[最終準備書面] 第二部法律論
| 表紙 | 目次
| 第1部事実論 | 第2部法律論
| 原告被害者目録 |
第1章 ハーグ条約第3条に基づく謝罪及び損害賠償請求
第2章 国際慣習法の過去の戦争犯罪行為への適用による謝罪
第3章 中国法に基づく謝罪及び損害賠償請求
第4章 日本民法にもとづく謝罪及び損害賠償請求
第5章 条理に基づく謝罪及び損害賠償請求
第6章 被告の立法不作為による謝罪及び損害賠償請求
第7章 被告の細菌戦隠蔽行為に対する謝罪及び損害賠償請求
第8章 原告ら請求の損害額と本件請求原因との関係について
第2部 被告国の細菌戦に関する責任(法律論)
第1章 ハーグ条約第3条に基づく謝罪及び損害賠償請求
第1 ハーグ条約及びこれを内容とする国際慣習法の成立
1 「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(以下、「ハーグ条約」という)は、1907年オランダのハーグにおいて開かれた第2回ハーグ平和会議で採択された条約である。同条約には、同会議に参加した44ヶ国が署名し、その効力は1910年1月に発生した。日本は1911年に批准している。
戦争被害の賠償に関して、ハーグ条約第3条は次のとおり規定する。
「第三条 前記規則ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ、損害アルトキハ、之カ賠償ノ責任ヲ負フヘキモノトス。交戦当事者ハ、其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ」
このハーグ条約第3条は、後述するとおり、軍隊構成員が戦争法規に違反する行為をおこなった場合に、その被害者個人が、加害国に直接に損害賠償を請求する権利を定めたものである。
2 ところでハーグ条約は、制定当時すでに国際的慣習として世界各国で承認されていた内容を条約にしたものであり、第1回ハーグ国際会議の参加国を上回る世界の主要な44ヶ国が参加した国際的な平和会議の総会において全員一致で採択された条約である。また、世界各国は、ハーグ条約の制定以降、同条約の遵守を表明し反対意思を表明する国もなく、かつ同条約の内容は現実に履行されてきた。さらに、同条約に違反する行為が戦争犯罪を構成することは国際的に承認されていた。日本も、批准後の第一次世界大戦に参戦するとき、同条約の遵守を表明すると同時に各国にその履行を要求した。
以上の事実から、ハーグ条約の内容が、遅くともその効力発生時以降、国際慣習法としても成立していたことは明らかである。
したがってハーグ条約第2条には、「第一条ニ掲ケタル規則及本条約ノ規定ハ、交戦国カ悉ク本条約ノ当事者ナルトキニ限リ、締約国間ニノミ之ヲ適用ス」といわゆる総加入条項があり、第2次世界大戦交戦国中には同条約を締結していない国も存在していたが、この条項の故にハーグ条約の適用が排除されるものではない。このことは、ニュールンベルグ国際軍事裁判所及び極東国際軍事裁判所においても明示されており、疑問の余地はないところである。
なお、ハーグ条約第3条に言う「前記規則ノ条項」とは、「ハーグ条約」付属規則である「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則ハーグ陸戦規則」(以下、「陸戦規則」という)のことであるので、次に陸戦規則について検討する。
第2 細菌戦の陸戦規則違反
陸戦規則中、細菌戦については、同則第23条が関係する。その1項本文は、次のとおり規定する。
「第二三条一項 特別ノ条約ヲ以テ定メタル禁止ノ外、特ニ禁止スルモノ左ノ如シ」
その禁止事項の各号中、イ号とホ号は次のとおりである。
イ号 「毒又ハ毒ヲ施シタル兵器ヲ使用スルコト」
ホ号 「不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器、投射物其ノ他ノ物質ヲ使用スルコト」
ところで、細菌兵器は、細菌のもつ強力な毒力と感染性により、人に感染し人体に致命的な損傷を与えることを企図した兵器であるから、前記イ号に該当する。また、細菌兵器は、広範な人々に対して長期にわたって悪質な伝染病を蔓延させて、苦痛をもたらすものであるから、前記ホ号にも該当する。
また、陸戦規則第25条は、「防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ、之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ズ」と防守されない都市の攻撃を禁止しているが、本件細菌戦がこれに違反していることも明白である。
一方、細菌戦は、1925年6月に署名された「窒息性ガス、毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」(以下、「ジュネーヴ議定書」という)においても禁止されていた。
すなわち、「この禁止を細菌学的戦争手段の使用についても適用する」と明文で細菌戦は禁止された。
ジュネーヴ議定書については、これに反対する意思を表明する国家もなく、各国が細菌兵器を使用しないことは現実に守られ、かつ細菌兵器の使用が戦争犯罪を構成することは国際的に承認されていた。したがってジュネーヴ議定書は、遅くともそれが発効した1928年ころには、国際慣習法としても確立していた。日本政府も、同議定書に制定直後に署名しており(ただし、批准したのは1970年)、同議定書が国際慣習法の成立していることを充分に認識していた。
よって被告国が行った本件細菌戦は、陸戦規則第23条1項イ号及びホ号、同第25条に違反すると同時に、1925年のジュネーヴ議定書にも違反し、明らかに戦争法規違反である。
第3 ハーグ条約第3条が認める賠償請求権の帰属主体
ハーグ条約第3条は、交戦当事者が戦争法規に違反する行為をなしたことにより個人に損害を与えた場合には、加害国は被害者個人に対し直接の損害賠償責任を負うことを認めている。以下詳述する(ハーグ条約の解釈全般については甲4ないし8号証参照)。
1 ハーグ条約第3条の趣旨は、軍隊構成員にハーグ規則を遵守させるためには、訓令違反を理由とする軍事刑罰法規による処罰だけでは不十分であるとの根本的な認識に立って、規則違反行為によって個人に生じた損害については、被害者個人が加害国に直接に損害賠償を請求できること、および、その個人の損害賠償請求に対し、加害国は、指揮命令系統の管理・監督の過失が無くても、無過失の責任を負担することを国際法の明文で規定して、軍隊構成員にハーグ規則遵守を徹底させようとしたものである。このように第3条は、軍隊構成員が行ったハーグ規則違反行為について、私法上の不法行為に関する使用者責任の考え方を、加害国に適用しようとするものであった。
したがって、ハーグ条約第3条が、軍隊構成員が戦争法規に違反する行為をした場合に、その被害者個人が、加害国に直接に損害賠償を請求する権利を定めたものであることは明白である。
2 この解釈は、ハーグ条約第3条の制定経過に照らすと、一層明らかで
ある(ハーグ条約の制定過程については甲4号証、甲216号証参照)。
ハーグ条約第3条は、同条約が1899年制定の旧ハーグ条約及びその附属規則を修正して制定された際に、新たに創設された規定である。旧ハーグ条約には、戦争被害の補償に関する国家の責任を定めた規定はなかった。ただ付属規則に占領軍が市町村や住民から徴発や課役を受けた場合について「成るべく即金にて支払い、然らざれば領収証を以て之を証明すべし」(52条)とか、占領軍が私人から軍需品を押収した場合について「平和回復に至り、之を還付し、かつ之が賠償を決定すべきものとす」(53条)と定めていただけであった。
そこで1907年の第2回ハーグ平和会議で、ドイツ代表が、占領地域内外において自国軍隊の構成員がハーグ条約の附属規則違反行為をなした場合、その交戦国が有責であることを認め、その規則違反行為により損害を受けた個人に対して当該交戦国が賠償をすることを要求して、ハーグ条約に次の2つの条文を追加することを提案した。
「提案第1条 付属規則の条項に違反して中立の者を侵害した交戦当事者は、その者に対して生じた損害をその者に対して賠償する責任を負う。交戦当事者は、その軍隊を組成する人員の一切の行為につき責任を負う。
現金による即時の賠償が予定されていない場合において、交戦当事者が生じた損害及び支払うべき賠償額を決定することが、当面交戦行為と両立しないと交戦当事者が認めるときは、右決定を延期することができる」
「提案第2条 付属規則の条項に違反した行為により交戦相手側の者を侵害したときは、賠償の問題は、和平の締結時に解決するものする」
右提案の理由に関して、ドイツ代表は、次のような趣旨を説明した。
「陸戦の法規慣例に関する規則の違反が行われた場合の規定を付加することにより、同規則を補完することを目的とするドイツ提案の理由を簡単に説明したい。
陸戦の法規慣例に関する条約によれば、各国政府は、同条約付属の規則に従った指令をその軍隊に対して出す以外の義務を負わない。これらの規定が軍隊に対する指令の一部になることにかんがみれば、その違反行為は、軍の規律を守る刑法により処断される。しかし、この刑事罰則だけでは、あらゆる個人の違法行為の予防措置とはならないことは明かである。同規則の規定に従わなければならないのは、軍の指揮官だけではない。士官、下士官、一兵卒にも適用されなければならない。したがって、政府は、自らが合意に従って発した訓令が、戦時中、例外なく遵守されることを保障することはできないであろう。
かかる状況にあって、同規則の規定の違反行為による結果について、検討しておくべきである。
『故意によるか又は過失によるかを問わず、違法行為により他人の権利を侵害した者は、それにより生じた損害を賠償する義務をその他人に対して負う。』との私法の原則は、国際法の、現在議論している分野においても妥当する。しかし、国家はその管理・監督の過失が立証されない限り責任を負わないという過失責任の法理によるとするのでは不充分である。このような法理をとると、政府自身には何の過失もないというのがほとんどであろうから、付属規則違反行為により損害を受けた者が政府に対して賠償を請求することができないし、有責の士官又は兵卒に対し損害賠償請求をすべきであるとしても、多くの場合は現実には賠償を得ることができないであろう。
したがって、われわれは、軍隊を組成する者が行った規則違反による一切の不法行為責任は、軍隊を保有する国の政府が負うべきであると考える。
その責任、損害の程度、賠償の支払い方法の決定にあたっては、中立の者と敵国の者で区別をし、中立の者が損害を受けた場合は、交戦行為と両立する最も迅速な救済を確保するために必要な措置を講じるべきであろう。一方、敵国の者については、賠償の解決を和平の回復のときまで延期することが必要不可欠である。」
審議では、右のドイツ提案の被害者個人が加害国に直接に損害賠償を請求でき、加害国は無過失の責任を負うという基本的内容には全参加国に異論はなく、ロシアやスイスの代表が賛同の発言をした。
一方、中立国の市民と交戦国の市民とで条文を分けていた点についてフランスやイギリスから質問があったが、ドイツ代表の提案の趣旨は、中立国の市民と交戦国の市民との間で損害賠償について区別をすることを目的とするものではなく、唯一賠償の支払方法についてだけ違いを設けたものだった。
結局、審議を行ったハーグ平和会議の第二委員会は、先のドイツ代表の提案中の主眼である提案第1条の部分を基本にして、条文上は中立国と交戦国とを区別しない形で、次のような規定にまとめた。
「本規則の条項に違反する交戦当事者は、損害が生じたときは、損害賠償の責任を負う。交戦当事者は、その軍隊を組織する人員の一切の行為につきその責任を負う」
総会は、右の規定を全会一致で採択した。起草委員会は、これを条約の付属規則ではなく、条約本文に置くべきであるとし、ハーグ条約の第3条とされた規定が総会で全会一致で採択され、前記ハーグ条約第3条の規定となった。
3 被告の主張に対する反論
(1) 被告は、条約の一般的な解釈方法によってハーグ条約3条を解釈すれば、同条は、「ハーグ陸戦条約3条について具体的に検討してみても、同条項が右の原則(個人は原則として国際法上の主体とはなり得ないという国際法の一般原則)の例外を規定したもの」とは言えないと主張する。
しかしながら、以下に述べるように、条約の解釈については、国際法上確立された方法や基準が存在し、これらによれば被告の主張が独自な解釈にすぎないことは明らかである。以下、反論する。
(2) 条約解釈の原則
イ 条約の解釈については、「条約法に関するウィーン条約」(19
69年5月23日採択、1980年1月27日効力発生、日本国は1891年7月20日公布(条約16号)、同年8月1日発効、以下「条約法条約」と略称する。)に示された解釈原則によるべきである。
条約法条約は、客観的解釈を原則としながら、その範囲内で他の方法と基準を採用している(山本草二『国際法(新版)』614頁)。
すなわち、条約法条約は第31条ないし第33条に条約の解釈に関する条文をおいているが、第31条は条約の解釈に関する一般的な規則として、「条約は、文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠実に解釈するものとする。」(第1項)とし、条約の趣旨・目的に照らして実効性の規則の範囲内で目的論的解釈(とくに条約の全文または方針規定に基づくもの)を行うこと認めている。この場合、「用語の通常の意味」を確定するには、まず、条約文(全文と附属書を含む)に加えて、その締結の際の当事国の関係合意とか、当事国の解釈宣言で他の当事国も認めたものなどの「文脈」により行うことができる(第2項)。
このように、条約法条約による解釈の一般原則は、条約の個々の規定と切り離して個別に解釈することを禁止するだけではなく、条約の全体の事情の中でその意味を確定しようとする趣旨である(山本前掲書・614四頁)。
ロ さらに、上記の一般原則による条約規定の意味について、曖昧ま
たは不明確であるか、常識に反し不合理な結果がもたらされる場合は、さらに当事国の意思に照らしてこれを確認するため、補足的な解釈手段として、条約の準備作業(travaux
preparatoires' 提案・交渉議事録を含む)及び条約締結時の諸事情を援用することが認められる(第32条)。
ハ なお、ハーグ条約は、条約法条約発効前の条約であるが、条約法
条約で認められた解釈原則は、国際判例等により従来から認められ、国際慣習法として成立していた原則を確認し、明確化したものであるから、これをハーグ条約の解釈に適用することには問題はない。
すなわち、条約法条約は、「条約に関する既存の国際慣習法を確認しその内容をいっそう明確に体系化するため、国連国際法委員会が草案を作成し、2会期及び外交会議(1968・69)を経て採択された」ものであり(山本前掲書・590頁)、「条約の解釈に関する規定も、新しい規則ではなく、従来から実行されている規則の条文化にすぎない」(経塚作太郎『続条約法の研究』22頁、1977年・中央大学出版会)のである(同旨、村瀬信也外『現代国際法の指標』40頁、1994年・有斐閣)。
ニ 判例上も、指紋押捺制度が国際人権B規約に違反しているかどう
か争われた事件で、大阪高等裁判所は、B規約の解釈に関し「右条約(条約法条約−原告代理人注)は1980年1月2日に発効しており、遡及効を持たないためそれ以前に発効したB規約には形式的には適用がないが、同条約の内容はそれ以前からの国際慣習法を規定しているという意味において、B規約の解釈においても指針になるものと解される。・・・よって、わが国の裁判所がB規約を解釈する場合、右解釈原則(条約法条約第31条、第32条等のこと−原告代理人注)にしたがってその権利の範囲を確定することが必要である。」と判示し、条約法条約発効前の条約にも、同条約の規定する解釈原則が適用されることを認めている(大阪高裁平成6年10月28日判決・判例時報1513号71頁)。
(3) ハーグ条約3条の解釈上重要な諸点
以上の条約解釈上の諸原則を踏まえると、本件ハーグ条約3条の解釈上重要な諸点は、以下のとおりである。
イ ハーグ条約3条第1文は、陸戦規則違反行為をもって交戦当事者
の賠償責任発生の要件としている。被占領地住民にとって陸戦規則は、占領軍隊組成員(ないしそれが属する占領国家)との間の権利義務関係を定めた交戦法規である。このような陸戦規則の法的性質は、ハーグ条約3条の解釈上決定的な意義を有する。
ロ 国際法の一分野に属する交戦法規は、伝統的に、国際法上の個人
の「主体性」を認めてきた特別な領域に属する。かかる特徴を有する陸戦法規のもとでは、占領地住民は、直接個人として、国際法上の権利を付与され、義務を賦課されている主体であって、国際法の直接的適用を受け得る。
ハ ハーグ条約3条の実質は、慣習法規則である陸戦規則の改正にほ
かならない。この条文が条約本文に規定されたことによって、占領軍隊組成員の右規則違反行為のため損害を被った被害者個人が国際法上の主体でなくなるということはない。
ニ ハーグ条約3条第1文と第2文は総合的に解釈されるべきであり、
右条文は一体として右軍隊組成員の属する交戦国に対する直接的な損害賠償請求権を被害者個人に対して付与している。
ホ 陸戦規則53、54条は、被押収者(住民個人を含む)に対して
返還請求権とともに損害賠償金の請求権を付与しているが、その際、右条文は賠償金の用語としてindemniteを当てている。ハーグ条約3条第1文における「賠償」にも同じ用語が当てられており、賠償金を意味する語indemniteが用いられていることは、右条文が個人に請求権を付与しているとの前号の解釈をさらに裏付けるものである。
ヘ ハーグ条約3条の起草経過は、前述の通り、締約国が陸戦規則違
反行為によって損害を被った個人に対する損害賠償請求権付与の明確な意思を有していたことにつき、全く疑いの余地なくこれを明確にしており、交戦国に対する直接的な損害賠償請求権を被害者個人に対して付与しているとの解釈を確認するものである。
ト 事後の国家実行例や適用が可能な一切の国際法の関連規則などは、
ハーグ条約3条に基づく個人の国際法上の損害賠償請求権の存在をいっそう確実にしている。
4 交戦法規の直接的個人的性格
(1) 陸戦規則を含むハーグ条約は、軍隊の行為を規制することによって私権の尊重を図る法規範であって、戦前に確立された交戦法規として国際法の一分野を占める。
広瀬善男教授は、「交戦法規は伝統的に、国際法上の個人の『主体性』(subject of international law)を認めてきた特別な領域に属する。」と述べているが(甲231号証 広瀬善男著『捕虜の国際法上の地位』1990年19頁)。ここにいう国際法上の個人の主体性とは、国に条約の締結権があっても成立するものであって、個人が国際法上の権利義務の享有者であることを意味し、個人が国際機関への直接提訴権を有しているかどうかには関係がないものと理解されている。
(2) さらに広瀬教授は、上記の意味における個人の国際法上の主体性は、交戦法規の領域では戦前すでに認められていたことを強調している。
すなわち、「注意しておくべきことは、主権国家のみが国際法の主体であるとの観念が一般的であった第二次大戦前においても、交戦法規上では特別のレジームとして個人に対する権利の付与と義務の賦課が長期に亘って承認されてきたのである(A.
Rosas, op. cit.,pp.121〜122.米国裁判所は1916年、戦争捕虜に対して米国内法上のHabeas Corpus(人身保護令状)の適用を認めず、国際法上の「交戦法規」の直接適用による特別取扱を肯定した判決を行っている。L.
Otpenheim & H. Lanterpacht, International Law, vol.U,7ed.,p.376.n.2)」(甲231号証 前掲同書二三頁)。
(3) 陸戦規則において占領軍に与えられた権利の主なものは以下のとお
りである。
すなわち、戦争の必要上やむを得ざる場合における財産の破壊・押収(23条1項ト号)租税その他の徴収(48条)、取立金(49条)、徴発(52条)、押収(53、54条)の権利が付与されている。
他方義務としては、占領地の現行法律の尊重(43条)、軍情報供与の禁止(44条)、忠誠宣誓の禁止(45条)、私権の尊重・私有財産没収の禁止(46条)、略奪の厳禁(47条)、連座罰の禁止(50条)などの義務が賦課されている。これら義務は、個々の交戦従事者にも課されている(ハーグ第2回国際平和会議議事録、甲5号証 グリーンウッド意見書 )。この点は交戦法規の個人性を表するものとして重要である。
(4) 特に陸戦規則52条の徴発と同53条の押収については、占領軍側の権利とともにそれに伴う義務(すなわち、住民の権利)も定められており、住民側の請求権が規定されている条文として重要である。
陸戦規則52条は徴発権を占領軍に与えているが、これは略奪に代わる制度であるから「現金で支払い、それが不可能なときは領収証を発行しなるべく速やかに支払いをなすべきこと」は、占領軍ないしそれが帰属する交戦国に課された厳格な国際法上の義務である(竹本正幸『国際人道法の再確認と発展』1996年 東信堂刊 58頁は、「第52条の規定は、誰が支払義務を負うかを明確に述べていないが、論理的には当然徴発を行った国家である」とし、53条2項の押収物返還義務についても同条の規定からすれば押収した国家が支払うべきことは当然であろうとしている−同書70頁)。右義務の履行を欠く徴発は略奪と異ならないこととなる。右義務は規定の趣旨からいって徴発を受けた住民等に対して直接履行されるべきである。換言すれば、右住民等には、現金決済や領収証交付などを直接請求する法的権利が与えられている。陸戦規則53条も前記のとおり禁止された没収に代わる押収であるから、押収者側には被押収者に対する直接の返還・賠償が義務付けられ、これに対応する法的権利が被押収者に付与されることとなる。
もしも徴発に対する右現金支払・領収証発行義務や被押収物の返還・賠償義務違反する場合には、その徴発・押収行為は違法に被徴発者・被押収者の法的権利を侵害したこととなるから、被害者個人に対し損害賠償請求権を生ぜしめることとなる。
5 実質的陸戦規則改正としてのハーグ条約3条の新設
第2回国際平和会議の検討委員会が採択した案文(当初ドイツ提案においては、1899年陸戦規則の修正案であった)は陸戦規則にではなく、条約本文に挿入されることとなったが、その理由は右平和会議第10全体会合(1907年10月17日)の議事録第1巻581頁において以下のとおり述べられている。
「我々は、ドイツ代表団の提案(議事録第3巻 第2委員会付属文書13)に基づき認められた、付属の規則の違反の場合の賠償請求権の原則を挿入しなければならなかったため条約の本文そのものに若干の字句の修正を施した。即ち、この賠償の責任は政府自身が負うものであり、従って、軍隊に対する指令に関する規則の中には盛り込む場所がなかった。」
すなわち、ドイツ代表が提案し、検討委員会が修正の上採択した案文は、実質的には陸戦規則の改正であったが、ハーグ条約第1条が陸戦規則に適合する訓令を陸軍軍隊に対して発令すべき義務を締約国に課している関係で、締約国自身の義務を陸戦規則の中に新設するわけにはいかなかった。ハーグ条約3条として条約本文に挿入したのはあくまでも規定の位置に関する立法的整合性の要請であった。したがって、条約本文へ新設されても、実質的には陸戦規則の改正であり、右に述べた起草経過からも明らかな賠償請求権の個人への付与という本質に対し影響を及ぼすことは全くなかったものである。被告の主張のように、条約の一部であるから国家間の権利義務を定めた規定であって、個人に請求権を付与したものではないとすることは、直接的個人的性格に貫かれている戦争法規(戦後は国際人道法)の特徴とその慣習法的発展から遊離した形式論にすぎない。
6 ハーグ条約3条第1文と第2文との総合的解釈
ハーグ条約3条第2文は、「交戦当事者ハ其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ」と規定している。これは監督責任上の故意過失など交戦国の主観的違法要素を要件としておらず、通常の不法行為責任を拡充した特別の国家責任を規定したものである。加害者が軍隊構成員である限り完全に権限を欠く私的行為による損害であってもその所属国に対し責任を問いうるとされている(前掲グリーンウッド・7頁)。加害者個人に対する被害者個人の法的賠償請求権が基本であるが、しばしば実効を収め得ないため主観的要素を取り払った特別の国家責任を負わせることとなったが、これは3条の目的が本来被害者個人の救済にあるからにほかならない。そしてこの第2文の国家責任原則と第1文の賠償責任原則とは、解釈上別個独立に扱われるべきではなく、総合的に解釈されるべきであって、第1文は個人に対し賠償請求権を付与し、第2文において右請求権に実効性を与えようとしたものである。
7 以上述べたところから明らかなとおり、条約法条約第31条の「条約
は、文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠実に解釈するものとする」との条約解釈に関する一般原則に従ってハーグ条約3条を解釈すれば、同条は、被害者個人に加害国に対する直接的な損害賠償請求権を認めた規定であることは疑問の余地がない。被告の主張はハーグ条約3条の解釈を誤ったものである。
第4 本件における原告らの法主体性
1 被告国は、損害賠償を求める原告らの請求に対して、そもそも国際法は国家間の関係を規律する法であって、個人は一般に国際法上の法主体とはなりえず、国家が国際法違反によって他国の国民に損害を生じさせたとしても、当該国民個人は加害国家に対して国際法上の損害賠償請求権をもたない、個人にそのような権利が認められるためには個人が自らその権利を執行するための国際的な実現手続が定められなければならない、と主張する。
2 確かに、国際法は伝統的に国家間関係を規律する法であったことから、「個人の国際法主体性」については、個人が自らの名で権利を主張できる国際的な手続が整備された場合にのみ肯定されるとする見解が従来はかなり一般的であった(日本では例えば、高野雄一『国際法概論(上)』1985年、39−57頁;田畑茂二郎『国際法新講(上)』1990年、68頁)。
3 しかし、注意しなければならないのは、そこで「国際法主体性」というときの意味である。上記の見解においては、国際法が個人の権利を承認することのほかに、権利侵害の場合に被害者個人が国際裁判所等の機関に提訴できることが「国際法主体」たることの要件とされているのである。そのように国際的レベルでの権利救済手続の有無で「国際法主体性」を判定するというのであれば、個人は通常その「国際法主体性」を否定されることになる。
しかるに、例えば捕虜は国際慣習法及びジュネーブ条約等の条約によって国際法上の権利義務の享有者たることを明確に認められている。その意味で国際法上の主体としての地位を承認されている(甲231号証 広瀬善男『捕虜の国際法上の地位』日本評論社、1990年、20−21頁)。そのうえで、さらに当該条約等で国際的な手続が設定されている場合には、それに従って国際的レベルでの請求権の行使機会が与えられているということになる。
4 今日、日本を含む多くの国で国際法が国内法として効力を認められ、国内裁判所で解釈・適用されている現実からすれば、国際法上の個人の権利能力を国際的手続が存在する場合にのみ限定することは、明らかに妥当でない。
国際法上の問題に対する管轄権は「必ずしも国際裁判所その他の国際機関に専属するわけではな」く、「いずれかの国の国内裁判所であっても、その国内法により国際法上の問題(たとえば、戦争犯罪または集団殺害罪に対する刑事責任の追及)に対する管轄権が与えられ、かつ国際法に準拠してこの管轄権を行使している限りは、国際管轄権の行使を分担しているとみなすことができる」(山本草二『国際法(新版)』有斐閣、1994年、166頁)。「したがってこの場合には、国内裁判所によっても個人の国際法上の権利義務の実現と執行を担保できることとなり、個人の権利能力取得の条件を充たすのである」(同)。
そして、個人が国際機関の請求手続に直接に当事者適格を与えられるのは、それを明記した特別の条約がある場合のみに限られることからすれば、むしろ「個人の国際法上の権利の実現は、各国の国内法により担保され、国内機関の定める手続に依存する面が少なくない」(同、168頁)。
換言すれば、国際法を国内法として受容するということは、国際法が国内において個人に対して直接作用することがあり、個人はその限りで国際法の主体となるということを示すものに他ならないのである。
特に戦争犯罪の追及について言えば、これはまさに、伝統的に国際裁判所よりむしろ各国の国内裁判所に委ねられてきた事柄であった。すなわち、そもそも、交戦法規に違反した戦争犯罪の処罰方法については、国際的な軍事法廷が実現するまでは、各国の国内裁判所が基本的な役割を担ってきた。そして、重大な戦争犯罪の刑事責任追及については国際的な戦犯法廷(ニュルンベルク裁判及び東京裁判)の設立が実現した第2次大戦後においても、交戦法規違反の処罰一般については、依然として国内裁判所が中心的な役割を果たした。
5 このように個人の「国際法主体性」が、個人が国際的な裁判機関等で権利義務を追求し(され)うる場合にのみ存在するとみる見方がいかに狭きに失するものかは、明白である。そのような見方は、明らかに実態にそぐわないものと言わざるを得ない。結局、個人の「国際法主体性」いかんは、国際法が個人の実体的な権利義務を認めていることを基本的な判断基準とし、権利義務の実現ないし追及は二次的な段階として、国際的又は国内的機関いずれかに委ねられているとみるのが最も適切である。
第2次大戦後は、個人の人権保障が国際法においても取り入れられたことを受けて、個人の国際法上の権利義務の実現における国内裁判所の役割は一層重要性を増している。
国際人権規約等、個人の権利概念を明文で承認した人権条約においては、権利の保持者としての個人の−少なくとも受動的な−法主体性は、国際的な手続の有無にかかわらず認められている。
つまり、人権条約の場合、個人は国際法上の実体的権利を明確に認められており、国際的平面での権利実現手続が整備されていなくとも、各国の国内法体制に従い国内的平面でその実現を求めることができる。例えば、日本は市民的及び政治的権利に関する国際規約を批准している一方で、国際的な個人通報手続を定めた同規約の第一選択議定書には加入していない。しかし、それにより日本の管轄下にある個人は同議定書上の手続は利用できないにしても、日本では国際条約をそのまま国内法として受容する体制がとられている以上、日本の国内裁判所で規約を援用して権利の実現を求めることはできる。同規約の規定に基づいて個人の権利を認めたこれまでの日本の多くの判例はすべて、規約という国際法上の個人の権利を国内的レベルで実現するという重要な役割を担っているのである(甲223,224号証)。
6 本件は、原告らが日本の裁判所において国際法(ハーグ条約)上の権利を主張して損害賠償を求めているものである。日本は後述の通り、国際法をそのまま国内法として受容し、効力を認める体制をとっているのであるから、裁判所は、個人の国際法主体性という講学上の議論にとらわれることなく、国際法の実体規範の解釈・適用を行えば足りる。
そして、既に検討したとおり、ハーグ条約3条は、被害者個人に加害国に対する損害賠償請求権を認めたものであるから、本件請求権は原告らに帰属するのである。
第5 戦時国際法における個人の権利の承認:戦時国際法の特殊性について
1 ハーグ条約のような戦時国際法ないし交戦法規は元来、個人の権利義務の承認という点で、国際法の他の分野に比して特別の性格をもつ法体系である。捕虜をはじめ、交戦従事者は国際法上で権利を享有し義務を課されているものである。
交戦に従事する軍隊構成員が交戦法規に直接に拘束され、違反行為については構成員個人が相手国のないし国際的な軍事法廷で処罰されうることは、国際慣習法上確立している。すなわち、「主権国家のみが国際法の主体であるとの観念が一般的であった第2次大戦前においても、交戦法規上では特別のレジームとして個人に対する権利の付与と義務の賦課が長期に亘って承認されてきた」といわれる所以である(広瀬前掲書、23頁)。
中でも、陸戦に関して、敵国による占領時における住民の私権(私人の生命、身体及び財産)尊重については、18世紀、欧米諸国における自由主義経済の発展や啓蒙思想の登場を背景に、最も早期から国際法の規則が確立した。以下申教授の意見書(甲79号証)に従いその経緯を見ることにする。
2 まず敵国内の私権の尊重を二国間条約で初めて明文化したのは、1785年の米国・プロシア間の条約(23条)である。米国(トマス・ジェファソン、ベンジャミン・フランクリンら)の提案になる本条は、締約国間に戦争が発生した場合にも、「非武装かつ非防守の町、村又は場所に居住するすべての女性と子ども、あらゆる分野の学者、農民、工芸家、製造業者、漁師、及び一般に、人類の共通の生存と利益のための職業であるその他のすべての者は、それぞれの雇用を継続することを認められねばならず、戦争の事態によってその権力下に落ちるかもしれない敵の軍隊によってその身体が侵されたり、家屋もしくは物品が燃やされもしくはその他の方法で破壊されたり、田畑が荒廃させられたりしてはならない。但し、もし軍隊による使用のためにいずれかの物をこれらの者から取りたてることが必要な場合には、合理的な額で支払いがなされなければならない」とした。
3 こうした戦時における私権尊重の原則の有力な理論的根拠となったのは、「戦争は人と人との関係ではなくて、国家と国家の関係なのであ」り、「正しい君主は、敵国において、公有財産はすべて没収してしまうが、個人の生命と財産は尊重する」とした啓蒙思想家ジャン・ジャック・ルソーの説であった(竹本正幸『国際人道法の再確認と発展』1996年、39−40頁)。
さらに、私権尊重の観念は、フランス革命の人権理念によって一層明確に決定づけられた。1791年にフランス立法議会は「フランス国民はいかなる時にも、いかなる人に対しても、万人に同一であるところの権利を尊重し、またフランス軍が占領地の人民に被らせる不本意な損害に対しては賠償をなす」と宣言し、その後も戦時においてこの理念を基本的に踏襲した(同、41頁)。
4 19世紀には、私権の尊重は、1863年のリーバー規則、1880年の国際法協会オックスフォード・マニュアルなどによる明文化を経て、戦時国際法の一般原則として慣習法上確立していく。
リーバー規則とは、アメリカの南北戦争時、リンカーン米大統領が戦時国際法の専門家リーバー博士(軍人でもある)に依頼し、政府軍の訓令のために発行したものであり、戦時国際法の法典化の初の試みとして銘記されるものであると同時に、実戦における国家実行としても重要な意義をもつ。リーバー規則は、後に1874年のブラッセル議定書(未批准)、及び1899年・1907年のハーグ条約の法典化の基礎となった。
オックスフォード・マニュアル(手引き)とは、万国国際法協会(Institute of International Law;1873年に設立。各国の著名な国際法学者からなる学術団体)が戦時国際法の法典化を目的として作成した文書で、オックスフォードにおける会議で最終的に採択したためこのように呼ばれている。
5 1899年の第1回ハーグ平和会議で採択されたハーグ陸戦条約及び、続く第2回ハーグ平和会議で採択された1907年のハーグ陸戦条約は、当時の主要国家の大部分の参加のもと、慣習法として存在してきた戦時国際法の規則を法典化した集大成をなすものである。
なお、これらのハーグ条約の起草にあたっては、上述のルソーの考え方を採用した大陸の大多数の国際法学者の通説が、大きな理論的根拠となったといわれている(竹本前掲書、9−10、40−41、46−47頁)。国際法協会によるオックスフォード・マニュアル発表に前後して、オランダ、フランス、ドイツ、スイス、セルビア、スペイン等、主要な各国は自国の軍隊への訓令のためのマニュアルを次々と作成するに至ったが、ハーグ条約の締結後は、例えばイギリスが1903年に、1899年ハーグ条約を中心的な内容とするマニュアルを発行している。
以下に、リーバー規則に始まる、私権尊重原則にかかわる主な規定を
あげる。
@ 1863年リーバー規則
「37条 アメリカ合衆国は、占領した敵国において、宗教及び倫理を認め及び保護し、私有財産を厳格に認め及び保護し、住民の身体、特に女性の身体、及び国内関係の神聖さを認め及び保護する。その違反は、厳しく処罰される。...
38条 私有財産は、所有者による犯罪又は違反により没収されない限り、軍又はアメリカ合衆国の維持又はその他の便益のため軍事的必要によるほかは、押収され得ない。所有者が逃亡していなければ、指揮官は、押収された所有者(owner)が賠償(indemnity)を得られるよう領収証を発行する。」
A 1874年ブラッセル議定書
「38条 家(family;家族)の名誉及び権利、個人の生命及び財産、並びに個人の宗教的信念及び実践は、尊重されなければならない。私有財産は、没収され得ない。
42条 徴発は、占領地における指揮官の許可によってのみなされうる。すべての徴発に対しては、賠償(indemnity)が与えられるか又は領収証が発行される。」
B 1880年国際法協会オックスフォード・マニュアル
「49条 家(家族)の名誉及び権利、個人の生命、並びに個人の宗教的信念及び実践は、尊重されなければならない。
54条 私有財産は、個人に属するものであれ会社に属するものであれ、尊重されなければならず、以下の条項に含まれた制限のもとでのみ没収されうる。
55条 輸送手段(鉄道、船その他)、電信、武器及び貯蔵兵器は、会社又は個人に属するものであっても占領者により押収されうるが、和平が行われる際に、可能ならば還付され、及び賠償(compensation)が決定されなければならない。
60条 徴発物品は、現金で支払いがなされるのでなければ、戦時の取立物であることが領収証により証明される。...
C 1899年ハーグ条約
「46条 家(家族)の名誉及び権利、個人の生命及び財産、並びに個人の宗教的信念及び自由は、尊重されなければならない。私有財産は、没収され得ない。
本条はブラッセル議定書38条とほぼ同一であるが、本条起草の際、私権の尊重を「軍事的必要が許容する限り」として制限しようとしたドイツ代表の提案は、激しい反対にあい退けられている。
「52条 現品徴発及び課役は、占領軍の必要のためを除いては、市町村又は住民に対して要求することができない。徴発及び課役は、地方の資力に相応し、かつ人民にその本国に対する軍事作戦に加わる義務を負わせない性質のものであることを要する。右の徴発及び課役は、占領地方における指揮官の許可を得なければ、要求することができない。現品の供給に対しては、なるべく即金で支払い、そうでなければ領収証が発行されるものとする。
53条 一地方を占領した軍は、国の所有に属する現金、基金及び有価証券、貯蔵兵器、輸送材料、在庫品及び部品その他軍事作戦に用いられうる国有動産以外は、押収することができない。
海事法によって規律される場合を除き、鉄道施設、陸上電信、電話、蒸気船その他の船、貯蔵兵器並びに、すべての種類の軍需品は、会社又は私人に属するものであっても、軍事作戦のために用いられうる同様の物資である。但し、和平の締結時に還付され、かつ賠償が支払われなければならない。」
D 1907年ハーグ条約
「46条 家[家族]ノ名誉及権利、個人ノ生命、私有財産並宗教ノ信仰及其ノ遵行ハ、之ヲ尊重スヘシ。私有財産ハ、之ヲ没収スルコトヲ得ス。
52条 現品徴発及課役ハ、占領軍ノ需要ノ為ニスルニ非サレハ、市区町村又ハ住民ニ対シテ之ヲ要求スルコトヲ得ス。徴発及課役ハ、地方ノ資力ニ相応シ、且人民ヲシテ其ノ本国ニ対スル作戦動作ニ加ルノ義務ヲ負ハシメサル性質ノモノタルコトヲ要ス。右徴発及課役ハ、占領地方ニ於ケル指揮官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ、之ヲ要求スルコトヲ得ス。現品ノ供給ニ対シテハ、成ルヘク即金ニテ支払ヒ、然ラサレハ領収証ヲ以テ之ヲ証明スヘク、且成ルヘク速ニ之ニ対スル金額ノ支払ヲ履行スヘキモノトス。
53条 一地方ヲ占領シタル軍ハ、国ノ所有ニ属スル現金、基金及有価証券、貯蔵兵器、輸送材料、在庫品及糧抹其ノ他総テ作戦動作ニ供スルコトヲ得ヘキ国有動産ノ外、之ヲ押収スルコトヲ得ス。
海上法ニ依リ支配セラルル場合ヲ除クノ外、陸上、海上及空中ニ於テ報道ノ伝送又ハ人若ハ物ノ輸送ノ用ニ供セラルル一切ノ機関、貯蔵兵器其ノ他各種ノ軍需品ハ、私人ニ属スルモノトイエドモ、之ヲ押収スル事ヲ得。但シ、平和克復ニ至リ、之ヲ還付シ、且之カ賠償ヲ決定スヘキモノトス。」
こうして、1907年ハーグ条約(以下、「ハーグ条約」という)によれば、占領地の軍の権力は私権を尊重する義務を負い(46条)、略奪は厳禁される(47条)。報道の伝達又は人もしくは物の輸送の用に供される一切の交通機関、貯蔵兵器その他の軍需品は、私人に属する場合であっても押収することができるが、平和回復後に返還及び賠償がなされなければならない(53条第2段)。他方で、占領軍は、占領軍の需要のために現品徴発及び課役を住民に要求することができ、これに対してはなるべく即金で支払うとともに、不可能な場合には領収証を発行し速やかに対価を支払うものとされる(52条)。すなわち、この52条及び53条第2段による徴発・押収は、46条に定められた私権の不可侵の明示的な例外であり、46条を補完するものとして位置づけられる。
そして、これらの規則を受けて、同条約3条は、「前記規則ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ、損害アルトキハ、之ガ賠償ノ責ヲ負フベキモノトス。交戦当事者ハ、其ノ軍隊ヲ組織スル人員ノ一切ノ行為ニツキ責任ヲ負フ」と定めたのである。
当時軍隊構成員による違法行為について国が国際的な責任を負うことは確立された国際法の原則であったが、同条は軍隊構成員の「一切の行為につき」責任を負うと無条件に規定し、構成員の資格、過失の存在等の要件なしに構成員のすべての行為の責任を国に負わしめているのである。
6 このような、ハーグ条約に体現された私権尊重の原則は、前世紀末から今世紀初頭以降、主要国によって受け入れられ広く承認されるようになる。
例えば、ギリシャは1830年の独立以来19・20世紀を通して周辺国との占領・被占領の関係を繰返してきた国であるが、ギリシャは慣習法としての1907年ハーグ条約に拘束され(ギリシャは1899年条約は批准したが1907年条約は批准していない)、同国裁判所も、慣習法たるハーグ条約の適用に躊躇してこなかったとされる。ギリシャの裁判所は「戦争は国家間の問題であって個人間のものではないので、私有財産の尊重は占領国の基本的な義務を構成する」ことを認めており、従って、国際法上認められた例外を除いてはいかなる収用又は略奪も禁止されるとしている。また、違法な私有財産への侵害に対する補償については、ギリシャの裁判所は明示的に金銭賠償を認めている。アテネ控訴裁判所判決によれば、もし戦争の必要上私有財産に損害を与えた場合には、占領国は十分な賠償を払わなければならない。
米国は1943年、米国が占領した地域における軍政及び民事管理に関して包括的な行動指針を採択し、その中で、占領地で軍事要員が住民に与えた損害に対して提起される賠償請求の処理についても詳細な規定をおいた。それによると、「賠償請求を迅速に調査、決定するため、軍政長官は彼の管轄地域に一人の士官が監査する損害賠償部を設置しなければなら」ず、その長は同調査部の運営に責任を負う(『米国陸海軍軍政/民事マニュアル
1943年12月22日 FM27−5 NAV50E−3』 竹前栄治・尾崎毅訳、みすず書房、1998年、65頁)。賠償請求の処理手続については、陸軍の場合、「陸軍規則25-90あるいは陸軍規則25−25の規定に基づいて審理される財産の損害、もしくは損失または破壊、個人の傷害または死亡に対する賠償請求のすべては、このような規則及び陸軍規則25−20の規定に従い完全に調査および処理されなければならない」とされた(同、67頁)。
他ならぬ日本自身、19世紀末に開国し国際社会に参加するようになってからというもの、こうした私権尊重の原則を含む戦時国際法を当然のこととして受け入れてきた。特に、開国後の19世紀末から20世紀にかけては、文明国として欧米列強に伍することを意識して、戦時国際法の厳格な遵守を旨としていた時期である。日清戦争当時帝国海軍学校教授であり、海軍将官の法律顧問でもあった高橋作衛博士は、英文の著書『Cases
of International Law during the Chino-Japanese War(日清戦争中の国際法事例)』(1899年)において、日本が日清戦争の際、ヨーロッパ諸国からの影響をも受けつつ、現地徴発について文明的な方法をとるよう努めた旨詳細に記述している。
それによると、日本の遼東半島上陸後間もなく発布された徴発規則の基礎にある原則は、「敵国内の平和的住民は、侵攻軍の維持のため又は軍事能力の促進のため不可欠なもの以外の使役を要求されてはならず、また、かかる徴発のもとで人々によりなされた使役は正当に補償されねばならないこと」であった(同書
p.158)。
1899年ハーグ条約の成立後となる1904年の日露戦争については、高橋博士(当時、東京帝国大学教授、外務省法律委員会委員)は、日本軍のサハリン占領時に同条約の47条から56条までが適用され、中国満州地方の占領についても、中立国領土であるための一定の例外を除いては日本はハーグ条約の規則に拘束されるとしている。
さらに今世紀前半の代表的な国際法学者の一人であった立作太郎博士は、「昔時に於て敵國の私有財産が没収し得べきを認められたることあるも、今日に於ては斬の如き説を唱ふる者は無いのである」として、ハーグ条約46条・47条にふれつつ「私有財産の没収の行はれ得ざるの原則の慣習國際法上有効なることは、今日に於ては疑を容れざる所である」としていた(立作太郎『戦時国際法論』日本評論社、1944年、271頁)。
7 このように、戦時における私権尊重の原則は各国により広く認められてきたが、強調されるべきことは、例外としての押収や徴発を受ける際には対価の支払い(又は領収証の発行と事後の還付・補償)が不可欠であること、及びまた、それを受けるのは、財産の所有者たる個人(場合によっては市町村)だということである。
個人の「国際法主体性」を否定し、ハーグ条約の適用上も個人は何らの位置づけもないかのような被告国の主張には全く根拠がないことがわかる。ハーグ条約53条第2段に基づく押収の場合の還付及び賠償、また、52条に基づく徴発・課役の場合の支払い又は領収証の発行は、住民個人(場合によっては市町村)を相手とするものであることが、条約の規定からも明らかである。
立博士の解説によれば、取立金及び徴発に関する制限は明確さを欠いていたところ、ハーグ条約によってその制限が明確に規定され、「取立金又は徴發の制度の濫用に因る私人の苦痛を減ぜんとし、特に徴發に関しては、補償を求むるの道を私人又は市町村に確むるの趣旨の規定を設けたるより、取立金及徴發の制度は其奮態を改めたのである」(立前掲書、279頁。)。
また立博士と並んで今世紀前半の日本の著名な国際法学者であった信夫淳平博士も、次のように明言している。「私有の動産にして直接に軍事的用途に充てらるゝことを得るもの(例へば貯蔵兵器その他の軍需品、報道傳送機関、輸送機関等)は差押及び使用するを得るも、没収するを得ず、且差押及び使用より生ずる損害に對し賠償の責任がある。...今次の上海戦[1931年の上海事変]に於て、我が陸戦隊にてはその差押へたる適地所在のピストル類(私人若くは第三國人の所有品)にして後日私有物たることの立証せられたものは、後日之を持主に還付した。當然のことではあるが、また以て帝國海軍が[陸軍の誤り]如何に交戦法規に忠實であつたかを明らかにする一端として、事小なりとも大書するに値する」(信夫淳平『上海戦と国際法』1932年、丸善株式会社、278頁)と。さらに、私有の家屋が軍事行動に使用され破壊された場合につき、「敵が私有の家屋を軍事行動上の或種の補助機関に利用したるときは、之を破壊するを得るは他に取るの道なき絶對必要の場合に限るのである。...例へば正規兵に非ざる便衣隊が民屋に立籠りて我兵を狙撃したりとする。我兵はその現行犯者を逮捕すべく當該家屋に入りて捜索するは妨げない。本来は家主の同意を求め然る上にて入るべきなれど、事急なる場合にはその手続を経ず、直ちに侵入することもゆ恕せられる。又捜索上に極めて緊急を要せば、戸を破り窓を打壊して侵入するも亦恕せらぬではない。しかもその目的はその現行犯者を逮捕するにある。その以上家屋を破壊するが如きは勿論違法で、侵入兵の属する國家は之に對し當然損害賠償の責任を有する」と述べている(同、279−280頁)。
8 徴発や押収の場合には、財産の所有者たる個人(ないし法人、場合によって市町村)に事後の還付や損害賠償を受ける権利が認められていることは、数多くの事例から明らかである。この措置は、違法行為の直後に現地でなされることがあるほか、戦争の終結後、国際的手続(混合仲裁裁判所等の機関の設置による)又は国内的手続(国内裁判所への出訴)によってなされることもきわめて多い。
違法行為の直後になされた例は、日本のものとしては、私人財産の差押えの事例で後日これを還付した例について信夫博士が上述の例を挙げているほか、占領地において規則に反し被害を個人に与えた行為について、被害者に賠償を支払った事案が記録に残っている。蜷川新による『黒木軍ト戦時国際法』は、第三章「占領地ニ於ケル軍ノ権力行動」第二節「占領地人民ノ権利保護」において、「吾軍ハ中立國ノ領土タル満州ニ於テ戦時行動ヲ為セリ然レトモ我軍ハ満州ニ於テ交戦行動ヲ為スニ當ツテハ先キニ巳ニ述タルカ如ク敵國ニ於テ行動ヲ為ス場合ト殆ント同一ノ規定ニ依レリトイエドモ其實行ハ極テ寛仁ニシテ人民ノ権利ハ努メテ之レヲ保護シ満州ニ於テ軍事行動ヲ為スニ當リ我軍ハ交戦國ノ有スル国際法上ノ権利ト義務トノ遂行ニ努メ権利ヲ有スルモノハ之ヲ執行シ義務ヲ帯フルモノハ之レヲ完行シタリ今左ニ簡単ニ頂ヲ分テ之レヲ述ヘン」(蜷川新『黒木軍ト戦時国際法』清水書店、1905年、128頁。)
としたうえで、「(丙)失火賠償」として次のように述べている。
「...交戦地ニ於テ軍隊又ハ軍隊ニ属スル兵士カ戦闘ノ必要以外ニ於テ故意又ハ過失ニ依リ人民ノ身体又ハ財産ニ對シテ損害ヲ被ラシメタルニ於テハ之レヲ賠償スルコト固ヨリ法律上ノ義務ナリトス故ニ我軍ハ如斬場合ニ於テハ當ニ損害ヲ賠償スルコトナセリ今其ノ一例ヲ挙ケンニ第一軍ノ鳳凰城付近ニ在リシ際某村ニ宿営セシ第十二師団ノ兵士等一日過失ノ為メニ民家ヲ焼キ延焼三戸ニ及ヘリニ於テ軍ハ過失ニ依ル損害ハ之レヲ賠償スヘキヲ義務トナシ被害民ニ対シ適當ノ賠償金ヲ支払ヘリ之レ實ニ適富ノ処置ト云ハサルヘカラサルナリ」(同、131−132頁)。
9 以上の通り、戦時国際法においてはすでに早期から、私権の尊重の原則が確立し、ハーグ条約によってさらに明確にその範囲や制限が明確にされた。そこでは、徴発の際の領収証の発行や賠償において、財産の所有者個人を直接に権利主体とした扱いが広く承認されているのである。
第6 ハーグ条約の国内法的効力
ハーグ条約について、日本は、前述のとおり1907年に署名し、1911年11月に批准、同年12月に批准書を寄託し、翌12年1月に公布しており、これにより同条約は、日本において国内法的効力を持つにいたった。
そもそも大日本帝国憲法では、その第13条に「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」とあるとおり、条約の締結権は天皇にあった。条約については帝国議会の関与はなく、天皇の裁可で条約の締結、批准を行い、批准書を寄託した後、公布すれば、条約は国内法的効力を有するとされた。実際の取扱でも、条約として公布されれば、たとえその内容が法律をもってしなければ臣民の権利義務を生ずることを得ない事項に関する場合でも、直ちに国内法としての効力があるものとして扱われてきた。
そして、日本国憲法第98条2項によって遵守を要求される条約及び国際慣習法は、立法措置等の特別の手続をとるまでもなく、日本国憲法の同条項の一般的授権に基づいて、自動的かつ包括的に日本の国内法の一部になり国内法上執行可能なものとなる。
したがってハーグ条約ないしこれと同内容の国際慣習法は、国内法的効力を持つ。
第7 ハーグ条約3条の自動執行力
1 ハーグ条約が国内法的効力を有するとしても、日本国内において同条約が法律などと同様に適用されるためには、国内法による補完・具体化がなくとも条約の内容上そのままの形で国内法として直接に実施され、私人の法律関係について国内の裁判所と行政機関の法規範として適用できること、すなわち、「自動執行力」が認められなければならない。
2 この点につき、「条約規定が裁判所でそのまま適用できるためには、主観的要件と客観的要件とを充足していなければならない」という主張がある(なお、条約規定の自動執行性と直接適用可能性については、両者を同義のものとして互換的に用いる用法が多いため、ここでは一般的な用法に従う)。すなわち、主観的な要件として条約の作成・実施の過程の事情により、私人の権利義務を定め直接に国内裁判所で執行可能な内容のものにするという、締約国の意思が確認できることが必要であり、客観的要件として、私人の権利義務が明白かつ確定的、完全かつ詳細に定められていて、その内容を具体化する法令にまつまでもなく国内的に執行可能な条約規定であることが必要、という主張である。
3 しかし、このうち主観的要件、すなわち国家が条約作成当時にそれが国内裁判所で直接適用できることを意図していたことという要件は不要というべきである。
国際法たる条約は元来、実現すべき結果を国家間で合意し、それを各国が実現する具体的な手法は、それぞれの国に委ねるという方式をとるものが普通である。従って、条約の締結にあたっても、条約の当事国は、条約が国内で実現されるという結果に最も関心をもち、実現方法については関心をもたないのが通常であるから、条約が直接適用可能であるとの当事国の積極的な意思が条約中に明示されることはほとんどない(甲221号証 岩沢雄司『条約の国内適用可能性』有斐閣、1985年、153頁)。条約の直接適用可能性の問題について詳細な研究を行っている岩沢教授によれば、直接適用可能性についての当事国の意思とされるものは、たいていは「全くの擬制的な意思」(同)にすぎない。条約起草時の当事国の主観的な意図を要件とすることは、端的に言って不適切である(甲219、甲222号証)。
4 また、客観的要件として、私人の権利義務が「明白、確定的、完全かつ詳細に」定められていることが挙げられるがあるが、そのような厳格な条件が必要かどうかは疑問である。条約を含め、法規定は本来的に、後に解釈により意味内容が発展せられることを予定して、ある程度一般的な用語で規定されているものである。国内実施を予定している条約であれば、その規定中の法概念がいかなる意味内容をもつかは、それぞれの締約国における国内判例の蓄積や学説の発展に応じて、確定されていくのである。
したがって国内裁判所は、条約の解釈・適用にあたっては、国際法上認められた条約の解釈原則(ウイーン条約法条約)に従い、条約の趣旨目的に照らして条約の文言を誠実に解釈し、求められている司法判断を行う目的からみて十分な明確性をもつと考えられる場合には、それに基づいて結論を下すことができる。条約が個人の権利を認めており、それが国家の作為によって侵害されたと考えられる場合には、その違法認定と救済は比較的容易なはずであり、条約の自動執行性の客観的要件に高い壁を設けることは不必要である。
5 そしてそもそも、条約は憲法上、国家による批准と交付を以て、国内的効力を有するのであるから、その条約が内容上明確に締約国に対して条約の実現のための立法または行政措置が必要であると明記している場合、又は規定の文言上その実施について国内立法又は行政措置を明らかに予定している場合、若しくは条約の文言上に現れた締約国の意思から直接適用が否定されていると考えられる場合以外は、原則として他の法令と同様に、裁判所において直接適用が可能であると解するべきである。
6 仮に、条約に自動執行力が認められるためには、主観的な要件と客観的要件が必要であるとしても、ハーグ条約3条はそのいずれをも充足しているというべきである。
すなわち、まず、締約国の意思については、前述した同条の制定過程、特にその提案理由をみれば、同条が加害国に対する被害者個人の損害賠償請求権を定め、かつ直接に加害国に損害賠償を求めることを締約国が承認して締結したことは疑いの余地はない。
次に、同条約3条の規定の内容も、極めて明確であるといえる。そもそも明確性が要求される根拠は、それが国内的に執行されることにより国内の法的安定性を害してはならないという要請からである。したがって、明確性の程度は、同種の国内法と同程度であれば足り、それ以上である必要はない。
わが国の不法行為の一般原則を定める民法709条は「故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタ」と極めて一般的に不法行為の発生要件を定めているに過ぎないし、また、国の不法行為賠償責任を定める国家賠償法1条も、「公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは」と極めて抽象的文言で規定されている。これらの条文中の各要件の具体的内容は、裁判所の判例の積み重ねによって決められている。
このようなわが国の制度に照らしてみるならば、ハーグ条約3条の規定の方がより具体的かつ詳細な要件を規定していることは一見して明らかである。ハーグ条約3条は、日本の国内法として充分な明確性を有している。
7 以上の検討から、ハーグ条約3条が自動執行力を有することは疑問の余地がない。
第8 ハーグ条約3条に基づく国内裁判所による救済の有効性
ハーグ条約3条が、被害者個人の加害国に対する損害賠償請求権を認めたものであり、かつ、国内法的効力及び自動執行力を持つことから、同条約に基づいて国家間で、個人の国際法上の権利能力を承認することについて、合意があったことになる。いいかえれば、条約がこような条件を備えていれば国内裁判所はその条約を適用して判断をなしうるのである。
この場合には国際機関ではなく国家機関である国内裁判所が国際管轄権(国際法の執行)の行使を担当することになる。したがって、ハーグ条約3条に基づいて、わが国の裁判所は、ハーグ条約上の問題に対する管轄権を持ち、同条約に準拠してこの管轄権を行使することができる。
ところで、個人が相手国に対する請求権を実現する手続の中で、最も現実的で、かつ最も実効性のある請求の方法は、和平後に加害国の裁判所に出訴する方式である。
この方式が最も有効であることは、被害者個人は、被告に対する損害賠償請求権を被告の現在の司法的救済の手続法に従って実現することができるという、現在確立された国際人権法上の法理によっても裏付けられる。また、この方式の有効性は、世界人権宣言8条が「すべて人は、憲法または法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する」と規定していること、さらに、市民的及び政治的権利に関する国際規約2条3項が、権利を侵害された個人の効果的救済への権利を国際規範とするために効果的救済を求める者は何人でもその権利を権限のある司法的、行政的、または立法的な機関によって、または締約国の法制度によって定められたその他の権限ある当局によって決定されることを求めていることによっても、広く国際人権法上承認されているところである。
以上の通り、ハーグ条約第3条に基づいて発生した被害者個人の損害賠償請求権は、和平成立後に、被害者個人が加害国の裁判所に提訴し、その国の司法手続に従って実現することができるのである。
第9 ハーグ条約の裁判上の適用事例について
1 ハーグ条約に基づく賠償の支払いは、国際的な裁判機関のほか、各国の国内裁判所においてもごく日常的に行われてきた。
ここでとりわけ重要なのは、各国の国内裁判所における個人の出訴による事例である。
2 まず比較的よく知られた事例としては、1912年にギリシャがトルコ領エピルス島の占領時に行った住民からの徴発をめぐるエピルス事件判決がある(甲209号証)。
住民がギリシャ政府を相手取り、徴発に対する損害賠償を求めたのに対し、アテネ控訴裁判所は、ギリシャ法の適用により請求が排除されると主張したギリシャの主張を退け、軍事占領の事実は占領国の法を占領地に及ぼすものではないとした。そして、国際法はギリシャ法の一部をなすという一般原則に則り、「私有財産の不可侵を認める国際法の原則すなわちハーグ第4条約[1907年のハーグ条約をさす]附属ハーグ規則46条及び53条に体現されている原則が適用されるべきである」として、ギリシャ政府を敗訴させ住民の請求を認めた。
3 戦時国際法に基づき、政府を相手取って当該国家の国内裁判所で損害賠償請求を行って認められた他の重要な事例としては、1924年7月15日のイギリス控訴院判決も挙げられる。
これは中立国国民による訴えであるが、第一次大戦中、戦時徴発権(right of Angary;戦時において交戦国が、その領域内にある中立国国民の商船、航空機などを軍の必要に応じて押収する権利。戦後、完全な賠償がなされなければならない)にイギリスにより財産(木材)が押収されたエジプトの商社が、賠償を求めてイギリスの戦争賠償裁判所、続いて控訴院に出訴した事案である。本件でイギリス控訴院は、戦時徴発は「国家行為(act
of State)」であってイギリスの国内法で明記されない限り損害賠償請求権はないとしたイギリスの主張を退け、国際法に基づき原告への損害賠償を認める判決を下した。判決はこの中で、「国際法は、戦時徴発権という形で、交戦国がその領域内にある中立国民の物資を徴発する権利を認めているが、これは完全な賠償(full
compensation)を行うことを伴う権利である」「国際法で認められている戦時徴発権の条件の一つが、中立の所有者に完全な賠償が支払われることであるのは明白である」として賠償の義務を明言し、「我々の国内法が押収の権利を認め、しかし他方で賠償の義務を排除するという理由が見当たらない。そう判断することは、我が国法上、イギリス法に服する者と服さない中立国民との間に顕著な区別を設けることになるだろう」として、中立国民も当然に国際法上の権利を享有すべきことを述べている。
イギリスは条約に関しては「変型」体制(条約を国内で実施するためには別途国内法の制定を要する)国であるが、本件は、確立された慣習法としての戦時徴発権と賠償義務がイギリスの国法の一部であることから、それに照らして原告の請求を認めたものである。
4 以上の外にも、ハーグ条約ないしはその内容が国際慣習法となっていることを根拠に、個人の加害国に対する損害賠償請求を認めた判決には次のようなものがある。
@ 1952年4月9日に旧西ドイツ行政控訴裁判所は、「原告の損害賠償請求権は、国内公法のみならず、国際法からも生じる。1907年のハーグ陸戦条約3条により、国家は、自国の軍隊を組成する人員の一切の行為(ハーグ陸戦条約の違反行為)につき責任を負う。文民の保護のため広範な文言が選択された第3条によれば、損害をもたらした者の過失は責任の要件ではない。第三者が軍隊構成員の行為にかかわる占領国の絶対責任について規定していると言うことは、国際法の疑いなき原則である。国際法の定めるこの絶対責任の枠内で、国家は『無形的』損害についても賠償義務を負う」との判決を下した。この判決は、まさにハーグ条約3条を直接の根拠として個人の損害賠償請求権を認めたものである(甲208号証)。
被告はこの判決について、この事件は、第2次大戦後の占領期間中にドイツを占領していたイギリス軍が使用する自動車によって人身障害を受けたドイツ人が加害国とされるイギリス政府に対して請求したものではないから、交戦当事者に損害責任を負わせたヘーグ陸戦条約に基づくものとはいえない事案であると主張する。
しかし、この主張は明らかに同判決の内容を誤解している。同判決は、
イギリス軍の行為によりドイツ人が損害を受けた場合は、ハーグ条約3条に基づき、当該ドイツ人はイギリス政府にその損害の賠償請求をすることができるとしたうえで、ただ、当時のイギリス占領軍の定める関連法規により、その損害を直接賠償するのはドイツ当局であるとしたものである。つまりは、ハーグ条約に基づくイギリスの責任とその損害賠償を実際に支払うのは当時の関連法規によりドイツ当局であるとして、責任主体と賠償金支払いの主体とを区別しているだけである。したがってここで重要なのは、同判決がハーグ条約に基づいてイギリス政府はその軍隊が他国の者に損害を与えた場合は同政府が責任を負担すると認めたという点である。被告の批判は全く当たらない。
A 1997年11月5日、ドイツ・ボン地方裁判所は「侵略者の責任は、既に両世界大戦の間に国際法の要素になった。捕虜と侵略地の一般住民を殺害したり奴隷化したりしてはならないという原則も国際法の一般規則に属していると言うことについて意見が一致している。この一般原則は、1907年10月18日の陸戦の法規慣例に関するハーグ4条約にも表現されている。ドイツ帝国は、ハーグ第4条約を1919年10月7日に批准したので、その規則を遵守しなければならなかった。この条約の付属書52条によると、占領地の住民への課役は占領軍の需要のためにするのでなければ要求することはできないし、住民が母国に対する戦闘行為に従事する義務も含めてはならない。したがって交戦中のドイツ帝国は、ユダヤ系住民を軍需工場で殲滅を目的として非人間的条件下で強制労働させることも禁じられていた」と述べ、ハーグ陸戦規則違反の行為に起因する損害賠償責任が個人のために援用されることを明らかにした(甲214号証)。
この判決についても被告は、ハーグ条約3条を直接の根拠として個人損害賠償請求権が認められた例であるか否かは全く不明というほかにと主張する。
しかしながら、同判決が、ハーグ条約が相互主義の下で損害賠償責任を課しているわけではないこと、ドイツ連邦憲法25条によってハーグ条約が国内法化されていること、しかも同条約の効力が法律よりも上位におかれていることを根拠としてハーグ条約によりドイツ帝国公務員法の求める相互主義の適用を排除することも判示していることからすると、同判決がハーグ陸戦規則違反の行為に起因する損害賠償責任が個人のために援用できることを明らかにしたものであることは疑いの余地はない。
東京地方裁判所2001年(平成13年)7月12日判決も「同判決の内容に照らすと、同判決がハーグ陸戦条約3条が個人の国家に対する損害賠償請求権を認める根拠となりうるとする見解を示したものと解する余地はあるというべきである」と述べている。
被告の上記主張は失当である。
B 1997年10月30日、ギリシャ・レイバディア地方裁判所は、原告の被告ドイツ連邦共和国に対する損害賠償請求訴訟に対し、ハーグ条約及びハーグ規則、とりわけ同条約3条及び同規則46条により合法であり、個人の資格で請求を行うことを妨げないとして、ギリシャはハーグ条約を批准していないが、同条約の内容はギリシャ及びドイツを拘束する国際慣習法の一部となっているので、これをドイツに対して援用することは可能であるとして、原告の請求を容認した(甲230号証)。
この判決に対しても、被告は判決の論旨だけでは、ハーグ条約3条が個人の賠償請求権を認めたものと解釈する根拠としては薄弱であるといわざるをいないと主張する。
しかし、前掲東京地方裁判所の判決は、明確に「同判決は原告が主張するようにハーグ陸戦条約を直接の根拠に個人の損害賠償請求権を認めた事例と解釈することができる」と判示している。
被告の主張はここでも失当である。
5 さらに、以上のように国を直接に相手取った訴えのほかにも、押収や徴発に関する戦時国際法に交戦国が違反し、その結果、財産の所有者である私人への財産の還付や賠償を認めた国内裁判所の判例(交戦国が財産を売却したこと等により、訴訟の形式が私人対私人となっているものも多い)はきわめて多数存在し、枚挙に暇がない。以下に、ハーグ条約に基づいて下された判決を例示する。
@ドイツ軍により貨物自動車が押収され、対価の支払いも領収証の発行もなされなかった事案につき、フランスのルーアン控訴裁判所は1947年5月17日の判決で、次のように判示して、元の所有者であるローレへの返還を認めた。「ドイツの行為は徴発ではなく、ハーグ条約53条にいう押収であった。本条は、私人に属する輸送手段の押収は、戦争法によって認められる場合には、これらの個人から所有権を奪うものではなく、単に押収された財産の使用権を奪うのみであると定めている。当該財産は、交戦の終了後、還付されなければならない」(Mortier
v.Lauret,H.Lauterpacht ed.,Annual Digest of Public International
Law Cases,Year 1947,1951,pp.274-275)。
Aドイツ占領軍のために貸した馬が、その後も返還されず、その後イギリス占領軍、次いでデンマーク政府へと引渡されたため、元の所有者が所有権を主張した事案で、デンマークの西控訴裁判所は1947年7月11日、訴えを認め馬の返還を命ずる判決を下した。「ハーグでの第2回国際平和会議で採択された陸戦規則は、53条第2段において、占領軍は、私人に属するものであっても、とりわけ輸送手段を押収することができると定めている。しかし、本条は、そのように押収された財産は、和平の締結時には還付され、また損害賠償が定められなければならないと付け加えている。ドイツ占領軍による馬の処分が、上述の規則に従って行われた押収といえるかどうかは別にして、控訴人の所有権がそれによって失われたとみることはできない」(Andersen
v.Christensen and the State Committee for Small Allotments,H. Lauterpacht
ed., Annual Digest of Public International Law Cases,Year 1947,1951,pp.275-276.)。
Bドイツによる北イタリアの占領中、ドイツ当局が、将来の支払いを約束する書類を発行して2頭の牛を徴発し、その後、別の者からの牛2頭の徴発に際して最初の牛を賠償として与えた事例で、イタリアのボローニャ控訴裁判所は1947年5月4日、徴発が必要な限度を超えていたこと、いかなる支払いもなされなかったことを理由として、最初の徴発が違法であったことを認め、牛の返還を命じた(Maltoni
v.Companini,H. Lauterpacht ed., Annual Digest of Public International
Law Cases,Year 1948,1953,pp.615-618)。
Cドイツ軍によるノルウェーの占領中、ドイツ当局が原告所有の自動車を徴発し、領収証の発行も賠償の支払いもなされなかった事案につき、ノルウェーの控訴裁判所(Haalogaland
Lagmannsrett)は1948年3月4日、ハーグ条約52条による徴発が有効であるためには現金の支払いか領収証の発行がなければならないとして、原告の所有権を認めた(Johansen
v. Gross,H. Lauterpacht ed., Annual Digest of Public International
Law Cases, Year 1949,1955,pp.481-482)。
Dドイツによるオランダの占領中、ドイツの国境税関監視員が、現金支払いも領収証の発行もせずに2台のオートバイを押収した事案につき、オランダの特別破棄院は1950年2月6日、たとえ輸送手段として押収の対象になるとしても、ハーグ条約53条第2段が遵守されなければならないとして、押収を違法と認める判決を下した(In
re Hinrechsen,H. Lauterpacht ed., Annual Digest of Public International
Law Cases,Year 1949,1955,pp.486-487)。
Eドイツによるデンマークの占領中に代金の支払いなく徴発され、戦後イギリス軍からデンマーク政府の手に渡った2頭の馬につき、元の所有者が所有権を主張した事案で、デンマークのコペンハーゲン東地方裁判所は1947年7月11日、次のように述べて原告の主張を認めた。「第2回ハーグ平和会議で採択された陸戦規則の53条第2段は、他国を占領した軍隊はとりわけ、私人に属するものであっても、輸送手段を押収することができると定めている。しかし、同条は、押収された財産は『和平の締結時に還付され、賠償が決定されなければならない』と付け加えている。このことに照らせば、控訴人の所有権が消滅したと推定することはできない」(Statens
Jordlovsudvalg v.Petersen,H. Lauterpacht ed., Annual Digest of Public
International Law Cases,Year 1949,1955,pp.506-507.後にデンマーク最高裁もこれを支持)。
Fイギリス占領軍の命令により徴発されたオートバイがその後、以前に徴発を受けた者に対して賠償として渡され、元の持主がハーグ条約53条第2段を根拠に所有権を主張した事案で、オーストリア最高裁は1951年4月18日、1899年のハーグ条約を援用して、原告の主張を認めた。「ハーグ規則の53条第1段によれば、占領軍は、被占領国の所有に属する一定の財産を徴発することができる。かかる財産はそれにより占領国の財産になる一方、同様の規則は、53条第2段に言及された人や物の輸送手段を含む私有財産にはあてはまらない。なぜならば、かかる私有財産は、和平の締結時に返還され、また賠償の問題も決定されなければならないからである。...オートバイは私人の財産であったから、占領国は、ハーグ規則に従い、徴発によってその所有権を取得してはいない...従って原告は、徴発及びその後の移転の結果として、オートバイに対する権利を失っていない」(Requisitioned
Property (Austria)(No.1)Case,H. Lauterpacht ed.,International Law
Reports,Year 1951, 1957, pp.694-695)。
G米国によるドイツの占領中、米軍によって徴発された自動車が、別の者の使用に割り当てられ、その者が使用している間に盗難にあい紛失したため、所有者が財産の逸失について損害賠償を求めた事案で、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)連邦最高裁は1952年2月13日、使用者が賠償責任を負うことを認める判決を下した。裁判所は、ハーグ条約53条に言及して以下のように述べている。「米軍のとった措置にもかかわらず原告がなお車の所有者であったかどうかの問題は、肯定的に答えられなければならない。...ハーグ規則の53条第2段に従い、私人の所有になる輸送手段で、占領軍により徴発されたものは、和平の締結時に還付されなければならない。従って、かかる財産の徴発は収用目的に供してはならず、使用者のためにのみ供しうるものであり、結果として、これにより影響を受けた個人はその所有権を失わない」。そして、車を使用していた被告はその保護のための措置を怠ったとして、賠償責任を認めた(Loss
of Requisitioned Motor Car (Germany)Case, H. Lauterpacht ed.,International
Law Reports 1952,1957,pp.621-622)。
Hドイツ軍がフランスを占領中、フランスの会社である原告から、きわめて不十分な額の支払いをもって軍用物資が押収され、後にフランス政府機関により敵国財産として没収された後に原告に売却されたため、原告が代金の払い戻しを求めた事案で、フランス破棄院(最高裁)は1957年11月13日、ドイツの行為は略奪として違法であり、原告は合法的な所有者として完全な賠償を得る権利があると判示した(Etablissements
Bracq Laurent S.A.v. Service Central des Domaines,H.Lauterpacht
and E.Lauterpacht eds., International Law Reports 1957,1961,pp.978-979)。
6 以上みたように、ハーグ条約ないしはその国際慣習法に基づいて損害賠償の支払いを認める判断は、国際的な裁判機関のほか、各国の国内裁判所においてもごく日常的に行われてきているのである。
これら多数の実行例を見れば、ハーグ条約3条は個人が加害国に対して損害賠償請求を行えることを認めたものであることは明らかである。
被告は、原告らが事後の実行例としてあげる裁判例等は、原告らの主張を根拠づける事後の実行というには不十分なものであると批判するが、この被告の主張こそ何ら根拠のないものである。
第10 国家の外交保護権と個人の請求権との関係
1 ハーグ条約の違反に基づく責任追及との関係で、国家の外交保護権と個人の個別の請求権との関係が一応問題になる。この両者は、いうまでもなく、本来別個のものである。国家の請求権は、外交保護権という形で国家間で行使されるのに対し、個人の請求権は、特別の合意があれば国際的手続により(ヴェルサイユ条約の例)、それ以外の場合には、各国の国内機関における手続を通して、可能な方法で行使されうる(先にみた多くの国内裁判所の判決の例)。
2 もちろん、違法な戦争行為により個人が損害を受けた場合、国家が外交的に解決を図り、結果的に被害者個人に十分な救済が与えられた場合には、当該被害事実に関してハーグ条約3条は完全に履行されたといってよいであろう。しかし、そうでない場合には、個人の請求権は、国家の外交保護権行使にもかかわらず残る。
ハーグ条約3条の本来の目的は違反国の責任及び被害者個人への賠償であるということができるから、国家が外交保護権を行使しない場合、あるいは行使しても個人の被害が実質的に救済されない場合には、被害者個人が自らの立場で、加害国内の国内的手段等を通して救済を求めることを排除するものではないと解さなければならない。国家の外交保護権は、個人の請求を一括する意図で国際的レベルで行使されうるが、それは、個人の一身に専属する請求権を国内手続のレベルにおいても消滅させるものではない。
自国民が違法行為により損害を被った場合、本国国家が放棄できるのは外交保護権の行使だけであって、被害者個人の一身に専属する権利を消滅させるわけではないことは、例えば日韓請求権協定との関連で日本政府でさえ認めていることである。
すなわち、「いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが...これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます」(1991年8月27日参議院予算委員会会議録第3号10頁)と日本政府は述べている。
1977年のジュネーブ条約第1追加議定書91条は、ハーグ条約3条の規定をほぼそのまま引き継いだ規定となっているが、赤十字国際委員会はこの議定書に対する注釈書で、「平和条約の締結時に、当事国は原則として、戦争被害一般に関する問題...を適当な方法で処理することができる。
他方で、当事国は、...[ジュネーブ諸]条約及び議定書の規則違反の被害者(victims)が受ける権利がある(are entitled)賠償(compensation)を否定することはできない」と明言している(甲212号証 Y.Sandoz
et al. eds.,Commnetary on the Protocol Additional to the Geneva
Conventions of 12 August 1949,and Relating to the Protection of
Victims of International Armed Conflicts (Protocol I),1987,p.1055)。
また、同書は、通常は「紛争当事国の不法行為によって損害を受けた、外国籍の者は、自国の政府に働きかけるべきであり、それを受けて政府は違反を行った当事国に申立てを提出するであろう」が、「1945年以降は、個人による権利の行使を承認する傾向が現われている」と述べていることにも注目すべきである(ibid.,pp.
1056-1057)。
加えて、最近では、国連人権委員会の下部機関である人権小委員会(人権の促進及び保護に関する委員会)は、1999年8月26日に採択した「武力紛争下の組織的強姦及び性奴隷問題に関する決議」(決議1999/16)の中で、いわゆる「従軍慰安婦」のような戦時性奴隷制の被害者が賠償を求める権利につき、国家間の平和条約はこれらの被害者の権利を剥奪するものではないことを明言するに至っている。
3 ハーグ条約3条は、その実現形態として加害国裁判所における個人の損害賠償請求を十分に認める趣旨の規定である。
国際法・国際人道法の世界的権威であり、『アメリカ国際法雑誌』の名誉編集者であるメロンも、「[ハーグ条約]「3条は、賠償に関するいかなる議論にとっても非常に重要である。というのは、実際、この規定は、被害者に対し、直接に国家に対する原告適格を与えるように解釈されてきたからである」と述べている(甲207号証 Th.Meron,"Discussion",A.
Randelzhofer and Ch.Tomuschat eds,State Responsibility and the Individual,1999,
p.142)。
4 個人の受けた損害の救済方法を国家による外交保護権行使のみであるかのようにみなす立場は、そもそも個人の救済を意図したハーグ条約3条の趣旨目的の実現を阻むことになるうえ、上述の日本政府の公式見解にも合致しない。
損害に対する賠償というハーグ条約の趣旨目的からして、国家間解決でそれが実現されていない限り、その他の国内的手法による救済の道が当然に開かれているとみるべきである。国家が放棄できるのは外交保護権の行使だけであって、被害者個人の一身に専属する権利を消滅させるわけではない。被害者が、加害国の国内的手続によって賠償を求めることは国際法上何ら排除されないし、加害国が自発的に賠償を行うことも当然可能である。
ハーグ条約3条は、もっぱら個人の権利のみを定めたものとはいえないとしても、少なくとも、国家と並んで個人にも、適当な手続による賠償賠償請求権を認めたものとみるべき規定である。
5 国家の権利と個人の権利の並存というこうした「請求権の並行性(Anspruchsparallelitat)」は、最近では、1996年5月13日のドイツ連邦憲法裁判所判決が、戦時中のユダヤ人の強制労働に関する事件をめぐるボン地方裁判所の審査要請に対して出した判断で明らかにしたところでもある。
それによると、ポーランドの賠償放棄宣言やドイツ・イスラエル間の政府間協定によって個人の国内法上の請求権は消滅せず、個人の請求権は国際法上の請求権と並行して存在し、国家間の解決によって個人の請求権を認める国内手続の設定が妨げられるわけではない(甲213号証 BVersG,2BvL33/93,
EuGRZ(1996)407, S.411.広渡清吾「近代主義・戦後補償・法化論」法律時報68巻11号、1997年【甲215号証】も参照)。本判決は、国家間の賠償(Reparation)と、個人が求める国内法上の賠償(Entschadigung)とを明確に区別していることが重要である(甲217号証、甲218号証はこの判決の解説である)。
なお、この判決はまた、国内裁判所の管轄権行使に関連して、個人の請求権と外交保護権との関係についても指摘を行っている。ドイツ連邦憲法裁判所は、外交保護の制度が個人の請求権を排除するものでないことは、当該個人が国内的手段を尽くした後に初めて国家が外交保護権を行使するという原則からも明らかである、と述べているのである(BVersG,2BvL33/93,
loc.cit)。
個人が加害国の国内裁判所で損害賠償請求を行うことは、国際法の枠組みにおいて何ら不自然ないし例外的なことではなく、むしろ、国際法上、個人は、国家による国際法の違反について、当該国家の国内法に従い国内裁判所で自己の請求権を主張することが前提とされている、ということである。
なお、被告は、このドイツ連邦憲法裁判所の判決が、ハーグ条約に基づく請求に関連するものではなく、ドイツ連邦賠償法に基づく請求について述べているものであって、原告らの本件における国際法に基づく請求を根拠づけるものではないと主張する。
しかしながら、原告らは、上記判例を外交保護権と個人の請求権が併存しうることを明らかにした判決として引用しているものであって、被告の上記主張は的外れのものである。
6 日本でこれまでに出された戦後補償裁判の判決の中では、 オランダ人捕虜に関する東京地裁判決(1998年11月30日東京地裁判決、判タ991号262頁)が、ハーグ条約3条が個人の救済「をも」目的としていたことは認められる、としたが、その一方で、個人の請求には外交保護権が「前提とされていたと推測される」、と述べるにとどまった。
しかし、個人の請求は外交保護権を前提とするということはすなわち、逆に言えば、外交保護権の行使が国によって放棄されたか現実に不可能な場合、又は外交保護権の行使によっても被害が救済されない場合には、個人が自ら請求できるはずだ、という論理が成り立つのである。
そのように考えるならば、少なくとも、国家が外交保護権を行使せず、あるいは行使しても国家間の処理によってカバーされない個人の損害が救済されずに残っている限り、個人自らが利用しうる手段によって損害の救済を求めることは何ら妨げられない。国内裁判所がそうした個人の訴えを審理し、被害者個人に適切な救済を与えることには何らの法的な問題はない。
第11 ハーグ条約等に基づく被告に対する謝罪請求
1 原告らは、ハーグ条約及びこれを補完する国際慣習法に基づいて、被告に対し、日本軍の細菌戦によって原告らの親族等が受けた被害について損害賠償を請求することができることを明かにした。
しかしながら、ハーグ条約等により原告らが被告に対し求めうる請求は、右の金銭賠償請求にとどまらず、請求の趣旨記載の通りの謝罪請求をなしうるものである。
2 もともと国家が国際法や個別の条約に違反する行為をなし加害国家に法的責任が成立する場合には、加害国は、被害国や被害者個人に対して「損害賠償」の義務を負う。これは一般的に承認されている国際法の原理である。
この「損害賠償」には、原状回復、金銭賠償、外形的行為による救済がある。前2者すなわち原状回復や金銭賠償は、主に有形的損害に対する事後救済であり、他方、外形的行為による救済は、被害国や被害者個人の被った非有形的損害に対する事後救済である。
原告らが請求の趣旨で請求する「謝罪」は、右の外形的行為による救済の典型の一つにほかならない。なお、外形的行為による救済としては、他に「保証」や「非反復の保障」などが認められている。
謝罪による救済は、謝罪のみ単独で、または原状回復や金銭賠償とあわせて行われる。謝罪の方法としては、口頭や書面による意思表示の表明など、謝罪の意思を示すものであればその方法に限定はない。
このように加害国が負う国際法上の「損害賠償」は、いわゆる広義の損害賠償を指すものであるから、金銭賠償請求にとどまらず、原状回復や謝罪の請求を含むものである。したがってハーグ条約3条が認める「損害賠償」は、これを金銭賠償に限定すると解すべき理由はなく、むしろ当然、ハーグ規則違反によって被害を被った被害者個人は、加害国に対して謝罪請求をなしうると解すべきである。
第12 結び
本件裁判は、日本の行った細菌戦というハーグ条約等の国際法に真っ向から違反した行為について、原告ら自らの請求権に基づき日本の国内裁判所に対して損害賠償の訴えを行っているものである。
日本はこれらの国際法を国内法化しているのであるから、裁判所は国際法違反の事実を認定し、ハーグ条約等に基づき原告らが被った個人の損害に関して被告に対し賠償と謝罪を命ずる判決を下すことができる。ハーグ条約3条は、この目的上、民法の不法行為規定等と比較しても何ら変わらない明確性をもち、直接の判断根拠となる規定である。
ハーグ条約3条は、その履行のためにいかなる手続的な可能性も排除しておらず、被害者個人が相手国の裁判所において賠償請求を提起することをも決して排除していない。違反の場合の賠償と責任を明確にするという条約の要求の実現に重きをおくならば、それが未だ実現されておらず、かつ国際的な手続の実現見通しもない現在、原告らに加害国内裁判所での救済を与えることには何ら法的に問題はないばかりか、適切であり正義にかなうことである。
戦後すでに50年以上を経て、将来の外交的解決に期待することは事実上不可能であり、原告らの年齢からしても、実質的な救済をこれ以上外交的手段に委ねることは考えにくい。
また、外交的手段以外の方法としては、加害国による国内的措置として、日本政府が補償のための具体的な立法・行政措置をとることが期待されるものの(また後に第6章で述べるとおり、かかる立法・行政措置は被告国の法的義務と解されるが)、未だその方向性は現実化しておらず、結局、裁判所による司法的救済こそが唯一の残された手段となっている。同時に、裁判所による司法的救済は、前述の立法措置や行政措置を促すためにも不可欠なものとなっている。
以上に述べたような原告らへの損害賠償及び謝罪に関する解決手段の状況に鑑み、裁判所が、細菌戦の国際法違反を正面から認定したうえで、原告らへの損害賠償・謝罪を実現することが強く求められているのである。

第2章 国際慣習法の過去の戦争犯罪行為への適用による謝罪および損害賠償請求
1 慣習法とは、立法機関の立法を待たずに、社会生活の中で慣行的に行わ
れている法をいい、成文法の発達しない時代には、法の大部分は慣習法であった。成文法の発達とともに慣習法の領域は狭められたものの、どのような成文法も完全無欠なものではあり得ない以上、成文法と並んで慣習法の存立する余地はなくならないし、その重要性も決して減退するものではない。
ところで国際法の分野は、言うまでもなく成文法の不完全な領域に属する。したがって国際法においては慣習法が特別に重要な重みを持っていると言わなければならない。むしろ国際社会における秩序に積極的に従おうとする平和愛好国にあっては、国際慣習法に対して常にその成立に前向きの姿勢を以て臨むべきである。
したがって国際法領域の良き慣行や国連機関の決議等の積み重ねがあれば、それが条理に沿うものである限り、これらの慣行や決議等を肯定的に扱うべきであって、いやしくもこれらの権威づけに消極的な姿勢を示すことは許されない。
2 実際には、前にも述べたとおり、国際社会は日本政府に対し、度々、戦
時中日本軍隊の行った非人道行為に対する謝罪と賠償を求める声を発している。日本は、このような国際社会の要求に従おうとしないのであるが、この点で日本は正に孤立状態に陥っているのである。孤立しているということは、言い換えれば国際慣習に逆らっているということである。
3 1999年8月26日ジュネーブにおける国連小委員会は、マクドゥー
ガル報告を受けて、武力斗争下での性暴力、性奴隷類似慣行に関してではあるが、17項目から成る決議案を採択した。
国連小委員会の同決議案は、その第4項目で「国家は『自国の軍隊構成員が行ったすべての行為に責任を有する』とされ、侵害について『損害が生じた場合には、賠償を支払う義務がある』と述べた1907年の陸戦の法規慣例に関するハーグ第4条約の条項は慣習法であったと認め」といい、第13項目で、「この決議で言及された被害に関して、国家と個人の、権利や責務は、国際法の問題としては、平和条約、平和協定、恩赦、その他の如何なる手段によっても消すことができないことに留意し」と述べている。これは、日本の加盟する国際連合の、権威ある決議案として、これを尊重すべきである。
4 1952年のサンフランシスコ条約を援用して日本の賠償責任を否定す
る判決例あるので、以下この点について検討する。
これまで述べてきた我々の見解に立てば、この判決が不当であることは明らかである。更に言えば、同条約14条(b)項は、同条約26条の、「日本国が、いずれかの国との間でこの条約で定めるところよりも大きな利益をその国に与える平和処理又は戦争請求権処理を行ったときは、これと同一の利益は、この条約の当事国にも及ぼさなければならない。」との規定により既に修正され、連合国の「国民」の請求権は放棄されないことになったと解される。何となれば、その後に結ばれた日本国と中華人民共和国との共同声明(1972年)及び同国との平和友好条約(1978年)では、国民の請求権までは放棄されておらず、この声明と条約は、日本の相手国にとって、サンフランシスコ条約より有利だからである。(中国の銭其環外相が1995年の全人代で、中国が放棄したのは国家間の賠償であって、個人の賠償請求は含まれないと述べたことは、既に述べた)。
このように現在では、個人に対する国際法領域での賠償が慣習法化していることが十分認められるのである。
5 国際慣習法は、対象となる行為が行われた時期において既に成立してい
る慣習法の場合であれば、問題はなく適用される。原告は、第1章で述べたとおり、ハーグ条約が締結された当時既に個人に対する国際賠償義務が、私権尊重の思想普及に伴い、慣習法化されていたことを主張するものである。さらに原告は、仮にそこまで慣習法化が及んでいなかったとしても、ハーグ条約によって個人に対する国際賠償義務が創設されたことを主張すると同時に、仮に同条約は個人への賠償義務を確認又は創設したものではないとの立場に立つとしても、遅くとも本件細菌戦の実施時点では既に同義務が国際慣習法化していたと見るべきものと考えるものである。この点もすでに第1章で述べたところである。
6 さらに、ここで原告は次のような主張を明らかにして、被告の国際法理
論にするものである。
仮に本件細菌戦の実施当時においては個人賠償が慣習法化していなかったとしても、現在は慣習法化していることについては疑いない。被告は、国際法をあくまで国と国との間の法であるとの古典的な扱いをしており、そこから一歩も出ない頑なな解釈に固執している。しかし現在では、人々は自己の属する国を通してしか国際的な行動、国際的な権利主張ができないなどという考えは通用しない。個人は国際人として外国人や外国政府に対し、自由に物をいうことができるし、法的義務の履行を請求できる。
自国が外交保護権を行使してくれないかぎり何も出来ないなどという窮屈な立場に閉じ込められているとは到底考えられない。自国政府を乗り越えて私権を行使できる筈である。
要するに、被告の国際法理論は時代遅れであり、そのような立場をとらねばならない特別な、あるいは合理的な理由はどこにも見い出せない。
7 そこで、厳密に言えば、慣習法化した現在において、国家の過去の戦争
犯罪行為に対して、個人がその慣習法により遡って責任を問うことが出来るかという問題が生ずる。ここで問われているのは、正確には遡及効の問題ではない。過去の行為を直接の対象として、これについて改めて責任を問うことが出来るかという問題である(遡及効は、法成立の寸前の行為であっても及ばないのが原則であるが)。
また、問われているのは、時効とか除斥期間とかの問題でもない。即ち、ここで問われている問題は、過去の戦争犯罪行為であっても、それが人道上決して許されない類のものであった場合、現在の時点から改めてその行為を見つめ直し、加害国の責任を問い得るという慣習法が、現時点では成立しているとすることができるのではないかという点である。
8 本件細菌戦裁判で原告らは、数十年前の日本軍による細菌戦という重大
な戦争犯罪行為を、現在の時点で直接の対象として取り上げているのであり、現在の時点で、判決を求めているのである。
ドイツに関しては、依然として数十年前の行為の責任が問われており、又、アメリカ、カナダが行った日系市民に対する補償も数十年前の加害行為に対して行われている。このように数十年前の不法な行為に対し、現時点でこれを対象とする処理が行われるということは、普遍化しつつある。
このような国際的慣行が認められるのは、前述のように各国際機関、国際世論が日本の責任を追及しつづけている現状を見れば、このままでは、真の意味での過去の精算による正義の実現が図れないからである。
して見れば、国際法上個人請求権が認められるという現在時点で成立している国際慣習法が、直接に、本件細菌戦のような被告の非人道的な戦争犯罪行為に対して適用されるべきである。

第3章 中国法に基づく謝罪及び損害賠償請求
第1 法令第11条により準拠法となる中国法の適用
国際不法行為の準拠法について、法例第11条1項は、「事務管理、不当利得又ハ不法行為ニ因リテ生スル債権ノ成立及ヒ効力ハ其原因タル事実ノ発生シタル地ノ法律ニ依ル」と定める。
本件の不法行為の原因たる事実の発生地は、被告が本件細菌戦という不法行為を行った行動地も、原告らが被害にあった結果の発生地も、ともに中国であるので、本件不法行為の原因たる事実の発生地は中国であることに問題がない。
したがって、本件については、1940年ないし1942年当時の中国の不法行為法が適用されなければならない。
第2 被告の主張に対する反論
被告は、本件の事案に法令11条を適用することは誤りであると主張している。
しかし、この主張は、以下に述べるとおり誤りである。
1 公務員の権力行為に際して他人に与えた損害の賠償責任の法的性格
被告は、「細菌戦は戦争行為で国家の権力的作用であり極めて公法的色彩が強い」という。しかしながら、権力作用そのものは公法上の行為であり、公法の妥当する分野の問題であったとしても、その権力作用によって他人の権利を侵害したときに、その他人の受けた損害を回復するための損害賠償の問題が公法の分野の問題か私法の分野の問題であるかは、また別論である。
戦前において、美濃部達吉博士は、「賠償義務ハ其ノ行為ノ直接ノ効果ニ非スシテ其ノ行為ノ結果ニ基キテ生スル第二次ノ効果タリ、随テ仮令其ノ原因タル不法行為カ公法上ノ行為タリトスルモ之カ為ニ当然ニ之ヲ公法的ノ関係ナリト曰フヲ得ス。而シテ個人ノ求償権ハ専ラ個人ノ私益ノ為ニ認メラレ、其ノ法律上ノ性質ニ於テ個人相互間ニ於ケル損害賠償ト全然同様ナルモノナルヲ以テ、之ヲ私法関係ト看做スヘキハ当然ナルヘシ」(美濃部達吉「日本行政法上巻」918頁)と、原因たる不法行為が公法上の行為であっても、その損害賠償関係は、私法関係であると、明快に述べておられる。
この問題は、戦後国家賠償法の制定によって、国賠法の性格如何として論じられるようになった。この点について、有力な学説は一致して国賠法が私法に属することを認めて、次のように説明している。
「国家や公共団体に対して不法行為による損害賠償請求の訴訟は、それが公権力の行使に起因し、国家賠償に基づく場合も、なお民事訴訟の性質を有し公法上の当事者訴訟ではない。行政行為の効果とは直接の関係はなく、私益の保護が問題となるに止まるからである」(雄川一郎「行政争訟法」法律学全集113頁)。
「国の責任には、従来とは全く異なった角度から、その特殊性を見いだすことができる」「けれども、それは、一般不法行為理論の発展の中で見いだされる特殊性なのであって、公法に特有の責任理論と見るべきではない。従って、国家賠償法も、私法制度の中で、民法の特別法の地位にあるものと認むべく」(今村成和「国家補償法」法律学全集89頁)。
「国家賠償責任は、伝統的に民事法の領域に属する。公務員の職務違反がたとえ国家の公法的または私法的な活動領域で行われているとしても、そのことに変わりはない。それは歴史的に公務員関係を私法的な委任関係と見る理論が起点にあるからである」(山内惟介「渉外判例百選3版」256頁)。
裁判実務も、同様に私法説を採り、国家賠償請求事件を通常の民事訴訟事件としている。裁判例として、「国または公共団体が本法に基づき損害賠償責任を負う関係は、実質上、民法上の不法行為により損害を賠償すべき関係と性質を同じくするから、本法に基づく損害賠償請求権は私法上の金銭債権であって、公法上の金銭債権ではなく」(最判昭46・11・30、民集25・8・1389頁)と判示するものがある。
このように、国家賠償訴訟は、対等の当事者間で損害賠償請求権の存否を争うものであり、その原因となる公法上の行為を争うのではないから、あくまで、私益の保護のためという性格を有し、私法の分野に属するものと考えるべきである。
仮に被告の言うように、国家賠償請求の問題が公法的法律関係であるとすると、極めて不合理なことになる。
すなわち、公法的法律関係であるとすると、公法の属地的適用の原則が妥当することになり、@日本の国家賠償法は、原則として日本における日本の公務員の不法行為にのみ適用されることになるとともに、A外国の公法(国家賠償法)を適用しないということになる。そうすると、たとえば、日本の公務員が外国における公務中に交通事故を起こし、被害者が日本国に対する損害賠償請求訴訟を日本の裁判所に提起したとする。この場合、国家賠償請求の問題が公法上の問題であるとすれば、日本の裁判所は日本の国家賠償法を適用することはできない。なぜなら、事故地は外国であり、@の原則が問題になるからである。また、Aの原則から、当該外国の国家賠償法を適用することもできないことになる。しかしながら、この場合原告からすれば単なる交通事故にすぎず、たまたま加害者が日本の公務中の公務員であったにすぎないのである。このような場合に当該外国法に基づく請求を封じることになる結論は明らかに不当である。国家賠償責任の問題を公法的法律関係と考えるということは、このような不都合な結果を放置せざるを得なくなることを意味しているのである。
被告は、ここで、原因行為の公法的色彩を云々するのであるが、これまで述べてきたように、ここで大事なのは原因行為の問題なのではなく、被害にあったのが私益であり、その賠償という極めて私法的色彩こそが問題となっている場面だということである。原因行為の公法的色彩故に、国際私法上の問題として法例の適用を排除すべき理由は全くないのであり、被告の主張には全く理由がないものといわなければならない。
2 相互保証主義と国家賠償法の性格
被告は、国家賠償法6条に「相互保証主義」がとられていることを取り上げ、このように相互保証主義をとるのは、公権力の行使に基づく損害賠償義務の領域が民法の領域とは異なり、国の利害に直接関係する領域を構成することを示す、という。
しかし、相互保証主義をとるということが、ただちに国の利害に直接関係する領域を構成し、民法の領域と異なることになるということには何の根拠もない。例えば、相互保証主義をとる立法例には、特許法25条、実用新案法2条の5第3項、意匠法68条3項、商標法77条3項等があるが、典型的な私法的権利の問題である。
さらに、国賠法6条は「何人も」と定める憲法17条や憲法前文の国際主義の原則に抵触するのではないかという、有力な違憲論がある(有倉遼吉「逐条国家賠償法解説」25頁)。
また、国家賠償制度が普及してきた現在の世界において、時代の趨勢として相互保証主義はもはや実際的ではないし、時代遅れではないかという指摘がなされるようになってきているのである。そうした国賠についての相互保証主義の現状を考えるとき、それを持ち出して、民法とは異なる国家の利害を強調するのは、筋違いの議論というべきであろう。
その上、国賠法4条が「国又は公共団体の損害賠償の責任については、前3条の規定によるの外、民法の規定による。」と定め、国賠法の基本法がほかならぬ民法であることを明記しているのであるから、国賠法が予定する法律関係においても、あくまでその性質は私法関係を基本と考えるべきであり、そうである以上、法例11条にいう不法行為概念は、当然にこうした法律関係をも包摂しているというべきなのである。
3 結論
以上のとおり、被告が主張する法例11条適用否定説は、全く根拠がないものといわなければならない。
第3 法例11条2項の適用はない
1 法令11条2項は、「前項ノ規定ハ不法行為ニ付テハ外国ニ於テ発生シ
タル事実カ日本ノ法律ニ依レハ不法ナラサルトキハ之ヲ適用セス」と規定しているが、本件加害行為は、その態様においても被害の程度においても、歴史上稀有なものであり、あらゆる価値基準からみても到底容認されえない違法行為であることは明らかである。また、加害者の故意があったことに疑いの余地はない。したがって、本件細菌戦が、客観的にも主観的にも、日本法の不法行為に該当するものであり、本件の場合、法例11条2項が適用される余地はない。
2 被告は、法令11条2項の適用を主張するが、それは、以下に述べるよ
うに誤った解釈と言うべきである。
(1) 「国際私法上、不法行為の準拠法については、不法行為に関する法律
が国 際私法上のいわゆる公序法であるという理由から、古くは法廷地法主義が唱えられたが、今日最も広く認められている主義は不法行為地法である」(山田鐐一、沢木敬郎編「国際私法講義」青林書院新社150頁)。不法行為地法主義によれば、不法行為の行為者と被害者とがともにその責任や危険を予測ないし評価することができるというメリットがある。また、侵害行為の発生した地が、不法な侵害を防止し、侵害による損害を行為者に賠償せしめることに重大な利害関係を持つべきであるという理由も成り立つ。そうしたところから、不法行為地法が最も合理的であり、実際的であると考えられているのである。しかしながら、わが法例11条2項は、不法行為地法の適用を法廷地法によって制限する折衷主義を採用している。そこで、法廷地法がどの程度干渉するかが解釈上問題となるわけである。この法廷地法の干渉の程度については、立法例も様々であり、右法例11条2項の解釈についても、いろいろな解釈論が展開されてきた。しかし、近年は、不法行為に関する準拠法決定の趣旨、目的に照らして合理的に解釈されなければならないとするのが有力な学説の方向である。
ここでは、法例11条2項の「不法」の解釈が問題になるのであるが、それについては、これまで、3つの説が主張されてきた。
第1説は、不法行為の成立要件である@故意・過失、A権利侵害(違法性)、B損害の発生のうち、@の主観的違法性のみを求めるものである。同説は、法例11条2項の「不法」を「不法行為」と解するのは特別の理由もなく行き過ぎであり、文字どおり「不法」と解するときには、不当利得及び事務管理との関係から、これを主観的違法性、すなわち故意・過失と解すべきとする。すなわち、法例11条は3種類の法定債権の原因中、事務管理と不当利得については不法を云々せず、不法行為についてだけ不法につき日本法の干渉を認めているのであるが、この3種類の法定債権は本来の性質上は自己の権利範囲を踰越する不法(客観的違法性)という点では共通しており、不法行為だけさらに故意または過失(主観的違法性)が加重されているという構造をとっているのであるから、ここでの「不法」とは主観的違法性のみを意味すると解するべきとするのである。
第2説は、右の@とAのみを求めるものである。それは、Bまで要求することになると、例えば、英国の不法行為法においては損害の発生が不法行為の要件になっていないため、英国における不法行為につき我が国で損害賠償請求がなされた場合には、請求棄却となり被害者の救済が図れなくなるし、英国で提訴すれば勝訴し、我が国で提訴すれば敗訴するということになって、被害者救済の可否が国際裁判管轄という手続法に左右されてしまうという不合理があるからである。
第3説は、法例11条2項の規定の趣旨は法廷地法を累積的に適用するということであるから、不法行為地法の適用の上に法廷地法たる日本法の不法行為の要件をすべて満たすことが必要である、として、右の@、A、Bすべてを要求するものである。そして、この説が従前多数説とされてきた。
しかしながら、このような解釈に立つならば、そもそも不法行為地法主義を採用した意義は全く失われてしまうことになる。前述のようにこの解釈では被害者救済に欠けてしまうことになるのであるから、不法行為法の基本的指導理念からは認めがたいところである。したがって、不法行為法の理念を尊重した上、折衷主義をとって法廷地法における公序を認めさせようとする法例の趣旨をふまえるならば、第2説が妥当であると解されなければならない。
(2) 以上の3説のうち、11条2項の「不法」を主観的要件のみに限定す
るという第1説の立場に立つならば、本件では行為者に権利侵害について故意があったことは明らかであるから、同条項により被告の賠償責任を否定することはできない。
また、「不法」を行為の違法性一般をさすものととらえる第2説に立つとしても、本件のような人類史上稀な国際法違反の極悪非道の行為が、客観的に違法であることは明らかである。被告は、ここで、国家無答責の原則なるものを持ち出すのであるが、国家無答責の原則は、公務員の公権力行使に伴う不法行為について、主体によって特別に責任を負わないということであるから、それは違法性には全く関係のないことであることは明らかであり、責任阻却事由ないし免責事由と考えるべきである。戦前の判例、学説においても、公務員の公権力行使に伴う不法行為が違法性を有することは否定されてはいなかったのである。したがって、第2説に立つ場合も、同条項により被告の賠償責任を否定することはできない。
更に、百歩譲って、日本法の不法行為法が全面的に累積適用されると解する第3説に立つとしても、被告が主張するように国家無答責の原則なるものが適用されるわけではない。国家無答責の原則は、以下に述べるとおり、国家と自国民の間の関係だけを前提にするものであり、本件のような日本国とその管轄に服さない外国人との間の関係には当てはまりようがないものなのである。それ故、日本法が累積適用されたとしても、本件のような不法行為を「不法ナラサルトキ」と解する余地はないというべきである。
(3) 結局、法例11条2項の「不法」をいかに解したとしても、本件のよ
うな場合を「不法ナラサルトキ」ということはできないのであって、中国民法の適用を妨げる理由にはならないのである。
(4)仮に、法例11条2項により日本民法が累積適用されるとしても、国家無答責の原則なるものが適用されるものでないことは、後の第4章第2に述べるとおりである。
3 被告は、法例11条3項による民法724条後段の累積適用を主張するが、それは、法例11条3項の解釈を誤ったものである。ここでは、同項の「損害賠償其他ノ処分」の中に時効や除斥の問題が含まれるのかどうかの問題である。
(1)文理解釈
不法行為の効力は、損害賠償の方法及び程度以外に、時効・除斥期間、不法行為債権の譲渡性・相続性、共同不法行為における責任の分担など様々な事項を含んでおり、損害賠償の方法及び程度は、不法行為の効力の一部にすぎない。用語の通常の意味に従えば、「損害賠償其他ノ処分」とは、損害賠償の問題とそれに類似した問題だけを含むはずであるし、また「処分」というからには、何らかの権利実現の手段を指しているものと考えられる。
したがって、「損害賠償其他ノ処分」という文言は、むしろ時効や除斥期間などの問題を含まないと解するべきであり、法例11条3項は、その文言通り、「損害賠償の方法及び程度」について日本法を累積適用することを定めたものである。それにもかかわらず、全面的に日本法による制限を認めたものであるとすることは、明らかに文理とかけ離れるものである。
(2)立法の経緯
法例11条3項の立法経緯に照らしても、それに時効等が含まれると解することはできない。
法例修正案理由書によると、11条3項の趣旨は、不法行為の救済方法について、各国の法に不統一があるので、外国法の救済方法と日本法の救済方法が異なることがあり、日本法が認めない救済方法は与えないという趣旨とされている。これを見る限り、時効や除斥期間が含まれると解することはできない。
また、議事録によると、穂積陳重は、11条3項の提案理由を次のように説明している。すなわち、穂積によると、法例11条3項は、日本法が認めた以外の損害賠償を認めないという趣旨であり、たとえばオランダ法では、名誉毀損の場合に、法廷で被害者に謝罪をするとか、以前に述べたことあるいは書かれたことが誤りであったと公言することが救済方法として認められているが、たとえ不法行為地がオランダであったとしても、日本においてこのような救済方法を認めることはできないというのである。
したがって、法例11条3項の立法趣旨は、文字通り損害賠償の方法及び程度についてのみ日本法を累積適用することにあり、そこに時効や除斥期間などのその他の事項を含めるつもりはなかったと解されるのである。
(3)結論
以上のとおり、時効・除斥期間については、法例11条1項により不法行為地法だけが適用され、同条3項による日本法の累積適用はないのである。
第4 中国民法の規定とその適用関係
1 1940年ないし1942年当時、中国において効力を有していた民事
関係法は、1929年11月22日公布、1930年5月5日施行の中華民国民法である。
その不法行為に関する規定は、第184条から第198条までの15カ条である。
第184条 故意又は過失によって不法に他人の権利を侵害した者は、損害賠償の責任を負う。故意に善良の風俗に反する方法で他人に損害を加えた者もまた同じである。
A他人を保護する法律に違反したときは、過失があるものと推定す
る。
第185条 数人が、共同で不法に他人の権利を侵害したときは、連
帯して損害賠償の責任を負う。数人中いずれが加害者であるかを知ることができないときもまた同じである。
A教唆者及び幇助者は、共同行為者とみなす。
第186条 公務員が、故意に第三者に対して執行しなければならな
い職務に違背し、そのため第三者の権利に損害を及ぼした場合は、賠償の責任を負う。過失によるものであるときは、被害者が他の方法によって賠償を受けることができないときに限り、その責任を負う。
A前項の場合に、被害者が法律上の救済方法によってその損害を除
くことができるにかかわらず、故意又は過失によってしないときは、公務員は、賠償の責任を負うことはない。
第187条 行為無能力者又は制限行為能力者が、不法に他人の権利
を侵害した場合は、行為の当時識別能力があったときに限り、その法定代理人と連帯して損害賠償の責任を負う。行為の当時識別能力がなかったときは、その法定代理人が、損害賠償の責任を負う。
A前項の場合に、法定代理人は、その監督について怠ることがなか
ったとき、又はたとえ相当の監督をしてもなお損害の発生を免れることができなかったときは、賠償の責任を負うことはない。
B前2項の規定によって損害の賠償を受けることができないときは、法院は、被害者の申立によって行為者と被害者との経済情況を斟酌し、行為者に全部又は一部の損害を賠償させることができる。
C前項の規定は、その他の者が無意識又は精神錯乱中にした行為に
よって第三者に損害を及ぼした場合に準用する。
第188条 被傭者が、職務の執行によって不法に他人の権利を侵害
した場合は、使用者は、行為者と連帯して損害賠償の責任を負う。但し被傭者の選任及びその職務の執行の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしてもなお損害の発生を免れることができなかったときは、使用者は、賠償の責任を負うことはない。
A被害者が、前項但書の規定によって損害の賠償を受けることがで
きないときは、法院は、その申立によって、使用者と被害者との経済情況を斟酌し、使用者に全部又は一部の損害を賠償させることができる。
B使用者が、損害を賠償したときは、不法行為をした被傭者に対し
て求償権を持つ。
第189条 請負人が請負事項の執行によって不法に他人の権利を侵
害した場合は、注文者は、損害賠償の責任を負うことはない。但し注文又は指図について注文者に過失があったときは、この限りでない。
第190条 動物が他人に損害を加えた場合は、その占有者は、損害
賠償の責任を負う。但し動物の種類及び性質に従い相当の注意を以て管理をしたとき、又は相当の注意を以て管理してもなお損害の発生を免れることができなかったときは、この限りでない。
A動物が第三者又は他の動物の挑発によって他人に損害を加えたと
きは、その占有者は、その第三者又はその他の動物の占有者に対して求償権を持つ。
第191条 地上の建築物その他の工作物についてその設置又は保存
に瑕疵があったことによって、他人の権利に損害を及ぼした場合は、工作物の所有者は、賠償の責任を負う。但し損害の発生の防止に相当の注意をしたときは、この限りでない。
A前項の損害の発生について、別に責任を負うべき者があるときは、
損害を賠償した所有者は、その責を負うべき者に対して求償権を持つ。
第192条 不法に他人を侵害して死に致した者は、葬儀費用を支出
した者に対してもまた損害賠償の責任を負わなければならない。
A被害者が第三者に対して法定の扶養義務を負うときは、加害者は、
その第三者に対してもまた、損害賠償の責任を負わなければならない。
第193条 不法に他人の身体又は健康を侵害した者は、被害者がこ
れによって労働能力を喪失若しくは減少し、又は生活上の需要を増加した場合には、損害賠償の責任を負わなければならない。
A前項に定める損害賠償について、法院は、当事者の申立によって
定期金を支払わせることができる。但し加害者に担保を提供させなければならない。
第194条 不法に他人を侵害して死に致した者に対しては、被害者
の父、母、子女及び配偶者は、財産以外の損害についてもまた相当の金額の賠償を請求することができる。
第195条 不法に他人の身体、健康、名誉又は自由を侵害した者に
対しては、被害者は、財産以外の損害についてもまた相当の金額の賠償を請求することができる。その名誉を侵害された者は、併せて名誉回復に適当な処分を請求することができる。
A前項の請求権は、譲渡又は相続することができない。但し金額に
よる賠償請求権が既に契約によって承諾され、又は既に起訴されたときは、この限りでない。
第196条 不法に他人の物を毀損した者は、被害者に対してその物
が毀損によって減少した価額を賠償しなければならない。
第197条 不法行為によって生じた損害賠償の請求権は、請求権者
が損害及び賠償義務者を知った時から起算して2年間行使しないときは消滅する。不法行為の時から起算して10年を経過したときもまた同じである。
A損害賠償の義務者が、不法行為によって利益を受け、これがため
に被害者に損害をこうむらせたときは、前項に定める時効の完成後もなお不当利得に関する規定によって、被害者に対してその受けた利益を返還しなければならない。
第198条 不法行為によって被害者に対して債権を取得した者に対
しては、被害者は、その債権の取消請求権が時効によって消滅したときであってもなお履行を拒絶することができる。
2 このように、中華民国民法184条は一般的権利侵害の場合の賠償責任
を定め、同192条及び194条は他人を死亡させた場合の、また、同193条は身体の安全を侵害した場合の賠償責任を定め、さらに、同195条は加えて、身体、健康、名誉、自由等が侵害された場合の慰謝料、名誉回復措置の責任について定めている。そして、同188条は、以上の各不法行為を基本行為とした使用者責任を定めているのである。
3 本件における不法行為は、被告国の軍隊がその指揮系統にしたがって遂
行した戦争行為であるから、個々の公務員の行為というよりも、被告国そのもののなした行為と見るべきである。そして、いかなる意味でも正当性を有しない歴史的な違法行為(犯罪行為)なのであるから、中華民国民法184条によって、さらに同192条ないし195条によって、被告国は原告らに対して損害賠償義務を負わなければならない。
仮に国そのものとしての行為といえないとしても、少なくとも同188条の使用者責任によって、国は原告らに対して損害賠償義務を負うものである。
4 さらに、中華民国民法の184条1項に言う「損害賠償」は、原状を回
復するための適当な手段を意味し、金銭賠償に限定されず、加害者たる国家に対する謝罪請求も認められる。さらに、本件細菌戦の被害者らは、いわれなき細菌攻撃により健康被害を受けたにもかかわらず、病気になったことで差別されるという名誉侵害の被害をも受けているのであって、195条に定める名誉回復に必要な処分が認められるものである。名誉回復に必要な処分として謝罪請求が認められることは当然である。
5 中国民法に除斥期間の規定はなく、また原告らに時効は完成していない。
(1) 前述したように、本件原告らの賠償請求の時間的な制限については、
法例11条1項により中華民国民法の時効の規定のみが働くことになる。 中華民国民法は、197条1項で、「不法行為によって生じた損害賠償の請求権は、請求権者が損害及び賠償義務者を知った時から起算して2年間行使しないときは消滅する。不法行為の時から起算して10を経過したときもまた同じである。」と規定しているが、前段(2年)後段(10年)とも除斥期間ではなく時効を定めた規定であると解されている。それは、昭和8年4月に発行された我妻栄著・中華民国法制研究会発行「中華民国民法債権総則」140頁に、「第1項が時効なることは第2項から明らかである。」と明記されている。
また、日本民法724条後段の20年が除斥期間と解される大きな理由として、通常の債権の消滅時効が10年であるのに対して、724条後段が20年と最大限長期の期間を定めていることがあげられているのであるが、このような理は中華民国民法197条1項の場合には当てはまらない。同法125条は、一般請求権の消滅時効について、「請求権は15年間行使しないことによって消滅する。但し法律に定める期間が、これより短いときは、その規定による。」と、15年を一般債権の消滅時効期間としているのである。同法197条1項後段の期間は、10年であり、一般債権の消滅時効よりもはるかに短いのであるから、これを除斥期間と解する余地はないものというべきである。
結局、同法197条1項前段の2年の時効は、主観的な権利行使可能時点から進行を始める時効期間であり、後段の10年の時効は、客観的な権利行使可能時点から進行を始める時効期間であると解されているのである。
(2) 本件原告らは、日本による侵略戦争のもとで、日本軍による残虐な侵
害行為を受け、50年を超える長期間にわたって肉体的精神的痛苦を受けてきたのであるが、その間中国は日本と交戦状態にあり、戦後も長きにわたって、日本は中国を敵視し国交を断絶してきたため、客観的にも権利行使が不可能な状態が続いてきた。
1978年にようやく日中平和友好条約が締結されたが、日中共同声明における戦争賠償放棄の問題もあり、中華人民共和国に居住する原告らにとって、客観的に権利行使が可能になったのは、早くとも、1995年3月9日の銭其深副首相兼外相の発言があった時点である。同副首相兼外相は、日中共同声明における戦争賠償請求の放棄には「個人の賠償までは含まれない」ことを明らかにし、それによって、ようやく中国に住む原告らの請求権の行使がはじめて可能になったわけである。この時点から提訴までは2年余りしか経過しておらず、197条1項後段の時効期間は経過していない。
さらに、本件に関しては、被告日本国が、自らの行った細菌戦の事実を隠蔽し続けてきたという問題もある。この被告の隠蔽工作によって、原告らの権利行使も不可能な状態に放置されてきたのであり、事実が明らかになってきたのが1990年代に入ってからだったのである。そうした意味からも、197条1項後段の時効期間は経過してはいないのである。
そして、原告らは、1995年末から1996年末にかけて、原告代理人らと出会うことにより、はじめて、日本国が賠償義務者であること及び賠償請求が可能であることを知ったのである。その時点からはいまだ長い者で一年半しか経過しておらず、197条1項前段の時効期間も経過してはいないわけである。
(3) なお、時効完成の効果につき、同法144条1項は、「時効が完成し
た後は、債務者は給付を拒絶することができる。」と定めている。この条項の意味について、昭和6年11月発行の中華民国法制研究会(代表松本烝治)「中華民国民法総則」250頁は、「本法は消滅時効の効力について独民法の主義を踏襲して抗弁権の発生となせる結果、日本民法の如く消滅時効の効果として権利自体の消滅を生ずるものとなすとは理論上大いに異なることにな る。」としており、債権者が時効による消滅を抗弁として提示しない限り権利消滅の判断をすることができないと解されるのである。
そして、同法148条は、権利の濫用を禁止しているのであり、細菌戦の事実を隠蔽して、原告らの提訴を妨害してきた被告が、時効を抗弁として主張することなど到底許されるものではないといわなければならない。
6 したがって、法例11条1項の適用により、原告らは、被告に対し、中
華民国民法第184条、第185条、第188条、第194条に基づき、本件細菌戦による本件各被害につき損害賠償請求権を有する。
第5 謝罪請求
1 細菌戦による損害は、第1部等で縷縷検討したように、生命身体等への
直接的な侵害にとどまらず、現在に至るまで、細菌の恐怖は収まらず、また、国が細菌戦の事実を速やかに認めて、適切な立法等による被疑者救済を怠ってきたことにより、現在まで継続して、非常な精神的苦痛、人格権への侵害を受けてきたのであり、この人格権への侵害の重大性は、名誉権への侵害の場合と比肩しうる。
2 そして、以上の侵害については、損害賠償のみならず、国の真摯な謝罪
があてこそ、初めて慰謝されるものであることは、明白である。
3 従って、原告らは、損害賠償のみならず、請求の趣旨記載のとおりの謝
罪を請求する(中華民国民法第195条)。

第4章 日本民法にもとづく謝罪及び損害賠償請求
第1 民法709条ないし711条の適用
本件における直接の違法行為は、1940年から1942年にかけての、被告による中国大陸における細菌戦の実行であるが、この違法行為は、被告国の軍隊がその指揮系統にしたがって遂行した戦争行為であり、被告国そのものの行った行為である。本件細菌戦の実行は、天皇の了解のもとに、大本営が指示し、陸軍参謀本部及び陸軍省の作戦計画指導によって実行された行為である。また細菌戦の実行のための研究、開発、武器製造は、中国現地における731部隊等とともに、日本本土においては陸軍軍医学校が密接な連携をとりながら準備したものである。したがって本件における違法行為は、中国現地における細菌戦の研究、開発、実行と、日本における細菌戦の研究、開発、及び作戦指導が一体となった行為である。それゆえ、不法行為が日本においてなされたものとして、日本民法の不法行為法の適用がありうるのである。
本件における違法行為の主体は被告国そのものであり、被告は右記細菌戦の研究、開発、実行によって、被害者及び被害者の家族である原告らに対し、生命、身体、財産権を侵害した。
第2 国家無答責の法理は適用されない
1 確かに戦前の大日本帝国憲法下において、国家無答責の考え方が一般に
通用していたことは事実である。
しかし、「国家無答責の原則」は、単なる法解釈に過ぎないものであり、現在時点での合理的な法解釈によるべきであるところ、国賠法の存する現在の解釈からは、国賠法制定前の事件の場合には民法が適用されることになるはずである。
(1)国家無答責の法理は成文法に根拠はなく、判例上の解釈にすぎない。
この法理なるものは、いかなる成文法上の根拠も有しておらず、判例上認められてきた法理にすぎない。このことは、旧民法393条の立法経過による立法者意思によっても明らかである。
現行民法が施行されるまでの間、司法は国家の賠償責任を決して否定したわけではない。立法者らは、かかる状況の下で、国の賠償責任について検討を重ねてきたが、ボアソナード民法草案第393条に関し、国の賠償責任が否定される範囲について、裁判所の判断に委ねることとしたのである。
ところで、旧民法は結局施行されず、その後、現行民法が成立施行されることとなったが、現行民法は第5章に不法行為の規定を設け、他に、旧憲法61条と行政裁判所法16条の規定が存在することになった。しかし、旧憲法61条も行政裁判所法16条の規定も「国家無答責」とは何の関係もなく、民法の規定中にも国の賠償責任を否定した規定はない。このように戦前においては、成文法上は、国家無答責の法理を明記した法文は存在していない。そして実際にも、国の賠償責任について司法裁判所の管轄権は否定されなかった。
このようにして、国家無答責の法理はいかなる成文法上の根拠も有しておらず、判例上認められてきた法理にすぎない。そして、事実、この法理なるものは、その後の司法裁判所の裁判例の集積を経て形成されてきたのであるが、実際にはその内容は動揺・変遷を重ね、国家責任を拡げる方向で推移してきたと言えるのである。
(2)戦前の国の賠償責任に関する裁判例の変遷と分析
国家無答責に関する戦前の判決は、被告があげるような4つの大審院判決に代表されるものではなく、もっと広く分析する必要がある。そうすると、明治憲法下の裁判所は、公法・私法二元論に呪縛されていたものの、具体的事案を通じ、国ないし公共団体に賠償責任を認めないことの不合理を自覚せざるをえず、そのため、「損害の公平な分担」という不法行為制度の大原則を遵守すべく、様々な論理立てをして公法・私法二元論を排除しようとしていることが分かる。
ア 国家無答責否定判決
これら判決中でもっとも明快な判決は、大審院昭和7年8月10日判決(大民新聞3453号)である。同判決は、「故意または過失により他人の利用権を侵害したるときは不法行為者としての責任を免れず」とし、このことたるや国家の行為であっても違法な行政作用であっても異ならない、「けだし不法行為の責任はその行為者の何人なるやによりこれを区別せざるを以てなり」と判示しており、国家無答責論を正面から否定している。このように明快に判示した大審院判決はわずかではあるが、しかし、こうした判例が存在した事実は重要である。
イ 私法行為抽出判決
次が、「公共施設管理の占有関係」に着目しあるいは「学校施設管理の占有関係」から、国、公共団体の民法上の損害賠償責任を導き出す判例群である。ここで注目すべきは、施設の占有権は行政の発動たる管理権に含まれると一方で認めながら、なおその占有権は司法上の占有権に他ならず、その占有行為も私人が占有するのと同様であると理由づける点にある。留意すべきは、判例は、行政権としての管理権に包含されているとする占有権(包含・切り離し論)を、だから行政権の一部であると理由づけして国家賠償責任を否定するのではなく、まして行政権に付随する(占有)権利、(占有)行為と理由づけるのでもなく、むしろ行政権から取り出し、切り離し、分離して、その占有行為に着目しようとしている点である。(大審院大正5年6月1日判決、大審院大正7年6月29日判決、大審院大正13年6月19日判決、大審院大正7年10月25日判決等)
ウ 職権濫用、権限逸脱判決
これらの判決は、当該行為が行政行為であることを前提としつつ、職権濫用、権限逸脱を特別の看過できない理由として公法人の責任を認めている点で、注目すべき判決である。(大審院大正12年6月2日判決、大審院昭和15年1月16日判決、大審院昭和16年11月26日判決、大審院昭和15年2月27日判決等)。
(3)国家賠償法附則6項の意味
「国家無答責の原則」が主張されるのは、公法私法をアプリオリに峻別して別体系に押し込める、当時の概念法学を前提にして、国賠法のような国の責任追及を可能にする法体系が存在しないことを根拠にして、国に対する責任追及をできないと結論づけた一つの解釈である。国による不法行為が問題となる法律関係の場面で、それは公法関係だからとして、民法の適用を拒否したうえで、国賠法がないからといって国の責任を否定する解釈に過ぎないのである。それは、大審院及び最高裁の二判例の判示に明らかであろう。
そして、仮に、日本法を適用するのだとしても、そしてそれが事件当時の日本法であったとしても、適用されるのは、法のみであって、解釈まで当時の解釈が意味を持つわけではない。当時の法を現在の合理的な解釈によって適用するというのが、法の解釈適用の有るべき姿である。そうすると、当時の法状況を前提にして、現在の合理的解釈によってその法を解釈適用すべきということになる。そして、この場合、忘れてはならないことは、事件当時に民法の不法行為法はれっきとして存在していたということである。
国賠法附則6項は、「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」と規定しており、被告は、この条項により当時においては国家無答責の原則にさかのぼってしまうと主張する。しかし、附則6項の規定は、単に国賠法の遡及適用はできないことを定めただけであって、それ以上のものではない。附則6項があるからといって、民法の適用が排除されるいわれはないのである。
しからば、現在の合理的法解釈はいかになされるべきか。国賠法の適用されるべき法律関係において、民法が適用されるべきか否かの解釈ということである。この点、国に対して損害賠償を求める国賠法の規定が私法関係に属するというのが、現在の通説であり、裁判例もそれを支持していることは前述したとおりである。
また、国賠法4条は、「国又は公共団体の損害賠償の責任については、前3条の規定によるの外、民法の規定による。」と、明確に、国賠法の基本法は民法であることを定めている。これは、国賠法制定以降の合理的解釈がこれ以外にないことを明瞭に示しているわけである。そうすると、国賠法が制定される前の事件の場合は、基本法に戻って、民法が適用されると考えるのが自然であり、それ以外の解釈はあり得ないというほかない。
そして、事件当時、民法の不法行為法は厳として存在していたのであるから、事件当時なかった法を適用するものでもないし、憲法17条を遡及適用しているものでもない。そうした批判は全く当たらないのである。
従って、現在における法解釈を前提にする限り、日本法が適用されるとするなら、それは民法が適用されるということであり、「国家無答責の原則」なるものは登場する余地はないのである。
(4)国内法化された条約による国家無答責の排除
ハーグ条約の国内法化によって、国家無答責の法理は排除され適用されない。
条約の国内法化と国内法の解釈については、国際義務と国内法との関係に関する国際法上の原則につき、「条約法に関するウイーン条約」26条、27条は、「効力を有するすべての条約は、当事国を拘束し、当事国は、これらの条約を誠実に履行しなければならない。」「当事国は、条約の不履行を正当化する根拠として自国の国内法を援用することができない」と規定する。
明治憲法下の日本においても、条約は批准・公布によって国内法化され、条約に抵触する国内法は抵触する限りで変更されたものと解釈されていた(岩沢雄司「条約の国内適用可能性」27〜28頁)。
国際法の国内法化及びそれが国内法に及ぼす影響については、明治憲法の時代から学説、判例とも異論はない。条約の国内的効力は裁判所によっても認められていた。
この趣旨からすれば、日本国が対外的に引き受けた義務が国内法化した場合、そのような義務の違反等を契機としていずれかの者に不利益が生じた場合、そのものは一定の要件さえ満たせば必要な司法的救済を受けることができることになる。ハーグ条約の適用範囲に関する限り、国家無答責の法理は排除されて適用されないのである。
2 国家無答責の原則は「統治権に基づく権力行動」に限定される
戦争行為は「権力作用としての国の公法上の行為」であるから、国家無答責の原則が適用されると被告は主張する。しかし、本件のような、国の戦争行為としての違法行為は、「権力作用」には含まれないものである。したがって、仮に、国の権力作用としての行為に国家無答責の原則が適用されるとしても、本件には適用することはできない。
国家無答責の原則が、通説として通用していたとしても、その適用される範囲は、統治権に基づき、統治権に服する者との間における権力行為について問題とされることは、戦前の大日本帝国憲法下においても、当然のこととされていた。
国家無答責論の立場に立つ田中二郎教授は、国家無答責が成立する権力作用の関係について、次のように述べている。
「権力作用とは国家が個人に対して命令し服従を強制する作用であり、原則として私法原理の適用を排斥する本来的な公法関係と認むものである。此の権力的作用によって違法に他人の権利を侵害することがあったとしても、特別の規定がない限り、国家としては一々責任を問わるべきでないと解する外ない」(田中二郎「不法行為に基づく国家の賠償責任」32頁)
権力作用とは「国家が個人に対して命令し服従を強制する作用」であり、この関係において、国家無答責が成立するとしているのである。
被告が引用する判例・大審院昭和16年2月27日判決においては、「国家又は公共団体の行動の中統治権に基づく権力的行動につきては私法たる民法の規定を適用すべきにあらざるは・・・」「町税の滞納処分は公共団体たる町が国家より付与せられたる統治権に基づく権力行動なるを以て、之に関しては民法の適用すべき限りにあらざれば・・・」と書かれている。被告の引用する判例においても国家無答責が適用されるのは「国家又は公共団体の行動の中統治権に基づく権力的行動」についてと限定されている。
ところで本件のような国家の戦争行為について、これが「権力作用」か否かを論ずるにあたって、国家と自国民との関係と、国家と他国民(敵国民)との関係を区別することなく、ひとくくりにして論ずることはできない。
国家の戦争行為は、自国民に対しては、徴兵し、国軍の指揮系統の下に組み入れ、戦闘行動その他の戦争行動に動員するという意味をもつ。一方、他国民(敵国民)に対しては、戦闘行動の対象という意味をもち、その本質は敵戦闘力を殲滅するという意味をもつ。国家の戦争行為といっても、自国民に対する意味と、敵国民に対する意味は全く異なるのである。戦争に動員するという自国民に対する行為が、「国家が個人に対して命令し服従を強制する作用」としての権力作用と言いえても、敵国民に対する行為が、「権力作用」という範疇に入り得ないものであることは明白であろう。
このように国家無答責の原則は、基本的に自国民、国家の統治権に服している者との関係において成立しているものであり、本件には適用できないものであることは明らかである。
国家無答責の法理は、西欧絶対主義の時代においては、王権神授説に基づく国王不可謬の法理として現れた。絶対王政から近代法治国家への変遷において、主権無答責の法理は、君主主権から国民主権への変遷にも耐えて余命を保ったのであるが、その主たる要因は、社会契約説における「支配者と被支配者の自同性」の論理であった。ルソーは、社会契約において、個別意思が一般意思のうちに合一化され、誰も自らに対して不正はなしえないがゆえに、一般意思も不正をなしえないと述べている。
同時に「国家と法秩序の自同性」論もまた国家無答責論を補強するものであった。法治国家の下では、国家権力といえども法に拘束されるのであるが、そこから国家行為と適法性が結合 |