「細菌戦裁判」闘争の経過
最終準備書面

【1】人骨発見→ハルビン国際シンポまで(1989年から95年)
1989.7 東京都新宿区の旧陸軍軍医学校跡地から「人骨」発見される
1993.7 日本の市民グループが日本各地で「731部隊展」を開催。今日まで続く。
1993.8 防衛庁保管の旧陸軍参謀本部員井本熊雄作成の業務日誌の中に細菌戦の作戦に関する記述があることが発見され、中央大学の吉見義明教授らが発表
1994.10 浙江省義烏市の崇山村民が、旧日本軍による細菌戦被害に対する謝罪と賠償を求める連合訴状を、北京の日本大使館に提出した
1995.8 黒竜江省のハルビン市で、「国際731部隊シンポジュウム」開催。

同シンポジュウムに参加した日本の市民グループが、直前に訪ねた崇山村で、「連合訴状」を入手し、シンポジュウムで紹介される


【2】事実調査の段階(1995年12月から97年8月まで)

1995.12 @弁護士グループ、市民グループと崇山村の細菌戦被害を調査。
1996.3 A崇山村の被害調査
7〜8 B浙袴(せっかん)鉄道沿線の細菌戦被害を調査するために、江西省の広豊、玉山、浙江省の江山、衢州、金華、義烏、崇山村の各被害を調査
10 C浙江省寧波の被害調査
11 D湖南省常徳、浙江省崇山村、江山、衢州の被害調査
12 E浙江省崇山村、寧波、及び湖南省常徳の被害調査
1997.2〜3 F浙江省衢州、江山、義烏の被害調査
3〜4 G浙江省義烏、寧波、湖南省常徳の被害調査
5 H湖南省常徳、浙江省寧波、義烏、崇山村の被害調査
8 慶応大学の松村高夫教授らが中国の研究者らと『戦争と疫病』発行


【3】提訴以降(1997年8月から2002年1月)
1997.8.11 東京地裁に提訴(原告4名王錦梯、王晋華、何英珍、何祺綏が来日、中国研究者2名黄可泰、葉開栄も来日)
11 弁護団、浙江省寧波、崇山村、義烏、江山、衢州を訪問
12 浙江省麗水被害調査に参加
1998.2.16 ●第1回裁判 弁護団、原告3名意見陳述(王麗君、胡賢忠、王選)
3 弁護団、湖南省常徳被害調査
4.25 弁護団、義烏、崇山村調査
5.25 ●第2回裁判 原告3名意見陳(金祖池、楊大方、薛培澤
述準備書面(1)提出(ハーグ条約につき被告答弁へ反論)、
細菌戦を証する井本日誌と作成者の井本熊男本人につき証拠保全申立
6〜7 弁護団、北米5都市(トロント、バンクーバー、ニューヨーク、ワシントン、サンフランシスコ)で開かれた731部隊展に参加。
元731部隊員の篠塚良雄氏がシカゴで拘束、強制送還された。
7.10 国側上申書(請求原因事実を認否する必要性を認めない)提出
7.13 ●第3回裁判 原告3名意見陳述(方雲勝、黄岳峰、李安谷)
準備書面(2)(3)提出(被害論を展開)、意見書提出
8 弁護団、国際テレビ会議(東京−ロスアンゼルスを結んで)に参加
8 弁護団、ハルビン・731部隊跡調査、湖南省常徳被害調査
8.28 井本熊男、証拠保全の申立に対する意見書提出
10 浙江省衢州、湖南省常徳で細菌戦受害者追悼会開催
10.12 ●第4回裁判 準備書面(4)提出(被告主張への反論)、証拠保全申立の理由補充書、文書提出命令申立(井本日誌につき)、申入書(原告王選)提出
11. 9 ●第5回裁判 文書提出命令申立補充書提出。
731部隊を研究しているアメリカの歴史学者シェリダン・ハリス氏が裁判を傍聴し、その後で弁護士会館で講演会。
11.18 弁護団、浙江省崇山村で開催の細菌戦受害者追悼祈念大会に参加
11.23 ★第1回・弁護団と原告団の合同会議(於:浙江省杭州市)
12.16 井本熊男、証拠保全の申立に対する補充意見書提出
12.21 ●第6回裁判 準備書面(5)提出(隠蔽論の主張)文書提出命令申立補充書(二)、意見書提出
12〜1 弁護団、南京1644部隊跡を調査、浙江省麗水被害調査
1999.2.15 ●第7回裁判 準備書面(6)提出(隠蔽論の主張)、申入書(原告王選)提出
3.15 ●第8回裁判 準備書面(7)提出(立法不作為論の主張)、調査嘱託の申立書、文書提出命令申立補充書(三)、 申入書(原告王選)提出
3.21 弁護団、「中日細菌戦研究交流会」に参加(於:上海)
3.23 ★第2回・弁護団と原告団の合同会議(於:浙江省義烏市にて。麗水や雲南省、常徳の細菌戦被害者も参加)
弁護団、浙江省の麗水、塔下洲村、東陽、江西省の広豊、玉山、常山で、被害調査
6.14 ●第9回裁判 準備書面(8)提出(隠蔽論の主張)、求釈明書、文書提出命令申立補充書(四)、申入書(原告王選)提出
8 弁護団、湖南省常徳被害調査
弁護団、浙江省衢州、江山、義烏で被害調査
8.13 ★第3回・弁護団と原告団の合第3回合同会議(義烏市にて)
8.30 ●第10回裁判 準備書面(9)提出(条理論の主張)、申入書(原告王選)提出
10.4 ●第11回裁判 準備書面(10)提出(日本民法に基づく請求について)、文書提出命令申立補充書(五)
12.6 ●第12回裁判 人証の申し出提出(細菌戦の加害・被害の事実関係に関し、証人の証拠調べを請求)
12.9 「731細菌戦被害賠償請求第二次訴訟」を提訴
原告の張礼忠さん、原告鄭科位さん来日し6日の裁判を傍聴。10日からの国際会議参加
12.10 3日間(10、11、12)東京で「日本の戦争犯罪と戦争責任」をテーマに国際市民フォーラム開催(実行委員会代表土屋)
2000.3.6 ●第13回裁判 準備書面(11)(隠蔽論の主張)、同(12)(細菌戦の残虐性について)提出
3.29-4.1 弁護団、上海・中国慰安婦問題国際学術討論会参加
5.22 ●第14回裁判・第二次訴訟第1回(この日裁判所は第一次裁判と第二次裁判を併合決定)
6.19 ●第15回裁判 第二次の原告向道仁、原告呉方根さんが中国から来日し法廷で意見陳述、証人採用に関する意見書提出
8.4-8.9 弁護団訪中。ハルビン市郊外平房731部隊本部遺跡視察、黒竜江省社会科学院訪問
★第4回・原告団と弁護団の合同会議(上海にて)。さらに中国の法律家と国際会議。
9.11 ●第16回裁判 原告側申請の証人11名と原告本人7名採用され
11.15 ●第17回裁判 原告側証人篠塚良雄、松本正一、上田信が証言。
12.8 ●第18回裁判 原告側証人吉見義明、聶莉莉、中村明子が証言。
2001.1.24 ●第19回裁判 原告側証人中国人研究者黄可泰、邱明軒、辛培林が証言。
2.5 ●第20回裁判 原告側証人松村高夫、近藤昭二が証言。
2.28 ●第21回裁判 原告陳知法、周洪根、易孝信、丁徳望が原告本人陳述。
3.21 ●第22回裁判 原告呉世根、何祺綏、周道信が原告本人陳述。
5.21 ●第23回裁判 原告側弁論骨子提出。
7.18 ●第24回裁判 原告側法律論骨子提出。
8.4-5 ★第5回・原告団と弁護団の合同会議(杭州にて)
9.10 ●第25回裁判 原告側、第14準備書面(法律論)、書証提出。
11.19 ●第26回裁判 弁護団弁論、第15準備書面原告意見陳述(張彩和、何英珍、馬培成、金効軍)
12.15ー16 香港での国際会議に原告団から王選、呉世根両氏が出席。
日本から篠塚良雄氏も参加。
12.26 ●第27回裁判 弁護団弁論、原告最終意見陳述(王選、王錦梯、王晋華、張曙、楼良琴、張礼忠、楊大方、高明順、李本福)。結審。
2002.8.27 第1審東京地方裁判所判決。


【4】控訴審(2003年5月から現在)
2003.5.20 ●東京高裁で細菌戦裁判控訴審第1回。SARSの流行により、原告団は予定していた半分の方々しか来日できず。
9.30 ●第2回裁判。浙江省の原告の方々が来日。
12.18 ●第3回裁判。王選さんが来日。
2004.2.14-15 ★上海にて弁護団と原告団の合同会議。
3.18 ●第4回裁判。原告は浙江省から2人、湖南省から23人、そして王選さんの計26人が来日。
5.25 ●第5回裁判(予定)。証人採用に向けて法廷での折衝等。