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[第4回裁判] 王選さんの陳述(2)


一、今年の一月二〇日から五回にわたって、中国で各細菌戦被害地の原告代表訴訟準備会議が開かれました。私は、これらの会議に参加し、原告3代表を通して、訴訟の進行状況、訴訟に関する両当事者の書面を各地の原告たちに伝えました。五回の会議が中国のマスメディアに取材・報道され、原告だけでなく中国社会において、この裁判への深い関心が寄せられています。

二、現在各被害地では、訴訟準備のために、被害調査委員会が結成されています。各地の被害調査委員会は地元の被害実態の調査を行っています。例えば、常徳市調査委員会は七月上旬までの調査で、ペスト菌による死亡者二四二五人の名簿を作成しました。この名簿は、第三回公判(七月一三日)で意見陳述をした常徳の原告たちと共に来日した、常徳日報の記者であり常徳市調査委員会のメンバーでもある劉雅玲さんにより、日本で公表されました。また内容は、別紙の七月一六日(木)の「朝日新聞」朝刊のとおり、報道されました。 義烏市調査委員会の九月までの調査では、細菌戦のペストが、市内全域四六カ所の鎮村に蔓延し、一〇七〇人の死者が出たと報告されています。

 各地で被害調査がすすみ、さらにこの裁判に対する高い社会的関心によって、たくさんの生存者及び被害者遺族が新たに確認されました。寧波と衢州では、原告を中心とする細菌戦被害者連絡会が設立され、他の被害地も準備が行われています。

三、各被害地の原告・被害者連絡会及び調査委員会が、細菌戦被害者の記念活動を毎年行うことを決定しました。


 今月の四日、五八年前七三一部隊の細菌攻撃によって殺された親族を記念するために、衢州の原告、細菌戦被害者及び遺族の三四人が多くの市民と記者などに囲まれ、ペスト菌投下地に集まりました。細菌戦の事実を刻んでいる「侵華日軍細菌戦被害地遺跡銘記碑」という記念碑の前で、参加者は哀調の音楽の中、犠牲者を哀悼しました。細菌戦被害者及び遺族たちは日本政府に、旧日本軍による細菌戦の犯罪行為に対して責任を取り、中国の人々に謝罪、賠償することを強く要求しました。参加者たちは祖国が強くなければ、百姓に幸せがないことを歴史の教訓として痛感しながら、歴史を永遠に銘記しよう、中国の振興のために努めようと誓いました。

 これから、衢州以外の被害地でも、細菌戦被害者の記念活動が行われます。寧波では、一〇月二七日、ペスト菌が投下された日に行われます。義烏では、一一月一八日、崇山村が旧日本軍によって焼かれたその日に、市内全域に細菌戦ペスト被害を受けた四六カ所の鎮、村、被害者代表を崇山村に集め、行われます。

 江山では、来年の八月一八日、コレラ菌が散布された日に行われます。

 湖南省常徳では、一一月四日、ペスト菌が投下された日に行われます。


四、私は今年九月二三日から二五日まで中国の吉林省長春で開かれた第五回近代百年日中関係史国際会議に参加しました。その会議で、私は、細菌戦裁判の原告本人として、「日本軍細菌戦被害訴訟原告団の組織活動及びその意義」の論文を発表しました。私の論文と討論を通して、細菌戦の問題と日本で開かれているこの裁判が、世界の学者、とりわけ多くの中国の学者から注目を集めています。私は、裁判所に、この裁判が世界的な注目の下に進められていることをお伝えしたいと思います。

 なお、関連の写真等を最後に添付します。

                                  以 上