 ハーグ条約3条については、当時でさえ上記のように個人への賠償を認める有力な見解があったばかりでなく、第二次大戦後から今日に至っては、そうした見方はより一般的になっている。例えば、国際法・国際人道法の世界的権威であり、現在は旧ユーゴ国際刑事裁判所判事であるメロンも、「[ハーグ条約]「3条は、賠償に関するいかなる議論にとっても非常に重要である。というのは、実際、この規定は、被害者に対し、直接に国家に対する原告適格を与えるように解釈されてきたからである」と言う見解を示している(Th.Meron,"Discussion",A. Randelzhofer and Ch.Tomuschat eds, State Responsibility and the Individual, 1999, p.142)。また、国際人道法の遵守を監視する機関である赤十字国際委員会も今日、明らかにそのような立場をとっている(後述)。
 日本の判例でも、オランダ人捕虜の補償請求に関する1998(平成10)年11月30日東京地裁判決(判タ991号262頁)は、ハーグ条約3条の起草過程を詳細に検討した結果、同条は被害者個人の救済をも目的とするものであったことは認められる、という認定を行っている。

(4)同条約3条の解釈に関する赤十字国際委員会の見解について
 被控訴人は、ハーグ条約3条に関して、これが個人の損害賠償請求権を認めないものであるとの解釈は、1952年当時の赤十字国際委員会の見解によっても支持されているところであると主張している(11頁)。
 しかし、仮に、被控訴人主張の通り「1952年当時」の見解がそうであったとして、現在の状況は明らかに異なる。
 1977年に採択された、1949年ジュネーブ条約の第一追加議定書91条は、ハーグ陸戦条約3条を踏襲した、これとほぼ同一の規定であり、次のように規定する。
 第一追加議定書91条
   A Party to the conflict which violates the provisions of the Conventions or of this Protocol shall, if the case demands, be liable to pay compensation. It shall be responsible for all acts committed by persons forming part of its armed forces.
「諸条約又はこの議定書の規定に違反した紛争当事国は、必要な場合に は、賠償を支払う義務を負う。紛争当事国は、自国の軍隊の一部を構成 する者が行ったすべての行為について責任を負わなければならない。」
 本条につき、この追加議定書について赤十字国際委員会が発行した注釈書は、以下のように記述している(以下、強調筆者)。
 「賠償を受ける権利を有する者は、通常は、紛争当事国又はその国民である。...例外的な場合を除いて、紛争当事国の違法行為によって損害を受けた外国籍の者は、自ら自国政府に訴えを行うべきであり、それによって当該政府が、違反を行った当事国に対してそれらの者の申立てを提出することになろう。しかし、1945年以来、個人の権利行使を認める傾向が現れてきている」(Y. Sandoz, Ch. Swinarski et al. eds., Commentary on the Protocol Additional to the Geneva Conventions of 12 August 1949,and relating to the Protection of Victims of International Armed Conflicts (Protocol I), International Committee of the Red Cross, Geneva, 1987 [hereinafter: Commentary], pp.1056-1057)。
 また、同じ注釈書は、保護された者の状況に不利に影響するような別の取決めを締約国が締結することを禁止した1949年ジュネーブ4条約の規定(第一〜第四条約のそれぞれ6/6/6/7条)について、以下のように述べている。
 「平和条約の締結にあたっては、当事国は原則として、戦争被害一般に関する問題及び戦争開始に対する責任に関する問題を、適当と考える方法で処理することができる。他方で、当事国は、戦争犯罪人の訴追を控えることや、ジュネーブ諸条約及びこの議定書の規則の違反の被害者が賠償を受ける権利を否定することはできない」(Commentary, p.1055)。
 さらに、国連人権委員会では1990年代以降、国際人権法及び人道法違反の被害者が救済を受ける権利について、特別報告者を任命して研究が続けられ、2000年には、「国際人権法及び人道法違反の被害者が救済及び補償を受ける権利についての基本原則及びガイドライン(Basic principles and guidelines on the right to a remedy and reparation for victims of violations of international rights and humanitarian law)」が人権委員会に提出されたが(E/CN.4/2000/62, Annex)、これについて国連人権高等弁務官事務所が開催した検討会議で、赤十字国際委員会の代表は、ハーグ条約3条は被害者への賠償を国家に要求するものである、との発言を行っている(E/CN.4/2003/63, paras.50,118)。
 このようにみてくると、ハーグ条約3条が被害者個人の賠償請求を認めない趣旨のものであることを1952年の時点で赤十字国際委員会が支持しているとの被控訴人の主張は、仮にその時点でそのように考えることができたとしても、少なくとも1980年代以降については、明らかに正しくないとみるべきである。1987年発行の前掲の注釈書は、締約国は平和条約の締結にあたってはジュネーブ諸条約及び追加議定書の違反の被害者が賠償を受ける権利を否定することはできないとするとともに、ハーグ条約3条とほぼ同内容の第一追加議定書91条について、賠償を受ける権利を有する者は当事国の国民でもありうること、個人にそのような権利を認める傾向が第二次大戦以降は強まっていることを述べている。また、より最近では、国際人権法及び人道法違反の被害者が救済を受ける権利に関連して、赤十字国際委員会の代表は国連の会議で、ハーグ条約3条は被害者への賠償を国家に要求するものであるとの明確な立場を示しているのである。
 従って、赤十字国際委員会の見解に関する被控訴人の主張は、現在の同委員会の見解を表したものとは到底いうことができない。
 そして、本件は、被害事実は第二次大戦中に発生したものであるにせよ、現時点において法を解釈・適用するものであるから、国際法の解釈・適用についても、現行の国際法について現在通用・妥当している法解釈こそを十分に踏まえた判断がなされるべきである。


3 国際人道法違反の被害者の損害賠償請求権

 以上の検討を踏まえ、かつ、第一審判決がすでに本件細菌戦を1925年のジュネーブ・ガス議定書及び同内容の慣習国際法に違反すると認定していることに鑑み、ここでは、そのような国際人道法違反の被害者たる控訴人らがハーグ条約3条(前述の通り、ハーグ条約は総加入条項を含んでいたが、第二次大戦において同条約が慣習国際法として適用されたことは本件を含むいわゆる戦後補償裁判すべてにおいて所与の前提とされており、ここでも、慣習国際法としての同条約3条をさす)に基づいて、国際法違反の国家責任を負う被控訴人・国から損害賠償を得る権利を有しているかについて、さらに検討を加える。

(1)国際人道法における私権尊重の原則の確立
ハーグ条約のような戦時国際法ないし交戦法規(jus in bello;侵略の有無のように戦争・武力行使の開始における合法性にかかわるjus ad bellumと異なり、交戦当事国双方を等しく拘束する戦闘行為中の規則。なお近年は、戦争を含む武力行使の一般的違法化、及び個人の保護のための人道的規則の増加から、「戦時国際法」の代わりに「国際人道法」の語が用いられることが多い。本稿でも、国際人道法の語を用いる)の歴史は古いが、中でも、陸戦における占領時の、住民の私権(私人の生命、身体及び財産)尊重については、18世紀、欧米諸国における自由主義経済の発展や啓蒙思想の登場を背景に、最も早期から国際法の規則が確立した。
敵国内の私権の尊重を二国間条約で初めて明文化したのは、1785年の米・プロシア間の条約(23条)であった。米国(トマス・ジェファソン、ベンジャミン・フランクリンら)の提案になる本条は、締約国間に戦争が発生した場合にも、「非武装かつ非防守の町、村又は場所に居住するすべての女性と子ども、あらゆる分野の学者、農民、工芸家、製造業者、漁師、及び一般に、人類の共通の生存と利益のための職業であるその他のすべての者は、それぞれの雇用を継続することを認められねばならず、戦争の事態によってその権力下に落ちるかもしれない敵の軍隊によってその身体が侵されたり、家屋もしくは物品が燃やされもしくはその他の方法で破壊されたり、田畑が荒廃させられたりしてはならない。但し、もし軍隊による使用のためにいずれかの物をこれらの者から取りたてることが必要な場合には、合理的な額で支払いがなされなければならない」と規定した(H.Wheaton, History of the Law of Nations in Europe and America, 1845, pp.306,308)。こうした戦時における私権尊重の原則の有力な理論的根拠となったのは、「戦争は人と人との関係ではなくて、国家と国家の関係なのであ」り、「正しい君主は、敵国において、公有財産はすべて没収してしまうが、個人の生命と財産は尊重する」とした啓蒙思想家ジャン・ジャック・ルソーの説であった(竹本正幸『国際人道法の再確認と発展』1996年、39−40頁)。
19世紀には、私権の尊重は、1863年の米国のリーバー規則、1880年の国際法学会オックスフォード・マニュアルなどによる明文化を経て、戦時国際法の一般原則として慣習法上確立していく。リーバー規則とは、アメリカの南北戦争時、リンカーン米大統領が戦時国際法の専門家リーバー博士(軍人でもある)に依頼し、政府軍の訓令のために発行したものであるが、戦時国際法の法典化の初の試みであり、後に1899年・1907年のハーグ条約の法典化の基礎となった(J.B. Scott, The Hague Peace Conferences of 1899 and 1907,1972, p.525)。1899年の第1回ハーグ平和会議で採択されたハーグ陸戦条約及び、続く第2回ハーグ平和会議で採択された1907年のハーグ陸戦条約は、当時の主要国家の大部分の参加のもと、慣習法として存在してきた戦時国際法の規則を法典化した集大成をなすものであった。
リーバー規則に始まる、私権尊重原則にかかわる主な規定は次の通りである(D. Shindler and J. Toman, eds., The Laws of Armed Conflicts, A Collection of Conventions, Resolutions and Other Documents,1988. 1907年ハーグ条約については先にみたところと重なるが、歴史的経緯を示すために再掲する。なお翻訳は、1907年のハーグ条約については市販の条約集に掲載の公定訳により、その他の文書については英ないし仏正文から筆者が訳した)。
・1863年リーバー規則
37条 アメリカ合衆国は、占領した敵国において、宗教及び倫理を認め及び 保護し、私有財産を厳格に認め及び保護し、住民の身体、特に女性の身 体、及び国内関係の神聖さを認め及び保護する。その違反は、厳しく処 罰される。...
38条 私有財産は、所有者による犯罪又は違反により没収されない限り、軍 又はアメリカ合衆国の維持又はその他の便益のため軍事的必要による ほかは、押収され得ない。所有者が逃亡していなければ、指揮官は、押 収された所有者(owner)が賠償(indemnity)を得られるよう領収証を発 行する。」
・1899年ハーグ条約
規則46条 家(家族)の名誉及び権利、個人の生命及び財産、並びに個人の宗 教的信念及び自由は、尊重されなければならない。私有財産は、没収さ れ得ない。
52条 現品徴発及び課役は、占領軍の必要のためを除いては、市町村又は住 民に対して要求することができない。徴発及び課役は、地方の資力に相 応し、かつ人民にその本国に対する軍事作戦に加わる義務を負わせない 性質のものであることを要する。右の徴発及び課役は、占領地方におけ る指揮官の許可を得なければ、要求することができない。現品の供給に 対しては、なるべく即金で支払い、そうでなければ領収証が発行される ものとする。
53条 一地方を占領した軍は、国の所有に属する現金、基金及び有価証券、 貯蔵兵器、輸送材料、在庫品及び部品その他軍事作戦に用いられうる国 有動産以外は、押収することができない。
海事法によって規律される場合を除き、鉄道施設、陸上電信、電話、 蒸気船その他の船、貯蔵兵器並びに、すべての種類の軍需品は、会社又 は私人に属するものであっても、軍事作戦のために用いられうる同様の 物資である。但し、和平の締結時に還付され、かつ賠償が支払われなけ ればならない。」
・1907年ハーグ条約
規則46条 家[家族]ノ名誉及権利、個人ノ生命、私有財産並宗教ノ信仰及其 ノ遵行ハ、之ヲ尊重スヘシ。私有財産ハ、之ヲ没収スルコトヲ得ス。
52条 現品徴発及課役ハ、占領軍ノ需要ノ為ニスルニ非サレハ、市区町村 又ハ住民ニ対シテ之ヲ要求スルコトヲ得ス。徴発及課役ハ、地方ノ資力 ニ相応シ、且人民ヲシテ其ノ本国ニ対スル作戦動作ニ加ルノ義務ヲ負ハ シメサル性質ノモノタルコトヲ要ス。右徴発及課役ハ、占領地方ニ於ケ ル指揮官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ、之ヲ要求スルコトヲ得ス。現品ノ供 給ニ対シテハ、成ルヘク即金ニテ支払ヒ、然ラサレハ領収証ヲ以テ之ヲ 証明スヘク、且成ルヘク速ニ之ニ対スル金額ノ支払ヲ履行スヘキモノト ス。
53条 一地方ヲ占領シタル軍ハ、国ノ所有ニ属スル現金、基金及有価証券、 貯蔵兵器、輸送材料、在庫品及糧抹其ノ他総テ作戦動作ニ供スルコトヲ 得ヘキ国有動産ノ外、之ヲ押収スルコトヲ得ス。海上法ニ依リ支配セラ ルル場合ヲ除クノ外、陸上、海上及空中ニ於テ報道ノ伝送又ハ人若ハ物 ノ輸送ノ用ニ供セラルル一切ノ機関、貯蔵兵器其ノ他各種ノ軍需品ハ、 私人ニ属スルモノトイエドモ、之ヲ押収スル事ヲ得。但シ、平和克復ニ 至リ、之ヲ還付シ、且之カ賠償ヲ決定スヘキモノトス。」
こうして、1907年ハーグ規則によれば、占領地の軍の権力は私権を尊重する義務を負い(46条)、略奪は厳禁される(47条)。報道の伝達又は人もしくは物の輸送の用に供される一切の交通機関、貯蔵兵器その他の軍需品は、私人に属する場合であっても押収することができるが、平和回復後に返還及び賠償がなされなければならない(53条第2段)。他方で、占領軍は、占領軍の需要のために現品徴発及び課役を住民に要求することができ、これに対してはなるべく即金で支払うとともに、不可能な場合には領収証を発行し速やかに対価を支払うものとされる(52条)。すなわち、この52条及び53条第2段による徴発・押収は、46条に定められた私権の不可侵の明示的な例外であり、46条を補完するものとして位置づけられる(G.Schwarzenberger, International Law as Applied by International Courts and Tribunals, vol.II, 1968, p.266)。
 このような、ハーグ条約に体現された私権尊重の原則は、前世紀末から今世紀初頭以降、主要国によって受け入れられ広く承認されるようになる。例えば、ギリシャは1830年の独立以来19・20世紀を通して周辺国との占領・被占領の関係を繰返してきた国であるが、ギリシャは慣習法としての1907年ハーグ条約に拘束され(ギリシャは1899年条約は批准したが1907年条約は批准していない)、同国裁判所も、慣習法たるハーグ条約の適用に躊躇してこなかったとされる(G.Tenekides, "L'occupation pour cause de guerre et la recente jurisprudence grecque", 81 Journal de droit international (1954)822, pp.828-831)。テネキデスによれば、違法な私有財産への侵害に対する補償については、ギリシャの裁判所は明示的に金銭賠償を認めている。テネキデスの引用するアテネ控訴裁判所判決によれば、もし戦争の必要上私有財産に損害を与えた場合には、占領国は十分な賠償を払わなければならない(ibid., pp.858-859, fn.72)。
 また、米国は1943年、米国が占領した地域における軍政及び民事管理に関して包括的な行動指針を採択し、その中で、占領地で軍事要員が住民に与えた損害に対して提起される賠償請求の処理についても詳細な規定をおいた。それによると、「賠償請求を迅速に調査、決定するため、軍政長官は彼の管轄地域に一人の士官が監査する損害賠償部を設置しなければなら」ず、その長は同調査部の運営に責任を負う(『米国陸海軍軍政/民事マニュアル 1943年12月22日 FM27−5 NAV50E−3』(竹前栄治・尾崎毅訳、みすず書房、1998年、65頁)。賠償請求の処理手続については、陸軍の場合、「陸軍規則25-90あるいは陸軍規則25−25の規定に基づいて審理される財産の損害、もしくは損失または破壊、個人の傷害または死亡に対する賠償請求のすべては、このような規則及び陸軍規則25−20の規定に従い完全に調査および処理されなければならない」とされた(同、67頁)。
他ならぬ日本自身、19世紀末に開国し国際社会に参加するようになってからというもの、こうした私権尊重の原則を含む戦時国際法を当然のこととして受け入れてきた。特に、開国後の19世紀末から20世紀にかけては、文明国として欧米列強に伍することを意識して、戦時国際法の厳格な遵守を旨としていた時期である。日清戦争当時帝国海軍学校教授であり、海軍将官の法律顧問でもあった高橋作衛博士は、英文の著書『Cases of International Law during the Chino-Japanese War(日清戦争中の国際法事例)』(1899年)において、日本が日清戦争の際、ヨーロッパ諸国からの影響をも受けつつ、現地徴発について文明的な方法をとるよう努めた旨詳細に記述している。それによると、日本の遼東半島上陸後間もなく発布された徴発規則の基礎にある原則は、「敵国内の平和的住民は、侵攻軍の維持のため又は軍事能力の促進のため不可欠なもの以外の使役を要求されてはならず、また、かかる徴発のもとで人々によりなされた使役は正当に補償されねばならないこと」であった(S. Takahashi, Cases of International Law during the Chino-Japanese War, 1899, p.158)。1899年ハーグ条約の成立後となる1904年の日露戦争については、高橋博士(当時、東京帝国大学教授、外務省法律委員会委員)は、日本軍のサハリン占領時に同条約規則の47条から56条までが適用され(S.Takahashi, International Law Applied to the Russo- Japanese War, with the Decisions of the Japanese Prize Courts,1908, p.225 ff)、中国満州地方の占領についても、中立国領土であるための一定の例外を除いては日本はハーグ条約の規則に拘束されるとしている(ibid., pp.250-251)。
また、今世紀前半の代表的な国際法学者の一人であった立作太郎博士は、「昔時に於て敵國の私有財産が没収し得べきを認められたることあるも、今日に於ては斬の如き説を唱ふる者は無いのである」として、1907年ハーグ条約の規則46条・47条にふれつつ、「私有財産の没収の行はれ得ざるの原則の慣習國際法上有効なることは、今日に於ては疑を容れざる所である」としていた(立作太郎『戦時国際法論』日本評論社、1944年、271頁)。
 このように、戦時における私権尊重の原則は各国により広く認められてきたが、例外としての押収や徴発を受ける際には対価の支払い(又は領収証の発行と事後の還付・補償)が不可欠であること、及びまた、それを受けるのは、財産の所有者たる個人(場合によっては市町村)だということもまた、広く認められてきた(以下、強調筆者)。立博士によれば、取立金及び徴発に関する制限は明確さを欠いていたところ、ハーグ条約によってその制限が明確に規定され、「取立金又は徴發の制度の濫用に因る私人の苦痛を減ぜんとし、特に徴發に関しては、補償を求むるの道を私人又は市町村に確むるの趣旨の規定を設けたるより、取立金及徴發の制度は其奮態を改めたのである」(立前掲書、279頁)。フェランは、ハーグ条約52条において領収証の発行が求められていることについて、その目的は、事後に賠償金の支払いを受ける住民の権利を確実にするためであるとしている(G. Ferrand, Des requisitions en matiere de droit international public, 1917,p.207)。シュバルツェンバーガーは徴発について、「完全な支払いがなされなければ、徴発される財産の私的所有者(private owner)は領収証を得る権利を有する」とし(Schwarzenberger,op.cit.,p.273)、違法な徴発は「補償を行う義務を伴い、これには、個々の事例の状況に従い、徴発された財産の所有者に対し原状回復を行う義務を含みうる」としている(ibid., p.282)。
 よって、徴発や押収の場合には、財産の所有者たる個人(ないし法人、場合によって市町村)に事後の還付や損害賠償を受ける権利があることは広く認められていたが、この決定は多くの場合、戦争の終結後、国内的手続(国内裁判所への出訴)によってなされてきた。比較的よく知られた事例としては、1912年にギリシャがトルコ領エピルス島の占領時に行った住民からの徴発をめぐるエピルス事件判決がある。住民がギリシャ政府を相手取り、徴発に対する損害賠償を求めたのに対し、アテネ控訴裁判所は、ギリシャ法の適用により請求が排除されると主張したギリシャの主張を退け、軍事占領の事実は占領国の法を占領地に及ぼすものではないとした。そして、国際法はギリシャ法の一部をなすという一般原則に則り、「私有財産の不可侵を認める国際法の原則すなわちハーグ第4条約[1907年のハーグ条約をさす]附属ハーグ規則46条及び53条に体現されている原則が適用されるべきである」として、ギリシャ政府を敗訴させ住民の請求を認めたのである(Requisitions in Epirus Case, A.McNair and H.Lauterpacht eds., Annual Digest of Public International Law Cases, Years 1925-1926,1929, pp.481-482)。
このように国を直接に相手取った訴えのほかにも、押収や徴発に関するハーグ規則に交戦国が違反し、その結果、財産の所有者である私人への財産の還付や賠償を認めた国内裁判所の判例は、本稿ですでにみたように非常に多く存在している。
 こうして、国際人道法においてはすでに早期から、私権の尊重の原則が確立し、ハーグ条約によってさらに明確にその範囲や制限が明確にされた。そこでは、徴発の際の領収証の発行や賠償において、財産の所有者個人を直接に権利主体とした扱いが広く承認されている。そして、これらの賠償の支払いの決定は、各国の国内裁判所において、現に頻繁に行われてきているのである。

(2)ハーグ条約3条の意義
ハーグ条約3条は、附属のハーグ規則を受けて、「前記規則ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ、損害アルトキハ、之ガ賠償ノ責ヲ負フベキモノトス。交戦当事者ハ、其ノ軍隊ヲ組織スル人員ノ一切ノ行為ニツキ責任ヲ負フ」と定める。軍隊構成員による違法行為について国が国際的な責任を負うことは確立された国際法の原則であるが(Ch.Rousseau, Droit international public,1983, p.41)、ハーグ条約3条は交戦当事国が軍隊構成員の「一切の行為につき」責任を負うと無条件に規定し、構成員の資格、過失の存在等の要件なしに構成員のすべての行為の責任を国に負わしめている。そして、交戦法規すなわちハーグ規則の違反にあたる軍隊構成員の行為について、国家の責任及び、違反行為に由来する損害に対する金銭賠償を定める(藤田久一『国際人道法(新版)』有信堂、1993年、194頁)。戦勝国が一方的に要求する「償金」と異なり、違法行為による損害の発生を前提とする本来の「損害賠償」といえる規定である(入江啓四郎『国際法上の賠償補償問題』成文堂、1974年、27頁)。
 本件を含む多くの戦後補償裁判における論点は、本条が、ハーグ規則の違反の被害者たる個人への賠償を含みうるかという点に存する。この点について、まず、国際法の中でも国際人道法が、旧くから戦時における私人の権利を確立させてきたという特徴をもち、上にみたように、私権尊重の原則に基づく損害賠償や財産還付という実行が国際社会において綿々と行われてきたことに照らせば、違法行為による損害賠償の相手方は「被害者」であるという解釈に相当程度の妥当性があることは否定しがたい。戦時国際法に関する浩瀚な著書を多く残した前掲のフランスの国際法学者メリニヤックが、国内法における不法行為の損害賠償義務を想起しつつ、先に引用したようにハーグ条約3条について「原則として、訴えを起こす唯一の資格を有しているのは、損害を与えた行為の被害者である」(A. Merignhac, loc.cit.,強調筆者、以下同じ)と述べ、同じくフランスの著名な国際法学者フォーシーユも、「陸戦の法規慣例に違反した交戦当事国に対し、その不法行為の被害者に対し賠償する(indemniser les victimes)義務を課した、1907年10月18日のハーグ条約3条の国際責任は、個人の財産に対して加えられた損害と同様、身体に対して加えられた損害にも適用される」と解説している(P. Fauchille, loc.cit.)のは、国際人道法の解釈としてむしろ自然であるともいえよう。
 さらに、条約解釈の補足的手段として、同条の起草過程を検討すれば、その提案趣旨は本来、被害者個人に賠償を与えることであったことが明らかになる。本条は、第2回ハーグ平和会議において、ドイツの代表ギュンデルによって提案されたものであるが、当初のドイツ提案の条文は、以下の通りであった(E.Lemonon, La Seconde Conference de la Paix, La Haye (juin-octobre 1907), 1912, pp.299-300)。「第1条 本規則の規定に違反し、中立の者(personnes neutres)に損害を与えた交戦国は、彼らに生じさせた不法行為につき、彼らに賠償する(dedommager ces personnes)義務を負う。当該交戦国は、その軍隊を構成する人員によって行われたすべての行為について責任を負う。生じた損害及び支払われる賠償の決定は、即金による支払いがなされなければ、交戦国がその決定が当面の間軍事行動と両立しないと考える場合には、後日に延期することができる。
第2条 敵対国の者(personne de la Partie adverse)に損害を与えた違反の場合は、賠償(indemnisation)の問題は和平の締結時に解決されるものとする。」この提案は、1907年7月31日に初めて会議で検討され、全体としては各国の支持を受けた。但しその際、イギリスやフランス等の代表から指摘されたのは、中立国国民と交戦国国民との間に区別をおいている点が容認できないということであった。そのため、当初のドイツ提案は、第1条の「中立の者」という部分を「いずれかの者(personnes quelconques)」とする修正を加えられた後、最終的に現在の形で採択に至ったのである(ibid.,pp.300-301)。こうしたハーグ条約3条の起草過程については、国際人道法の世界的権威であるオランダのカルスホーヴェン博士がその詳細な研究において明らかにしたところでもある。本条は、ハーグ条約の違反により損害を受けた個人が賠償を得られることを目的として提案され、これに対しては、中立国民と交戦国国民との間で扱いを異にしていた点以外は特に他国の批判はなかった。つまり、本条の提案趣旨は被害者個人に賠償を与えることであり、その基本的な趣旨自体については、他の代表からも疑念は提示されなかったのである(F. Kalshoven, "State Responsibility for Warlike Acts of the Armed Forces", 40 International and Comparative Law Quarterly (1991),pp.827-858)。
 カルスホーヴェン博士が詳細に明らかにしたハーグ条約3条の起草時の趣旨は、オランダ人捕虜による補償請求に関する事案で同博士が鑑定意見書を提出しまた証人として出廷したこと等を通じて、日本の判例においてもすでに一部受け入れられるところとなっている。先にもふれた通り、1998(平成10)年11月30日の東京地裁判決(判タ991号262頁)は、同博士の主張を受けてハーグ条約3条の起草過程を詳細に検討した結果、同条は被害者個人の救済「をも」目的とするものであったことは認められる、と認定するに至っている。

(3)同条の適用―国際的手法と国内的手法
 こうして、被害者に対する賠償も含める趣旨で違反国に賠償の責任を課す一方で、ハーグ条約3条は、その履行について一定の手続を定めてはいない。国際法規範の大多数のものがそうであるように、国家に対して義務を課しつつ、義務の具体的な履行方法については、特に定めをおいていない。
 この点について考えるに、ハーグ条約3条の場合、現実には、戦闘行為が終結し講和条約が締結される際に、国家間で適当な取決めにより処理することが圧倒的に多くなるであろう。メリニヤックも認めているように、個人が戦時中に自ら責任追及の手続をとることは現実問題として難しく、それに比して国家が、事後に多数の個人の請求を一括して国家間で交渉すれば、一個人が行うよりははるかに効果的かつ経済的に補償問題を処理しうることになる(Merignhac, loc.cit.)。そのように国家間で個人の賠償問題も合わせて戦後処理がなされる場合、それは、国家が個人の請求を取り上げて国家間で交渉するという外交保護権の行使に類似した解決ということになろう(厳密には、外交保護権は、平時において自発的意思で外国に所在・居住している自国民が不当な扱いを受け効果的救済を得られなかった場合に行使される国家の権利であり、戦時において国民が外国軍から被った被害の請求を国家が取り上げるという場合に適合する概念ではない)。但し、多くの場合、国家間の賠償の算定は、違法行為に基づく損害の額というよりも、戦勝国が戦争のために被ったすべての損害に対する包括的支払いという形をとり、個人の救済のため十分な額が配分されるとは限らないのが実態である。また、しばしば指摘される問題点として、本条にいう責任は本来、勝敗にかかわらず交戦当事国それぞれが自国の規則違反について負うべきものであるにもかかわらず、戦争終結時の圧倒的な力関係から、事実上、敗戦国の責任のみが追及されてきたことも否定できない(藤田前掲書、194−195頁)。
 ハーグ条約が採択された1907年以降の大規模な戦後処理として、第一次大戦後のヴェルサイユ条約体制は、ハーグ条約3条が定める「損害賠償」の趣旨を取り込みつつ、国家間の条約で、国民の受けた損害に対する賠償請求のための国際的な手続を設けた例である。戦争の結果、戦勝国が敗戦国に要求する賠償の内容は、伝統的には「償金」(indemnite; indemnity)、すなわち、戦争にかかった戦費の償還であった(例えば、1870−1871年の普仏戦争後のフランクフルト条約。入江前掲書、12頁)。日本の例でいえば、日清戦争後の下関条約で清が日本に支払った償金がこれにあたる。これに対し、民間人の被害がかつてなく大規模になった第一次大戦においては、戦後処理にあたり、戦勝国が敗戦国に対し償金を求めるという旧来の戦争賠償の方法に加え、新たに、与えた損害に対する「損害賠償(reparation des dommages; compensation)」という考え方が取り入れられるようになる。それが、第一次大戦後のヴェルサイユ平和条約等の一連の平和条約である。 
 第一次大戦後、ドイツとその同盟国が連合国と締結した平和条約では、ドイツ及び同盟国は、その侵略によって強いた戦争の結果、「連合国及び協同国政府、並びにその国民が被った一切の損失及び損害」に対して責任があるとされた(ドイツとの間のヴェルサイユ条約231条、及びそれぞれの平和条約の該当規定)。そして、ドイツ等同盟国は、交戦中に陸、海、空からの侵略によって「連合及び協同国の民間人並びにその財産に対して加えられた一切の損害に対して、また一般に本[第8編第1]部への第一附属書に規定されるすべての損害に対して、賠償を行う」ことと定められた(ヴェルサイユ条約232条第2段、及びそれぞれの平和条約の該当規定。第一附属書とは、戦闘行為の直接的結果として、民間人の身体を傷害させた損害、又は、死亡させたときにはその扶養家族に与えた損害(1項)、民間人に対して行った残虐行為、暴力行為、虐待行為(2項)、占領ないし侵略地域における民間人の健康、労働能力、名誉に対する侵害行為(3項)、捕虜の虐待によって引き起こされた損害(4項)、強制労働を課された民間人の受けた損害(8項)、民間人に課した罰金、賦課金その他の強制徴収による損害(10項)等10項目の事項について、ドイツに対し請求できることと定めたものである)。さらに、連合国及び協同国の国民は、戦時中に敵国の領土内にあった各自の財産、権利又は利益につき受けた損害に対し、ドイツ等旧敵国政府を相手取って、条約で設ける混合仲裁裁判所に直接、損害賠償の訴えを提起する権利を認められた(ヴェルサイユ平和条約297条(e)及び他の平和条約の該当規定)。
 ベルサイユ条約等の一連の平和条約でこうした規定が設けられたのは、第一次大戦が、それまでの戦争と比較できない多大な犠牲を民間人に加えるものであったことによるところが大きい。ドイツがべルギーやフランスで大規模な破壊行為を展開し、民間人の財産にも甚大な被害を与えた事態を受けて、連合国首脳は、すでに1916年頃までには、民間人の 受けた被害に対する損害賠償をドイツに要求する政策を決定していたとされるが、当時のイギリス首相であったロイド・ジョージはこれにつき次のように述べている。「不法行為者によって与えられた損害について賠償(compensation)を支払う責任は...すべての文明化された社会における中核的な法原則の一つである。国家は、この基本的な法原理の適用から免れることはできない」(D.Lloyd George, The Truth about the Peace Treaties, vol.I,1938, pp.436-437)。「賠償は、ヴェルサイユ条約によって発明されたわけではない。...19世紀の初めには、和平条件として支払われた償金が、[略奪などの]粗野で野蛮な方法の代わりになった。...当時は、戦争には現代の戦争のような莫大な金額はかからず、被った被害も、世界大戦で行われた破壊に比較すればわずかなものであった」(ibid., pp.439-440)。「この時までの戦闘の歴史全体の中で、[第一次大戦が]伴った費用及びそれがもたらした破壊の程度と徹底性に比しうるものはなかった。...1916年までには、賠償の問題は、1914年には考えられていなかったほどの大きさをなしてきた(ibid., pp.29-30)。
ここに明らかにされているように、ヴェルサイユ条約で連合国の国民への補償を定めたことの根本にあったのは、損害に対する賠償という一般原則であり、ハーグ条約3条の要求している損害賠償そのものといえる法理であった。 フォーシーユは、不法行為に対する損害賠償の原則がヴェルサイユ条約に適用された旨を次のように述べている。
「戦争損害の被害者である個人は、又は彼らの利益を負っている国家は、損害を引き起こした交戦国に対して、救済を求めることができるのか、またどの範囲でできるのか。また、もし救済手段があるとすれば、その根拠は何か。−衡平に基づき、またいずれにせよすべての国の実定法に定められている争いえない自然法の規則は、『他人に損害を生じさせる人の行為はすべて、その者に対し、それを賠償する義務を負わせる』ということである(フランス民法1328条)。不法行為の観念を含意するこの規則は、個人と同様、共同体にもあてはまる。 ...1914−1918年の世界大戦の終わりの平和条約において中央の帝国[=ドイツ・オーストリア]に課したのは、連合国が上記の考えに示唆を得たことによる。かくして、1919年6月28日のドイツとのヴェルサイユ条約は、ドイツが行った戦争が不正なものであったという原則を述べた後、231条と232条において、ドイツ帝国は『連合国及びその国民が戦争の結果被ったすべての損失及び損害に対して』補償の義務を負うと宣言した...」(Fauchille,op.cit.,pp. 309-310)。
さらに直截には、ガーナーは、ヴェルサイユ条約における個人補償とハーグ条約3条の関係について、以下のように評価している。 「第2回ハーグ会議は、陸戦の法規慣例に関するハーグ条約の禁止に違反して個人に与えられた損害に対し、個人に賠償する(indemnify individuals)交戦国の義務を確立することによって、民事制裁の一形態を規定した。...この責任は、損害を受けた個人直接にではなく、その本国に対してのものであるようにも見える。...この規定に従って、平和条約はドイツに対し、戦争法の違反によって行われた損害に対してのみでなく、「連合国の民間人とその財産に対して与えられたすべての損害」に対しても賠償(compensation)を要求した。...これは、上記のハーグ条約の規則を執行するための試みがなされた最初の例である」(J.W.,Garner, International Law and the World Order,vol.I,1920, pp.469-470)。
 なお、こうしてヴェルサイユ条約により、被害を受けた個人には国際的手続で賠償を求める道が開かれたが、同時に、各国ではこれに前後して、個人が賠償を得ることを確保するため、ドイツ人財産の清算による賠償への充当等に関する国内法の制定が行われた。フォーシーユは、「[第一次大戦の破壊的性格によって]陸海軍のために『賠償を受ける権利』を宣言するだけでは十分でなかった...完全な賠償を確保するためには、侵略又は占領された国において戦争により損害を受けた住民(habitants)に対し、彼ら個人自らに(dans leur personne meme)、救済を求める権利を認めなければならなかった」(強調原文)とし、これはとりわけフランスで、国内法を制定し個人の「権利」を明示して実施されたと述べている(Fauchille, op.cit., pp.312-313)。
 ヴェルサイユ条約における個人への賠償は、従来、個人に国際的な請求手続へのアクセスを認めたという点で注目されることがほとんどであった。しかし、ヴェルサイユ条約は、個人による直接的な請求を条約で認めた一例であるが、それは単に国際的手続の創設という面でのみ評価されるべきものではなく、その基礎として個人の実体的権利及び損害賠償の一般原則があることが忘れられてはならない。「損害あるところに賠償あり」という損害賠償の法理がハーグ条約3条の趣旨なのであり、国際的手続が創られて初めて、個人の実体的権利も同時に発生したわけではない。ヴェルサイユ条約は、ハーグ条約3条の趣旨を条約という形で実現させた一つの例であって、あくまでも個人の実体的権利を前提としていたとみるべきである。
なお、第一次大戦後のヴェルサイユ条約体制のほか、第二次大戦後の多くの諸平和条約においても、民間人の受けた被害について被害者個人への賠償が認められていることも付記すべきであろう。第一次世界大戦が初の世界的な全面戦争であったとすれば、第二次大戦はさらにそれを上回る規模の壊滅的な戦争であった。それゆえ、第二次大戦後の平和条約は、全面戦争としての性格、民間人に加えられた前代未聞の被害の大きさを反映して、それまでの条約よりもさらに広い権利を私人に与えている(Rousseau, Le droit des conflits armes, op.cit.,p.518)。すなわち、1947年に、イタリア、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドと連合国との間に結ばれた平和条約は、それぞれの国(イタリア等)は、その領土内における連合国国民の財産への被害について、同等の財産を購入するのに必要な額の三分の二の賠償を支払う義務を負うと定めた。そしてこれに伴い、連合国各国は国内法で、現金支払い、財産の再建又は代替のための便益などの方法での賠償方式を規定した(A.Fraleigh,"Compensation for War Damages to American Property in Allied Countries", 41 American Journal of International Law 748 (1947), pp.748-749)。日本の場合は、サンフランシスコ平和条約において連合国側が賠償を放棄し、賠償を求める国は個別に交渉することとされたが、このように政府間で賠償を放棄し、かつ私人への賠償措置も定めないという例は決して通例ではなかったことに注意しなければならない。
 なお日本については、日本は1931年から中国との戦闘を開始し、民間人にも甚大な被害を与えたが、すでに1931年の上海事変に関して、信夫淳平博士が、「支那側及び第三国人の蒙りたる、又は蒙りたると称する、財産損害」につき、先にも一部ふれた通り、次のように論じていたことも銘記されるべきであろう(強調筆者)。
「違法のものであってみれば、賠償の責任が當然之に伴ふことはこれ亦論なき所である。尤も戦時の賠償は妙なもので、必しも加害國が之を行ふべきものとは限らず、勝者は敗者たる敵の政府をして之が賠償の責に當らしむることもある。講和談判に於て戦勝者は戦敗者に向つて多くは償金を課するが、その償金額は戦敗國の私人の財産損害に對する戦勝國の賠償責任額を控除して要求することもある。この場合には、損害賠償は戦敗国の政府がその人民に向つてすればするといふことに結局なるのである。けれども、これは強者が銃剣の鋒先でやる所の特殊の責任転嫁法である。しかも斯かる異例あればとて、違法の行為には必然責任が伴ふといふ根本の原則は動かない」(信夫前掲書、357頁)。
 「1907年の陸戦法規慣例條約第3条には、『前記規則ノ條項ニ違反シタル交戦當事者ハ損害アルトキハ之ガ賠償ノ責ヲ負フベキモノトス。交戦當事者ハ其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ』とある。前記規則とは同條約に附属する所の陸戦法規慣例規則を指す。故に損害あるに方りて賠償の責を負ひ、將た交戦國政府がその軍隊の組成員の行為に付責任を負ふのは、専ら陸戦法規慣例規則の規定する諸事項の違反行為である。けれども、その故を以て同規則以外の交戦法規の違反に就ては全然責任を負ふに及ばずして可なりといふ結論を伴ふものではない。凡そ國際法たると国内法たるとを問はず、苟も社會の掟則に違反すれば、之に就て責を負ふべきものたることは総ての場合を通じて一貫する原則である。交戦法規はその陸戦に係ると、海戦に係ると、將た空戦に係るとを問はず、総てその違反者に對して之が責任の負擔を要求する。たゝ゛陸戦法規慣例條約は、その凡例として同條約附属の陸戦法規慣例規則の違反に関し特に責任の帰着を明指したまでゝある」(同、357−358頁)。
 「交戦國の違法行為に由りて損害を受けたと認むる私人は、その交戦が如何なる原因に基して起つたものにもせよ、當然救済を求むるの権利がある。...殊に交戦國の違法行為(が暇にありとして)に因る損害賠償問題に関しては、如何に加害國が獨自の強硬なる見解を執るとした所で、賠償請求権者は不満足と思ふ場合には、自國政府に訴へて之を彼我政府間の外交問題と為し得るの道もある」(同、364頁)。
 このように、第一次大戦の民間人の被害とその補償について当時の政治指導者及び国際法学者が述べ、また第二次大戦の民間人の被害についてもサンフランシスコ条約以外の多くの条約で定められていたように、民間人の身体・財産への被害が甚大となった現代の戦争においては、民間人個人の受けた被害に対する損害賠償は戦後処理のきわめて重要な一環として取り扱われてきた。このような取扱いは、現代の戦争において民間人の被害が増大したということのほかに、そもそも、ルソーの思想の系譜を受け継ぐ18世紀末以来の国際人道法の発展において、私権尊重の原則が確固として確立してきたことを前提とするものであることはいうまでもない。現代の戦後処理は、ハーグ条約に体現されている私権尊重の原則を踏まえつつ、その侵害に対する損害賠償として、場合に応じ国際的及び国内的手法を重ね用いて対処してきているのである。ヴェルサイユ条約及びそれを受けたフランス国内法のような個人賠償の体制は、決して、それをもって初めて個人の実体的権利をも創設したものとみることはできない。それは、国際法上確立した私権尊重の原則を踏まえ、私権を侵害された個人に救済を受ける権利があることを前提として、その実現の手続として国際的及び国内的手続を設けたものとみるべきである。信夫博士も上に引用した最後の部分で、あくまで被害者個人が救済を受ける権利を前提としつつ、その実現手段として自国政府に訴えて外交問題とする道について述べている。

(4)二国間協定と個人請求権の関係
 そこで、次に検討されなければならない重要な論点は、個人が受けた損害に関して、個人の本国と加害国との間で協定が締結されており、そこで一定の解決が図られているかあるいは賠償が放棄されている場合に、個人がなお加害国に対する請求権を主張することができるかということである。
 従来、日韓請求権協定や日中共同声明等との関係で日本政府がとってきた見解は、自国民が違法行為により損害を被った場合に本国国家が放棄できるのは外交保護権の行使だけであって、被害者個人の一身に専属する権利を消滅させるものではない、というものであった(「いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが...これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます」(1991年8月27日参議院予算委員会会議録第3号10頁)。しかし昨今の、本件のようないわゆる戦後補償裁判においては、政府は一転して、個人賠償の問題は国家間の協定ですべて解決ずみであるとの見解をとることが多くなった。これに対し、外国政府の側、例えば中国は1995年、日中共同宣言において中国が行った賠償放棄は個人の請求権の放棄を含むものでないとの見解を提示するに至っている。
 この点につき、国家が外交的に解決を図ったことにより、結果的に被害者個人に十分な救済が与えられた場合を別として、救済が十分でないか、あるいは最初から賠償が放棄されてしまっている場合には、国際人道法で保護されている個人の権利が国家間の協定ですべて消滅したものとみることはできない。
 第一に、ハーグ条約は個人の私権尊重を明確に規定し、またその3条は、違法な行為によって被害を受けた個人の救済を重要な目的の一つとして規定されたものであったことに鑑みれば、違反国が3条の趣旨に従った賠償を行わず、救済されない被害がある限り、3条の義務は履行されておらず、個人自らが加害国に請求する等の適当な方法でその履行を求める可能性は排除されないものと考えるべきである。ハーグ条約3条は、専ら個人の権利を定めたものとまではいえず、多くの場合は国家間で履行されることを予定したものであるとしても、少なくとも、3条の定める義務の履行が果たされていない限りは、国家と並んで個人にも、適当な手続による賠償賠償請求権が並行して存在すると考えられる。
国家の権利と個人の権利の並存というこうした「請求権の並行性(Anspruchsparallelitat)」は、最近では、1996年5月13日のドイツ連邦憲法裁判所判決が、戦時中のユダヤ人の強制労働に関する事件をめぐるボン地方裁判所の審査要請に対して出した判断で明らかにしたところでもある。それによると、ポーランドの賠償放棄宣言やドイツ・イスラエル間の政府間協定によって個人の国内法上の請求権は消滅せず、個人の請求権は国際法上の請求権と並行して存在し、国家間の解決によって個人の請求権を認める国内手続の設定が妨げられるわけではない(BVersG,2BvL33/93, EuGRZ(1996)407, S.411.広渡清吾「近代主義・戦後補償・法化論」法律時報68巻11号、1997年も参照)。本判決は、国家間の賠償(Reparation)と、個人が求めうる賠償(Entschadigung)とを明確に区別し、国家間協定における賠償の放棄によって個人の請求権まで放棄されうるものではないと判示した。
 第二に、国際人道法違反の被害者の権利に関しては、今日、国際人道法自体が明示的な規定をおいている。1949年のジュネーブ4条約はそれぞれ6/6/6/7条で、保護された者の地位に不利な影響を及ぼしまたそれらの者の権利を制限するような別の特別協定を締結することを禁止している。そして、赤十字国際委員会発行書の注釈はこれらの条項につき、「平和条約の締結にあたっては、当事国は原則として、戦争被害一般に関する問題及び戦争開始に対する責任に関する問題を、適当と考える方法で処理することができる。他方で、当事国は、戦争犯罪人の訴追を控えることや、ジュネーブ諸条約及びこの議定書の規則の違反の被害者が賠償を受ける権利を否定することはできない」(Commentary, p.1055.強調筆者)としているのである。従って、国際人道法の規則の違反に対する賠償請求を放棄することは、現在では、このような国際人道法の明示的な禁止に反するものになっている(M.Sassoli,"State Responsibility for Violations of International Humanitarian Law", 84 International Review of the Red Cross 401(2002), p.419.)
 日本の判例では、これまで例えば、オランダ人捕虜の損害賠償請求事件における前掲の東京地裁判決は、ハーグ条約3条が個人の救済「をも」目的としていたことは認められる、としつつ、その一方で、個人の請求には外交保護権が「前提とされていたと推測される」、と述べるにとどまっていた。しかし、これを論理的に考えれば、個人の請求は外交保護権を前提とするということはすなわち、外交保護権の行使が国によって放棄されたか現実に不可能な場合、又は外交保護権の行使によっても被害が救済されない場合には、個人が自ら請求できるはずだ、という論理が成り立つともいえる。
 しかし、より最近では、とりわけ、中国政府が上記のような見解を示している日中共同宣言(及び同宣言を確認した日中平和有効条約)をめぐって、それをもって個人の請求権をも放棄したものとはいえないとの見解を明確に示すものも増えてきている。例えば、福岡地方裁判所は、中国人の強制連行・強制労働をめぐる損害賠償請求事件における2002(平成14)年4月26日の判決で、「サンフランシスコ平和条約締結当時、中国は、中国国民が、日本政府に対して、日中戦争において被った損害の賠償を請求し得るとの立場を採っていたこと、また、昭和62年ころから、中国国内では、日本政府に対して上記損害の賠償を行い得るとの見解が支持されるようになり、当時の銭其深首相兼外相は、平成7年3月9日、日中共同声明で放棄したのは国家間の賠償であって、個人の賠償請求は含まれず、補償請求は国民の権利であり、政府は干渉すべきでない旨の見解を示したことなどの事情を考慮すると、日中共同声明及び日中平和友好条約により、中国国民固有の損害賠償請求権が、中国政府によって放棄されたかについては、法的にも疑義が残されていたものといわざるを得ない。したがって、原告らの損害賠償請求権が、日中共同声明及び日中平和友好条約により、直ちに放棄されたものと認めることはできない。」としている。
 さらに、東京地裁は、性暴力を受けた中国人女性の損害賠償請求事件における2003(平成15)年4月24日の判決で、上記のドイツ連邦憲法裁判所の見解と実質的に同じ立場にたって、条約によって解決済みとの日本政府の主張を退けている。それによると、「被告[国]は、日中共同声明をもって、被害者個人の我が国に対する損害賠償請求権も放棄されたと主張するが、同声明も、国際法の基本的枠組みのなかで解釈されるべきであって、日中戦争における加害国である我が国に対し、その相手国である中華人民共和国(戦争当時は中華民国)が損害賠償請求、いわゆる『戦争賠償』を放棄したにとどまり、相手国の国民である被害者個人の我が国に対する損害賠償請求、いわゆる『被害賠償』まで放棄したものではない。被害を受けた国民が個人として加害者に対して損害賠償を求めることは、当該国民固有の権利であって、その加害者が被害者の属する国家とは別の国家であったとしても、その属する国家が他の国家との間で締結した条約をもって被害者の相手国に対する損害賠償請求権を放棄させ得るのは、自国民である被害者に自ら損害賠償義務を履行する場合など、その代償措置が講じられているときに限られるべきところ、中華人民共和国においては、日中共同声明を調印することによって、自国民に対して日中戦争に係る被害を自ら賠償することとして、我が国に対する損害賠償請求権を放棄させたという形跡はなく、被告の主張は採用し得ない。」と判示している。この判決では、「この点は、そもそも、我が国においても、例えば、日ソ共同宣言についても、日韓請求権協定についても、政府見解は、国民である被害者の相手国に対する損害賠償請求権まで放棄したものではないとして、これを否定していることからも裏付けられるというべきである。」として、日本政府の解釈の矛盾を指摘していることも重要である。
 本件細菌戦の事案は、これらの事案と同様に日中共同声明及び日中平和友好条約における賠償放棄が関係してくるものであるが、この点については、上記の東京地裁判決が判示している通り、日中共同声明及び日中平和友好条約で放棄された賠償はあくまで国家間のものであって、被害者たる中国国民の固有の権利まで放棄したものではないとみるのが妥当である。そのような見方は、中国政府の見解とも、また、日本政府が従来とってきた見解とも一致し、かつ、現在の国際法の原則とも合致するものである。国家間で賠償が放棄されているとしても、被害者個人の損害が救済されずに残っている限り、個人自らが利用しうる国内的手段によって損害の救済を求めることは何ら妨げられず、国内裁判所がそうした個人の訴えを審理して個人に適切な救済を与えることには、何らの法的な問題も存在しないというべきである。

(5)国際人道法違反の被害者が救済を受ける権利
 最後に、本件で損害賠償を求めている被害者は国際人道法に違反する細菌戦によって重大な損害を被った者であることに鑑み、国際人道法違反の被害者が救済を受ける権利をめぐる国際法の展開について言及する。
 まず、国際法を含む法によって保護された権利の侵害に対して、個人が国内裁判所に救済を求める権利は、それ自体、第二次大戦後、慣習国際法として確立している。世界人権宣言は第8条で「すべての者は、憲法又は法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対して、権限のある国内裁判所による実効的な救済を受ける権利を有する。」とし、市民的及び政治的権利に関する国際規約第2条3項、ヨーロッパ人権条約13条などの人権条約も効果的救済に関する規定をおいているが、今日、裁判所へのアクセス権と、それに付随する、効果的救済を受ける権利は、慣習国際法に基づく基本的人権であることが広く認められている(J.Paust, International Law as law of the United States,1996, p.199)
 さらに、近年、とりわけ1980年代末から1990年代以降の国際社会では、世界各国における体制変更(中南米諸国における軍制から民政への移行、旧社会主義国の体制崩壊と民主制への移行等)に伴い、過去の人権侵害への対処が問題となってきたことから、重大な人権侵害の被害者が救済を受ける権利について国際法上の原則を集大成する動きが急速に高まった。国連人権委員会の下部機関である人権小委員会は1989年、重大人権侵害の被害者の救済に関する問題について特別報告者ファン・ボーヴェンを任命して研究を行わせることとし、1993年には、ファン・ボーヴェンにより、人権及び基本的自由の重大な侵害の被害者が救済を受ける権利についての原則草案が提出された(1996、1997年改訂)。続いて、1998年には、人権小委員会は、ファン・ボーヴェンの原則草案について、国及び非政府団体からのコメント、並びに人権侵害の加害者の不処罰に関する特別報告者ジョワネの作業を考慮に入れて改訂する作業の任にバシオーニを任命した。その結果、2000年に、「国際人権法及び人道法違反の被害者が救済及び補償を受ける権利についての基本原則及びガイドライン」が人権委員会に提出されたが(E/CN.4/2000/62,Annex)、同原則・ガイドラインは、すべての国家は国際人権及び人道法規範を尊重、尊重を確保、執行する義務があり、それには違反の防止、違反の調査、被害者に対する適切な救済が含まれるとするとともに、被害者が補償(原状回復、賠償、サティスファクション及び再発防止(事実の公的開示、遺体の捜索・埋葬、被害者の尊厳を回復する公的宣言、謝罪、国際人権・人道法の訓練や教材における事実の正確な記述のような再発防止策を含む)を受ける権利を明示している。これは、条約ではないものの、各国から寄せられるコメントも取り込みつつ作成されており、この問題に関する現段階の国際法の発展を示す重要な文書である。そして、先にもふれたように、国連人権高等弁務官事務所が開催した本原則の検討会議で、赤十字国際委員会代表は、ハーグ条約3条は被害者への賠償を国家に要求するものであるとの立場を明確に発言しているのである(E/CN.4/2003/63,paras.50,118)。
 重大な人権侵害の被害者が賠償を受けるべきであるという原則の国際法的な承認は、国際刑事裁判の側面にも影響を与えている。1998年に採択された国際刑事裁判所規程は75条で、被害者への賠償に関する諸原則を定めること、裁判所が有罪判決を受けた者に対して被害者への賠償を直接命じられることを定め、手続証拠規則では、被害者が直接に又は代理人を通して賠償を申立てる権利を認めているが、これらは、人権侵害の被害者の権利に関する国連人権委員会での議論を反映して挿入されたものである。また、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所の裁判官団は2000年、「被害者の賠償と参加」と題する報告書で、被害者が賠償を受ける権利は国際法上認められる傾向にあり、裁判所の管轄に属する人道に対する罪等の被害者には賠償を受ける権利があると述べ、国際請求委員会のような機構の設置を提言している(Victims' compensation and participation, Letter dated 2 November 2000 from the Secretary-General addressed to the President of the Security Council, Appendix,S/2000/1063)
 本件事案における被害者は、細菌戦の被害自体は戦時中に発生したものであるが、加害国である日本が何ら被害者の救済を行わないまま数十年も放置し、現在において裁判所に救済を求めているものであるから、その救済は、国際人道法の違反による重大かつ継続的な人権侵害を救済するという観点から、今日の国際法における発展をも考慮に入れてなされるべきである。すなわち、当初の細菌戦による被害はさることながら、何ら措置をとることなくそれを放置してきたことによる被害者の苦しみも、合わせて救済の対象とされるべきであり、その具体的な内容は、損害賠償のほか、速やかな謝罪、事実の公的開示等、老齢の被害者にふさわしい適切な内容のものであるべきである。


4 結び

 本件事案では、国が細菌戦によって国際人道法に違反して被害者に多大な損害を与えたこと自体は第一審判決でも認められており、その上で、被害者に対する損害賠償の可否が問題とされているが、検討した結論として、ハーグ条約3条を内容とする慣習国際法を検討する限り、被害者個人が加害国から損害賠償を得ることを妨げる法理は何ら存在しない。ハーグ条約3条は、その履行のためにいかなる手続的な可能性も排除しておらず、被害者個人が相手国の裁判所において賠償請求を提起することをも排除していない。違反の場合の賠償と責任という条約の要求の実現に重きをおくならば、それが実現されておらず、かつ、将来の外交的解決に期待することも不可能である現在、被害者個人が加害国で権利救済を求めることは、事実上唯一のありうる手段である。また、日中共同声明及びこれを確認した日中平和友好条約における国家間での賠償の放棄は、被害者個人が有する固有の損害賠償請求権までを放棄したものとはいえない。さらに、国際人道法の違反によって重大な人権侵害を受けた者がその救済を受ける権利を有することは、近年の国際法で広く認められつつあり、とりわけ本件のように、重大な被害を戦後数十年も放置してきたことにより継続的な人権侵害が生じている場合には、それをも含めた被害に対して実効的な救済を与える必要性と正当性はきわめて高いといえる。貴裁判所においては、人権保障の砦たる司法府として、被害者に権利救済を与え、国際人道法の違反状態を解除する判断を下すことが強く求められている。


申 惠?(しん へぼん)略歴

生年月日 1966(昭和41)年1月16日東京にて出生(38歳)
現職 青山学院大学法学部助教授
専攻 国際法、国際人権法
最終学位 法学博士(東京大学)
主要役職   国際法学会評議員、国際人権法学会理事
現住所 東京都杉並区久我山4−29−31

<経歴>
1988年3月  青山学院大学法学部公法学科卒業
同年4月  東京大学大学院法学政治学研究科修士課程入学
1990年3月  同修了
同年4月   東京大学大学院法学政治学研究科博士課程入学
1991年10月  同休学、ジュネーブ国際高等研究所修士課程入学
1993年8月   同修了、高等研究ディプロマ(DES)取得
同年9月   東京大学大学院法学政治学研究科博士課程復学
1995年4月(〜1996年3月) 日本学術振興会特別研究員
同年11月  「人権条約上の国家の義務」で法学博士(東京大学)取得
1996年4月  青山学院大学法学部専任講師
1997年4月  同助教授、現在に至る

<主要業績>
[著書]
・『人権条約上の国家の義務』日本評論社、1999年
    1999年度青山学院学術褒章、2000年度安達峰一郎記念賞
[論文]
・「人権条約の人的・領域的適用範囲−『管轄下』にある個人の人権保護」 青山法学論集第38巻第3・4合併号、1996年
・「人権条約上の国家の義務−条約実施における人権二分論の再考(上) (下)」国際法外交雑誌第96巻1・2号、1997年
・「欧州統合と人権―域内における人権保護」「EUの対外政策と人権」
村田良平編『EU−21世紀の政治課題』(剄草書房、1999年)所収
・「人権分野における国連の組織と活動」『国際問題』474号、1999年
・「個人通報制度」法学セミナー530号、1999年
・「社会権規約の実施における国家の義務−『人権』としての社会権が意味す るもの」アジア・太平洋人権情報センター編『アジア・太平洋地域にお ける社会権規約の履行と課題』(現代人文社、2001年)所収
・「ニュージーランドの人権法と人権委員会−小国の創意と実績から学ぶもの」 NMP研究会・山崎公士編著『国内人権機関の国際比較』(現代人文社、 2001年)所収
・「人種差別撤廃条約の個人通報制度の運用―委員会による先例法の展開」青 山法学論集第44巻第3・4合併号、2003年
・「国際人権の救済方法」ジュリスト1244号、2003年
・「人権と開発の実効的統合に向けて―人権保障及び開発における社会的・制 度的基盤の重要性をめぐる一考察」法学新報第109巻第11・12号、中 央大学法学会、2003年
[翻訳・解説]
・「<翻訳・解説>『経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会』の一 般的意見」青山法学論集第38巻第1号、1996年
・「<翻訳・解説>『経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会』の一 般的意見(2)」青山法学論集第39巻第3・4号、1999年
[判例評釈]
・「外国人の出入国と慣習国際法−マクリーン事件」山本草二・古川照美・松 井芳郎編『国際法判例百選』別冊ジュリスト156号、2001年
・「退去強制手続における収容と難民条約」『平成13年度重要判例解説』ジュ リスト1224号、2002年
[裁判意見書]
・「意見書 国際人権規約およびILO条約における労働組合権の保障につい て」(全医労懲戒戒告処分事件、東京地裁)2000年、労働法律旬報1505 号、2001年
・「意見書」(非嫡出子に対する法律上の区別の条約適合性について)(戸籍続 柄記載訂正等請求事件、東京地裁)2002年、青山法学論集第45巻3号、 2003年